黒髪の勇者 第二章 海賊(パート17)
詩音の言葉にアウストリアが頼もしそうに頷いた時、二人に近付いてくる人影があった。
「公爵様、海賊船を発見致しました!
十時の方向、距離はおよそ3キロヤルクと言ったところです。」
興奮した様子で叫ぶのはビックスである。その言葉に導かれるように、詩音は視線をシャルロッテの左舷前方へと向けた。月明かりと、照り返す波間の煌めきを除けば黒一色の世界で、不自然に浮かぶ光が存在していた。海賊船のランタンであろう。
「随分と舐められたものだな。」
ほくそ笑みながら、アウストリアはそう言った。漆黒の海上に光る明りは想像よりも遠方にまで届く。平時に運航する分には衝突防止の意味があるが、戦闘においては単なる自殺行為であった。
「如何致しますか、公爵様。」
続けて、ビックスがそう訊ねた。
「このまま前進してくれたまえ。詳細はグレイス君に任せよう。」
「砲撃致しますか?」
「いや、構わない。万が一フランソワを傷つけることにもなりかねん。このまま進んでくれたまえ。」
「畏まりました、公爵様。」
ビックスはそう言うと、グレイスに伝える為だろう、船尾へと駆けて行った。暫くして、シャルロッテの速度が一気に、そして急激に伸びる。それまで策敵の為に半開きにしていたフォアマストを全開にした為であった。まるで全身を吹き飛ばすような、強い風を詩音は感じる。先日の航海でも感じたが、海の風は陸上のそれに比べて遥かに強い。
「シオン君、伝令管はこれかな?」
髪を靡かせながら、アウストリアがそう訊ねた。はい、と答えた詩音に頷くと、アウストリアは伝令管を掴みあげ、口を開く。
「グレイス君、聞こえているかな。」
『聞こえております、旦那。』
「船の照明を点灯してくれ。」
『それではすぐに海賊に見つかってしまいます。』
「分かっているよ、だが早い段階でこちらに注意を引き付けたいのだ。」
平然とそう言い放ったアウストリアに対して、グレイスは焦るように、こう答えた。
『相手の艦数と砲撃力が分かりません。自殺行為です。』
「それなら問題無い。私の魔術で奴らの砲撃は全て無効化しよう。」
アウストリアがそう告げると、グレイスは僅かの間思考するように沈黙した。
「任せてくれたまえ、グレイス君。」
やがて、グレイスを促す様にアウストリアはそう言った。
『分かりました、旦那。おい、野郎ども、ありったけのカンテラを甲板に持ってこい!全部点灯させろ!』
「さて、シオン君、それでは行こうか。」
伝令管を柱へと戻すと、アウストリアは詩音に向かってそう言った。そのまま船首へと向けて歩き出す。
「一体、どうやって砲弾を無効化するのですか?」
不思議で仕方ない、という様子で詩音はそう訊ねた。風が余程強い。ただ歩くだけでも、多少の注意を払わなければ足元を掬われてしまいそうだった。
「先程見せた魔術の応用だよ、シオン君。」
アウストリアは不敵にそう言って笑うだけ。半信半疑のままでアウストリアの後ろについて船首へと到達する頃には、シャルロッテはまるで装飾船のように煌々としたランタンに照らされ始めていた。その様子を眺めてから、アウストリアはその視線を海面へと向ける。海賊船との距離はそれから一キロ程度は近づいただろうか。
「グレイス君、もう少しカンテラを追加できるか?」
アウストリアは船首の見張りを務めていた船員から伝令管を受け取ると、そう訊ねた。
『在庫は後数個ですが・・。』
即座に、グレイスから返答が戻る。
「構わないが、全部船首に持ってきてくれたまえ。少し、暗すぎる。」
『畏まりました、旦那。』
「ああ、あと一つ。敵の動きはどうかな?」
『はい、おい、メインマスト!どうなっている?』
グレイスがそう叫ぶと、少し籠った、中年男性の声が伝令管から響いた。
『へぇ、どうやら回頭をしている様子ですぜ!』
「ありがとう。グレイス君、カンテラを急がせてくれたまえ。」
『了解致しました、旦那!』
伝令管が切れると、アウストリアは先程取り出したワンドを再びその手に取った。そのまま、感触を確かめるようにワンドを軽く撫でる。
『旦那、聞えておりますか?』
続けて、伝令管からグレイスの声が響いた。
「聞こえているよ、グレイス君。」
『どうやら敵の戦力は一艦のみだそうで!船級はどうにも分かりませんが・・戦列艦かも知れませんが、おそらくフリゲート級でしょう。』
「シャルロッテの倍、というところかな。」
『大体その程度でしょう。』
「了解した、グレイス君。
ああ、忘れていた。そろそろ強襲接舷の準備も頼む。」
『それならオーエンとウェッジの爺さんを中心に準備しております。左舷から乗り込む予定です。マスケット銃もありったけ準備しとります!』
「手際が良いね、グレイス君。第一艦隊でも勤務出来るのではないかな?」
『それは褒めすぎというものですぜ、旦那。ま、俺は精々旦那と一献飲み交わしたい程度の希望しかありませんがね。』
「君は本当に面白い人間だよ。」
アウストリアがくつくつと笑いながらそう言った。その間に全てのカンテラが取り付けられ、船首の周りはまるで昼間のような明るさで輝きだしている。カンテラが照らしだす熱にその頬を軽く染めながら、詩音がこの二人、過去にも何かあったのだろうか、とぼんやりと考えた時であった。
『敵、回頭終えた!どうやら砲門が開かれた様子ですぜ!』
物見台から伝えられたその言葉に、シャルロッテの緊迫が一気に高まった。腹の底がきつく締まるような感覚を覚えた詩音もまた、緊迫を解きほぐすように左腰に掃いた太刀を握りしめた。
「ところでシオン君、このミスリス製のワンドだが。」
緊迫感など吹き飛ばすような落ち着きで、アウストリアがそう言った。
「なんでしょうか。」
「ワンドはその素材によって、マナの誘導性は大幅に変わるのだよ。一番効率が悪いものは若い木。標準的なものは古い樹木で作られたワンドだろうか。銀製のワンドがあれば、より強力な魔術を使いこなすことも出来る。」
アウストリアはそう言いながら、手にしたワンドを大きく振り上げた。そのまま、小声で文言を呟く。
それと時を同じくして、腹の底に響き渡るような低い破裂音が海上に響き渡った。海賊船が砲撃を開始したのである。
『全員、衝撃に備えろ!』
すぐさま、伝令管を通じたグレイスの叫び声が届いた。それと同時に、シャルロッテの緊張感も極限に達する。勢い慌ただしくなった船員たちの中で。
アウストリアはただ一人冷静に、いや、まるでその時を待っていたかのようにその瞳を見開いた。
そして、叫ぶ。
「しかし何よりも、一番はこのミスリル製のワンドだ。
行くぞ、ヴァッサー・ヒューゲル!」
そのまま、アウストリアは振り上げたワンドを鋭く振り下ろした。そして下限に到達したワンドを、力を込めて持ち上げる。
それは、詩音の度肝を抜くには十分な魔術だった。まるでワンドに導かれるように海面が動く。いや、伸びる。迫りくる砲弾を飲み込むように海面が十メートル以上の高さにまで持ち上がった。初弾が魔術で盛り上がった海面に衝突した。だが、その壁を突破することは出来ない。詩音の目にも分かる程に、その海面は流動していた。そう、下からくみ上げた海水が頂点に達すると同時に急激な勢いで海面へと、まるで滝のように流れ落ちてゆく。激しい、船が飲み込まれれば瞬時に解体されてしまうような水流の壁がシャルロッテの目の前に展開していたのである。その水流にはじかれて、全ての砲弾がシャルロッテに届くこともなく、むなしく海面へと落下していった。
「グレイス君、聞えているかね!」
ワンドを一直線に差しのばしながら、アウストリアはそう言った。
『旦那、凄い、流石です!』
「喜ぶのはまだ早い。このまま、海賊船へと突撃してくれたまえ!」
『了解です、お前ら、全速前進だ!』
グレイスがそう叫んだ時、詩音は背中に視線のようなものを感じて上空を振り返った。気のせいだろうか、と振り向いた先に、大きな鳥のような物体がシャルロッテの周りを周回している。見たことの無い生物であった。ミルドガルドの海鳥だろうか、と詩音が考えた時、その物体はもう一度シャルロッテの上空で旋回をすると、そのまま東の方角へと飛び去って行ってしまった。その姿に詩音以外は、魔術に集中しているアウストリアは勿論、他の船員たちも気付くことは無かった。
だから、その上空で、一人の男が小さく、そして苦々しく呟いたことなど、誰も気付きはしなかった。
「あの魔術はアウストリア公爵か。確かに恐ろしい魔術だね。
だから人には手を出すなと言ったものを。どうにも頭の悪い海賊たちと仕事をするのは疲れるね。
ま、公爵殿の娘を誘拐したとなれば、それも当然か。この船は捨てておいて、次の作戦に移らなければ。」
そこで彼は、魔術師ユリウスは跨った鳥・・否、風竜を励ますようにその首筋を小さく叩いた。
「さ、少し長距離の飛行になるが、頑張ってくれ。皇帝陛下にご報告に上がらなければならないからね。」
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第二十七話です。
よろしくお願いします。
黒髪の勇者 第一話
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