/一刀
「……なんだよ、これ」
文醜がそう、呟いた。
「こんなのって、こんなのってあんまりだよ!!」
顔良がそう、嘆いた。
拠点のあった場所は、血反吐と首を亡くし辱められたままの遺体が散乱していた。
四肢をばらされた同僚。臓物を引き摺りだされた戦友。半身だけ焼け爛れた昔馴染み。いたるところに散らばった誰のモノかさえ分からない鼻や耳。
しかし主犯はどうやら切り刻むことに途中で飽きた様だ。半数ほど辱められた後は、残りをまとめ火に掛けられていた。どうやら臭いの原因はこれらしい。
地獄をこの世に具現化したらまさしくこの様なあり様になるのではないか。そう思わずに居られなかった。
そして。
一番目を引いたのは広場の中央に磔にされた一つの遺体。
筋骨隆々、丸太みたいに太い腕。誰がどう見ても、それはオッサンの肉体だった。
魂を失い唯の肉塊になってもなお存在感を放つその身体は、本来は死すれば敬意をもって弔われるべき好人物の身体は。
ヒトが思いつくであろう最高で最低な辱めの限りを受けていた。
鋼鉄の腹筋があったそこには刃物で掘られた罵詈雑言の限りが。爪は一枚一枚丁寧にはがされ、指は全ておかしな方向にひん曲がって。
ぶちまけられた臓物には踏みにじられたであろう靴あとが。右の足には無数の槍が刺さり、左の足は寸刻みにミンチにされていた。
そうして、左胸には。心臓があった場所にはぽかりと大穴があき、右の胸には刃で刻まれた六文字が。
『丁奉討伐了他』丁奉が彼を討ち果たした、と。
「……親父」
「ううっ……ぐすっ、うっ……」
ギリ、と文醜が唇を噛みしめ、顔良はただ啜り泣いた。
噛みしめた唇から、一筋の血が流れた。啜り泣く頬を伝い、涙が一粒落ちた。
「……やったのは、丁奉なんだな」
「嘘……やだ。嘘だよ、そんなの嘘だよぉ……」
泣く顔良を、文醜は何も言わず抱きしめた。
顔良は悲しみと絶望にずぶずぶと沈み込んでゆく。文醜は憤怒と憎悪が表情に溢れだしている。
まるで対極。怒りと悲しみ、憎悪と絶望。違う様で全く同じソレを二人は同時に見せながら、
──俺は、それがとても美しい光景に見えた。
さながら戦女神と死神、そんな比喩が浮かんだ。
どうやら俺は本格的に狂っているらしい。
霞は顔を怒りに歪ませ、思春と幼平は眉をしかめ光景を見つめていた。相変わらずの能面は風。
そして、狂っている俺は、笑った。
惨めな死に様を嘲笑う様に。血反吐に塗れた光景がまるで滑稽だとでも言わんばかりに。
口元がつり上がり頬がいびつに歪むのを自分で感じ取った。
そんな感情を露呈したことに、慌てて俺は口元を袖で覆った。
笑ってはいけない。俺の一寸残ったまともな部分がくだした判断だ。
だけど笑いが止まらない。だって──。
俺と霞は無事なんだから。
良くして貰ってたオッサンが死んだ? ああ残念でしたさて次に行こう。
おお、そう言えば悩んでた事が一つ解決したじゃないか! どうやって後腐れなくここを出るかっていう目下一番の悩みが勝手に解決しちまったよ!
丁奉が殺したんだ、へぇ。そうなんだそう言えばアイツたまに可笑しな顔してたよな。
……クソッタレが。
俺は狂気を覆い隠すと、静かに呟いた。
「……オッサン達、弔ってやろうぜ」
「っく……そうだな」
呟きに答えたのは文醜だった。
その後、一瞬遅れ各々が頷くなり反応を示した。一人を除いて。
「やだ、やだよお……こんなのやだよお……」
いやいやと頭を振りうわ言のように呟く姿に、酷く既視感を覚えた。
狂気に呑まれかけてる奴の姿だ。……いや、もう呑まれてるな。顔良はとっくに絶望と悲嘆の虜だ。
もう片方。文醜も気丈に振る舞い正常に見えているが、復讐と憎悪が杖になって立っているだけの姿だ。
「斗詩っ! しっかりしろよ!!」
そんな文醜が、顔良の頬をはたいた。
はっと顔を上げ、ぽかんと文醜を見つめる顔良。
「あたいらがしっかりしねえと、親父もっ……!!」
復讐に囚われた文醜は、顔良にも復讐という杖を差し出す。
それを顔良が取ることの意味は、破滅だ。悲嘆にくれ復讐に走る人間は、その瞬間空洞な人間になる。
復讐だけに生き、復讐を果たすと同時に死ぬ。生きる為に殺すのに、殺してしまえば自分も死ぬ。なんと矛盾した選択だろうか。
だが、俺は何も言わない。これは顔良と文醜の問題であり、俺の問題では無い。
「……うん。そうだね」
そうして、顔良は復讐の手をとり、悪魔の囁きを聞き入れた。
光を一旦失った瞳に宿る光は、暗く濁った光。二人は、復讐に囚われた。
「っしゃ、親父達を野ざらしにするのも酷だしな。皆も良かったら手伝ってくれよ」
ぐしぐしと涙を拭うと、二人は笑顔を浮かべた。
屈託のない、綺麗な笑顔だった。
「あ、ああ。微力だが是非協力させてもらおう」
「は、はいっ。お力になれるか分かりませんがお手伝いさせて頂きますっ!!」
思春と幼平は早速頷いた。文醜はそれを確認すると、俺と霞と風にも視線を送って来た。
風は相変わらずの無反応だが、俺と霞は当然にべもなく頷く。すると何処か安心したような反応を示され、俺はどう答えたものかと悩む羽目になった。
何となく文醜から俺への評価が窺える一幕だ。
「皆、ありがとな。親父も喜ぶよ」
文醜は、そう静かに呟いた。
顔良は、唯ニコニコと笑い続けた。
嗚呼、なんだかとても愉快だ。
**
「かーずとっ、なにしとるんよー?」
「お兄さんが黄昏るなんて似合わないのですよ」
夜。日なんてとっくに暮れて、オッサン達の予想外に重労働だった埋葬も無事終え一時程経った頃。
一人拠点だった場所から離れ黄昏ていると背中に霞が抱きつき、追随し風が膝に座り声をかけて来た。
「いいじゃねーか、黄昏たってさ。俺だって思う事の一つ二つあるんだよ」
「いひゃいれふぅ、ほっへひゃひっひゃりゃひゃいでくだひゃいよー」
似合わないなんてぬかしやがった風の頬をむにーと引っ張る。
まだ子供だと実感させるむにむにもちもち感だ。
「あと霞さん凄く当ってます」
「当ててるんやで」
おい誰だ霞に定番教えた奴。
そーいやこのネタの元漫画何だったけかなぁ……。
「お兄さんお兄さん、風も当ててますよー」
「まな板から成長してからそう言う事は言いなさい」
腕に絡みつく風が生意気にも言ってきた。
うん。女の子独特の柔らかさこそあるが別段胸は無いな。
「むぅ、それは聊か失礼過ぎると思うのですよー。抗議の声を上げさせてもらうのです。ぶーぶー」
「……やれやれ。良いか風、敏いお前ならこの一言で理解してくれるだろう。市場の違い、だよ」
すると風は、文字通り雷にでも撃たれたような表情を浮かべた。
「はっ!? な、なんということでしょう、風は間違っていたのです」
「そうだ、皆違って皆良い、霞には霞の需要が、風には風の需要が。そう言う事だ」
そう言い早々に話題を打ち切る。
このネタは長い事触れるには危険過ぎるからな、メタ的にデリケートな時期だし。
ほら、霞は頭上に疑問符浮かべて首を傾げてる。
「二人とも何話しとるんよ?」
「深く危険な話題なのです」
「まあ霞。深くは考えないでさ」
「二人の言う事が矛盾しとるんやけど」
「細かい事は良いんだよ」
「むぅ……ま、ええけど。あんま隠し事は無しやで?」
「勿論さ。風もだぞ?」
「風は別に隠してなんてないのですよ? 聞かれなきゃ言わないだけなのです」
風が、まるで心外だと言わんばかりに頬をぷにと膨らませた。それを俺が指で突くと風船の空気が抜けるみたいにしぼんだ。
その様子が何だか可笑しくて、俺と霞はどちらともなく顔を見合わせ笑った。
「ふはっ、あはは!」
「ぷっ、くっ、あははははっ」
「何でしょうかこの疎外感……はっ、もしやこれが正室とお妾さんの格差なのですね!」
なんて風が言うものだからなおさら可笑しくなって笑いがこみ上げて来る。
……でも、それもそう長くは続かなかった。知人を目の前で埋葬したばかりだからだろうか。何となく笑うという行為自体が悪い事の様な気がしてしまう。
「あはは……、……はあ。……おっちゃん達も死んだんか」
「……そう、だな」
最初の居場所は黒社会のボスに役所ごと乗っ取られ、今度は仲間内からの裏切りで。
何故だろう。俺は何か、疫病神の加護でも受けてんのかね。俺は自分が居る場所で起こる不幸に何となくブルーな気持ちになった。
こっちじゃ珍しくないかもしれないが、1800年後の日本じゃ役所乗っ取りも大量惨殺も普通は起こらない。
ソレが一年そこそこの間に連発すれば己に何か原因があるんじゃないかと思っても何も可笑しくは無いよな。
何となく沈んだ空気に浸るままになっていると、腕に抱いた風が俺を見上げて来た。
「お兄さんは、この事が起きたことで、悲しく思うのですか?」
「は?」
風の質問は予想の斜め上を軽く超えた。先ず意味が。その後意図が解らず返答に詰まった。
「風にはそう見えなかったのです。むしろ丁度良かったのではないのですか?
お兄さんはこの組織からの抜け時を窺っていましたし、賊だからいつかは滅びるなんて事も」
「な、何言ってんだよ風。オッサンが死んだんだぞ? 悲しまない訳ねぇだろ」
分かってる。風は全部分かってる。
俺を見ているから。“俺だけ”を見ているから。
「嘘です。だからあの丁なんとかさんが可笑しなことを企んでいる事にも何も言わなかったのです。
お兄さんが望んでいたから。お兄さんの望みとおじさんの命どっちが重いかなんて、言うまでもないのです。
お兄さんのことは風がずっと見ているのです。狂気に走った文醜お姉さんや顔良お姉さんを眺めた時も。
徹底的に辱められた文亨おじさんの屍を見たときも。お兄さんは、歓喜して笑ってたじゃないですか」
「ふ、風! 何言うとるんや!」
「霞お姉さんだって分かってたじゃないですか。だからあんな悲しそうにお兄さんを見てたんじゃないのですか?
……皆全部分かってたんじゃないのですか?」
風の淡々とした口調が、次第に尻すぼみに小さくなっていった。変わらない筈の表情が本当に少しだけ不安を露わにさせていた。
自分の選択肢が間違っていたのかもしれない。そう思い当ったのだろうか。傍観者として眺めるだけだった風が、久方振りに見せた生の感情。
「っ……お、俺は……」
「……どうなのですか? お兄さんはこれで喜ぶんじゃないのですか?
風は、風は正しく無いのですか? お兄さん、お兄さん答えてください」
風の表情がハッキリと不安で歪んだ。俺が答えを見せないからだ。
風への回答は……俺には、分からない。確かに俺は歓喜し、あまつさえ恩人と呼ぶに相応しい人物の死に唾を吐きかけるような真似さえしたと言っても良い。
だけど、其れを認めたくなかった。己は何処か壊れた人間だ、なんて言っておきながら恩人の死さえ嘲笑うような人間にはなりたくなかった。
……いや、違う。恩人の死さえ嘲笑う事で誰かに……霞に嫌われたくなかった。
本当にそれだけか? なんて自問自答しても分からない。それならあの時、ぽつりと思った『くそったれ』の一言の意味が解らなくなる。
「は、はは……」
だから、俺は考える事を拒否した。
考えなければいい。狂ってしまえばいい。殺人犯が精神鑑定を求めるのと一緒だ。
良くある利己主義の凝り固まった様な犯罪者が『悪魔の囁きの所為だ!』何て叫ぶのと一緒。自意識下での行動じゃないなら俺には責任が無いという、逃道へ。
「はは、あはは、はははははは! ひぃははは、ぃひ、ひひひひひっ!!」
「お、お兄さん?」
風の表情が今日は良く変わる。次は露骨に動揺と驚きを見せた。とても貴重な瞬間だ、驚きに眼を見開かせる風というのは。
まさか、俺がこんなに弱弱しい逃げの一手を打つなんて思わなかった、とでも言いたげな驚愕だ。
いつの間にやら俺は風の中で絶対の強者になっていたらしい。これは失望されたかもしれない。
一度得た好意を失うと言うのはとても恐ろしい事だ。嫌われたかなと思う半面、縋る想いで嫌われたくないと思った。
すっ、と風と霞の温もりが離れた。
どうやら霞が風を持ちあげて一歩離れたところまで移動したようだ。
その距離が、まるで地球の反対側程に遠く離れて感じる。
「ひっ、いひひひひひっ、ひぃひひひっ!」
逃げていると分かっていても、俺には笑うのを止めるという選択肢が無かった。
止めたら俺は認めなくちゃならないからだ。俺自身が理解しかねる罪悪感と、俺が行動と言動で示した死者のへ冒涜を。
「……一刀」
霞が呟いた。俺は狂ったように笑いながら、それでいてこれでもかという程に全ての言動を些細なものまで“観察”していた。
逃げながらも、俺は狡猾な本性を隠せないでいる。風をあんなに怯えさせておきながら、俺は俺自身がそういう予想外に直面する事を恐れた。
分からない事は俺の内面で蠢く混沌とした感情だけで十分だ、そう思った。
「ひひひっ、ひっ、ひぃっひひひひひっ!!」
笑う度、霞がぎゅっと拳を強く握り締めるのが見えた。
感じられる感情は、怒り。
霞は怒っていた。それは恐らく、逃げる俺へ向けられた怒り。視線は決して俺に向かず、唯地べたを睨み続けている。
「一刀……止めようや」
絞り出すように。極々小さな音量で、霞はそう呟いた。声が震えていた。霞が本気で怒っている証拠だ。
殴られるのか、罵倒されるのか、それとも何も言わず立ち去るのか。
ありとあらゆる霞が俺を否定するシナリオを想定しシュミレーションする。
霞が一歩、また一歩と近づいて。霞の一歩、また一歩ごとに風の表情が何かの感情で歪んだ。
そして、遂に霞は止まった。
手を伸ばせば届く距離、なんて言ってしまえば陳腐な恋愛の詩みたいだけど、この場合は単純に殴るのに最適な距離だというだけだ。
すっ、と霞の手が上がった。来るか、なんて身構えてみると俺は眼をつぶり歯を食いしばった。
ぴりとした空気が肌を刺し、緊張で反射的に身が硬くなる。
そして、一瞬の間があって──
ぽふ、と柔らかいモノに包まれた。良く知る霞の匂いだ。痛みなんて訪れなかった。対極と言っても良い様な、優しくて柔らかい感触。
とくん、とくんと霞の鼓動が聞こえて、ソレが不思議な安ど感を齎す。混沌としていた感情がすぅ……と消えた。
「……無理せえへんといてぇな。ウチ、そんな一刀見たないで」
「ひっ、ひひっ……ひぃっ、ひひ」
まだ喉が引きつってやがる。意味と感情を持たない声だけの笑いが漏れた。
「誤魔化さんといて……笑って誤魔化さんといてぇな」
きゅ、と抱きしめられた頭に、霞の熱が伝わる。
くらくらする。霞の、霞だけの甘い香りが脳をかき乱しながら全身に広がる。
「し……霞……」
「前も言うたやろ。もっとウチのこと頼って。ウチのこと、もっと信じて。ウチは絶対一刀を裏切らんから」
ぽむぽむ、と頭を撫でられた。全身の力が抜けて、それだけで途方もない多幸感が俺を覆った。
「あんな、ウチが怒ったんはな、自分に怒ったんよ。
ウチは風みたいに一刀の思うとる事も、一刀が望んどることもまるでわからん。一刀が分からんくなる事も仰山(ぎょうさん)あるんよ。
でもな? ウチにも分かる事が一つだけあるんやで。一刀がウチを大切にしてくれとる、ってこと」
そこで一度霞は言葉を切った。ゆっくりと頭をさすった後、もう一度口を開いた。
「……せやから、ウチはな、自分に腹が立った。一刀が大切にしてくれとる。
でも、それが一刀ん中で重荷になってまっとるから。
ウチは一刀が大好きや、愛されとるて実感できる瞬間はマジで嬉しいんや。
でも、それで一刀を苦しめたら、なんも意味無い。せやからウチはウチに腹が立った。
頼って、なんてさっきも言うたし前にも言うたのに、それにこたえきれんかった。
でもそれでウチは真綿で首を締めるみたいに一刀を結局困らせてもうた。ウチは大間抜けやった」
言葉が出なかった。ただ、霞という存在に俺は“気押されていた”。
余りにも高潔。余りにも寛容。気高くて、美しくて、聖母の如く何もかもを受け入れる姿。
……それに、俺は気押された。まるで英雄譚の姫騎士に愛を囁かれた街の小悪党の様な、そんな気分になった。
そして途方もない恐怖が俺を包んだ。俺は、果たしてソレに報いられているのだろうか?
霞は俺の所為で罪の意識を感じている。どれもこれも、俺が小悪党の様な存在である事が原因としか思えず、
──霞の言葉を否定する事になるが──俺こそが霞を信じきる事無く勝手に『霞の為』と免罪符にし後ろ暗い事をしていた所為だとしか思えなかった。
「それは……それは違うよ霞」
「何が違うんよ。一刀はウチの為にこの団の滅亡を予見しておっちゃんの死を利用しようとしたんやろ。
それは詰まりや、ウチの所為や。頼って欲しいなんて言うてもうたのに答えられへんかったウチの所為や。
……結局、ウチは一刀に頼ってばっかの大馬鹿ものや」
「っ……違うよ。それは違う。……大馬鹿は俺だよ」
霞に抱かれたまま言葉を捻りだした。いつの間にか声には嗚咽が混じっていた。
女に抱かれて泣きだす、なんて行為が俺のちっぽけな男のプライドを起こしたが、それもすぐに吹き飛んだ。
「俺は……っ、俺は……」
それ以上、言葉を続ける勇気は俺には無かった。
霞が受け入れてくれる、そう分かっていても、俺には続けられなかった。
嗚呼、本当に俺は馬鹿だよ。愛した女何遍悲しませてるのですか、と。
「……ゴメン。ゴメンなぁ……霞……」
本当に情けない。何度悔いた事か。
……でも、一つだけ俺は思った。
沢山の意味を込めて。弱さゆえに霞に隠し霞に悔いさせてしまった自分を思い出して。
明日からは、少しだけ強く生きられそうだ。
**
霞お姉さんの胸で抱かれて、静かな寝息を立てるお兄さんを風は茫然と見つめていました。
お兄さんが、分からない。いや、分からなかったと言うべきでしょうか。
透ける様に何もかも見えてしまう風には、お兄さんの混乱が全く見えませんでした。
風と同じはずなのに。風と同じヒトの筈なのに。
霞お姉さんには理解できて、風には理解できないお兄さんの感情。
ぎり、と風の奥歯を噛みしめる音がしました。
そして、とても嫌な色が風の中に現れました。
一度色を亡くした筈なのに。何もかもが無くなったと思ったのに。ずけずけと入り込み風の真ん中に居座ってしまった人が、お兄さん。
お兄さんと居ることで、風は時折鮮やかな色を見る事が出来ました。
ふと口にしたお夕飯。お兄さんの膝に座って見た星空。──お兄さんがふと笑いかけてくれた時の、どこか恥ずかしそうな笑顔。
そんなモノを見た瞬間に、喜びだったり、驚きだったり、感動だったりが、小さく胸に芽吹くのを感じられました。
失ったはずの色を見せてくれる。そして、風と一緒で狂っている。
安心感と、多幸感と、何より拒絶されないという安堵感。
常識的な人間だったという自信のある風は、狂人の末路や一般的な対応ももちろん知っているからこその、お兄さんや霞お姉さんへの信頼。
そんな沢山の色を見せて貰える。そう気付いた瞬間。
だから、これも失った筈だった色、淡い桃色の恋心が芽吹きました。
それで幸せだったはず。幸せというものを時折からっぽの心のどこかで感じられた筈。
だからお兄さんの為に行動した。お兄さんの願いをくみ取って叶えようと思った。
甘い疼きをもっと感じたかったから、沢山の色をもっと思い出したかったから。
だから、お兄さんの願望を感じ取ったから、風は流れるまま団を滅ぼさせた。
一言おじさんに言えば止められた筈の出来事を、風は止めなかった。つまりは風が滅ぼした。
それが、もっと風に色を見せてくれると思ったから。
でもソレは違った。お兄さんの願いは確かにそうだったのに、風はお兄さんを混沌へ叩きこんだ。
半狂乱のお兄さんを見てられなかった、違う、違う。
風の想い出したかった色はこんな色じゃない。絶望も離別ももう一杯で、こんな色はもう見たくないのに。
風はお兄さんをそうさせた。自分が嫌で仕方ないことへ、お兄さんを突きこませた。
……それだけでも、風には大き過ぎる嫌な色なのです。
でも、もっと嫌な色があるのです。
それが、さっきも感じたあの色。
風には分からなかった感情を理解して、お兄さんはそれを信じ信頼し、優しいいつもの、風に甘い色を見せてくれるお顔に戻した霞お姉さん。
その事実を見る度に、ぞわぞわと這い上がってくる嫌な色。
怒りとか、悲しみとか、寂しさとか、そんな色を全部まぜこぜして出来た真っ黒な感情……。
激しい“嫉妬”の情。
こんな色思い出したくなかった。
願ってももう戻らない。思い出した色は、何時までも風の心に沈澱して時々首をもたげる。
嫌だ。風は幸せになりたいだけなのに。
霞お姉さんと、お兄さん。皆で一緒に幸せになって、もっと優しい色を知りたいのに。
知らないお兄さんを理解する様が妬ましい。お兄さんにあんなに信頼されているのが妬ましい。
何もかも妬ましくなって、お兄さんを独り占めしたくなる。
そんな事をしたら何もかもが優しく無い色で埋め尽くされてしまうと分かっているのに。
今も、この瞬間に霞お姉さんを後ろから殴り殺してしまいたくなる。
そんなことしたら、誰も幸せ色を見られないと分かっているのに。
「……ん、風、どしたん?」
「ふぇ? あ、ああ、何でも無いのですよー」
こんな色、他の人に知られたくない。
そして思い浮かんだ色は恐怖。嫌だ。こんな色ばかり思い出したくない。
「はっはーん。もしかして風、羨ましいんやろ?」
「っ」
びくっ、とお姉さんの言葉に肩が震えた。
やだ。こんな汚い色をした風を知られたくない。
「あれ。マジやったんか。そっかー、ごめんな。なんや一刀独り占めみたいな事してもうて」
「い、いえー。正妻とお妾さんの超えられない壁とはまさにこれなのですからー」
自分ながら白々し過ぎる反応にあきれるばかりだ。
咄嗟に出たいつもの言い回しに、何故か霞お姉さんは眉をしかめた。
「その正妻とかお妾とか止めよや、なんやええ気分せんわ」
「……そうなのですか?」
「せや。風は一刀が認めた、いわば家族や。家族ん中で、ウチと風は……せやなー、姉妹みたいなもんや!」
「姉妹……なのですか?」
「そうや、姉妹や! まあ姉と妹の上下感はこの際抜きにしてや。家族やで、風は遠慮もせんでええ。家族や認めた風なら、いつでも入ってくればええ」
「いつでも、ですか」
「せや、何時でもや。まぁ……流石にごにょごにょしとるときは勘弁やけど。はずいし。でも、風がせやって無理して引いとるんを見るんは、
ウチ的にはナシや。だって辛いやろ。好きな人に愛して貰えんのはめっちゃ辛いモン」
「……」
霞お姉さんはよっぽど風より表情が読める様です。
そして、どこか嫉妬しながらも風は敗北感を感じました。
この人には、お兄さんのことでは絶対勝てない、と。
「それでや。態々妹に辛い目あわせたろなんて思う姉は居るか?
よっぽどおらんやろ。んでウチは自他共に認める多数派、つまり妹は猫可愛がりせなイカン派や」
「それは多数派なのですか?」
「……まあそこはどうでもええんやさ。大事なのはウチの主張や」
「うーん……ちょっと眠くなってきたので、詰まる処簡潔に今のお話をまとめるとどうなるのですか?」
「眠っ!? って、ちょ、風それ酷ない?」
「風はまだ十歳なのです」
「うーん……まあ仕方ないか。
詰まりやな、……せや、これや。 一刀を、一緒に、犯るのもアリ、やで」
突然のトンデモ発言に思考がぽーん、と余所へ飛び出しました。
一瞬悩んだ後、風は霞お姉さんに言いました。
「最低なのです、霞お姉さん」
「ええっ!? ……って今、風、笑った?」
「ほえ?」
霞お姉さんにそう言われ、風は自分のほっぺたをむにむにと触ってみました。
分かりませんでした。
「うーん……見間違えやったかなぁ?」
「まあそれはいいのです」
風はまた自然に笑えるかもしれません。そう思えただけでもとても大きなことです。
霞お姉さんには、とても大きな貸しが出来たかも知れません。
どろどろとした嫉妬は、いつの間にか引っ込んじゃっていました。
でも、無くなった訳じゃありません。だから。
「霞お姉さんに、一言言っておく事があるのです」
「ん? なんや?」
「風は、どうやらとても嫉妬深い女の様なのです。あんなこと言ってもらった手前言うのもどうかと思いましたけど、宣言しちゃうのです」
──油断してると、嫉妬した風がお兄さんを盗っちゃいますよ?
一瞬ぽかんとして、あたふたし始めた霞お姉さんを見ながら、風はまた一つ色が浮かびました。
とても、とっても優しい気持ちという、素敵な色でした。
霞さん良い女にかけたかしら。
都合のいい安直ヒロインになって無いか不安です。よろしければ是非ご意見を。
こんにちは、甘露です。
とりあえず恋愛って上手くいかないよねー(´・д・)(・д・`)ネー
思いあう程に擦れ違う、なんて陳腐なJPOPの歌詞みたいですがwって感じで書きました。
あと風ちゃん途中で空気になったので救済救済。
ヒロインはあんまり増やさない方向で行きたいのですが
愛とかなんかそんな様な液体が溢れて増えそうな予感。
さて、思春さんはどうなるのやら。それより袁家コンビどうなるんだ(未定
コメントでフラグが次々読み解かれ恐怖を感じる今日この頃です。
おまいら僕のプロット読んだだろ、なんて思わせられることもちらほら(笑
次、エピローグを入れたら最後に成ります。
次は……【黄巾と董卓、生涯の主との出会い 編】に成ります。
ではではー
Tweet |
|
|
51
|
2
|
追加するフォルダを選択
今北産業
・狂気
・親愛
・嫉妬
続きを表示