/思春
「んんっー……ふぁぁ……っ」
随分と清々しい目覚めだ。
はて、こんなに気持ち良く眠りから覚めるのは何時以来だろうか?
というか、何故私はこんなにすっきりと目覚めているのだろうか?
いつもは襲撃と強奪と裏切りを警戒し、断片的な眠りを取るしかなかったのに、
今日は二時も連続で眠れたからかもしれない。
……はて。そう言えば私は何故こんなにぐっすりと眠れていたのだろうか。
「あ、起きたんだ。おはよう思春」
「おはようございます思春様っ! 良くお眠りになられてたみたいですねっ!」
にっこりとほほ笑みながら私に挨拶をする青年と、
まるで戯れる子犬の様にしっぽがあればブンブンと振り回していそうな明命。
一瞬、情況が掴めずぽかんと間抜けな表情を晒した後、昼間の出来事を思い出す。
『思春。貴女の真名を受け取らせてもらうよ。俺は一刀だ』
思い出した途端、顔が熱くなった。
喉と口がからから乾いて、熱に浮かされたように思考が回らなくなった。
──私は、この青年、一刀と真名を交わした。
彼は私の初めてで、それを彼は受け入れ、一刀は私を思春と呼んでくれた。
意識したらもう駄目だった。
何も考えられない。頭の中が一刀でいっぱいになってしまった。
そんな使えない脳味噌をなんとか稼働させると、私は声を絞り出した。
「お、おはようっ明命、か、かかかじゅとっ!!」
そして、私は舌を噛んだ。
口の中に鉄の味が広がって、それに比例して後悔も広がった。
噛み千切らんばかりに噛んだせいで痛む舌と同じくらい心が痛んだ。
どうしよう、最悪だ私。預かった真名を呼び間違えるなんてどうしようもない野郎だ。
なんて自己嫌悪が心の中で渦巻く。
これでもし嫌われてしまったら、そんな想像をして心臓が締め付けられる。
兎に角、謝罪をしなければ。
そう思い、やっとの想いで顔を上げ一刀を見れば。
少しだけ困り顔を含ませながらも笑っていた。
安心、していいのか? いやいや、どちらにせよ謝罪をせねば。
大体笑顔だからと言って怒っていないとも限らない。
そう自分に言い聞かせると、キッと一刀に向き直った。
「そ、そのっ、真名を呼び間違えて済まなかった……一刀」
「へ? ああ、いいよいいよ、気にしないでさ」
しかし、一刀の反応は実にあっさりとしていた。
覚悟がひゅうひゅうと抜けて、何とも言えない脱力感だけが広がった。普通は例え故意でなくても真名を呼び間違えれば多少は怒るモノではないか。
これが彼の普通なのだろうか? それとも私が過剰な反応を、いや……それはない。
現に明命は一刀を射殺さんばかりに睨んでいる。元々真名への思い入れの強い奴というのもあるかもしれないが、
それでもやはり己の真名を軽んじる様を見るのは快く無い。それが大切な人であれば尚更だ。
「あの、一刀。貴様は聊か真名を軽んじ過ぎては無いか?」
「へ?」
「いや、一刀のあり方に文句がある訳では決してないのだがな。親しい人間の真名を軽んじられる様を見るのはどうにも気分が悪いのだ」
「あ、ああ。そゆことね」
そう言うと一刀は何やら難しそうな顔をした。
……もしかして何か一刀の中に禁戒があったのだろうか?
ソレはとても致命的な損傷を関係に与えるモノだったとしたら……私は……。
一刀は私の内心を余所に、何やら思案顔で黙したままだ。
不安が思考を染め上げる一歩手前まで来た頃、漸く一刀が一言つぶやいた。
「やっぱりそうなのかなぁ……」
空を見上げ、はあと溜息が一つ。
声をかけるか否か、そう一巡し、私は声をかけた。
「っ……その、な……何がだ?」
どんな言葉が返ってくるのだろうか。
怒声や罵声なら構わない。命を賭して謝罪すればいい。だが、もし真名を返上されたら……。
「ん? ああ、なんでもないよ。それより済まなかったな。真名を蔑ろにしたことで不快にさせたなら謝るよ」
再び覚悟と緊張はどこへやら風に吹かれ。本当に一刀は何を考えているのだろうか。
一気に萎えた思いに何となく胸やけを感じながら、一刀が気にしていないならとばかりに私は話を振った。
「いや、そのこちらこそすまなかった。ところで話は変わるのだが……」
「うん? 何?」
「一刀達はこれからどこへ向かっていくのだ?」
「ああ、安邑から早馬で2日くらいの場所に俺達の拠点があるんだ。逃げるにしても何にしてもそこに行って方針を決めなきゃいけないからね」
「成程。ところでその拠点というのは」
「北方の遊牧民よろしく移動式の天幕を使った簡易な奴さ。でも五十人はいるからな。規模はそれなりだぞ」
「ふむ、私の船は鹵獲した蒙衝(現代で言う駆逐艦)が一隻と、後は漁船みたいなのばかりさ」
「へぇ、でも蒙衝だと百人単位で人が要るんじゃ?」
「そこは部下達の腕の見せ所だ。それに帆を付けて漕ぎ手を半分にまで減らしたからな。人数も貴様らと同じで精々五、六十人だ」
会話は途切れる事が無かった。
この心地よい関係は、どうやら私にとってとても大きな財産となった様だ。
**
/一刀
思春との会話を一頻り楽しみ終わった頃、もぞもぞと霞が先ず起き、続いて顔良が起きた。
中々起きなかったものの何やら感じとった風は霞の実力行使直前に目覚め、最後まで眠り続け挙句『あと一時』なんてのたまう馬鹿は霞に蹴られた。
そうして、ある程度寝癖やら寝顔やらを整え終わったのを確認すると、俺は皆に声をかけた。
「此処からは丸半日、早朝まで馬で移動する強行軍になる。だが、拠点に早く戻る事こそが一番の優先事項だ。顔良、食料の残りは?」
「あ、はいっ。あと二食分、各々切り詰めれば三食は何とかなるかもしれませんね」
「そう言う事だ。草原の真ん中で飢えて死にたくは無いだろ?」
そう言うと各々が反応を示した。
空腹の辛さを知らない人間は誰もいない事が一層皆に物分かりを良くさせた。
「よし、じゃあ行くぞ。決して隊列を乱すなよ。前の人間に必ず続く事。草原で迷子になったら間違いなく再会は無理だからな。殿は霞に任せた」
「あいよーっ」
霞の返事に手を振って返すと、俺は馬に蹴りを入れた。計十二本の、心地よい馬蹄の音が木霊した。
**
あれからどれくらい走っただろうか。
真上に有った半分の月は沈み、東の空がぼんやりと紅く染まり始めている。
もうすぐ朝日が昇る頃と仮定すれば、四半時は走り続けている事になる。
風はとっくに俺の前でこっくりこっくりと舟を漕ぎ、後ろに掴まる幼平もたまに眠そうに目元を擦った。
「文醜、霞。平気か?」
「おうっ、斗詩も元気だぜ」
文醜は俺に手を振り、顔良はぺこり、とお辞儀をした。
「ウチも問題あらへんで。甘ちゃんがちぃと疲れとるみたいやけど」
「す、すまん。こんなに連続で馬に乗った事が無いんだ」
どうやらかなり疲れている様だ。
それも仕方が無いとは思うが。現に文醜や顔良でさえ声にこそ出さないが疲れが顔に出ている。
「いや、仕方ないさ。……文醜、あと十里(4km)も無いよな?」
「だな。一時前辺りからあたいらの縄張りに入ってる筈だぜ」
文醜の言葉に俺は頷いた。確かにこの辺りは鍛錬の時に良く見た光景だ。
「……なあ北郷、なんか臭わねえか?」
ふと文醜が呟いた。
それに釣られ、鼻をすんすんと周囲の匂いを嗅いだ。……これは、肉と脂を焼いた臭いか?
「親父は肉でも焼いてんのか?」
「なんやろ、この匂い。おっちゃんが馬焼いて食う訳無いし羊か?」
「え、でも羊は今はいませんよ?」
どうやら皆が同じ結論に達したようだ。
肉を焼いている、という事は宴の用意でもしているのだろうか……。
いや、それはおかしい。俺達が帰る予定は二日後だ。鬼の居ぬ間ならぬ子の居ぬ間に、という事が無い訳では無いが……どうにも嫌な予感がする。
「……皆、急ごう」
誰もが何処となく不穏な空気を感じ取る。俺が呟くと、皆は我先にと馬に鞭を入れた。
どうか、この予感は外れていて欲しい。
そう願う。
でも、心のどこかでは俺は確信していた。
絶対に、それを見るまでは認めたくない。何かの間違いかもしれないから。
そう思わなければやっていられなかった。
でも、やはり確信は揺るがない。
……この臭いを、俺は知っている。
スラムで足掻き、這いつくばって生きていたあの頃に、知っている。
食べ物を求め、あるいは狂乱の果てに行う『人を喰う』という最悪の禁戒。
その時の──
いつの間にやら目覚めた風が腕の中で身じろぎした。
「……ヒトが……燃えた匂いですねぇ」
その呟きは、はっきり俺の耳に届いた。
**
こんばんわ。甘露です。
コミュ障拗らせたらナンテコッタイな感じになってしまいました。
まともに働く事も出来ないので暫く親元パラサイトになりそうですorz
土曜日、というか先週ですが、色々心が不安定で何も出来ませんでした。
なので更新も・・・・ スイマセンデシタ。
今はメンタルケアのプログラムをこなしながら息抜きにss描いています。
それ自体が不定期なので、更新も落ち着かなくなると思いますがご容赦ください。
出来る限り水、土の週2更新を出来るように頑張りますので
では
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今北産業
・すごく、短いです・・・
・お馬様からの
・人間キャンプファイヤー
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