No.365555

十五階建のアパートで

歌鳥さん

とあるアパートにまつわる奇妙なお話。ちょっとだけグロ注意です。

2012-01-19 22:11:27 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:436   閲覧ユーザー数:429

 十五階建のアパートの二階に、その男は住んでいる。

 十五階建のアパートの二階で、男は一人暮らしをしている。

 十五階建のアパートの、男の部屋の番号は203。同じ階にはちょうど十の部屋があり、男の部屋は右から三番目。

 十五階建のアパートを、男は朝八時に出る。最寄りの駅から電車に乗り、勤務先の会社で業務をこなす。勤務態度は至って平凡。同僚とは雑談を交わす程度で、個人的なつきあいはない。仕事を終えると、男はどこへも立ち寄らず、まっすぐアパートへ帰る。

 十五階建のアパートで暮らす男には家族がいない。友人も恋人もいない。趣味らしい趣味もなく、ただ勤務先とアパートを往復する毎日。

 十五階建のアパートで暮らす男は、そんな生活に不満を抱いてはいない。自分の人生について、特別な感情は持っていない。

 十五階建のアパートで暮らす男は中肉中背。あまり印象の残らない、平凡な顔立ちをしている。首の後ろに小指の先ほどの大きさの肉瘤がある以外、これといった外見的な特徴はない。

 十五階建のアパートの十四階に、その女は住んでいる。

 十五階建のアパートの十四階で、女は一人暮らしをしている。

 十五階建のアパートで、女の住む部屋の番号は1409。ちょうど十ある並びの部屋の、左から数えて二番目の部屋が、女の住居。

 十五階建のアパートで暮らす女は若く、整った顔をしている。加えてスタイルも良い。

 十五階建のアパートで暮らす女は、そんな外見を生かした職に就いている。夕刻から真夜中過ぎまでの時間、女は夜の店で男性客の相手をしている。

 十五階建のアパートで暮らす女は話が上手い。そして美人でもあるので、店での評判は上々。言い寄ってくる客も多いが、女は客と深い仲になったことは一度もない。

 十五階建のアパートで暮らす女は、その職業の割には質素な生活をしている。出勤時の衣服は高級ブランド、化粧品も高価なものを揃えているが、貴金属の類は必要最低限しか身につけない。勤務開けに店の同僚と飲み歩くことはせず、休日に豪遊することもない。時間になると店へ行き、勤務を終えると帰宅する、その繰り返しの日々。

 十五階建のアパートで暮らす女に、特定の男はいない。店の同僚とは世間話を交わしたりもするが、友人と呼べるほど仲の良い相手はいない。実家は路線を三つほど乗り継いだ場所にある。が、この数年間――十五階建のアパートで暮らし始めてから――は、一度も帰ったことがない。

 十五階建のアパートにエレベーターはない。女は帰宅の際、十五階建のアパートに一つだけある階段を、十四階まで歩いて上る。ヒールの高い靴ではかなりの苦行だが、女がそのことについて不満を口にしたことはない。

 十五階建のアパートで暮らす女の豊かな胸の下には、直径五ミリほどの肉瘤がある。女は着替えの際、その肉瘤を他人に見られないよう、細心の注意を払っている。

 

 十五階建のアパートの一階には、初老の男が住んでいる。

 十五階建のアパートの一階で、初老の男は一人暮らしをしている。

 十五階建のアパートの、初老の男が住む部屋の番号は102。同じ階に十ある部屋のうち、初老の男は右から二番目に住んでいる。

 十五階建のアパートに住む初老の男は、かれこれ四十年近くもここで暮らしている。この十五階建のアパートができた当初から、初老の男はずっとここで暮らしている。

 十五階建のアパートに住む初老の男は、今は仕事をしていない。数年前に引退して以来、初老の男は散歩を日課としている。

 十五階建のアパートの周辺を、初老の男は日がな一日歩き回っている。夜明けと共にアパートを出て、日暮れの頃アパートへ戻る。その間、初老の男は誰とも会話をしない。近所の顔見知りとすれ違う時、軽く挨拶を交わす程度で、足を止めて語り合うようなことは滅多にない。

 十五階建のアパートの周辺には、スーパーマーケットが二店舗、コンビニエンスストアが七店舗ある。散歩の途中、初老の男はそのいずれでも買い物をしない。数件ある飲食店のいずれかに、一日一度だけ立ち寄り、その年齢にしては驚くほどの量を胃に流しこむ。注文する時以外、店の客とも、従業員とも、誰とも言葉を交わさない。

 十五階建のアパートに住む初老の男は、右頬に大きな肉瘤がある。散歩の途中ですれ違う者はみな、奇異の目を向けてくるが、初老の男が気にする様子はない。

 十五階建のアパートは、住宅街のはずれに建っている。

 十五階建のアパートというのは、この付近では珍しい存在だ。だが、周囲には他にも背の高い建物がいくつか点在している。その中に紛れて建つ十五階建のアパートは、さほど目立っては見えない。

 十五階建のアパートには管理人がいない。

 十五階建のアパートを掃除する者はいない。十五階建のアパートの通路には、土ぼこりや、風で舞いこんだゴミなどが散乱している。壁や窓は汚れ放題。階段には蜘蛛の巣がそこらじゅうに張り巡らされ、注意して通らないと体中が蜘蛛の糸まみれになる。そんな惨憺たる状態の住居だが、十五階建のアパートの住人たちが気にかけることはない。

 十五階建のアパートを訪れる者は、住民を除けばほとんどいない。

 十五階建のアパートの一階には郵便受けがあり、郵便物はそこに届けられる。広告の類を配布する業者たちも、その郵便受けでことを済ませている。エレベーターのない十五階建のアパートを、各部屋くまなくチラシを配って回ろうという物好きな者はいない。そもそも、十五階建のアパートのどの部屋も、扉に郵便受けはついていない。

 十五階建のアパートの住民に客が訪れることはなく、住民あてに荷物が送られてくることもない。各部屋の扉には呼び鈴がついているが、この呼び鈴を使うのは、時折訪れるセールスマンくらいのものだ。セールスマンは、どの部屋の呼び鈴を押してもまったく応答がないので、やがて嫌気がさして立ち去ってしまう。

 十五階建のアパートに空き部屋はない。

 十五階建のアパートに誰かが入居してくることはごく稀である。十五階建のアパートから転居していった住民は、これまで一人もいない。

 十五階建のアパートで亡くなった住民もいない。このアパートで長年暮らした住民は、いつの間にか姿が見えなくなる。捜索願を出す者はおらず、葬儀も行われない。十五階建のアパートの住民はみなひっそりと暮らしており、突然いなくなったからといって気にかける者はいない。

 そうして空いた部屋には、すぐに誰かが入居してくる。新しい住民はみな、身ひとつで十五階建のアパートにやってくる。引越し用のトラックが、十五階建のアパートの前に停まっている光景は、これまで一度も見られたことがない。

 

 十五階建のアパートは、建築された当初は二階建だった

 十五階建のアパートには現在、各階に十の部屋がある。が、当時は三部屋のみだった。二かける三、全部で六部屋の、ごく平凡なアパートだった。

 十五階建のアパートの102号室に住む初老の男は、かつて建築業を営んでいた。男の経営する小さな会社が、アパートの所有者から依頼を受け、アパートを増築していった。

 その会社は現在、十五階建のアパートの408号室に住む男が引き継いでいる。他に707号室、1009号室、1208号室の住民が、この会社の従業員だ。彼らは重機を使わず、ほぼ手作業で、このアパートの増改築を繰り返した。結果、アパートは年を重ねるごとに階数を増やし、現在では十五の階を持つ大きなアパートに成長した。

 十五階建のアパートは、最初から十五階建を意図して作られてはいない。故に、このアパートは耐震性能に大きな問題がある。だが、このアパートが地震で崩れる可能性はない。

 とはいえ、近隣の住民がそう納得するはずもない。十五階建のアパートの隣には戸建の住居が複数あり、うちいくつかの住居の主は十五階建のアパートの耐震性に疑問を抱いている。さらにそのうちの数人は、実際に役所へ行って不安を訴えもしている。が、その不安が解消されることはない。

 十五階建のアパートの901号室に、一人の男が住んでいる。男は役所に勤務しており、十五階建のアパートに関連する書類は、この男によって巧みに処理されている。少なくとも書類上は、十五階建のアパートには何の問題もない。近隣の住民による不安の訴えは、それらの書類によって退けられ、問題が明るみに出ることはない。

 

 十五階建のアパートの近隣に暮らす人々は、他にも不安を抱えている。例えば、十五階建のアパートの内側が、外からは決して見えない、という事実など。

 十五階建のアパートは、全ての部屋の窓に厚手のカーテンがかかっている。窓の外からアパートの内部は見えない。室内の明かりが外に漏れることもない。外部から見る限り、十五階建のアパートに人の気配は一切ない。

 十五階建のアパートの近隣の住民たちは、その事実を職場や学校で噂し、不安を口にする。それらの噂は都市伝説のように広まり、拡散し、やがては薄れる。

 十五階建のアパートの住民たちは噂を気にしない。アパートの住民たちは、それぞれの職場ではごく普通に働いているので、同僚がおかしな噂に惑わされることはない。

 

 十五階建のアパートの内側は吹き抜けになっている。

 十五階建のアパートの改築は、全ての部屋の内部をつなげることから始まった。部屋を増設する際、建築業者たちは、新たに壁と天井を作ってから、元の壁と天井を破壊し、吹き抜けの空間を広げていった。

 十五階建のアパートは、実際にはアパートではない。ただひとつの巨大な部屋が、一階から十五階までを貫いている。それが、このアパートの実態。

 その外見に反して、一人の住民が生活できる空間はごく限られている。が、十五階建のアパートの住民たちは、そんなことを気にしない。

 203号室の男が帰宅してくる。玄関の鍵を開け、部屋に入り、鍵をかける。その場で衣服を脱ぎ、スーツとスラックスをハンガーにかけ、その他はまとめて洗濯機へ放りこむ。シャワーで体を洗い、タオルで体を拭く。その後、男は裸のまま部屋の奥へ向かい、扉を開く。

 扉の向こうは吹き抜けになっている。が、男の目に見えるのは、肌色の肉の壁だけ。

 男はその肉壁に体を押しつける。

 男の首の後ろには、小指の先ほどの大きさの肉瘤がある。肉瘤が肉壁に触れると、両者は解け合い、一体化する。それはまるで、大きなシャボン玉と小さなシャボン玉が触れ合い、ひとつに混じり合うよう。

 男はそのまま動かなくなる。肉壁にもたれた格好で、男は次の勤務までの時間を過ごす。

 やがて勤務時間が近づくと、男は肉壁から身を離す。肉瘤と肉壁は再び分離する。男は顔を洗い、服を着て、勤務先へ向かう。

 十五階建のアパートの全ての住民は、これとよく似た行動をとる。勤務――102号室の男なら、徘徊――時間によって、それぞれの部屋で過ごす時間帯は異なるが、各部屋の中での過ごし方はほぼ同じ。ただ時間と、肉瘤の場所だけが異なっている。

 十五階建のアパートに住む者はみな、体のどこかに肉瘤を持っている。

 それぞれの部屋で過ごす時、それらの肉瘤は、アパート内部の巨大な肉壁と同化している。その間、住民たちは眠るようにじっとして動かない。

 十五階建のアパートの住民たちが持つ肉瘤は、日々成長している。このアパートで暮らす日数が多いほど、肉瘤も大きくなる。

 やがて肉瘤が行動に支障をきたすまでに大きくなると、住民はその存在を肉壁にゆだねる。体を肉壁に押しつけ、その中に埋もれる。その体は肉壁の栄養素となり、肉壁に吸収される。こうして、住民は存在をやめる。

 十五階建のアパートに、こうして空き部屋ができる。

 住民の誰かが適当な人物を選び、適当な場所に肉瘤を植えつける。選ばれた者は、自分の生活の一切を捨て去り、十五階建のアパートの新たな住民となる。

 

 十五階建のアパートの101号室に、一人の男が住んでいる。

 十五階建のアパートの一階で、男は一人暮らしをしている。

“暮らし”ている――という表現は、正確ではないかもしれない。

 十五階建のアパートの101号室から、男は一歩も外に出ない。それどころか、101号室の奥の部屋から一歩も動かない。食事も排泄もしない。身じろぎもしない。瞬きすらしない。

 十五階建のアパートの内部に存在する、巨大な吹き抜けの部屋。その大部分を占める、巨大な肉壁。

 それが、101号室の男。

 肉壁は男で、男は肉壁。肉壁は極限にまで成長した、男の肉瘤。それは十五階建のアパート全体に広がり、日々成長している。

 十五階建のアパートは、101号室の男のために存在している。言い換えれば、十五階建のアパートは、男そのもの。

 十五階建のアパートの住民たちは、アパートの外で食事をとる。摂取した栄養素は、肉瘤を通じて101号室の男へ集められる。その栄養素によって、男は肉瘤を維持し、成長する。

 十五階建のアパートの住民たちが外部で経験したこともまた、肉瘤を経由して101号室の男の元へ届けられる。男はそれらの情報を統括し、考え、住民たちに指示を出す。住民たちは外部のさまざまな揉め事を処理し、栄養素を摂取し、また新たな情報を仕入れて戻ってくる。

 十五階建のアパートの101号室の男に、いつ、どうやって肉瘤ができたのか。それは男自身も覚えていない。

 十五階建のアパートの101号室の男に、これといった目的はない。

 己を維持し、成長し、存在し続けること。

 それが101号室の男の目的であり、十五階建のアパートの目的である。

 ただそのために、十五階建のアパートは存在する。

 ただそのためだけに、十五階建のアパートの住民たちは存在している。

 十五階建のアパートは、住宅地のはずれに建っている。

 十五階建のアパートは、今も存在している。

 十五階建のアパートは、今も成長している。

 成長し続けている。

 


 
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