彼はひどく憤慨していた。
――殺人は高尚なものである。
彼の美的観点は、ただ殺人に対してのみ異常だったのかもしれない。殺人を神に等しい行為だとし、自分の行ったことに対しての後悔だとか、躊躇いだとかは一切なかった。それもそのはずだ。彼は自分の行いを正当化しようとして、そうやって考えているのではない。心の底から、骨の髄まで彼の考えは常に正しかった。彼の中では。
その彼が憤慨しているということは、言うまでもなく当然な帰結だが、殺人に関係することに相違ない。ここのところ、彼以外の殺人鬼が街を脅かしているのだ。彼とは対照的な方法で。彼は殴殺こそ美徳としている。
――形あるものが崩れる一瞬の綻びこそ美しい。
しかし、ここのところ起こっている殺人……彼も当然のように行なっているのだが、日を跨ぐようにして二種類の死体が発見されている。彼の殴殺による辺り一面が血と臓物の海になった死体。そして、刺殺死体。この刺殺死体こそが彼を苛立たせている原因だ。
その理由を語るのはもはや必要ないだろう。彼は苛立ちながらも今日の殺人の準備を終えた。
街を歩く、太陽はまだ沈んでいない。適当に歩いていた女性を呼び止め、声を掛ける。彼は幸運なことに眉目秀麗だった。逆に、今から殺されるはめになる女性にとっては不幸なことでしかない。女性は事件のことを気にして渋っているようだったが、彼の巧みともいえる話術で、あっさりと付いてきた。彼は車を使うということをしなかったのは、この話術があったからだろう。もっと簡単に、現実的な方法を取れば薬だとかで、人を眠らせて攫ったほうが簡単だ。
女はあっさりと血を吹き出す肉塊となった。彼は自宅を殺人現場にするわけにはいかなかったので、女を家にあげてから薬で眠らせる。そして人が少ないところで暗くなる前に人を殺す。
――殺人の光景全てを目に焼き付けなければ、一瞬の綻びを感知することは不可能だ。
美しさを魅せながら散っていく命の断片に彼は陶酔していた。彼の殺人は比喩をすれば孵化だ。肉体という殻を粉々に砕き、身体に眠っている魂を外へと放つ。人は生命の誕生……つまり孵化で生命の神秘を感じ取ることが出来るという。彼が純粋に生命の誕生でそれを感じ取ることが出来れば、どれだけの人が犠牲にならずにすんだことだろう。
彼は恍惚とした表情から普段の顔に戻ると、自宅へと帰り、シャワーを浴び、ゆっくりとベッドの中で眠った。
――殺人は卑近なものである。
彼女はそう考えていた。人を殺すという悪鬼の所業の代行者。誰もができるわけではない行為。しかし、彼女にとっては普通なものだった。俗世の道から外れているのを認識しつつ、躊躇わず実行をする。自分の行動理念に従い、自由に、夜を駆け抜ける。彼女こそが刺殺死体を作り出している殺人鬼だった。
彼とは違う考え方を持ちながら、殺人鬼であることは同じ。行為をただ実行するだけの機械的存在。彼よりも彼女のほうが人間ではないと、多くの人はそう思うだろう。彼女の存在意義は殺戮以外において、ない。彼女は殺害のためだけに生まれ、それを全うして死ぬべき存在だ。しかし、心がないわけではなかった。美しいと感じるものはある。
――美しいものは、殺人の時に素早く揺れる凶器、完成される作品のみ。
彼女は殴殺死体について何も感情を示さない。しかし、自分と同じ者をこの町が孕んでいることに対しては、感心を示さないわけではなかった。彼女は彼のことを知っていた。知っているということは、もうすでに無関心でいることは叶わない。しかし、彼に近寄ることはできやしない。それを彼女は充分なほどに理解していた。夜は彼女と獲物しかいない。彼女はハンターだ。今夜も街中の裏通りに潜んでいる獲物を、あっさりと殺す。
鮮血を散らし、ビルの壁を赤く染める。血が凝固する前だからこその色だ。ナイフをつたう雫も、ぬめりとした液体のまま。鮮度というものは、やはりある。そうして完成される作品。五体満足だった塊を、ピースにしてからアートにする。細切れ(ピース)は平和(ピース)のままではいけない。
彼女は刻む手を止めた。満足したからではなかった。彼女にそんな感情などなかった。全身を覆うような黒いトレンチコートは今日も新たに血を吸っていた。そろそろ終わらないと間に合わない。夜が明ける前に、彼女は颯爽とその場を去っていった。
彼は目を覚ました。そして昨日の殺人を思い浮かべる。いつ思い返しても自分の、あの行為を美しいものとして彼は疑わない。しかし、自分以外のものに理解できるとは思っていなかった。だからこそ、彼は孤高で、今の今まで失敗をすることもなく、尻尾を掴ませずやってのけたのだ。
――全く同じ事を繰り返すだけの簡単なことだ。
彼は殺人を犯すリスクを軽視するようになってきていた。それもそうだろう。彼が犯した殺人の数は二桁の台に入っている。もし捕まったなら……いや、捕まらなくてもだが歴史に名を残すことになるだろう。シリアルキラーとして。
今日は快晴だ。自分の殺した死体も今日の昼のうちには発見されることだろう。そう思い、男はテレビをつけた。テレビのニュースキャスターは朝の気だるさを感じさせないようにしつつ、声を一定のトーンに保ってニュースを読み上げているように見えた。つまり隠れていないということだ。彼はそのキャスターを見て、滑稽さを嗤った。
しかし、しばらくして彼は嗤うのを止めた。耳に入ってきた情報が、殺人に対するニュースだったからだ。しかし、彼の起こしたものではない。彼の厭う彼女の起こした死体が発見されたというニュースだった。
彼はどんなに苛立ったとしても、テレビを消すということはしない。気に喰わないことだからこそ、事実を認識し、どうするべきかを決めるのだ。
惨殺死体。バラバラ。刺殺。失血性ショック死。怪奇事件。殴殺死体との関連性。十件目の死体。芸術。同一犯。
彼は単語だけを心に書き留めていた。同一犯とみなされること聞いた直後、彼はテレビを切った。腹に据えかねる言葉だ。この原稿を作った人間を殺したいと思うほどだ。しかし、すぐに彼は冷静さを取り戻した。こうやってメディアが間違えている分は、正しい考えを出来るのは自分一人だけだ、と。そうやって考えることで自分の正しさと、これから何をすべきかを見出した。
――もう一人の殺人鬼を殺してしまえば良い。
この街にいることは確かなのだ。いや、いなかったとしてもこの街を拠点に殺人を行なっている以上、接触するチャンスはいくらでもある。それらしい人間を見つけて、今日の殺人相手にしてしまえばいいのだ。
彼はそう考えを決めると、もう一眠りすることにした。
彼女は、起きると同時に行動を開始する。見つからないようにと乾かしておいた黒いトレンチコートを手に取る。昨日の血の臭いが完全にとれたわけではないが、まさか自分が犯人だと勘付かれることはないだろうと、気にせずにそれを羽織った。
まだ今は外が明るい。彼女は適当な帽子を被ると、ナイフを持って外に出た。
街は活気に溢れている。今までは基本的に夜に事件が起こっていたわけだから、昼は安全だろうという意識が出来ているのかもしれない。殺人機械の彼女といえ、日中の街で殺人を起こそうというつもりはなかった。
狙いやすい人間に目をつけるだけだ。それまではゆっくりと街を回るだけでいい。ついでに栄養も摂取しておけば便利だろう。
歩く最中、一人でいる相手を探すが、なかなか見つからない。小腹も空いたため、彼女は近くにあったパン屋に入った。
パン屋の店主に会話に答えることなく、無言で買い物を済ませると、少し歩いたところにある公園のベンチに座りながら適当に買ったパンを食べる。その間も、ターゲットを探すことを止めることはない。
――見つけた。
彼女は心の中でそう呟く。一人で歩いている淑女。こちらに気づいた様子もない。そろそろ日が暮れていく時間だ。後をつけていけば、チャンスが訪れるかもしれない。彼女はこの女性を今日のターゲットに決定したようだ。
気付かれないように尾行をし続けた結果、淑女が一人で暗い道を歩いている状態になった。
――やれる。
身体が滾る。心は冷める。彼女のそこからの行動は素早かった。後ろからの不可避の斬撃。鮮やかな刃物による曲線美。首をぱっくりと裂いている。一撃必殺とは、まさにこのこと。淑女はあっという間に絶命した。止めどなく血が溢れ出す肢体を彼女は一瞥する。アスファルトの細かな溝を血が埋めていく。
――未完成。
そこからは昨日と同じように細切れにするだけだ。手を休めることなく、人が来てもすぐに立ち去れるように注意を払いながら、往来の中心で解体をする。
運の良いことに、彼女に『発見された』人物はいなかった。殺人者が犯行現場を見られたら、できるだけ口封じをすることは当然のことだ。今日は一人の犠牲者を出しただけで終わりそうだった。
彼女は、急いで家へと戻るために、夜を駆けた。
彼は目を覚ました。どうやら思ったよりも長く寝てしまったようである。彼は前から過度のロングスリーパーだった。軽く眠ったつもりが、次の日の朝になっていた。
しかし、最近は珍しいことでもなく、彼にとっては一日を無駄にしようがどうでも良いことだった。彼の理念からすれば、そんなものは些細なものである。
適当な食事の用意をしながら、テレビを点ける。そこには、また刺殺死体のニュースのテロップが写っていた。どうやら、警備の体制が強化されるようだ。
強化されること自体は構わない。しかし、その原因が自分だけでなく、あの刺殺犯の仕業でもあるという事実が、気に喰わない。
――今日は自分が殺す。
彼は心に決めた。この際は誰でも良い。怪しい人物でなくとも、殺すことが大切だ。刺殺犯に自分の存在を知らしめてやるためにも。彼は自分の心に、そう確認すると体を起こした。昨日は起きても気だるさが残っていたが、今はない。食事を取り、髪を整え、服装も整えると、彼は街に出向いた。
街は不穏の空気をどんよりと纏っている。ここに初めて来たときは、向日葵のようにピンとしていた花が、今となっては踏まれてしまった雑草のようだ、と彼は一人で思う。罪悪感は微塵もない。彼は今日の相手を見つけることだけに集中していた。
一人の女が歩いている。見たところ明るそうな人間であり、声をかければ簡単についてくるかもしれない。彼はその女性に声をかけると、またも巧みな話術で女性を家へと引き連れた。
彼は食事に誘ったのだが、その過程を踏むことなくとも女性は家に難なく着いてきた。いつものように薬を水に含ませて飲まそうとするのだが、女性はなかなか水に口をつけない。その間も、彼は話題のつきないように彼女に話題を振るのだが、なぜか警戒をされているようだ。
彼は女性を訝しげに見つめた。といっても、彼女への敵意は隠したままだ。彼は強攻策に出ようと決めた。今は目撃者など誰もいないだろうし、目撃者となる彼女もいずれ死ぬ運命にある。できるだけ失敗の可能性を少なくしておきたかったが、仕方あるまい。
彼は何食わぬ顔でさりげなく彼女の後ろに向かうと、持っていたタオルで首を絞めた。殴殺ができるほどの剛力の持ち主である彼のその一撃は、彼女を失神させるには充分だった。彼女は声もあげずに、ゆっくりと床に倒れ込む。
失神さえさせてしまえばやることは同じだ。外の車へ乗せようと、腕を肩にかけながら運ぶ。物のように扱っているところを、誰かに見られては面倒である。どうせ起きないのだから、ゆっくりと運べばいいだろう。
玄関を出て車へと向かう。車の扉を開けようとした瞬間、何かに突き飛ばされた。不意をつかれたといえど、彼はそれを警戒はしていた。今回のターゲットは様子がおかしかった。すぐさまに起き上がると、忍ばせておいた物を身につける。彼の嫌いなナイフだった。最も簡単に、なおかつ使いやすい武器といえば、これ以外には無い。彼にとっては苦肉の策だった。
相手は二人だ。幸いにも銃口をちらつかせることは、まだない。十中八九、警察だろう。ホルダーされている銃に手を延ばされる前に殺すしかない。彼は、ナイフを操りながら、抗戦する。使い慣れていないとは思えないほど、巧みに。且つ鮮やかに。
しかし、相手が悪い。彼は殺人については並はずれて優れていたとはいえ、それを対策してきた人間を相手とするのは初めてのことだった。刻むことはあるのだが、深くえぐるまでとはいかない。それに対して、相手は彼の身体に拳を打ち込む。銃を抜くタイミングを取らせなかったことだけでも、賛美を送るべきかもしれない。劣勢は劣勢のままに、彼は地面に伏しることとなった。
手錠を両の手に掛けられ、身動きが取れない。それでも動こうとするのだが、鎖は壊すことはできずに、力を行使するのを諦めるほかなかった。彼はそうして、ゆっくりと目を閉じた。
彼女は眼を覚ました。周りを見渡す。もはや、殺人を行うことは叶わないのを瞬時に理解した。そして、彼が捕まったことも。
――死ぬときがやってきた。
無感情に考える。彼女の生まれてきた意味は、殺人に置いて他にない。その役目を全うできなくなれば、生きる価値はない。しかし、彼女が死ぬことにも意味はある。彼女が死ぬことは、終わりを意味する。そして、終わりはすでに訪れた。彼の逮捕を経て。
彼女は機械的に、自分の精神を消去した。
殴殺死体と、刺殺死体の連続殺人鬼の物語はここで終わった。
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