曇り空の帰り道、薄暗い道の端に銀色の小さな輝きを見つけて、少年は足を止めた。すばやく前後を確認するが、下町の細い通りに、ほかに人影はなかった。再び動き始めた少年の足は、そそくさとした動きで小さな銀色へと接近を試みる。
果たして、そこに落ちていたのは期待通り、硬貨だった。それも五百円玉という大金星である。少年はもともと寒さに赤らんでいた頬をさらに紅潮させると、急に部屋へと踏み込んできた母親から読んでいたエロ本を隠すときのものにも匹敵する手の速さで硬貨を拾い上げ、ポケットへとねじ込んだ。
思わず緩む顔を前へと向けなおして、はたと硬直した。少し離れた電信柱の陰から、こちらをじっと見つめる人物があったのだ。赤い衣服と帽子に身を包んだ、白髪白髭の男だった。恰幅のいい体格は電信柱から半分くらいはみ出ていて、とても隠している意味などなく、それだけにいつからそこへ潜んでいたのかが謎で、少年を混乱させた。
「ねえ、君」
顔のほとんどを覆う雪のような白さの髭をもごもご動かして、男は静かに話しかけてきた。
「良い子に、なろうよ」
悪魔と契約しようよと誘われたかのような印象を少年は抱いた。
「な、なんですか、あんた」
「わしは見ての通り、サンタクロースだよ」
物陰からのそりと全身をさらけだし、すると確かにその見た目はサンタクロースのものとしか言いようがなかった。いや、サンタの扮装だ。もう師走に入ったから街中で見かけることがあっても不思議はない格好だったが、こんな辺境にも等しい通学路の終端近くに出没されては、不審者と大差ないようにも思える。
だが男の物腰はあくまで穏やかだった。
「この地域の担当でね、クリスマスを前に担当の子供らが良い子かどうか、検分に回っているところなんだ」
「はぁ」
どこかのおもちゃ企業のマーケティングか何かだろうかと、少年は無理やりな推理を試みた。
サンタ装束の男は顎鬚をしごきながら、憂鬱そうに視線を沈める。
「だがどうもこの地域は、良い子の減少が著しくてね。このままでは今年配るプレゼントの量が、かなり減ってしまいそうなんだよ」
それとも、この人は本気で自分がサンタであると主張しているのだろうか――男の深刻そうな顔つきは、その可能性を少年の心に忍び込ませてきた。少年はまだ小学生とはいえ、サンタの正体は赤裸々なまでに知っている。サンタクロースなどというめでたい存在は実在するわけがなく、つまり本気で自分がサンタであると言い張る者がいるならば、それはサンタのふりをした狂人である。コワイ!
少年は思わず後ずさりして、けれどサンタ狂人は同じ分だけ詰め寄ってくるのだった。
「だから、君。良い子に、なろうよ」
その視線は、少年がさっき硬貨を入れたズボンのポケットに注がれている。男が何を求めているのか、少年はやっと察せられたような気がした。
「こ、これ、あんたの……ですか」
「いいや、違う。だが君、落し物を拾ったら、どうするのだったかな?」
「それは、警察に……」
そうだ、警察だ。警察へ保護を求めるべき局面だこれは。
「そう、分かっているじゃないかね。行こうよ、警察」
男がうなずく。どうやら彼は、警察を厄介な場所とは認識していないらしい。つまり自覚のある変質者の類ではなく、やはり狂人の可能性がますます高まってきたわけだ。
となれば、ここは話を合わせるのがよさそうだ。少年は幼いながらも、この極限状況下において、高度なコミュニケーション能力を開花させつつあった。
「はい、そうします、サンタさん」
「よろしい、君もこれで良い子だ」
満足げに男はうなずく。
「君にもきっとプレゼントが届くだろう」
男との間の緊張感がやわらいだ気がした。それでふとこちらの気も緩んで、少年はふと心に浮かんだ疑問を投げかけていた。
「でも、サンタさんにとっては、届けるプレゼントが少ない方が楽なんじゃないですか? プレゼントを用意するお金も少なくて済むし」
「いやいや、そう簡単なものじゃないんだよ」
男は人差し指を立ててちちちとかぶりを振った。
「お金が余ると、その分、来期の予算が減らされちゃうからね。予算は使い切らないと」
「え、予算が出てるの? どこから?」
「そりゃもちろん上からだよ。いやあ連中、隙あらば締め付けようとしてくるからね、殊に子供の少なくなった昨今は査定も厳しいものさ。こっちもソリやトナカイを新調したり、接待や部内リクリエーション、保養施設とかに目いっぱい突っ込んでるんだけど、それも限度があってね。それでこうやって、せめて良い子の割合を減らさないよう、担当地域の指導を始めたりしてるわけなんだよ」
男が言っていることの数割も少年には理解できなかったが、けれど嫌なことを聞いてしまったなあというのだけは、なんとなく感覚したのだった。
「あとはまあ、良い子ひとりあたりのプレゼントの単価を上げれば、なんとかつじつま合わせられるかな。本来はDSのソフト一本のところをPSP Vitaに変えたり」
「え、めちゃくちゃ値段跳ね上がってるよ!? というか欲しいよ!」
さすがにこれは理解できた。
男はひとしきり愚痴を吐くと、どことなくすっきりした顔となり、少年に手を振って歩き去っていった。それきり、こちらを監視してくる様子もなかったが、なんとなくポケットの中の硬貨が重たく感じられて、少年は結局近くの交番へと足を向けたのだった。
それからの師走の日々を、少年は特に差し障りなく過ごし、いつしかサンタを名乗る変人と出会ったことも忘れてクリスマスの朝を迎えた。
寝ている間に枕元へと置かれていたプレゼントの包みを、ねぼけまなこで開く。二年前に正体を暴かれたサンタ役の父にはVitaをお願いしていたのだが、頼んだ時期が遅くて予約が間に合わなかったと聞かされている。では代わりに何を入れてくれたのかなと、ささやかな期待を向けた瞳に映ったのは、
「……Vitaだ」
居間へと駆けていくと、サンタ役を終えて気の抜け切った顔つきの父が朝刊を眺めていた。
「ああ、なんか予約が一件だけキャンセルされてたって言うからさ。発作的に買ってしまった」
まあ、お前も最近はいい子にしてたから、サンタが融通利かせてくれたんじゃないか?――父はあくび混じりにそんなことを言ったのだった。
まさかねと、少年は思っても、口には出さなかった。代わりに、プレゼントの箱を軽く抱きしめた。
次の瞬間、Vitaは爆発四散した。ナムサン、初期不良である!
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投げつけられたお題を元に書いた小説習作第1弾。お題は「クリスマス」でした。季節ネタを微妙に外れた時期に出す勇気。あと別にソニーに恨みとかはありません。