No.364603

国境稜線の山小屋

健忘真実さん

国交を絶っている2国の間に立ちはだかる山。その山道は険しいが、民間人にとっては隣国への唯一の道である。隣国に憧れを抱く亡命者が多く利用していた。その稜線に建つ山小屋。小屋を管理している男。冬の日、ひとりの女性が泊まった。数日後には彼女の夫がやって来た・・・冬の寒い夜に送る物語。身も心も凍りついたあなたは、もうトイレに、立てない。

2012-01-17 12:21:53 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:561   閲覧ユーザー数:561

 海に突き出た小国トルイアブスタン共和国がクロア連邦から独立を果たした後、2大

勢力による内紛が絶えず、分離してアブスタン共和国とトルイスタン共和国となり軍部

による独裁政治が執られていた。

 アブスタン共和国とトルイスタン共和国の境界には4000m級のウィル山脈があり、

かつては鉄道で結ばれていたが、現在は厳重な監視体制が取られ、往来ができなくなっ

ている。

 民間人にとって両国を結ぶ唯一の方法は山越えであるが、慣れない者にとっては困難

極まるものであった。

 

 

 ある冬の晴天の日、ひとりの女性が雪靴に分厚いコートを纏い、毛糸の帽子にマフラ

ーと手袋をし、手にはボストンバッグを下げて山越えをしようと歩いていた。樹林帯の

道は不明瞭であったが、とにかく上へ上へと向かった。

 よほど急いでいたのであろう、十分な装備を揃えることができず、食べ物もわずかし

か持たない。何者かに追われているかのように時々振り返って、自分のトレースを見下

ろした。枝や根元に引っ掛かりながらもしっかりとした足取りで一定のペースを保ち、

高度を稼いでいく。

 時々立ち止まって呼吸を整え、鞄を持ち替えた。

 登山には慣れているのか、休息を取らずに歩き続けた。

 森林限界を過ぎ、高度が上がるにつれて頭痛が始まり、そこでやっと休息できる場所

を求めて、大きな岩の下に洞を見つけ坐り込み、仮眠をとった。

 

 寒さに目覚めると、日が沈もうとしていた。幸い満月に近く、斜面を照らし出してい

る。

 彼女は再び歩き始めた。気温は急激に下がっていった。風がないのが救いだが、とに

かく動かねば。

 空腹でふらつきながらも歩き続けた。

と、灯の明かりを認めた。国境となる稜線近くに小屋があったのだ。

 

 ドアにもたれかかるようにして崩折れた。

 ドスンッ、という音にドアを開けると、人が倒れていた。

 プルシーコフはその人を抱きかかえて小部屋の予備のベッドに横たえた。華奢で軽く

持ち上げることができたので、女性だと分かった。靴を脱がせ、コートを取った。

 背中に手を当てて上体を起こし、ウォッカを入れた温かいコーヒーを彼女の口に持っ

ていくと、その香りで気が付いたらしい。

 今は自分の手を温めながら、ゆっくりと啜っている。

 

「スープを作った、食べるか」

「ええ、ありがと。とても空腹なの、お願いします」

「こっちに・・・ストーブがある」

 

 ストーブのそばのテーブルで、ひとしきりスープを口に運んだ後

「私、ヨナ、ヨナ・シャスコビッチよ。あなたは?」

「プルシーコフ」

「ごちそうさま、プルシーコフ。とてもおいしいスープだったわ。お肉もたっぷり入れ

ているのね、おかげで体も温まったわ」

 

 プルシーコフはそれ以上喋らなかった。

 ヨナは、今までの緊張感から解放されて饒舌になっていた。またプルシーコフが喋ら

ない分、自分のことを聞いてほしいという欲求もわいてきた。

 ヨナは静かに語り始めた。

 

 

 私ね、トルイスタン生まれなの。酒場でアブスタンの将校と出会ってお互い惹かれ合

って、一晩中一緒に飲んでいたのよ。一目惚れっていうやつかしら。まだ分離独立する

前の話。

 彼が故郷に帰るって時になって初めて分かった。彼を愛してしまってたのね。母にだ

け告げて彼を追いかけて行ったわ。彼は快く私を受け入れてくれた。フン、彼も私のこ

とが忘れられなかったって。

 時間ってむごいものねぇ、5年も経つと容貌だけじゃなくて、気持ちも変わってくる

ものなのよ。

 彼に愛人ができてね。言葉の端々や行動から分かるものなの、女って敏感ね。女のつ

けている香水の種類まで分かるのよ。

 

 私の父ね、実はトルイスタンで要職に付いていてね、いつ帰ってきてもいい、って。

母が父の部下を通じてこっそり連絡してきたの。この道を教えてくれたのもその部下。

 でも、手ぶらで帰るわけにいかないじゃない。何か情報を持って帰ろう、とその日が

くるのを待っていたの。

 

 やっと手に入れてね。お天気とにらめっこして今日、もう昨日になるかしら、無謀だ

なんて考えなかった。

 これで自分の故郷に錦を飾れる。大手を振って暮らせるってわけ。

 ここからどのくらいで向こう側の麓に下れるのかしら。でも、もうすぐなんだわ。

 山小屋のドアをドンドンドンと叩く者がいた。

 プルシーコフはドアを開け、男を招じ入れた。

 外はすでに暗く、吹雪いている。

 

「いやあまいったよ。急に天気が変わってね。今晩泊まれるだろうか」

 男は冬山登山の装備に身を包んでいる。

「今日中にあちら側に下るつもりだったんだが、この吹雪じゃあねぇ」

 プルシーコフは顎をしゃくってテーブルを指し示した。

 

 男は装備を解いて、ストーブの近くにイスを寄せて坐った。

「2・3日前、女がひとり来なかったかい」

 プルシーコフは首を横に振った。いい匂いが漂っている。

「ああ、いい匂いだ。すまないがご馳走してくれないか。俺はイワン・シャスコビッチ。

女を追っているんだ。秘密情報を持ち出されてね、責任問題だ。誰にも告げずに追いか

けてきた」

 イワンの口は、ストーブの暖かさも手伝って滑らかになっていた。言わずもがな、と

思ったが、無口な男が相手だと思うと、胸のうちをさらけ出したくなったのである。

 

 プルシーコフは、黙ってスープをテーブルに置いた。

「おっ、すごい、肉がたっぷりだ。こりゃ精が付くよ。クマの肉かい?」

 うまい、うまいと舌鼓を打ちならし、お代わりを要求した。

 明朝明るくなったら勝手に起きて出て行くからと、いくばくかのお金をテーブルに置

き、用意された小部屋のベッドに入った。

 

 なぜか、妻であったヨナのことが思い出されて、眠れずにいた。

 ヘッドランプで足元を照らし、靴を履こうと足を床に下ろすと、なにかを踏んだよう

である。

 拾い上げてよく見た。宝石? ヨナにプレゼントしたネックレスに付いていたサファ

イアと同じ種類のものだ。

 なぜこれがここに落ちているのだろう、男に聞いてみようと部屋を出ると男の姿はな

く、どこかから不気味な音が聞こえてくる。

 靴を脱いで音のする方向へそっと行くと、キッチンの床板が開いており下へ降りる階

段があった。

 階段を下りた。奥から光が漏れている。シャー、シャーという音がする。

 ドアをそっと押し、中を覗くと・・・

 

 大きく開けた口から大声を出しそうになるのをやっとこらえて、見開いた眼が捉えた

ものは・・・ヨナの頭部。そして大刀を研いでいる男の後ろ姿。

 自分の心臓の音が聞こえ、気が動転しかけたがそこは訓練された将校である。

 震える足で音をたてないように取ってかえし、身支度を整えて小屋を出ようとしたが、

風はまだ強く吹いており、ドアを開けた時に風がドアを大きくあおった。

 

 バタン!

 シマッタ!

 

 吹雪の中、イワンは前傾姿勢で頭を垂れ、足をもつれさせながらも頂上に向かって、

雪を踏みしめて歩いた。風が強いために雪は飛ばされて、くるぶしあたりにしか積もっ

ていない。

 明かりはともすわけにいかないが、目が暗闇に慣れてきた。

 

 男が追ってくるのを懸念して、しばらく進むと足跡にそって戻り、小屋を大きく迂回

する形で身を隠せる場所を探した。

 明るくなってから男と対決するつもりでいる。真相を突き止め、ヨナが持ち出した書

類を探さねばならない。

 

 山の斜面にそった窪地を見つけ、その中に入って身を沈めた。

 上着のポケットのピストルを確認し周りに目をやった時、窪地の中央部が不自然に盛

り上がっているのに気付いて、雪を足で払って見てみると・・・思わずヘッドランプを

照らし当てた。

 

 おびただしい数の、白くなった骨のかけらや頭骨が浮かび上がった。

 その時強い光を受け、振り返った。男は片手で銃を構えている。

 窪地に屈んだのと発砲は同時だった。

 男が走り寄ろうとした時、発砲の振動で斜面から雪崩てきた雪に男は埋まった。

 

 イワンは男をそのままにして小屋に戻り、地下を探った。

 秋が深まり、まもなく雪が降りだそうとする頃、アブスタン共和国とトルイスタン共

和国からそれぞれひとりの男がやってきた。

 ふたりとも恰幅がいい。

 

「やあ、元気そうじゃないか」

「君も順調そうだね。おや、小屋の主が代わったんだね」

「前の男はプルシーコフと言ったと思うが、欲の深い男だったよ」

「おい君、名は?」

「イワン」

「どこかで会ったようにも思うが・・・食糧や燃料は届いているね」

 イワンは黙ってうなずいた。

「じゃまた1年、頼んだぜ。ところで収穫はどうだった?」

 

 アブスタンとトルイスタンからの亡命者は、持てるだけの財産を隠し持ってこの山小

屋への道を辿る。

 それぞれの相手国には自由がある、と信じて。

 また知り合いを頼って、窮屈な生活から逃れようとして国境を越えてくるのだ。

 そしてほとんどの者はこの小屋に宿泊を乞う。

 

 小屋主であるプルシーコフは彼らを殺害し、金銭財宝を奪うのが仕事だ。アブスタン

とトルイスタンの独裁者である将軍同士のたくらみでもある。

 1年間の生活の保障と引き換えに財宝を受け取り、ふたりで分配していた。

 小屋主は、たいていどこかに傷を持っている者がなっている。

 イワンは地下で見つけた日記からそれを知った。

 

 アブスタン共和国の将軍がやって来た日に、彼らを殺して自分も死のう、と思ってい

た。

 

 

 ドキューン、ドキューン、・・・

 

 3発目は発せられなかった。

 イワンはヒトの肉のうまさを知ってしまったのである。

 たっぷりと脂を蓄えた肉の誘惑に勝てなかった。

 すでに精神的に病んでいるイワンは、落ち窪んだ目と頬が削げてしまった顔をほころ

ばせた。

 

 

                              2011.6.7


 
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