≪半年後・漢中鎮守府/顔叔敬視点≫
(私、頑張りましたよね?
これから姫のところにいくけど、あまりいじめないでくださいよ?)
私は今、私達が引き金となって惨劇を巻き起こした、あの広場にいます
数多の観衆に囲まれ、特別に設置された処刑台の上で枷をあてられながら、私はこれまでの事を考えていました
これは後で聞いた話ですが、あの事件が原因となっての死者は54人、後に障害が残るような大怪我をした人は203人、その他の怪我人もあわせると2000人以上が巻き込まれた大惨事だったそうです
この事は私にとっては深い後悔を心に刻みつけると共に、漢中での半年を必死に生きるための原動力ともなりました
結論から言えば私の申し出はほぼ受け入れられ、なんでも天律と呼ばれる彼らの律法にも修正が加えられる運びとなったのだそうです
私に課せられた刑罰は、半年間の重労苦役の後、公開斬首と決まりました
何故半年なのかというと、多分それは文ちゃんの治療が終わり、まがりなりにも動けるようになるのがそのくらいだと張局長が判断したからだと思います
なんというか、とことん容赦がないなあ、と思いました
苦役中は、正直な事を言えば男性に襲われる事も覚悟していたのですが、それは一度もありませんでした
この理由をそれとなく尋ねたところ、天譴軍では強姦罪は最上級犯罪として扱われ、犯人は年齢や性別、実行か教唆かを問わず極刑なのだそうです
場合によっては未遂でも極刑が降されるという徹底ぶりなので、この種の犯罪は漢中では激減してるんだとか
私を国営娼館に、という意見も出たのだそうですが、これは御使いさんの鶴の一声でなくなったそうです
正直、そういう扱いをされるかも、と覚悟だけは決めていましたけど、ほっとしたのも事実でした
噂で聞いたところによると、その時の御使いさんは“えろげえ”とか“ええぶい”とか“えすえ~む”とか“はあどこあ”とか、色々な天の国の言葉を喚き散らしながら猛反対したんだそうです
艶本のような内容を実際に天譴軍がやるなど絶対に有り得ない、と
これに反対が出た理由はもうひとつあるそうで、もし私が妊娠していた場合の扱いが非常に難しくなるためだ、と聞かされました
もしそうなれば、それは私のためにも子供のためにもならないから
こうして様々な配慮をなされた中での苦役は、やはりとても辛いものでした
漢中では苦役中の罪人は一目でそれと理解できるよう、首輪と足枷を嵌められます
街中で働いている罪人に民衆が直接危害を加えないよう配慮されているのだそうですが、私を面罵し非難する声や、幼子が石などを投げつけてくるのまで取り締まることはできません
覚悟はしていましたけど、やっぱり辛くて悲しくて、何度も泣きそうになるのを堪えて過ごした夜もあります
漢中の民衆の敵意は薄れる事はなく、私の心は何度も挫けそうになりました
なんとか堪えられたのは、文ちゃんがいてくれたからです
会う事はできないけど、こうやって私が頑張れば文ちゃんが治療を受けられる
そして、姫の首級も、もしかしたら還してもらえるかも知れない
みんなの侮蔑と憎悪を一身に浴びながら、私は日々を過ごしていきました
こんな感じで、私が実際に苦役に従事していたのは刑の執行までの半分くらいの期間でした
残りの三月は何をしていたかというと、ひとりで廟を建てていたんです
ある時急に、今日から仕事は郊外での苦役だ、と言われて連れていかれたんですが、そこは郊外にある墓地の外れ、雑木林の陰の人目につきづらいところに廟の基礎と資材が用意されていたんです
どうして職人でもないのにこんな事をさせられるのかと思って聞こうとしたら、それについてこう言われました
“姫と私と文ちゃんが納まる廟だ”って……
この時に教えられたんですけど、私が三月の間従事していた苦役のお金は廟を建てるためのお金に充てられていたんだそうです
私ひとりがいくら働いたところで、その金額は微々たるもの
だったら姫や自分、そして文ちゃんを弔う場所くらい自分で作れ
御使いさんの言葉として伝えられた事実に、漢中にいる間はもう泣かない、と決めてたんだけど、流石にこの時は胸が一杯になって泣いちゃいました
姫の首級は本当に天譴軍が引き取ってくれたらしくて、刑の執行までに完成しないなら、そのまま未完成の廟に祀られることになる、と伝えられます
その日から、私は寸暇を惜しみ試行錯誤を繰り返して、なんとか廟を完成させる事ができました
出来上がったのは刑執行前日の夜遅く
墓所はこの廟から程近い墓所の外れに用意されていると既に聞いていたので、私は色々と不格好ながらも、廟を建てるのに集中できたのです
その夜は本当に月が綺麗で、まるで姫の髪のように金色に輝いていました
私はなんだか、姫が照れながら褒めてくれている気がして、やっぱりちょっと泣いちゃったりもしました
そして、廟の中に姫の髪から作った腰紐と自分の髪を一房切って、文ちゃん宛の手紙と一緒に安置してからそのまま眠りました
それからは、特に言う事もありません
漢中での慣例らしく、処刑される人は朝に特別に湯が用意され、身嗜みを整えてから用意された馳走をいただき、予め問われていた“最後にしたい事”で“可能と判断された事”をさせてくれて、日昳(未時。現代でいう13~15時)に刑が執行されます
漢中の公開斬首刑は枷を嵌めた石の台が据えられ、台の両側には二本の鉄柱が立てられ、その間に巨大な刃物が据えられている、という見たこともないもので、これが漢中での公開斬首に用いられている器具だそうです
名称はそのまま“断首台”と言うのだそうで、見た目の凶悪さからわざわざ開発されたのだ、と説明されました
聞かなきゃよかった、と本気で思いましたが、処刑役人の技量などに左右されないので、処刑される側が無駄に苦しむ事だけはないそうです
でも、これはそういう問題じゃない気がします
そして、私は目隠しを拒否して台に自らあがり、興奮と憎悪に燃える民衆の視線を浴びながら身体を横たえます
罪状を述べる役人の声を聞きながら目を瞑っていると、どこかから、この場にいないはずの文ちゃんの声が聞こえたような気がしました
(文ちゃん…
後はお願い……)
敢えて探す事はせずに目を瞑ったまま、心で呟きます
程なくして合図の銅鑼が鳴り、鉄が擦れぶつかる耳障りな音と共に、私の意識は真黒になりました
≪漢中鎮守府・郊外/文季徳視点≫
あたいは今、不格好な廟の前にいる
あたいが満足に動けるようになったのは、斗詩の処刑の三日後くらいの事で、それでもやっぱり両腕は元には戻らなかった
腕は肩から上には持ち上げられず、前後左右に動かすのも一苦労で、肘から先がそこそこ動く程度だ
握力も以前とは比べ物にならなくて、指も思うように動かないから箸は使えない
砕けた肋骨の影響もあって、ゆっくりとしか呼吸ができないから、もう走ったり跳ねたりというのも無理だ
あの時の斗詩じゃないけど、あたいは本当に武人としても普通に生活する上においても、ある意味終わっちまったって事だ
それでも、医者の華陀に言わせると予想以上に回復した、という事らしい
「流石は勇猛で名を馳せた文季徳というところか
常人なら全く腕が動かなくなっていてもおかしくなかった」
あたいの治療をしながら感心したように言ってたけど、そんな事は嬉しくもなんともない
この怪我のせいであたいは生き恥を晒しているようなもんなんだからな…
自害も何度も考えたけど、斗詩の願いがそれを押し留める
あたいは斗詩に頼まれたんだ
姫と斗詩をきちんと弔って欲しいって
そしてあたいは、姫の首と斗詩の首が葬られてるって墓所にまず案内された
そこは仮にも名門袁家の元当主の墓というにはあまりに小さくて、本当に最低限の礼儀を払ったって感じの場所だった
その隣には斗詩の墓がある
あたいは思わず泣きそうになったんだけど、それをなんとか堪えて、その先にあるっていう廟に案内された
その廟のあまりの不格好さとみすぼらしさには流石に腹が立って一言言おうと思ったんだけど、案内してくれた役人の一言であたいの怒りは見事に萎んだ
まさか、この廟を全部斗詩がひとりで建てたなんて、普通思わないだろ?
その役人は斗詩の担当だったらしくて、この案内もわざわざ志願したんだ、と言っている
どうしてかとあたいが聞くと、斗詩は最後の夜もこの廟で過ごしたらしいんだけど、その奥に何かを仕舞い込んでいたらしいから、それを伝えたかったのだ、と言う
多分あたいの他には知られたくないものだろうから、直接伝えたかったのだ、と
役人の言葉を聞いてあたいが廟の周囲をまず確認すると、少し離れたところの林の入口に小屋があって、そこで煮炊きができるようになっているみたいだった
聞けば林の中には小さな泉もあり、十分飲用としても扱えるらしい
小屋は墓所の管理人が住むためのもので、中には浄水器も設置してあり、小屋の裏手には漢中式の便所もあるそうだ
……そうは言うけど、小屋はともかく、他は斗詩のために用意したとしか思えない
そして今はあたいのため、か…
あたいはそのまま、苦労して扉を開けると廟の中に入る
役人が手伝おうとしたんだけど、それはあたいが断った
廟の奥には手紙があって、それは何かを包んで丸められていて、見間違えようもない姫の髪から結った腰紐で留められていた
そっと手紙を手に取ってみたら、包まれていたものが溢れ落ちる
「これ…
もしかして斗詩の髪の毛じゃ……」
あたいは残った髪が落ちないよう、丁寧に懐布で包むと落ちた分を慌てて拾い集める
(ちっくしょう…
やっぱり腕や指が動かないってのは大変だぜ…)
ほんの少しの髪の毛を拾い集めるだけの作業にあたいは汗だくになる
そして、あたいの分と斗詩の分の腰紐、それに斗詩の髪を懐に入れると手紙に目を通した
『文ちゃんへ
多分、これを文ちゃんが読んでいる頃、私はもう姫のところに行っちゃってると思います
最後に全部を文ちゃんに押し付ける形になってしまって、本当にごめんなさい
でも、これは私の我儘だけど、私は文ちゃんには生きていて欲しかった
これからずーっと辛いかも知れないけど、それでも生きていて欲しかったんです
詮議の時には酷い事を言いましたが、あれは私の本心じゃありません
だって、文ちゃんは本当に強いんだから、そんな事で負けるはずがないからです
私はたったの半年だったのに、何度も挫けそうになりました
そんな場所に文ちゃんだけを置いていくのは心苦しいけど、それでも文ちゃんにしかできない事があります
それは、いつか笑顔で麗羽さまや私の事を誰かに語ってあげて欲しいんです
漢室や天譴軍から見た私達じゃなく、文ちゃんが知る私達の事を、何年経ってもいいです
いつか誰かに語ってあげてください
こんな無理なお願いばかりして本当にごめんなさい
でも、私は最後の最後になって考えています
後悔というのとはちょっと違うけど、私達はもっと上手に、誰も損をしないようなやり方はなかったのかなって
あの時、姫にほんの少しだけ我慢してもらって、私と文ちゃんが洛陽に行ってみていたら、何かが違ったのかなって
そう思うんです
だからやっぱり後悔なのかな?
もし出来るなら、あの時に戻って、今度こそ姫があんな最後を遂げないように、ちょっと疲れるし鬱陶しい時もあるけど、それでも姫や文ちゃんの笑い声が聞こえるような
そんな未来があってもいいんじゃないかな
無理に決まってるよね
でも、これは私の本心です
麗羽さまは決して私慾だけで立ち上がった訳じゃなくて、麗羽さまなりにみんなの事をきちんと考えていたんだよって、いつかみんなに伝えてください
長々と言いたいことだけ書いちゃったけど、文ちゃんは本当にこれからは無茶しないようにしてください
もう私は文ちゃんを助けてあげたくても無理なんだからね?
いつまでも大好きだよ
斗詩 』
………斗詩のばっかやろう…
…………あれ?
おかしいな…
目の前が歪んで手紙が良く読めなくなってきやがったぜ…
「………っ
……ぅぐふ…
…………ずっ…」
ちっくしょう…
本当になんだってんだよ
姫といい斗詩といい、こんなにあたいを泣かせて楽しいのかよぅ…
「…うぐっ
……ぐすっ…
うあぁ………っ」
……し、仕方ねえよな
大好きだった姫と愛しの斗詩の事を、間違ったまんまみんなに覚えられちゃ敵わねえもんな
…頼まれちまっちゃ仕方ない
あたいは頭悪いからちょっと自信ないけど、それでも麗羽さまと斗詩の事だけは、いくら馬鹿でも間違える事もないもんな……
「………うあぁぁぁ
…斗詩ぃ
……姫ぇ
……なんで先にあたいを置いて逝っちまったんだよぉ…」
でも泣いてもいいよな?
あたい、頑張るからさ、ここでだけ弱音吐いたっていいよな?
そんくらいは許してくれよな、斗詩に麗羽さま
「…うあぁぁぁぁぁぁぁ………
うわあぁぁぁぁぁぁ……っ」
麗羽さまと斗詩のいる廟で、ふたりの髪を懐に抱きしめ、あたいは三日三晩泣き続けていた
≪???年後…/世界視点≫
漢中にはひとりの名物ともいえる女がいる
鸭子女人(アヒル女)と呼ばれているその娘は旅人達には奇異の目で、住民達には侮蔑の目で見られている
鸭子女人の由来は、その歩き方や仕草にあるらしい
誰が何時名付けたかは知らないが、恐らくは彼女を見た童子達がからかって呼んだのがはじまりだろう
肩がおかしいのか腕がおかしいのか、普段は肘から先しか動かさず、僅か背を丸めて背中に負担がかからないように腰を曲げて歩く姿を家鴨と呼んだのだ
元々忌避され侮蔑され、面罵の対象であった娘であるから、その仇名が大人達の間で定着するのにさして時間はかからなかった
きちんと櫛を通してはいても伸び放題の髪に3本もの腰紐を結わえて歩いている事から、ここ漢中では囃子歌の題材にもなっている
今では娘の名前を覚えてるものもなく、たまに旅人が娘について奇異の視線と共に尋ねる事があっても、皆はこう答える
「ああ、あのアヒル娘かい?
まあ、昔漢中で思い出すのも腹立たしい事件があってな
確かその従犯だかって話さ
あの通り、もう満足に仕事もできない状態でね、刺客なんぞになってもああいう末路だって事で、温情で生かしてもらってるって訳さ」
旅人は当然、娘の名前や仕事を尋ねるが、それも定番のように決まっている
「えーっと…
仕事はお情けで墓守をやらせてるって話さ
ここには三日に一度、食いものやらを買いに来るだけなんだが、当たり前だが誰も売ろうとしなくてね
仕方なく役所で用意してるって話だ
名前は………
すまねえ、もう誰も覚えてないと思うぜ?
だってあのアヒルで通じちまうしな」
娘を見かけた旅人は、童子に石を投げられたり些細なきっかけで足をかけられたりしたのだろう、痣や擦り傷を手足や顔の至るところにこしらえた娘を見ながら頷くのが常である
なるほど、あの娘、容姿に似合わず相当な事をやらかしたに違いない
そして呟くのだ
ああはなりたくない、刺客なんてなるもんじゃないね、と
「ちっくしょー……
あのガキ共、あたいが何もできないと思って…
少しは加減しろってんだ!」
娘が住むのは墓所の側にある森林の入口にある粗末な小屋である
奇妙と言えるのは、その小屋のすぐ側に、これも不格好と言える廟がある事だ
娘は林から採ってきた薬草を不器用に乳鉢で擦りながら独り言を続ける
「そりゃあ、あたいがたかだか数年で受け入れられるとか、そういうのは考えてないけどさ
いい加減少しは飽きてもよさそうなもんだよなあ…」
擦りおろした薬草に布を浸し、不器用に身体の各所に当てていく
その背中には槍に穿たれたかのような8つの傷跡と、ひきつったかのような刃物疵が数本、肩口まで縦横に走っている
それは年頃の娘の肌としてはあまりに無惨なもので、恐らくはこれが娘の腕があがらない理由なのだろう
その背中も恐らく投石でできたであろう、痣だらけである
「いてててて…
くぁあっ………
し、沁みるっ!」
恐らくは長らく他人とまともに話していないのだろう
誰かに語りかけるように独り言を言いながら、それでも娘は怪我の手当に食事の仕度、洗濯に掃除といった事柄をこなしていく
墓守らしく墓所の手入れもしっかりとしているようで、わけても漢中に縁のない袁本初とその忠臣であった顔叔敬の墓所は非常に丁寧に清掃がなされていた
「さて、仕度も掃除も終わったし、後は廟の掃除だけだなっと」
娘が意気揚々と小屋を出ると、廟の前にはひとりの金髪の少女がいた
貴人として恥ずかしくない、しっかりとした身形の少女は、手入れされた非常に美しい髪と、年齢相応といえる輝くような美貌を併せ持っている
「……………えっと、もしかして…」
「おお!
ここにおるとは聞いておったが、元気そうでなによりじゃの」
弾けるような笑顔で振り向く少女に、娘は苦笑しながら返事をする
「元気かどうかはともかく、なんとか毎日やっています
公路さまもお元気そうでなによりです」
公路さま、と呼ばれた少女は、廟に再び顔を向けると眉を顰める
「しかし、いくらなんでもこれは少々まずいと思うのじゃが…
なんなら妾が建て直そうかの?」
その言葉に娘はゆっくりと首を横に振る
「いえ、これでいいんです
だってこれは斗……いけね、顔叔敬が全部自分で建てた、世界で一番気持ちのこもった廟なんですから…」
そして嬉しそうに眩しそうに廟を見詰める娘に、少女は驚きを顕に振り向く
「なんと!
これは全て手造りじゃというのか!
……うむうむ、ならば建て替えるなど無粋というものじゃな
妾の浅慮であった、許してたもれ」
「公路さま、そりゃあ成長期だから背が伸びるのは当たり前でしたけど、本当にお変わりになりましたね…」
「おぬし程ではないが、妾も色々と勉強しておるでな
流石にいつまでも伯輝に負担をかけてはおれぬ」
「へえ~……」
成長期だからなのか、こころもち薄い胸を張る少女の言葉に、娘は感心したように頷いている
そして娘は少女にふと湧いた疑問をぶつけた
「ところで、その伯輝さまは今はどちらに?」
「供物を持たせておる故、ちと遅れておるのじゃ。もうすぐ来ると…」
「お嬢さまぁ~……
置いていくなんて酷いですよ~…」
遠くから聞こえてくる女の声に、少女はにっこりと笑う
「の?
来たであろ?」
「確かに…」
そして、伯輝と呼ばれていた女性が着いたところで、娘は挨拶もそこそこにもうひとつの疑問を口にする事にした
「えっと、それで、おふたりは一体こんなところにどんな用事で?」
「それはですね~……」
伯輝が人差し指を立てながら説明しようとしたところで、公路が勢い良く喋る
「うむ!
妾は袁家の跡取りとなった訳じゃが、本初姉樣の事はあまり知らなかったと思っての
おぬしが漢中で生きておると聞き及び、是非話を聞いてみたいと思ったのじゃ!!」
「え……?」
あっけにとられている娘に、伯輝が立てた人差し指を振りながら告げる
「つまりですね、今では悪い評判しか言われていない本初さまですけど、お嬢さまはそれでは一方的すぎるから、貴女の話も聞いてみたい、と言ってるんですよ、文季徳さん」
その言葉に、文季徳と呼ばれた娘は、徐々に理解が及んできたのか、その表情を明るくしながら勢いづいて頷きを返す
「……ああ
…ああ!
ああっ!!
姫や斗…いけね、叔敬の事ならいくらでも!!
えっと、少し待ってください! 今すぐ廟を掃除して話せるようにしますんで!!
あ、あたいが作ったもんなんではっきりいって美味しくないですけど、一緒に夕餉も食べていきませんか!!」
そして返事も聞かずに駆け出す娘に、残されたふたりは顔を見合わせて苦笑する
「あらら~
あ~んなに喜ぶなんて、ちょっと予想外でしたね~…」
「妾もそう思うが、誰かが覚えてくれているというのは本当に嬉しい事なのじゃろうな」
「ま、しょうがないですね~
今日はとことん、季徳さんにお付き合いするとしましょうか」
「そうじゃな
予定は変わってしまうであろうが、恐らくは咎められたりはせぬであろ」
そんなふたりの視線を気にすることなく、娘は身体の不自由も痛みも忘れて走り回っている
今も胸の真ん中にいる、大好きで愛しい人達の顔を思い浮かべながら
漢中にはひとりの名物ともいえる女がいた
鸭子女人と呼ばれているその女は旅人達には奇異の目で、住民達には侮蔑の目で見られていた
その名物女であるが、外史による“漢中人物伝”なる書物にてはこう伝えられている
“漢中の墓守に鸭子女人なる人物あり
その姿奇矯なるも性温厚にして一見痴呆の如くなり
咎人故か諸人に敬遠され忌避されるもその語りは温和にて深いものなり
様々な人物の善き処を優しく語る姿は模範となりや
故に忌避されつつも話を請うて通う人もまた多し
生涯独身にて袁家縁の墓所に眠るを希望するなり
これにより本名を文季徳との噂あれど確かめる術はなし”
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