いい天気で目覚めた。
寝ぼけまなこの早苗は、枕をどかし、下にいつも置いている霊夢のブロマイドを眺めた。
そして布団からのそのそ抜け出し、愛する諏訪子と神奈子に、おはようのキスをした。
「んん、なんか、豚くさい」
と、眠ったままの神奈子に言われ、早苗は傷ついた。
すぐれない気分のせいか、日課の朝の体操は、その日は不調だった。
というか、出来なかった。
両手を上げて左右に広げる運動が出来なかった
そして徐々にはっきりする意識の中で、早苗は自分の体の異変に気付いた。
……神が、境内に立ち尽くす早苗だったものを、豚を見るような目で見ていた。
「ぶひい」
早苗はなんとかして、自分だと分かってもらいたかったが、その丸い鼻先の口はぶひぶひ言うばかりだった。
「豚なんて珍しいね。しかし早苗はどこ行ったんだろう?」
諏訪子は早苗を探しているようだった。
早苗は諏訪子に駆け寄った。
「人懐っこい豚だね。誰かに飼われてるのかな? お前のご主人はどこなんだい?」
諏訪子は早苗の頭を撫でた。
「ぶひい」
早苗は、どうすれば分かってもらえるか思いつかなかった。
「おーい早苗ー。いないかー?」
諏訪子は、声をかけながら神社の周辺の杜をうろうろしていた。
早苗はずっとその後を付いていたが、諏訪子は先ほどと同じように頭を撫でてくれるだけだった。
「きっとそのうち帰ってくるわよ」
やがて神奈子が現われ、二人の神は、早苗の発見を諦めたようだった。
「ぶひい」
神社に戻る諏訪子に、早苗はすがりつきたかった。
が、豚の脚では不可能だった。
「そうだ、今日はお前の飼い主も探してやるよ。早苗を探すついでにね」
諏訪子はまた早苗の頭を撫でて、すたすた神社に入っていった。
豚の格好で神社の中まで追うのは憚られた。
「ぶひい」
早苗は諏訪子の背中に、その名を呼びかけたつもりだったが、豚の鳴き声しか出なかった。
境内で一人でいるのは退屈だった。
いつもならもう、「今日はお味噌汁のだしを変えたんですよ」とか、「今日はいいお天気ですね」、とか話しながら早苗が作った朝食を食べている頃だった。
きっと中では、「早苗どこ行ったんだろうね?」、と諏訪子が神奈子に話しているんだろうなと想像して、なんだか寂しくなった。
陽が高くなり始めると、諏訪子が出てきた。
「それじゃ、行こうか。お前のご主人を探してやるよ」
「ぶひい」
諏訪子は明るい笑みだったが、早苗は嬉しくはならなかった。
二人は人間の里にやってきた。
「豚を飼っている者か。申し訳ないが、私は知らないな」
道行く人に尋ねて回ったが、収穫は無かった。
諏訪子は赤い布の茶屋の腰掛けで、湯気の立つ湯飲みを抱えていた。
早苗は諏訪子の足元に落ち着いていた。
「もうそろそろ正午だというのに、見つからないもんだねえ。豚を飼う者はあまりいないから、お前の飼い主なんてすぐに見つかると思っていたよ」
諏訪子は早苗に語りかけた。
「ぶひい」
早苗は応えた。
「お前は言葉が分かるんだね。きっと豚の中で一番賢いんだろうねえ」
「ぶひい」
早苗は否定したかったが、同じ返事しか出来なかった。
「しかし人間の里で見つからないとなると、もしかしたらお前は野良なのかもね」
「ぶひい」
野良の豚なんて、存在するはずがないことは、早苗も知っていた。
諏訪子がそれを知らないわけが無かった。
「さて、どうしようかね」
諏訪子は茶を飲み干した。
長い石階段を上って、二人は博麗神社にやってきた。
「確かに豚ね」
霊夢は見慣れない動物に興味を示した。
「飼い主を探しているが、人間の里でも見つからなかった。どうしたらいいと思う?」
「それでなんで私のところに来るのかよく分からないけど、私に出来ることだったら協力するわ」
「ぶひいい!」
早苗は、勘の鋭い霊夢なら気付いてくれるかもと、一際強くアピールした。
「おわ、びっくりした」
霊夢は後ずさりした。
「こら、霊夢は敵じゃないぞ」
逆効果だったようだ。
「ぶひい」
早苗は小さく鳴いて反省の意を示した。
「なんだか、言葉が分かるみたいね」
「そうなんだよ、この子、話し相手になってくれるんだ」
「それなら、この子に聞いた方が早いんじゃない?」
「え! どうやって?」
「ぶひい」
早苗と諏訪子は霊夢に聞き返した。
「例えば、『はい』なら一回、『いいえ』なら、二回鳴いてもらうのよ。これでいろんなことが聞けるようになるわ」
「なるほど、霊夢は賢いね」
「ぶひい」
早苗は、さすが霊夢さんです、と言いたかった。
それじゃあさっそく、と霊夢が質問を始めた。
「あなたは里の人間に飼われているの?」
「ぶひい、ぶひい」
「ということは、里の人間以外に飼われているの?」
「ぶひい、ぶひい」
「ということは、あなたは野良なの?」
霊夢は釈然としない様子で聞いた。
「ぶひい、ぶひい」
霊夢と諏訪子は顔を見合わせた。
「どういうこと?」
霊夢は顎に手を当てた。
「お前は、人間以外に飼われているのかい?」
横から諏訪子が早苗に問うた。
「ぶひい、ぶひい」
「確認するが、つまり、お前は誰にも飼われていないし、野良でもないんだな?」
「ぶひい」
「やっぱりそうなのか」
諏訪子は、うーん、と軽くうなって腕を組んだ。
しばらく考えた霊夢が再び質問をした。
「あなたは外からやって来たの?」
……早苗はどう答えるべきか悩み、沈黙した。
自分は確かに最近、幻想郷に越してきたばかりだった。
しかし、もしこの質問を肯定すると、幻想郷の外に返されてしまう。
「もしかして、自分でもどこから来たのか分からないの?」
「ぶひい、ぶひい」
自分のことはよく分かっていた。
霊夢はまた閉口した。
霊夢も諏訪子も、うんうんうなって頭を抱えていた。
ある程度の意思の疎通が出来ても、二人が核心を付いた質問を思いつかなければ、状況は進展しなかった。
早苗は、悩む二人にどうにかしてヒントを与えたかったが、豚の体だとままならなかった。
と、早苗は霊夢の持っている御幣に気が付く。
「ぶひい」
「ん、なあに?」
早苗は霊夢の御幣を鼻で指し示した。
「御幣がどうかしたの? あなたに関係があるの」
「ぶひい」
早苗は肯定した。
「御幣ねえ。神社に関係が?」
「そう言えばこの子、最初に見つけた時、守矢神社の境内に居たよ」
「その時、何か変わったことあった?」
「あ!」
諏訪子が、とても重要なことを思い出した。
「どうしたのよ」
諏訪子は早苗に向き合って、じっくりその顔を見た。
「お前、もしかして、早苗?」
諏訪子は目を大きく開けて、恐る恐る聞いた。
「ぶひいいいいいいいい!」
早苗は諏訪子に抱きつこうとした。
それは突進以外の何物でもなかった。
諏訪子は早苗の重量を完全に受け止めた。
諏訪子の足元の地面が少しえぐれた。
「まさか早苗だったなんてね。全然気付かなくてごめんよ」
「ぶひい」
「一時はどうなることかと思ったよ」
「ぶひい」
「霊夢のおかげだよ。本当にありがとう」
「ぶひい」
「それじゃ私達は帰るよ。それじゃあね」
「ぶひい」
諏訪子と早苗は神社を後にしようとした。
「ちょっと待った」
と、霊夢。
「早苗、そのままでいいの?」
「あ」
「ぶひい」
二人は、間抜けな声を出した。
なぜ早苗が豚になったのか、全員で考えようとした。
が、あまりにも素っ頓狂過ぎて、何をどう考えるのべきかも分からなかった。
「まさか早苗の『奇跡を起こす程度の能力』のせいじゃないわよね」
「自分を豚にする奇跡なんて、あるものかい?」
「さすがにおかしいわよね」
「奇跡っていったら、普通は誰かの願いを叶えるものだからね」
「ねえ早苗、早苗の能力って、人間を豚にすることが出来ると思う?」
早苗は、自分の能力の範囲や規模をあまり理解しておらず、なんとも言えなかった。
「早苗にも分からないのね」
「ぶひい」
「紫ならなにか分かるかな」
ぽつりと霊夢が思い出したように言う。
「ねえ紫、見てるなら出て来てくれない?」
境内の空間が割れて、スキマ妖怪が出てきた。
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん!」
両手を挙げて、内股になりながら片足の膝を曲げ、若々しい体勢で境内の砂利に降り立った。
「珍しくあっさり出て来たわね」
「ちょっと面白そうだったから朝から全部見てたわよ。早苗も災難だったわね」
紫は勢い良く扇子を開いて口元を隠した。
「見てたのなら話が早いわ。早苗がこうなった原因、分かる?」
「このゆかりんはなんでもお見通しよ」
「教えてくれないかしら? 出来れば解決の仕方も」
「えー、言っちゃっていいの? 霊夢が困るかも知れないわよお?」
「どういう意味?」
「言葉通りの意味よ。でも、確かにこのままじゃ困る人が数名いそうだし、教えてあげるわあ」
紫は上品に真っ直ぐ立ち、三者に目配せすると、ゆっくり口を開いた。
「犯人は霊夢と早苗よ」
霊夢も、諏訪子も、早苗も、何も反応しなかった。
早苗は冗談かと疑ったが、紫がこの状況でふざけるとも思えなかった。
「ま、これは第三者の視点から見ないと分からないことだったわ。あなた達が思い至らなくてもしょうがないわ」
紫は話を続けた。
「早苗は無意識に、霊夢の願いを叶えてあげたのよ。それで、霊夢の、早苗への嫉妬が形になった。それが全貌よ」
「私が早苗に嫉妬? 心当たりが無いけど」
「自覚してないみたいだけど、あんた、早苗がうらやましくてしょうがないのよ? 私から見たら本当に分かりやすい」
紫はまた扇子を口の前に置いた。
「早苗に家族がいることが、うらやましいのよ。あんたは」
紫ははっきりと言い切った。
「あんたは、早苗の家族とのつながりを千切ってやりたかったのよ。そして早苗に、自分と同じ孤独を体験させたかった」
「確かに家族をうらやましいと思ったことはあるわ。でも、早苗をこんな風にしたいなんて考えたことは無いわよ」
「責めるつもりじゃないのよ。ただ、自覚してしまえば、後は勝手に何とかなるわあ」
早苗の体から白い煙が勢いよく上がり、その体は煙に包まれた。
煙が晴れると、人間の姿の早苗が現われた。
「あ」
久しぶりに見る自分の手に、言葉が出なかった。
「良かったな、早苗」
諏訪子が早苗の背中を叩いた。
「願いは、叶ったらすぐに飽きるものよ」
後日、早苗は博麗神社にやって来た。
霊夢は少し気まずそうだった。
「私は、霊夢さんのこと尊敬しています。強くて、優しくて。いつかは霊夢さんみたいになりたいと思っています」
早苗は湯飲みを抱えながら話した。
「だから、紫さんの言ったことは意外でした。あれは、真実なんですか?」
「ええ」
霊夢は茶を一口飲んだ。
「そうですか」
早苗も茶を一口飲んだ。
「私も、いっつも霊夢さんに嫉妬しっぱなしなんですよ」
「そう」
霊夢は少しだけ間をおいて返事した。
お互い静かに茶をすすった。
早苗は、霊夢と今までより少し仲良くなれた気がした。
Tweet |
|
|
0
|
0
|
追加するフォルダを選択
変身的な。早苗好きなのになぜかこんな話ばっかり。