遠くから、海の音が聞こえる。
この世界では聞いたことのない音のはずなのに、何処か懐かしさを覚えるということは、おれのいた世界にも海があったのだろうか。
「元気でな、」
カラスの声に背中を押されるように、おれの意識は宙へ浮遊した。
あのときのように無理矢理に弾き出されるのではなく、ふわりと、まるで彼らが翼をつかって飛び立つときのように、おれの意識は彼の意識から離れた。
"カラス"
振り返り、いつものように呼びかける。
"カラス"
しかし、カラスは何も言わず、少ししてから曖昧に笑って、ゆるりと首を振った。
「………、もう聞こえないよ、おまえの声……。」
そのあと現れたシェラと、多くの仲間たちの顔を見おろす。たいせつな、大切な仲間たち。
もっとここにいたい、と思う。
もっとみんなと、一緒にいたい。
けれど、カラスの体から離れたいま、遠くからおれを引き寄せる何かを、はっきりと感じていた。
おれを引き戻し、おれを探している、何か。
その強い力に引かれるように、おれの意識はだんだんと浮上していった。
"カラス!シェラ!みんな……!"
おれの叫びは、誰にも届かない。けれど、一瞬ためらったあと、おれはみっともなく声を荒げていた。
届かなくても、叫ばずにはいられなかった。
"さようなら……っ。
ありがとう……っ!"
不意に、こめかみの辺りを通る水を感じた。
次に、遠くに聞こえる海の音。
心臓がうごめき、肺に空気が入る。
自分の意思で瞼を上げれば、あまりの眩しさに左手が動き、瞼を覆った。
「目を、さましたの?」
母の声。そう、母の声だ。おれはこの声を知っている。
手も、自分の意思だけで動かせる。
ゆるゆると左手をどかし、瞼を開ける。
白衣を着た壮年の男性と、泣きはらす女の人。窓の向こうに広がる、青く広い海。
「気分は、どうですか?」
壮年の男性が、おれを、みた。
「そう、ですね」
こたえようとして、ことばを発したつもりだったが、声にならなかった。
このことばの伝え方に、慣れすぎてしまったんだ。
おれは苦笑した。
頬の筋肉が僅かに動くのを感じた。
もう、この声帯を震わせないと、おれはだれかにことばを届けることができないんだ。
ゆっくりと、口を開く。
開け放たれた窓の外から、海の味がした。
「ゆめを、みていました。」
青い海と、青い空の間を、名前も知らない鳥たちが飛んでいく。
瞬きをすれば、また一筋、海水が伝いおちた。ああ、やっぱりここにも、海があったんだ。
「とおいばしょ、とおいじかんの……。
かなしくて、美しい、ゆめを。」
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精霊の話。