ブーツの底がすべりそうな硬い白大理石の床には、大きな円が描かれていて、旧式の時計の文字盤のように、その円は16に分割されていた。時計の針でいう、12時、3時、6時、9時の方角には、赤茶色の大理石を埋め込んででできた4本の矢印が、円の中心から伸びて、その部屋の4つの壁の方向を指しており、4本の矢印に翻弄されるように、リュウは思わず円の真ん中で足を止め、天井を見上げて、ぐるぐると四方を見渡していた。
その部屋の高い丸天井は、柱の途中に取り付けられた上向きのライトに照らされて、一番高い天頂部に白く明るい反射光が映り、それ自体が淡く発光しているかのように、部屋全体に柔らかな明るさを降り注いでいる。床に描かれた文字盤の4本の矢印の先には、何列にも並んだ本棚が、どこか有機的に、天井の高さを目指して、聳え立っている。
首の付け根が痛くなるほど、リュウが丸天井を見上げていると、リュウに次いで部屋に足を踏み入れたボッシュが、その横を通り過ぎて、すたすたと窓際まで歩いていき、窓に背を向けて置かれている年代ものの書き物机の上にひょいと腰をかけた。ボッシュの背後にある、背丈のゆうに3倍はある大きな窓から、影を縫い付けるような、しらじらとした光が差し込んでいるが、丸天井の柔らかな灯りがあるせいで、外が明るすぎたときそうなるように、部屋全体が暗い影に覆われてしまうことはない。
だから、こちらに向けているボッシュの顔も影に覆われることなく、どことなく得意げな表情をそのまま伝えてきた。
「すごいな、この部屋……。」
リュウは、部屋の真ん中の円形のスペースで、もう一度ぐるぐると頭を回して、壁一面に本が詰まった部屋全体を見渡してみた。丸い白天井も、リュウの動きにあわせて、ぐるぐると回転するように見える。ボッシュは古い机に後ろ手をつき、そんなリュウを見ながら、足をぶらぶらとさせている。机の下にも、あちこちの床にも、壁一面の棚にはおさまりきらない本の山が、うずたかく積まれていて、この部屋の中だけ時をさかのぼったように、飴色に錆びている。磨かれた机ととともに、その色合いにごく自然になじんでいるボッシュのところで、最後に、リュウの視線が止まった。
「――そんなとこで、馬鹿みたいにぐるぐる回ってないで、さっさと片付けろよ。任務だろ。」
ぴかぴかのブーツが足元にあった本を蹴飛ばすと、数年単位ではおさまらないような埃が立ち上り、ボッシュはわずかに顔をしかめて、足を組み替えた。
「だって、こんな古い本、生まれて初めて見たよ。バイオ公社にこんな場所があったってことも、知らなかったし。」
「そりゃそうさ。わざわざこんなとこに直接見に来る奴は滅多にいない。こんなに古い資料でも、分析された分はデータベースに入ってるし、どっかにオリジナルを保管しなきゃならないからって、この資料庫が作られたんだ。旧世界の遺物、言い伝えの記録、1000年前の愚痴やたわごとの山。誰も読まない。馬鹿だよな。いまはない旧世界の資料なんて保管しておいても、いったい何になるっていうんだ?」
「でも倉庫整理が俺たちの1日分の任務には、なるってことだろ。へー、これ全部、データベース化されてるのか。」
「いや、『分析された分』は、だ。何の役に立つのかわからないガラクタ、旧世界の装置の欠片、役目のわからない溶けた機械の一部、そんなものが多すぎて、手のつけようがなかったらしいぜ。ほとんどが見つかってすぐにここに送られてくる。そして、扉をバタンと閉じて、それっきり忘れちまう。どうせ前世界の遺物だ、誰も気にかけやしない。」
「確かにこんなにあったら、一生分の時間をかけても全部の棚は見られなさそう。」
「政府に厳重に管理されていて、申請しても、滅多に人は入れないのも確かだ。旧世界のこととはいえ、いや、旧世界のことが詰まってるからこそ、情報のコントロールが必要なんだそうだ。」
「そんな必要ないと思うけど。こんな昔の文字、見たところで、誰も読めないよ。」
「政府の機密なんて、そんなもんさ。なにを隠してるのかさえ、誰もしらないというわけ。――そうだ。いいものがあった。」
そう言うと、ボッシュは机からぱっと跳び下りて、壁際の棚のひとつに近づくと、そこにかかった梯子を登り、上のほうから、一抱えもあるチタン製の箱を取り出した。両腕を挙げて、梯子の下でそれを受け取ったリュウは、大きさの割りにその箱が軽いことに驚いた。
「そいつを真ん中のホールまで、運べ。」
そう言って、ボッシュは身軽に梯子段を跳び下りると、窓のそばにいき、分厚い布でできたカーテンを閉めた。部屋の中が、途端に薄暗くなる。
「でも、この箱、電子ロックがかかってるじゃないかな。開かない。」
部屋の円形のホールの真ん中に箱を置き、その前にしゃがんだリュウが、数字の書かれたパネルを何度も押し試している。
「ちょっと待てって。」
ボッシュがそのそばに歩み寄り、すばやくパネルを叩くと、しゅん、と埃っぽい風を吐き出して、箱の蓋がわずかに開いた。
手袋をしたまま、ボッシュが、箱の蓋を押し上げる。
中に入っていたのは、ガラスのような素材でコーティングされた、鏡を割った破片のような、いくつもの金属片だった。
もとは大きな形をしていたものかもしれないが、いまは、ひとつひとつが手のひらに乗る大きさに割れて、その縁は高熱にあぶられたように溶けている。つるつるしたその表面は、天井からの淡い光をはじき、油の膜のような複雑で暗い虹色が浮かんでいて、その虹色の奥の金属は黒く、覗き込んだリュウとボッシュの顔をぼんやりと映し出していた。
「どうして、箱のパスワード知ってるのボッシュ?」
「ガキのとき、ここにつれてこられたことがある。昔こいつを見せられて、さっきまたここで見つけた。ま、子供の玩具みたいなもんだけどな。こんなもんでも、政府の重要機密扱いだとさ。」
「ふーん。確かに子供のやるパズルみたい。割れてるけど、こっちとこっちはもともとつながってたんじゃないかな。」
リュウが、旧世界の破片を、ふたつ取り出した。
「ためしに並べてみろよ。おもしろいもの見せてやる。」
リュウは肩をすくめて、ボッシュの言うままに、箱の中に手を伸ばし、ホールの床に描かれた大理石の円にそって、黒い破片を並べてゆく。ひとつ、またひとつとぎざぎざの断面をつなげていくと、破片は集まり、しだいにひび割れた大きな円になった。さしわたし4メートルくらいの、凹面鏡のように中央がくぼんだ、黒い円ができあがっていくのを、膝の上に腕をもたせかけながら、ボッシュは黙って見ている。
やがて、リュウがひざをついている大理石の床の丸いホールが、黒く大きな円鏡のような金属片で埋められると、ボッシュがそのそばにあぐらをかいて座った。
「これで最後。けど、並べてなにか意味があるの?」
「それで最後だって? 置いてみろよ。」
床に腹ばいになったリュウが、最後の一欠片を、欠けた部分にそっと置くと、ボッシュが箱の底から取り出した小さな装置を、ひび割れた黒い円の横に置き、右腕の端末から、部屋全体の灯りを消した。
一瞬、2人は闇の中につつまれる。
やがて、ひとつの欠片の黒い表面に、まず薄青い光が灯り、次にその隣の欠片に移り、水面にできる輪のように、ひとつの欠片から次の欠片へと伝わり、丸く並べられたすべての欠片の表面に、さざなみのように、青い明るさが広がった。
「なに、これ……? なにかの映像?」
「1000年前の”空”さ。いや、最後の闘いのあった時代の、もっと前か。空の記録映像。これは、大昔の建物の天井に取り付けてあった映像装置じゃないかと推定されてる。本物の空の映像を記録して、室内の天井に映してたらしい。」
「これが……空…なのか…?」
リュウは、思わず、ひとつの欠片を手に取った。地底湖の水を掬い上げたときのように、手のひらの上で、底のない青い光がまたたき、霞のようにも、また煙のようにも見える白い繊維が、その青の上をすべって、速い魚のように、リュウの手のひらの上をすばやく通り過ぎる。
「その白いのは”雲”って呼ばれてた……、水蒸気の一種だそうだ。」
つぎはぎの欠片で作られた円は、淡く青い光で覆われて、その青色の上に、白い”雲”が次々と現れては、円の全面をぬぐうように移り変わり、過ぎ去っていく。いつの間にか、床から溢れる青白い光に魅入っているボッシュを、リュウはこっそりと見た。どこか懐かしいものを見るような、歓喜の表情が下から照らし出されている。いつもは灰緑色をした瞳の膜の上に、明るい青の光が乗っている。ボッシュがつけている片耳だけのピアスにも、同じ色が映り込んでいる。その小さな球面の表面をなでるように、白い水蒸気の塊が、いくつも通り過ぎる。この色は、同じ色だ。”空”と同じ色。リュウは、初めてそのことに気づく。ボッシュの左耳の小さな丸い石を見るたびに、これからはこの色を思い出しそうだと、リュウは思う。その水色の表面に映った、流れる白い雲も。その小さな石の奥にある、なにかの願いも。
「これは空を高速度撮影したものだから、時間がずいぶん早く流れる。見てろ、全体の色が変わる。ほら、そのあたりから、始まるぜ。」
ボッシュが頭を振った左手の方向から、床に置かれた空の欠片は、しだいに色を変え始めた。最初は青かった映像が、わずかに黄色を帯び、だんだんと輝くような金色に光り、鏡のような円全体を覆っていった。リュウの手のひらの上の欠片の中を流れる”雲”のふちも、鋼鉄を焼いたときのような金色に変わっていた。水蒸気の塊りが燃えて、金色の焔を上げたりするだろうか。それは焼かれているのだろうか。空は、容赦なく、雲をあぶっていて、”雲”のふちは背景の空に溶け、金色の光が、雲の後ろから漏れているようだ。空はみるみると赤みを帯びていき、気づけば、鏡のような円全体が、燃えるような赤になっていた。その赤は、ボッシュの金色の髪にも、燃え移る。雲を焼いたときと同じように、金色の輝きを強いオレンジ色に塗りかえていき、色は、一瞬たりとも、立ち止まらない。傍らにいる相棒の髪や瞳やうすい色の肌の上に、空の色が移り、燃え立たせ、輝かせ、やがて流れゆくのを、リュウは見守った。それは、目を閉じても、消えない風景となって、リュウの目裏に焼き付けられる。リュウが、手にした映像の欠片を、もとの場所に置くと、その右手を、そのまま相棒のほうへと伸ばした。そこにも、空が映っていた。空の欠片。手袋を脱いだ右手で、ボッシュの頬にかかった髪を指でよけた。雲が作る濃紫の暗い影を指でなぞって、耳元まで追いかける。
「あぁ? なんだよ、お前?」 ボッシュが、乱れた髪をうっとうしがって、頭を振る。
「空なんて、はりぼての作り話だと思ってたんだ。こんなに綺麗な色だなんて、思わなかった。」
「そうさ。昔は、人間は皆、空の下に住んでいた。それは嘘や御伽噺じゃない。いまは、こんな遺跡の残骸の中にしか、残ってないけどな。」
「なんだか、悲しく聞こえる。」
「いや、空は、あるぜ。いまも、俺たちの真上にだ。空と地下世界の間に分厚い蓋があって、そこはメインゲートって呼ばれてる。空への階段だ。厳重に鍵がかけてあって、そこへは特別な人間しか行きつけない。たとえば、メンバーとか、オリジンとか、そういう意味での、選ばれた人間だけが行ける場所だ。」
「そうか。――ボッシュは行きたいの? そこに。」
ボッシュは、薄く笑った。なぜ、笑ったのだろう。その意味は、ずっとリュウの中に、わからないまま、いまも残っている。いつか、行けると思ったのだろうか。それとも、空に行くということ自体を、笑ったのだろうか。
「金色に青。どこかボッシュの髪とピアスの色に似てると思ったんだ。」
「……見てろよ。そのうち、真っ暗な闇の色になる。お前の髪と目の色に似てくるぜ。夜の色だ。空にも夜がある。」
その言葉の通り、空の欠片は、濃紫から濃紺へ変わり、やがて、黒く変わった。だが、洞窟の中の濃密な闇とは違い、真の闇にはならず、ぽつぽつと白く輝く点が闇の中にばらまかれている。ボッシュが、濃紺の欠片を手に取り、リュウに手渡す。リュウは、自分の髪と目の色の痕跡を、その欠片の中に捜した。2人の髪が、闇の中で擦れ合った。ぱちりとはじけるような衝動。黒の中にまたたく白い光が、まばゆく強い線となって、欠けた円を縫い付けるように、流れていった。
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ゲーム「BOF5 ドラゴンクォーター」二次創作小説です。リュウとボッシュが空の欠片をつなげる話。※女性向表現(リュボ)を含みますので、苦手な方はご注意を。