No.356244

ねこなりっ!

涼城蒼夜さん

年始め作品ということで前にもアップした作品を載せます。アドバイスの方に投稿したのですが、その時の指摘していただいたところはちゃんと直したつもりです。ですが、まだまだですので、何かありましたらご指摘お願いします。では、今年もよろしくお願いします。

2012-01-01 15:10:55 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:329   閲覧ユーザー数:327

 
 

   『ねこなりっ!』

 

   ※1

 

 うわっ! や、やめろっ。

 そ、そんなとこ舐めるなぁぁぁっ。ふへぇっ、そ、そこは駄目だから、だ、だ、駄目なんだぁぁぁっ!

 ら、らめぇぇぇぇ…………っ!

   ※2

 

 悪夢だった…………。

 俺は、ベッドから起き上がり、荒立つ息を徐々に整える。それにしても今日の夢は格段に悪夢という表現が相応しい。まさか、あそこまでしてくるなんて。無意識に思い出して、不覚にも顔が赤くなってしまう。この飼い猫に舐められる夢をたまに見る。

 俺は昔から肌が異常に敏感なせいで舐められるだけで失神しそうになる(一種のアレルギー反応というべきか)。そのことで、過去に一度だけ死ぬほど舐められたことがあったんだが、どうやらそれがトラウマになって、今でもたまに夢で見るようになってしまったらしい。

   ※3

 

 日曜日の朝。

 一般高校生にとっては至福の一日であり、同時に再び明日から学校が始まるということに怯(おび)えつつも無駄に時間を過ごしてしまう。

 俺もその内の一人。

 今の時刻は午前七時。

 自分にしては早起きの方だ。普段なら十時頃が当たり前だから、もしかすると日曜日の早起きタイム更新かもしれない。これに関しては悪夢様々だ。

 俺はカーテンの開いた窓から差し込む気持ち良い春の朝日を浴びながら、リビングで一人、珈琲をすすっている。因(ちな)みに家族は、父・母・姉の四人家族だが、俺一人を残して昨日から京都へ一泊旅行中。何でもおいしいと評判のアップルパイの店があるのだとか。

 なので正真正銘、本当に至福の日である。だって、何をしても咎(とが)める人はいないのだから。

 それにしても、なんで俺も旅行に行かなかったのかだって?

 そりゃ、単純明快だ。家(うち)にはペットのもんぷち(♀)という猫がいるのだけど、母親がその猫のことを大事にしていて、母曰(いわ)く、もんぷちを孤独にはしたくないのだと言う。つまり、行かなかった理由(ワケ)はもんぷちの世話役。むしろ、『行かなかった』というより『行けなかった』という表現の方が適切かもしれない。

 自分のとっては迷惑な話で…………ってほどでは無いのだけど。

 家(うち)のもんぷちは茶と白のマンチカンなのだが、これが結構可愛かったりする。密かにもんぷちというあだ名も決めていたりもするくらいだ(家族はにゃんこと呼んでいる)。当然、あだ名の由来は某キャットフードである(最初に自分が餌として与えたのが、そのキャットフードだったことがきっかけだが)。

 俺は時計を確認した。それにしても遅い。何がと訊かれたら、そりゃもちろん、もんぷちのことだ。いつもだったら朝の七時くらいには起きてくるはず…………と言うか、起きてこなかった例(ため)しが無い(俺が知っているのは日曜以外だが)。

 この家には俺しかいないので、とりあえず、朝刊くらいは取りに行かなくてはならない。俺は玄関へ向かい、外に出る。家の目前の通りは人気(ひとけ)が無く、閑散(かんさん)としている。春のさわやかな風が頬をなでるように過ぎ去っていくのみだった。この風景は今日に限らず、ここの通りは二十四時間人気(ひとけ)が無いと言っても過言では無い。その理由(ワケ)は、家(うち)の近所にある御寺である。聞く話によると、この街の人々はその御寺に何だか近づきたく無い雰囲気があるのだと言う。

 小学生の途中から、父の転勤でこの地に引っ越してきた俺にはそんな雰囲気を感じたことは無いのだが。

 なんだこれ…………?

 黒い物体が落ちていく様子を視界に捉えた。

 どうやら郵便受けを開けて、新聞を取り出す時に、掴み損ねてそのまま地面に落ちてしまったようだ。

 落ちていたのは一通の黒い封筒だった。

 これって……まさか…………っ?

 この封筒のことは学校の噂で聞いたことがある。その噂通りならばこの封筒の中には…………。

 急いで封筒を拾い上げ、中身を確認してみるが、中に入っていたのは真っ白の、ただの白紙だった。

 学校で噂になっている(この町全体で噂になっていると言っても過言では無い)通りならば封筒の中には、一行何かが書いてあるはずなのだ。その文を見ると自然と涙が出てしまうのだとか、しまわないのだとか…………。結局どっちなんだ? と疑いつつ、白紙を封筒に戻した。

 そして、何が不幸で、誰が言い始めたのか分からないがこの封筒の手紙は『不幸の手紙』と呼ばれている。

 しかし、噂通りならば、手紙を見て理由は分からないまま涙が出て、それでおしまい。特に何かが起きて不幸になったというのは聞いた事が無い。

 つまり、この手紙はただの悪戯(いたずら)なのである。誰かが面白がってやり始めた悪戯(いたずら)。くだらない事をするもんだけど、泣くだけなら不快にならないからまぁ、いっか。だが、俺の所に届いたのは白紙の手紙。全く、ちゃんと文が書いてあって欲しかった。ちょっとだけ、期待したのに。

 俺はそう思いながら新聞をリビングのテーブルに置き、とりあえず『不幸の手紙』は自室に持っていき、机上に置いた。

 時刻は八時になろうとしている。

 そろそろ、もんぷちの餌をあげる時間だ。と言うか、あげなければ、俺が母に締め上げられる。母の締め上げは酷(ひど)過ぎる。あれは拷問(ごうもん)に近い。三日間食事抜きだとか、酷(ひど)いときには二日間家に入れてもらえなかった。それも冬だったものだから、あの時は本当に死を覚悟した。もう二度と経験したくない思い出である。

 まずはもんぷちを探すとするか…………。

はぁ~、とため息をつき、俺は辺りを見渡す。もんぷちが行く場所は決まっているから、どこにいるのかはだいだい予想が付く。基本的にもんぷちは外へはあまり出たがらないので、居る場所のほとんどは家の中だ。

 まず、二階の日当たりのいい和室。ここは日向ぼっこによく使っている場所だ。街中でも猫がよく日当たりのいい場所に居るのはよく見かけるが、実は猫の平熱は人間より一~二度高い。普通、暑くなると思うんだけど、彼らは気持ちよく寝ている。人間には猫のことは分からないってことだな。俺は和室を覗き込む。あれ? いないのか…………。ここは、もんぷちがいる確率暫定一位の場所のはずなんだけど。

 次は、もんぷちの寝どころ。もちろん、いない。そりゃ、そうだ。だってもう朝の八時だ。知っている通りならば居るわけがない。そして、台所、庭と探してみたがやはり居なかった。俺の家はそんなに広くない。だから、ここまで探してもいないってことは居ないのだろう…………って、あれ? それじゃ、まずくないか? 俺の生命(いのち)の存続がという意味で。

   ※4

 

 家の近くには御寺がある。御寺の名称なんかは知らないが、そこには説明したとおり不気味な雰囲気(ふんいき)が漂っていると噂されている。

 家から三00メートルあるか、ないかの距離で結構近場であり、もんぷちはそこを好んでいるらしく、外で唯一、行く場所と言っても過言ではないくらい外の時には決まってその御寺にいるのである。

 そして、今、俺はその御寺の前まで来ていた。御寺は木々に囲まれ、御寺までは石段が続いている。木々は春の朝日に照らされ、青々と輝いている。俺は御寺まで続く石段を一気に駆け上がる。四十四段あるらしいが、朝のトレーニングには良い運動だった。それにしても、流石は不気味な御寺。石段の数まで不気味とは恐れ入る。

 石段を登り切ると御寺の奧に何かの気配を感じた。

 そこには人間の女の子が居た。しかも、後ろ姿で分かる、かなりの美少女。彼女は自分の手足をじっと観察でもするかのように凝視している。それにしても、後ろ姿はかなりの美少女だ。家のもんぷちとは無関係だが、これがは来た甲斐があった。

 ありがとう、もんぷち。

 見た印象では彼女は俺と同い歳か、年下ぐらいに見える。髪の毛は茶髪で、身体はほっそりと引き締まった体型をしていた。それは、彼女がボーイッシュな服装だからという理由もあるかもしれない。しかし、問題点が二カ所ほど。それは…………。

 

 猫耳としっぽ。

 

 人間には生まれた時から備わっていないものが彼女にはあるように思えた。彼女の猫耳は茶色く髪の毛と色と一緒。そして、耳の先端は白い。しっぽも同様で茶色。そして、不規則に白のラインが描かれていた。

 時折、自在に動かせるように耳はぴくぴくと素早く動き、しっぽはゆらゆらと柔らかく揺れる。そう、まるで本当の猫のようだった。

「に、にゃっ!?」

 彼女は振り向くと俺の存在に気づく。そして、飛び上がるように驚いて後ずさり尻餅(しりもち)をついてしまった。

「大丈夫ですか?」

 俺は慌てん坊な彼女に近寄り、そっと手を差し伸べる。彼女の透き通った瞳(め)が俺を見つめていて、俺は何だか恥ずかしくなって目を逸(そ)らした。

「ありがとにゃ…………御主人様」

 彼女は俺の手に掴まり、それを助力として立ち上がった。

 はい、はい、どういたしまして。って、え…………えぇ? 一生涯の内に一度も呼ばれることの無いだろう呼称の仕方をされたような気がする。

「ご、ご、御主人様!?」

 思わず、その言葉を声に出して反復してしまった。俺はいつからこんな美少女と主従関係を結んだんだ? 記憶を辿るが今まで一度もそんなリア充体験はない。そんなものがあったら逆に教えてもらいたいくらいだ。俺は潔白ですよ、皆さん。

「あの多分、人違いだと思いますけど…………」

 そうあって欲しい。でなければ俺はこの世のリア充を夢見る人から抹殺されてしまうだろう。

「ひ、人違いなんかじゃないにゃんっ」

 ちょっと思考タイム。自分で自分に問いかける。

 今、聞いたか? にゃんだぞ? 猫耳+しっぽ+にゃん(語尾)+美少女。どこぞのラブコメだ。こんなのが現実(リアル)で起こっていいものか。それに、今はこんなことをしている場合では無いはず。確かにこんな美少女と話せる今は大切だけどそれより大切なもの――俺の生命(いのち)が未来永劫(みらいえいごう)無くなってしまう危機に瀕(ひん)しているはずだ。

 これ以上彼女と関わることは避けた方がいい、そう判断し、俺は登ってきた石段の方向に身体を一八〇度回転させ、彼女に振り返る。

「あの、すみませんが捜し物をしている途中だったので自分はこれで…………」

 俺が振り返りつつ軽く会釈(えしやく)を済まし、石段を降りようとしたその時、彼女が短く言葉を発した。

「――――っ」

 その声は小さかったが、確かに聞こえた。彼女からは想像もしなかった言葉が。俺以外は知るはずのない言葉が。

 俺は思わず、再び振り返り彼女を見る。

「何で…………その言葉、いや、名前を…………?」

 彼女は俺の問いに黙ってしまったが、俺は彼女に会った時に微(かす)かに勘づいていたのかもしれない。信じられなかったけど。だって、俺以外、いや、俺ともんぷち以外は知るはずの無い言葉を彼女は知っていた。それに彼女の猫耳としっぽの模様は、もんぷちとそっくりだったのだから。

「もしかして…………もんぷちなのか?」

 俺は秘密のあだ名を発する。黙り込んでいた彼女はその言葉を待っていたように笑って、にゃん♪っと、一言だけ言った。その笑顔はもんぷちの陽気なものだった。

 俺は自然とこの夢のような事態を飲み込めた。俺も何でかは分からないけど、理解してしまったのだ。だって、彼女は秘密であるはずのものを知っていたのだから。

 

 そして、数分が経ち、俺と人間と化したもんぷちは御寺にある石像の前に立っている。

「だけど、またここでもんぷちと特別な形で逢うなんてな。もしかしたら、運命だったのかもな。ここの石像が仕組んだ」

 もんぷちは像に手を合わせ、お祈りをしている。不気味な雰囲気(ふんいき)を醸(かも)し出しているであろう元凶。その石像はカエルの形をしている。そこまでは普通にありそうだが、そのカエルの石像の表情の右は泣いていて、左は嬉しそうに笑っている。そして、何故持っているのか分からない、石で作られた手紙を両手で抱えるようにしていた。

 もんぷちはお祈りを済ませると、俺の方に近寄ってきた。

「帰ろうにゃん? 御主人様」

 御主人様には抵抗があるけど、俺は現実(リアル)を受け入れるしかなかった。なので、今は帰って、もんぷちの話をよく聞いて、それからだ。

「そうだな…………。俺も朝ご飯を食べないとだし」

 

   ※5

 

 家に戻り、朝食を食べ終わった頃には時計の針はすでに九時を指していた。それからもんぷちが猫から人間になった経緯について話をしたのだけど、結果、もんぷちの話をまとめると、どうやらこういうことらしい。

『いつまにかこうなってたにゃん♪』

 だそうだ。さらに信じられないような話だ。

 もんぷちが朝、起きたときには御寺にあるカエルの石像の前で、すでに人間の姿をして服も着ていたという。後から調べて分かったのだが、その服はいつのまにか無くなっていた俺の服だった。結構、お気に入りな服だったのだけど、こんな美少女に着られるのも悪くないと思う。だって、ねぇ? 変態趣味があるわけじゃないけど、一般高校生として断言しよう。

 俺の服を美少女が着ているなんて何か、イヤらしいじゃないかっ!(理解して欲しいとは思ってないけど)。

 そのお気に入りの服はと言うと、七分袖で黒地に青いラインが施されているシャツと、紺色のジーパンであった。シャツの方は安価だったが、ジーパンは有名ブランドの物で確か…………万単位で結構、高価だったはず。因(ちな)みに服をあまり持っていない俺にとっては、重宝する春服のセットであり、もんぷちに着ていられると困るわけで。だって、高校生って普段、制服のことが多いから私服の数は必然と少なくならない? 俺だけかもしれないが。まぁ、金銭的にもそんなに苦しいわけでは無いのであり――と、いうことをもんぷちに伝えたら、満面な笑みでこう言った。

『にゃら、買いに行こうにゃんっ♪』

 金を払うのは俺だが、悪くないというか、むしろそっちの方が助かる。このまま人間のままかもしれないということを考えれば、服の一着、二着くらいは買っておいた方が都合がいい。父さんと母さんにはどう説明しようかな? 結構、簡単に受け入れてくれそうな気がするけど…………心配だ。とまぁ、ここまでがついさっきまでの話。

「じゃ、とりあえず、まずはその服脱げよ」

「にゃ、にゃっ? それって、つまり…………えっちなこと…………にゃ?」

 もんぷちは赤面して、俺から華麗なバックステップで距離をとった。

「ちげーよ、男物の服を着ていたらおかしいだろってことっ! 俺の服の代わりに、ねぇの服貸すから」

 『ねぇ』とは俺の二個上の姉のことである。それに、いくら美少女だとは言え、猫に欲情するほど許容範囲は広くない。うん、広くない。興奮はするけど、あれ? それって欲情って言うのか…………いや、言わないな。猫に欲情したら男失格だ。

「じゃ、ねぇの部屋に行って、とりあえず、ズボンとシャツ。後、帽子。それに…………下着か。まぁ、何でもいいから搔っさらって来い」

 くそぅ。恥ずかしかった。どーしちまったんだ、俺。いつもならクールなのに。あ、今、嘘だぁ? と疑った奴。その通り。大正解だ、花丸をあげよう。

 しかし、もんぷちは動こうとせず、俯いたままでいる。

「なんだ、どうした? 着替えに行かないのか?」

「にゃ…………そ、その前に、お風呂に入りたいにゃ…………」

 もんぷちは消え入りそうな声でそう言ったが、俺には確かに聞こえた。よく見れば、もんぷちの白い肌はしっとりと湿っており、どうやら汗をかいているようだった。

 確かにこんな状態で着替えるのは気持ち悪いよな。うん、別に今のはイヤらしくないのね? 

「あぁ、そんなことか。分かった。今すぐ、沸かすから待ってろ。んじゃ、沸かしている間に服を取ってこい」

 もんぷちは遠慮がちにも頷くと二階にある、ねぇの部屋に向かった。

 

 十五分後。

 風呂が沸いた合図の音が鳴り、もんぷちは風呂に入っていった。俺はリビングのソファに寝転がる。何? 怠(なま)け者だって? いや、これが一般高校生の日曜日の過ごし方なんだよ。目を瞑(つむ)ったまま――今、思えば、もんぷちなりに申し訳ないと思っていたのかもしれない。果たしてもんぷちが猫の時にこんなことを考えていたのかは知らないけど、俺を御主人様と呼ぶ。つまりは、仕える存在であるべきなのにもんぷちは御主人様に逆に世話をされて、それを恥じらったのか。もしかしたら…………いや、絶対に深く考えすぎだ。だって、そんなのもんぷちでは無い。もんぷちはいつも明るくて、陽気で屈託(くつたく)のない笑顔をするから。俺はそんなもんぷちの方がいい。俺はそんなもんぷちのところが好きなのだから…………。我ながら、余計な考えをしてしまったと感じ、思考を閉ざした。ちょうどその時、洗面所のほうからガチャっと、扉の開くする音が聞こえた。どうやら、もんぷちが風呂から出たらしい。そして、リビングの扉も開く音がする。俺は目を瞑(つむ)ったまま、もんぷちに言った。

「着替えのサイズはちゃんと合ったか? ねぇの下着は…………っ!」

 俺の言葉を遮り、何か柔らかい物体が俺の上に乗っかった。ほのかにする石鹸(せつけん)の香り。そして、それは火照っていた。って、んな状況説明を言っている場合じゃない。俺は急いで目を開ける。

「お前、ちゃんと服を――」

 案の定、俺の上にいるもんぷちは素っ裸。生まれたときの姿でいた。いや、普段から風呂上がりはこんな感じではしゃぐんだけどさ。しかし、今は猫では無い。姿は人間だ。それは、やっぱりペットにストイックな俺でもやばいわけで――。

「お、おい。服くらいは着ておけ――って、それだけじゃ駄目だっ! 服を着て、俺から今すぐ、離れてくれっ!!」

「服は暑くて、着たくないにゃ~」

 もんぷちはそう言いながら、のんきに俺の頬を舐める。それに、もんぷちの胸が服にダイレクトアタック。理性を保て、俺。ここで理性を無くしたら人間失格だぞ。某超有名小説家にも腹を抱えて大笑いされちまう。完全に油断していた。と言うより、想像もしなかった。ラブコメはあくまで平面の中でのみ起こるものだと思っていたから。まさか、現実(リアル)で起こるなんて――。

「バ、バカ。やめろっ! そんなとこ舐めるなっ!! いい加減にしろよ!? 本当に怒るぞっ!!」

「駄目にゃん♪ いっぱい御主人様に甘えちゃうにゃん♪」

 くそぅ。人間の時と猫の時では許容範囲が違うんだぞ。今だったら、理性も人工衛星に届きそうなくらいの勢いで吹っ飛びそうな気がする。そして、俺は猫とイケナイ関係に…………。いやいや、それだけは駄目だ、駄目なんだ。人間的にも社会的にも死ぬから。

 もんぷちはなおも、にゃ~んと言いながら柔らかい身体を擦(す)り寄せてくる。もう、限界だ。どうやら、これでは吹っ飛ぶのも理性だけでは済まされそうにない…………。舐められ過ぎたせいか、身体がぶるぶると電流を流されたように震えてきた。このままじゃ、失神するっ。

 気づいた時にはもう遅く、意識は闇に落ちていった…………。

   ※6

 

 目を醒(さ)ました時には、もんぷちはすでに服を着ていて、俺の胸に顔を埋めていた。

 ヒク、ヒク…………。

 微か(かすか)に聞こえる引きつった声。どうやら泣いているらしい。よく見ると、目には大粒の涙が溜まっている。俺はその涙を指でそっと拭(ぬぐ)った。

「俺は大丈夫だ。だから、もう泣くな。これくらい、どーってこと無いんだからさ」

「にゃ~ん…………」

 もんぷちは悲しげな表情をこちらに向ける。俺はそんな表情を見たいわけじゃない。

「せっかく、人間になったんだ。楽しまなきゃ損だろ? それに買わなきゃいけない物があるはずだ。どうせ、ねぇの下着は合わなかっただろうし。まぁ、反則だよな。あのバストの大きさはさ。だから、買い物に行こう。そっちの方が今より、絶対にいいから」

 もんぷちは一瞬、ムスッとした表情になる。しかし、すぐに笑顔を取り戻して、にゃ~んといつもの陽気な声になってくれた。

 こうじゃなきゃ駄目なんだ。だって、御主人様が従者を悲しませちゃ駄目なのだから…………ましてや、もんぷちなら、なおさらだ。俺に笑顔をくれたもんぷちなら…………。

   ※7

 

 現在の時刻、午後の二時。

 家で昼食を取り、俺が着替えていたらこんな時間になってしまった。

 俺ともんぷちは家から徒歩で約二十分のところにあるファッション専門のビルに来ている。

 最近建てられたばかりのここは5階建てで、外装は至ってシンプルなものだ。全面ガラス張り。今日みたいな空が綺麗(きれい)な日だと、より一層その外装が映える。ビルの内装はと言うと、階毎(かいごと)に専門としている店が異なっている。例えば、一階は小物の専門店が押並(おしなら)んでいる。ここの階だけは西は男性。東は女性と別れているが、他の階は二階と三階が女性用ファッション専門店が多く並び、四階と五階は男性用ファッション専門店だ。女性用の専門店をなるべく下の階に配置することによって、体力の少ない女性にも嬉しい構造となっていると感じる。

 まぁ、説明はこのくらいにして。もちろん、買い物の目的はもんぷちの服なわけで必然と二階か三階が目的地ということになる。因(ちな)みに実際に居る場所は二階の一角に店を構えている『strawberry』という店だ。

 見た印象によると、ここは若者の女性(主に10代後半から20代半ば)をターゲットにした服が多くあるようだった。結構、混みそうな時間帯に来たと思った割には人が少なかった。どうやらこの店は混むわけでもなく空き過ぎているわけでもないらしい。ちょうどいい人の流れで疲れない買い物が出来そうである。

 猫であることがバレないように、もんぷちは布製のキャップを被り、しっぽは無理矢理ズボンに仕舞(しま)い俺から離れ、売り場を楽しそうに見ている。それにしても…………気まずい。何せ、俺以外はみんな、若い女性ばっかでそれに、ちらほら女性下着のコーナーが視界に入ってしまい、どうも目のやり場に困る。そう思っていると、試着室の方で、もんぷちが手招きしていた。試着室から顔と手だけを覗かせている。俺はもとより居場所が無いのでもんぷちの方へ足早に向かった。

「じゃ~んっ! こんなのはどうにゃ?」

 といいながら、試着室からもんぷちが出てきた。もちろん、下着を見せびらかしているのではない。下着ならもうとっくに買ったのだ。流石(さすが)に下着を着けていないのはまずい。だから、店に入った途端、真っ先にもんぷちに好きなのを選ばせて買った。もちろん、一緒に買った。俺一人だとかなりやばかった。何せ、選んだ下着が黒だったから。俺はとやかく言わずに買ったが。レジの店員には妙な目で疑われた。

 あんな視線を注がれたのは生まれて初めてだったけど仕方ない、仕方ないよね? 

 そして、試着室から出てきたもんぷちの服装は…………ミニスカート。しかも、帽子を取っていた。

「アウトォォォォ!!」

 俺は思いっきり試着室のカーテンを閉めた。顔だけ試着室に入れ、小声でもんぷちに言った。

「バカっ! 耳としっぽが丸見えだぞ」

「え~。だって、しっぽ窮屈(きゆうくつ)だし、スカート履(は)きたかったし、帽子ってなんか耳が痛くなるんだにゃもんっ」

 にゃもんって…………。

 何だか、話し言葉がだんだん人間に近づいてきているような気がする。いや、気のせいではない、確実に近づいている。

「頼むから我慢してくれよ。な、俺の為にさ」

 そう、俺のだ。

 もんぷちが猫だとばれないようにする為にではない。今や、猫耳としっぽをつけている女子を街中で見たって不思議では無いからだ。

 なんだぁ~、ただのコスプレかと、思われるのがオチである。しかし、そこに男がいたらどうなる? 絶対に周りの人からは、え? なになに、あの彼氏(?)、彼女にコスプレさせてるよ。やっだぁー。そういう趣味なのかな? とかになるに決まっている。まぁ、そうなるというわけでは無いが。

「むぅー…………」

 どうやら渋々ながらも納得してくれたらしい。俺は顔を試着室から引っ込める。代償(だいしよう)に少し機嫌を損ねてしまったが。後で何とかして機嫌をとるか。

 もんぷちが着替えを終え、試着室から出てくる。もんぷちの持っている籠(かご)にはたくさんの服が詰まっている。もちろんその中にミニスカートは無い。そして、もんぷちはムスっとした表情でその籠(かご)を俺に突き出した。

「買って来て…………」

 こりゃいけない、予想以上に機嫌を損ねてしまっていたらしい。

 本気でキレてるよ。この状況で、『だが、断る』とか言ったら猫パンチとかされるのかな? そんな冗談を言っている場合では無いのだけど…………。

 当然、俺に断るという選択肢は無く、渋々(しぶしぶ)その籠(かご)を受け取ることにした。

「この籠(かご)に入っているのは服だけ。下着は入っていない。だから、俺が買いに行っても大丈夫。ノープロブレム」

 一度強く頷き、レジカウンターへ直行。一秒でも早くここから出たいから。さっき下着を買った時とは違う女性の店員が服に付いているバーコードを読み取って、金額が表示されていく。

「あのぅ…………」

 何故(なぜ)か、俺は店員に話しかけられた。

 店員はバーコードを読み取る動作を止め、俺をじっと見ている。

 顔に何か付いているのであろうか? 

 自分の顔を触ってみるがそんな要素は何一つ無かった。

「な、なんですか?」

「これって…………」

「えっ?」

 俺は店員の持っているものを見る。案の定、それは下着だった。しかも、黒でエロさを満々感じさせるやつだ。

 くそぅ、アイツはどんだけ黒の下着が買いたいんだよっ! 嫌がらせか? 俺への羞恥(しゆうち)プレイなのか? 急いで周りを見渡すが、もんぷちは姿はどこにも無かった。

「で、これって…………」

 女性店員の視線が痛い。そして、周りの客からのも。もう俺には逃げ場が無かった。まさに四面楚歌(しめんそか)。やったぁ、これで一生、四面楚歌(しめんそか)という古事を忘れそうにないや。俺は真っ白になった頭で精一杯の言い訳をした。

「ち、違うんです! これは、その…………ただの布ですっ!」

   ※8

 

 はぁー、災難だった。俺の隣には買ったばかりの服――両肩が出ていて白を基調としたオフショルダーのシャツとデニムパンツに着替え、帽子はキャスケットを被(かぶ)ったもんぷちがいる。さっきの言い訳は我ながらあっぱれなものだった。あの後なんとか、変態さんレッテルを貼られずに済んだのは、俺とレジ店員のやりとりを聞きつけた他の店員――俺ともんぷちが一緒に下着を買ったときの女性店員が俺がもんぷちといたことをレジの店員に説明して、事なきを終えたからだ。

 久々に、人は助け合って生きているということを改めて感じさせられた。他の店員が何故(なぜ)か、しばらく説明するのに躊躇(ためら)っていたことは気にしないでおこう。

 無実は証明できたとはいえ、もんぷちの機嫌は悪いままであった。

「なぁ、もんぷち。買い物も済ませたことだし、どっかに遊びに行くか? 確か、このビルの向かいにはゲーセンがあるはずなんだけど」

 俺がそう言うともんぷちはフンっとそっぽを向き、一人で勝手にエスカレーターに乗ると、一階に向かってしまった。

 なんだかんだで、結構楽しんでいるのかな? ま、ゲーセンで何とか挽回(ばんかい)してみせる。 ギュッと握った拳にそう誓い、もんぷちの後を追った。

   ※9

 

 俺ともんぷちがいたビルの向かいに建つゲームセンター。そこもさっきまでいたファッションビル同様、大型店である。基本、この通りにはそのような店しか無い。だから、この通りに来れば大抵なんでも揃う。

 もちろん、こういうのは便利でいいが、何か悲しい気がする。人情味(にんじようみ)のある雰囲気(ふんいき)が無いというか、まぁ、簡単に言うと人と人との繋がりが減った。こう思うということは、未だに俺はそういう繋がりに憧れているのかもしれない。

 普通の高校生ならそんなことは思ったりしないだって? そうかもね。その通りだよ。 もしかしたら、この地に引っ越してくる前の風景が懐かしいだけなのかもしれない。まぁ、今はそんなことはいい。とりあえず、もんぷちとゲーセンに入ろう。

 ゲーセンの中は至る所のゲーム機から大音量で音が流れ出ていた。もんぷちは瞳(め)を輝かせ、店内を見回している。どうやらお気に召してもらえたようだ。もんぷちは懇願(こんがん)するように俺を見つめる。仕方のないやつである。

「いいよ。行きたいところに行って」

 うんっ、と頷いて、もんぷちは嬉しそうにゲーセンの中をまるで探検するかのごとく歩き出した。

 それにしても、さっきの上目遣での懇願(こんがん)は反則だ。不覚にも、ドキッとしてしまった。服装ももんぷちの細いスタイルに合っていて、それなりに、いや、結構似合っていて可愛い。

 普段から食べ過ぎさせないようにしていたことが良かったのかも。食事だけは母に任せていなくて良かった。多分、過保護な母なら間違いなくもんぷちはぽっちゃりしていたはずだ。これからも、もんぷちの食事権利は俺のままにしてもらおう。と、そこで、もんぷちが呼んでいる声が聞こえた。もんぷちは目前のゲーム機を指差していた。

「こ、これ…………」

 指差す先にあるのは、クレーンゲーム。ケースの中には頭でっかちの猫のぬいぐるみが入っている。

 同族意識かっ! っと、心の中でツッコミを入れ、彼女を見やる。

 ゲーム機を指差しているものの肝心の一言が出ないらしい。そういうのは無しにしてもらえると嬉しいんだが。 

「いいよ。やろうか」

 俺は、百円をクレーンゲームに滑り込ませるように華麗に投入。クレーンが作動し、もんぷちは細い指を使い不慣れな手つきで操作する。

 当然、一回、二回、三回……と失敗していく。

 まぁ、生まれて初めてなんだし仕方ないと最初は思っていたけど…………流石(さすが)に今ので一七回目。1700円の投資。ある人はクレーンゲームのことを『貯金箱』と言うらしい。たった今、身をもって経験した。全くその通りである。しかし、一回やるごとに変わっていくもんぷちの表情への投資だと思えば、こんな憎たらしいゲームも可愛く思えてくる。

 ごめん、百円玉達。ありがとう、クレーンゲーム。

「うぅぅぅぅ、とれないぃ~」

 もんぷちは半ば泣きそうな表情になってクレーンゲームのケースをむぅーっと睨みつけている。仕方ない、そろそろ俺の出番と行くか。

「ほら、俺がとってやるよ」

 もんぷちと交代し、百円を投入。そして、見事に景品である猫のぬいぐるみをゲットした。我ながら、華麗(かれい)な手さばきだったと思う。実はこういう感覚的なものが得意だったりする。しかし、例(ため)しに一度、感覚で数学のテストもやってみたことがあったが、その時は全て不正解の0点だった。甘くないね、高校数学は。

「ほれ」

 俺は景品のぬいぐるみをもんぷちに渡した。

「御主人様、ありがとにゃんっ♪」

 もんぷちはぬいぐるみに顔を埋めてみたり、頬ですりすり擦(こす)らせてみたり、かなり気に入ったらしい。

 ったく、本当にこいつの笑顔は、なんつーか、この表現しか見当たらないけど可愛い…………。猫だけどさ。

 俺はケータイを開いて、時間を確認する。時刻は五時を少し過ぎたところだった。春の空はもう夕日が出始めている。

「そろそろ、帰るか?」

「うんっ!」

 俺ともんぷちはゲーセンを出て、家路を辿ることにした。

 今日はもんぷちと距離が縮まったと思う。明日はもっと縮まるだろうか、それとも喧嘩(けんか)して離れてしまうだろうか。俺は予言者ではないから分からないけど、前者であって欲しいと願う。明日はなるべく、学校から早く帰ってこられるようにしよう…………。

 帰路の途中。と言うより、既に家の前なので、ほぼ着いたと同じなのだが。しかし、もんぷちは家に入ろうとしなかった。視線の向きから察するにどうやら、不気味な御寺の方向を見ているらしい。俺はもんぷちと視線の先を合わせ、話を振った。

「あの御寺、不気味って噂だよな。まぁ、俺はそんなこと思わないけどさ。もんぷちはどう思う?」

 もんぷちは俺の方を見て――。

「御主人様、今からあそこに言ってみない?」

「い、いいけど…………。でも、その前にこの大きなぬいぐるみを家に置いてからな」

 唐突の提案に少し、不自然さを覚えたが自然と俺は笑っていた。それは、今まで何かを頼む時いつも申し訳なさそうにしていたが、今は違う。やっと、そんな様子が無くなった。もう、主従関係というより、家族という関係に近づいていた。

 俺はもんぷちにそんな印象を抱いた。

「よし、行こう」

 俺は家の玄関の端にぬいぐるみを置き、急いで外へ出た。そして、もんぷちと歩き出す。何故(なぜ)かもんぷちが行きたがる不気味と噂の御寺に。

「じゅうにぃっ、じゅうさんっ、じゅうしっ」

 もんぷちは御寺の石段を一段一段、指で数えるように登っていく。

「よんじゅうよんっ!」

 最後の石段を登り切る。

 本当にこの石段の数は不吉すぎる。無理にでも一段増やすべきだと思うのは俺だけだろうか。もんぷちは不気味な表情をしているカエルの石像へ向かう。もんぷちはカエルの石像に丁寧に手を合わせ終え、数メートル後ろにいる俺の方に振り向いた。

「もう、用は済んだのか? んじゃ、帰らないとな。そろそろみんなが帰ってくる。その前に夕飯の支度をしなきゃだし…………」

 夕日がもんぷちを紅(くれない)に染める。しかし、もんぷちは眩しそうな仕草一つせず、俺を真っ直ぐ見つめた。その表情はどこか悲しげだった。

「ううん、もうお別れだよ…………」

「えっ…………? 今なんて…………」

「もうお別れなの」

 お別れ…………。何を言っているのかまるで掴めない。俺は動揺(どうよう)して、思考が回らなかった。考えようとしても俺の思考がそれを拒んでいるようだった。

「だから、御主人様。お願いだから私の話を聞いて」

「その話、家でもいいだろ。だから、帰ろう。な?」

 これ以上ここに居たくなかったのかもしれない。ここに居ると、もんぷちがどこか遠くに行ってしまいそうな気がしたから。それだけは嫌だ。お別れなんて早すぎる。だって、まだたったの一日しか過ごしていないんだ。

「駄目なの。だから、聞いて。これが最後のお願いだから」

「最後…………なんて言うな」

 俺はもう逃げられないことを確信した。

 もんぷちの瞳(め)が真っ直ぐ見つめている。今まで、こんな表情のもんぷちは見たことが無かった。だから、簡単に決心できたのかもしれない。俺ももんぷちと向き合おうって。

 俺もまっすぐもんぷちを見つめた。

「分かった。聞くよ、もんぷちの話」

 これが今の俺に出来る事…………主人が従者(じゆうしや)に出来る事…………。

「ありがとっ、御主人様っ!」

 そして、すぅーっと息を吸うと、精一杯にもんぷちは思いを伝え始めた――。

「私は御主人様にお礼が言いたいの。だって、そのために人間になったんだから…………。御主人様にはいつも迷惑ばっかりかけてる。私ね、ドヂだからすぐに転んでケガとかしちゃうけど、そんなときはいつも御主人様がケガの手当をしてくれたり、私を守ってくれた…………」

 もんぷちは泣きそうになりながらも、精一杯思いを伝えた――。

「バカだなぁ。そんなこと当たり前なんだよ。御主人様にとってはそれが義務なんだ」

「えへへ…………」

「だから――、だから、それをお礼とは認めない。本当にお礼を言いたいのは俺の方だ。聞いてくれるか、もんぷち?」

 もんぷちは一瞬驚いた表情になったが、すぐに真剣な表情を取り戻して小さく頷いた。そして、俺はゆっくりと話し始める。

「なぁ、もんぷち。ここでのこと覚えているか? もしかしたら、忘れてしまったかもしれない。でも、俺はこのカエルの石像の前で初めてもんぷちがに逢った日のことをはっきりと覚えている。まだ小学生だった俺は転校続きでさ、この街に来たんだ。小学校には通っていたけど、俺には中々友達が出来なかった。当然だよな、何回も転校ばっかりしていた奴が友達の作り方を知っているはず無かったんだから。でも、そんなある日の下校途中。ふと立ち寄ったこの御寺にもんぷちがいたんだ。その時のもんぷちは酷(ひど)く怯(おび)えていた。弱っていた。俺はその姿に自分を重ねて、居ても立ってもいられなくなった。この猫を絶対に自分と同じ様にはしたくないって――。でも、いつも思うんだ、あの時、もし、出逢ってなければ今の俺はないだろうなって。最初、俺はもんぷちを守る気持ちで飼い始めたんだけど、実際は守るどころか守られてばかりだ。もんぷちが初めて俺の友達になってくれた。もんぷちが…………笑顔を取り戻させてくれたんだ」

 俺は間を置いて、深呼吸し、そして――。

「本当にありがとな、もんぷち。感謝してる」

 また泣かせてしまった。

 まったく、俺は本当に主人失格だ。

 もんぷちは自分の涙を拭(ぬぐ)うけど、止めどなく溢れている。

 バカ、くそぅ、もんぷちが泣いているところ見てるとこっちまで泣きそうになるじゃないか。俺まで泣いたらお別れなんて出来やしない。

 そんな別れ方、したくない。

 俺は我慢できなくなり、もんぷちに背を向けて目を逸らしてしまった。無言の静寂(せいじやく)だと本当に我慢できなくなりそうだったから、俺は一人、呟いた。

「でもさ、これでまた日常に戻るってやつだな。もんぷちが猫に戻ってさ。でも、今日のことは絶対に忘れない。だって、飼っている猫が人間になったんだぞ? しかも、こんな美少女に。忘れろって言われても、忘れられるわけ無いよな。だから、今日はすげー楽しかった。また人間になったら、今度はゲーセンじゃなくて、映画館や隣町のショッピングセンターにも行こう」

 果たして泣き止んだのだろうか。それとも俺のせいで余計に涙が止まらなくなってしまっただろうか。俺には振り向く勇気が無いから分からない。でも、大事なときに一歩が踏み出せない男は最低だ。だから――後悔しないように、精一杯、勇気を振り絞って言いたいことがある。いや、言わなきゃいけないことがある――。俺が必死に、言葉を紡(つむ)いで振り向こうとした時。

「御主人様、こっち向いて」

 今までの緊張は解けて、その言葉に引っ張られるように振り返った。何時(いつ)だってそうだ、俺は何も出来やしない。何時(いつ)だって、背中を押してもらわないと進めないんだ。

「御主人様っ! だ~いすきにゃんっ♪」

 ふわり、と唇(くちびる)に何かが触れる感触がする。もんぷちは俺にそっとキスをした。もんぷちはそのままの勢いで抱きついてくる。俺はもんぷちを強く抱きしめてやりたかった。だけど――いきなり、足下がおぼつかなくなった。何故(なぜ)か、身体のバランスがとれなくなり、ぶるぶると震える。だんだん意識も朦朧(もうろう)としてきた。

 失神――。

 何でだよ、これがお別れって事なのか? 

 このまま何も言えないお別れは嫌だ。例(たと)え、身体に力は入らなくとも言葉だけは…………。言葉だけはもんぷちに届けなければいけない。

 半ば、感覚を失いつつもその言葉の為に力を振り絞り、もんぷちの耳元で呟いた。

「…………俺もだよ…………」

 これが限界だった。

 今になってだけど、もんぷちが人間になったことは全部このカエルの石像のおかげだったのかもしれない。俺は意識が闇に落ちて行く途中、目前のカエルの石像を見て、ふとそう思った…………。

   ※10

 

日曜日の朝。

一般高校生にとっては至福の一日であり、同時に再び明日から学校が始まるということに怯(おび)えつつも無駄に時間を過ごしてしまう。

 俺もその内の一人。

 今は午前の十時。

 いつも通りの時刻だ。もちろん、日曜日のだけど。平日だったら完全に完璧に遅刻タイムだ。俺はベッドから起き上がると、俺の部屋には一匹の来客がいた。飼い猫である。実は密(ひそ)かにもんぷちと呼んでいたりするけど…………。

「おはよう、もんぷち。いつも早起きだな」

 にゃ~んといつものように陽気な挨拶(あいさつ)を返してくれた。見ると、もんぷちは家(うち)の中では見覚えのない、不自然なほど頭でっかちな猫のぬいぐるみをころころ転がして遊んでいる。どうせ、あの過保護な母が買って来たのだろう。

 俺はベッドから立ち上がろうとすると視界に見覚えのない物が入った。

 んん? これって…………。机の上には何やら奇怪な黒い封筒がある…………。

 まさか、これが噂の『不幸の手紙』なのか? 

 俺は封筒の中の手紙を見る。真っ白な紙に一行だけ文が綴(つづ)ってあった。

 

『御主人様っ! だ~いすきにゃんっ♪』

 覚えのない言葉だけど、俺は何故(なぜ)か泣いていた。

 本当に気づかない内に。

 だけど、その涙は悲しくもあり、嬉しくもあった。

「『不幸の手紙』……本当に噂通りだな。でも、何で俺、泣いているんだろう。御主人様ってなんだよ。ったく、俺はそんなリア充じゃないっつーの。…………はぁ、顔でも洗ってくるか」 

 顔を洗いに部屋から出たとき、もんぷちの居るところに人間、それも、かなり美少女が見えた気がした。それは一瞬のことだったけど、どこかで見覚えのある少女だった…………。

 
 

 
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