「三島こだま。あなたをわたしの執事にしてあげますわ」
「……」
夕日に照らされた気だるい空気を切り裂くように、豪放磊落な言葉が教室中に響き渡った。
掛川のぞみはグレーのブレザーにはちきれんばかりの胸を張ってビシ、と人差し指を目の前に座る一人の男子生徒に向ける。
当の男子生徒――こだまは、まさに「いい加減にしてくれ」という表情とともにため息をついた。
帰りのホームルームが終わった教室には部活動がある者を除き、未だ多くのクラスメイトたちが残っている。そんな彼らの注目を浴びながら、のぞみは己が言葉の絶対性を主張するように、毅然とした態度で立ちはだかっていた。
こだまは手にした教科書をカバンに入れ、無言のまま立ち上がった。
「のぞみさん」
「なにかしら」
「さよなら。また明日」
「あ、あら……」
のぞみを押しのけるようにして立ち去る。真っ直ぐに伸ばしていた指が枯れる様に萎び、虚空を掴んだ。やがてこだまの姿が見えなくなると、のぞみは誰にとも無くため息をついた。
途端、それまで眺めるだけであったクラスの女子数人がのぞみに集まってきた。
「だ、大丈夫ですかお嬢様」
「元気出してください。きっとあいつも興味がないように見せかけてるだけなんです。きっと内心はドキマギしてるんですよ」
「ふふ。ありがとう、みんな」
肩を落とすのぞみを労わるように彼女たちは口々に励ましの言葉を差し出す。心では彼女たちの好意にありがたみを感じている。しかし、のぞみの表情は晴れやかにはならなかった。
のぞみの家庭は、いわゆる「上流階級」と呼ばれるものである。
幼い頃からの躾と生来の人付き合いの良さ、そして他人を思うままに使役する貫禄はまさしく「お嬢様」というステータスを有していた。故に、いままでの学校生活では常にクラスメートの憧れの的であり、人気の中心点に存在し続けている。
のぞみの雰囲気に押されて遠巻きに眺めるだけの者たちですら、のぞみの方から話しかければその人付き合いよさから打ち解けることができた。県内随一の進学校と名高いこの学校においても、それは変わることはなかった。
ただ一人――こだまを除いて。
クラスの中で唯一のぞみにまったく興味を持たず、それどころかクラスにすら馴染もうともせずに浮いてしまっている。試しにこちらから話しかけても必要最小限の会話しかしない。
仲が悪いわけではなく、ただ良くなろうとしない関係。
それはのぞみにとっては初めて味わう「拒否」という感覚であった。そんな感覚を与えたこだまに、のぞみは興味を抱いたのだった。
「けど、こうまで反応がないと……ね」
これまでにもいくつか試してみた。話しかけるだけでなく、行事で一緒の仕事をしてみたり、学食で一緒に昼食をとってみたり、餌付けを試みてみたり。しかし、ただの一度も成功することがなかった。
ならばと強気に出て、「執事にしてやる」宣言に至っているわけであるが、それすらもけんもほろろな有様であった。
ここまでくると、すでに彼女が手を尽くしてなんとかなる相手ではないのかもしれない。
「大丈夫ですよお嬢様」
弱気になった彼女を支えるように、ショートカットの髪を揺らした、小柄な女子生徒がのぞみの前に躍り出る。
のぞみのクラスメートであり、自称「のぞみの一番のしもべ」である浜松ひかりであった。
「こだま君がさっきなんて言ったか覚えてます?」
「さっき?」
そう言われて想起する。とはいっても、こだまが言った言葉などただひとつしかない。
「さよなら、また明日……と、言ってたわね」
「そうですよ。本当にお嬢様が嫌いならそんなこと言わずに無視ですよ無視」
「……そうね、そうよね。ということは」
「脈はあるということですよ」
そう言ってひかりはのぞみの手を両手で包みこんだ。
ほのかな温もりに励まされ、のぞみは顔を上げた。
「ありがとうひかり。なんだか力が湧いてきましたわ」
「それはよかったです。じゃあ……」
ひかりは握っていた手を離し、なにやらポケットをごそごそと漁りだした。そして、一冊の文庫サイズの本を取り出す。
それは執事の主人公がヒロインのお嬢様にこき使われたり、トラブルに巻き込まれるという内容の、ライトノベルであった。
「どうぞ。これ、このあいだの続きです。ぜひ読んでください」
「あら、ありがとう。助かるわ」
「なんのなんの。お嬢様のためならお安い御用です。それに……」
左手を口に添え、ひかりはささやくように近づく。それを聞こうとのぞみはひかりの身長にあわせて少し屈み、耳をそば立てた。
「この巻はお嬢様のための、いいヒントになるものかと」
「まあ、それは楽しみね」
「ですです。うふふ」
「うふふ……」
顔をそろえて笑い合う二人。それをすぐそばで見つめるクラスメートたちは、声をそろえて囁いた。
「お嬢様って、あんなキャラだったっけ」
「さあ……。ひかりと付き合ってからしか知らないから」
「まあ、おもしろいからいいけどね。お嬢様って着飾ってるところあるけど天然だし、案外あれが素なのかも」
周りの言葉を知ってか知らずか、のぞみは文庫本を自分の机にかけたカバンに入れると、嬉々として彼女たちに声をかけるのだった。
「さあみんな、一緒に帰りましょうか」
帰宅してからずっと、のぞみは部屋にこもって本を読んでいた。それはさきほどひかりから受け取ったライトノベルである。
ストーリーの登場人物であるお嬢様は今、主人公の執事を「ペット」として扱っているところであった。
「はぁ……」
溜息がこぼれる。自分もこれぐらいはっちゃけることができればいいのに。
扉をノックする音が響いた。あわててのぞみは本を引き出しにしまい、代わりに脇に広げていた参考書を持ってくる。
「のぞみ、入るぞ」
「お父様?いいですわよ」
厳つい男性の声と共に、扉が開かれる。口髭を立派に生やした人物である。
のぞみはいかにも勉強をしていた風に参考書を閉じると、立ち上がって父親と向かい合った。
「ああ、勉強中だったか。すまなかった」
「いえ、ちょうど区切りがいいところですわ。なにかご用でも?」
「大したことはないさ。今日はまだ姿を見てないなと思ってね」
「まあ、寂しがり屋さんなんですね」
「娘にそう言われてしまうと立つ瀬がないな。あとで紅茶でもいれるように母さんに言っておくよ」
「ありがとうお父様。でも、ご遠慮いたしますわ。今日の復習をあとすこしだけやったら、もう寝てしまうつもりですから」
「む、そうか。じゃあがんばるんだぞ」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみ」
そう言ってのぞみの父親は部屋を出ていった。のぞみは足音が遠ざかるのを確認すると、再び引き出しから文庫本を取り出すと、参考書を脇にずらした。
ふと、隣に設置した本棚を見る。政治学や経済学等、どこもかしこも高等な内容をした、いわゆる「固い」本で埋め尽くされている。
のぞみが今開いている文庫本のようなものは一つもなく、入り込む隙などなさそうな様相である。
幼い頃から勉強をした。父親の期待に応えるように。
人付き合いも頻繁に行った。周囲の期待に応えるように。
その結果として回りから「お嬢様」と呼ばれて好かれているものの、のぞみはいまひとつ物足りなさを感じていた。
「……おもしろくない」
文庫本に見入る。相変わらず主人公の執事はヒロインのお嬢様にペット扱いされていた。
「わたしもお嬢様なんだけどなぁ」
文庫本を閉じ、カバンに押し込む。そのままベットに飛び込むと、頭から毛布をかぶった。そのまま、のぞみは深く想像の中へと沈み込む。
こだまを自分のものにすることができれば、少しはおもしろくなるのだろうか。
のぞみは想像のなかで、ひたすらにこだまをペットとして扱い続けるのだった。
†
「三島こだま」
朝一番、ホームルームが始まる前の騒がしい日常を切り裂くように、凛とした声が響いた。
教室中の生徒たちが目を向ける。しかし、それは彼らにとってある意味風物詩のようなものだろうか。数人の生徒たちーーひかりをはじめとした、彼女の取り巻きたちーーを除いて、すぐに自分たちの会話や作業へと戻っていった。
そして指名された当のこだまはというと、いつものとおり「いい加減にしてくれ」といわんばかりに顔をしかめ、ため息をついた。
のぞみがびし、と人差し指をこだまへと指し示す。
「あなたを……」
「あのさあ、のぞみさん」
「はい?」
「そろそろ止めてくれない?」
「え……」
伸ばした指がぴくり、と震える。背筋を冷たいものが逆流し、脳天へと突き抜ける感覚が走った。
「執事ごっこだかなんだか知らないけど、毎回毎回付き合わされる身としてはいい迷惑なんだよ。わかってる?」
「え……あ……」
予想していなかったわけではない。だが、急に面と言われてしまい、のぞみは声を発することさえままならなくなってしまった。
「クラスから浮いてるというのは自分でもわかってるさ。でも、俺はこれでいいんだ。無理にかまってもらわなくても、俺は満足してるんだよ。だからさ……」
いつにないこだまの剣幕に教室中が二人へと向き直った。視線がいくつも突き刺さる中、のぞみにとって一番痛い言葉が突き刺さる。
「もうかまわないでくれるかな」
「…………」
のぞみは顔を伏せた。その両手は力なく垂れ下がっている。
「お嬢様!」
今まで見守っているだけであったひかりがのぞみに駆け寄った。その手がのぞみの肩にかけられる。
だが、その直後にのぞみはかけられた手を握り返した。
「大丈夫よ、ひかり」
「お嬢様、でも」
「ちょっと狼狽えてしまいましたけど、大丈夫」
握り返す手は微かに震えている。
しかし、のぞみはつないだ手を離すと、今一度肩から指までをまっすぐに伸ばし、こだまへと繋いだ。
「わかりました。執事がだめというなら、あきらめましょう」
大きな胸をそらし、傲岸不遜な態度で言い放つ。その言葉とは裏腹な姿にこだまは眉をひそめ、のぞみの言葉を待った。
「なら、三島こだま」
実を言うと、のぞみはいまだに動揺している。今も気丈に振舞っているのはそれを他人に気づかれないようにという、生来のプライドによるものが大きい。
それにあわせて、彼女の脳裏には例のライトノベルが浮かんでいた。
小説の中のヒロインは実に楽しそうであった。なら、自分も……。
そして、のぞみは自信満々で言い放った。
「このわたしをペットにさせてあげますわ!」
沈黙が教室を支配した。
「……え」
「……は」
こだまとひかりが同時につぶやく。
そしてのぞみは、なおも仁王立ちでこだまを差し続けていた。
「いま、お嬢様なんて言った?」
「わたしをペット……って?わたしのじゃないの?」
しばらくして、そこかしこからささやき声が歩き出した。それに触発されたかのようにひかりは我にかえり、のぞみの腕をつかんだ。
「お、おおおお嬢様、いいい今ご自分がなにをおっしゃったかわかってまます?」
「え?」
ひかりは強く腕を引かれてきょとん、としているのぞみの顔を見て、確信した。
自分が言い間違いをしていることに気づいていない。
「ああああの、お嬢様ですね。いま……」
「……いいのか?」
「え?」
こだまの声に、のぞみとひかりが振り向く。こだまは少し呆れた顔をしていたが、先ほどのように険しい表情ではなく、むしろ笑みを浮かべているとさえ思える顔つきをしていた。
「もちろんですわ!」
「ちょ、ちょっとお嬢様!」
嬉々として応えるのぞみを抑えようとするひかりだったが、それよりも早くこだまは答えた。
「いいよ、わかった。なってやるよ」
「本当!」
のぞみは大喜びで腕を掴んでいたひかりを抱き込んだ。大きな双球に顔を埋め込まれ、ひかりはそれ以上何も言えなくなってしまう。
驚愕の展開にクラスメートの視線が集まる最中、幸せな感触と共にぐるぐると振り回されるままに思う。
お嬢様が幸せならそれでいいか、と。
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久しぶりに【お約束シーン】を書いてみました。といっても、シーンというよりベタネタ?シリーズ名変えるか……。今回は長くなったので2P構成にしてみました。そしてコミケット81行ってきた人はお疲れ様でした。自分も3日間すべて行ってきましたが、今回は例年より人が少なかったのか移動がスムーズでかなり快適なコミケといった感じでした。また次回もすばらしい創作にであると信じて……!