No.354349

蛇の目

平岩隆さん

横溝正史原作市川昆監督作品角川映画第一弾な和製スプラッタ映画の決定版!
プールでスケキヨごっこやったヤツはアラフォー認定!という呪われた一作「犬神家の一族」!あぁいうものを狙いたい!というわけではなかったのですが。

これは2009年の秋に書いたんですが。
ある方に励まされながら、書き物を進めていまして。

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2011-12-28 22:26:40 投稿 / 全32ページ    総閲覧数:559   閲覧ユーザー数:558

 ①旅路

 

その集落に辿り着くためには、一時間に一本しかないJRの単線に乗り、

降りた駅で、一日一往復しかない村営バスに乗らなければならなかった。

結局のところ、駅前の温泉宿で一泊することとなり、翌日の昼過ぎに出る

バスに乗り込んで、現地に向かうことになってしまった。

真夏の長い日を無駄に過 ごすことになってしまったが、

緑鮮やかな田園風景が心を癒してくれた。

 

翌日の昼過ぎに、バス亭に向かうと、

埃に塗れたマイクロバスが停められていた。

運転手はまだ食事中らしく、しかし、キーを付けたまま、

ドアは開け放たれており中には、行商のおばあさんが二人座り込み、

ちょっと聞いただけではわからない独特の方言で絶え間なく話していた。

 

夏のこの時期、それでも玄戒村に行く道は楽なほうらしい。

冬ともなれば、この地は大量の雪に覆われる。

この辺鄙で貧しい土地にかつて一度だけ、開発と云う名の波が押し寄せた。

 

その大立役者が、当時の県会議員「山本権造」で、

今年は彼の生誕110 周年にあたる。

 

それを記念した「伝記」というか「人物誌」の執筆を依頼されたが

驚いたのは、企画立案者が、当の本人「山本権造」であることだ。

かつてこの地に「帝国」を築き、バブル崩壊と共に消えたとされた男は

生きていたのだ。

そして、齢110 歳を迎えるこの男に、

直にインタビューする機会が与えられたのだ。

バスは駅前のバス亭を出ると、ちょっとした繁華街を抜け、国道に出た。

ここで数人の客が乗り込んだが、住宅街の小学校の前で、降りた。

そこから住宅街を離れ、坂を登ってゆくと川沿いの道に出て、しばらくすると

田園地帯が広がった。

田園地帯を抜けると、山間部に入り、道路は狭くなった。

峠を登りきったところで、時間は2 時間を過ぎていた。

 

峠のバス亭につくと、運転手は「15 分の休憩になります」と告げ

バス亭前の商店にさっさと歩いていってしまった。

行商のおばあさんも此処で降りた。トイレ休憩を済ませ、商店に行くと

運転手は集落への郵便物を、あるじから受け取っていた。

 

峠のバス停からは乗客はひとりだけ。峠を降りると、右側は深い谷になり

眼下にかろうじて川が見えた。やがて大きなダムに差し掛かり、そこで停車。

ダム宛の郵便物を下ろして、バスは走り出す。道は更に勾配を増しくねくねと

曲がりダム湖の畔を走る。

 

幾つかのトンネルを抜けると、いつのまにか更に細くなった道は、まさに

断崖絶壁の縁を走っているようで、深い谷間の底の川は見えなかった。

最後のトンネルを抜けると、そこには谷に架かる大きな鋼鉄製の橋が見え

その橋をバスは渡ってゆく。

この橋が、目的地である旧玄戒村の入り口である。

以前は玄戒村とされていたが、

現在では「平成の大合併」により近隣の町村と合併し

玄戒地区とされ、折からの少子高齢化と、住民の半分以上が高齢者

と云うこともあって“限界村”だの“限界集落”と揶揄されている。

橋を渡ると小さな墓場と消防団の倉庫があり、

細い道を更に進むと、棚田が広がっている。

 

棚田を仰ぎ見ながら、更に進むと民家が見えはじめて。

バスは玄戒地区の中心部に向かう。

民家の間をすりぬけるように走り、終点の「玄戒」に着いた。

中心部といっても、旧玄戒村役場(現田代町役場玄戒地区出張所)と

駐在所や商店が数件軒を連ねてはいるものの、

あまり繁盛しているようには見えない。

「玄戒村グランドホテル」と云う名の民宿が、強いて言えば大きな建物か。

 

この大きな民宿に予約をしていたので、足を向けると、

その前に宿の主と思われる男から声が掛けられた。

「ご予約のお客様ですね?」

どうも、今宵の客は、他に無いようだ。

背の高い細身の初老の主に連れられ、

「グランドホテル」にチェックインした。

 

 

 ②宿のあるじ

 

 

民宿は古びた割には小奇麗に掃除されていて好感が持てた。

それから、二階の部屋に通されて、意外にも随分と豪勢な部屋を

割り当てられた。

「山本権造さまから、特別な配慮をするよう仰せつかってますんで。」

主は、なんとも事務的に話す男で、これは保険のようなものだ、と考え、

この宿の主に、いろいろと話を聞くよう考える。

 

もちろん「山本権造」のインタビューの下調べではあるのだが

インタビューに仮に失敗しても、別なフォローが出来るように。

下手な紀行文以上のものが、この片道三時間を掛けたバス旅行で得ることが

恐らくは出来るだろう、そう踏んだのである。

 

予期しない豪勢な料理でもてなされたあと、この主に話を聞くと

主は、ひとことひとこと、言葉に気をつけながら、話をしてくれた。

「ここいらのものはね、皆、山本って姓ですよ。権造さんは本家で。

私は、分家の市彦といいます。」

 

夕食の後、渓流釣りと野草マニア相手の商売と、

自嘲気味に笑う「グランドホテル」の支配人。

「ここいらぁの・・見ものって云ったってぇ・・バブル崩壊で

みんなぁ潰れてしまいましたからぁねぇ。この宿だって、リゾート計画が

成功することを当て込んで作ったんですがね、

いやぁ、ご覧の通りの閑古鳥で。」

「この村はね、東、北、西側と三方が山に囲まれているでしょ。

南側は玄戒川の深い谷。通ってこられたでしょ、でっかい橋。

アレがなければ完全な孤立集落なんですよ。むかしから。

あ、あの橋もね権造さんが架けてくださったんですよ。

ここいらじゃ権造橋っていわれてます。

アレのできる前は、木造の橋でしたからぁ。」

 

「橋だけじゃないですよ、今は廃校になったけれど、

この向こう、祠の横には小学校があったですよ。

いまはぁ廃校になってますがね。それも権造さんが建てられて。

体育館は個人で寄贈されたんです。」

 

「権造さんのことですか?

いまじゃぁ分家のもんも滅多にお会いできないですよ。

正月にご挨拶に伺うぐらいで。

だってもぉう、権造さんも相当なお歳ですからねぇ。」

 

「昔は凄かったですよ、そりゃぁ。

あん方は、自民党が嫌いでぇ、でも自民党じゃなきゃ

大きな仕事は出来んかった時代でしたからぁ。

無所属で県会に打って出たんですが。」

 

「選挙資金は充分あったですがね。米の力でね。

そしたらカネの匂いにアチラから寄ってきてですよ。

自民党の推薦を勝ち取ったです。」

 

「こん村はねぇ、村のものの半分以上は山本の家のイキがかかってますんで。

いまでも。

バブルのあと、幸造さんがもう少しぃ、頑張ってくれてたらねぇ。

今でも力はあるんだからぁ。」

幸造さん?

「あぁ、権造さんのひとり息子でね。

リゾート開発会社の社長さんやってたんだけどね。

銀行屋と不動産屋に騙されて。

いまじゃ川辺ンちに負けてますが、。」

川辺んち?

主市彦氏の顔色が変わった。

 

「昔っから谷っぷちに住んでいるウチがあってね。

山本の家とは犬猿の仲です。私ら、本家の意向もあって話もせんですけど

ここにきて、町会議員になって。えらい羽振りきかせてましてね。」

そそくさと立ち上がり、余所余所しくなった。

「あぁ、山本本家のほうには、来られたこと連絡しておきましたぁ。

明日の午後1 時に来てください、と。」

そう云い残すと、市彦氏は、仕事に戻った。

 

 

 

 ③一日目

 

昼飯を宿で取った後、山本本家に向かう。

幾つかの蔵を構えた白い壁に覆われた古風な、年季の入った屋敷。

厳めしい空気が漂う、地方有力者の屋敷にふさわしいものだ。

大きな玄関から女中に案内され、明るい広い庭の見える座敷に案内された。

真夏だと言うのに、クーラーなど無い。庭先の林から蝉の声が聞こえる。

三脚に小型ビデオカメラをセットした。

 

しばらくすると、ワイシャツ姿の汗まみれの大柄な男が、

車椅子を押してやってきた。

車椅子に座るのは、色黒のやせ細った黒メガネの小男。

この暑い中、キッチリとスーツを着ていた。

この男が「山本権造」なのか。

 

前調査段階で、バブル期に県会議員として大腕を振っていた頃の

写真やニュースビデオなどは見ていたが、その頃の面影など全く無く

脂っけのすっかり抜けた皺くちゃの坊主頭の、

しかしそれでいて尖った鼻等は、この男が

「山本権造」であるらしい・・雰囲気だけは湛えていた。

 

汗まみれの大柄の男が切り出した。

「父は口内炎が悪化して、今日はぁ、うまぁく話せんのでぇ。

私が、権造さんの通訳をいたしますんでぇ・・。

私ぃ、息子の幸造といいます。よろしく。」

車椅子に乗っているのは、さすがに110 歳の老人である。

その干からびた体が動いていること事態が驚異だ。

「山本権造」は、口をモニョモニョ動かして、挨拶をしてくれた。

それでは、第一日目のインタビューを始めさせていただきます。

まず、生まれてから、兵隊に行かれるまでですが・・。

息子の幸造が、父の言葉を伝える。

「本当の誕生日はぁ、誰ん教えてくれんが、明治34 年4 月29 日。

役場の書類じゃ、そうなってるら。あながち間違っておらんと思う、と。」

 

明治34 年というと、1901 年ですか。子供の頃のことなどお話ください。

「ここはぁ昔ぃから、貧しい土地でな、百姓するしかなかった。

見て解る通り、三方を山に囲まれてさ、もう一方は深い谷だからぁ。

夏は茹だるように暑いが、冬は二階まで雪が積もってな。

長くて寒い冬はさ。百姓はすること決まってっぺ。」

はい?

 

「子作りだ、子作りぃ。布団敷いておっかぁにまたがってよ。

一晩に二度も三度もがんばんだよ。朝が来てもよ雪が積もって

暗いかんよ。やっぱぃ、がんばっぺ。火照ったカラダァ雪に晒して

冷やしてな、雪下ろしして。またぁ日がな、おっかぁと励むんよ。」

はぁ・・

 

「おっかぁの腹ンなかにさ、とつきとうかぁ、いてさ。

だからこの辺のヤツはよ。皆ぁ冬場に生まれてるさ。

権造さんも、ホントは寒い冬に生まれた。10 人兄弟の末っ子で。

役場に行ったのが雪が解けたアト・・ってことさ。」

 

末息子さんだと、大変可愛がられたでしょうね・・

「とんでもね。百姓の末息子は、間引かれたもんさ。

この先の谷から、昔はぁ、はぁ、生まれたばっかの赤子を

川に投げ込んでおったっぺ。おみななら奉公先も考えようだが

こんな田舎じゃ、それもなかった。

よく殺されなかったかと思う、ですと。」

「なんでもな、日照りで農作物が育たんと、皆飢えてな。

見て聞いたわけじゃないが、年寄りをな、神様に捧げて喰っちまった。

なんてハナシも聞いた、と。

権造さんも知らずにぃ、そりを口にしたかぁわからん、と。

そんな土地だったんだ、ここは。」

 

「食うや食わずの日々で。雑草や、野鼠まで喰った、と。

川に魚取りに下って行っても、滑って落ちて死んだもんもおったって。

ある年、スペインの風邪が来て、男ん兄弟達ゃ皆死んでしまった。

ずっと、この土地で、百姓しながら。

40 過ぎるまで、来る日も来る日も。

来る年も来る年も。

女房も娶らず。

ここん土にしがみついてぇ。

米を作り続けて。

戦争が始まると軍隊がなけなしの米を持って行った。」

 

「その戦争も末期になると、

中年だった権造さんにも召集令状が来て。

ここがあんまり酷い土地だったかん、

権造さんはむしろ喜んで軍隊に行った、と。

軍隊に入れば、メシが喰えるから。」

 

「それまでぇ、他にしたことも無いからぁ、野良仕事なぁ。

軍隊では働きもんとして重宝がられた、と。

軍隊が気にいって休みにも帰らんと・・帰って来たくなかった。」

「ガダルカナル島でのジャングルで。地獄を見た。と。」

ムニャムニャ話す、山本権造は、最初の嗚咽をあげた。

息子の幸造は、父親をなだめすかし、落ち着かせた。

女中を呼び、茶のおかわりが振舞われた。

 

「弾薬も食料も無く、敵に怯えて、ジャングルに殺されてくんだ、と。

部隊で生き残った二人だけで逃げてく最中に、

でっけぇ大蛇に襲われてぇ

もう片方が、大蛇に飲まれていくのを、

隠れて見ておったってぇ。」

 

身の毛が総立ちで、逃げるなんて出来んで。

人間ひとり飲み込んだ大蛇と目が会ぅた瞬間、ダメだ、覚悟決めた、と。」

「そんときぃ、思ぅたってぇ。ヘビさまぁ、助けてくれたって。」

ヘビさま?

 

「あぁ、ここん部落に昔から奉ってある神様さ、白ヘビさまよ。」

山本権造は、涙を流し、手を合わせた。

深く、頭をもたげると、元の姿勢に戻った。

「きっと、白ヘビさまぁ、護ってくれたんだよぉ。

権造さんをじっと睨みつけて、でも大蛇はジャングルに消えていった、と。」

 

幸造は、をひをひと泣き崩れる父権造の肩を抱いて。

「今日は、ここまで。」

そう告げると、息子の幸造は、玄関に追い立てた。

 

 

 ④二日目

 

 

朝食のときに市彦氏から、やはり午後の一時に来るようにとの

メッセージを受け取った。

健康的な朝を迎えると、午後に予定された今日のインタビューの前に

前日の話しで出た白ヘビさまの祠を見に行った。

丁度、月次の祭りが執り行われていた。

それは小さな祠だったが、20 人ほどの村の人たちが集っていた。

 

皆、神妙な表情で祭祀を執り行っていたが、どことなく他の神事とは違う

様相を呈していた。儀式が終わり、神職に尋ねる機会を得た。

「こちらの神様というのはそれはもう大変古い神様でね。」

「神様というのは、神道の世界では二種類いるわけですよ。

天から遣わされた神様とそれ以前から大地におわした神様と。」

 

天神地祇・・という・・?

「その例えで云うなら、地祇の方ですな。

太古の昔よりヘビの姿を借りて、この大地を支配しておられた神様です。

ですから通常の神事とは違って、ここ独自の奉り方がありまして、

それが奇異に思われる所以でしょうね。

常に頭を下げつづけながらの作法というのは。」

 

地を這うヘビより頭を下げるというか・・

 

「まさしくそのとおり。」

 

「たいへん霊験あらたかとでもいいましょうか。おちからの強い神様でね。」

山本家の代々の宗教なのですか?

「いや、山本さんは家はここの神様の守役を任されたお家柄なのです。」

 

 

昨日同様、スーツに身を固めた「山本権造」のネクタイは、

今日は黄色だった。

小顔の割りに随分と大きな黒メガネをかけているせいか

どうも生気を感じないのは・・唇のいろが悪いのだ、と気付いた。

なんともどす黒く変色しているような、しかし高齢者。

それもありえることなのかもしれない。

 

それでは二日目のインタビューを始めさせていただきます。

昨日は、戦中までの貴重なお話をお聞かせいただきました。

今日は戦後、復員後からのお話をお願いいたします。

 

例によって、小声でムニャムニャ話す山本権造の言葉を

息子の幸造が伝える形式である。

「戦後、復員してきた、といっても人よりはだいぶ遅くなってさ。

品川の波止場についても、すぐには帰りたくなかった、と。

東京でぶらぶらして。3 年ほどしてから、ここに帰ってきたってさ。」

山本権造は、表情を変えなかったが、鼻を鳴らした。

「最初の連合いには、気の毒なことした、と。」

最初の奥様ですね、東京でお知り合いになった・・。

 

「所詮、血の問題です、と。」

血の問題?といいますと・・?

幸造が、権造に問い直すと、権造は幸造をジロリと睨みをきかせて

ひとことムニャムニャ云った。ひとことずつ云っているらしい。

 

「不思議な血統のハナシなんですが。」

「夢を見た、と。・・ここの。そして、家族の。」

「どうしても帰ってこなければならない、気分にさせた。」

「最初の連れ合いは。ここには来たくない、と。」

「仕方の無いこと。無理矢理連れて来てもな、

で、敢え無くひとりで帰ってきた、と。」

 

 

はぁ、どういった夢だったのですか?

 

「いやなぁ夢だった、と。男ん兄弟が皆死んでしまって。」

「女どもが、必死に田植えしても、たかが知れておって。」

「どこからか知れん男が入ってきて、この地が穢されて。」

「この地を守らんといかん・・そうゆ、夢を見たんだってさ。」

「でぇ、戻ってみたらぁ、そのとおりになっていた・・と。」

まるで、白ヘビさまが御呼びになったような・・・。

山本権造は、深く静かにコウベを垂れた。

 

「戻ってみたら、田んぼは荒れ放題で、

ばあさまとおんなのモンが3 人しか居らんで。

他所から来た男共が、土地ぃとおんなぁ狙っていた。

権造さんが還ると、次第にいなくなった。

どうも川辺ん家が、噛んでおったらしいがァ。」

ビデオのテープチェンジを行なう時間が来た。

 

 

 

 ⑤二日目テープチェンジの後。

 

すみません、テープを変えさせていただきました。

さて、東京時代に知り合った、後に農業指導員となられた林三朗さんについて

お聞きしたいのですが。

大ヒット商品となりましたブランド米ヒメゴコロの

産みの親として知られておりますが?

 

「三朗さんは、ようやってくれた。

権造さん・・知り合ったのは、まだ三朗さん、東大の学生のときで

狭いところでも、豊かに育つ、しかもおいしい米の開発をしていたんだ、と。」

「親子ほども歳が違うが、三朗さんも天涯孤独な人だったから、のちのち

ここに来てくれた。」

 

「あん人のォ、研究テーマにあった土地だったんだァな。

むこうの新潟県でコシヒカリぃ、有名になったろ。

あん人にはぁ、そんなぁ焦りもあったんだろな。

とにかく長いこと尽力してくれた。

しかっし、あんなぁことになっちまって・・。」

ヘビに噛まれて亡くなった、と聞いておりますが。

幸造は、権造の顔色を伺って、耳打ちをされる。

 

「人間、こころとからだは別ものよ。

所詮、他所んちのもんは、ここの水にはあわんのよ。

ヘビの毒にあたって、からだは、死んでもさ、こころはいまもここで生きておる。

そう云ってます、権造さん。」

「三朗さんを病院に運ぼうとしたけどもさ、

ここに通じる道がなかったっぺ。」

「いろいろ、介抱したけっともォ。残念なことになった。と。」

 

三朗さんの件で、この土地にも整えられた道路を作らねば

それが、政界への進出の原動力となった、と伺っておりますが。

「それだけじゃねェ。ほかにもいろんな問題があった。

部落差別の問題?治水事業の問題?農協が恐れて手も出せんかった問題?

いろいろあってさぁ・・。

んまぁ、表向きはさぁ、<ヒメゴコロを全国に!>

って、ことさぁ。」

 

「ここはぁ、こんな山奥だからぁ、誰も見向きもしないのよォ。

ここらの農民はさぁ、戦後復興にもオリンピックにも

田中角栄の列島改造論にも乗り遅れたんだわ。」

 

「アイツぁ、自分のところばかり、道路作ってぇ、ダム作ってぇ、

新幹線まで引いたのにさ。山っこ、ひっとつ跨いだここいら辺りのことぁ、

見向きもしなかったっぺ!お陰でよ日本で一番の極貧の県でさ。

そのなかでも一番の極貧の地区にされてさぁ。」

 

「田中角栄、云うたらぁよ、アレん残した言葉があってっぺぇ。

“約束したら、必ず果たせ。できない約束はするな。

ヘビの生殺しはするな。借りた金は忘れるな。貸した金は忘れろ“ってヤツ。

ありゃぁ、自戒の句ですよォ。本人が守れんかったっぺ。

ここいらのもんは皆ぁ、生殺しにされたっぺぇ。」

 

「信じられんだろ、ここいらぁ昭和の末期まで戦後のままだったんさぁ。

三朗さんのお陰でさぁ、ヒメゴコロがモノになったから、良かったモンで

それもなけりゃぁ、銭がこの田舎まで回っちゃァこんかったっぺ。」

 

 

1970 年代後半から村議会、80 を超えての御高齢ながら、

県議会に出られました。

山本権造はニヤニヤ笑い出した。幸造ももらい笑いしている。

「・・え?私が生まれたからだ、と云ってますわぁ」

「お恥ずかしながら、還暦過ぎて、銭が回ってきて、

嫁も世話してくれる人が出てきて。初めて我が子を持って。

考えてもみれば、ようやくそのころになって、そのぐらいの余裕が持てた。

その前の半生などは、働き詰めで、食うや食わずだったしねぇ。」

 

奥様とは30 歳ほど違うとお聞きしてますが。

「恥ずかしながら、そういう風の吹き方だったんでしょ。

と云ってますな。」

権造は、モニョモニョと口を動かすと、幸造は笑った。

「私ンために、ひとはな咲かせンと、思ぅて?」

 

「それまでぇ、わたしら農民の味方の振りして、

散々借金で苦しめてきた農協への怨み辛みもあってでしょ。

ヒメゴコロで銭が回ったら、急にヘラヘラしよってでしょ。

余所じゃ、減反じゃ云うててもですよ、ヒメゴコロは別格でしたから。」

 

減反政策に反対だった?

「いやぁ、売れるものは、たくさん作って、高く売らなきゃダメでしょ。

農協はそういうんで。この際、銭のあるうちに農協を利用してやろうって

権造さん、考えてですよ。」

 

「権造さんはね。ヒメゴコロの等級を作ったんだ。

三等級は、ダムの周りの田んぼ。二等級は川向こうの田んぼ。

此処、玄戒のものだけが一等級。味も全然違う。二等級、三等級は増産です。

逆にここの一等級はブランド維持のために減反です。

ここのもんと、ここを訪れたひとたちと、極限られたルートのお方にしか

本物のヒメゴコロ一等級は、出していませんって。」

 

 

山本権造は、ムニャムニャ得意気な顔をして小声で伝えて。

「権造さんが言うには、私ん知らんかったですよォ、なんでも東京から

宮内庁の役人が出張ってきて?

どうしてもヒメゴコロ一等級分けてくれぃ、と?

天皇陛下が召し上がるなら、云うて分けてあげたそうでさ。」

上機嫌な権造は、幸造に右手を振ると。

「今日は、ここまで。」

そう告げると、息子の幸造は、玄関に追い立てた。

 

 

 ⑥三日目

 

時は、竹下政権下、バブル経済も肥大化し、金満日本といわれた時代。

「ふるさと創生」の名の下に、地域活性化のため、地方自治体に

一億円が分け与えられた頃。

齢80 を超えた山本権造は、その名を天下に轟かせていた。

 

有名ブランド米ヒメゴコロを背景にした巨万の富を手にしたこの男は

社会的名声を使い、この土地の活性化のために、道路、いくつもの治水ダム

電力設備、学校、公園、病院などなど、ありとあらゆるものをこの辺境の地に

もたらした。それまで、痛し痒しな存在であった農協すら、独立させた。

その暴君振りは「ミニ田中角栄」とか「オラが村の角栄先生」とか。

総じてこの土地を「ゴンゾウ帝国」と云われるまでに急拡大した。

 

山岳部の入り口にはあらたな住宅地が建ち並び、住民も増えた。

除雪車も整備され冬場もバスが運行するようになった。

寄宿を余儀なくされていた子供達も家から学校に通えるようになった。

既に老朽化していた部落の入り口に架かる橋は、新たに架け替えられ

人々は、口々に“権造橋“と呼んだ。

しかし。山本権造の眼は違うところに向いていた。

 

山をふたつ、みっつ越えた隣の村には、大掛かりなスキー場が整備され

シーズンともなれば新幹線の駅からはシャトルバスが運行し

大勢の客で賑わった。シーズンオフでも温泉目当ての観光客の誘致に成功し

行楽ブームにも乗って、栄えた。

 

 

世はバブル期。山本権造は、自らの集落にリゾート開発に着手した。

「ヒメゴコロの郷」と名付けられたこのリゾート開発計画は順調に進んだ。

「ヒメゴコロの郷開発公社」の社長には息子の幸造が就任。

若干20 代の若手社長として、当時のマスコミの取材も集中したことも

あったが実権は、やはり山本権造のものであった。

 

様々な人間が、この土地を訪れた。代議士、銀行家、農協、デベロッパー

温泉の掘削屋、テレビ局、イベント屋、コピーライター、などなど。

「銭の匂いに敏感な奴らがさぁ、その匂いに釣られて次から次に、

手を擦りながら来たモンさぁ、

ドイツもコイツもオベッカばっか並べ立ててさ。」

勿論、当然の如く川辺家は反対派として手を挙げたが、

当時の権造の勢いに本気で楯突く者は皆無だった。

 

完成予定図を元にしたミニチュアモデルが作られた。

シャトルバスの運行計画も練られた。

4 つのゲレンデのスキー場、温泉ホテル、

土産物売り場を併設した巨大なシャトルバスターミナルなどなど

「ヒメゴコロの郷」リゾート計画は着々と進み

巨大な掘削機がこの山奥の地に投入され、温泉を掘り当てた。

泉質は、さほどのものではなかったが、分家の市彦はホテルを建てた。

 

その日のインタビューは、荒れた。

幸造氏が、思わずついた悪態に、権造は、激しく激昂したのだ。

そもそもの発端は「ヒメゴコロの郷開発公社」についての話だった。

幸造氏は、自分に全てを任せていれば、あんなことにはならなかった、と

言わんばかりに、「山本権造」ひとり任せの当時の体質を嘆いた。

 

しかし、他の場所でも見れば解るように、ここだけでなく、他の多くの

地方自治体で、町おこしのリゾート建設に乗り出し、バブル崩壊の余波を

受けて、消えていったのだ。まして、金融経験の無い弱冠20 代そこそこの

若い経営者が乗り切れる程の、生易しいものではなかった。

そして、老獪な「山本権造」をしても乗り切れなかった、と見るのが一般的だろう。

 

確かに「ヒメゴコロの郷開発公社」の社長として、矢面に立たされたのは幸造氏で。

多くの同世代の者がそうであるように、その後の人生はバブル崩壊のツケの払い

に費やされてきた。

「権造さんも、しつこかったんだァ、よせばいいのにさ、

開発公社の金のほとんどを株屋に任せっぱなしだったからサぁ!」

 

 

 

昭和天皇の崩御を待っていたかのようにバブル経済がはじけた。

最高値40,000 円近かった日経平均株価は一気に半額以下まで落ち込んだ。

当事証券大手4 社の一角といわれた山一證券は「ヒメゴコロの郷開発公社」

の開発資金の運用ファンドを担っていたのだが、利益はおろか元本の

80%を失っていたのだった。

 

そうなると、自前の農協ですら、手のひらを返した。

すべてが去ってゆく。

若き青年社長は、わずか2 年で消えた。

 

「バブル崩壊で、すべてが終わったデすよォ、すべてがね・・・。

その後はね、なんとかヒメゴコロのお陰で食べてますが・・。」

「すべて終わったデすよォ、白ヘビさまも助けちゃァくれなかった・・。」

と自嘲気味に投げ捨てた時に。

 

「山本権造」が、自ら甲高い声をあげたのだ。

「貴様は何ひとつ、すべきことをしていないじゃないかッ!」

 

突然の発声に驚くのも束の間、「山本権造」は、はちきれそうなほど

血管を浮き上がらせて、手にしていた茶碗を幸造に投げつけた。

「親として、キサンにゃ期待しておったン、裏切りやがってぇ!

こん穀潰しがぁーッ!

挙句ん果てに、川辺に土地売るたぁヨッ!」

 

「山本権造」の黒い顔が赤く変色し、甲高い声が更に高まって。

怒りがおさまったのか、再び、モニョモニョ口を動かし、

こちらを向くと、

「今日は、ここまで。」

玄関に向かわされた。

 

 

 ⑦川辺

 

インタビューを受ける「山本権造」が高齢なこともあって。

また、かなり我が侭な性格もあって、インタビューの時間は限られる。

夜ともなれば、浮いたネオンも何も無い、いやコンビニすらないここでは。

他にすることも無くインタビューのオコシをする。

 

しかしそれとて、元の時間が短いので、たいした時間は要すことは無い。

一応、ビデオを見ながら起こすのであるがなんら変哲の無い絵ヅラで。

ただ、一箇所、気になる絵があった。

 

幸造氏に怒りの声を上げた「山本権造」の口から飛び出した舌が

異常に長いことだ。ただそのときは、画像が乱れていることもあって

たいした気にも留めなかった。

 

翌日、午前中は谷のほうに散歩に行ってみた。

玄戒川まで深く落ち込む断崖絶壁で、ゆえに見晴らしがよかった。

このあたりはいわゆる「川辺んち」のあたりで。

川辺側からみた「山本権造」像というのはどんなものか、というのを

聞いてみたかったこともあって。

 

小川をわたり、滝につながる水路に鯉と金魚等の養殖場がある。

町会議員には会えなかったが、その親類と云う養殖場の初老の男に

話が聞けた。

「オレぇ?議員の惣太郎さんの従兄弟んあたるっぺ。

山本権造ぉ?あれんジジイにはウチはえらい迷惑してきたからなぁ。

ウチは元々、新潟の方にいた家系らしいんだな。アレん爺、てゅうか

山本の家からすると流れモンらしいんだな、ったってぇさぁ、

もう何代も前の話でさ。

ずっと川辺ン家は山本家に小作人としてぇ、虐げられてきたんだっぺ。」

 

 

「バブルのときは、県会議員だったんだ、あのジジイ。

えらい羽振りでな。

でもっさ、所詮田舎爺でさあ、金の使い方が分からんかったみたいだな。」

「あ?ほれぃ、アイツのバカ息子、幸造のさ、母親ってのがさぁ

キチガイになってさ。真冬に素っ裸になって、雪の中、駆けてきてさ。

助けてくれ!って、ウチに飛び込んできたよな。

したらさ、そのあと権造が連れ戻しに来てさ。連れてかれちまったっけ。」

 

「そのあとさぁ、その女房がさ、熊に襲われただか

イノシシに蹴られただか、忘れちまったけどさ、

やっぱり素っ裸でさ、全身の骨が一本残らず、

へし折られて死んでるのが見つかってさぁ。

ありゃぁ折檻されたんだぞ、きっとォ・・」

 

「ほれとさぁ、幸造の嫁ぇ、ありゃぁ下品な女でなぁ。

幸造ってぇのは、バカなんだ、母親に似たのかしれんが。

幸造の嫁は権造がどっかで囲ってたおんなだって話だな。」

 

「で、幸造の息子ってえのがさ、また酷いガキでさ。

目付きは悪いわ、態度はでかいわ、

ガキの頃から田んぼのカエルを飲み込んだとか

鶏の生血を飲んだとか、とにかく気色の悪いガキでなぁ。」

 

「とにかくあのウチはさ、いうなりゃぁ没落貴族だな。

ま、米のヒメゴコロのお陰で経済的には潰れることは無いが、

アソコの人間は気持ちの悪いヤツが多すぎてなぁ、終いだろうよ。」

 

 

「あぁ?そうよ。ここん土地も山本のもんだったが、

幸造がさ、借金抱えてさ。

仕方なしにウチに土地を譲る云ってきてっさ。

アレん、さすがに可哀想だと思ったんで

そりゃそうだろ、幸造だってさ、権造の被害者みたいなもんだもん。」

 

被害者?

「世間一般じゃ、バブルの放蕩息子の成れの果て、

みたいに言われてるんだよ。

ところがぁ、ありゃぁ権造の広げた大風呂敷ぃ、

たたんでいるだけのことさァ。

こっからぁ出て行きゃァ違った人生もあったろうにさ。

そのうえオヤジの囲ってた女と結婚させられて、

出来たガキがアレじゃ。

被害者としか、思えんよねぇ。」

 

 ⑧四日目

 

四日目のインタビューに訪れると、幸造の姿は無く、

女中が権造の車椅子を押していた。

「すまんね、幸造のヤツ、からだぁ悪くして、部屋で臥せってますんでぇ。」

権造は、甲高い声で、顔をくしゃくしゃにして笑って見せた。

肌が乾燥しているのか、ボロボロと顔面の皮膚が白い粉となって落ちる。

「昨日は、くだらんところを見せてしまって、堪忍ねぇ。

重ね重ね、すまんかったねぇ。」

なんとも優しい口調で。

 

「あんたぁ、今朝方・・川辺ン家の方に行っただろ?

んにゃぁ、隠さなくてもいいさぁ。

あれら、碌な話しなかっぺ、ん?“え”のくせぇ、しやがってさ。」

言葉が聞き取れなかったが、権造は取り直して。

「くだらん奴らだからぁ、忘れて頂戴ねぇ・・」

すべてはお見通しだった。

「ささ、はじめよ・・わしの時間は、多くないかもしれんし。」

おどけながら云う「山本権造」。意外にチャーミングなところもある。

 

破竹の快進撃を進めた「山本権造」だったが

しかし、バブル崩壊とともに、リゾート開発計画は暗礁に乗り上げた。

転落の始まりである。村は多額の負債を背負い、山本権造は県会から撤退。

どこにでも転がっているような、バブル景気終焉の悲劇。

だが、山本権造は否定する。むしろ昭和天皇の崩御が契機だという。

 

「昭和天皇(1901-1989)が崩御されたときはぁ、正直、落胆したぁよ。

役場の書類上は、同じ誕生日だったからぁ、お天道様の上の人だけどもな。

わしん中では、生き甲斐であったんだと思うなぁ。

玄関の梁にロープかけて首吊って死のうと思った。

だが、あん馬鹿息子に助けられてな。アレにはそのことは感謝してるさぁ。

だけんどなぁ、ひととしてのワシは、そこで終わったと思うのよ。」

 

 

 

「銀行屋のやつらぁ、手のひら返したように、そそくさと撤退して行って。

埼玉の鉄道屋のやつらぁ、余計な利子までつけやがって。

後で知った話じゃぁ、あん竹下ぁいうイカレポンチと田中にさ。

ワシはぁ、まんまと乗せられただけだっていうじゃないさ。」

 

「あの田中角栄によ。

むかぁし県境を越えてワシんとこの土地とおんなぁ狙って。

その後は、まるで戦後のまま、放っておいてよ。

そのうえ、バブル崩壊に乗じてさ、この土地はぁ、また人知れずの

辺境の土地に逆戻りだっぺ!」

 

続く平成の大合併で、村は隣の市に吸収され集落になった。

嘗ての玄戒村に残されたのは「玄戒村グランドホテル」と云う名の

民宿と水力発電所だけである。

 

「馬鹿息子には、手を焼いておってな。

アイツの出来の悪さには、ほとほと手を焼いている。

それに比べりゃァ、アッチのセガレは、敵ながらアッパレだな。」

敵と、いいますと?

「川辺ン家のセガレよ。あのガキゃ、鯉の養殖だか知らんが

店も構えずに電話線で商売してよ。」

ネット販売?

 

「ふん。羽振りのいいところ見せやがって。町議会選挙出やがって。」

あぁ、川辺惣太郎議員ですか、このあたりに大掛かりな介護施設を

作ろうとされていますね。

「馬鹿な。年寄り集めたって、銭になんかなるもんか!

しかもアイツの作ろうとしてるところは、川向こうの窪地だ。

地域振興の思ひと云うもんわ、まったく無いわな。」

 

 

「そもそもよ、あれん家はさ、新潟ん方からきたアブレモンさ。

昔ぃ山本ん家の土地狙ってきてさ。多くは撃退してやってさ。

だけんどもぉ、小作の人手も必要でナ、ここん土地じゃぁ。

白ヘビさまぁに、お伺い立てたらさぁ、

生かしておけば別な使い方もあろう、いわれてぇ・・

んまぁさ、それなりの使い方もできたんだわ。」

 

「それん、バカ息子はさ、小作に土地ぃ売っちまいやがってさ。

“え“に”え“くれてぇ、どうすんだか・・。」

“え“というのは・・。すいません、わからなくて。

権造は、呆気にとられた一瞬のあと、笑いながら云った。

「“え“というは、このあたりで使ってる言葉さァ、

んま「食い扶持」って感じの意味さ、

ま、んなぁこと、忘れてくれぃなぁ」

 

 

 

「だがな、年寄りでも人が寄れば、それはそれで悪いことじゃない。

その辺が、さすがに国大出だぁ、と思うわなぁ。

その点ウチの馬鹿息子は・・。」

 

「けどなぁ、孫には期待してる。

山本ん家は、孫の代に再び持ち直す。

いいか?ここが重要だ。ちゃんと書けよ。

ワシん孫はなぁ、凄いからな。」

 

お孫さんは?

「今は、中学生よ。しかしこの地の伝統をさ、

もうちゃんと理解しておる。さすがは我が孫よ。

我が血族は、熱く濃いからァ、再び再興しぃ、神の御心を賜り

このオオドコロに再び繁栄をもたらすのじゃぁ。」

山本権造は、額に血管を浮き上がらせて叫ぶので、再びの血圧上昇による

インタビューの中断を危惧した。

 

わかりました。

話は変わりまして、その神様と言うのは、

山本家代々に伝わる白ヘビさまですか・・・?

「もちろんそうだとも。この地をウシハキます白ヘビさまよォ。

神話だの迷信だのというかぁ、知らんがさ。昔っから、ここいらん土地はぁ

白ヘビさまの土地だったいう話だっぺぇ。」

 

 

先日、月次の祭りを拝見いたしました。

「あぁ、今でも大切に御祭りしておるさ。

ホレぁ、聞いたことあるだろ。

建速須佐之男命がこの葦原中国に降りてこられて、

出雲の国でヤマタノオロチを退治したって。

ここん白ヘビさまぁいうんとさ、そのヤマタノオロチの

頭のひとつとも、親類とも云われておるヘビさまでな。

この北の地方全部を支配されておったということじゃ。

地祇のひと柱なんだぁ。」

 

「バブルの後の話を聞きたいんだろ?

ひととして昭和天皇と共にわしは終わったんだ。

そりからぁわしはこの地の再興を祈り、

白ヘビさまを、静かにお祭りしてきたんじゃ。

それについちゃ、また明日ぁ、な。

うん。今日は、ここまで。」

その日のインタビューは、静かに終わった。

玄戒村の夜はとっぷりと暮れていた。

 

 ⑨最終日

 

その日のインタビューは、いつもの母屋ではなく、裏山で行ないたい旨を

権造の家の女中から云われたとの、ホテルの支配人である市彦氏から

メッセージを受け取った。

 

母屋の裏手には庭園があり、東屋に権造の車椅子が見えた。

挨拶をして近寄ると、別人かのような、つるりとした肌の権造が

振り返った。今日は、代々伝わる山本本家の歴史について語りたい、と。

驚いたのは、山本権造が、車椅子から立ち上がったことだ。

 

「ホントはな、歩かにゃぁいかんと思うですが、

ついつい楽なもんで、さぁ。」

また山本権造に騙された!と思ったがこの驚くべき生命力と言うものは

どこからくるのか。

「代々の者が眠る我が家の祖霊舎を案内すっから」

 

祖霊舎といわれる土蔵は山本本家の裏手の森の中にあった。

黒い日焼けした壁には白いペンキで同心円の円が書かれていて。

山本家の家紋、「蛇の目」である。

 

古い枯れ葉の匂いが立ち込める湿気を帯びた日陰の土地にひっそりと

建っていたが、近づくとかなり大きな代物で。

圧迫感を感じるものだった。

 

時代劇のような閂に掛けられた大きな鍵を開け、扉を開けると

山本権造は手招きし、蔵のような祖霊舎に呼び込んだ。

「ここはぁ、バブルんとき掘り当てた温泉が通っておるからぁ

真冬でも夏のように温かになってなァ」すると蔵の扉を閉めた。

 

 

生臭い匂いが立ち込め、几帳面に思えるほど、小まめに扉の鍵を掛ける

権造に、不気味さを憶えた。

「ここいらでぇ山本ってのは、白ヘビさまぁ奉っている家系のことよ。

白ヘビさまぁ、長寿と繁栄の神様だっぺ。昔昔、神代の時代からぁ

この土地を支配して来たんだっ。

ここんとこ数世代、ワシらが不甲斐無いばかりに

白ヘビさまぁ、お怒りになってですよ。しっかりせねば。」

 

「再びぃ、この土地より、全国をウシハく為に。

白ヘビさまぁ、生き続けておられてですよ。」

次の扉が開けられたとき、すべての記憶が無くなると思われた。

いや、むしろ無くなってくれ、と願ったのかもしれない。

 

目の前に現れたのは、体長雄に10 数メートルはあろうかと思しき

白い大蛇が、胸をいっぱいに膨らませて、鎌首を擡げる姿だった。

いや、この白い大蛇のほかにも、数匹の大蛇が祖霊舎の中には蠢いていた。

これが、太古から生きてきた大蛇だというのか。

床には脱皮した跡なのだろうか、生臭い蛇皮が散乱していた。

 

よく見れば、権造の顔をした皮もあった。

この男は脱皮したのか。

つやつやした肌の110 歳の老人は甲高い声をあげた。

「あんたぁ川辺んちの話ぃ、聞きたかろ。あれんうちは生餌よ。

ヘビさまたちの供えモンとして、生かしておってですよ。

そこそこ、使い切ったらぁ、川辺んちのもんはぁ、皆ここで餌になる。」

 

 

「そう、あんたぁいいところ突いてたな。“え”ってのは“餌“のことさ

生餌だなぁ」

狂える老人は、ヨロヨロと。しかし、まるで小躍りするように

はしゃいでいるようにも見えた。

「三朗さんは、久しぶりのこの部落の若い男だったからなぁ

白ヘビさまぁ喜んだもんよ。三朗さんもまんざらじゃなかったんだ。

本当さぁ。

我らが血族になろうと頑張ったが、ヘビの血が合わなかったんだな。

白ヘビさまの血ぃ賜ったのになぁ、引きつけ起して死んじまったぁ~。

人を選ぶんだなぁ、どうも。」

 

「幸造の母親も、同様でなぁ。

あれぇん母親は女としちゃァ悪くなかったがな。

ヒトとしての了見が狭かってよ。

この白ヘビさまぁ見て、馬鹿になっちまって。

10 年ほど、この中に閉じ込めておいたんだが、

幸造以外の子供は皆、どこか欠陥もちでな。

そのうち女ぁ終わっちまったんで、白ヘビさまの怒りを買ってよ。

子供共々、喰われちまった。哀れなもんよォ。」

吐き気が込上げた。

 

「その点、幸造の嫁はよ、たいしたぁ女の器でなぁ。

ありゃぁよォ、街道筋の女郎屋で拾ってきたおんなでな。

ありゃぁ、ええもんもっておったっぺぇ。

あぁ?幸造はなぁ、男の器量が揃ってなくて、しかも種無しでなぁ。

母親ん畑が悪かったんかいねぇ。

仕方なしにワシがあの嫁拾ってきて、宛がってやったんだわ。」

 

「んまぁ、血が絶えんようになぁ、

こりゃぁワシが使わされた使命なんだァ。」

ひょっとしてお孫さんと云うのは?

「ほぅじゃ、ワシの種じゃ。孫の省造はぁ、この白ヘビさまの直系よ。

ワシが90 過ぎの子だがなぁ、もぅ、白ヘビさまのご寵愛を受けておるわぁ。

省造は、ほかのモンとは違う。」

 

権造は、トレードマークとも云えるサングラスを初めて外した。

その眼には、白目が無く、大きな黒目だけが、

無表情にどす黒い地獄を晒しているようだ。

「ワシが成し得なかった若さが省造にはある。

我が血族の血を引継ぎ、この地から再び世を領くのだァ。」

 

ヘビたちがシュルルルと音をあげ、動き出すと大蛇の間から

全裸の女中と少年が立っていた。粘液と脱皮したヘビの皮のかけらに塗れて。

「私もええ歳で。これからぁ、隠居させてもらいたいんですわぁ。

人間のからだぁってぇえのは、どうも疲れていかんですわぁ。

これより、山本本家の当主を、我が子、省造に譲ろうと思うてですよ。

ワシのしたことを全て。あんたに綴っておいてほしいんだよ。」

悪戯っぽく、舌なめずりした権造の舌先が、ふたつに分かれているのが見えた。

 

 

胸の膨れた白い大蛇が、大きなゲップを吐いた。

この大蛇の胸におさまっているのが、幸造なのか。

既に逃げ道は閉ざされている。決めねばならん覚悟はまだ着いていなかった。

しかし、この場から抜け出すことは不可能なことは、容易にわかった。

 

なぜ・・私なんですか?

「あんたぁ、遠縁にえらい人いただろ、え?

そのひとの縁者に、頼みたかったんだよォ、是非ともねぇ。

我が血族の恨みをな、こういう形で水に流そう、

白ヘビさまはぁ、そう仰ったんだっぺぇ。・・・田中さん。」

 


 
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