アルヴィンの眉が少し上がる。珍しい光景を見た、という驚きの現われだった。
あのローエンが主君を非難している。いかなる立場においてでも、自分の主に敬意を払い、傍らに控えることを最良とする老軍師がだ。言葉遣いこそ丁寧であるものの、語調には明らかに責めていた。
そして、対するガイアスの弁明もふるっている。元々必要最低限しか話そうとしない国王だが、その彼をして、どこか必死なのだ。苦手な物を扱うような、そんな腰の引けた釈明なのである。
物珍しさのあまりしげしげと観察してたものの、部屋の空気は悪くなる一方だ。彼らが一体何を問題視しているのかは、部外者のアルヴィンには皆目見当もつかない。だがあまり良くない話なのは分かる。
男は長居を早々に後悔し始めていた。部屋の空気がきな臭い。
「あー、その何だ」
わざとらしく咳払いをして、元傭兵は二人の注意を自分に向けさせた。
「要は俺が、もう一度カラハ・シャールに向って、領主から手紙を預かってくればいいんだな?」
つまるところ、そういうことなのだろう。
ドロッセルとリーゼ・マクシア首脳陣は、水面下で激しい応酬をしている。それはあまり表沙汰に出来ない、政治の黒い闇の部分。当然部外者であるアルヴィンになど、打ち分けてもらえる訳がない。
だがそんなことはどうでもいいことだ。長らく傭兵業を営んできた男にとって、相手の込み入った事情を推測することなど朝飯前である。
客は荷を預け、男は荷を運ぶ。配達が済めば、そこで関係は消える。相手との間には、約款に基づく取り決めがあるだけであり、それ以上の私情を挟むことはなかった。これまでの経験上、客にほだされたり、義侠心にかられて行動を起こして、良い経験をしたためしがない。
「んじゃ、ちょっくら行って来るよ」
お茶、ごちそうさま、とアルヴィンは軽やかに腰を上げた。そんな男を、国王と宰相はまじまじと眺めている。
「貴様・・・本当に、何も聞かされていないようだな」
ガイアスが感嘆する。そんな君主に、宰相は低い声で言う。
「先方からの手紙と、行き違いになったのかもしれません」
「成程。有り得る話だ」
何やら納得顔の二人に、アルヴィンは無言で肩を竦めた。自分が部外者なのは確かだが、ここまで蚊帳の外にされるとは思っていなかったのだ。少なくとも、アルヴィンの方は、ローエンとガイアスを気心知れた友人と思っていたからである。
速やかに退室した彼だったが、すぐに背後から呼び止められた。
「アルヴィンさん」
男はうんざりと振り返る。声の主は、ローエンだった。
「何だよ。まだなんかあるわけ?」
「はい。お嬢様にお伝えください。どうかご英断を、そして、くれぐれも身辺にはご注意を、と」
男は眉を跳ね上げる。身辺敬語を怠るな、とは、まるで命を狙われているかのような物言いだ。
「やけに物騒な伝言だな」
実も蓋もない感想に、宰相は黙った。さり気なく周囲を見回し、二人以外に人気がないことを確かめた後、押し殺したように告げた。
「このリーゼ・マクシアの命運は、ドロッセルお嬢様の、いえ、エリーゼさんの返答一つに掛かっているのです」
流石のアルヴィンも、これには眉根を寄せた。たかがた手紙一つに世界の明日が掛かっているとは、何とも大仰なことである。
だがアルヴィンは瞬く間に緊張感を失った顔で、自らの頬を掻いた。
「どういうことなんだ、って聞いても、どうせ答えてくれないんだろ?」
宰相は慇懃な笑みを浮かべる。
「申し訳ありません。今は、まだ」
「そう言うと思ったよ。――じゃ、俺は行くから」
苦笑して踵を返しかけたところに、ローエンが、これは貴方に、と畳み掛けてきた。
「これは貴方に。私個人が、お伝えしたい――いえ、謝りたいことがあるのです」
ローエンの表情が硬い。そこには宰相という立場と旧知の間柄で板ばさみになった、一人の老人がいた。
「事情をお話ししないままの貴方に、卑怯を承知で申し上げます。――誠に、申し訳ありません」
「何かよくわかんねえけど。ここであんたに掛ける言葉は、気にすんな、でいいわけ?」
すると宰相は笑った。
「もし全てをお知りになっても、そのようなありがたい言葉を掛けてくださるなら、これほど痛み入ることはありますまい」
自嘲の笑みを浮かべ、ローエンは諦めたように緩やかに首を振った。。
「しかし、決してそうはならないでしょう。アルヴィンさんが事実をお知りになったら、決してそんなことは口が裂けても言えないでしょう」
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うそつきはどろぼうのはじまり 10