――クスクスクスクス
彼女の視線は遥か下。静かにざわめく木々を見つめていた。
「昔はね、空だって翔べるって信じてた」
小さな、しかし透き通った声で、彼女は詠うように呟く。
――カラカラカラカラ
彼女が背にした金網は風に揺れて、乾いた音を立てていた。世界に僕と彼女しか居ない。少なくとも、眼下の校庭から聞こえてくる声は、彼女の耳には届かない。
空が赤い。雲一つない茜空に抗うように、頭上には一筋の飛行機雲が、真っ直ぐな軌跡を残していた。
「背中に羽が生えるとか、魔法の箒で飛べるとか、そんなんじゃなくて―」
振り向き、出来の悪い教え子を諭す先生のような優しい目をして僕を見る。
「魚が海を泳ぐみたいに、風に乗れるって、信じてた」
彼女が、笑った。それは、僕が久しく忘れていた彼女の本当の笑顔だった。
「……いくのか?」
掠れた声は僕のものだ。きっと、夕日を背負った彼女が余りに綺麗だったから、惚けた声しか出せなかったのだろう。
「……ええ、もう随分と昔から私の心はここには無かったもの」
泣き出しそうな笑顔を浮かべて、左手のリストバンドと、埃塗れに成ってしまった靴下を眼下に放り投げた。
彼女を地上に縛り付けていたしがらみが、放物線を描いて落ちて行く。
「……じゃあ、な」
それは、明日が来ることを信じて疑わない子どもが交わす簡素な別れ。ただただ純粋だった、あの頃の僕の言葉。
「うん……バイバイ」
彼女も軽く手を振って、また背を向けた。
日が、沈む。
「……ありがと」
小さく呟いて、彼女は空へと翔び立った。
それが最期。引き止めることなんて出来やしなかった。
――だって彼女は笑っていたから。
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一見明るいけど、限りなくネガティブな作品。二作目です。
やっぱり、木々のせせらぎにクスクスはやりすぎたかも。