No.345803

司馬日記4

hujisaiさん

その後の、とある文官の日記です。

2011-12-10 23:21:00 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:24683   閲覧ユーザー数:16773

7月1日

今日は典韋殿と一刀様の食事の御指導を行った。

隣席で御指導をさせて頂いたが、一刀様はどことなく挙動不審であった。

何か心配事でもおありなのだろうか。

 

7月2日

先般からの謎が解けた。

『一刀様より御筆を賜った』ということが曲解されてそういうことになったらしい。

しかも出元はなんと子丹お嬢様だった。

平謝りされるのにも閉口したが、『この詫びは仲達を一刀様にお召し頂くことで必ずする』とお誓いになるのをどうしても止めてくれなかった。

しかし、つい先日まで生娘であったお嬢様が筆についてそういった解釈に至ったことに疑問を呈したところ、士季が意図を解説したらしい。

 

家に帰って、とりあえず士季を元譲様、魏延殿、文醜殿の剣術の稽古に『稽古中の事故は止むを得ない』とことわり付きで放り込んできた。

全身痣だらけになってはいたが、骨折ひとつせず帰ってきた。末頼もしいことだ。

 

7月9日

あれから頻繁に子丹お嬢様から飲みに誘われる。

最近のお嬢様は酔うと御言葉が大胆になられるので外で飲みにくくなった。

先日は子丹お嬢様の屋敷で飲んだところお嬢様に同調する子孝様、子廉様に囲まれて大変な目に遭ったので今日は私の屋敷としたがそれも無意味だった。

どうもここのところお嬢様が私の知らない天の国の言葉―――それも房事に関わる―――を使うことがあるので不審に思っていたが、知らぬ間に士季と仲良くなっていたようだ。

二人して一刀様の筆の件を蒸し返され

『あれはやっぱり一刀様の御誘いであって、それを推し量れない仲達が悪い』

と理不尽な説教を受け、手に負えないので張郃と郭淮を呼んで連れ帰ってもらおうとしたところ説教側が四人に増えただけだった。

お嬢様が持ってくるようにとの御指示なので已む無く一刀様御拝領の御筆を見せると、酔っ払い達は

『一刀様のはこんなもんじゃない』

『いやこの穂先の膨れ具合は必ずしも』

などと言い出す始末だ。

翌日からなんとなく御筆を使いにくくなってしまった。

 

もう一つお嬢様によると、一刀様が『仲達さんは俺とサシの時はすごく優しいお姉さんみたいなのに、みんなの前ではキリッとしていて驚いた』と仰っていたとのことだ。

私としては特に区別をしていないつもりなのだが、郭淮に言わせると普段の仕事中の私は容姿は異なるが奉孝様のような感じらしい。

では一刀様の前での私はどうかと聞くと、全員に無言で生温かく微笑まれた。

 

兎も角、粗相は無いよう気をつけよう。

 

7月10日

御筆の私の真名をお彫り戴いた部分に口付けてみた。

民想い、部下想いの一刀様のお心に触れるようで胸が熱くなった。

激務が続くがこれでまた頑張れる。一刀様の為に。

 

これは不敬ではないと思う。

 

7月11日

噂には聞いていたが張勲殿は優秀だ。

法令条文の精査をしてもらっているが、奉孝様でも気づかない抜け穴を発見し修正してくれる。

一刀様の御提案で袁術殿が子丹お嬢様に師事し、その間張勲殿に勤務してもらっているが有益であったようだ。

張勲殿は雰囲気こそ似つかないが底知れぬところが仲徳様に似ている気がする。

子丹お嬢様によると袁術殿は心身ともに成長目覚しいとのことだ。

優しくも厳しく、根気のある子丹お嬢様の教えに合ったようだ、流石は一刀様の御慧眼だ。

袁術殿をしばらく見ていないので次回子丹お嬢様との酒席があれば御邪魔させて頂き拝見してみよう。

 

7月12日

仕事が忙しい。

 

7月14日

…死にたい。

一時の気の迷いと思いたいが私のような淫売は不敬罪で死ぬべきだ。

士季に見つからないよう柱に縛り付けた後でよく洗ったが当分筆としては使えない。

 

7月15日

一刀様に御筆を使っていない事を御指摘されてしまった。

『もったいなくてたまに休めております』と言い訳をした。

一刀様は残念そうに『使い難かったならいいけど、勿体ないなんてことはないからね』と仰られた。

類似の筆を用意しなくては。

 

…もう私は職を辞して田舎に帰るべきだろうか。

 

7月16日

元直殿、王都勤務となった子敬殿と久しぶりに飲んだ。

二方とも優秀でありながら温厚な、事務会議で知り合って以来の気の置けない親友だ。

ここのところ鬱屈としていたせいもあって酒を過ごしてしまい、子敬殿の『すとらいき』の話を聞いていたあたりから記憶がいまいち定かでない。

伯達姉様が私を連れ帰ってくれたらしいが迷惑をかけてなかっただろうか。

彼女等もまだ当分王都のはずだ。いずれお詫びしよう。

 

7月17日

元直殿も子敬殿も先日の夜私が何か無礼がなかったか聞くと、生暖かく微笑まれるだけで教えてくれない。

かわりに子敬殿より、呂蒙という者が呉から赴任してきており私と非常に仲良くなれると思うので一度お誘い頂きたいとのことだ。呂蒙殿の名は呉の新進気鋭としてその名は知ってはいるが人となりまでは知らない。

 

それにしてもあの晩、不快な思いはさせなかったようだが何があったのかは気になる。

伯達姉様も『仲達はいいお友達を持ったわねぇ』とにこにこ微笑むばかりでやはり教えてくれない。

呂蒙殿の話をしたところ文謙殿とも仲良くなれると思うのでいずれ私が引き合わせるようにとのことだった。

 

 

7月19日

公達様より、三国大規模人事異動の内意を曹操様より頂いたとの御連絡を頂いた。

先般の呉の『すとらいき』に端を発する政局―――というよりは閨局による造反に近いものらしい。

今回人事の魏担当は妙才様ではなく私だ、と語る公達様は誇らしげであった。

私に御連絡を頂いた理由は地方に飛ばされたくない優秀な実務担当者がいれば早めに囲っておくように、またなるべく一刀様への忠心篤い者を残すようにとの御指示だ。

 

7月23日

今回の異動で地方勤務の者が概ね決まった。

成程閨局に関する造反と謂われるに相応しい人事だ。

魏では許緒殿、文則殿、そして元譲様他数名が王都を離れる。

しかし曼成殿は工房長として朝廟を離れるが、彼女の業績の如何は三国経済に絶大な影響を与える。

今回の異動で『一刀様から離れると歌えなくなる』として巡業から帰京してくる数え役満☆姉妹と同じく、私的な面に関しては非常に強い権限を持つようになるのではないだろうか。

 

呉では孫策様、周瑜殿、周泰殿、

蜀では張飛殿、諸葛亮殿、龐統殿あたりが帰国、

公台殿も青州勤務となるらしい。

 

また今回の大規模な人事異動に伴い張勲殿、公孫瓚殿、顔良殿を引き取りたいとの依頼が方々の部署から来ている。

張勲殿、顔良殿は有能だが御守り役兼任であるところが足枷になっている。

顔良殿についてはちょっと考えてみよう。

ところで公孫瓚殿の現在の所属はどこなのだろうか、どこの事務方に聞いてもはっきりしない。

 

本来の仕事が進まない。

 

7月25日

一刀様に、御自ら袁紹殿を今までよりも厳しく御指導頂くようお願い申し上げた。

現状、袁紹殿が一刀様以外の方の言う事を聞くとは思えなかったためだ。

暫くお考えのご様子だったが、麗羽の為にもなるかもしれないし斗詩の為になるなら誰かに相談しながらやってみる、と御諒解頂けた。

 

そんなことはさておき、なんと一刀様に明後日飲みに誘われた!

ここ最近の私の業務繁多を見かねて子丹お嬢様、伯達姉様、元常様らに分担を指示なさったところ、

お三方とも交換条件として一刀様御自ら私を慰労頂く事を挙げたとのことだ。

しかもその翌日は非番として頂けるらしい。

明日はなんとしてでも定時で業務を片付けよう。


 
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