第二章 海賊(パート8)
予想よりもスマートな破裂音を響かせて、カノン砲から砲弾が目にも留まらぬ速度で空中へと放たれた。そのまま、5ルム(作者註:1ルム≒1キログラム)弾がぐいぐいと風を裂きながら、綺麗な弧を描いて伸びる。だが詩音たちの必中の願いも空しく、砲弾は海賊船を目の前にして空しく海水へと着水した。
「駄目だ、距離が全然足りない!」
砲門から顔を出して弾丸の行方を見送っていた詩音は、振り返りざまにそう叫んだ。続いて第二砲門から順次、次々と砲弾が放たれる。だがそのどれもが標的から遥か手前の海面に空しい水柱を立てるだけであった。
「どのくらい?」
フランソワが不安そうな表情でそう尋ねた直後、再び海賊船から砲弾が放たれた。先ほどよりも至近距離に着弾した砲弾が平板を突くような重い音を響かせ、海水をそこらじゅうへと撒き上げた。勿論、その一部は遠慮なく船内へと浸入してくる。
「数百ヤルクは足りない!」
身勝手に乱入してきた塩水に汚れた顔面をとりあえず拭いながら、詩音はそう答えた。折角の制服が、これじゃあ台無しだと考えながら。その詩音にフランソワは軽く頷くと、船員に向かってこう言った。
「仰角最大にして、各個砲撃を続けて!」
アイ、サーと威勢の良い声が響き渡る。その間にも、オーエンは黙々と次の射撃準備を行っていた。既に砲門には第二弾の弾込めを終えている。
「詩音、手伝わんか!」
オーエンがそう言いながら、詩音に対して顔をしかめて見せた。もう一度、今度は左舷方面へとシャルロッテがたゆむ。飛び込んできた海水に足元をすくわれて何人かが尻餅をついた。カノン砲に捕まりながら踏ん張りを利かせた詩音は、オーエンの指示通りに大砲の角度を調整する。操作ボタンは勿論、ハンドルすら無い状態でカノン砲を上方に向ける方法は手段としては単純、即ち砲台と砲筒の部分に詰め物をして角度を上向かせるという方法が取られているらしい。
「畜生、もっとスマートに出来ればいいのに!」
オーエンがどう感じているかは分からないが、少なくとも詩音にとっては角度調整用の土台をつめいれるだけで大労働である。
「これ以上効率のいいやり方は聞いたことが無いのう。」
無理に落ち着きを保っているのか、それとも体力の余裕がそうさせるものか、オーエンが普段どおりののんびりとした口調で答える。
「その方法、興味あるわね。」
続けて、フランソワが詩音に向かってそう言った。手には先ほど着火に利用した導火線を手にしている。いや、導火線というより導火棒といったほうが的確だろうか。
「とりあえず、今は海賊船から逃げ切ることが先決ね。」
続けて、フランソワが凛とした口調でそう言うと、もう一度カノン砲の火薬口に導火線を突き刺した。カノン砲が鋭く震え、硝煙が立ち昇る。放たれた砲弾は先ほどよりは海賊船に近付いたものの、そのまま力なく海面へと飲み込まれていった。
「もっと距離が縮まらないと、当てることすらできないみたいね。」
む、とした表情でフランソワはそう言った。直後に、もう一度シャルロッテが震える。敵からの着弾だろう。もう一度吹き込んできた海水が全員の身体を容赦なく濡らしてゆく。それにしても、先ほどから海賊船のカノン砲が至近距離に着弾しすぎてはいないだろうか。
「そうよね。私も気になっていたの。」
三発目の弾込めを行いながらそう訊ねた詩音に対して、フランソワも神妙な顔つきで頷きながらそう言った。
「どういうことかのう、姫さま。」
ぐい、と力任せに滑車の綱を引き、砲台を砲門から外へと押し出しながら、オーエンはフランソワにそう訊ねた。
「海賊の方が、良いカノン砲を使っている、とか。」
詩音がそう言った直後に、最早聞きなれた発射音が詩音の耳を突き刺した。会話の合間にフランソワがカノン砲に着火したのである。
「正直、信じられない話だけれど。」
「どうして。」
どうやら三発目も海賊船から、それも先頭を走る船から見ても随分と手前に着弾したらしい。
「さっきも言ったでしょう。バルバ海賊団は十年前に壊滅しているはずなの。ああやってご立派な艦艇をそろえているだけで驚きなのに、何処から最新型のカノン砲を調達する資金が生まれたのかしら?」
確かに、そう詩音が考えた時である。先ほどから解放していた伝令菅から、けたたましいグレイスの声が響いた。
『お嬢様、どうやら相手は本気でこちらを乗っ取るつもりの様子ですぜ。』
その言葉を耳に収めて、フランソワは全く、という様子で肩を竦めて見せた。そのまま、こう答える。
「どういうことかしら、グレイス?」
『小型の快速船が三隻ほど、おそらくスループ型ですが真正面に突入を仕掛けています。どうやら敵は戦列艦一隻、フリゲート艦二隻、ガレー船二隻にスループ五隻といった陣営の様子です。』
「戦列艦の規模は?」
『おそらく五十門艦クラスですな。』
「呆れた。ルパート級と同規模ですって?」
『そういうことになりますな。』
そこでフランソワは少し考えるように口元に軽く握った右手を当てた。尚、ルパート級とはアリア王国海軍準主力艦に位置づけられている戦列艦である。ハンプトン級よりも一回り小型だが、優れた戦闘力を持つ戦艦であった。
その時、先ほどとは違う、質感の重い爆発音がシャルロッテに搭乗する全ての船員に届いた。
『面舵一杯っ!』
伝令菅の先でグレイスの突き刺すような声が響く。それに合わせてシャルロッテが右旋回を開始する。左舷方向へと唐突に傾いた中でなんとか体勢だけを確保しながら、フランソワが鋭い口調で伝令菅に向けて口を開いた。
「どうしたの、グレイス?」
『海賊の一斉砲撃です、一発二発当たるかも知れねぇ、』
その言葉よりも、着弾の衝撃が詩音に伝わる方が遥かに早かったらしい。旋回時に生まれる傾斜とは違う、まるで横殴りに殴られたような衝撃がシャルロッテを包み込んだ。船体が左舷へ向けて更に傾く。砲門から空が見える、と考えた直後、フランソワがそれまで伝令菅を掴んでいた手を衝撃に負けて手放した。ふわり、と浮かびかけたフランソワに向かって詩音はすかさず手を伸ばす。
『畜生、後尾付近に着弾!』
『被害状況報告せよ!』
「あ、ありがとう。」
すんでのところでフランソワの手首を握り締めた詩音に向かって、フランソワは足元を確認しながら少し興奮した様子でそう答えた。それに小さく頷くと、詩音は伝令菅から漏れる言葉に耳を傾ける。
『とりあえず動くみてぇですが・・。』
『馬鹿、とりあえずじゃない、さっさと確認しろ!怪我人、死人の有無もだ!』
どうやら着弾付近にいた船員とグレイスが言い争っているらしい、と詩音が考えた時、フランソワが横から伝令菅を掴み挙げてこう言った。
「グレイス、どうなったの?」
『お嬢様面目ない、どうやら船尾に一発喰らってしまった様子です!』
『船長、小型船近付いてきた!』
今度は別の船員。物見台の人間だろうか。
『フリントロックでも用意しとけ!』
『アイサー!』
『船長、一人怪我人が出た!どうやら脚をやられたみてぇだ!』
『動けるのか?』
『海賊、もう一発来るぞ!』
「ああもう、この場所にいたら何が起こってるのかわからないわ!」
次々と報告される情報の波に混乱するように、フランソワが無造作に髪を掻き毟りながらそう言った。
「とりあえず、俺たちがやれることをするぞ。」
「でも、悔しいけれどカノン砲の性能は明らかに海賊の方が上よ。ここでいくら撃ったって。」
「戦はリーチの長さだけで決まるわけじゃないだろう。」
そこで詩音は不敵とばかりに、楽しげな笑みを見せた。
「どういうこと?」
「この船の速度はアリア王国一。そう言ったのはフランソワじゃないか。」
リーチが不足していても、速度があれば。その速度を最大限に生かせれば、十分に勝機がある。
腹を決めろ、詩音。何としてもこの状況を打破するんだ。
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第八話です。
補足説明
フリントロック・・火縄銃が進化した長銃のこと。火縄ではなく火打石で着火する銃。
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