「危ない、旦那!」
鎖帷子を貫いて、ザシュッという身を切る刃の音が、脳にまで響いた。すぐに傷口からだけでなく、口からも大量の血を吐いては地面を汚す。
あ、これヤバイ。グラリと自分の意思とは真逆に、力の抜けた体が空をさ迷う。
「さ、佐助ぇぇぇっ!」
ぼやける意識の隅で、旦那の悲痛な顔と声が五感を埋める。ごめん、旦那。そう言えたかは自信が無い。眠るように沈むというよりは、急激に落ちていったから。
でもどこかで冷静な脳が、俺の口角を無意識に上げさせる。
視界には赤い皮張りの戦装束を身にまとった主、耳にはそんな旦那の俺を呼ぶ声が残ったまま。
忍びとして主を守れて、そんな主の存在を感じながら死ねるって、それって、悪くないよね?
*****
ところが、だ。二度と浮上しないと思っていた俺様の意識は、受けた傷から発した熱で、無理やり引きずり上げられた。
「……な、……んだ……」
俺様、生きてたよ。ちょっとがっかり。でも、頭上から心配げに覗き込んできた旦那が、そんな俺様の邪念を塗りつぶした。
「佐助っ、気づいたのだな?大丈夫か?」
戦装束に血色を混ぜた真田の旦那が、真っ赤な目に大粒の涙を溜めたまま、俺様を見下ろしていた。
大丈夫じゃないから、こんな状態なんだと思うけどね。
いつもの調子で言ってやりたかったけど、起き上がろうとした時に、傷の痛みで顔をしかめてしまった。
「っ……、ここは……」
慌てて旦那が、俺に近寄ってきた。左肩から斜めに正面を切られた為、どこに触れていいか分からずに困惑している。
「無理をするでないっ。ここは先ほどの場所から、そんなに離れてはおらぬ。あの後、六郎と才蔵が来てくれたのだ。周囲におった敵は三人で倒し、今はたまたま見つけた、この小屋におる」
わずかに周囲を見渡すと、土間と一つの板間だけという、とても小さな小屋だとすぐにわかる。長い間放置されていたのか、湿気と埃の臭いが入り交じっていた。
旦那は労わるように、恐る恐ると無事な右肩と腰に手を当てて、寝ていた板張りの床に寝かせてくれる。旦那自らが、そんな事しなくて良いのに。
「あんたはケガとかしてないよな」と聞くと、「頬にかすり傷を受けただけだ」と教えてくれた。確かに血の臭いはすれど、その中に旦那の血は混じっていない。
でも俺様にとっちゃあ、その傷すら不本意なんですけどね。
外へと気配を向けると、六郎がいるのみだ。恐らくは才蔵は、味方の陣地へと走っている筈。俺様の状態以外は、ひとまずは安心かな。いざとなったら六郎が判断をして動いてくれる。
「そう…。で、なんで……旦那は、泣いてるの?」
俺様が聞いたのを合図のように、溜めていた涙がボロボロと遠慮もなく頬を流れ、乾いた板を濡らした。
「お前がっ、俺を庇って怪我をしたのだぞっ。あんな、あんなに血を流して……、もし目覚めなかったらと、そう思うと……」
じゃあ、これは俺様で泣いたのか。全く、たかだか忍一人の為に、この人はなんて甘いことを。
「目覚めるも、なに、も……あのまま捨ててくれても、良かったのに」
「佐助っ、何を馬鹿なことを申しておるのだっ」
あの感触だと、放っておけば失血死は必然。まあ敵方にこちらの情報を与える訳にはいかないから、この体をくれてやる訳にはいかないが。その点は忍隊が先に、俺様を処分してくれる手筈だから、心配はしていない。
まさかあの場から、助けられるとは思わなかったけど。
「この傷が癒えたとしても、使い物になるかなんて……分からないのにさ」
「其のような事を俺の前で言うな。お前が怪我人で無ければ、容赦なくぶっ飛ばしておるぞ」
「おー怖い」
「佐助っ」
傷を心配してくれている割には、傷に響く大きさで叫んでくれる。
「だって、忍の為に泣くなんて……さ。しちゃ、駄目だよ、知ってるだろ」
俺様は、この人が弁丸様の頃から言い続けてきた。忍隊を率いる武将なら尚更、と。忍は一つの目的のために動く、使い捨ての道具に過ぎない。大事の前の小事で、いちいち心乱していては、何も成し得ない。
成さなければ為らぬ御人だから、出来る武将だから、そう悟らせてきたってのに。まだこの人は、こうして泣くのか。
力のない声でも、言いたいことは伝わったらしい。だけど旦那の顔は、ちっとも納得してないって訴えている。
「何が悪い。忍とて共に、お館様の為に戦う大事な仲間ぞ」
この話題になると必ず、そう言い切ってきたよな、あんた。そして高らかに言うのだ。真田が忍は、俺の誇りだ、と。
ところが今日は珍しくも、そうとは続かなかった。旦那は俺様に一寸近づくと、真っ直ぐな目で俺を射抜いた。
「それに佐助は……この世にお主という存在は、佐助しかおらぬのだぞ」
言うなり、またぼろぼろと涙を流す。ああ、自分で言って不安になったのかな。
「旦那……」
「泣いて、何が悪いのだ」
すんと鼻をすすりながら唇を尖らせる。元服を済ませた武将がさ、そんな風に拗ねた顔で泣くなんて。恥ずかしくって、誰にも見せられないよ。
「……ねえ、旦那……」
「なんだ」
「その涙は、俺様の所為なんでしょ?」
「あ、ああ」
「なら、それは、俺様のって事だよね」
「佐助?」
言われている意味を探られる前に、手招きをする。主相手に有り得ない行動だけど、規格外の人には規格外で返すしかない。しかも俺様動けないしね。
手招く分だけ顔を近づける旦那の息が、俺様の呼吸に混ざるほどまで近づいたのを感じ、そっと旦那の頬に手を添えた。涙は、かすり傷も伝って流れている。
俺様の手甲は外され、その素肌の手をも濡らす涙。
「だったら、それ、頂戴」
有無を言わさず、旦那の目尻に溢れている涙を舐めとった。
「なっ?!」
驚愕で目を見開くと、反射で涙が引っ込んだのが可笑しかった。
「さ、ささ佐助?い、今のは」
「ふふ」
予想外の行動だったせいか、それとも怪我人だっていう事を忘れず居てくれたのか。幸いにも破廉恥!という、お決まりの叫びと、鉄拳は食らわずに済んだ。
でも殴られてでも、欲しかったんだよね。
揺らがない信念や、真っ直ぐな心だけでなく、あんたは涙まで綺麗だね。武将の涙を、恥ずかしいから誰にも見せたくないんじゃない。忍風情に、俺様の為だけに流した涙を、隠したかっただけ。そしてそのまま、流れて消えて欲しくなかった。
ほら、乾いた喉よりも、あんたの涙は、俺様の冷えた心を潤すんだもの。
理想通りに死ねなかった身勝手な悔恨は、途端に、生き延びて主の傍に居られる安堵に変わる。
眼前には、俺様が守れた、誉れ高き御人。
血臭を漂わせた赤い戦装束を纏い、愛用の紅い槍は、いつでも握れるように、膝下の両側に置かれている。
戦場で猛々しく舞う、炎を纏いし、紅蓮の鬼。
だのに今は子供みたいに泣いて、俺様だけを見て、俺様だけの為に居てくれている。
記憶に残る、まだ旦那が幼なかった頃を回顧する。
「真っ赤なお目めに、鼻まで赤くして」
まるで駄々をこねた時の、弁丸様みたいだね。
そう笑ってからかってやりたかったけど、最後まで言えないまま、今度は眠気に襲われた。
熱を発するのは、傷を癒すためだ。眠気もまたしかり。こちらの意思を反してでも来るのは、急激に体が休息を欲しているのだろう。
仕方がない。これも、これからも真田の旦那を守る為だ。この場は六郎に任せて、魘される熱に身を委ねるしかない。
「おい、佐助?」
二度目の意識が降下する時も、この人で埋めつくされた。とはいえ悲痛な声でもなく、真っ赤な目に真っ赤な鼻では、大分と違うか。だから俺様の口角がまた上がるのも、別な意味へと取って変わる。
これからも、絶対声にする気は無い物。
愛しい意味を、忍びに教えた残酷で可愛い主。あんたの為に生きて死ぬと決めたのだから、いつかその涙が流れなくなるまでは、こうして俺様に頂戴ね。
だってね、旦那の持っている全部の赤で、俺様は血の通う、人になったんだよ。
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お約束ネタではありますが、私的テーマ「7色」で赤。捏造十勇士、普通にいますが、名前だけでセリフはありません。赤→紫→藍→青→緑→黄色→橙という逆順で進むSSです。