森の中を騎馬は走り続ける。最早新城は目と鼻の先
此処まで来れば下手に罠を発動させ、自らの速度を落とすよりも、一心に速度を上げて雲兵達と合流することが一番だ
そう考えた鳳は、背で武器を振るう李通に背後から来る敵の攻撃を全て任せ、自分は唯ひたすらに兵を後方から押し上げる
「全隊、長蛇の陣を形成。速度を上げて逃げきるよっ!前列は後ろを振り返るな、速度を上げることだけ考えて」
李通が背後の攻撃に加わり安定する魏の騎馬隊。涼州兵も隙を見て攻撃を繰り返してくるが、殿を務める李通と兵士の連携
により手を出しては騎馬から叩き落される事を繰り返していた
此れなら大丈夫。敵の後軍も追い付いてこない。って言うことは皆がまだ生きているって証拠
手綱を握り締め、安堵の笑を漏らす鳳。だが、背後の李通の背が急に鳳に押し付けられ、心なしか操る馬の馬体が下がる
感触を覚える。何が起きた?まさか!!と心の中で叫ぶ鳳。其れは最悪の予想
そんなはずはない、死なないでって言った。勇気を出して、男の人を抱きしめたんだ!もう少し、もう少しなのに!
もう三日目の朝日だって登った、目の前はもう新城なのにっ!!
だが背中にグイグイと押し付けられる李通の身体と歯を食いしばり、聞こえてくる唸り声が鳳に現実を見ろと訴える
鳳は押し付けられる現実に、唇を噛み締め心のなかで叫んだ
まだ死んだなんて決まってない。落ち着け、あの人達のことだ、きっと巧く逃げている。絶対にそうだ!
だから振り向いて現実を見ろ!私は叔母様の、桂花の帰る場所を護るんだろう?鳳っ!!
振り向き予想した現実を目にする。現実とは、鳳の背後で震える手に気合を入れて、厳顔の轟天砲の切っ先を止める李通の姿
既に統亞達の攻撃を突破した厳顔は、前方を行く涼州兵の集団と合流を果たし、目の前で逃げ続けながら敵兵を蹴散らす
李通に己の武器を上段から叩きつけていた
少しずつ、刃を押しこまれながら耐える李通。鳳は李通の額に押し付けられる轟天砲の切っ先に舌打ちを一つ
素早く更に後方の集団を確認する
厳顔だけじゃない、魏延も来てるっ!だけど馬良たちがいない、合流したのかどうかは解らないけど来るのは時間の問題だ
集団の中に魏延の姿を確認した鳳は、耳に付けた髑髏の耳飾りを外すと指先に挟め、羅漢銭と同じように指先と腕を
使って武器を押し込む厳顔に飛ばす。狙いは厳顔の眼。眼ならば首をずらすなり、片手で防ぐなり必ず態勢か崩れるはず
「むっ!?」
狙い通り厳顔は轟天砲にかけた手を片方外し、眼に飛んでくる鳳のイヤリングを受け止めると、押しこむ武器が軽くなった
李通は再度気合を入れて、腰のバネを利用して押し返す
「助かりましたっ!」
「頑張って、もう少しだから」
「はい・・・と言いたいところですがっ!!」
李通の動きと鳳の機転に厳顔は少しだけ馬の速度を落とし、呼吸を整えると一気に加速
斬撃では抑えられるか、ならば突きはどうだと隣に馬を寄せると轟天砲を横に構え、槍のように突き出す
襲いかかる轟天砲の突き。迫り来る切っ先に李通は槍を合わせるが
「は、早いっ!?」
見るからに重量の有る轟天砲を厳顔はまるで小枝を振るうかのように振り回す
李通の眼に映るは己の槍術のような無数の槍撃
ただそれだけならば李通にも迎撃し、反撃をする暇もあっただろう。しかし相手の得物は李通の持つ短槍と比べ
明らかに重さが違う。切っ先が触れれば弾かれるの何方かと言われれば火を見るよりも明らか
「うぐぅ・・・」
歯を噛み締める音が鳳の耳に届く。必死に馬を走らせながら背後の李通を確認すれば、体中を刺し傷で血に染め
鳳に迫る攻撃を防ぐ李通の姿。手数は追いつくが、威力が高く弾き切ることができない。しかも攻撃は自分にだけでは
無く、馬を操る鳳にまで伸びる。ならばと李通の取った行動は己の身体を、昭に贈られた紫の重鎧と己の身体を盾に
鳳を守り続けること
「魏の将兵とは何処までも真っ直ぐだな」
李通の姿に厳顔は心のなかで賛辞を送り、後方の魏延に視線を送る
無言の、視線だけの指示を受けた魏延は頷き、馬を加速させ鳳と李通の乗る馬を両端から挟む
挟撃。
鳳の顔が蒼白になる。厳顔でも精一杯なのに二人がかりなんて無理だ。でも、でも此処まで来たなら前の仲間だけでも
逃がす。絶対に兵だけはこれ以上死なせない。そう心に決め、一度顔を伏せてから顔を上げる
背中の李通も同じように腹をくくったのだろう。喚きも、歯を食いしばることすらしないで息をゆっくり吐き出し両足に
力を入れて馬の身体を挟み、身体を固定させる。眼には強い光を携えて、一言
「来世でも、お友達で居ましょう」
「うん。勿論、一馬君も一緒にね」
一馬の名を聞いた李通は気合と共に槍を握り締め、大きく返事をすると厳顔と魏延の攻撃に槍を合わせる
少しでも、僅かでも時間を稼ぐ。そうすれば必ず一馬が、昭と共に魏を守ってくれるはずだからと
鳳も上着を握りしめ、魏延が攻撃してきたら目の前に投げ視界を遮り李通の手数を少しでも補おうと
ハッキリ言ってこんなのは唯の足掻きだ。でもいいじゃないか、きっとあの人達も足掻いたはずだ
人柱となったあの三人も最後の最後まで足掻いたはずだ。なら、私が足掻くことだって大事な事だ
潔くなんか死んでやるもんか、文官の私でも武官の顔に引っ掻き傷を着けてやるくらいはしてやるんだ
鳳は心のなかで叫ぶと、幅を寄せ武器を振りかぶる魏延に精一杯睨みつける。気合を入れて、自分の叔母の様に
視線で人を殺すかのように眼を細く、思い切り殺意を込めて
「あ・・・あっ・・・うああああぁぁぁぁ!!」
叫び声は誰だったのか。いつの間にか武官の様に雄叫びを上げて叫んでいたのか自分は?
などと、自嘲的な笑を浮かべる鳳は自分の上着を素早く剥ぎとった所で目の前の魏延は影に覆われる
鳳はまだ上着を投げてなど居ない。それどころか突然のことに手は止まって呆然と目の前で起きたことを見つめていた
魏延の振りかぶった金棒が鳳に向けて振るわれようとした瞬間、上空から巨大な影が落下
馬蹄で踏みつけられ、金棒に引きずられるままに地面に叩きつけられそうになった魏延は手綱を必死に握りしめ
馬にしがみつき落馬を免れていた
「一馬さんっ!!」
涙声で一馬の名を呼ぶ李通。そう、叫んだのはやはり自分では無かった。厳顔の背後に瞬時に馬を寄せ
的盧の体当たりと同時に剣戟を繰り出し、厳顔の態勢を崩すと、的盧は驚異的な脚力で
普通の馬には考えられない横っ飛びをやってのけたのだ。其れも人を載せた騎馬の頭上を越えるほどの跳躍力で
「花郎っ!私の後ろに」
「はいっ」
手を伸ばす李通の手を取り、自分の後ろに乗せると一馬は手綱を口に咥え、並走する鳳の騎馬の手綱を掴んで二、三度首を
叩く。
「風さんからの伝令を、もうすぐ森を出ます。出たら真っ直ぐ、何も考えずに隊列を真っ直ぐ一列にして走り抜けて下さい」
「風が。なら何かしかけてるんだね」
意図を理解し、頷く鳳を其のままに。返事もせず一馬は手に持つ七星宝刀で軽く鳳の騎馬の尻を叩けば、爆発するように
加速する騎馬。まるで起爆剤を投げ込まれたか様に、嘶きを上げて目の前の味方を押しのけ、鳳の悲鳴と共に
直ぐに姿が見えなくなってしまった
「舞王の義弟、疾風の劉封だったな。なんという騎馬だ、それが疾風の所以か?」
「おのれっ、桔梗様!私にやらせて下さい」
「待てっ・・・待てと言っておるのに、仕方の無い」
先ほどの攻撃に恐怖や警戒を覚えたのではない、むしろあのような攻撃で落馬しそうになった自分が許せず
騎馬を加速させ的盧の隣に馬を寄せ、凄まじい殺気を放ち金棒を構えた
「花郎、怪我は?」
「大丈夫ですよ。其れより嬉しかった。もう逢えないと思っていましたから」
「花郎は死なない。私は兄者の弟です。兄者と同じ、愛する人を守るのが私の道です」
泣き出しそうな顔をする血だらけの花郎を見て一馬は一度だけ、優しく微笑むと隣に寄せた魏延に長姉と同じ
燃え盛る炎のような瞳を向ける。握り締める七星宝刀はギリギリと音を立て、一馬の肩は小刻みに震えだす
「震えて居るのか?臆病者め、怖いならば戦場などに出てくるなっ!!」
急激に寄せた魏延は勢いのまま、金棒を一馬に向けて振るう
「なっ!?」
勢い、そして全力を載せた一撃を一馬は片手に握りしめた七星宝刀で一刀の元に抑えこむ
魏延は信じられなかった。幾ら統亞達に手傷を負わされたからといっても、こんな細身の剣一本に
それどころか片手で押さえ込まれるなど
「そうだ、私は怖い。家族を、花郎を無くすことを。だから戦うのだっ!私は二度と家族を無くしたりはしないっ!!」
押さえ込んだ一馬に合わせるように、的盧は自信の馬体を魏延の馬へ横っ飛びでぶつける
大きく揺らされ、再度落ちそうになりながら横へ大きく馬ごと身体をずらされる魏延
「ちいっ!儂が見えておるのか!?」
一馬の背後では舌打ちをして驚く厳顔。突出した魏延に合わせ、身体が固まった所で一馬へ攻撃を繰り出していた
気づいた李通は防ごうと動こうとしたが、受けた傷と流した血のせいで咄嗟に動けなかった
当然、この一撃は入るものだと思った厳顔の眼には一馬が此方を一度も見ずに的盧が横っ飛びで回避する姿
「いや、慧眼の義弟ならばお主も慧眼を持つということか?」
「私は慧眼など無い。有るのは四つの眼。騎馬と言う戦場で私と的盧の眼から逃れる事は出来無い」
一馬の的盧という言葉で馬の事だと理解した厳顔は笑う。【此れが疾風か】と
「騎馬と一体に、ゆえにその真名か。これは楽しめそうだ」
笑い、少しだけ眼を離した隙に一馬は既に居らず。厳顔は「むっ?」と声を漏らす
「後ろです桔梗様っ!!」
魏延の叫びに背後を振り向けば、そこには一馬と李通が槍と剣の突きを放つ姿
振り向き、轟天砲を盾に構え防ぐが、先ほどの魏延と同じ様に的盧が横っ飛びで体当たりを放ち、騎馬ごと身体がずらされる
「なるほど、早い。回りこまれたのが解らなかった」
余裕の表情の厳顔。だが魏延は目の前で行われた一馬の動きに呆気にとられていた
厳顔が笑った瞬間、的盧の身体が深く沈みこみ、厳顔の騎馬の前へ一瞬で出ると軽く後ろへ飛んで回り込んだのだ
普通なら速度を落として背後から回りこむのが普通。だが逆をやってみせた
通常とは異なる騎馬の走法。考えられるのは、驚異的な脚力を持ち、尚且つ無茶な動きに耐えられるほどの豪脚を有している
馬であるということ。そして、其れを意のままに操る事が出来るということだ
「花郎、攻撃は私に」
「いえ、大丈夫です。私も」
「ならば力を貸してください。兄者と姉者程ではありませんが、我らの力を見せてやりましょう」
一馬は小さく呟く「的盧、我らと共に生きよ」
呟きに応えるように的盧は首を振り回し、崩れた厳顔の騎馬に更に体当たりを放つ
だが、厳顔は手綱を握りしめ迫る的盧の身体に自信の騎馬をぶつけて体制を保とうと寄せれば、的盧は突然止まり
いつの間にか的盧の背に立つ一馬が厳顔の馬に飛び乗り、厳顔の背後に立っていた
「おお・・・!」
頭上に打ち下ろされる七星宝刀。厳顔は驚きと歓喜の顔を浮かべ轟天砲を横に構え一撃を防ぐが、同じ馬上で
しかも相手は馬の背に立ち軽い細身の剣を持ち、此方は馬にまたがったまま巨大な武器を手に持つ状態
「ぐうっ!?」
厳顔は騎馬の背に両足で、手綱も持たず立つ一馬の姿に驚愕し、さらに
一方的に一馬から打ち下ろされる剣戟を防ぐだけの状態に手も足も出ない。此れが地上であれば別だろう
厳顔自身の武力、そして居合のような剣戟に加え無拍子の斬撃。更には轟天砲と言う強力な兵器に一馬は手も足も出ない
しかし此処は騎馬の上。騎馬の上ならば一馬の独壇場
「クッははっ!!素晴らしいではないかっ!!」
笑う厳顔は一馬の打ち下ろしの一撃に合わせ、轟天砲を跳ね上げる
体制の崩れる一馬は反撃に武器を構えるが、厳顔は常に持ち歩く徳利を手に酒を煽ると口元を乱暴に拭い叫ぶ
「焔耶よ!死を覚悟して尚生きよ。なればこそ酒がうまいっ!!」
窮地に身を置きながらも厳顔は笑を絶やさず、魏延に自分の生き様を見せる様にして頭上から落とされる剣戟を
轟天砲を縦に構え、長すぎる武器を縮める為に、轟天砲に着けられた銃剣のような刃を握りしめて頭上の一馬へ突きを放つ
真下から繰り出される突きを一馬は躱し剣戟を打ち下ろす
避けきれず斬りつけられた肩口から血を流し、次々に身体に刻まれる傷をものともせずに攻撃を返す厳顔
「このっ!桔梗様から離れろっ!!」
厳顔の窮地に魏延は武器を振り上げ、一馬に上段から一撃を放つが、その攻撃は届かず。鳩尾にめり込む短槍の石突
一瞬で間に入り込む的盧。背に乗る李通はたとえ超重武器で有ろうとたった一撃を横撃でずらすだけならと
魏延の金棒をずらし石突で顎と鳩尾に突きを放っていた
「やらせません」
「ゲハッ。こ、このっ!」
身体を折り、馬に倒れこみ手で身体を支える魏延に厳顔は眼を奪われる。一馬はその隙を見逃さず、剣を当てた後に
盾の様にして横に構えた轟天砲に乗ると、騎馬の手綱を足に引っ掛け思い切り引っ張る
「うおっ!?」
急に手綱を強く引かれた騎馬は前足を上げて急停止。厳顔は咄嗟に手綱を掴み、馬を抑えこむ
一馬は?といえば、一馬は前足を上げる騎馬の反動を利用し、背後に回った的盧の背に着地していた
身体をくの字に折る魏延と厳顔は、二人とも一馬の異常とも言える騎馬の扱いに唯々驚くだけになっていた
「き、桔梗様。馬上では」
「ああ、無理だな。もう少し楽しみたいところだが此方は騎馬から降りた状態でなければ傷ひとつ付けることも出来ん」
馬上での戦いは勝てないと踏んだ二人は、騎馬の速度を落とし、どうにか騎馬から降ろす事を考えようとしたが
速度を落とした厳顔と魏延を見た的盧が大きく嘶く。突然の的盧の威嚇に二人の騎馬は驚き、暴れだし
更に速度を下げて自軍の部隊へと下がってしまっていた
「そんな事ができるのか、なら最初から」
最初からやってくれれば良かったと言おうとする一馬に的盧は
【仕返しをさせてやった。ありがたく思え】と首を振り、一馬は李通を見て「有難う」と的盧の首を撫でていた
「か、一馬さん。この馬とお話が出来るんですか?」
「いえ、何となく言っているような気がするだけです。的盧は賢いですから」
【お前よりもな】そう嘶く的盧に一馬は苦笑し、此のまま殿を務めると李通と的盧に伝える
「これが、これが風さんを疑った自分に出来るせめてもの罪滅ぼし」
「一馬さん」
一馬は手綱を握り締めると前を向く。そして仲間を護る為、追撃してくる涼州兵を剣を振るい次々に切り捨てて行く
李通と共に、姉の春蘭のような燃え盛る炎と兄のような鉄の意志を宿した瞳を携えて
「やっぱり、風の私兵は楽隊。青洲の楽隊だったのね」
「はいー。私兵を持つなど風はしませんよー。青洲に人を送って事情を話し、此方に来てもらいました」
今まで私兵だと思っていた者たちは次々に荷物から楽器を取り出して準備を始める。そんな中、詠の指示により組み立てら
れる櫓は低く、だが足場が広い。まるで舞台の様にして組み立てられていく
その周りでは木々が組まれ、大量に燃やされ炎が至るところで柱を上げる
「風はお兄さんを天の御使などと思いません。ですが敵には御使であると思い出させ信じてもらいましょう」
「此れも先刻の人、【司馬徽】の知識?」
「ですねー。お兄さんから彼女を引き入れられると教えてもらいまして、風は自軍の情報を全て渡す代わりに
登用と知識の提供をお願いしました」
なるほどと詠は疑問も無く納得する。何故ならば、この世界での【司馬徽】水鏡はそういった人物だからだ
男が娘と、美羽と引きあわせたら美羽が喜ぶだろうと言っていたことを思い出す
「だけど、そんなに巧く行くの?」
「頂いた知識から、易と空の風の動きを見てこの地を選びました。必ず成功すると水鏡先生もおっしゃってましたよ」
「易と空ね、昭にそれ話したでしょう。だからか、ようやく昭が風の評価が出来たと言っていたわ」
「風のですか?」
「ええ。今まではその真名で正確な評価が出来ないと言っていたでしょう?でも、先刻ぼそって森のほう見ながら
僕に言ってた」
「お兄さんは何と?」
「易、天文、戦術、そして戦における作法まで全てを修めた【軍配者】だって」
「軍配者・・・」
「天の国の言葉でしょうね。稟とは違う、稟は新しい知識を求める者。けど風は、自分と同じ古の知識を重視する者だって
まぁ真名を授ける儀式なんか知ってたんだからそうでしょうね」
軍配者との評価に風は微笑む。自分と同じだと言ってくれたこと、稟と違う道を選び、新たな知識を求めるのではなく
古き知識の中から新たなモノを見つけていく。苦行に近いこの行為を認めてくれたこと。古く、既に意味すら失われた書物
から意味を見出す作業。古き知識故、間違っているものも数多く有る中、真実に近い物を見つけ自分の中に入れていく
孫子、呉子、六韜、三略、尉繚子、司馬法など有名な古き知識ではない。其れこそ伝承から怪奇な書物
までを読みあさり、己の中に取り込む作業。稟に比べれば、何と無意味に近く、実戦に役に立つかどうか解らないものばかり
だが其れがようやく此処に来て開花するのだ。嬉しく無いわけがない
「やることは予想が付いたけど、誰もやろうなんて思わないわよ。だって曖昧だし出きないからね、こんな事」
「お話中にごめんなさい。準備が出来ました」
櫓の前で話し込む風と詠に近づく一人の女性。薄い紫の短く切りそろえた髪を揺らし、紅い縁で大きめの眼鏡を指先で
直す仕草をするその女の子は、青洲では王に次ぐ程の知名度がある、三姉妹の一人【張梁】こと人和
「歌も付けるの?」
「そう。兵隊達を鼓舞し、より天の御使を神格化させるために。今回の歌は私たちの集大成。といっても歌詞や曲は
ちぃ姉さんが考えだしたものだけど」
「・・・大丈夫なの?」
「心配要らない。私達三人の中でも一番に成長したのはちぃ姉さん。私と天和姉さんは本気のちぃ姉さんの歌唱力に追いつく
事がもうできないから。今回は後ろから声を合わせ、厚みをもたせるだけ」
少しだけ寂しそうに、だが何処か誇らしげに小さく微笑む人和
黄巾党での体験は三人に、特に地和は他人の死に関して、戦に関しての考え方を大きく変えていったようだ
「比喩じゃない、誇張でもない、ちぃ姉さんは本当に歌に魂を乗せて歌うことが出来る。今回の歌はあの人を、
夏侯昭を表現した歌。一番最初に創り上げて、今まで歌うことは無かった。もっと自分達を誇れるようになってから
歌おうってちぃ姉さんが決めていたから」
「今は大丈夫。今なら歌えるってことね」
頷く人和。太平要術の書など無くとも声で、熱で、自分達の思いで魂を震わせる事が出来ると人和は言い
詠と風に会釈し、出来上がった櫓に上り二人の姉の元へと駆け寄っていく
「さてさて、それではお兄さん。宜しくお願いします」
ずっと森を無表情で見続けている男に、少しだけ大きな声で呼びかければ
男は森から視線を外し、軽く笑みを見せて風と詠の元へと歩み寄る
「望む表現は?」
「龍王の儀式ですので、龍を表現していただければ」
風の言葉に男は「解った」と一言だけ言い残し、舞台に上ると目の前には三人の娘
何時もならば、中央に長姉の天和が定位置で立っているのが普通なのだが、男の眼に映るのは地和を中心として
左右に天和と人和が立つ配置
「昭に今のちぃ達を見せてあげる」
「ああ」
「絶対に勝たせてあげるか安心しなさい」
「絶対か。心強いな」
笑を返す男に地和は当然と頷き、天和と人和に目配せをすると息をゆっくり吸い込んで声の調節を行い始める
何度か小さく声を出した後、手を上げれば人和が背後に並ぶ楽団に頷き、始まる音楽
男は耳を澄ます。三人の歌がどの様なものであるのか理解し、己の舞を合わせるために
そして歌を背に受け、男は理解する。この魂を揺さぶる荒々しくも、包みこむような優しさを持つ歌を
余りの速度に振り落とされないよう身を屈め目をつぶっていた鳳は
「お願い、止まって!じゃないっ!ゆっくりっ、ゆっくり走って!」そう喚きながら騎馬の首にしがみつき
急に速度が落ちた所で眼を開ければ目の前には開けた道が見え、後ろを振り向けば自分が率いていた部隊の先頭で
走っていることを理解する
「調整・・・したの?騎馬を?」
先頭に出れば速度が落ちる様に調整など、普通に考えて出来るはずが無いと乾いた笑いを一つ
馬鹿な事をと、ソレよりも現状を理解して隊を一馬に言われた様に一列にしなければと、背後の兵に向けて声を上げよう
とした時、耳に聞こえてくるのはドンドンと響く、何かを叩くような音。ソレも楽隊の奏でる笛のような音まで聞こえてくる
「なに?新城の方角?」
前方に眼を向ければ、今まで晴れ渡り、雲ひとつ無かった空が雲に覆われ陽の光が遮られ辺りは薄暗くなっていた
「雲が、一体なにをしているの風」
幾ら考えても理解の出来無い鳳は少しだけ怪訝な顔をするが、頭を振って不安な心を吹き飛ばす
風ならば何か必ず策を、そして三日もたせたのだ、雲の兵が必ず来ているはずだと後方の兵士達に声を上げた
「一列に隊を形成、一気に駆け抜けるよっ!着いて来てっ!!」
騎馬の腹を叩き、加速させ自分を先頭に隊を一列へ形成していく。これだけの部隊を一列にするならば
部隊はかなり伸びる。だが殿に一馬が現れたのならば、必ず巧くやってくれるはずだと鳳は精一杯馬を加速させて
部隊を一列に整えていく
新城に近づくたびに大きくなる音楽。そして空を覆う雲は今にも雨を降らせんばかりに集まっていく
「何を考えてるか解らないけど、生き残る。絶対にっ!」
綱を握りしめ、必死に馬を加速させる鳳。もうすぐ森を抜ける
木々が少なくなり、開けた場所に出た瞬間。鳳の眼に入ったのは真正面の巨大な櫓
黄巾を巻く男達はそれぞれに楽器を掻き鳴らし、雲の兵達は其れに合わせるようにして槍や剣を叩き合わせ音楽を奏でる
「・・・なにこれ」
大量に燃やされ、天を突くかのように火柱が上がり、天を覆う雲はますます色を濃くしていく
驚く鳳は更に目の前の光景、そして声に身体を震わせる
櫓の中心で美しく、強い歌声を響かせる一人の娘。声が耳に届くたびに鳳は心が、心臓の鼓動が早くなるのを感じる
「ダメ、魅入られるっ!走りぬけろっ耳を塞いで!!」
此のままでは足が止まると危険を感じた鳳は馬を走らせ、真っ直ぐに。一直線に櫓へと駆け抜けていく
だが・・・・・・・・
「うぅ~っ!前見るなっ!顔を下げて足元だけ見て突き抜けろーっ!!」
前を見て、目に入るは男の舞。歌声と重なり視覚と聴覚から訴えられる感覚に鳳は声を上げる
見るなと。見れば魅入られる。走りぬいて生きるなら、此のまま走りぬけろと
必死に眼を下に向け、耳を塞ぎ馬を走らせる兵達。舞と歌声に魅入られぬよう眼と耳を逸したが
此のままでは櫓に突っ込んで仕舞う。どうしたものかと鳳は考えを巡らせるが、耳に入るは秋蘭の声
「騎馬はそのまま左右に展開、櫓を迂回し雲兵と合流せよ」
一人、魅入られること無く。正面から来る兵たちに指示を飛ばす秋蘭
「そっか、秋蘭様なら昭様の舞も、この歌も大丈夫。だってこの歌」
何時も隣にいる人の・・・。そう口にしつつ、鳳は兵を引き連れて櫓の目の前で迂回し、後方の部隊と合流していく
「花郎、耳を塞いで。それから顔を私の背にうずめて前を見ないように」
「はい」
敵兵を威嚇しながら剣を腰に仕舞うと、一馬は李通の身体を己の腰紐で自分に縛り付けると騎馬を加速させる
「桔梗様、この音は」
「ああ、何かしているな。先刻のように不用意に突っ込んではいかんぞ」
「は、はい」
「罠を張って待つのが普通。奇襲を仕掛け続けた将が仕事が終わったと言った。ならば信じられんが赤壁から
何方かが此処へ戻ってきたということだろう」
「たった三日で。ならば曹操が」
「さて、何方でも厄介な事は変わらん。場合によっては後方の馬家の童っぱが到着するのを待ったほうが良い」
敵が何をしていても、後方から来る主、劉備には絶対に手を出させないと魏延は武器を握りしめ、気合を入れて
涼州の兵達と共に森から出た時、正面に広がる光景に眼を奪われる
戦場の、しかも敵を追っている状態で、森を抜け待ち構えていたのは罠などではなく、ましてや武器を構える兵でもなく
一言で言うならば儀式。火柱が上がり、音楽がかき鳴らされ、中央の櫓では美しい舞を舞う男
涼州の兵たちも呆気にとられ、この異様な雰囲気に警戒し、森を抜けた所で部隊を展開し陣形を整え始める
「儀式か?しかし、なんだ此れは。歌?」
訝しげに視線を中央に向ければ、美しく舞い踊る男の後ろで、天に叫ぶように歌う娘
その歌声は耳に入る度に心を揺さぶられる。鼓動が早くなる。そして、目の前の男から眼が離せなくなる
娘が歌うは魂の叫び
持たざる者、民達の声、願い
何故戦をするのか、何故戦をしなければならないのか
愛する人を戦場に送る悲しさ、痛苦
ただ、ただ私は愛する人と共に居たい
春の暖かさを、夏の暑さを、秋の寂しさを、冬の寒さを共に過ごしたいだけ
必要なものなど僅か、日々を暮らせる糧と、貴方が居ればいい
他に必要なモノなどあるだろうか
どうか行かないで ただ側にいてくれれば良い
側にいて、共に日々を感じて欲しいだけ
どうか死なないで、貴方が居なければ
春は冷たく、夏の熱さは私を燃やす
秋は涙を枯らせ、冬は凍えさせるでしょう
その身を引き裂かんばかりに苦痛に染めた表情で歌い続ける娘。更に続くは舞い踊る男を表す歌
貴方は私を護るため、戦に向かうと言う
我らの悲しみを、我らの怒りを知る者よ
その腕(かいな)を血で濡らし、戦場を舞う者よ
私の愛する人をどうかお護り下さい
約束の白き布は、妻に捧げし腕を包み
蒼き誇りはその身を包む
天を冠する舞の王
数多の業を刈り取る雲よ
我らの心をお護り下さい
叩きつけられるような鬼気迫る歌。左右に居る二人の娘はついていくのがやっとなのだろう
必死に声を上げ、汗を流し、声を重ねていく
娘の歌声、歌に込められた願いに涼州の兵たちは唯、棒立ちで聞き入っていた
魏延もまた、同じように心に突き刺さる進撃な願い。純粋な、飾りなき言葉に動きが止まり
厳顔は更に目の前で歌に合わせ、舞い踊る男に見入ってしまう
その舞は両手に剣を持ち、ゆっくりと溜めを作ってから激しく、踏込みと同時に舞い踊る
静と動がそこにはあり。両手に持つ剣は時折素早く交差され火花を散らす
身体を低く、地面を舐めるように回転と同時に天を仰ぎ、剣を交差させ
動きを見た兵の一人が小さく口にする
「龍が、天に吠えてる」
厳顔の眼に映るのは、眼前の男の身体が巨大な海練をもって、天に大顎を空け吠える姿
交差され、火花散る剣は顎が閉じられ牙から発する光
涼州の兵たちの眼に映る天に吠える龍
だが龍は突然、天にではなく、涼州の兵に向けて其の大顎を開けて吠える
男の表現する龍のあまりの巨大さ、そして顎を閉じると同時に発せられる男の気迫に精強な涼州は身を震わせる
魏延ですら言葉を失い、顎が閉じられる度に何故か小さく声を上げてしまっていた
「・・・兵の動きは何も無い。だが唯の儀式とは思えん。何を狙っている?」
更に激しさを増し、舞い踊る男。舞を、龍を更に巨大にさせるかのように背後の娘が歌を合わせ
楽隊や雲の兵達の表情は恐ろしい形相となり変わっていく。まるで一人ひとりが龍の身体であるかのように
これ以上は此方の士気を下げられる。馬良が来て居ないが、敵の儀式を鼓舞を止めることをしたほうが良い
そう判断した厳顔は、涼州の兵数命を引き連れ突撃をしようとした所で頬に冷たい感触
「雨?」
いつの間にか天を覆っていた雲は辺りを暗く、光を遮りポツポツと雨を降らせる
其れも唯の雨ではない、まるで目の前で舞い踊る男の交差させる剣に応える様に強く降り注ぎ始めたのだ
「ど、どういう事だ?アイツが降らせたというのか?」
「・・・」
突然のことに狼狽える兵と魏延。突撃を仕掛けようとした厳顔も足を止め、今起きている不可解な出来事に唯、舞い踊る男を
目の前の櫓を見つめるだけになっていた
己を鼓舞する姉妹の歌に耳を傾けながら、詠は思う。この歌、昭と戦場を駆けた人間以外は面倒だろうなと
下手すれば心を折られるなどと考えながら降り注ぐ雨に手をかざす
「ホントに降りだした。龍王の儀式、龍って言うくらいだから水に関する雨乞いだと思ったけど。本当に出来るなんて」
「知っていますか?その昔、殷の紂王の后に妲己と言う人が居ました。彼女には不思議な伝承が有るのですよ」
「九尾の狐、白面だっけ?それとこの儀式、何のつながりが有るの?」
「何故紂王が妲己を寵愛したか、其れは勿論美しさもあったのですが、もう一つ妖狐で有る妲己は雨乞いをして
天の使いであるかのように振舞ったとう話があります。本当かどうかは解りませんが」
「それが龍王の儀式?」
「ええ。詳しく調べた所、確かに妲己は炎を大量に焚き、舞い踊り雨を降らせたと。そんな天女を紂王が寵愛しない
わけがありませんよね」
「ふーん、炎をねぇ。でもそれだけじゃダメなんでしょう?火を燃やすだけなら誰だって出来るし」
「はい。勿論天文や、風や雲の流れを把握し、雨の降らせられる機会を見いだせる様にならなければなりません
炎は雨雲に切欠を与えるだけ。幸いにも、水鏡先生の話ではこの地域は意外と簡単に雨を降らせられるそうです」
風の言葉に関心し、敵の陣を見れば此方と空を交互に見ながら身を震わせる姿
それもそうだろう。明らかに此方の仕業で雨を降らせたとしか思えない。しかもこの儀式の様子
圧倒されるような歌声、龍を体現する舞。そんなものを魅せられては、嫌でも思い出すだろう
夏侯昭が天の御使であるということを
「雨を降らせるだけでは終わらないでしょ?まだ仕掛けをしてるはず」
「勿論です。本番は此処からですよー。風と雲の力をお見せします」
そう言うと、風は敵の背後に迫る馬の牙門旗を睨みつけるのだった
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師走とはよく言ったもので、忙しさが増してきました
しばらくUPが遅くなることをお許しください><
1月になればマシなんですが・・・
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