冬の冷たい風が吹きつけ、昼の太陽があるビルの屋上のコンクリートを温めている。そこにスキマが突然展開し、そこから
「……」
紫はコンクリートの崩れで出来た砂利が集まる屋上の角に向かって歩く。そこにあったのは、誰かが置いた一枚の手紙であった。
「『
紫は手紙の書かれている内容を呟く。
「・・・…やはりあの子、ここから飛び降りたのね。問題は……どうやってあそこに行けたのか、ね」
第7話 Runaway of Heart
人里を離れて約四十分、ようやく紫の屋敷に繋がる山の道に辿り着いたものの、迷路のような道であったため肝心の帰り道のルートを忘れていた。
「くっそぉどっちの道だ? 全然覚えてねぇよ……」
二又に分かれていた道の前に、横谷はどちらが正しいルートかを必死に思い出していた時、
ガサッ ガササッ ガサッ
「なっ、また何か来るのか!?」
草むらから、草の
日は西に傾きつつあったが、まだ空は明るい。妖怪が暴れて出てくる時間じゃないと横谷は考えたが、見えない相手がこちらに近づくことは恐怖そのものである。
それに横谷の考えを確証するものなどない。人里で会った団子屋のおばあちゃんの言うことが本当なら、夜に人間と一緒に酒を飲む妖怪がいるなら、昼から堂々と襲う妖怪もいるかもしれない。横谷はそのことも念頭に置いて見えない相手と対峙する。
ガサッ ガサッ
(動いたっ!)
再び草の擦れ合う音に反応し、正面を向きながら後ろへ徐々に下がる。飛びかかって襲いかかって来ても
ガササァッ
「……ニャーオ」
横谷は目を点にする。草むらから現れたのはまたしても猫であった。
しかもその猫は昨日の夜に見た猫そのものだった。
「……なんで?」
またしても猫だったことへの拍子抜けと、昨日見た猫がここにいることへの疑問が入り混ざってこの言葉しか出なかった。
「ニャーン」
トテトテ
猫はまるで付いて来いと言った感じに鳴き、左の道の方に歩いて行った。
「ついて来いってか…………猫を信用するなら自分の勘を頼るわっ」
そう言い横谷は猫の歩く道とは逆の道を歩いて行った。
「ニャー、ニャーオ」
猫は横谷をこちらに呼び寄せるように鳴く。しかし横谷はそれを無視して進む。
(畜生に頼るほど困ってもいねぇし、落ちぶれてもいねぇっつの)
「ニャーオ」
(それにあいつが絶対屋敷に戻ることが出来る確証が無ぇ)
「ナーオ」
(まったく、なんでこんなとこにいるんだか……)
「ニャー……」
「はぁ……」
「……」
「……」
「……ニャーオ」
「わかったよ! ついてきゃいいんだろ、くそっ!」
来た道を戻り、猫の進んだ道の方へ歩く。
そのまま二人――もとい一人と一匹――は道を歩き、猫は横谷が疲れて足を止めるときも動き出すまでその場に動かず待っているという、普通ではありえない忠猫っぷりを見せる。
道が分岐されている道に差し掛かっても迷うことなく右へ左へと進む。横谷はコイツに付いていって大丈夫なのだろうかと疑うほどだった。
横谷のそんな思いにはつゆ知らずに右、左、左、右、左、右、左、上上下下左右左右BA……はなく、猫はどんどん進んで二時間半かけてようやく屋敷に着いた。
「つ、着いたっ! あ゛~疲れた!」
幾段の山の登り坂を登り横谷の疲れはMAXになり、思わず屋敷の入り口にへたり込んだ。
「ニャオ」
「あ~いたぁ! どこ行ってたのさ、探したよ!」
猫が駆けていく方向に橙がいた。橙はその猫をまた探していたのだろうか、駆け寄った猫を抱え上げて怒った口調で猫に話しかける。
「あ」
「あっ……」
二人は目が合った瞬間、声を漏らした。そしてすぐさま橙は、猫を抱えて屋敷の中に逃げるように走り出した。
横谷が条件反射に近い形で声をかけて呼び止める。
「あ、ちょっ、ちょっと待ってくれ」
「……なに?」
橙は呼びとめられて体をこわばせながら、首がまるで機械仕掛けのような動きで顔を横谷に向いた。
「橙がコイツを差し向けたのか?」
「え……私そんなことしてないよ……ただ、この子探してただけ」
橙は少しビクビクしながら問いに答えた。確かに横谷を避けている橙がそんなことをすることは思えない。
「あぁ、そうか……ってああ待ってくれ!」
一刻も早く横谷から離れたかったのか、答えた後すぐに逃げる態勢に入っていた。横谷は慌てて再び呼びとめる。
「もし伝えられるならソイツに伝えといてくれ……あ、ありがとう、って」
コクッ タタタッ
最後の言葉は恥ずかしがりながら言う。言い終わったと見るや否や橙は無言で首を縦に振り、すぐに駆けだして屋敷の中に消えていった。
(とことん、嫌われてるな。まぁ、構いやしないが……)
外の世界で嫌われ馴れている横谷でも、ここまでの避けられっぷりに思わず心の中でぼやく。
「取りあえず、コイツどうすりゃいいよ……」
背にもたれてる優が、その後ろの大量に食料などが入っている籠を流し目で見て途方に暮れると同時に、睡魔が少しずつ忍び寄ってきた。
「おい起きろ! どこで寝ているんだ!」
「んおっ!?」
藍の大きな呼び声で起こされた。どうやら睡魔に負けてあのまま寝てしまったらしい。太陽は着いた時より西に傾き、夕焼け空になっていた。
「あぁ……寝ちまってたか」
「寝ちまってたか、じゃないだろう、早くそれを運べ。あと風呂の火の番の方も頼むぞ」
鬼畜女狐め、と心の中で罵りながら横谷は黙って籠を背負い藍と一緒に屋敷に入る。藍が持っている油揚げが入っているであろう袋が三つあるはずが一つしかなかった。道中我慢できずに食べたのだろうか……。
食料を食糧庫に入れ終わり、そのまま風呂の火の番に就く。かなりいい感じに湯が湧いた頃に、どこからか扉の開いた音が横谷の耳に伝わる。
(えっ、まさかっ!?)
「火の番ごくろ―さま♪」
紫の明るい声が風呂部屋から聞こえた。紫の声を聞いた瞬間、横谷は心臓の鼓動が早くなる。
「……どうも」
咄嗟に冷静を装うが頭の中は色々な雑念が湧いていた。紫に悟られないように努めて冷静になることがかえって紫にバレてしまうのでは、とも横谷は思っていた。
「ごめんなさいね、ウチの藍。厳しいでしょ?」
「別に構いませんよ。慣れてますから……」
「藍がいないときでも敬語を使わなくてもいいわよ? ふふ」
からかう様に笑う紫。横谷は頭の中にある雑念を焼き払うかのように火をずっと見つめる。
「今みたいに藍の姿が見えないときに……ね」
突然紫の口調が
「んふふ、緊張してるの? 顔に似合わずウブなのね」
顔は余計だと声に出したかったがこれも聞こえなかったふりをして、更にわざと
「隠さなくてもいいのに、ふふふ」
完全に誘っている――横谷は紫の声と言葉で自分を誘っていると推測した。横谷を誘って小窓から紫の裸を覗かせると思いきやお湯をぶっかけられ「アッハッハ、見かけによらずむっつりスケベなのかしら。あははは!」とバカにするつもりだろう。
いや、それはまだいい方である。万が一その行為の一部始終を藍に見られでもしたら、紫は冗談のつもりでも横谷の姿が冗談では済まされないものになる。
「以外に頑固なのね。しょうがない」
バシャ チャプ チャプ
なかなか誘惑に乗らない横谷に、つまらないと諦めたのかそれきり声をかけることはなく、お湯が床に打ちつける音と湯船に入る音が聞こえた。
(今だ!)
横谷はこの機を逃すまいとそそくさとその場から立ち去ろうとした。
「いいのかしらぁ? こんな機会滅多にないと思うけど」
逸る気持ちを抑えたつもりだったが強い足取りが聞こえたのか、紫は再び横谷を誘う。
「……なんのですか」
しびれを切らして横谷は観念したように口を開く。あくまでもしらを切る状態で。
「とぼけなくたっていいわよ、あなたは男の子なんだから」
「どういうことなんでしょうかねぇ……」
「あなたがあの時の私に満足しているなら、それでいいけど。今の私は、生まれたままの姿なのよ?」
「妖怪の生まれた姿なんて想像したくないですね」
話をそらそうと精一杯の言葉を言うが、頭の中にある理性が本能に徐々に侵食していく。
「これ、藍に見られたら半殺しにされますよ」
「大丈夫よ、いま藍は夕飯作っているからすぐには来ないわ」
「そうですか、じゃあ見られる前に退散します」
「無理しちゃって、うふふ。声がだんだん上ずっているわよ」
横谷は気づいていなかったのか、それを聞いて心臓の鼓動が一段と強くなった。
「あなたが男の方が好きだったり、度胸が無いのなら無理にとは言わないけど」
「エヘン……男好きじゃないです。それに、そう言って挑発しても無駄ですよ」
咳をして声を整え反論する。外の世界にいた頃の無理やりな経験が、相手の挑発や悪口を聞いても動揺することが無くなるという特異な体質が働く。
むしろ、今の挑発を聞いて心臓の鼓動が正常に戻った。
「ホント、つまらない外来人ね。そんなんだからいじめられるのよ」
(っ……)
しかし、鼓動が再び強くなる。視界が一瞬暗くなったと思ったほど意識が外に消えかけた。
イジメ、今の単語が横谷の耳にしかと届いた。
「あら図星かしら?」
「そんなわけね……ないですよ。まぁ、小さいいじめくらいなら、自分だけじゃなくて外の人なら誰にだって味わってますよ」
「小さい、イジメねぇ」
「……もういいですか?」
そう言って横谷は再び歩き、屋敷の中に戻ろうとする。これ以上関わって惨めさをさらけ出す可能性もあると考慮してのことだ。
「自殺するほどその小さいいじめを受け続けたのかしら?」
「そんなわけ――」
「――ずっと苦しい思いをするくらいならいっそのこと身を投げ出したほうがいいと思ってアレを書いたのかしら?」
また歩みを止める。さらに鼓動が強くなる。
その鼓動の強さに耐えきれず呼吸が荒くなる。すぐに反論したかったが言葉が出てこなかった。
「案外、脆いのね」
紫がとどめの一言。
「……黙れ。第一、俺が自殺した証拠がねぇ。勝手に憶測するな」
頭の中は憤慨の念一色に染まり遂に敬語が無くなり、憤慨の気持ちが混じるタメ口で紫に喋る。
「やっと敬語で無くなったわね。証拠なら……自分が良く知ってるはずよ。一行だけの文章に『愛美、ごめん。弱い俺を許してくれ』って書いてある紙を」
「!?」
横谷はその言葉を聞いて大きく目を見開き、手汗がどっと出てきた。
遺書――屋上にあった横谷が書いた手紙の内容をそのまま紫が口にする。
「お前……まさか!?」
「愛美って、恋人? それとも妹かしら?」
「逸らすな。お前あそこに行ったのか」
「あなた家族いないの? 両親らしき名前なかったけど」
「話を聞け! てめぇ、なんでわかった」
わざと話を逸らす紫に横谷は激怒しながら
「あなたの遺書への残留思念のおかげで見つけられたわ」
「……俺と藍が人里に行ってる間か」
「ええそうよ、あなたが飛べない事でいい時間稼ぎになったわ。念を押して藍に油揚げを買わせることも無かったわね」
「くそが……」
今回の二人での人里へのお使いはこの為に計画されたものだったようだ。横谷は紫の
「どんな
「んだとぉ……!」
外の世界での普段の横谷ならこの罵りもスルーする出来たはずが、不安定な心の状態のせいで挑発を簡単に乗ってしまう。
「男性はどんな苦痛も耐えて女性を守るものでしょう。その女性を置いて地獄に逃げようだなんて、今の外の男性はこんなチキン野郎ばっかなのかしら」
「てめぇ……誰がチキン野郎だこの女ァ!」
「チキン野郎じゃないと証明したいなら、こちらに来ては話しなさいよ、チキン君♪」
「あぁ!? いいだろう行ってやるよ!」
横谷は感情の
「どうしたのチキン君? 早く来なさいよ」
再度紫が挑発を仕掛ける。
「うるせえ! ……後悔しても知らんからな!」
最後の言葉は口ごもりながら言い小窓に手を掛け勢いよく開ける。そして風呂場の中を見……。
「んふふふ~、残念でした♪」
そこにいたのは素っ裸の紫ではなかった。タオルを巻いていたわけでもない。
紫のフリル付きドレス、つまり普段着であった。今までの水流の音はお湯を桶で掬って水を落としたり、足だけを湯船に入れただけなのだろう。想像とは違った光景に横谷は思考が止まり、体を動かせなかった。
「じゃあね~チキン野郎改めスケベ野郎さん」
バシャーン
「ぶおっ!?」
桶の中のお湯を横谷に目がけて勢い良くかける。顔面にモロに食らい驚いて足がもつれ、後ろに情けなく倒れる。
「あ、ちなみにこの後ちゃんと入るから、早くそこから出てってね」
ピシャッ
紫は呆けた顔をした横谷に向かって短く言い放ち、窓を閉めた。
横谷はたちまち怒り心頭に発する。目が血走り、手をワナワナと震わせている。
紫にチキン野郎やらスケベ野郎などと挑発された事、紫の挑発に結果的に乗ってしまった事、紫に自分が自殺しようとしたことを知られた事、この怒りと自分の愚かさと恥ずかしさが入り混じり、声も出ず涙も出てしまった。
終始言葉少なだった。藍の夕飯を作る手伝いをしている間も、夕飯を食べている間も返す返事が「はい」「ああ」と一言のみだった。普段の横谷も自分から喋ることはないのだが返事の方はもう一言くらいはあった。
そして紫が話しかけたときは、なぜか間を少し置いてから返事していた。藍も橙も横谷のその様子に不思議に思っていた。
「おい、お前何かおかしいぞ。どうした?」
「……別に……」
「この子、私の裸を偶然見ちゃってからこんな様子なのw」
紫が話に割り込んでくる。しかも嘘の話を藍にわざと聞かせる様に、横谷の目の前で喋る。
「なぁっ!? おい、それ本当なのか!?」
藍は驚き顔を赤くしながら横谷の方を見て叫びながら訊ねる。横谷は箸を止め、顔をうつむいていた。
「おいどうなんだ!」
「チッ、御馳走さま」
横谷は舌打ちした後返事をし、箸と茶碗を持ってその場から立ち去ろうとする。
「お、おい待て!」
藍は慌てて立ち、横谷の肩を掴み引きとめた。
「おいお前! 帰ってきてから様子がおかしいぞ、一体どうしたんだ! そしてあの話は本当なのか!!」
「……ハァ」
ため息を吐き、少し間を置いてから横谷は藍の方を向いた。
「うぜぇ……離せ」
「ッ!?」
ドスの利いた声が藍の耳に届き、それと同時に鋭い眼光が藍に向けられる。横谷の周囲には触れたくないような憎悪のオーラに満ちていた。藍は気圧されて手を離してしまう。
「チッ」
横谷は再度舌打ちをし、台所のある方へスタスタと歩く。
「あ、おい!」
ハッと我に返り、呼びとめようと藍は叫ぶ。が、それでも横谷は無視して歩き続ける。
「……そっちじゃないぞ。台所は右だ」
「っ……」
真っ直ぐ台所から通り過ぎた横谷を藍は注意した。横谷は歩みを止め数歩戻り、右の台所に入る。
「……一体どうしたっていうんだ」
「さぁ? 多感な時期だからじゃないの?」
「紫さま、アイツに何かしたのですか……」
「や~ねぇ、私を悪人みたいに」
「いえ、そういうわけでは……」
「あの子をちょっとからかっただけよ。あの子のリアクションが面白くてつい、ねw」
「そう……ですか」
(少しからかって、あれだけの憎悪に満ちた雰囲気が出るのだろうか……)
藍は、横谷のあの様子を紫がなにか一計を講じたのかと怪しく思った。
横谷は箸と茶碗を流し台の上に置いてすぐに客間に入り、人里で買った衣服とバスタオルを持ちそのまま風呂場に直行する。服を脱ぎ、手拭いと桶を持ち風呂場に入る。
立ちこもる湯気と男性一人が足を伸ばしても少しスペースが余るほどの大きさの湯船が見えた。横谷は湯船からお湯を
「……実家以来だろうか足伸ばして風呂入るの」
横谷の住んでいる東京のアパートの風呂はユニットバスで、身長はそれほど高くないが湯船は膝を多少曲げてでないと入れないほどの狭さであり、我慢しながらもいつも風呂ぐらい足を伸ばしたいとシャワーを使いながら愚痴っていた。
「ハァ……スーッ……」
ジャボン!
横谷は目を閉じて思い切り深呼吸したあと、唐突に湯船の中に顔をうずめた。
(・・・・・・・)
鼻から空気をブクブクと少しずつ漏らしながら何も考えず顔を沈み続ける。こうすると、で今までの精神的と肉体的の疲れ、そしてあの時のやりとりでの心の荒みがお湯に溶けて心が癒えていく気分になった。
「ぶはぁ!」
三分ほど潜った後、顔を勢いよく上げる。
我慢出来ないと思うほどギリギリまで潜り続けたので心臓はバクバクと鳴っていたが、なぜだか心地よいものだった。少しの間でも嫌な気分を忘れることが出来た代償と無意識に感じたからだろう。
頭と体を洗い、その後すぐに風呂から上がり人里から買った衣服を着る。着ていた服は後日八雲家の洗濯物とは別に洗うことになっている。
(何で俺は嫌な目にしか合わんのだろうか、ふざけてやがる。一刻も早く帰りてぇのに……)
自分の身に振りかかる悲運に呪いながら、横谷は早足で自分の寝室に向かう。
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