No.340763

とある騎士の秘密手紙 2 【完結】

01_yumiyaさん

秘密結社編、アカエリスタ王国捏造。  作品背景だけ借りた半オリジ話。  生ぬるいが若干エグい。

2011-11-28 17:25:08 投稿 / 全24ページ    総閲覧数:419   閲覧ユーザー数:410

朝、バキバキと体を鳴らしながらノビをして僕は目覚めました。

 

昨夜は兄さんの様子がおかしかったな、と思い返しながら着替えを始めます。まだ若干体は痛いですが、動けないほどではありません。

なんとか着替え終わり、いつも通り朝食を作ろうとキッチンに向かいました。

 

キッチンの机の上に

何か置いてあるのに気付きました。

近寄ってそれを手に取ります。

 

(…手紙?)

 

僕はこんなもの置いた覚えがありません。

家には金目のものなんてありませんから、泥棒だとか怪盗だとかが置いたわけでもないでしょう。

 

つまりこれは、兄さんが書いたもの、でしょうか。

なんだろう、と僕は封を切り中身を取り出しました。

 

『怪我したから引退する。

        探すな』

 

…。

…え…?

 

もう一度手紙を読み直します。

何度読んでも同じことしか書いてありません。

あぶってみましたが、軽く焦げただけでした。

封筒をひっくり返してみます。

何も入っていませんでした。

手紙を読み直します。

いくら読んだところで、文面が変わるわけもなく、僕はただ同じ文章を何度も何度も読み返しました。

 

僕は動揺しながら手紙を握りしめて、兄さんの部屋に向かいました。

『引退』ってなんですか兄さん。

『探すな』ってどういう意味ですか兄さん。

この置き手紙はなんですかどういう意味ですか兄さん。

 

(冗談、ですよね?)

 

 

兄さんの部屋の扉を前にして、僕は動きが止まります。ただノブを回すだけ、それだけのことなのに、怖くて、体が躊躇しました。

ゆっくりと息を吐いて、震える手で兄さんの部屋の扉を叩きます。

返事はありません。

 

(きっとまだ起きていないだけだ。そうだ兄さんはまだ寝てるだけ、返事がないなんて、いつものことじゃないか)

 

自分に言い聞かせるように無理矢理理由をこじつけて、僕は深呼吸しながら扉のノブに手を延ばしました。

無理にこじつけた想いとは相反する、もうひとつの想いを押し殺しながら。

 

(兄さんはあんな冗談言う人じゃない。冗談であんなことする人じゃない。わざわざ手紙を残したということは、 きっと 兄さんは、 本当 に)

 

軽く目を瞑って今の考えを否定するように首を振り、僕はゆっくりノブを回しました。

恐る恐る兄さんの部屋の扉を開きます。居てくれることを期待しつつ、兄さん…?と小さく声を出しながら。

扉を開いた瞬間、ひんやりとした空気が隙間からあふれ、僕に襲いかかりました。

その空気に耐えながら、僕は扉を開けていきます。扉が開くたびに部屋の中が徐々に露わになっていきました。

扉を開ききった僕の目の前に広がる兄さんの部屋には、なにも、ありません。

 

誰もおらず、私物もなく、残っているのは大きな家具と騎士隊で使っていた武器と防具だけ。

昨日の朝、兄さんを起こしたときとは全く別の部屋のようです。

ガランとした、家主がいなくなって物悲しい雰囲気の部屋が眼前に広がっていました。

僕はふらっと部屋に入り、兄さんを探すかのように部屋中をふらふらと歩きまわります。

 

兄さんがこの部屋にいないのは理解しています。

隠れる場所なんかないのもわかっています。

 

けれどまだ信じられなくて。

  信じたくなくて。

地に足がついていない感覚のまま僕は部屋中を歩きまわり、一通り確認したあと残されたベッドの上に力無く腰を下ろしました。

座り込み俯く僕の頬を何かがふわりと撫でます。

不思議に思って顔を上げると、風が窓にかかった羊皮紙を揺らしていました。

 

(ああ、そうだ。もしかしたら、兄さんは外にいるのかもしれない)

 

そう思い、すがるようにかかっている羊皮紙をめくりあげました。

窓の外にはいつもと変わらない景色が広がります。

ただ少しだけ違うのは、庭に何かを燃やしたような跡があったことでしょうか。

僕は思わず窓を乗り越え、それを確認しに外へ走り出しました。

 

燃え跡にあったものはほとんどが真っ黒な炭と真っ白な灰。

ですが、隅の方に燃え切らなかった布の切れ端がありました。

手に取って確認してみると、それは何度も目にした兄さんの寝間着と同じもの。

その布の切れ端を握りしめたまま、僕は顔が上げられません。

 

(燃やしたんですね、全部)

 

おそらく夜中に。僕が眠ったあのあとに。すべてを燃やしてすべてをなかったかのようにするためにすべてから逃げ出してすべてやり直すために。

 

僕は布を握る拳をさらに強く握りしめ、歯を食いしばるように歪ませて、ポツリと呟きます。

 

 

なんでですか

なんで急に。

 

なんで急にいなくなるんですか

       兄さん

 

 

呆然としていた僕の耳に、聞き覚えのある声が響きます。はっと我に返り、慌てて声のした方に顔を向けると、

 

「あ…」

 

訪ねてきたのは僕の友人でした。友人は僕の姿を見て、ほっとした表情になります。

 

「よかった。時間になっても来ないからふたりとも倒れてるのかと…」

 

そう言いながら、友人は僕に駆け寄ってきました。

なかなか城砦に現れない僕らを心配して、迎えに来てくれたようです。

安心したように話す友人でしたが、僕の顔を見て不意に不可解そうな顔になりました。

 

「…?」

 

僕の様子がおかしいことに気付いたらしい友人は、心配そうな表情に変わります。

まだ調子が悪いのか、と問いかける友人に、僕は兄さんが残した置き手紙を差し出しました。

 

「何、……」

 

不思議そうに手渡した手紙を受け取り、友人は中身を読んでいきます。

絶句し、慌てて僕の顔を見、再度手紙に目を戻し、僕と手紙を交互に見ます。

驚いたような表情の友人は、言葉を一度飲み込んでから首を振り、少し厳しい顔でなんとか言葉を絞り出しました。

 

「…皆に相談しよう」

 

そのまま友人は僕の手をとって駆け出します。抗う理由もない僕は、友人に引かれるまま本拠地に向かって走り出しました。

 

息を切らして本拠地に到着した僕たちは、全員を集めて兄さんからの手紙を開示しました。

兄さんからの手紙を読んで騎士隊の全員が驚きます。

手紙を読んだ皆さんは口々に僕に問いかけました。部屋の様子や昨日の兄さんの様子、手紙のあった場所。

僕はただ、問われるがままに答え続けました。

 

しばらくの間ざわついていた室内でしたが、騎士のひとりがポツリと呟きます。

 

「部屋の様子からみても、隊長はおそらく二度と戻らない、そんな覚悟の上で出ていったんじゃないか」

 

その言葉を聞いて、室内はしんと静まり返りました。

どうしていきなり、と疑問の声もあがりましたが、理由なんかいくらでもあるだろう、と反論が聞こえます。

 

『昨日の今日だ、王室に嫌気がさしたのだろう。

国王がいきなり来たせはいで昨日の事故が起こったわけだし。

そのせいで自分も弟も怪我をした。

弟が怪我で動けない昨日は出ていく絶好のチャンスだったんだろう』

 

そんな意見が飛び交いはじめました。再度、室内がざわつきます。

僕は喧騒から離れ、力無く壁に寄りかかりました。

友人も僕の傍で寄りかかり、僕の顔を覗き込みながら呟きます。

 

「…まあ、たしかに、君が普通に動けたら、

お兄さんをむざむざ逃がさなかっただろうしね」

 

否定できません。

多分出ていく気配に気付いて取っ捕まえたでしょうね。

頭を掻き、僕はポツリと呟きました。友人も苦笑しながら頭を掻きます。

僕は不意に頭を上げて、ガヤガヤと話し合う騎士隊の皆さんを眺めました。

 

騎士隊としての結論は『王室に嫌気がさして出ていった』ですが、

もしかしたら、僕が原因かもしれません。

知らず知らずのうちに、僕は兄さんに重圧をかけていたのかもしれない。

それが嫌で、兄さんは出ていったのかもしれません。

 

だったら、兄さんがいなくなった原因は僕。

僕のせいで、兄さんは、騎士隊長の地位を捨ててまで出て行った。

僕ら、騎士隊を捨てて。

僕のせいで、

 

「それは、ないよ」

 

友人が、僕を遮りました。声が漏れていたようです。

置き手紙を見たときから、ガランとした部屋を見たときから、私物を燃やした跡を見たときから、ずっと僕の頭から離れなかったこと。

『僕のせいで、兄さんはいなくなった』

それは、友人によってあっさりと否定されました。

友人は、まあそりゃプレッシャーにはなってたかもしれないけどさ、と笑いながら言葉を続けます。

 

「昨日わざわざ君を連れ帰っただろ?最後に一緒に居たかったんじゃないかな」

 

もし嫌だったら、わざわざ連れ帰らないでそのまま逃亡するよ、と友人は笑います。

笑いながら、友人は僕の目をしっかりと見てやんわりと問いかけました。

 

「…昨日、お兄さんになんか言われなかった?」

 

言われて僕は思い出します。昨日、兄さんが最後に言った言葉。

ずっと前から僕が欲しかった言葉。

兄さんからの『ありがとう』。

 

「それを言いたかったから、手間かけて連れ帰ったんだと思うよ」

 

そう言って友人は微笑みました。だから、大丈夫だよ、と。友人は変わらず柔らかな笑顔で僕を見ます。

 

(そうだったら、嬉しい)

 

実際はどうかはわかりません。昨夜兄さんが何を思っていたのか、僕には友人にはわかりません。

ですが、友人の言葉で少し救われた気持ちになりました。

あのままひとりでいたら、ぐるぐるとおかしな思考に陥っていたかもしれません。

今の言葉と、今朝来てくれたこと、両方に感謝しながら僕は友人に微笑んで『ありがとうございます』と伝えました。

ほっとしたような表情の友人に、僕は身振りを加えながら話します。

 

この騎士隊は兄さんが率いていました。

その隊長が逃亡とか前代未聞です。

国としても痛手じゃないですかこれ。

僕らの存続も危うい。

どうしたらいいんでしょうか。

 

「あ。うん、…どうしようか」

 

友人が困ったように笑いました。その態度に呆れて、笑ってる場合ですか、と僕がため息をつくと、

 

「や、…さっきまで顔色真っ青で死にかけてたから。…なんかふっきれたみたいだね。よかった」

 

そう言って友人は僕の顔を見ながらまた笑いました。僕は思わず自分の顔に手を当てます。

そんな僕から目を逸らし、友人は軽く宙を仰いで呟きました。

 

「騎士隊の一大事に、友人の心配してるオレは大物なんだか小物なんだか」

 

そして友人は照れ隠しなのか若干大きな声で、ははは、と笑いました。

僕はキョトンと顔を呆けさせ、友人の気恥ずかしさが移ったのか目を逸らしながら、小さく呟きます。再度、同じ言葉を。

 

『ありがとうございます』

 

と。

 

 

僕たちが隅で会話をしている間、騎士隊の皆さんは

『隊長がいなくなったのは王室のせいだ』

を皮切りに、日頃の不満を口々に言い始めていました。

 

いろいろな言葉が飛び交います。僕たちも会話をやめ、皆さんの不満に耳を傾けました。

しばらく聞き続けましたが、なんといいますか、その、

そ、そこまで言わなくても、いいんじゃないで、しょうか。

少しばかり冷や汗が流れました。それは友人も同じだったようで、目を見開きながら呟きます。

 

「…オレも王室には不満があるけど…ここまでの罵詈雑言は出てこないや」

 

友人は困ったような、感心したような声色で冷や汗を流します。僕も同感です。

というか、これ王室の人たちに聞かれたら首が飛ぶんじゃないでしょうか。

物理的に。

 

僕たちは王国騎士団の名誉も貰っています。

町の人なら首謀者だけ、かもしれませんが

僕たちの場合、全員の首が飛びかねません。

護るべき国の悪口を言うなんて、と連帯責任で全員の首と胴が離れそうです。

 

しかし、悪口と言うものは同意してくれる人がいると止まらないものです。

ますますヒートアップした罵詈雑言に僕たちが若干引きはじめた頃、バンと勢いよく扉が開かれました。

 

音に衝撃に驚いて、全員が扉の方に視線を向けます。

勢いよく扉を開けて入ってきたのは、煌びやかな紋章をつけた派手な装いの人間。

あの紋章は騎士隊の本拠地で、自宅で、街で。嫌というほど目にしたことがありました。

その紋章は王室のもの。

つまり、彼らは、王室の、人間。

 

それに気付いた全員は『しまった』と表情を歪ませます。先ほどまで散々大声で散々王室の悪口を言い合いました。確実に聞かれているでしょう。

僕も皆さんと同じように顔を曇らせます。直接悪口を言っていないとはいえ、止めもしなかったならば同罪です。

不敬罪で取っ捕まる一歩手前です。

兄さんもいなくなり、騎士隊も全員取っ捕まったら誰がこの国を守るのでしょうか。

 

突然入ってきた王室の方は他の皆さんを憎々しげに睨んでから、真っ直ぐ僕の方に歩いてきました。

わけもわからず突っ立っていたら乱暴に腕を引っ張られます。

ざわっと部屋がざわめきます。

驚いて目を見開いたまま固まる僕に、王室の方は冷たく言葉をぶつけました。

 

「国王様がお呼びだ」

 

そう言って王室の方は本気で憎々しげに僕を睨みつけ、掴んだ僕の腕をさらに強く握りました。

痛みで僕は思わず目を瞑り声をもらします。抵抗しようと身体に力を込め、拒絶の意を唱えようと口を開きます。

そんな僕に気付いた王室の方は強い語気で言葉を続けました。

 

「騎士隊長…お前の兄の逃亡の件について話がある」

 

反射的にビクッと僕の体が反応します。思わず王室の方の顔を見上げ、反論しようと思った口はピタリと止まりました。

彼は僕に笑顔を向けました。その表情にぞっと身震いします。

 

だって、兄さんがいなくなったことは、

騎士隊の皆さん以外には、誰にも、話して、いませ、ん。

だから、まだ、王室に気付かれる、はずが

 

 

「我々を舐めるな」

 

僕の思考を遮るように、王室の方は楽しそうに笑いながら、バレないはずがないだろう?と言葉を紡ぎます。

 

『国境近くで騎士隊長さんとよく似た人を見かけた。まさかと思い家に押し入ったらガランとした部屋。

おかしいだろ?一気に家財道具一式捨てるなんて。つまりあの隊長さんはこの国の全てを見捨てて「逃亡した」んだろ?』

 

そもそも『騎士隊長』がひとりだけで国境近くにいること自体が異様だしな。と王室の方は嫌な顔で笑います。

 

兄さん…

逃げるならもっと上手く逃げてください…。

 

王室の方の言を聞き、ついため息が漏れました。

国境近くで発見されるとかツメが甘すぎます。逃げるならちゃんと見つからないように逃げてください。兄さんは有名人なんですから。

 

微妙な表情でため息をつく僕の態度に腹を立てたのか、捕まれた腕がなおさら強く握られました。

痛みに耐えきれず、思わず捕まれた腕を振り払い叫びました。

 

僕は兄さんがいなくなった理由も、逃げた先も

何も知りません。

 

と。

 

僕がそう言い放った瞬間、シュッと剣を抜いた音が僕の耳を襲います。

空気を切り裂くひやりとした気配が間近で感じられました。

冷たい気配に目を向けると、僕の腕を掴んでいた王室の方が僕の首に刃を当てています。僕は息を飲み、ピタリと身体を強ばらせました。

 

「動くな」

 

王室の方は短く冷たく命令し、僕を睨みつけます。

僕は刃から視線を戻し、剣を持っている王室の方を見据えました。

睨み合いながらも、王室の方は僕に言葉をぶつけます。

 

「お前らが王室の悪口を言っていたのはこの耳でしかと聞いた。……もしお前が大人しくついてくるなら、何も聞かなかったことにしてやるさ」

 

そう言って彼は少しだけ、僕の首に当てた刃をぐっと押し付けました。

彼は言います。

『今ここで全員の首と胴が離れるのと、お前が大人しくついてくるの、どちらがいいか』と。

 

…わかりました。

 

選択肢は無いに等しく、選べる事柄は片方だけ。

ここで大量殺人事件を起こす気はさらさらありません。まあ、全てもみ消されるのでしょうけど。

ここで全員死んだら、おそらく僕らの関係者全て消されます。家族も友人も恋人も。

たかだか兄さんが逃げただけ。事を異常に大きくする必要は、ない。

 

彼を睨みつけながらも僕は彼に従います。

「よろしい」

そう笑って、彼は剣をすっと引きました。

引かれた跡そのままに、僕の首に赤い線が引かれます。そこから滴る赤い液体。首もとを襲う熱い感覚。

 

間近でみていた友人が息を飲み、不安そうな顔を僕に向けます。

僕は流れる血を手のひらでぐっと拭い、再度王室の方を睨み付けます。

手のひらに塗られた赤い色。拭ったときに傷口に触れたためかピリピリとジンジンとした痛みが身体中に走りました。

 

(このくらい、大したことない)

 

いつもの訓練で鍛錬で味わう痛み、実戦で前線で味わう痛み。それに比べれば大したことはありません。

ただ、いままで味わったことのない感覚が僕の中に巣くいました。胸の奥に生まれた嫌な感じ。

 

(この感覚、僕は知らない)

 

モヤモヤした気持ち悪さに若干心乱されながら、僕は一歩前に出ます。

彼はまた僕の腕を掴み拘束しようとするので僕は乱暴に手を振り払い、自分で歩きます、逃げません。と静かな声で返しました。

 

凄く苛ついた顔をされましたが僕は無視して先に歩き出します。

外に出ると王室の馬車が停まっていました。乗れ、と指示されます。

言われなくても、と若干苛つきながら僕は乗り込み指示された場所に座りました。

両サイドに王室の方が座りこんだと思ったら、剣を抜き、僕の首の前で交差させます。

 

変な真似をしたらすぐさま首をはねる、という脅しでしょうか。

そんなことしなくても逃げませんよ。

 

ガタガタ揺れる馬車で、目の前に刃。

うっかり事故って僕の首が切れそうです。

逃げませんから、剣しまってください、と言ったら物凄く睨まれました。

 

馬車が揺れる度に、剣同士が擦れ合う不愉快な音が響きます。

その音に耐えきれなくなってきた頃、馬車が止まりました。

首は動かさず、目だけで外の景色を見ます。

僕の目に映ったのは立派な門。城には来たことがありませんでしたが、無駄に豪華なこの門は確実に国王の居住でしょう。

お金がないだのなんだと言う割には、無駄に豪華にするの好きですよね。王族とか貴族って。

 

貴族と呼ばれる上流階級の人たちに若干疑問を持つ僕を後目に、入城のやり取りが終わった馬車はゆっくり動きだしました。

王族の権威範囲に入ったからなのか、領地に入ったからなのか、両サイドの王室の方はすっと剣を納めます。

ようやく首周りの窮屈から解放され、はぁ、と僕は小さくため息をつきました。

 

馬車が停まり、降りろと指示をされます。

素直に降り、少し馬車から離れたら僕の前後左右を王室の方で固められました。

心底うんざりしながら、僕は前を歩く王室の方に遅れないように城の中に入っていきました。

 

後について歩いていくと、広間に到着しました。広間には玉座と、それに座る国王が待ち構えています。

玉座の正面まで連れてこられた僕の目の前に、左右のふたりが槍を突きだし交差させ、槍が僕の鼻先をかすめました。

 

「そこで、止まれ」

 

…口で言うのを先には出来ないんでしょうか。

気付かれないようにため息をつきつつも、素直に止まった僕を見て、ふたりは槍を降ろし、待機の型に持ち変えました。

僕は国王と真正面から対峙します。

 

 

国王は挨拶などせず、また事情を聞くこともせず、開口一番ただ一言、

『お前が騎士隊長になれ』

とだけ命じました。

呆気にとられた僕を見て、王は言葉を続けます。

 

「大したことではない。…お前が跡を継げというだけの話だ」

 

なおさら意味がわかりません。

騎士隊は血縁での継承はしていませんし、隊長になるならばそれなりの実力と統率力が必要です。

 

僕にはどちらもありません。

 

疑問が渦巻き、胸の奥で先ほどからの嫌な感覚が暴れ出します。

なんだろうこれ。なんだろうこの嫌な感じ。

王が喋るたびに、王室の奴が喋るたびに、胸の奥がズシンと重くなります。…気持ち、悪い。

少し目を伏せて額に手を当てる僕に、王が語ります。

 

「お前が共謀して兄を逃がしたのだろう?…ならば責任をとって、残ったお前が跡を継ぐのが道理だ」

 

…してません。

 

想いを押し殺しながら僕は言葉を紡ぎます。兄さんの逃げた先すら知らないと、絞り出すように。

そんな僕を見て王は笑います。

 

「そんなはずはない、なんせ唯一の兄弟だ」

 

ならばお前はよっぽど兄に信用されていなかったのだな、と

王は笑います。

 

その笑い声を聞いて、先ほどから僕に巣くう嫌な気持ちの正体に気付きました。

この胸糞悪い気持ちは、この不愉快な気持ちは、この気持ち悪さは

理不尽な暴力と理不尽な命令に対して生まれたものだと。

絶対に逆らえない立場から見下され、不条理に押し付けられたことによる嫌悪感だと。

訓練でも鍛錬でも、試合でも前線でも、戦う相手は同一の立場に立っていました。

しかし今回は違います。

ただ命じられ、ただ従えと、上から脅される。

僕は彼らに逆らえない。護るべき国の、僕らが育った大切な国の、大好きな国の、一番上にいる奴らだから。

だけど、

 

だけど!!

 

僕自身に巣くう気持ち悪さの正体に気付き、その原因にも気付いて。自覚した怒りを押し殺すことは出来ませんでした。

なんでこいつらは好き勝手言うんだ、なんでこいつらは自分勝手なんだ、自分さえよければそれでいいのか、周りを見ないで周りの気持ちも知ろうとしないで。

貴方たちだってただの人間じゃないか。僕らと同じ、ただの、なんの変哲もない、人間じゃないか。

 

怒鳴り散らそうと口を開きました、が、ふと気付き辺りに目を向けます。

ここには、敵しかいない。ならば、怒鳴り散らすのは、得策じゃない。

下手に動いて、騎士隊に危害がまわったら、どうする。兄さんが守ってきた僕らの騎士隊を、僕が潰すわけには、いかない。

 

 

僕は目を瞑り、軽く深呼吸をしました。落ち着いて、

…そうだ、落ち着け。

騎士隊に害が及ぶのは避けたい。が、僕を拉致した彼には『騎士隊が王室の悪口を言っていた』という事実を握られている。

僕が下手に逆らったら、彼は嬉々としてそれを報告するだろう。嬉々として僕らを殺しにかかるだろう。

なら、

 

…行き先は知りませんが、兄さんが出ていった理由なら、知っています。

 

僕は静かに言葉を紡ぎました。落ち着いて、静かに、一言ひとことゆっくりと。

僕は『騎士』だ。騎士ならとる行動はひとつ。誇り高い騎士ならばとるべき行動は。

ふぅと僕は息を吐き出しました。これからやる行動は、おそらくとても馬鹿げたこと。とても愚かな言動。

けれど、仲間を守るため、騎士隊を守るために、騎士の僕がとるべきこと。

『誇り高き騎士』ならば。

 

 

嫌な笑いをする王に向かって、僕はキッと厳しい視線を浴びせます。

怯まず恐れず真っ直ぐに。

さっき騎士隊の皆さんが言っていた王室に対する罵詈雑言をそのまま。

いやと言うほどぶちまけました。

 

兄さんが騎士隊、いえ、この国から出ていった理由は 貴方たちのせいだ、と。

 

実際はどうかは知りません。兄さんが何を思って、何が嫌でいなくなったのか僕は知りません。

でも、そんなことはどうでもいいです。

ありとあらゆる不平不満をぶちまけました。

 

『ただ安全なところで優雅に暮らす貴方たちに

僕たちの苦労が

僕たちの想いが

兄さんと騎士隊の

兄さんと僕の

この国の

何がわかるって言うんですか?』

 

たかが小物の戯れ言と、はじめは笑っていた王も聞かせ続けると顔を真っ赤にしはじめます。

それでも構わず僕は、王国に、王室に対する不満を語り続けました。

 

これで僕は反乱分子。僕ひとりが反抗的だと王に認識させることが出来るはず。

例え配下が主張しても、反抗の首謀者は僕。これなら、他の人に害は及ばない。

兄さんの逃亡から始まったことだ、弟の僕が尻拭いをしなくては。

だから僕が矢面に立つ。

僕はまだまだ暴言を続けます。自分にこんなに語彙があったなんて、と驚きながら汚い言葉で罵ります。

聞くに耐えない言葉が出てきたところで、僕は背後からガッと頭に衝撃を受け、床に向かって前のめりに倒れました。

一瞬目の前で電気が弾け、頭のなかがぐちゃぐちゃと混じります。

意識は一瞬混濁したものの、身体は反射的に膝をついて体勢を整えようと動きます。

しかし体勢を整える前に、背中と頭を押さえつけられ、床にうつ伏せの状態で押しつけられました。

 

(ッ痛)

 

殴られるわ力任せに倒され押さえつけられるわ、本当にこいつら貴族ですか。

床に押し付けられながらもなんとか息を吐き出すと、背中にズシリと重みを感じました。背後から頭を捕まれ半端に上半身を反らされます。

頭を掴んだ腕にぐいと力がこもり無理矢理その人の方を向かされました。怒号が僕を襲います。

 

「貴様、王の御前で何を!」

 

事実でしょう?

 

そう僕に怒鳴るのは騎士隊の本拠地まで来たあの王室の方。憎々しげな顔で、思い切り力任せに僕の頭を床に押し付けました。

頬の痛みに悶える暇もなく、すぐさま僕を襲う冷たい感触。なんとか横目で視線を向けると僕の首に剣が当てられていました。

今日出会ったばかりですが、この人にはとことん首を攻撃されます。

 

しかし今回は脅しでも威嚇でもない、おそらく本気の攻撃。

彼がぐっと体重をかければ、簡単に僕の首は切り離されるでしょう。

 

(ヤバいな…)

 

僕が今彼の怒りにまかせて殺されてしまうならば、今後騎士隊がどうなるかわかりません。

せっかく矢面に立とうと反抗的な行動したのに、この人沸点低すぎでしょう…。無駄でしたか。

少しうんざりとした表情となってしまったのでしょう、舌打ちの音が聞こえたかと思うとぐっと首に負荷を感じました。

彼が若干体重をかけはじめ、ぷっと皮が切れ血管が切れる音が身体に響きます。

切れていく感覚というよりは重みの方が勝るせいか「痛い」ではなく、血が首筋を流れる、不快な感覚が背筋を震わせます。

 

じわじわと剣に体重をかけられ、じわじわと僕の首から流れる血が増えていきました。鉄臭い匂いが鼻をつんざき、不快さに顔が歪みます。

流れ落ちた血が、床に小さく血溜まりを作り始め、僕の視界が若干ぼんやりとしてきたころ、ようやく「やめろ」という制止の声が広間に響きました。

 

「それには、まだ生きていてもらわなくては困る」

 

王が吐き捨てるように言います。それを聞いて、彼はしぶしぶと僕から離れました。

離れる際に僕をガッと蹴っ飛ばすことを忘れません。

突然の衝撃に耐えられず、僕は思わず体を丸め、蹴られた箇所を押さえながら派手に咳き込みます。

胃の中からせり上がってくる衝動に耐え、荒い呼吸を繰り返します。咳き込むせいか、息を吸って吐くという単純な行為すらままなりません。

同時に、派手に身体を動かしたためかまた首から血が流れました。首は皮膚が割られた真っ赤な線が見えなくなるほど赤く染まり、服の首もとはすでに赤黒く変色しはじめています。

未だに上手く呼吸が出来ない僕の耳に小さく声が聞こえました。

 

「…自分では処理しきれない事があれば…兄に連絡を取るだろう…その時に…」

 

それは王の声でした。僕を『それ』と呼びやがったくせにわざわざ『生かす』理由。

それはとても単純な理由でした。

彼らは、僕を困らせれば兄さんを頼って連絡をとると思っているようです。

弟を助けようとノコノコやってきた兄さんを取っ捕まえようという、馬鹿でも思いつく作戦。

 

…阿呆らしい。

 

ようやく呼吸が戻ってきた僕は、その場でゆっくりと体を起こしました。

…立ち上がるのは無理だ。まだクラクラする。

片目を閉じながら僕は途切れがちに息を吐き出しました。

 

(今は立ち上がれないにしても、すぐに動けるようにしておかないと…)

 

次無抵抗を決め込んだら、多分そのまま殺される。それは駄目だギリギリまで耐えないと。

今はまだ、死ぬべき時じゃない。

 

軽く歯を食いしばり、僕は王を見上げました。

王室が兄さんを欲する理由。

それは、兄さんがいたおかげでこの国は外敵からも諸国からも一目おかれていたからでしょう。

『最強の騎士隊を率いていた、最高の騎士隊長』

この王国がしばらく平和だったのは、そんな兄さんの名声の影響です。

しかし兄さんがいなくなった今、他国はもとより多少頭の回る魔族なら

チャンスとばかりに昼夜問わず襲ってくるかもしれません。

 

僕を騎士隊長に任命する理由は、兄さんをおびきだす餌、という点の他に『最高の騎士隊長の弟』という肩書きの僕を上に立たせ「弟なんだからきっと強いはずだ」と相手に警戒させる意図もあるようです。

 

僕は思わずため息を漏らしました。理屈はなんとなくわかります。ですが僕は隊長なんて器じゃない。

統率力も、実力もない。

 

そんな僕を隊長に任命するなんて、この人たちは国の自慢の『最強の騎士団』を潰すつもりでしょうか。

 

僕が王室の考えに疑問を持ちはじめた時、僕の首を切り落とそう切り落とそうとしていた彼が、王にこう進言しました。

 

「しかしそんな手間暇かけるよりも、騎士隊の全員を殺してしまえばいいでしょう?そうすれば、慌てて戻ってくるのでは?」

 

(ーーーえ?)

 

事も無げに、彼は、そう言葉を並べました。簡単に『殺せ』と。今まで国を護ってきた騎士隊の全員を殺せと。

簡単でしょう?と、笑い、ながら。

 

待って、ください。僕らをなんだと思ってるんですか。僕らの命を僕たち全員の命を、なんだと思ってるん、ですか?

貴方たちにとって僕たち騎士隊は、なんなんですか?

 

騎士隊全員を殺すとか、何、考え、て…

 

僕は目を見開いて彼を見つめます。自分たちの命がとても軽く扱われ、心にぽっかり穴のあいたような、空虚な気持ちに陥りました。

 

この国自慢の『最強の騎士団』は兄さんがいたから。つまり、王国が欲しているのは、兄さんだけ。

 

『騎士隊が全滅した』と聞いたら多分兄さんは戻ってくるでしょう。

無視するほど情に薄い人ではありませんから。

 

王国もはじめは騎士隊の全滅を隠すでしょう。すぐにバレることを承知で。

堂々と国の戦力が削れたと宣言するはずがない。

表向きは隠して、裏では暗躍する情報屋に気付かせる。

そうすれば兄さんに「元々所属していた騎士隊の全滅」を伝わりやすくなるはずだ。

 

逃げ出した人間が裏の情報に疎いはずがない。追っ手がこないか知る必要がある。

どこかしらで繋がるはずだ。

 

何故全滅したか、誰が全滅させたか。

全貌を調べるために、兄さんは直接この国に戻ってくることになる。

情報屋がよっぽどのお人好しか、気に入られでもしない限り詳しい情報は手に入らない。

その時にこう言えばいい「騎士隊が全滅してしまった、やはり頼れるのは貴方だけだ」と。

手厚く迎え入れ、今度はおそらく兄さんを飼い殺すつもりだ。

欲しいのは『最強の騎士隊』『最高の騎士隊長』の名声なのだから。

 

王室の意図を感じとり僕は身震いをしました。どう足掻いても僕らは死ぬしか道がない。

兄さんは、戻ってこなければ大丈夫、だと思うけれど…。

 

僕は顔を伏せて目を閉じ、弱々しく息を吐き出しました。

 

(…少しだけ、恨んでいいですか兄さん)

 

駄目な人だとは思っていたけれど、ここまで駄目だとは思わなかった。

兄さんが逃げたことで、騎士隊存続どころか全員の命が危うくなってしまった。

周りに迷惑かけないでくださいよ。

 

…だから、

 

だから少しだけ

ほんの少しだけ

恨ませてください。

 

僕には兄さんを恨むことはできません。

憎むことはできません。

兄さんは僕の兄さんです。

 

大好きな

大切な

兄さんです。

 

恨むことも憎むことも

できない、いえ、しようとも思いません。

好きだという気持ちの方が勝ります。

小さなころからずっと一緒だった

ずっと遊んでくれた

いろいろ教えてくれた

ずっと一緒に笑って泣いて怒って

朝も昼も夜もずっと一緒にいた

 

大好きな兄さんです。

唯一の僕の兄弟です。

そんな兄さんを憎むことなんて、僕にはできません。

 

でも、今だけ

『兄さんなんか嫌いです』

とそっぽを向かせてください。

 

明日には

『なに言っているんですか?僕は兄さんが好きですよ?』

と笑顔で返せますから。

 

少しだけ

一度だけ

多分

最初で最後の言葉です。

 

 

 

 

『兄さんのバーカ』

 

 

 

 

長い時間放置されたおかげでようやく身体の不調も落ち着き、ふぅと小さくため息をつきながら僕はゆっくりと立ち上がりました。

そんな僕に顔を向け、王が上から言葉を浴びせます。

 

「…何も難しく考えなくていい。ただお前が隊長になればいいだけの、」

 

…騎士隊の皆さんと相談させてください。

 

僕は顔を上げ、王を見据えて言葉を遮りました。

王は憎々しげに僕を睨みつけます。負けじと僕も視線を送り続けました。

 

ここには味方がいない。

なんとか騎士隊の皆さんに今の状況を伝えなくては。

全員をむざむざ死なせるわけにはいかない。

逃げてもらわなくては。

 

騎士隊から、

この国から、

      逃げ て、

 

 

突然ガッと首に衝動を受けて、僕の思考は遮られます。

反射的に目を瞑った僕の耳元で、低い嫌な声が放たれました。

 

「相談?」

 

先ほど僕らを殺せと進言したあの人が、背後から腕を回し僕の首に巻き付かせていました。

ぐっと巻き付かれた腕に力が込められ、僕の首が締め付けられます。

巻き付かれた腕を引き剥がそうと、思わず両手で掴みかかりました。

しかし、首を締め付けられているからか、手に力が入らず引き剥がすことは叶いません。

苦しげな息を吐き出す僕に、あの人は囁きます。

 

「それを口実にお前も逃げるつもりか?…兄のように」

 

(……ッ…)

 

「動くな」

 

そう彼が言った瞬間にヒタリと冷たいものが僕の頬に当てられ、同時にスッと頬の薄皮を切り裂かれました。裂かれた皮膚に赤い線が浮かび、微量の血が流れ出します。

頬に走った熱さに顔は歪み、小さな悲鳴が漏れました。それを聞きつけたのか彼は笑い、僕の首を絞める腕を若干緩めました。

 

「仲間を見捨てて逃げるとは、呆れた兄弟だ」

 

…見、捨て、る気は、ありません。

 

「…じゃあ何を相談するつもりだ?大方、逃げるための相談だろう?」

 

図星をさされました。

指摘され僕の目が一瞬泳いだのを彼は見逃しません。

シュピッと風を切る音がして、頬にまた痛みが走りました。

先ほどよりも大きく皮膚が裂け、ぱっくりと中が露出し、そこから太いラインを描いて血が溢れ出します。

彼は苛ついた顔で言いました。

 

「お前ひとり逃げるのも、騎士隊全員が逃げるのも許さない」

 

(ぅ…)

 

強い痛みを感じたためか、生理的に僕の目に涙が生まれ、口を開くと呻き声が先に飛び出しました。

くっそ、反論したいのに。

 

少しばかり彼を睨みつけたせいか、その態度に腹を立てたのか、それともこれまでのイライラが限界に達したのか。

舌打ちをして、彼はナイフを持った腕を思い切り振り上げました。

ぶんという音が耳に、ガッという音が体全体に響き、鉄臭い匂いが広間に広がります。

 

彼の振り下ろしたナイフは僕の右手の甲に刺さり、流れるように思い切り僕の甲を抉っていきました。

抉り終えたナイフが僕から離れた瞬間、血が漏れ出し弾け飛び、床に赤い斑点を描きます。

抉られた衝撃を身体に受け、僕は思わず右手に視線を向けました。

皮膚が抉り取られピンク色の肉が外に晒されヒクヒクと軽く鼓動しています。

その傷口からは最初はじわりと、徐々に徐々に血が溢れはじめました。

大量の血液は止まることを知らず、ただダラダラと身体から飛び出していきます。

足元の床に描かれた赤い斑点はその上から塗り潰され、大きな赤い赤い染みへと変わっていきました。

 

ムカついたからって、抵抗出来ない相手に対してすぐ切りかかるのはどうかと思います。

 

冷静に彼を批判すると同時に僕は若干パニックに陥りました。

…しまった、傷が深い。

傷は深ければ深いほど、痛みが遅れてやってきます。

騎士隊で何度か体験したからわかることですが

今回はまだ痛み、が、

 

――ッッ

 

突然、ドンと一気に痛みが襲いかかりました。

思わず無事だった手で刺された手を押さえ、僕は広間に呻き声を響かせます。

痛みで立っていることすら困難となった僕を彼は支える事などせず、パッと拘束を解き僕を床に叩きつけました。

僕は足下から崩れ、床の血だまりに身体を染めながら、自分の胸と手で抉られた箇所を圧迫し、血を止めようと、痛みを和らげようと必死に押さえつけます。

しかし痛みも血も止まる気配はなく、両手も自分の胸も次第に真っ赤に染まっていきます。

僕は目を閉じ、途切れ途切れに息を吐き出しながら、痛みに耐えました。

 

しばらく僕を見下ろしていた彼は、王に目配せしたあと僕の髪を掴み、無理矢理持ち上げました。

抵抗することもままならず、ただされるがままに顔を持ち上げられます。

掴まれた髪だけで身体を支えるはめとなった僕は、小さく呻き声をもらすことしか出来ません。

歪む僕の顔に口を近づけて、彼は僕に命じます。

 

「ひとこと、言えばいい『ご命令に従います』と」

 

ぷちぷちと掴まれた髪が音をたてます。僕は途切れがちに、なんとか言葉を発しました。

 

な んで、僕。

 

兄さんをおびき寄せるために騎士隊を潰したいなら、隊長は僕でなくてもいい。

たかだか『弟』というだけで上に立たせても、僕に実力がないくらい他国にすぐバレる。

だったら、もっと実力のある人を隊長にしたほうが体裁は立てられる。

僕の質問に、彼は笑いながら答えました。

 

「実の弟が跡を継いだなら、どこにいても気になるだろう?餌は大きい方がいい」

 

それに、と彼は続けます。

 

「実力がないほうが、我々も扱いやすい」

 

国が危機に立たされようと、兄さんの回収を優先するつもりですか。

完全に僕を傀儡として利用するつもりですか。

 

(あああくそ。 

  この王国は、 どうなってるんだ )

 

 

髪を掴まれながらも僕は彼を睨み付けます。

その態度に腹をたてたのか彼はチッと舌打ちをして僕の髪を掴んでいた手をパッと離しました。

重力に引っ張られ、僕は床に叩きつけられます。

顔面の痛みに悶える僕を一瞥し、彼はさっき抉られた僕の右手を掴んで前に伸ばしました。

さっきに比べたら落ち着いていますが、まだ甲からはじわりと血が溢れています。

彼はそんな僕の手の甲に軽く指を走らせ、反射的に僕の指がピクリと反応するのをみて楽しそうに笑いました。

そのまま片手で僕の手首を強く押さえつけ、もう片方の手でくるりとナイフを回します。

 

何をされるか、予想出来ました。

 

拒否の意を唱えようと口を開いた僕の目の前で、僕の右手に彼のナイフが突き刺さりました。

開いた口からは大きな叫び声が溢れ、言葉として意味のなさない母音の羅列が室内を満たします。

叫ぶ僕に不愉快そうな顔を向けて、彼はぐっとナイフに体重をかけました。

僕の右手にズッと刃が深く深く沈んでいきます。

 

抉られたり切り裂かれたりした時とは比べ物にならない痛みが全身を襲いました

刃が沈んでいくたびに熱さを感じ、身体中に電気が走ります

呼吸を忘れ、叫び続けることしか出来なくなった僕の身体のなかで

固いものと堅いものがぶつかる感覚がしたかと思うと、

さらに体重をかけられ、すぐにパキッと軽い音が僕の中で響きました

その音が響いた瞬間、僕は弾けるように悲鳴を外にもらします、が

しかし、声は音にならず、空気が抜ける音だけがあたりに響きわたりました

堅い骨を通過したナイフは構わず僕の甲を進み、

皮膚を切り裂き肉を抉って繊維を切り離し血管を破っていきます

隙間からとどめなく、先ほどとは比較にならない量の真っ赤な血が流れ、僕の手を顔を身体を赤く浸していきました

 

ナイフによって僕の右手は床に縫い付けられ、痛みと衝撃で指は伸びきり動かせません。

ナイフを抜こうと動くのは身体が拒絶します。

『身じろぎしようものなら激しい痛みが全身に走る』それをすぐさま理解した身体は、

僕の意に反して微塵も動いてくれません。

 

もはや拘束は必要ないと、彼は押さえつけていた僕の手首を離し、僕の頭を楽しそうに掴みました。

呼吸すらままならない僕の顔を見てまた楽しそうに笑い、右手に突き刺さったナイフをトンと弾きます。

 

たったそれだけのことなのに全身に衝撃がはしりました

弾かれたナイフは揺らされるたび僕の右手を割っていきます

トンと弾けば肉を裂き、トンと弾けば穴を広げ、トンと弾けば血が溢れ出る

そのたびに僕は悲鳴にならない声をあげ続けました

右手にあいた穴が一回り大きくなったころ、彼はすっと手を伸ばしナイフを握りしめます

そして思い切り、

僕の右手に刺さったままのナイフを、

捻りました

 

その瞬間、完全に息が止まり、体だけが痙攣するように反応します

声すら、出せませんでした

 

彼がナイフから手を離した後も、僕は荒い呼吸を繰り返し、漏れる声は小さく単語にならず、母音の音だけを途切れながら発することしか、出来ませんでした。

目から光が失われ、力なく視線をさまよわせる僕を見て、彼は楽しそうに笑いました。

 

笑ったまま、彼は僕の右手からナイフを抜きます。

強ばっていた右手は、枷が抜かれたためか、ぺたりと床に倒れ込みました。

その、力尽きた右手に、彼は再度ナイフを、突き立てます。

勢いよく振り上げて、思い切り、また突き立てられた瞬間痛みが熱が衝撃が嫌だやめて全身がビクンと反応し耐えきれず悲鳴をあげて嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌ぐっと負荷を感じまたパキッと軽い音が嫌だやめてやめてやめて赤い血が溢れて穴がまた もう ひと つ

 

や だ

いやだ

やめて

 

たすけ

たす け

 

たすけて

 

にいさ

に いさん

 

 

     にいさん

 

 

 

 

しばらくのあいだ、何度もなんども同じことをくりかえされました。

ナイフが刺さるたび、ナイフを弾かれるたび、ナイフでえぐられるたびに、いたみが僕の体を襲い、かすれた声がもれ出します。

声は枯れ、痛みを受けるたびに涙は溢れ、身体がビクビクと痙攣しました。

 

ただ助けをもとめ続けました。

『兄さん』

と届くはずのないことばで、聞こえるはずのないことばで声にならないこえで、

ただただ呼びつづけました。

 

どのくらい続けられたのかわかりません。

右手は真っ赤に、全身自身から溢れた血で染まり、

体はほとんど動かなくなり、

なみだも、こえも完全に出なくなりました。

 

その頃になってようやく彼は満足したのか、僕の手からナイフを抜いて、自分の手のひらでくるくると弄びます。

血溜まりのなか、息も絶え絶えに動けなくなっている僕を、彼はしばらく見下ろしていました。

しばらくして僕の呼吸が少し落ち着いてきたのを確認した彼は、また僕の髪をひっつかみ僕を持ち上げ視線を合わせます。

虚ろな目を向ける僕に、彼はゆっくり話しかけました。

 

「何か、言うことは?」

 

弱々しい呼吸を繰り返すばかりで、なかなか言葉を発しない僕に苛ついたのか、彼は先ほど僕の血を大量に吸ったナイフを、僕の目の前にチラつかせました。

先ほど受けた行為を思いだし僕はビクッと体を反応させ、怯えたように目を見開きます。

 

「もう一度味わうか?」

 

そう言われた瞬間、ぞわりと体が震え、

頭が、真っ白に、

なり、ました。

 

騎士隊のことも、兄さんのことも、全てが消え去り、

僕の頭のなかを支配したのは先ほど味わった痛みと苦しみだけ。

 

や、だ 嫌だ嫌だ嫌だ、もう、痛いのは嫌だいやだ、また、…もう、

 ゃ 、やめ て

 

僕は必死に想いを口に出しました。

髪を掴まれているためあまり動かせませんでしたが、小さく弱々しく首を振りながら。

それを聞いて彼は、ニッと笑いながら

 

「なにが?」

 

と笑い、僕の髪から手を離し僕の顔を床に落とします。

そのまま、彼は僕の左腕を押さえ付けました。

ビクッと身体は恐怖を訴え、見開いたままの僕の目は彼を凝視します。

すっと今度は左手の甲に

ナイフ、

が、

 

や、嫌、やめてやめてやめてやめてやめて!

 

枯れたはずの喉から必死に声を出し、僕は叫びました。

嫌だと、やめてくれと、必死に。

叫ぶ僕に楽しそうな笑顔を向け、彼は

 

「違うだろ?」

 

と言って、軽くチクリと僕の左手の甲を刺しました。ただ針で刺されたくらいの微弱な痛み。それなのに身体はビクッと怯え、恐怖で顔が歪みます。

 

や ぁ、ご、

『ご命令、に、従い、ます』

だから、

だからやめ、っ、 やめて、くださ い。 嫌だやめてもう、痛い、のはもう、お 願い、やめて やめ

 

僕はもうなにも考えられずただ無様に訴えました。必死に懇願しました。涙を流し、途切らせながらも、必死に。

欲しかった言葉を聞き出した彼は、また満足そうに笑いました。

押さえ付けていた僕の腕を解放し、ナイフをすっと仕舞います。

ナイフの姿が見えなくなり、僕はようやく恐怖から解放されたと、息を吐き出し、力なくぐったりと視線を床に落としました。

身体を震わせながら、静かに弱々しい呼吸を繰り返す僕に向かって、彼は嫌な顔で笑いながら言い放ちました。

 

「じゃあ、これからよろしく頼むぞ。…『騎士団長』殿」

 

その言葉を耳にして、僕は我に返りました。

今自分がしたことを、今言った言葉を反芻し、て、

 

僕はいま なんて、言った?

 

ご命令に従いますと言った、騎士団長の跡を継ぐことを了承した。

しまっ

 

自分の仕出かしたことに気付き、僕は自然と驚愕したような表情に変わります。

そんな僕に目もくれず、彼は思い出したように「ああそうだ」と言葉を発します。

 

「余計な事はするなよ?」

 

皆まで言わずともわかっるだろう?と笑い、彼は穴が開いた僕の右手をぐりっと踏みつけました。

 

踏みつけられた瞬間、僕の叫び声が広間に響きわたりました。

 

その後僕はロクに手当てもされず城から追い出されました。

あの人の「騎士団長殿を自宅まで送り届けてきます」という言葉が聞こえたかと思うと、ひょいと担がれ馬車に突っ込まれます。

物のように扱われましたが抵抗する気力も反抗する心も折られ、僕はただぐったりと馬車に揺られました。

向かいに座る彼は、今日のことは誰にも話すなよ、とナイフをチラつかせ、僕はビクンと身体を怯えさせます。

 

休まる時のない馬車での移動は永遠のように感じ、自宅に到着して馬車から蹴り落とされてようやく、僕は安堵の息を吐き出すことが出来ました。

ゴミのように地面に転がる僕を馬車から見下ろして、彼を乗せた馬車は去っていきました。

 

去っていく馬車の姿が見えなくなるまで虚ろな目で見つめ続け、完全に去っていったのを確認した僕はゆっくりと身体を引きずっていきます。

自宅の扉に寄りかかり、僕は弱々しく息を吐き出しました。

 

(もう、体が、動かせな、い)

 

ボロボロになった右手を抱えながら僕はそのまま目を瞑りました。

頭の中にとある曲名が浮かびます。

『それでも暮らしは続くから、全てを 今 忘れてしまう為には、全てを 今 知っている事が条件で、僕には、とても無理だから、一つずつ忘れて行く為に、愛する人達と手を取り、分けあって、せめて思い出さないように、暮らしを続けて 行くのです』

長い長い曲名。ヒノモト国でメジャーで一番長い曲のタイトル。その曲を聴いたことはないけれど、不意にタイトルだけが思い浮かびました。

今あったことを忘れてしまいたい。けれどそれは無理な話。…完全に壊れてしまえればよかったのに、。

 

目を瞑ったまま、僕は小さく息を吐き出します。それだけで全身には微弱な電気が流れ身体が痛みを訴えます。

例えボロボロになっても辛くても目を覚ましたくなくても、明日はきてしまう。変わらず生活は続いてしまう。

だから今だけは 全てを忘れて眠りたい。

 

(僕の愛する人は、もう、ここには、いない、けれ、ど)

 

そう思いながら、唯一の家族だった人を想いながら、僕は意識を手放しました。

 

 

朝日を浴びて目が覚めました。

人間というものは、睡眠という方法で心も身体も癒やすことが出来る、とはよく言ったものです。

未だ首や手に痛みが走りますが、昨日のあの時よりは体は動かせます。

 

…昨日の事は全て夢だったらよかったのに、と

僕は痛みに顔を歪ませながらソファーから体を起こし、…

 

(……あれ?)

 

昨日の記憶では、僕は家に入る前に力尽きたはずです。…なんで今ソファーに横になっているんでしょうか。

 

「あ。…大丈夫?」

 

キッチンのほうから声が聞こえました。声に驚き、首をそちらを向けようとしたら、ピリッとした痛みが全身を駆け巡ります。

思わず呻き声をあげ、左手を首に手を当てると、ぐるぐると布が巻かれていることに気付きました。右手をみるとそちらも包帯でぐるぐる巻きになっています。

疑問符を飛ばしキョトンとし続ける僕に、やんわりとした慌てた声が届きました。

 

「無理しないでよ。ズタズタだったんだから」

 

そっと僕の左手を握り、触るなとたしなめるのは僕の友人。

なんで友人がここに、と驚く僕に、友人は昨日の出来事を語り出します。

 

昨日、僕が城に連れていかれた後。本拠地には王室の方がひとり残ったそうです。

何をするでもなく、騎士隊を見張るかのようにただじっと。

 

「そいつは王室の奴だし、悪口言いまくった負い目もあるしでオレたち全員大人しくしてたんだけど…」

 

夕方近くになって王室の馬車が来て、君を連れてった人がオレたちに、『弟が騎士団長の跡を継いだ』と言うんだ。と友人は語り、頭を掻きました。

若干僕から目を逸らし照れくさそうに呟きます。

 

「オレは、その…君が帰ってこないから…心配になって」

 

自宅まで探しに来たら、玄関前で力尽きている僕を発見し、慌てて家に運び込んだんだ、と友人は言いました。

 

「そしたら家の中も酷い有り様で、…あ、そうだ、勝手に片付けちゃったんだ」

 

家の中は賊でも入ったのか、という有り様で滅茶苦茶だったそうです。

よくよく部屋を見渡すと

そこかしこに破壊された跡がありました。

兄さんを探して押し入るまではわかるのですが、破壊する必要性があったのか甚だ疑問です。

僕が若干ひび割れた壁に目を向けため息をつくと、友人は少し悲しそうな顔で真面目な声で言いました。

 

「…正直、死んでるのかと思った」

 

ピクリとも動かないし、血まみれだし、右手ぐちゃぐちゃだし、と僕を発見した当初の描写を羅列し、友人は僕の目をしっかり見て強い語気で問いました。

 

「お城で、何があった?」

 

友人の迫力に押され、つい昨日のことを答えようとしたら、突然、バスン、と窓にかけた羊皮紙を弾いて石が飛んできました。コロコロと部屋に転がります。

 

「…え?」

 

反射的に友人は剣に手をかけました。しばらく様子を見ましたが、石を放り込まれた以外、何も起こりません。

友人は不思議そうに投げ込まれた石を拾い上げました。

 

「……なに、これ」

 

石を拾い上げた友人が、厳しいものに変わりました。

少し怒ったような表情のまま、ぐいとクシャクシャになった紙を僕に突きつけます。

 

「石に巻いてあった。…これは、どういう意味?」

 

石に巻き付けられていたというクシャクシャな紙には、文字が書かれていました。

殴り書いた汚い文字で

たったひとこと『喋るな』と。

 

…まっ て

なん、で

ここに

 

昨日のことを思い出し、僕は思わず右手を押さえました。

彼は『余計なことは喋るな』と言っていました。

『余計なことはするな』と言っていました。

『なにかあったら兄と連絡をとるだろう』と言っていました。

 

つまり、監視?

 

ちょっと待ってください

よりによってあの人をつけますか。

おはようからおやすみまであの人が僕を見張るんですか。

 

連鎖的に昨日のことを思い出します。戦場とはまた違った冷たい空気、むせかえるの血の匂い、骨が削られる音、嫌な笑い声。

僕は右手を握りしめたまま無意識に歯を噛み締め、自然と瞳は濁り、頭は下へと下がりました。

僕の急激な変化に友人は驚き、心配そうに僕を覗き込みます。

 

「大丈夫!?」

 

大丈夫、です。何でも ありません。大、丈夫です。

 

若干虚ろになりながらも、僕は『おかしな態度をとったら友人も巻き込んでしまう』と必死に取り繕います。

大丈夫に見えない、と言う友人に、ただ僕は、大丈夫です、とだけ言い続けました。

 

まだ心配そうに見る友人に僕は

『うっかり転んで怪我をしただけです。

その手紙は転んだ原因になった人が投げ込んだんでしょう。

なりたてとはいえ、僕は騎士団長ですから。

騎士団長を怪我させた、となってはいろいろ都合が悪いでしょう?』

と外にいる人にも聞こえるように若干苦しい言い訳をしました。

こんな頭ではいい言い訳なんか考えつきません。

苦しい言い訳でしたが、友人はそれ以上追求するのをやめ、小さく呟きます。

 

「……。そう」

 

渋々といった形で友人は納得してくれました。僕は言葉を続けます。

『一晩中看ててくれてありがとうございます。

しばらく休めば大丈夫ですから。

このお礼はいつか必ず』

 

若干目を泳がせ、僕はそう伝えました。すると友人は「………わかった」と少し厳しい顔つきのまま答えます。

じゃあ、帰るよ。と僕の方を見ず友人は足早に部屋を出ていきました。

怒らせて、しまったでしょうか。

 

ごめんなさい

心配してくれたのに、ごめんなさい

 

 

しばらくの間、

僕は顔を伏せたまま

ただぼぅっとしていました。

 

 

どのくらいぼんやりとしていたのでしょうか。

静寂のなか、僕の呼吸音だけが流れる室内に、カチャリという扉が開く音が割り込みました。

音を聞いて思わずビクッと体が反応します。

恐る恐る入り口の方に目を向けると、そこには昨日僕を痛め付けた彼が、笑いながら立っていました。

彼は片手を上げて、僕に向かって挨拶をぶつけます。

 

「どうも」

 

彼の顔を見た瞬間、僕は体が固まり動けなくなりました。

なんで。

なにしに、ここへ。

身動きひとつ出来ない僕に構わず、彼はズカズカと上がり込み、僕の頭を鷲掴んで僕の顔を覗き込みます。

 

「苦しい言い訳だが、まあいい。……よくできました」

 

顔を覗き込まれていますが、僕は彼と目が合わせられません。

眉が下がり目の光は消え、身体が勝手に震え出しました。

震えが伝わったのか、彼は笑いながら僕から手を離し、こう、言いました。

 

「さっきの奴。…もし、あいつが騎士隊の所に行ったなら、その場であいつを殺す予定だったんだんだがな」

 

お前の様子がおかしい、と騎士隊に相談されるといろいろ面倒だ。と笑いながら彼は笑います。

彼の言葉を聞いて、僕は思わず彼に身体を向けました。そのまま彼にすがり必死に懇願します。

友人には、騎士隊には、手を出さないで、ください、と。

 

(仲間たちが僕と同じような目にあうなんて、想像する、だけ、で、)

 

すがる僕を鬱陶しそうに一瞥したあと、彼は僕の手を払いのけます。

僕が掴んだ箇所を舌打ちしたのち手で払い、彼はポツリと呟きました。

 

「…ああ、そうか。失敗したな」

 

呟くやいなや、彼は片手をガッと伸ばし僕の首を掴みました。勢いのままに僕はソファーの背もたれに押し付けられます。

そのまま首を掴んだ手に力が込められました。首が圧迫され、僕の喉から嫌な音が漏れます。

 

「お前自身を痛め付けるより、目の前で誰かを痛め付けたほうが効果的だったか」

 

ぐっとまた手に力を込められ、僕は小さく悲鳴をあげました。彼が言葉を吐き出すたびに、彼の指に力がこもり、僕の首は締め上げられます。

傷口が開いたのか、首もとには生暖かい感触が流れ、鉄臭さが鼻を襲いました。

 

「無駄に手間かかったしな。…次からはそうするか」

 

血生臭さにも、己の手が赤く染まるのも意に介せず、彼は僕の首を掴む手にますます力を込めました。

僕の口から漏れるのは、押し出された空気だけ。吸うことは許されず、押し出された空気以外吐くことも許されず、僕は無意識に気道を確保するように顎を上げます。

しかし彼の締め付ける力はそれすら塞ぎ、酸素を得ることが出来なくなった僕は、視界が濁り耳鳴りが起こり身体から力が抜けていきます。

僕の手がぐったりとしはじめたのに気付いた彼は、ようやく僕の首を解放しました。

解放されても、僕は上手く呼吸を整えられず、若干つっかえながら少しずつ息を取り戻します。

濁ったままの僕の視界で、彼が笑ったのがわかりました。そのまま彼は口を動かします。

 

「…仲間が大事なら、逆らうなよ?」

 

笑いながら彼は、生理的な涙が溢れる僕の顎を掴み、無理矢理視線を合わせながら呟きます。

 

「お前が早く兄と連絡とってくれたら、見張らなくてもよくなるんだがな…」

 

意地張っても良いことないぞ?と優しく嫌な声で囁きました。

『おやすみからおやすみまで、ずっと見ててやるよ』

最後にそう言い残して彼は僕から手を離し、全部終わったら死なせてやるよ、と笑って部屋から出ていきました。

 

扉が閉まりきった音が聞こえた瞬間、僕はソファーに倒れ込みました。

 

1ヶ月。

 

1ヶ月間、僕は騎士団長としてなんとか仕事を続けました。

しかし王室に呼び出されることが多く、その度に僕は騎士隊から離れます。騎士隊にほとんどいられません。

仕事が進まず、また、騎士隊の皆さんとも会話も指示もロクに出来ません。

 

トップが不在。

それは騎士隊の統率が崩れることを意味します。

僕らの騎士隊は兄さんがまとめていました。

兄さんは逃亡、僕も不在がち。

 

(このままじゃ、全滅する以前にバラバラになってしまう…)

 

兄さんが積み上げた騎士隊が、僕のせいで崩れていきます。誰かに相談したくとも、いまだ監視されているためそれすらままなりません。

 

というか、あの人本当に、おやすみからおやすみまで見張っています。

寝かせてください。

 

若干フラフラになりつつも本日何度目かの王室からの呼び出しに答えるため、僕はまた騎士隊を離れました。

なんか今日本拠地と城の往復しかしてません。結構精神にきますねこれ。

 

王室からは本っ気でくだらないことで呼ばれるので正直行きたくないんですが、以前『逆らうな』と脅されましたし、この前は『遅い』とナイフが飛んできました。

狙いは正確でした。

 

 

城に到着し、僕はため息をつきつつ、今度はなんですかー…、と城の門番の方に尋ねます。

すると門番は、広間に行け、と僕に顔を向けぬまま命じました。

 

一瞬思考が止まります。

あそこ行きたくない。あの場所には、いい思い出がありません。右手や首をズタズタにされた記憶しかないんですけど。

 

口には出さず、ただその場で固まっていたら、いつの間にか僕の後ろに、1ヶ月前僕の右手をズタズタにした当の本人が立っていました。

 

「早くしろ」

 

彼は僕の襟を掴んで引っ張ります。いまだに彼の顔を見ると体が硬直します。

ピタッと動きの止まった僕に、彼はため息を尽きながら問いかけます。

 

「首に縄付けられて引っ張られるのと、自分で歩くのどっちがいい?」

 

……。あるきます…。

 

選択肢があるだけマシだと本気で思いました。

問答無用で縄付けられるかと思った。よかった…って、

 

よくない。

 

何で僕はそういう思考になってるんですか。なにかしら痛め付けられるの前提になってるのはなんでですか。

ああ、もう。しっかりしなきゃ。

 

僕は自分の頬を軽くぺちんと叩きました。キッと前を見据えます。

…まだ、耐えられる。

僕が耐えてれば騎士隊に害は及ばない。

騎士隊を壊すわけにはいかない。

バラバラになる前になんとか対策を立てよう。

 

騎士隊を、潰させるもん か。

 

意を決して広間に向かう僕でしたが、広間が近づくにつれ若干の動悸と目眩がしてきます。

…ひと月も前だというのに、どうにも、あの時のことを思い出してしまいます。

僕は無意識に右手を隠すように歩き、広間に入りました。

 

 

広間に入ると以前のように王が座っていました。挨拶もなしに王は僕にこう言います。

 

「騎士隊で、魔物退治に行ってもらいたい」

 

それを聞いて、僕は少し訝しげな顔になります。

魔物が近くに出たという話は聞かないですし、…隣国ではやれ城が浮いただの落ちただの高い塔が建っただの騒がれてはいますが…、その影響が出たという話はまだ聞きません。

国境近くに現れた魔族も、どこかのハンターさんがスピード解決したらしいですし。

 

何を退治に行くのかがわかりません。

 

はあ…?と曖昧な声がつい漏れました。

あの人に凄く睨まれ、たかと思ったらナイフが飛んできて鼻先を掠めました。

危な、…

 

…ごめんなさい

 

 

「ここに、魔物の巣があるのは知っているな?」

 

王の側近の方が地図を広げてある箇所を指しました。

確かに、魔物が大量に住み着いている洞窟です。

何回か入口近くまで行ったことがあります。

 

「ここの魔物を殲滅してきてもらいたい」

 

…なんで、ですか?

 

僕は怪訝な顔のまま聞き返します。

たしかに魔物の巣はありますが、頻繁に襲いにくるわけではありません。

以前入口近くまで行ったのは調査みたいなものでしたし。

その調査で、確かに魔物はいるけれど外にはほとんど出てこない、と確認がとれています。

というか『出てこないなら放置していい』と言ったのは、他でもない王室の方たちじゃないですか。

なんでいまさら…

疑問を浮かべる僕に、王室の方が嬉々として話しかけます。

 

「こういうものが、完成したんだ」

 

すっと差し出されたものは、…アラーム?

踏むと一定時間魔物が寄ってくるアラーム、に似てはいますが…、少し、造型が違います。

 

「最新の技術で作られた、最新鋭のアラームだ」

 

押すと周辺に居る魔物全てが寄ってくる、と自慢気に説明しだしました。

1体1体潰すのが面倒な時、奥に引き込もって出てこない時、魔物が隠れて見付からない時に使う、と性能を楽しそうに語り続けます。

 

…ハタ迷惑なもの作るなぁ…。

 

僕は若干うんざりした顔になります。

つまり一度押したら、魔物が殲滅するか、押した人が倒れるまで戦い続けろ、という代物ですよね。アラームで寄ってきた魔物はアラームを触った人を追尾しますから。

 

「…ただ、まだ試作品でな。効果がどのぐらいになるか、君たちに確かめてもらいたい」

 

すこぶる嫌そうな顔の僕に、王が言いました。驚いて、僕は視線をアラームから王に移動させます。

 

魔物の巣で、魔物を呼び寄せるアラーム使え?

それは暗に『死んでこい』って、言って、ませんか?

 

「言ってるぞ?」

 

背後から声がしてトンと肩を叩かれました。声のした方に顔を向けると、あの人が笑っていました。

 

「1ヶ月待ったが、お前は兄に連絡する素振りも見せないだろ」

 

…だから、僕は兄さんの連絡先なんか知りません、と。

 

「黙ってろ。…お前が連絡をとらないから、最終手段に出ることにしたんだよ。

『騎士隊の全滅』

そうすりゃ、前騎士団長さんも慌てて戻ってくるだろ?」

 

ようやく俺の意見が採用された、と嬉しそうに話します。ああだから今日機嫌よかったんですね。

僕はバレないようにため息をつき、俯きながら左手の爪を噛みました。

怒りを通り越して呆れます。僕らは完全に捨てゴマですか。

彼は視線を外に向け僕にだけ聞こえるように囁きます。

 

「…諸国に前騎士団長さんがいなくなったことがバレはじめた。『最強の騎士隊』ではなくなった、と」

 

この国は周りを強国に囲まれていました。ベルデンやビストランドが有名でしょうか。

今のところ一番『国』としてまとまっているのはこのアカエリスタ王国。ですが、土地を労働力を産物を求めて小競り合いは昔から続いていました。

魔族の動きが活発になった今、国同士の小競り合いは沈静化しています。が、諸国に名だたるこの国の『最強の騎士団』が消滅したとなっては、機を狙って攻めかかる国があるかもしれません。

 

だからと言って、と反論しようとした僕の言葉を遮り、彼は言葉を放ちました。

 

「魔物退治、にかわりない。お前ら騎士隊は街を護るのが仕事だろ?」

 

…!

 

「『王国を護ります』と誓ったな?騎士は誓いを守るものだろう?」

 

それに、と彼は僕の耳にそっと囁きました。

 

『逆らうな、と以前言わなかったか?』

 

それを聞いて僕はビクッと反応し、ゆっくりと彼を見ました。いい顔だ、と彼は笑います。

 

「お前が言うべき言葉は、『わかりました。王国のために魔物を殲滅してきます』だ」

 

今の言葉を繰り返せ、と促され、同時にナイフが僕の腰に刺し込まれました。

ビクッと手を動かし、ナイフを止めようとしましたが、その前に彼によって僕の両手は拘束されます。

彼の片手で僕の両手は後ろ手でまとめられ、抵抗は封じられました。

つぷ、とナイフが深く刺さる感覚が僕を襲い、ぞわっと過剰に反応します。

 

「お前の友人でも呼び出して切り刻みたいところだが、そんな時間はないのが残念だ」

 

心の底から残念そうに彼は呟き、僕に嫌な笑顔を向けてまた、殺さない程度に切り刻んでやろうか?と耳元で囁きました。

僕の目が恐怖で見開かれます。

 

少し、ナイフに力が込められさらにぐっと埋まっていく、感覚、が、身体に伝わって、いき

 

同時に痺れが全身を襲い、身体が激痛を訴えました。かはっと口から吐息が漏れ、せり上がる衝動に負け、細く口の端から赤い液体がこぼれ落ちます。

拘束され身動きが取れず、激痛に身じろぎすら出来ず、耐えきれず僕は顔を伏せ、小さく、呟きました。

『わかり、ました』

と。

 

 

僕の了承で、魔物の巣に行くことが確定しました。準備もあるだろう、と出発は3日後だそうです。

 

「騎士隊の方にはこっらから連絡しておいてやるよ」

 

お前は帰っていいぞ、と彼が言いました。

自分で言います、と返したら

 

「お前が言ったら騎士隊の奴らに殺されるんじゃないか?『勝手に決めやがって』と」

 

…。

 

「…まあ、今回はこっちで連絡入れといてやるよ。『魔物相手』に全滅してもらいたいからな」

 

でないと体裁が悪いだろ?騎士隊が内分裂して壊滅しました、なんて。と笑いました。

 

もう…好きにしてください。

どうせ死ぬなら魔物に殺されようと仲間に殺されようとどっちでもいいです。

 

足取りもおぼつかず、ふらっと帰宅しようとした僕に、あの人が長い布を差し出しました。

 

…ああ、貴方に刺されましたからね。

これで隠して帰れと。

 

 

無言で布を受け取り、刺された箇所を隠すように巻き付けました。

普段からヨロイ着てれば刺されなかったのかなと思いますが、あんなもん普段から着続けたら死にます。

革ヨロイでも普段から着るのは面倒ですし、全身ヨロイは外気によって熱いわ冷たいわなので、日常で着たら完全に力尽きます。

熱さ冷たさから身を守るためにヨロイの下には綿入りのインナーを着てはいますが、というか今日はそれを着ていましたが、…そのくらいじゃナイフは防げませんね。

 

でも丈夫にして重くなりすぎるのも困りますし。

ヨロイ自体は凄く軽いんですけどね。

 

はあ、とため息をつきながら僕は帰路につきます。…なんで僕はヨロイ談義してんでしょうか。

 

僕以外誰もいなくなった家。

どうせ誰も見ていないし、と居間で刺された箇所の手当てをしようと、服を脱ごうと手をかけた

バタンと大きな音をたてて扉が開かれました。

ビクッと手を止め、僕は入口に目を向けます。

 

「入るよ!」

 

…それは入る前に言ってくれませんか。

 

若干ほっとしつつ、僕は入ってきた人影に声をかけます。勢いよく訪ねてきた人は、僕の友人でした。

 

「ごめん。…王室から話は聞いた。買い物に付き合ってくれないか?」

 

…はい?

 

唐突だなぁ、と驚きながら、僕は内心慌てて服をしっかりと着込みます。

長い布を巻いて、さきほど刺された箇所を、血の滲んだ箇所を隠しました。

大丈夫かな、と若干不安になりつつも、とりあえず僕は、説明をしてくれと友人に話しかけます。

友人は困った顔で少しばかり遠慮がちに、言葉を紡ぎます。

 

「…まだあの時の『お礼』を貰ってないじゃないか」

 

…あ。

そういや言いましたね。

『手当てしてもらったお礼はいつか必ず』って。

 

「オレは特に欲しいものはないんだけどさ、妹が『じゃあ、アタシにちょうだい』って言うから」

 

…。

いやまぁ構いませんが。それでいいんですか?

 

「いい。…で、その妹の買い物に付き合ってやって欲しいんだ。今すぐ」

 

今ですか?

 

「ああ、今すぐ」

 

構わな…、あ。

 

二つ返事で了承をしようとしましたが、僕には王室の監視がついています。…下手に疑われたら友人の妹もろとも怪我させられるかもしれません。

 

(それは、少し危険だな…)

 

下手に動かない方がいいかもしれません。

妹さんは普通の子です。

巻き込んでしまったら、友人に合わせる顔が…。

 

「早く、行こう?」

 

悩む僕に友人は、店がしまっちゃうよ、と急かします。

どうしよう、と困っ

 

…え?

 

突然ぞくっと背筋が震えました。

あの人の気配が、する。

この家のなかに、いる。

 

僕は家のなかを見渡しました。気配、というか殺気は、…僕の部屋から、感じられます。

 

…すいません。財布を、とってきます。

 

友人にそう伝えて、僕は若干パニックになりながら部屋に向かいました。

 

 

…自分の部屋に入るのに、何故こんな緊張しなきゃいけないんでしょうか。

深呼吸をして息を、鼓動を整え、僕は恐る恐る扉を細く開きました。

隙間から中を覗きましたが人影は見えません。

気のせいだったかな、と若干安堵しつつ部屋に入り、すぐに扉を閉めると、

シュッと横から手が伸びてきて肩を掴まれ勢いよく引き寄せられました。

僕はバランスを崩し、引き寄せた相手に完全に身を預ける形となってしまいます。

 

「おかえり」

 

(扉の影に、っ)

 

間近に見える、ムカつくレベルの嫌な笑顔で迎えられました。

気付かなかった自分自身はにうんざりしつつ、僕は彼を睨みつけるように見つめます。

 

「いやなに。悩んでたみたいだからな」

 

嫌な笑いをしながら彼は言葉を続けました。

 

「行ってくるといい。女の子と最後のデート」

 

普段から全くもって女っ気皆無じゃないか、と笑われます。

余計なお世話です。

というか、そんな余裕ないのは誰のせいですか。

心の中で反論しつつも、口には出しません。というか、わざわざ反抗する必要もないでしょう。

 

「…ただし、変な真似はするなよ?わかってるな?」

 

そう言って彼はまだ手当てをしてない、先ほどナイフで刺した箇所をぐりっと押しました。

思わず悲鳴をあげましたが、声が外に漏れる前に口を彼の手で塞がれました。

 

「声出すなよ。…お友達に気付かれるだろ?」

 

とぐりぐり傷口を抉ってきます。

抉られるたびに僕の口からはくぐもった声が漏れ出しました。

 

「買い物して帰ってくるくらいなら構わないさ。…監視は続けるけどな」

 

最後だし、自由時間はやるよ。楽しんでこい。と笑いながら、ガリッと思いっきり傷口を削って、彼は僕から手を離しました。

最後に出した大きな悲鳴も彼の手で受け止められ、僕は足から崩れ落ち、俯いたまま弱々しく息を吐きます。

そんな僕を横目に彼は軽い歩みで窓に向かい、枠に足をかけました。

 

(…窓、完全に塞いでおけばよかった)

 

部屋が真っ暗になってしまいますが、出入りされるくらいなら真っ暗なほうがマシです。

窓は出入り口じゃない。

 

教会や城になら窓に薄いガラスのステンドグラスがはまっていますが、僕はただの一般市民。

高価なステンドグラスなど手に入れることはできません。

グラスや食器にならばガラス加工品があるものの、薄く透明な大きいガラスなど存在しません。

窓とは言っているもののただ壁に穴があき窓枠をはめ込んであるだけの代物です。

穴を塞ぐのは羊皮紙のブラインドのみ。だから誰でも簡単に出入りできてしまいます。

 

若干後悔中の僕に顔を向け、彼は思い出したように僕にこう言いました。

 

「魔物退治、俺も付いていくからな。途中で逃げ出さないように監視しろとさ」

 

全く面倒臭い。と最後に笑い、彼は外に姿を消しました。

姿が見えなくなったのを確認して、僕は座り込んだまま重く息を吐き出します。

 

(嫌だ…)

 

若干ぼんやりしながら、僕は血が滲んだ服を着替えはじめました。

なんで無駄に抉ってくるんですか。趣味ですか。

はぁ、とため息をついてから、財布を持って部屋を出ました。

お待たせして、すいません。と友人に声をかけます。

 

「いや。…行こう」

 

と友人が僕の手を引っ張りました。

ふたりで友人の家に向かって歩いていきます。

僕らから少し遅れて、あの人の気配がついてきていました。

 

今日、わかりやすいなぁ。

 

ふうと僕はため息をつきました。

というか、デートとかいうと友人が半泣きになりそうなのでやめてもらいたいんですが。友人は妹さん大好きですから。

…怒るでも殴るでもなく泣くってとこが友人らしいなぁと思います。

 

「…何?」

 

うっかりじっと友人の顔を見ていました。

何かついてる?と彼は自分の顔に手を当てます。

なんでもないです、と伝えて僕は友人の顔から目を戻しました。

 

お互い言葉少なく歩いていたためか、思ったより早く友人の家に到着しました。

着いてすぐ、奥の部屋に通されます。

そこには友人の妹さんと、僕がいました。

鏡とかではなく、目の前に僕がもうひとりいます。呆気にとられて固まる僕を尻目に妹さんは、

 

「いらっしゃい!…オニィ、ひんむいて!」

 

と指示を飛ばしました。

 

何を、

 

待っ

 

いきなり上着をひんむかれました。

突然の行為に対処出来ず、ほぼ無抵抗で上着を奪われます。

なんで他人の家で半裸になってんですか僕は。

慌てて反論しようと開いた僕の口を、友人が柔らかく塞ぎました。

 

「しー…っ、大きな声を出さないで」

 

間近で囁く友人に若干本気で怯えていると、少し周りを気にしながら友人がごめん、と謝罪します。

そのまま友人は困ったような顔で言葉を続けました。

 

「…君が監視されてるのは知ってる。これしか方法が思い付かなかったんだ」

 

 

 

…え?

 

 

その言葉を聞いてぽかんとしている僕に、友人はこう答えます。

「監視の目を誤魔化すために、変装してもらいたい」と。

真面目な表情のまま、僕の目をしっかり見つめて。

僕は口を塞ぐ友人の手を引き剥がし、ぷはっと軽く息を吐き出しました。

問いただしたいことはたくさんありますが、とりあえず目の前の疑問から問いかけます。

 

…あの彼は、…

僕そっくりな人は

…誰、ですか?

 

「ああ、あれオレの幼馴染み。君の影武者を引き受けてくれたんだ」

 

いや、顔…

 

「化粧」

 

化粧ってレベルじゃないですよあれ。

多分兄さんすら見間違えるレベルです。

 

「…妹の化粧の腕は天才的だから…」

 

僕の問いにあっさりと答えた友人は頬を掻きつつ笑いました。

再度『僕』に目を向けると、先ほど奪われた僕の上着を『僕』が着込んでいます。

…ややこしいな。

さっきの友人の言葉から、幼馴染みさんが『僕』に変装するというのはわかりますが…。

 

若干困り顔となりながらも、僕が友人に話しかけようと声を出そうとしたとき、

若干不機嫌そうな妹さんがこちらに近付いていることに気付きました。

きょとんとそちらに視線を送ると、友人もそれに気付いたのか顔を向けます。

友人と妹さんの目があった瞬間、妹さんは友人に機嫌の悪そうな声を浴びせました。

 

「ちょっとオニィ!普段から化粧で誤魔化してるみたいに言わないで!」

 

普段は化粧なんてほとんどしない、と妹さんがぷいとそっぽを向きました。

いやそんなつもりじゃ、と友人はオロオロしはじめます。

そっぽを向いたまま、妹さんはひとこと言葉を友人に投げつけます。

 

「…オニィなんか嫌い」

 

その言葉、僕には『兄を困らせてからかってやろう』という軽いニュアンスに聞こえたのですが、

当の本人にはそうは聞こえなかったらしく、言われた瞬間、友人はカキンと固まりました。

微笑ましい兄妹喧嘩が目の前で繰り広げられているなか、おずおずと遠慮がちな声が響きます。

 

「あの…こっちは準備出来たんだけど…」

 

うっわ、僕だ。

 

割り込んでいいのか、気の済むまでやらせておいた方がいいのかと若干戸惑ったような表情の『僕』がそこに立っていました。

声色こそ違いますが、僕に瓜二つ。変な感じ。

そんな幼馴染みさんの姿を見て、妹さんは笑顔を向けます。

 

「あ。…じゃあ、アタシたちはデートしてくるね!」

 

妹さんが幼馴染みさんの腕をとり、言い放ちました。

いえ、ハタから見たら僕と妹さんのカップルなんですが。ああ駄目だ違和感凄い。

仲良さそうに腕を組む幼馴染みさんと妹さんを見て、友人は完全に固まり、軽く真っ白になり若干涙を浮かべます。

 

「…オニィ、変装は手を抜いちゃ駄目だからね」

 

最後にそう忠告して、妹さんと幼馴染みさんは仲良く出掛けていきました。

 

残されたのは、僕と友人。

凄くしょんぼりしてる友人はひとまず放置して、僕は不安げに窓から外を見つめます。

…羊皮紙で覆われてますから、外は全く見えませんが。

確かに僕そっくりでしたけど、…誤魔化しきれるでしょうか。

不安げな視線を窓に向けます。

もしも気付かれたら。

 

嫌な想像が頭の中をよぎります。

今からでも、遅くない。ふたりを危険な目にあわせるわけには…。

引き返してもら、

 

…え?

 

さっきまで感じていたあの人の気配が離れていくのに気付きました。

ずっと感じていた不愉快な気配。それが少しずつ小さくなっていきます。

 

「気配が離れた、ね」

 

いつの間にか復活していた友人が、小声で話しかけてきました。

つまり、あの人は入れ替わりに気付かず妹さんたちの方を監視しはじめた、ということ。

幼馴染みさんを『僕』だと判断して。

戸惑う僕に友人はほっとしたように声をかけました。

 

「あとはあっちがヘマをしなければ……、まぁ、するはずないだろうけど」

 

笑いながら友人はゴソゴソと物音をたてながら何かを漁りはじめました。

その音を不思議に思い、僕は友人に向き直ります。

視界にうつったのは見慣れないものを机の上に並べていく友人。

それらを確認した僕は、若干嫌な予感に襲われ後ずさりました。

しかしすぐに、トンと背中に壁がぶつかりました。逃げられない。

友人が言葉を紡ぎます。

 

「あいつはあっちに任せて、…こっちはこっちで続きをやろうか」

 

え?

 

「君を騎士隊の本拠地に連れていく。…そのために、ちょっとこれを着てもらうよ」

 

そう言って、友人はふわっと服を取り出しました。

綺麗な刺繍がされた、女物の服を。

 

いや、え?…何、

 

「変装道具」

 

なんで、

 

「『騎士が女装とか有り得ない。だからこそ、簡単に欺ける』」

 

って妹が言ってた。と友人が笑いました。

いやいやいや、そこまでする必要は、

 

「君の服は幼馴染みが着ていったから、これしか着るものないよ」

 

あの、え?…え?

 

人間、理解不能なことに直面すると思考って本当にとまるんだなと実感しました。

いやおかしいでしょう。

なんで

えっと、あの、…なんで?

 

いろいろ聞きたいことや、問い詰めたいことがあるはずなんですが、疑問の言葉しか出てきません。

混乱している僕に、ぱふんと手に持った服を被せながら、友人はゆっくりと説明をします。

 

「…騎士隊がバラけたのは、わざとなんだ」

 

そうすれば、君が騎士団長に向いてない、と解任されるだろう。と皆と示し合わせたんだけど…、と友人は語ります。

 

「…逆に君の負担を増やしただけだったね」

 

ごめん、と少し辛そうな声が聞こえました。

僕は被された服から顔を出し、ぷは、と息を吐きます。

 

「詳しい話は、本拠地に着いたら皆に話してもらえるかい?」

 

僕は騎士団長に向いてないんでしょう?

騎士隊に行くのは、

 

「…『皆と示し合わせた』って言っただろ?全員君のこと心配してるよ」

 

君の様子がおかしいことには皆気付いてる、と友人は続けました。

目を見開いて驚く僕をみて、少し笑いながら友人は続けます。

 

「オレも一応『お兄ちゃん』だからね。『弟』がヤバい状態だってことくらいわかるよ」

 

日に日にフラフラになっていくし、あの時だって…。と友人は言葉を濁しました。

僕から視線を外し、眉を下げ俯いて。

困ったような声色で友人は言葉を紡ぎ出します。

 

「あの時本当は、すぐに皆に相談するつもりだったんだ。…けど、つけられてるのに気付いてさ」

 

とりあえず自宅に避難して、騎士隊には時間をかけて少しずつ説明したんだ。と友人が言いました。

おかげで、全員に説明し終わるのに1ヶ月かかってしまった、助けるの遅くなった、と友人は申し訳なさそうに笑います。

ごめん、とまた辛そうに謝罪の言葉を絞り出しました。

 

「で、いざどうにかしようと思ったら3日後には魔物退治。時間がないと慌てて…」

 

僕をひんむいた、と。

 

「だからごめんって。監視にバレないように入れ替わるためには、急いでやらなきゃ駄目だったんだ」

 

成功しただろ?と友人は小さな小箱を手に取りました。

パカッと開けた小箱の中には、色とりどりの化粧品が詰まっています。

次にされる行為に気付き、僕の顔から血の気が引きました。

 

あの、

 

「…大人しくしててくれよ!」

 

そう言って化粧品を手に持ち、僕の顔を押さえつけます。

あああ、予想通り!

本気で拒絶し本気で怯えながら、僕は必死に友人に叫びました。

 

待っ、

そこまでしなくてもッ!

 

「大丈夫!綺麗にするから!」

 

なにが大丈夫なのか説明を、…っうわなにこれ粉っぽいなにこれなにこれなにされてるの僕なにやだ怖なにそれなにその色ひやーー!?

 

…。

なんかこう

顔の感覚が

変。

 

若干俯きつつ、手を取られながら騎士隊の本拠地に向かって歩いて行きます。

下はスースーするわ、顔は塗りたくれるわ、…違和感が凄い…。

 

「塗りまくったけど、ナチュラル仕上げだよ。…元々睫毛が長いから、目力アップ率が凄いね。これ以上いじるとケバケバしくなっちゃう」

 

…僕にわかる言葉で言ってください…。

 

「我ながら美人にできた。妹に教わった甲斐があったよ」

 

…凄く嬉しくないです。

 

そんな会話をしながら、歩いていたら本拠地に到着しました。

入りたくない。

 

完全に拒絶する僕を、行くよ、と友人は手を引き、無理矢理中に引き込まれます。

若干転びそうになりつつも、全員が集まっている部屋に連れていかれました。

部屋には騎士隊メンバー全員が集まっていました。

 

「あ。ようやく、…おい」

 

騎士のひとりが友人に気付いて声をあげました。

 

「お前、何女なんか連れてきてんだよ!」

 

まさか失敗しました、とか言うんじゃないだろうな!と友人に詰め寄ります。

いやいや、と若干ビビりつつ慌てて手と首を振る友人。

…あの、ちょっと待ってください。

もしかして、僕だと気付いてないんですか。気付かれないとか本気でショックなんですけど。

そんな女顔かなぁと少なからずダメージを受けます。

 

「ちょっ、待っ、」

 

声のした方に目を向けたら、友人が軽くボコされていました。

ああ、止めなきゃ。

 

あの、

と僕は騎士隊の皆さんに向かって話しかけます。

僕が声を出した瞬間、しん…っとその場が静まり返りました。

 

「…え?あ、…えぇ?」

 

ようやく僕だと気付いた皆さんは友人に詰め寄るのをやめてくれました。

そのまま呆けたように声を出します。

 

「…ああ、えーっと、…綺麗だな?」

 

すいません、嬉しくないです。

 

しばらく好奇の視線が浴びせられました。

僕今どんな風になってんでしょうか。

 

しかしながら、ようやく騎士隊の皆さんと話し合う機会を手に入れることができました。

友人に感謝…

…感謝…

素直に感謝出来ないのはなんででしょうか…。

 

もう、いいですか…。と視線に耐えられなくなった僕が口火を切りました。

話し合いが始まります。

 

『もう王国についていけないから、全員で逃げようと皆さんの意見は一致しています。

その意見に反対するのは僕。

 

「何故ですか?今なら全員で逃げることは容易い…」

 

残される方のことも、考えてください。

兄さんがいなくなって残された僕が大変だったように、残した家族や恋人は、おそらく酷い目にあいます。

と僕は実体験からの考えを述べました。

 

「では、家族も連れて…」

 

それは無理ですよ。

大勢一気に逃げたら、王国に気付かれます。

 

「だからと言って、言いなりのまま死ぬのは御免ですよ」

 

もっともです。

ですから、僕の話を聞いてもらえますか?

 

 

そう言って、僕は必死に考えた方法を語り出しました。

 

魔物退治には素直に行きましょう。

確か、あの洞窟はいりくんでいましたから、数人ずつ離れても気付かれないと思います。

洞窟に入ったら、少しずつ隊から離れて隠れてください。

 

…すぐに外には出ない方がいいかもしれません。

洞窟の外に、王国の見張りがいるかもしれませんから…。

 

外に出るタイミングは王室の方が『騎士隊が全滅した』と逃げ出した後です。

その後なら外に出ても大丈夫だと…

 

「待って。…いきなり、何?」

 

友人が口を挟みました。

 

「洞窟の中で隠れてチャンスを待て、というのは、わかる、けど…」

 

それだけわかってもらえれば、十分です。

…王室の方は『騎士隊の全滅』を望んでいます。

僕は全滅はさせたくありません。

ですから『壊滅』にとどめるんです。

 

『全滅』は全てのものが息絶えること。

『壊滅』は指揮系統が崩れること。

似てはいますが、少し、意味が違うんですよ。

ハタから見たら大したことのない差ですが、僕らにとっては大きく違います。

 

騎士隊が崩れるのは変わりありませんが、全員死ぬか、指揮官だけが死ぬか。

その差は、とても大きい。

 

「な、」

 

そう僕が言った瞬間に友人は絶句しました。

僕は気にせず言葉を紡ぎ続けます。

 

指揮官が死亡して、周辺に他の騎士もいなくなれば王室の方は『全滅』したと認識してくれるはずです。

…その後、生き残りが見付かったとしても特に睨まれはしないでしょう。

むしろ「全滅したはずなのに生き残れたとは」と英雄扱いくらいしてくれるかもしれません。

僕に監視がつくのは確定していますが、騎士隊全員には監視はつかないでしょうからおそらく上手くいくと、

 

「君、自分が何を言っているかわかってるの?」

 

わかってますよ?

 

「君は、」

 

…魔物の巣に行くわけですから全員が生き残れるとは思っていません。

ただ、今の方法なら、少なくとも半数は生き残れると思います。

 

「だったら、君、も、」

 

僕には監視がつきますから、逃げられないんですよ。奥まで進むしかないんです。

それに、…僕が生き残って何になりますか。

『優秀な兄の跡を継いだが、実力が伴わない愚弟』

そんな僕が生き残ったとしても世間じゃ生きていけませんよ。

『最強の騎士隊を潰しておきながら、生き残った駄目指揮官』と言われ続けます。

 

「それは王国が君を無理矢理団長にしたせいじゃないか!」

 

そりゃそうですが、世間的に僕は駄目指揮官ですよ。

死のうが生きようが僕は『駄目指揮官』です。世間の評価は変わりませんよ。

 

ですが、皆さんはむざむざ死ぬ道理もない。

僕が王国の監視を引き連れて奥に行く間に、隠れて、逃げるチャンスを待ってください。

そうすれば、『アカエリスタ王国・第一騎士団』は潰れますが僕らが育てた『騎士隊』は残ります。

いつか、返り咲ける。

 

 

以上が、指揮官として、団長として、隊長として、何一つそれらしいことが出来なかった僕の最後の指示、いえお願いです。

 

 

最後にそう締めて僕は話すのをやめました。

 

「断る、と言ったら?その指示には従えない、と」

 

…それでも構いません。

ただ僕はそう動くつもりです。

王室の監視をつれて、洞窟の奥に進みます。

 

共に散ってくれるなら、ついてきてくれればいいですし、生き残ってくれるなら、さりげなく隊から離れてください。

その判断は皆さん個人に任せます。

 

ただ、

 

「ただ?」

 

…根拠は全くないんですが、兄さんはいつか騎士隊に帰ってきてくれる気がするんです。

その時に、信用できる人が誰もいないと困るでしょう?

だからまぁ、…せめて半数は生き残ってほしいな、と。

 

「…。君、この期に及んでお兄さんの心配するの?」

 

しますよ。

 

「いや…即答されても」

 

君はお兄さん好きすぎる、と呆気にとられながら友人が言います。

だって心配なんですよ。今頃行き倒れてんじゃないかと。

 

「それはないでしょ?しっかりしてる人じゃないか」

 

あ。

あー……。

 

(…そっか。この場で兄さんが駄目な人だと知ってるのは僕だけなんだ。

路銀が尽きて木の上で寝てるとか、誰かにタカってるとか、基本的に仕事しないとか、サボりまくるとか。

そういう兄さんが心配なのは僕だけだ。

騎士隊の皆さんとしては、隊長は逃げた先でも上手くやってるだろう、という認識なんだろうなぁ…)

 

若干微妙な気持ちになりつつ、僕は頭を掻きました。

 

「えぇと、お兄さんのことは置いといて…」

 

ああ、お願いはもうひとつあります。

いつか兄さんが帰ってきた時に一発殴っといてください。

 

「へ!?」

 

騎士団長をぶん殴る機会ってそうないでしょう?

思いっきりやってください。

 

「いや、え?え?」

 

君の口から『兄を殴れ』とか言われるとは思わなかった、と友人が……いや、騎士隊全員が、驚きました。

僕どんな風に認識されてんですか。

 

僕からは以上です。

洞窟に入ったら、こっそり身を隠してなるべく生き残ってほしい、と

いつか兄さんが帰ってきたときに思いっきりぶん殴っといてほしい、の2点。

 

…それが僕からの最後のお願いです。

 

そう言って僕はぺこりと頭を下げました。

皆さんの視線は感じますが、あたりは静かなまま。

静寂のなか、友人がぽつりと呟きます。

 

「しばらく、考えさせてもらえるかい?」

 

騎士隊全員同じ気持ちなんでしょう。

構いません、と僕は返しました。

 

僕の考えは伝えました。

後は皆さんに任せます。

団長ならばきちんと指示すべきなのでしょうが、

『共に死ね』と言う気はありませんし、

『今すぐ逃げろ』と指示は出来ません。

 

『生きてくれ』と思いますが、僕が死ぬつもりなのに自分が生き残っていいのか、と葛藤があるようです。

僕としてはそんなの気にせず生きてのびてほしいのですが。

 

だから任せます。

皆さんの判断に任せます。

 

無責任でごめんなさい。

 

目を瞑り、俯きながら謝罪しました。

ふう、と誰かの息を吐く音が聞こえます。

 

「なあ、…化粧、だよなそれ」

 

…へ?

ええ、はい。

 

「どうなってんだこれ、凄ぇな」

 

騎士隊の方にガシッと顔を捕まれました。

興味をお持ちあそばれたようです。

 

「女ってこう、いろいろつけるんだな。人体に使う色じゃないの多くね?」

 

遠目でみるとわかんねぇんだけどなー、とマジマジと凝視されました。

 

「女って凄ぇな」

 

女性に対する賛辞を、僕に言うのは間違ってる気がします。

彼女さんに言ってあげてくださいよ。

 

「じゃあ、長く続く方法を教えてくれ」

 

知りませんよ…。

 

心の底からそう思いました。むしろ僕が聞きたいくらいです。

そんな僕らを取り囲みながら、騎士隊はワイワイと恋話に進展しました。

近況報告やどこのあの娘が可愛いといった他愛のない話。

そういやお前の妹可愛いよなと話題を振られる度に友人はキョドります。

その反応をみて笑い合う騎士隊の皆さん。

 

久々にほっとしました。

 

「ああ、そうだ」

 

僕より少し年上の騎士の方が、ぽんと僕の頭に手を置きました。

 

「今まで、よく頑張ったな」

 

そう言って、彼はわしわしと僕の髪を撫でくりまわします。

その言葉に、その行為に

少し、じわっときてしまいました。

 

「なに泣かしてんだよ」

 

と声がかかり、撫でてくれた方はオロオロとしはじめます。

それを見て、皆さんは笑いました。

もちろん、僕も。

 

 

…久々に、笑いました。

 

しばらく、楽しい時を過ごしました。

ただ他愛のない話をしたり、からかいあったり、笑ったり。

以前の、兄さんがいた時のような、普通の時間を過ごしました。

 

凄く凄く、幸せな時間でした。

 

そろそろ戻らないと、と友人が言うまで僕はその時間を心の底から満喫しました。

 

 

では3日後に、と別れを告げて僕は友人の家に戻りました。

 

友人の家に着きましたが、妹さんたちはまだ戻っていません。

若干友人の機嫌が悪くなりました。

 

「何、してんだろう」

 

…デートじゃないですか?

 

妹にはまだ早い、とか

なんかもうどっちに嫉妬してんだかわかんない、とかぶつぶつ言いはじめました。

…若干怖い。

 

とりあえず友人から離れて、僕は服を脱ぎ、友人に渡された化粧おとしを使って、顔をさっぱりさせました。

化粧って水じゃ落ちないんですね。

凄いことになった。

 

ああそうだ、と友人は救急箱を手に僕の側に近寄ってきました。

…気付かれてましたか。

 

「うん」

 

と友人は手早く手当てをしながら、ごめん、と呟きました。

何で謝るんですか、と問いかけようとした時に、妹さんたちが帰ってきました。ふたりとも満足そうな表情です。

僕に扮した幼馴染みさんは急いで服を脱ぎ、『使ってください』と渡しておいた財布を返してくれました。

まぁもうほとんど使いませんからいらないんですけどね。

 

まあいいか、と僕は渡された服を着て、これで失礼します、と3人に声をかけました。

 

「あ。うん…じゃあ、3日後に」

 

はい。

いろいろありがとうございました。

 

そう言って僕は帰路に着きました。

…先程より苛つき度が上がっている気配を背中に感じながら。

いろいろありましたが、時は過ぎ、魔物退治の日になりました。

 

この3日間の事を書くととても長くなりそうなので省略します。

昼夜問わずナイフが飛んできました。

寝かせてください。

 

集合場所で待っていると『考える時間がほしい』と言っていた騎士隊の皆さんも全員集まってきました。

誰も、逃げ出した方はいませんでした。

僕を先頭に魔物の巣に向かいます。

 

真横には僕を監視し続けた彼が歩いています。

影から見張られるのも嫌でしたが、…真横にいるのも嫌だなぁ…。

 

そんな事を考えていたら、洞窟に到着しました。

 

とりあえず、奥に向かいます。と騎士隊の皆さんに指示を出しました。

少し、皆さんを見渡します。

各々答えを出し、それに対する覚悟を決めたような表情です。

僕は最後に笑顔で、

 

『よろしくお願いします』

 

と皆さんに言いました。

今から死地に向かうには相応しくない言葉ですが、皆さんは頷いてくれました。

 

 

さて、では

 

 

いきましょうか。

 

 

 

笑って死のうと決めました。

 

兄さんも

仲間も

王室でさえ

恨まず憎まず

死のうと決めました。

 

やるべきことをやって

自分の仕事をきちんとこなして

死んでいこうと決めました。

 

『駄目指揮官』の汚名も

『駄目騎士』の汚名も

他人になんと言われようと

後世にどう描かれようと

受け入れると決めました。

 

 

僕は世界を恨まない。

僕は運命を憎まない。

 

 

僕は僕らしく

最期まで前に進むつもりです。

ひとりでも多く

仲間を逃がせるように

前に。

 

 

だから、

…数回モンスターハウスに突っ込んだくらいじゃ

…怯みません…。

 

「ビビってた癖に何を…」

 

だって!

 

友人に突っ込まれ僕は若干大きな声で反論します。

部屋に魔物がみっしり詰まってたんですよ?

あれ見たら大抵の人は驚きます。

 

「ライムが詰まった部屋なら入ってみたいな」

 

…にゅるにゅるしそうですね。

 

「え?ぷにぷにして気持ちよさそうじゃない?」

 

わからない…。

さぁ、先に進みますよ。

 

阿呆な会話をしつつ、僕らは奥へと進んでいきます。

後ろを振り向くと、着実に騎士の数は減っていました。

 

「…なんか人数減ってないか?」

 

あの人が笑います。

 

「駄目な指揮官の下だと苦労するな」

 

キッと睨み付ける友人を制し、僕はそうですね、と笑い返しました。

不可解な顔をするあの人を横目に僕は前を向いて歩みを進めました。

 

 

殲滅させるのは無理かも知れませんが、多少は頭数を減らしたい、と出会う魔物を倒しつつ、僕らは奥に進みます。

 

着実に、確実に、少しずつ、騎士隊の皆さんは姿を消していきます。

彼らは生きることを選んでくれたのだろうと、ほっとしながら僕は剣を振り続けました。

 

奥へ奥へと進んでいき、洞窟の最深部に到着した時に残っていたのは、僕と監視と、友人だけになっていました。

奥に来たら来たで、怒濤の数の魔物が襲ってきます。友人が軽くため息をつきながら呟きました。

 

「ああ、疲れた」

 

次が来ますよ!

 

「わかってるよ。背中預けるから頑張ろう!」

 

友人と言葉を交わしながら目の前にいる魔物に立ち向かいます。

…友人はなかなか離脱しません。

そろそろ逃げてほしいのですが。

 

「…しかし、あれだな」

 

ナイフを振る片手間に、監視の人が呟きます。

 

「わざわざアラーム使う必要性がなかったな。…騎士隊はボロボロじゃないか」

 

他に誰もいない、と馬鹿にしたように笑います。

一段落ついて、魔物の勢いが若干弱まりました。

僕らは、ふうと一息つきます。

 

「アラーム持ってきた甲斐がなかったな」

 

と監視の人はアラームを手で弄びました。

と、

ガッと彼の持っていたアラームが弾き飛びました。

同時に僕も背中に衝撃を受け、ふらっと倒れ込みます。

 

しまっ、た、

先制とられた!

 

チッと舌打ちが聞こえたかと思うと、監視の人が逃げ出していました。

 

「騎士団全滅だな」

 

という呟きが聞こえ、彼は出口に向かって走り出しました。

王国に報告に行ったのでしょう。

…計画通りとはいえ、

…ムカつく…。

 

致命的な一撃を喰らい、虫の息の僕。

そんな僕に、友人が回復薬を使いました。

 

「大丈夫?……逃げるよ!」

 

え?と驚く僕の手を取り、友人は出口に向かって走り出しました。

 

「ギリギリまで粘って助けるつもりだったんだ、…これで、」

 

笑いながら言う友人の前に、先程の魔物が立ちふさがりました。

『さっきのやつには逃げられたけど、お前らは絶対逃がさない』

というオーラが滲み出ています。

 

「…やっぱ上手くいかないか…」

 

友人が困った顔をしながら魔物に真正面に向き合いつつ、剣を構えました。

 

そんな友人の背に、僕は友人の名を呼びかけます。

その声に反応して、友人は首だけ軽く僕の方に向けました。

 

「なに?」

 

僕、戻ったら兄さんを探して、一発ぶん殴った後にこう言うつもりなんです。

『大好きです』って。

 

「何、不吉な事を…。

そんな事を言ったら、間違いなく死ぬよ?

巻き込まないでよ!」

 

僕をかばってください。

お礼はしますから。

 

「一人でやってよ!」

 

そうですね。

じゃあ、とっとと逃げてくださいよ。

貴方ひとりならなんとか抜け出せるでしょう?

僕が囮になりますから。

 

そう言ったら、友人は物凄く微妙な顔をしてから僕から顔を背けました。

 

「嫌だ」

 

そう言って友人はブンと魔物に斬りかかります。

…とりあえず、目の前の魔物を倒しますか。

僕も友人の後に次いで魔物に斬りかかりました。

友人が言います。

 

「君はこの間から自分を犠牲にしすぎ」

 

「全てを見捨てて逃げるくらいしてくれよ」

 

「なんで無駄に苦労しながら他人を生かそうとするんだよ」

 

僕は返します。

 

犠牲にしてる気はありませんよ。

 

僕に全てを見捨てて逃げる勇気はありません。

 

死ぬより生きてて貰いたいでしょう?

 

ああもう、と友人は僕を見ため息をつきます。

まだ何か文句を言いたそうな友人に、僕はこう言いました。

少しだけ、笑いながら。

 

『大事な人がいなくなるのは、もう嫌なんです』

 

だから、もう誰もいなくならないように、必死で考えて、必死に戦ってるだけですよ。

それを聞いて、友人は僕から目を逸らし無言で魔物にガッと斬りかかります。

今の一撃がとどめになったらしく、なんとかギリギリで倒すことが出来ました。

 

ああ、もう無理。

動けない。

 

ふぅと僕は息を吐き、壁に寄りかかりました。

そんな僕の頭に友人はチョップをぶちこみます。

…何で僕叩かれてるんですか。

 

「まだ終わってなさそうだよ」

 

目を凝らすと、友人の視線の先に大きな魔物が1体、こちらを睨んでいました。

 

 

「デカいのが残ったね」

 

…大物は最後まで出てこないもんですから。

 

「つまり、今回率先して前に出た君は小物って事か」

 

よし。ちょっと貴方ひとりで行ってきてください。

 

「うっわ。嫌な隊長だ」

 

そんな会話をした後、僕らはお互い笑い合いました。

強そうな魔物が目の前いるというのに、僕らは笑いました。

視線を友人から魔物に移し、僕は友人に話しかけます。

 

すいません、巻き込んでしまって。

 

「…バーカ」

 

逃げるなら逃げてもらって結構ですよ。

 

「ここまできたら、最期まで付き合うよ」

 

どうせ家に帰っても、妹と幼馴染みに邪魔者扱いされるし。と若干しょんぼりとした顔を見せます。

…やさぐれないでくださいよお兄ちゃん…。

本気で邪魔だとは思われてないでしょう?

多分からかって遊んでるだけですよ。

 

「…そうかな」

 

そう言って友人は、むぅと悩み顔になりました。

 

(本当にこの人は、妹に関する事だとコロコロ表情を変えるなぁ)

 

若干微笑ましく思っていたら、魔物がすっと息を吸い込みました。

 

「え?」

 

まずい!

こいつはたしか…!

 

反射的に僕は言霊を吐いていました。

 

『呪の、防御円!』

 

ふわっと僕らの回りに魔術壁が張られます。

その壁によって、魔物は吐き出したカースブレスの威力は格段に減少しました。

 

「な、」

 

ぽかんと僕を見る友人。

…ああ、しまった。

使っちゃった。

 

僕は少しバツの悪い顔をします。

 

「君、なんで…」

 

友人が驚いた顔で僕をマジマジと見つめます。

 

「なんで、魔術が使えるの?」

 

…生まれつきとしかいいようがありませんよ。

 

友人から目を逸らしつつ、僕は呟きました。

 

 

騎士ってのは剣と槍で戦うものです。

斧だの、短剣だの、投げ槍だの…そんな武器は騎士には相応しくないと言われます。

スポーツ代わりの狩猟に使うならいいですが、試合や戦いで持つのは下品とか言われます。

 

そんな『騎士』が魔術使うなんてもってのほか。

だから、隠していました。

 

魔術師になるには力が弱く、少しの技しか扱えません。

しかし魔術気質が高いせいか、剣術スキルもなかなか上がりません。

 

中途半端なりに頑張りましたが、中途半端に身に付きませんでした。

 

どちらも極めることは出来ず、片方を捨てることも出来ず、両立することもできない。

…半端すぎて嫌になる。

 

僕は友人に苦笑いしながら語りました。

なんか、バレたらバレたでどうでもよくなってきました。

 

「いや、…んー…」

 

歯切れ悪く言葉を探す友人。

別にいいです。

…また攻撃がきますよ!

 

ハッと意識を魔物に戻し、なんとか友人は避ける事が出来ました。

集中しないと危ないですよ?

そう笑いながら、僕はまた呪文を唱えました。

 

『サクリファイス!』

 

唱えると同時に全身を痛みが襲います。

使える魔術で一番威力が高いのですが、…体力半分持ってかれるのは痛いですね。

なんとか魔物にダメージが入ったのを確認し、僕はふう、と再度壁に寄りかかりました。

 

(…もう一発くらいなら

撃てる、かな)

 

しんどそうに呼吸をする僕に、友人は厳しい顔で僕に声をかけます。

 

「…他の魔術、使えない?」

 

使えますけど…、威力弱いですよ?

 

「いい。…さっきのはもう使うな」

 

凄く睨まれながら言われました。

…珍しい。語気が荒くなってる。

…怒ってる、なぁ。

わかりました、と目を逸らしつつ答えます。

友人はほっとした顔を見せた後、少し笑ってこう言いました。

 

「まあ、君なら魔術使えてもおかしくないか」

 

…?

 

「魔力ってのは、愛あるものに宿るそうだよ?」

 

………、は?

 

「愛あるものに魔力は宿るんだよ」

 

いや聞こえなかったわけじゃないですから。

2回も言わなくていいです。

なんですか、そのメルヘンな話。

 

「俗説俗説」

 

俗にも程があるでしょう!

 

「兄弟愛も愛のうちだし。…口を開けばお兄さんの話する君なら、魔力宿っても不思議じゃないよ」

 

口を開けば妹さんと幼馴染みさんの話しかしない貴方に、言われたくないです。

 

「ははっ、確かに!オレにも宿ればよかったのにな」

 

そうしたら、面白かっただろうに。と楽しそうに笑いました。

つられて僕も笑います。

魔術使いがふたりもいる騎士隊とか、前代未聞すぎますよ。

 

 

ひとしきり笑った後、僕たちはキッと目の前にいる魔物を睨みました。

友人は魔物から目を逸らさずに、楽しそうに言葉を紡ぎます。

 

「オレ、無事に帰ったら、妹にこう言うんだ。

『大好きだ』って」

 

僕と被りますね。

『愛してる』くらいにランクアップしてくださいよ。

 

「無理死ぬ」

 

そう言って僕らはまた笑いました。

ギリギリだから

ボロボロだから

多分僕らは帰れない。

 

それでも、きっと伝わると信じて一番大切な人に言葉を遺しました。

ふたりとも同じ言葉を。

 

 

多分これが最後の戦い。

おそらくこれが最期の会話。

 

「よし!じゃあ、派手にいこうか!」

 

ええ、派手にいきましょうか!

 

 

そして僕らは魔物に向かって駆け出しました。

派手に、散るために。

 

 

…。

 

ああ、魔法の呪文を教えましょうか。

一番大切な人に『大好き』と唱えれば多分幸せになれますよ?

 

不思議ですよね。

言うと笑顔になる言葉です。

言われると笑顔になる言葉です。

 

不思議な、言葉ですよね。

 

 

END

 

追伸

 

『兄さんへ

 

ごはんは用意してありません。

飲み物も用意してありません。

 

僕が何もしなくても

兄さんならちゃんと食べてくれますよね?

 

 

僕は多分

もう兄さんに逢えません

 

ああそうだ

僕の友人の妹さんと幼馴染みさんには

とてもお世話になりました。

お礼を言っておいてもらえますか?

 

ついでに妹さんに伝言をお願いします。

 

「貴女のお兄さんは、とても優しく、とても格好よかったです」

 

と。

 

 

兄さんへ

 

大好きでした。

格好いい兄さんも

格好悪い兄さんも

大好きでした。

 

格好悪いところも兄さんです。

兄さんは兄さんらしく

生きてください。

 

無理に格好つけるより

自然のままの兄さんの方が、僕は格好いいと思います。

 

多少サボっても大丈夫ですよ?

 

…でも、周りの人にあまり迷惑をかけないでくださいね。

 

僕はもういないのだから

 

 

 

兄さんへ

 

大好きでした

大好きです

 

ありがとう』

 


 
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