世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば——どんな職種であれ——仕事にあぶれる事はない、とまで云われている。
柔らかなフカフカのシーツにくるまって、幸せそうな顔でグッスリと眠っていた彼女がようやく目を覚ました。
名前はグライダ・バンビール。
当年とって19歳の(自称)美少女剣士。
だが、すがすがしい朝とは反対に、体の方はやけに重く感じられた。全身が、ギュッと締めつけられるような感覚さえある。
しかし、彼女は昨日はそんなに飲んでいたわけじゃないし、全身がだるくなるほど疲れているわけでもなかった。
………………………………………………。
「起きろ、セリファ————ッ!」
いきなりブワッとシーツを剥ぎとる。
ゴロゴロゴロッとド派手な音をたて、床を転がり、壁に当たり、更に大きな音がする。
………………………………………………。
グライダの眼が再び点になる。
「セリファ」はグライダのぬいぐるみに抱きついたまま、
「……おねーサマ、おはよ〜」
ニッコリと笑顔を作って彼女に挨拶する。
「……おはよじゃないっ!」
グライダは、ニコニコ笑う「セリファ」とは対照的にものすごい剣幕で怒鳴ると、
「人のベッドに入ってきちゃダメって、いっつも言ってるでしょっ!」
背中まである髪を振り乱してゼーゼーと肩で息をしながら「セリファ」を睨みつける。
「だって……だって……」
「セリファ」の眼にみるみるうちに涙が溜まっていく。
「きのーの夜はカミナリ鳴っててこわかったんだもーん!」
マンドラゴラもかすんでしまうであろう大声でワンワン泣き始めた。
今、大声で泣いているのがグライダの実の妹であるセリファ・バンビール。同じく19歳である。
もっとも、心身共に「子供」しているのでとてもそうは見えないけれど。
「……あ〜、もー泣くなっ!」
と、グライダが怒鳴るとピタッと泣きやんだ。
きょとんとしていたセリファは、グライダのぬいぐるみを抱きしめたまま、
「……ねーねー、おねーサマ。このおねーサマのぬいぐるみね、コーランが作ってくれたんだよぉ」
ほらほら、と言いながらそのぬいぐるみをグライダに見せる。
だいたい50センチ弱の、結構大きいサイズのぬいぐるみである。
「コーランが?」
グライダの眼が三度点になった。
ちょうどその時、そのコーランがやってきた。
「お二人さん。朝ごはんができたわよ」
燃え上がる炎をイメージさせる、軽いパーマのかかった赤髪の女性が入ってくる。
全身を、金属のような光沢を放つマントですっぽりと覆い、フライパンを持った左手だけを出した状態でやってきた。
コーランは、腕の良い魔法使いで、魔法と名のつくものならだいたい扱える。
ただ、彼女自身魔族の出身で、しかも呪いを得意としているので、悪魔扱いされてる事は確かだ。
「コーラン!」
グライダが怒った顔のままコーランに詰め寄る。
「何よ、あのあたしのぬいぐるみはぁ?」
コーランは、セリファが大事そうに抱えているぬいぐるみをチラ、と見ると、
「ああ。あれね。セリファがあん〜まりにも寂しそうだったからね。でも、隣で寝るぐらい別にいいじゃないのよ、実の姉妹でしょ?」
「だから何だ」といわんばかりにサラリと言うコーラン。
「そーゆー意味じゃないわよ。あんたが作ったんでしょ、あれ? 呪いの人形にでもしたんじゃないの?」
別に怒鳴っているわけではないが、何故か苦しそうに肩で息をしているグライダ。
「よくわかったわね」
「…………は?」
グライダは「まさか」と思いながらセリファの方を見ると、彼女はぬいぐるみを「しっかりと」抱きしめていた。
「セリファ。いい子だからそれ離しなさい」
「や」
セリファは間髪入れずにプイッと横を向き、同時にぬいぐるみを「ギュッ」と強く抱きしめた。
「うっ……」
胸のあたりが急に苦しくなってくる。
「おねがいだからはなして……」
「や」
今度は反対側を向いてしまう。
「はなして……」
「や」
「…………」
「や」
グライダとセリファの声が交互に聞こえる中、コーランは部屋を出ていった。
「二人とも。朝ごはん、早く食べちゃってね。かたづかないから」
鼻歌まじりに食堂へ戻るコーランだった。
むぐむぐむぐ。
はぐはぐはぐ。
薄いブルーのパジャマのグライダと、淡いピンクのパジャマのセリファは、向かい合って焼きたてのパンをかじっていた。
例のぬいぐるみは、セリファの隣の椅子にチョコンと腰掛けている。
コーランは、そんな二人を横から眺めている。
「……やっぱり、姉妹っていいわね」
そんなコーランのため息交じりのつぶやきを聞いたグライダは、
「ふーん。コーランって、兄弟とかいないんだ」
そう言って、お気に入りのハーブティーを一口飲んだ。
「コーランて、おねーサマとか、いないんだね……」
セリファもどことなく悲しそうに言った。
「まあね。仲間は……いるけどね」
悲しいのを無理に堪えたような微笑みを浮かべるコーラン。
「なかまって、お友だちのこと?」
「……そうよ。私の大事なお友達」
そう言って、セリファの頭を優しく撫でる。
彼女自身は自分の過去を一切語ろうとはしない。それゆえにグライダもセリファも「魔族の魔法使い」程度の事しか知らないのである。
物心ついた頃、だいたい両親が死んだと聞かされた頃から、いつも二人のそばにいた事だけははっきりしている。
そして、その話題を持ち出すと、コーランは決まって悲しそうな表情になる。
だから、二人ともそれ以上の追求はしなかった。
グライダとセリファの二人は、午後になって町へ出た。
グライダは厚手の麻のシャツにスリムジーンズ。
セリファの方はピンクとスカイブルーのカラーシャツを重ね着し、下はひだのないシンプルなスカート。
もちろん、セリファはグライダのぬいぐるみも持っている。
ニコニコ笑顔でぬいぐるみにほおずりまでしているセリファとは逆に、グライダは何となく不機嫌そうであった。
「セリファ。それ、何で家に置いてこなかったの?」
グライダの質問に、セリファはニコニコ笑顔のまま、
「だって、クーパーに見せに行くんだもん」
そう言って、ぬいぐるみをギュッと抱きしめる。同時に体がギュッと締めつけられるグライダ。
「……だから、そうやって抱きつくのはやめてって言ってるでしょ?」
もう何を言っても無駄だ、と判断し、むなしくため息をついた。
クーパー。本名オニックス・クーパーブラック。このシャーケンの町外れの小さな教会にたった一人で住んでいる青年だ。
詳しい事は彼女達自身も知らず、何かと謎の多い彼だが、不思議とセリファが懐いているのである。
「やあ、グライダさん、セリファちゃん。いらっしゃい」
神父の略式の礼服をピチッと着込んだクーパーが、教会にやってきた二人をいつもの優しい笑顔で出迎える。
髪が長かったら女性と間違えそうな、中性的な青年である。
「ねーねークーパー。コーランが作ってくれた、おねーサマのぬいぐるみ」
背の低いセリファの目線にあわせて少しかがんだクーパーの鼻先にぬいぐるみを突きつける。
「……ああ。なかなかかわいくできてるじゃないですか。コーランさんもなかなか器用ですね」
そう言ってぬいぐるみの頭をポンとたたく。
「……それ、呪いの人形にしてるのよ」
グライダは完全にあきれ顔。
「へぇ。そうなんですか。面白そうですね」
クーパーがぬいぐるみの脇腹をくすぐり始める。
「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
脇腹を押さえてそこらをのたうち回るグライダ。
「くっ、くすぐったい……。やめてよ。ちょっと。やめてったら……」
笑いすぎて、呼吸困難を起こしかけてしゃがみ込んでいるグライダを見下ろして、
「……じゃあ、お茶にしましょうか、セリファちゃん」
準備のため、奥に引っ込んでいくクーパー。
「おねーサマ。だいじょうぶぅ?」
「…………」
もはや物言う気力も失せたグライダだった。
海に面した高台に立っているこの教会には、一年中海風が吹きつけてくる。
でも、この時期は穏やかで優しい風であるため、外にテーブルを出してのティータイムというのも、なかなかシャレているだろう。
白いテーブルの上に、これまた白いティーセット。そのそばに置かれた白い小皿に可愛らしいクッキーが乗っている。
「……平和ですねぇ」
カップになみなみと注いだ紅茶を一口すするクーパー。
「この平和がいつまでも続いてくれれば、ボクとしても嬉しいんですけどね……」
その時、遠くのほうで誰かの声が微かだが聞こえてきた。
「ぱーぽーぱーぽーぱーぽーぱーぽー!」
救急車のサイレンのような大声を上げて、上から下まで黒ずくめの少年が三人の前に現れた。
少し釣り上がった眼に、ロクに手入れもしていないボサボサの黒髪。
袖を切ったダブダブの黒いシャツ。
足首のところを紐で縛ったゆったりとしたズボン。
ボロボロに破れた黒革のマントを纏い、手に何か持っていた。
名は、バーナム・ガラモンドという。
「バーナム。何か用ですか?」
ズズーッと紅茶をすすっているクーパー。
一心不乱にクッキーを食べているセリファ。
完全に無視しているグライダ。
そんな三人三様の反応を見て、
「仕事だっつーの。し・ご・と!」
そう言って、手に持っていたビデオテープをテーブルに叩きつけた。
「ああっ。そんな乱暴に扱うなんて……」
バーナムの行為を見たクーパーが、
「紅茶がこぼれてしまったじゃないですか」
いつのまに出していたのか、ふきんを取り出して、こぼれた紅茶を拭きとっていた。
バーナムは、完全に無視された格好となる。
「苦労して手に入れたんですよ、この紅茶の葉。遙か遠い紅茶の名産地・センチュリーオールドの地よりわざわざ取り寄せた業者から分けてもらった最高級の品なんですよ。このティーセットだって、陶磁器で有名な岩田焼の一品なんですからね」
「どーでもいいだろ、この際。そんな事よぉ」
バーナムが何とか止めようとするが、
「そうはいきませんよ。バーナム。あなたは余りにも『物を大切にする心』というものが欠けています。それだから……」
と、そこまで話した時、セリファが元気よく小皿をつき出した。
「クーパー。クッキーおかわり」
無邪気な笑顔を浮かべ、ニッコリ笑う。
「あ。ちょっと待ってくださいね。今、おかわりをとってきますから。おとなしく待っているんですよ」
クーパーは、そう言って、また奥に引っ込んでいった。
再び取り残された格好のバーナム。
「……早くデッキ貸してくれよぉ」
怒りをムリヤリ抑えた声でそう言った。
紅茶とクッキーをクーパーの部屋へ持ち込み、早速バーナムが持ってきたテープをビデオデッキに押し込む。
しかし、中へ入らない。
「あれ? 何でだ、こりゃ?」
「どうしたのよ。バーナム」
グライダがビデオデッキをのぞき込むと、
「……あんた。なにテープをひっくり返して入れてるのよ」
グライダは完全にあきれ顔。
「え? だってさっきA面見てたからよ。これからB面見てみるんだよ」
「ビデオテープにA面B面なんてないって何回言えばわかるのよ! この機械オンチ!」
「レコードにもカセットテープにもレーザーディスクにだってあるくせに、どーしてビデオテープにはないんだよ! 訴えてやる!」
「まあまあ二人とも。痴話ゲンカはそのぐらいにして……」
「誰が痴話ゲンカだっ!」
クーパーの言葉に過敏に反応するバーナムとグライダ。
「いい加減にして、ビデオテープを見てみましょう。これじゃあ、いつまでたっても話が進みませんよ」
クーパーのもっともらしいセリフに納得し、グライダが正しくテープを入れ、巻き戻した。
やがて巻き戻しが終わると、低い音がして、再生が始まった。
「これで、テープを間違えていた、なんて事はナシにしてほしいですね」
相も変わらずの調子で紅茶をすすっているクーパー。
セリファは、さっきからずっとクッキーを頬張っている。グライダのぬいぐるみは赤ちゃんをおぶる様な感じで背中にくくりつけられている。
バーナムとグライダは、とりあえず画面を見つめている。
画面は、しばらく何も写し出していなかったが、やがてぼんやりと人影が見えてきた。
『ヤァ、諸君。御機嫌ハイカガカナ』
何故か妙にカン高い声で、その人物はしゃべり出した。
『平穏ナ生活ヲ送ッテイルトコロ本当ニスマナイガ、仕事ガ入ッテシマッタ』
ようやく画面にその人影がハッキリと写った。
「…………」
画面を見ていたクーパー、グライダ、セリファの三人は、目が点になった。
その人物の顔にはモザイク処理がされており、画面下の字幕には「プライバシー保護のため、画像と音声を変えてお送りしております」と出ている。
「……何考えてんのよ、この人は」
グライダが大きくため息をついた。
「放っておきましょう。こちらからは、何を言っても聞こえないんですから」
クーパーはそう言うと、自分のカップに紅茶のおかわりを注いだ。
『マズ、コレヲ見テモライタイ』
画面が変わり、そこには八本脚のケンタウロスの写真が写し出されていた。
『コレハ、太古ノ昔。世界中ヲ氷ヅケニシテイタ魔獣・なーかんダ。誰カガソノ封印ヲ解イタバカリデナク、洗脳シテ配下トシタヨウダ。今回ノ仕事ハ、コノなーかんヲ封印。モシクハ殲滅スル事ダ』
今度は、画面に地図が写し出された。
『今、なーかんハ、コノしゃーけんノ町ノ南方百きろノ所ニイルトイウ情報ダ。ドウヤラ、なーかんノ実力ヲ試スツモリデ、近クノコノ町ヲ滅ボス気ダロウ』
画面が地図からモザイクされた人物に変わる。
『報酬ハイツモ通リ、成功シテカラ支払ウ。諸君ラノ健闘ト任務遂行ヲ祈ッテイルヨ』
一方的にそう言うと、ブツッと音がして、画面が再び真っ黒になった。
「……しょーがないか。仕事は仕事だもんね」
グライダが、すっかり冷めてしまった紅茶を一息で飲み干すと、
「セリファ、帰って支度よ。今日の夜七時。町の南門でね」
スッと立ち上がったグライダ。
「わかりました。コーランさんにも声をかけておいて下さい。彼女の力も必要になると思います」
「わかってるわよ、クーパー」
ウィンクすると、セリファと二人で帰って行った。
夜七時。シャーケンの町の南門。
対人外生物用特殊秘密戦闘部隊。その名もバスカーヴィル・ファンテイルの出撃である。
しかし、秘密戦闘部隊にしては、実に目立つところで待ち合わせるものである。
さすがに、みな遅刻だけはしなかった。
「それじゃあ、出発しましょうか」
いつも通りのクーパーの号令で、五人は町を出た。
グライダもセリファも、戦闘に適した完全装備(といってもそれほど重装備というわけではないが)に身を固めている。
ちなみに、セリファはグライダのぬいぐるみも忘れてはいない。
クーパーは略式の神父の礼服の上に旅用のコートを纏っているのみである。
バーナムとコーランに至っては、全く変わった様子はない。
本当に、こんな面々&装備で封印までされた魔獣を倒せるのであろうか。
クーパーの運転するレンタカーのジープで町を南下。遥か遠くにその軍勢が見える所まで来ると、クーパーは車を止めた。
「なかなかの軍勢ですね」
双眼鏡をのぞき込んだまま、クーパーが言った。
「あと、一時間もあれば、町の方でも気がつくと思いますよ」
「どーすんだよ! 何にも考えてねーぞ、作戦なんざよぉ!」
こんな状況だというのに、普段とまるで変わらない口調のクーパーの首を真剣な顔で締めているバーナム。
「大丈夫ですよ。ちゃんと作戦は考えてあります」
そう前置きをおいてから、クーパーが作戦の説明をし始めた。
「まず、敵は、魔獣・ナーカンを中心として百人ぐらいの軍勢です」
「軍勢っていうには、百人じゃ少なくないかしら」
「グライダさん。ナーカンだけですでに何千人分の戦力がありますよ」
一呼吸分ぐらいの間を置いて、更に言葉を続けた。
「グライダさんとコーランさん、そしてバーナムでナーカンの封印を解いたヤツを探す。そうすれば、ナーカンを押さえられるはずです」
「で、おめーはなにすんだ?」
バーナムがクーパーを指さして言う。
「ボクとセリファちゃんは、大人数の戦いでは何の役にも立ちませんから……」
クーパーは、実はコートの下に一振りの日本刀を隠し持っている。彼の剣の流派・石井岩蔭流(いしいいわかげりゅう)は居合いの技。多対一の戦いには不向きである。
かといって、セリファの魔法では、乱戦になれば同士討ちの危険もある。
彼の言葉の意味がわかっていただけたであろうか。
「ここでのんびりお茶でも飲んでいますよ」
いつの間に取り出したのか、魔法瓶に入った烏龍茶をおいしそうに飲んでいる。
「あーっ。セリファものみますぅ」
「わかってますよ。はい、コップ」
セリファにプラスティックのコップを渡し、烏龍茶を注いでいる。
「……勝手にやっててお二人さん」
頭を抱えてその場を去るグライダだった。
「しょーがねぇ。あいつはほっとこう」
バーナムがため息交じりにそう言うと、
「グライダ! コーラン! 行くぜっ!」
バーナム、グライダ、コーランの三人はジープを降りると、敵陣めがけ一直線に走っていった。
一方、敵の方はというと……。
「……隊長! こちらに何者かが接近してきます!」
物見の兵が、三人の姿を確認したようだ。
「装備と人数を報告しろ!」
隊の歩みを止める事なく、隊長が怒鳴った。
「……男一人に女が二人。ここから一キロも離れていません! そして、全員武器を持っている様子はありません!」
その報告を聞いて、隊全部が騒がしくなる。
「たった三人で戦う気か?」
「何を考えているのだ」
「勝てるわけがなかろう」
そんな言葉があちこちから聞こえてくる。
「その命知らずのバカ共に、クロスボウの矢でもお見舞いしてやれ!」
隊がピタッと止まり、同時に隊の前列がクロスボウに矢を装填する。
クロスボウはボーガン、
その威力は、三百メートルも離れたところから鋼の鉄板を打ち抜くほどである。
機械仕掛けのため、一回撃つと次を撃つのに時間がかかるという欠点はあるが、三人とも、そんな強力な装備ではない。
魔法でも使わない限り、この近距離でクロスボウの矢をかわすのは不可能である。
「物見兵! 何か魔法を使っている様子はあるか?」
「……ありません!」
その声を聞いた隊長は、
「それなら、ナーカンを使うまでもない。……撃てぇい!」
射程距離に入った三人めがけクロスボウの矢が次々と襲いかかってきた!
「おいでなすったか……」
バーナムが不敵な笑みを浮かべ、
「邪魔なんだよっ!」
掌に気を集め、その塊を前へ投げつける。
コーランはグライダの前に立ち、マントでガードする。
「……たっ、隊長! 奴らは無傷ですっ!」
物見の兵が、なおも走り寄ってくる三人を見て、驚きの声を上げる。
やがて、相手の顔が見えるぐらいの距離まで来た時、
「よくもやってくれたわねぇ……。このグライダ・バンビールが地獄にたたき落としてやるわっ……」
そう言って、右手に神経を集中させる。
黒い光の塊が現れ、あっという間に細く伸び、一振りの剣となる。
「……この炎の魔剣・レーヴァテインの錆となれぃっ!」
目の前の敵を、それこそ手当り次第に斬って斬って斬りまくるグライダ。
斬られた敵は燃え上がり、死体すら残らない。
バーナムは、風のごときスピードで隊の中に突っ込んでいく。
彼の武器は「拳」だ。
「うぉおりゃあぁぁっ!」
拳圧だけで、数人の兵士を馬ごと吹き飛ばしている。
それが、技の名前である。
コーランも、本職は魔法使いだが、体術の方もなかなかのもので、兵士達を軽くあしらっている。
たった三人にもかかわらず、ものの十分たらずでその軍勢はほぼ壊滅状態であった。
「いやはや、おみごとおみごと」
のんびり歩いてやってきたクーパーが拍手しながら言った。
「おみごとおみごと」
セリファも彼のまねをして手を叩いている。
「……言う方は気楽でいいぜ」
バーナムが倒れている兵士の剣を蹴とばす。
「じゃあ、治療しましょうか。それがボクの仕事ですしね」
三人とも、大した怪我はしていなかったが、一応魔法を使って治療はしておく。
「後は、この動かなくなったこいつをどーするかだな」
バーナムが全長十メートルはあろうナーカンを見上げ、言った。
ナーカンは、まるで電池が切れたおもちゃのようにピクリとも動かない。
その時、ちょっとした魔力の変化をコーランは感じとっていた。
「……なに、これ?」
その時、ナーカンの足元が凍りだした。
「しまった! みんな、逃げてっ!」
コーランの声で、一同は四方へ散った。
「どーしたってんだよ、コーラン!」
状況がよくわからないバーナムが怒鳴る。
「ナーカンの魔力が発動してるのよ! このままじゃ、みんなそろって氷漬けよ!」
コーランがみんなに言った。
「……仕方ありませんね。こうなれば、各自が使える一番破壊力のある技でナーカンを倒すしかないようですね」
クーパーが旅用のコートをバサリと脱ぎ捨てる。そして、隠していた日本刀を鞘に入ったまま眼前で構えた。
「
クーパーが低い声で静かに言うと、それに答えるかのごとく淡い輝きを放った。
「……オン・バサラ・タン・カン!」
クーパーが
ナーカンの胴体にいくつかの切れ目が入り、そこから炎が吹き出す。
「いくぜっ!」
バーナムが、両手いっぱいに集めた気の塊を飛ばす。
グライダは、今度は左手に神経を集中させる。白い光の塊が現れ、一振りの剣へと姿を変えた。
二刀流の構えをとり、剣の刃を眼前で交差させたグライダが叫ぶ。
「聖剣・エクスカリバーよ! 魔剣・レーヴァテインよ! 対なる力合わさって、大いなる力となれ!」
交差させた剣から、バチバチッと鋭い火花が上がり、X字の閃光が飛ぶ。
セリファもポケットから一組のカードを取り出し、その山の中から「神」の絵のカードを出し、天高く掲げ、叫んだ。
「神秘のトラッドの力、我が前に見せよ!」
瞬時に神の絵が彼女の頭上で実体化し、その神は両手から雷を放つ。
コーランも、複雑な言語の呪文を唱えている。呪文が完成すると、それは見えない無数の矢と化し、ナーカンを襲った。
通常の戦いならば、このうちの一つで充分すぎるほどの威力である。
だが、ナーカンは並の魔獣ではなかったのだ。
クーパーの
バーナムの使った四霊獣龍の拳・
グライダの
セリファのカード魔術も。
コーランの
何一つ効いた様子はなかった。
ナーカンの前ではダメージ一つ与えられないのだ。
「これだけやっても、ダメなんて……」
次の呪文を唱えようとしてやめたコーランが呟く。
「早く決着をつけないと、町の人たちがこっちに気づいてしまいますね……」
相変わらず微動だにしないナーカンを睨みつけ、クーパーが言った。
「……こうなったら最後の手段だ。一か八かやるっきゃねぇな」
バーナムがナーカンを睨んだまま、仁王立ちになる。
「やるって何を? 龍哮が効かないのはわかってるでしょ?」
グライダが叫ぶ。
「それとも、何か他に強力な技でもあるっていうの?」
しかし、彼はそれに答えず、マントと上着を脱ぎ捨てた。彼の胸板には、縦に大きく裂けた後のような傷跡があり、彼は、その傷跡に両手の指を食い込ませた。
「ウオォォォォォォォォォォォォォォッ!」
気合いを入れる雄叫びと共に、自らの胸板をこじ開けた!
「なっ、何だ?」
皆が驚く中、更に信じられない事が起こる。
こじ開けた胸板の中には肋骨に囲まれた彼の内臓があるのだが、心臓の所だけは、青白い輝きを放つ水晶玉が納められていたのだ。
肋骨がパクッと開くと、その水晶玉を鷲掴みにして、天高く掲げ、叫んだ!
「我! 今、水神・龍王に願い奉る! 我が声を聞き届け、我と共に戦わん事を!」
その時、水晶玉が強く輝いた!
その輝きの中で彼の身体に異変が起こる。
全身の筋肉が盛り上がり、身体が一回り大きくなる。
全身に鱗がびっしりと生え、両手両脚の爪がシュッと鋭く尖った。
背中に大きな翼が生え、勢い良く尻尾が伸びる。
強い輝きが消えると、バーナムは人間の面影を残したドラゴンに変身していた。
彼とのつきあいは短くはないが、彼にこんな力がある事は誰も知らなかった。
一同は驚きのあまり、半ば放心状態でその光景を見ていた。
「……グ、オォ?」
バーナムの身体から溢れる膨大な量の「気」で、ナーカンは意識を取り戻した。
「ウォォォォォォォォォォォォォォォッ!」
バーナムは、ひときわ高い雄叫びを上げると、一直線にナーカンめがけ飛んでいく。
一回り大きくなったとはいえ、身長差は三倍はある。
ナーカンは、そんなバーナムを踏み潰そうと脚を振りおろす。が、バーナムはいとも簡単に受け止めると、その脚を掴んで持ち上げ、地面へ叩きつけた。
「グアアッ!」
ナーカンが低い悲鳴を上げる。
ナーカンが立ち上がるのを待たず、バーナムが頭めがけ突っ込んでいく。
ナーカンは彼を手で払おうとするが、バーナムはその手を片手で軽々と受け止め、空いた手の爪がナーカンの胸板を簡単に切り裂いた。
「グアァアァッ!」
ナーカンが再び低い悲鳴を上げる。
バーナムは、自分を叩き落とそうと振り下ろしたナーカンの両腕をガシッと掴み、その腕を握り潰す。
グシャグシャになった自分の腕を見て、ますます悲鳴を上げるナーカン。
力の差は、あまりにも歴然としていた。
ナーカンはクルリと向きを変え、一目散に逃げ出した。
バーナムは、それを追いかけようとはせず、空中に静止した。
彼の全身が青白いオーラに包まれていく。
そのオーラが次第に大きくなる。
「ウォォォォォォォォォォォォォォォッ!」
再び高い雄叫びを上げると、全身のオーラをナーカンめがけて投げた!
オオオオオオオオオオオオオオオオゥッ!
そのオーラは空中で龍の姿となり、ナーカンに追いついてその全身を飲み込んだ。
四霊獣龍の拳最大最強の奥義・
「グ、オ、ォ、オ、ォ、オォ……」
途切れ途切れのうめき声が、ナーカンの最期の言葉となった。
さて、あけて翌日。
ナーカンの事は「町の外で何かあったらしいぞ」程度の噂で済んでいた。
例によって、クーパーの教会でティータイムとシャレこんでいる一行である。
優しくそよぐ風と、気持ち良く降り注ぐ太陽の光が実に心地よい。
「……平和ですねぇ。こんな平和がいつまでも続いてくれると、嬉しいんですけどね」
そう言って、カップになみなみと注がれた紅茶を一口飲むクーパー。
セリファはグライダのぬいぐるみを背負ったままクッキーを頬張っている。
グライダとコーランも、静かに紅茶を味わっている。
「平和に決まってるじゃない。騒ぎの元凶があの状態だものね」
グライダが妙に冷めた目で海のほうを見る。
そこには樹齢何百年という大木があり、その根元でバーナムが眠っていたのだ。
「あーして眠ってから、もう三日よ」
「仕方ないですよ、グライダさん。あれだけのパワーを開放したんですから。もう少しグッスリと寝かせてあげましょう」
クーパーが相変わらずの口調でそう言った。
グッスリと幸せそうに眠っているバーナムを眺め、コーランが小さく呟いた。
「若き龍王に、乾杯……かな?」
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「剣と魔法と科学と神秘」が混在する世界。そんな世界にいる通常の人間には対処しきれない様々な存在——猛獣・魔獣・妖魔などと闘う為に作られた秘密部隊「Baskerville FAN-TAIL」。そんな秘密部隊に所属する6人の闘いと日常とドタバタを描いたお気楽ノリの物語。