一刀視点
……しまった。
完全に敵の術中に嵌まってしまったようだ。あれだけ祝融の瞳を見てはいけないと言い聞かせていたのに、いざ戦うというときになって、思わず祝融の顔を凝視してしまった。
先ほどまで祝融の目の前――南蛮の戦地にいたのだが、今は何やら暗闇の中にいた。上下も左右も感覚が麻痺しているようで、俺はどっちを向いているのか、立っているのか、寝ているのか、それどころか、浮いているのかも分からない。
これが祝融の瞳術の力なのだろうか。視覚は完全に機能を失っているようだが、聴覚などは大丈夫そうだ。人は完全に五感を失ってしまうと、すぐに気が狂ってしまうそうだが、とりあえずは問題ないだろうか。だが、このままではいずれ心を砕かれてしまい、きっと正気を失ってしまうだろう。
――許さない。
「誰だっ!」
――お前を許さない。
どこからともなく声が響いた。低く、しかしそれでいて、はっきりと俺の脳に直接語りかけるかのように、そして、それは明らかに俺に対して激しい憎しみの炎を揺らめかせていた。
「どこにいるっ! 姿を見せろっ!」
――お前が憎い。
――お前が憎い。
「くそっ!」
悪態を吐いたところで、その声の持ち主の正体が判明することはなかった。不気味に木霊するその声は、絶対零度の如く冷え切った、まるで地獄の底から聞こえる悪霊の嘆きのようだった。
俺を憎み、俺の存在を許さず、俺の全てを嫌悪している。姿が見えず、俺に一体どのような恨みを抱いているのか判然としないのに、俺に対する憎悪だけははっきりと感じ取ることが出来た。
きっとそいつは暗闇の中から俺の姿を恨みがましい瞳で凝視しているはずだ。そして、俺の気が狂うまでじっと身を潜め、そうなったときに俺を闇の深淵へと引き摺り込もうと企んでいるのだろう。
しかし、すぐにそいつの正体は明らかになった。
俺が今まで立っているのか、寝ているのか、浮かんでいるのかすら定かではなかった空間に、一筋の光の道が出来あがったのだ。俺はそこに立っていたのだ。
そして、その光道の脇に二人の人影が見えた。道の光を反射しているものの、それでも周囲は漆黒の闇に包まれているため、ここからでは、誰なのかまでは判断出来なかったが、それでもその人物たちが俺に対して激しい敵意を秘めているのは、そのギラギラと妖しく光る瞳孔から窺える醜悪な悪意から明らかだった。
俺は意を決して、その道を進もうとした。祝融の瞳術がどのようなものかなんて分からないし、この先に行けば何か活路が見出せるのかどうかも分からない。だけど、じっとしてなんていられないんだ。
一歩目――鉛のように重く、足の裏が地面に張り付いているかのように、思い切り力を入れなければ動かなかった。呪縛に捕らわれているのか、それとも俺の無意識の恐怖心が俺を縛り付けているのだろうか。
二歩目――突如、原因不明の呼吸困難が俺を襲った。喉を誰かに鷲掴みされているような感覚に、足が止まりそうになる。額から頬にかけて冷や汗が伝う。心臓が早鐘を打ち、身体がガクガクと震える。
三歩目――ついに、目の前に立つ人物が明らかになった。真っ暗な闇の中、その表情に浮かび上がる不気味な双眸は、俺だけをじっと見つめ、助けを求めるような、それでいて、射殺さんばかりの禍々しい瞳を湛えていた。
「張譲……、劉焉……」
その人物とはかつて俺が手をかけた張譲と劉焉だった。
二人だけではない。よくよく見てみると、光道の脇には数千人もの人が立っていた。ある者は悪鬼の如き形相で俺を睨み、ある者は救いを求めようと、俺に向かって手を伸ばしていた。
彼らは戦場で散っていった益州の兵であり、また、反乱が成功した際に、劉焉側に与して民を虐げていた罪で処罰した官吏たちだった。
――儂を殺したお前が憎い。
――貴様さえいなければ、俺の野望は……。
――御遣い様、助けて下さい。
――どうして、我々を見殺しにしたのですか。
口々にそう呪詛の言葉を吐く彼らの瞳には血のような紅い涙が流れていた。死んでいった者たちの感情が、俺に注ぎ込まれてくる。自身を殺した俺への憎しみ、見捨てられた悲しみ、死に際の恐怖、それが次々に俺の精神を蝕むように入ってきた。
――死ね。
――死ね。
――死ね。
――死ね。
「…………」
四歩目――俺は無言で歩みを進めた。俺は止まらない。もう止まるわけにはいかないんだ。この道の先には、俺を待ってくれているもっと多くの人たちがいる。彼らは俺を天の御遣いとして迎え入れ、こんな俺に平和をもたらすだけの力があると信じていてくれるから。
五歩目、六歩目――先ほどまであった足の重みも、喉の締め付けもなくなっていた。俺は一歩ずつ確実に歩き続けた。
張譲、劉焉、お前たちを殺した罪は決して消えるものではない。偽善かもしれないが、俺はお前たちを殺した罪を背負いながら、この先も進み続ける。お前たちを斬ったときの感触は一生消えることなく、ずっと俺の手に刻まれるだろう。
戦場で散っていった兵士たちよ。お前たちを救えなかったことは決して変えることの出来ない事実だ。俺を恨むなら恨め、憎むなら憎め。だけど、俺はお前たちのことを忘れない。益州に平和が訪れた暁には、お前たちがその礎になったことを誇り、お前たちの子孫に語ることを約束しよう。
「我、
俺は振り返ることなく、その光道を――未来への道を、待っていてくれる者の許へと、歩き続けたのだ。
紫苑視点
一刀くんが祝融へと向かって走り出し、おそらくは彼女の瞳術にかかってしまったのね、祝融の目と鼻の先でまるで魂が抜けたように――あのときの桜ちゃん同様に、急に動きを止めてしまったわ。
「一刀っ!」
焔耶ちゃんが心配そうに彼の名前を叫んだが、一刀くんは反応を示さなかった。
「ふふふ……、無駄だよ」
祝融がにやりと唇を嫌らしく歪めながら、一刀くんへと近づいた。その顔には既に勝利を確信した余裕の表情が浮かんでいる。
「あたしの術からは誰も逃れられない。今頃、この男も自分の過去の暗闇に引き摺りこまれて、戻ってくる頃には廃人と化しているだろう。もっとも、そのまま永遠に闇に捕らわれるかもしれないけどね」
「くっ! 貴様ぁっ!」
焔耶ちゃんが飛び出そうとするのを私は手で制した。一刀くんが言った通り、祝融に不用意に近づくのは危険だわ。瞳を見るだけで術中に嵌めてしまう恐ろしいものだけど、きっとそれにはある程度の発動条件があるはずね。
私たちは祝融の瞳を見ているのにもかかわらず、彼女の術に落ちていない。それはこの距離ならば、彼女も私たちを術に嵌めることが出来ないということを示しているわ。だから、今は動くべきではない。
それに……。
「ふん、天の御遣いと恐れられる男も、あたしの術の前では為す術なしとは情けないね。この術の苦しみは半端ないからね、いっそのこと楽にしてあげた方がいいのかな?」
祝融は一刀くんの腰に佩かれた刀をゆっくりと抜くと、その刀身に映る自信の姿を眺めながら、舌をぺろりと伸ばした。紅い舌はまるで人間のものとは思えないくらい長く思え、彼女の残忍性を表している。
「ほら? 大事な主君の危機だよ? 助けなくていいのかい?」
「ぐぅっ!」
焔耶ちゃんが激しい憤りを堪えようと、唇を噛み締めている。
「平気よ。一刀くんはあなたなんかに負けないわ」
「ほう……。大した自信だね。じゃあ、こんな風にされてもその自信を持っていられるかいっ!」
「……っ!」
私の言葉に祝融は刀を横に振り、それを一刀くんの首筋の直前で停止させた。少し刃が触れたようで、破れた皮から一筋の血が流れ落ちた。
「一刀っ! 起きろよっ!」
「あっはっはっ! 無駄だよっ! お前たちはそうやって大切な御主人様があたしに殺されるのを黙って見ていることしか出来ないんだっ! だけどね、あたしたちが受けた屈辱はこんなものじゃないんだよっ! お前たちはあたしたちの苦しみを少しでも味わうべきなんだっ!」
哄笑しながらも、祝融は燃えるような怒りを瞳に宿していた。彼女たちが受けた屈辱というものがどういうものであるのかは、私には分からないわ。だけど、私たちも一刀くんを失うわけにはいかないのよ。
それにね、あなたは一刀くんのことを侮っているようだけど、彼はあなたが言うように天の御遣いと恐れられる存在なのよ。そして、彼は私が愛した男性でもあるの。
彼はあなたには負けないわ。きっと――いいえ、絶対に私たちの許に帰ってくるわ。いつものように太陽のような眩い笑顔と、少しだけ好色なところはあるけれど、優しくて温かい言葉を持つ彼は、必ずあなたを倒すわ。
「じゃあ、そろそろ終わりに……しようかっ!」
祝融はゆらりと刀を振り上げると、それを一刀くんに向けて振り下ろした。
そのときであった。
一刀くんがかっと目を見開くと、反身をずらして祝融の攻撃を避けたのだ。
「なっ!?」
そして、そのまま祝融の顔に思い切り拳を叩き込んだのだ。その衝撃で祝融は吹き飛ばされ、握っていた一刀くんの刀が地面へと落ちた。
「ただいま、帰りました」
「おかえりなさい、一刀くん」
こちらを振り向いて、優しく――普段と変わらぬ笑顔を見せてくれた。
「う、嘘だっ! あ、あたしの術から逃れる方法なんてっ!」
祝融は一刀くんが術から戻ってきたことに――そして、精神的にどこも壊れていない健常な姿を見て、大きく取り乱した。地面に尻もちをつきながらも、必死に立ち上がろうとするが、さっきの一刀くんの拳が効いているのか、上手く動くことが出来ないようだった。
ときを同じくして、南蛮軍を制圧したという報告と共に、他の将もここに続々と集まってきた。倒れる祝融と、彼女を睥睨する一刀くんの姿を見て、無事であったことにホッと胸を撫で下ろしたような表情を浮かべている。
「……そうかい。あたしたちの負けなんだね」
祝融は己の敗北を認め、諦めたように自嘲的な笑みを浮かべた。
一刀くんは無言で刀を拾い上げると、それを祝融の喉元に突き付けた。
「そうやって、お前たちはいつもあたしたちの平穏を壊すんだね。何もかもを壊して、全てを奪っていくんだ。さぁ、早く殺しなよ。あたしはもう逃げも隠れもしないよ」
彼女さえ討ち果たすことが出来れば、南蛮軍は統率を欠き、私たちに降伏せざるを得ないでしょうね。
しかし、一刀くんはそこから動くことが出来ずにいた。
「祝融から離れるのにゃあぁぁぁっ!」
そして、どこからともなく叫び声が上がり、四人の少女が姿を現したのだ。
一刀視点
祝融の術の呪縛から逃れ、俺は再び南蛮の地へと戻ってきた。意識を取り戻した瞬間、目の前に祝融が立っており、今まさに俺に斬りかからんとしていたから、多少は焦ったが、何とかそれを避け、祝融に渾身の一撃を与えることが出来た。
激しく狼狽する祝融、しかし、他の将も揃い、自分たちがもう俺たちに勝てないと悟ると、諦めたように身体から力が抜けた。
「……そうかい。あたしたちの負けなんだね」
俺は地面に落ちていた刀を拾い上げると、祝融に向けて突き付けた。
「そうやって、お前たちはいつもあたしたちの平穏を壊すんだね。何もかもを壊して、全てを奪っていくんだ。さぁ、早く殺しなよ。あたしはもう逃げも隠れもしないよ」
最後に祝融はそう呟いた。
こいつさえ倒せば南蛮の地を制することが出来る。改めて俺たちは曹操さんとの決戦に向けて準備を整えることが出来るのだ。そして、こいつは俺の大事な家族である桜を泣かせた――それを俺は許すことが出来ない。
しかし、俺は祝融を斬れずにいた。後ほんの少しだけ切先を伸ばせば、祝融の喉元を貫くことが出来るのだが、どうしても俺はそれが出来ずにいた。
何故、祝融は俺たちをこんなに酷く憎んでいるのだろう。彼女の言う、何もかもを壊し、全てを奪っていく――その台詞はどういう意味なのだろう。そもそも、どうして、彼女たちは俺たちに対して反乱を企てていたのだろう。
そのときであった。
「祝融から離れるのにゃあぁぁぁっ!」
どこに潜んでいたのか、四人の少女――孟獲たちが姿を現したのだ。瞳に涙を浮かべながら、祝融と俺との間に両手を開いて立ちはだかると、俺をキッと睨んだ。
「祝融をいじめるやつは許さないのにゃっ! この馬鹿ぁっ!」
「だいおーに続くのにゃっ!」
「祝融を守るのにゃっ!」
「大王しゃまを助けるのにゃっ!」
四人は一斉に俺に襲いかかってきた――と言っても、孟獲が俺の胸板をぽかぽかと叩いたり、両足を掴んで動けないようにしたり、首に縋りついて必死に俺を止めようとするだけであった。
その力は如何にも少女のようで――最初に孟獲の姿を見たとき、俺はもしかしたら鈴々のように見た目とは裏腹に超絶な力を秘めているかもしれないと思ったのだが、実際の孟獲たちはそんな力など持っているわけではなく、それは非力なものだった。
「どうして……?」
「祝融はみぃが守るのにゃっ! みぃは大王だから、絶対に守るのにゃっ!」
「馬鹿っ! どうして、こんなところに来たんだっ! 早くここから逃げろと言ったじゃないかっ!」
「嫌にゃのにゃっ! 祝融と一緒にいるのにゃっ!」
「しゅくゆーは優しいのにゃっ!」
「祝融を助けたいのにゃっ!」
「祝融しゃまが大好きにゃのにゃっ!」
「美以、トラ、ミケ、シャム……」
祝融は孟獲たちに前もって逃げるように言っていたようだ。それに孟獲は従わなかったようだが、もしかしたら、祝融は最初からこの戦にもう勝てないと分かっていたのかもしれない。
彼女たちの最大の武器であった藤甲兵を俺たちに焼きつくされ、また、その際に俺が演じた、天の御遣いが天の裁きを下したかのような火計により、南蛮兵たちの士気は大きく下がっていたのだ。既に勝機を失っていることに気付いていたのかもしれない。
俺を追い返そうとする孟獲は――いや、他の三人の少女たちもふるふると震えていた。涙を一杯に溜めた瞳を強く瞑りながら嫌々と首を振り、祝融を守るために俺に立ち向かっているのだ。きっと怖いに違いない。彼女たちにとっては、俺が掠奪者であり、大切な人間を殺そうとする者なのだから。
「やっぱりダメだっ! あんたたちを危険な目には合わせられないっ! 御遣い、この反乱を率いたのはあたしだっ! この娘たちは無関係なんだよっ! 全ての責任はあたしが償うっ! だから、この娘たちは、この娘たちだけは許してあげておくれっ!」
祝融が地面に頭をつけて俺に懇願した。これまでずっと浮かべていた余裕の笑みも、先ほどまで浮かべていた死を悟ったような諦観の表情も、今は浮かべていない。純粋に孟獲たちを心配し、彼女たちを救いたいという気持ちが如実に表れていた。
俺が握る刀の切先が震えた。桜を泣かせたという憤りと、ここまで頑なにお互いを庇い合う彼女たちが、本当に倒すべき相手ではなのだろうかという疑問の気持ちが、俺の中で激しく衝突し合っていた。
悪者は俺たちではないのか。俺たちは平穏に暮らしていた南蛮の民たちの前に突如現れた簒奪者で、俺たちは彼女らを統治していたと思っていたのだが、それは彼女らからしたら、自分たちの自由を奪われ、不条理に税として奪われていたと思われていたのかもしれない。
彼女たちはただ自由と平等を勝ち取ろうとしていただけなのかもしれない。かつて俺たちが劉焉から政権を奪取したときのように、南蛮の民を救うために敢えて勝機が薄いことを承知で、俺たちに戦いを挑んだのかもしれない。
そんな相手を俺は斬れるのか?
目の前で震える少女たちの目の前で、祝融を斬り捨てることが出来るのか?
祝融がここまで懇願しているというのに、孟獲たちを無理矢理従わせることなんて出来るのか?
「……無理だ」
俺は刀を地面に突き刺した。
「……祝融、頭を上げてくれ。戦は俺たちの勝利だ。お前たちにはこれから俺たちの本陣に来てもらう」
「何でも言うことを聞く。だから、この娘たちには――」
「安心してくれ。危害を加える気はない。その代わり、俺たちに話してくれないか? お前たちの思惑を……」
俺たちは祝融たちを連れて本陣へと戻ってきた。愛紗たちに南蛮兵たちの監督を任せているから、彼らにはもう抵抗することは出来ない。
「焔耶、縄を解いてくれ」
「え? だけど――」
「大丈夫だよ。もうこの人たちに抵抗する意思はないから」
「……分かった」
床几に彼女たちを座らせた。祝融はあれからずっと俯いた状態で、時折孟獲が心配するように彼女の顔を見上げると、弱々しい笑みを浮かべながら、心配ないというように頭を撫でていた。
「じゃあ、話してくれないか? 南蛮と益州について。どうして、お前たちがそこまで俺たちのことを憎んでいるのかを」
祝融は静かに語りだした。どうして、彼女たちが俺たちに叛旗を翻したのかを。どうして、俺たちに対して激しい憎悪を抱いているのかを。そして、どうして、彼女が劉焉に手を貸したかを。
「お前たちはいつもあたしたちの領土を狙っていた。そして、領土を蹂躙し、そこに住まう民を虐げ、女を犯し、男を殺し、あたしたちから全てを奪っていったんだ」
南蛮がいつから益州の領土であったのかは俺には分からない。俺たちが反乱に成功した段階では、既に南蛮は属国だった。しかし、思い返してみれば、それはかつて益州が南蛮を制圧したことを意味している。南蛮へ出兵した理由は今では分からない。もしかしたら、単純に領土を増やすためにそうしたのかもしれない。
そもそも、南蛮をはじめとする異民族は、常に中華の人間から蔑まれていた。南「蛮」という文字は野蛮、蛮行から分かるように、彼らに与えられた蔑称である。
「先代の大王はあたしたちを守るために、必死に戦った。だけど、戦の中で散っていったよ。あたしは先代大王と約束したんだ。あの人の娘である美以たちを守るって。だから、あたしは劉焉に手を貸した。奴のいうことを聞くことで、南蛮に対して酷い仕打ちをしないようにって約束でね」
劉焉は自らが蜀を一つの国にして、皇帝として君臨することを目論んでいた。そのために、保険として桜を傀儡として操っていたのだが、おそらくは祝融が術を使えると知って、それを利用しようとしたのだろう。南蛮の安全とを引き換えに。
「だけど、それは俺たちに対して反意を抱く理由にはならない。朱里、南蛮に対して理不尽な税は課していなかったよな?」
「はい。確かに、劉焉統治下では、南蛮に対して相当な重税が課せられていました。だから、それを見直してきちんと正当なものに変えたのですが……」
「ふん、そんなこと信じられるかい。お前たちはいつもそうだ。そうやって言いながら、所詮はあたしたちを見下し、少しでも納税が遅れようものなら、反意があると見なして、こちらに攻め込み、次々と略奪していくんだ。その税を払うために、多くの友が必死に働き、死んでいったよ。結局、あたしたちには死ぬか殺されるしか選択肢がなかったんだ」
「そんな……」
朱里の顔を青ざめた。
彼女たちは長い間、そうやって苛性に喘いでいたのかもしれない。もう俺たちを信用できなくなる程に、激しい憎悪を胸に宿し続けていたのだ。俺たちが正当な税額を提案しても、疑心暗鬼に駆られ、それを容易に信じられない程に。
「分かったろ? これがあたしたちの反乱の理由さ」
「許せない……」
「そうだろうね。お前たち大陸にすむ人間からすれば、あたしたちのような低能な民族が逆らうことすら許せないだろうからね」
「違うっ!」
「え?」
「俺が許せないのは、そうやって同じ人間なのに優劣を勝手に決めて無理矢理従属させようとしたことだ。文化の違いはあっても、文明の進みに優劣があっても、俺たちは同じ血の通った人間じゃないか。そんな無意味なことをして、多くの人間が死ななくてはいけないなんて間違っている」
「あんた……」
「祝融――いや、祝融殿、孟獲殿、益州を治める者としてこれまでの非道な行為を謝罪する。いくら謝ったって、死んでいった者たちは救われないかもしれないけど。そして、改めて提案をする。もしも、独立を望むなら同盟を組もう。そして、もしも、あなたたちさえ良ければ、俺たちにここを繁栄させる手伝いをさせてくれないか? 勿論、属国だなんて扱いにはしない。同じ大陸にすむ人間として対等に付き合いを続けさせてくれないか?」
「……あんたはあたしたちを蔑まないのか? 異民族として虐げ、全てを奪い尽したりしないのか?」
「当たり前だ。俺は民族で差別なんてしない。だから、俺たちの仲間として改めて関係を築き直そう。時間は多少かかるかもしれないけど、きっと大丈夫。同じ人間同士、きっと分かりあえる日は来る」
俺は祝融に向かって手を伸ばした。その手を不思議そうに祝融は見つめていた。あぁ、握手の文化ってこの時代にはないんだな。
「これは握手っていって、お互いが友達同士になった証だ。これからは益州と南蛮は友好関係を結ぶ。そのための第一歩として、俺と皆が友達になろう」
「……っ!」
祝融の瞳から涙が溢れた。これまで益州から何人もの官吏が送られてきたはずだ。だけど、きっと彼らは常に彼女たちのことを見下し、冷めた目で理不尽な命令をしてきたのだろう。だけど、俺は彼女たちと友として関係を築き上げたいんだ。そうすれば、もう二度とあんな悲しいことなんて起きないから。
「……ありがとう。あんたは本当に天の御使いだよ」
そうして、南蛮での戦は終結した。お互いに犠牲は出してしまったけど、もう二度と犠牲は出ないだろう。
祝融は何度も礼を言いながら、両手で俺の差し出した手に縋りついた。そこには俺たちを憎む感情はなく、幼い少女を守ることが出来た喜びが溢れていた。
あとがき
第六十六話の投稿です。
言い訳のコーナーです。
さて、今回で南蛮編を終わらせるつもりが、予想以上に本文が伸びしていまいましたので、次回を完結編にしたいと思います。
今回は、まず前回の最後の誰もが突っ込んだ一刀くんのミスにより、彼の精神世界から始まりました。かつて、彼を悪夢の中で苦しめた張譲を始め、一刀くんが心の中に抱いている弱い部分に付け込んだ祝融の瞳術。
しかし、一刀くんはそれに負けることはありません。彼には戦で活躍できるほどの武勇も知恵もありませんが、誰よりも天の御遣いとしての覚悟が出来た人です。
「我、不迷」というように、歩みを止めることはありません。後ろを振り返ることもありません。
そして、祝融から語られた真意。これについては少し微妙かなって思ったりもしたのですが、美以たちを仲間に加える以上、このような形がもっとも書きやすかったので、そのまま使いました。
異民族は中華の人間から常に蔑まれた存在。それは当時の人間からしたら当たり前かもしれませんが、現代人たる一刀くんからすれば、許せるものではないのかなと。
さてさて、そんなこんなで益州と南蛮が改めて対等の立場として関係を築き直すことになりました。
祝融の立場から補足すれば、きっと彼女たちを対等に扱ってくれる人間は、一刀くんが初めてだったのでしょう。何の躊躇もなく、自分たちと友達になろうと言ってくれた彼に、心を開いても良いって思ったのかもしれませんね。
まぁ、しかも相手は一刀くんですからね。人たらしの性質は誰にも負けない彼に、そんなことを言われれば、きっと誰もが信じようとって思ってしまうのでしょう。
そうそう、桜を泣かせた罪をそんな簡単に許して良いのか、とお思いのあなた、それは次回までお待ちください。そこで祝融にどんな罰が与えられるのかを明らかにしたいと思います。
さてさてさて、これでようやく南蛮編も終わらせることが出来ました。それ以降は、雪蓮たちとの絡みを経て、物語は最終章へと縺れ込みます。
何とか年内で終わらせることが出来るかどうかを心配しつつ、今回はここら辺で筆を置かせて頂くことに致します。
相も変わらず駄作ですが、楽しんでくれた方は支援、あるいはコメントをして下さると幸いです。
誰か一人でも面白いと思ってくれたら嬉しいです。
Tweet |
|
|
64
|
3
|
追加するフォルダを選択
第六十六話の投稿です。
祝融の瞳術に嵌まってしまった一刀。闇に捕らわれてしまった彼は、そこで一体何を体験するのだろうか。そして、明かされた祝融達の真意。それを聞いた一刀は何を想うのか。
これで戦も終了します。それではどうぞ。
コメントしてくれた方、支援してくれた方、ありがとうございます!
続きを表示