第二章 海賊(パート4)
「む、姫さま、一体いつまで遊んでおられるのじゃ!」
詩音とフランソワが宴会場へとそそくさと戻った時、早速とばかりにビックスが空気を奮わせるような大怒声でそう言った。その怒気には流石のフランソワも萎縮していたであろう。
ビックスの右手に、しっかりと掴まれた麦酒ジョッキの姿が無ければ。
「随分楽しそうね、ビックス。」
呆れた様子で溜息を吐きながら、フランソワはそう言った。
「いや、これはその、」
「ま、お気楽に、ビックス殿。」
すかさず、というタイミングでビックスのジョッキに追加の麦酒を注いだのはグレイスであった。抵抗の素振りも見せず、というよりは役目よりも酒が優先とばかりにビックスは途端に表情を崩してビックスの杯を受け取ると、そのまま勢い良く喉の奥に麦酒を流し込み、ぷはぁ、と一つ威勢の良い吐息を漏らしたところで、漸く我に返ったらしい。
「いや、違いますぞ、フランソワ姫さま!さて、もう遅い時間じゃ、そろそろ館へ戻りますぞ。」
「・・説得力の欠片もないわ。」
何かを諦めたように、大げさに首を左右に振りながら、フランソワはそう言った。その様子に思わず詩音も軽く噴き出した。
「さて、お嬢様も戻られたし、もう一度乾杯と行きましょう、ビックス殿。」
にやり、とグレイスがそう言って、フランソワと詩音に新しいグラスを手渡すと威勢良く乾杯、と叫んだ。
「おう、こんなことになるとは、公爵様になんとお伝えすればよいか・・。」
いや、殆ど自分のせいだと思いますけど。詩音は喉元まででかかったその言葉を漸くの思いで押し留めると、代わりとばかりにこう訊ねた。
「アウストリア公爵のご命令でしょうか。でしたら、すぐにでも戻らなければ。」
既にフランソワはグレイスと共に今一度宴会の中心部へと歩き出している。道行くごとに海男たちと乾杯を共有しながら。先ほど見せた弱々しい雰囲気は何処へ行ったのか、普段どおり、少女ながら威風堂々とした態度であった。対してビックスは、詩音の言葉に力なく首を横に振ると、少し疲れた様子でこう言った。
「否、公爵様は余り細かいことは仰らない方でな。姫さまから夕食の必要が無いと連絡を受けた時も、そうか、の一言だけじゃった。」
そこでビックスは、深い溜息を一つ付いた。そのまま、言葉を続ける。
「儂は心配症なのかのう。どうにも、公爵様の娘がこんな遅い時間まで外をふらついているのは良くないと思うのじゃ。」
「それは、勿論良くないしょうけれど。」
確かに、庶民の家庭に生まれたとはいえ、その点に関しては詩音も同意するところであった。正確に時刻を図る術を今の詩音は持ち合わせてはいないが、それでもおそらく夜の八時はとっくに過ぎている時刻であるはず。このくらいの時間で、しかもまだ十六歳の少女となれば、例えば真理の両親であってもそろそろ雷を落とす頃合だろう。
「ビアンカ女王陛下といい、姫さまといい、どうしてアリア王国の姫君はこう、じゃじゃ馬なのじゃろうなぁ。」
「ビアンカ女王、ですか。」
その名前は以前フランソワか誰かから耳にしたことがある。確か現在のアリア王国国王であったか。昨年即位したばかりの、まだ十八歳という若く美しい女王だという。
「おう。昔王宮勤めをしていた頃に何度もお会いしたが、あの女王様も姫さまに負けず劣らず、相当の男勝りじゃて。」
「そうですか。」
苦笑しながら、詩音はビックスに対してそう答えた。ビックスはどうやら女王陛下に対しても相当に苦労した様子だったが、それを他人事のように受け止めてしまったのは詩音にとって女王陛下との接点が現在も、そして将来も無いだろう、と考えてしまったせいであった。
それよりも、どうしてアウストリア公爵はフランソワの行為を気にかけないのだろうか。
ふと、詩音はそう考えた。アウストリア公爵には男女三人の子供がいるが、うち長男と長女は現在王都にその居を構えているために公爵の館には居住していない。一番年下であるフランソワだけが公爵家に残っている状態であるが、その娘に対して、アウストリアはどのような感情を抱いているのだろうか。
『私だけ、魔法が使えないの。』
ふと、フランソワの言葉が詩音の脳裏に蘇った。おちこぼれ、一族の恥。フランソワが懸念した事実を、一番に気にしているのはもしやアウストリア公爵なのだろうか。アウストリア公爵はそのフランソワに対して、どこか無関心で、或いは正当な愛情を注げずにいるのだろうか。
沸き起こる暗雲のような疑念を詩音は不意に思いついて、その瞳を僅かにしかめさせた。
進水式の準備が全て整ったのは、それから丁度一週間の時間が経過した頃であった。
久しぶりに高校の制服に袖を通そうと詩音が考えたのは、それなりに節度が必要な式典になるだろうと考えたためである。そのブレザーの袖口に腕を通しながら、さて、果たして高校では自分の扱いは一体どうなっているのだろうか、とぼんやりと考えた。台風での行方不明者扱いになっているのだろうか。両親は、友人達は、何よりも真理は果たしてどんな気持ちで日々を過ごしているのだろうか。そう考えるとどうしても暗澹とした気分に襲われてしまうものの、略式の正装、即ちウェディングを彷彿とさせる白色のドレスに身を包んで、期待に膨らませた胸でそのままふわふわと浮いてしまうような足取りで歩くフランソワの姿を見ていると、その気分もいつの間にか、まるで今日の天気のように晴れやかに澄み切ってしまうものだから不思議なものであった。
その二人が造船所に到達すると、造船に関わったメンバーは勿論のこと、他にも多数の見物客が訪れていた。おそらく五百名近くいるだろう集団の中に、海の男達というには少し風貌の異なる、十名程度の集団が存在していた。白色を基調とした詰襟のコートをしっかりと着こなした集団である。その集団を目撃して、フランソワが驚愕に包まれた様子で瞳を見開いた。一体誰だろう、詩音がそう考えているうちに、その集団が見事に統制を取れた動きでフランソワに近付き、そして統一された敬礼をフランソワに向けて放った。それに対して、瞬間戸惑いながらも堂々と、フランソワも敬礼を返す。
「バッキンガム提督、まさかご参列いただけるなんて。光栄ですわ。」
敬礼を終えて、フランソワは嬉しそうに微笑みながらそう言った。バッキンガム提督。チョルル港を母港とする、アリア王国の軍事の要であるアリア王国第一艦隊の提督である。
「こちらこそ、フランソワ殿が丹精込めて造船された艦艇の勇姿を一度目に納めておきたかったまで。先ほど少し拝見いたしましたが、成程、想像以上に良く造られていると感心したところです。」
「お褒め頂き、恐縮ですわ、バッキンガム提督。」
フランソワはそういうと、スカートの裾を両手で軽くつまみ、バッキンガムへと向けて緩やかに頭を垂れた。その行為に対してバッキンガムは今一度フランソワに敬礼を行うと、誰かを探すように視線を彷徨わせながら、こう言った。
「アウストリア公爵は、本日は?」
その言葉に、フランソワは一度言葉を止めた。そして少し寂しそうに、こう答える。
「・・父は、今日は外せない政務があるとのことです。」
途端にのしかかる重たい空気。それは詩音の疑いを深めるような効果を的確に表した。やはりアウストリア公爵は、魔法の使えない娘を疎ましく感じているのだろうか。詩音の記憶する限りでは、アウストリアとフランソワの二人が直接に嫌悪しているような姿は見えなかった。だが、折角の進水式を迎えても尚、アウストリアは無関心を貫くのだろうか。
「お忙しい方ですからな、アウストリア殿も。」
やがて、僅かの沈黙の後にフランソワを宥めるようにバッキンガムはそう言った。そのまま、他の話題を探るように視線を詩音に移し、じっくりと観察をしながらこう言った。
「君が黒髪黒目の、シオン殿で宜しかっただろうか。」
「その通りです、バッキンガム提督。お会いできて光栄です。」
深いお辞儀をしながら、詩音はバッキンガムに対してそう答えた。ミルドガルドに訪れて既に一ヶ月以上の月日を経過し、好奇の視線に晒されることには既に慣れ切っている。
「こちらこそ、宜しく頼む、詩音殿。」
だがバッキンガムは詩音に対して、それ以上の興味を今の段階で抱いてはいなかったらしい。社交辞令そのままというべき挨拶を済ませるとバッキンガムはフランソワの元を離れ、他の見物客と同様の立ち居地へと部下を引き連れて移動していった。
「フランソワ、気にするな、その、な?」
全く、自分の語彙不足も甚だしい。素直に言葉が出てこない自らに心底うんざりとしながら、それでも漸くそれだけをフランソワに伝えた。
「ん、大丈夫。お父様はいつもお忙しいもの。」
詩音に対して、と言うよりも自らを納得させるようにフランソワはそう言って、そして無理を示すような笑顔を詩音に見せた。
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第十四話です。
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黒髪の勇者 第一話
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