俺は女神に出会った。
実に陳腐な表現だと思う。
でも俺は、あの美しさを表現するのに、これくらいの語彙くらいしか持ち合わせていない。磁器を思わせる白地の肌、だというのにカミの色は一本の例外なく真っ黒で、色素に不揃いな部分がない。
そして、俺を見た、神々しく光る紅色の瞳。
ただ目を合わせただけだというのに、その瞬間に、何かに憑かれたように感じた。
そしてそのすぐ後に、予感は最悪の形で的中することになる。
どこから話そう。
切り出しはそう多くないけれど、まずは、その女神のような――或いは死神のような…………疫病神。
醜悪をもたらす、とても綺麗な厄の神。
赤月霞について、順を追って語っていこうと思う。
(1)
上の、上の……そのなかでは中。
俺の外見ランクのことである。27階級中2位。偏差値で言うなら76程度で、戦闘力で表せば八千。
大きな学校なら、学年を探せば一人、いるかなあ……、とかそういうレベルだと思ってくれれば結構だ。今俺は、洗面台の前でそう思ってるわけだが、客観的に見ても、似たり寄ったりの返答が帰ってくることを俺は確信している。
顎のラインに無駄な肉はなく、フェイスラインをすっきりした印象にしている。髪色は明るい金に染まって、ほとんど傷んでいない。目鼻眉の位置が整っていて、特に切れ長の眼には、何も考えていない時でも、常に何かに勇猛に向かっているふうに、思わせるような力が宿る。要するに、きりっとしてる。
言ってしまえば、モテそうな顔つきなのだ。そして顔だけではなく話術の偏差値も高いため、実際モテる。俺が少しでも声をかければ、ほぼ全ての女子は向こうから告白してくるし、あの聖人の日にもらうアレはざっと百を超える。高校一年生秋現在までに、付き合ってきた女子の人数は数えきれない。
いや、むしろ数えるのをやめていたというのが正しいだろう。彼女を作ってテキトーになかよしこよし、そしてその後、互いに関係を継続することに苦痛を感じる一歩前か、一歩、後に別れる――言ってしまえば高校生の思い描く『付き合う』なんてのは、たかがそれくらいのものなのだと気付いてしまったから。
俺はいちいち『結果』に一喜一憂することがなくなったのだ。じゃあなぜ『誰かと付き合うこと』自体はやめないのだろうか、と自問自答したことがある。案外こちらの答えはすぐに出た。
結局、他人と触れ合い親しみやすいという自分の長所を使うのが、単に楽しいだけなのだろう、ゲームみたいで。
実にわかりやすい理由じゃないか。
俺の名前は兎荷遊。この文章を読んでイラついた人は安心して読み進めることを推奨する。今こんなことを調子に乗って思っていた男は、その日の朝には、史上最悪の事態に遭遇する。
夏休みも終わり、今日から新学期を迎える。新しい学期を万全の(顔の)状態でスタートするべく、いつもより長めに身支度を整えている。なにせ噂によると、ウチの学校に何人か転校生が来るらしいのだ。さらにもっと詳しい噂によると、なかなかの美少女だという。……9月っていう中途半端な時期に転校してくるあたり、俺は、その娘が外国人ではないかと勝手に予想している。ガイコクジン。うん、素敵な響きだ。確か俺には外人さんの恋人は今までいなかった気がする。するので、その娘がどんな娘かはわからないけど、準備するのに越したことはないだろうという理由から、こうして洗面台の鏡に向き合って三十分も突っ立っている。
すると、鏡に女子中学生が映った。
「あ、おにーちゃん」
「お、寒か、おはよう」
寝癖でその綺麗な髪をくっしゃくしゃにしている子は、妹の寒だ。こいつもそろそろ支度をするらしい。俺は洗面台を明け渡し、居間へと向かう。まあ向かったところで、全員がそろってないと朝食を始められないのが、兎荷家のルールなのだが。
居間に行くと朝食が出来上がっていて、やけに若々しい四十四歳の美男美女がいた。ていうか両親だった。
「ん、おはよ遊。今日はやけに早いな……あ今日からだっけ? ガッコ」
お天気おねえさんがテレビから発する、美声と笑顔を注視していた親父が、まず俺に気付いて挨拶をよこす。俺の喉を天日で半日干したような、乾いていながらも若さのある声である。
「ん、そうそう」
と俺は言いつつ、卓袱台の上に乗っている朝食のラインナップを確かめる。白米と、赤味噌の汁と、きんぴらごぼうに……お、照りにされてる鯖か。無造作に置かれている、貰いものの特大バナナが最後に眼球の運動を止めそうになったが、それは無視しよう。
「おはよー遊! 久しぶりにまともな料理作ってみたんだけど、どう?」
朝から元気に、母親から挨拶がくる。ああ、そうか〆切開けなのか。
「ん、いいんじゃないかな?」
夏休み中は俺のバイトが忙しいからといって、ずいぶん手を抜いてくれたものだ。晩飯が用意されてなかった日にはさすがに閉口した。それに比べれば、この朝食のなんと満足いくことか。
「毎日の飯が、このレベルで安定してくれたらいいんだけどね……」
「遊、アンタも〆切に追われる人生を味わったら、嫌でもこうなるもんなのよっ」
朝から良き親っぽいことを言っている、お袋の職業は作家、兼、巫女さんだ。俺ん家の家業である兎荷神社の巫女さんをしつつ、副業としてオカルト・伝奇系の少年向け小説(ラノベっつうんだった)を書いていたりする。普段は家にこもりがちなため、その分ソツなく家事をこなしてくれるんだが、〆切が近付くと『部屋に』こもりっぱなしになるため、その間家族は、俺が調理したそこそこで単調な料理か、親父が完成させた豪快すぎる食品か、寒がふざけた結果である激辛料理しか食べられない。そのためお袋の言ってることは身に染みて理解できるのだが、〆切に追われない人生なんてないんだからね?
とりあえずお袋の言葉は軽く聞き流し、俺も座って、食卓を囲む一員となる。俺の対面にお袋、右斜め前に親父、そして隣には寒が座ることになっている。
みんなが座り、会話が断ち切れる。俺はニュースをチェックするような人間じゃないし、ましてや新聞なんて気分がいいときにスポーツ欄と四コマを見る、ぐらいしかしない。この時間特にやることもないので、呆けていた。
「しっかしまあ」
「あ、どうした遊?」
今度は女子アナの足をガン見していた親父が、また俺の呟きに反応する。
俺は親父の方を見る。明らかに俺が遺伝継承しているであろうシャープな輪郭には、やはり俺と同じように、中年を言い訳にしたようなたるみは一切ない。顎髭が生えていること以外は、十六歳の俺と何ら変わらず、それどころか、俺の目を素材そのまま、年月だけを経過させた双眸は俺以上の鋭さを持っている。現在、どこぞの会社で人事部長職に就いてるらしく、上司部下からの人望も厚いという。
「いやなんでもないけどね」
今度はお袋に目をやる。髪は普段、後ろで野暮ったく、三つ編みに纏めているのだが、これを解くと何処のアジアンビューティーですかと言いたくなるような流れる黒髪が現れる。全体的に丸くて柔らかさを感じさせるくせに、太ってるとは微塵も思わせない(息子の視点で言うとアレだが、出るとこ出てるしな)、バランスのいいプロポーション。目尻や口元、額など諸々に、未だシワが現れないのは、何の真似だと問いただしたい。そういえば、この前晩飯の買い出しに一緒に行って、クラスメイトに会った時「今度の彼女は大学生かよ」と言われたこともあった。
……身内の贔屓目とかじゃなく、ホント二人とも、とてもじゃないが四十代には見えねえのである。
いやいやまったく、両親には感謝してもしきれない。見た目がモノを言うこの世界で、最高の遺伝子環境を整えてくれたのだから。そりゃあ俺のような顔の持ち主や――――
がらり、と襖が開く。
「おはよー、お父お母さん、おにーちゃん」
寒のような、可憐な女子も生まれる。
というわけで、食卓の最後のピースとなる、我が妹さまがご到着。
「よし、そろったことだし、もういいかな母さん?」
まったりしすぎると初日から転校生に恥を晒しかねない。
「はいよ遊。アンタの箸」
お、ありがたい。母さんは家族全員に箸を配ると、いまどき小学生でも言わないようなセリフをのたまうのだった。
「ほら、手、合わせてー」
パシン、と四つの柏手が居間に響く。幼稚だ、とか思ったりしない。
「いただきます!」
と、ハイテンションなお袋の声。
「おう、いただきます」
親父も無邪気にわらって、食事を始める。
「……いただきますー」
寒は相変わらず朝弱いようである。
そして、そんな三人を見て最後に挨拶をするのが俺だ。
「ん、いただきます」
四者四様の、食事のあいさつから兎荷家の一日が始まる。
(2)
というわけでいつものように朝の時間を過ごし、登校する運びとなったわけだ。学校から家までの道のりについては本当に語ることがない。強いて挙げるなら俺のバイト先があるくらいだった。今日はあのオカマ、従業員に店を任せているようである。最近はこの田舎にもマンションやらが建ち並んで、店が増えてきたっていうし、敵情視察にでも行っているのだろうか。
それについては後に語るとして、今は学校での話。
徒歩で学校に通えると登校時刻が遅くなる、という傾向に漏れずに、俺も遅刻一歩手前くらいの時間で教室に入った。よほどの例外が無ければこの生活パターンを変えないのだが、今日はそれが裏目に出てしまった。
……転校生を偵察できない。この俺としたことが、抜かったぜ。
「おはよう」
挨拶もそこそこ、クラスの男子に声をかける。
「なあ、転校生の話、聞いてるか?」
「うん まーな」
「顔は?」
なにはともあれ、気になるのはそこだ。
「それがまだ見てないんだってさ、誰も」
「誰も……、」
まだ来てないのだろうか。
「どんな感じだか、前情報はあるか?」
「根掘り葉掘り聞くなぁ……噂だとイギリスから来たとか」
「イギリスねえ」
ここで金髪さんなどを想像するのは安易過ぎる考えだ。これだけでは、転校生のパーソナルは限定できっこない。
ここにいても収穫は無さそうかな。
女子の転校生が来るってことはわかってるんだ。男子が熱心に調べてるだろうから、女子に声をかけたって得られる情報はさしてない。校内を回ってみて、顔見て名前が浮かばない女子を見つけたら、自動的にそいつが転校生、となる。そうだろ?
そうと決まれば捜索開始だ。
「まあ、わかった。ありがとな」
さわやかに、それでいて『演じている』っぽさが表に出ないように言って、その男子との会話を打ち切る。ところで今のヤツ、なんていう名前だっけ?
………………………。
ま、どうでもいい。
俺は荷物を置くなり、噂の転校生を探そうとした「
――ちょっと、待って」しかし、委員長の声に呼び止められた。
「ああ、委員長?」
初染藍。身長153センチ、体重45キロ、スリーサイズは上から78、57、77(目測だ。多分間違ってない)。我が2-Aのクラス委員長である。性格は物怖じしないお節介、といういかにも委員長気質なタイプだ。
曲毛がいい意味で目立つ(チャームポイントだな)、ショートカット。水泳をやってるらしく色が抜けている髪。しかし水泳部ではなく、茶道部所属でそこでも部長だ。色々と口うるさくクラスをまとめるその姿が、小型犬のようであると評判。メガネを取ると普段より目が大きく見え、いっそう犬っぽさが増す。まあそういった面を総合評価して、脳内で美少女ランクB+をつけていた。
「どこ行くの?」
ひそ、と自習しているヤツの邪魔にならないような音量で、初染が声をかける。
「どこって……まあちょっとトイレにでも」
「自習始まってる――から、気、つかってよね」
『気つかってよね』か。何に対してなんだか。
「今度からはね。じゃ」
冷たくならない程度に言って、ドアを開けて自習中の教室から抜け出す。
廊下ですれ違うのは、みんなA組以外の奴らだった。
(3)
転校生を探すとはいっても、何の手がかりもない。
……と思うじゃん?
実はそうでもない。あとは職員室に行けばいいのだ。転校生が、見知らぬ校舎を自由に動けるわけないからな。もし校内案内されていたとしても、先生に聞けばわかることだ。
「失礼します、先生。朝のうちに配るプリントとかないですか、あと転校生の噂とか」
はきはき、活気よく言う。挨拶はとりあえずしておくだけで好感度を引き上げる、便利な行動だ。
「ああ、やっぱりね……。おはよう」
担任の三日村。教科は日本史だ。こう、全体的に個性のない顔つきの中年だ。よくわからないが女子から「かわいい」ともてはやされ、かなり人気のあるヤツである。俺と並ぶくらいだろうか。
「やっぱり、っていうのは?」
「兎荷君が仕事をするときは、生徒会長から無理にさせられてるか、出会いが絡んでるかのどっちかだからね……」
苦笑いとともにため息を吐かれた。本人に嫌みな意図はないのだろうが、なんとなく不快だ。
「まあ、男子の宿命ですよ。それで、どのクラスに入るかくらい、知ってたりします?」
「うん。そうだね、我らがA組だよ」
何たる偶然。けっこう楽にいけそうだ。
「それは、ウチの男子は喜びそうですね」
「あなたを含めてね……」
ちなみに、と三日村は付け加える。
「女子も喜ぶかも知れないね、何というか凛々し系の顔立ちだったから」
「え、会ったんですか?」
「そりゃまあね。転校前に一回も挨拶に来ないなんてことは……まああり得ないわけじゃないけど……」
三日村はこういう風に、どうでもいいことをいちいち考察するから、面倒だ。
話の腰を折らないでほしい。
「で、そろそろ始業式はじまりそうですけど、まだ来なくて大丈夫なんでしょうか」
「確か、まだ寮が決まってないとか何とかで。そのあとのHRに合わせる、と連絡があったね」
「ああ、そういうことですか」
「まあもう少しのお預けってことだね」
それから、とまた何か付け加える。今度は何だ。
「これ、配っておいてくれるかな。日本史の課題、A組のもチェック終わったから」
……仕事は相当できたりするから、始末に負えないのだ。
(4)
面倒な物を押しつけられた……。
が、そんな態度を表に出すわけにはいかないので、階段を上りながら、とりあえずいつも通りの表情をつくって課題の冊子束を運ぶ。一クラス分と侮る無かれ、一人につき厚さ1センチの問題集を課した場合、運ぶ人間は40センチ台の紙の塊を運ぶことになる。
思っているより、ずっしりくる。
まさか本当に配布物があったなんてな……学期はじめの朝から……。ヤツがいてくれたら、こんな物簡単にカタが付くんだがなあ。
「誰かがオレを呼んでいるような気がするが、気のせいか?」
「わああああああ!」
エスパーに肩を掴まれた! じゃない! 落ち着け、……落ち着け、クールになれ俺。
「生徒会長がこんな時間に来てもいいのかよ、おい……」
眉根を寄せて、振り返る。
そこには、登校時刻をとっくに超えていることなど意に介してない、生徒会長、獅子豪謳歌の姿があった。
「いやまったく、その通りだとは思うんだがなぁ、なんか正門から入ろうとしたらもう扉が閉まっててな、仕方なく裏に回っていたら遅れてしまった!」
「そのギャグは、わかっててやってるんだよな?」
「おう!」
はっはっはっ、と猛々しく笑う。滅茶苦茶な野郎だ。
「どうした朝から怪訝な顔で? 朝飯食ってないのか? 飴ちゃんがポケットに詰まっているが、どうだ?」
獅子豪はじゃらっと音を立てて(!?)ズボンから多量の飴を取り出す。
「……生徒会長がこんなモノ持ってきてもいいのかよ、おい……」
「破っても誰も困らん規則なら、別に気にすることもないだろう。むしろ飴ちゃん貰ったら、嬉しいだろう?」
「子供かよ……」
飴の山から一つ手に取った。グレープ味だった。
口には入れず、ポケットへ仕舞う。
「っと、そういやぁお前、なんか重そうなモノ持ってやがるな」
さっきは俺の心を読んだのかと勘ぐったが、コイツはどうも適当言ってただけらしい。
「ん、ああ。そうだな……保健室に行こうとして三日村のとこまで連絡しに行ったんだが、そのまま用事を請け負ってしまった……」
「おお! 体調不良をものともせず、朝からクラスの為に働く。流石、オレの生徒会の書記だ! よし、俺が運んどこう」
けっこう矛盾のあるハッタリをかました、と後悔したものだが、案外あっさり信じてくれた。
ヤツはどれ、と飴を持っていない方の手を、冊子の束に伸ばしてくる。そして軽々しく片手で抱え上げ、階段を何度か上って言う。
「オレらのクラスへ運べばいいんだな?」
「あ? んなの当たり前だろ……」
「おうし、わかった」
「じゃ、俺、保健室行くから。あ、先生にとかみんなには、保健室に行ってるって連絡しててくれ」
「諒解だ。大事にな!」
とりあえず正門が閉まってるという情報を得たのは大きな収穫だ。全校集会を合法的に抜け出す方法も確保できたし、後は裏門を張るだけだな。
階段を下る俺に、上から獅子豪が声をかける。
「遊ー!」
「なんなんだ一体?」
「受け取れー!」
何かが投げ込まれてくる。無造作に上げた手に吸い込まれるように、それは落ちてきた。
金粉入りの飴玉だった。
「保健の先生と、うまくやれよー!」
……何か勘違いをしているようだ。
なぜだかわからんが、ヤツは俺に対して、相棒のように接してくる。的外れな対応がほとんどだかな。あんなヤツ、相棒にはほど遠いね。
俺は一階にたどり着くと、保健室を通り過ぎて下駄箱へと向かった。
ああ――今から本格的に、赤月霞について語らねばならない。
俺としては、こんな生涯最高の屈辱は、思い返すだけでのたうち回りそうなのだが、それでも話さないわけにはいかないだろう。
全国の男達よ、聞いてくれ。出来れば女子も聞いてほしい。
誰でも知ってるようなことを、何ヶ月もかけて思い知らされることになる、俺が一番アホだった時の話を。
「俺は2年A組の兎塚 遊。君と同じクラスになるみたいなんだ。これからよろしく」
「嫌よ」
…………………………………………………………。
「じゃあ」
そっけなく言い切り、赤月は横を通り過ぎていく。その動きに感情は無かった。
結論を言ってしまえば。
転校生、赤月霞は、女神のような完璧な造形で。
裏門で出会い3秒でアプローチをしかけ。
見事、フられた。
…………この俺が?
「なあ」
裏の玄関に向かって歩く赤月を呼び止めた。
「何? こんなところをほっつき歩いてるなんて、あなた何なの? 今は全校朝会中だって聞いたけど」
止まらなかった。こちらを振り返ることもなく、玄関までの道を淡々と行く。
ガラスみたいに透明で、澄んだ声だけがこちらに向けられていた。
誰もが美しいと思うものは、必然的に個性が消えていく。こいつの声は、それほどの美のレベルに達していた。
……いや単に俺に冷たいだけかも知れねえ。
「退屈だったから抜け出したんだ」
「――そう――。じゃあ、ここをうろついてたのは?」
「それは、」
ここで、赤月は立ち止まる。長い黒髪が揺れてなびいて、夏の日差しによく映えた。
改めて、顔をまともに見ることになるが――。
やはり、芸術品めいた造りだ。一切の不規則生が無いのに、どこまでも自然に、その理不尽なまでに整った顔の存在は主張されている。顔だけではない。頭からつま先に至るまで、古代の魔法使いが呪文をかけて作り上げたような、そんな神秘的な均整と、近づくことすら許されないような神々しさを備えていた。
その最たるものは、眼だ。
薄く、微かに赤色が混じっていて、そこに惹きつけられる。このまま石になってもおかしくないような――彼女の薄茜色の瞳には、そんな魔力が宿っているように感じた。
そしてその眼が俺を捕らえて、俺の台詞を――いや、これは、言おうとは思わなかったわけだから――思考を読んで、無機質にこう質問した。
「『転校生に会えるかもしれないと思って』?」
「っ、……そうそう。美人の転校生が来るー、なんていって、結構有名になってたからね」
できるだけ余裕をもって、軽い調子で答えた。
「そして会ってみるなりコナをかけて来るわけ?」
「いや……フツーに挨拶しただけじゃん」
「『何言ってんだ? この女』」
「…………! 人聞きがわるいなあ、そんなこと思ってないって」
「――理解できてる? 心が読めていること。あなたがどうして集会を抜け出してきたか、そしてなぜ私に声を掛けたか、私にはわかるのよ」
なんなんだこの電波な女は。
外見は最上だけど、言動が終わってるな。まあ、でもそれくらいはいい。
「うわ、マジかよ。心読まれてるんだったら、いろいろ恥ずいこともわかっちゃうのかー」
「ええ、もちろんよ兎塚君。あなたが顔貌の良さでしか人を見られないことも、出会った女の子には外見でランク付けしていることも、手当たり次第に女の子に声を掛けていることも、全部わかったから安心して」
「 」
さすがに、閉口した。
「私、あなたみたいな、浅はかで恥知らずな人間には付き合いたくないの」
何故俺は、初対面でここまで言われなければならない?
まあいい、こういう、トゲがあって、俺に拒否感を示してた女子だって何度も落としたことはある。とりあえず見た目はSランクなんだから、適当に話を合わせていこう。
「――――呆れた。これだけ言われてもなお、外面が気に入ったからっていう理由だけで、会話をしようという気になれるのね」
「外面だけじゃないさ、中身だって――」
「嘘でしょそれ。まだ会って5分にも満たないのに、あなたは外見以外で、私の何を知っているって言うの?」
「それは……いまから知っていくことじゃん。少しずつ」
「――へえ。少し話して少しずつ私のことをわかった気になったら、付き合うの? それともまずは付き合ってみて、彼女のことを知っていこうだなんてことを考えているの?」
挑発的な物言いを、あくまで冷静に、機械的に言う赤月。俺は、言葉に詰まる。
その単調なやりとりの中で鈍く光る赤い瞳が、さらに俺の気持ちを不安定にさせた。
「……」
「はっきり言ってしまうとね、私、あなたみたいな人が存在してることが気持ち悪いわ。だから私、あなたに呪いを掛けてみようと思うの」
「は?」
「――こっちを向いて――……」
言うやいなや、いきなり彼女は俺の顔を両手で掴み、顔を近づけてきた。あ、何気に身長高い。背伸びも何もせずに、177はある俺の、口許まで届きそうだ。俺を視る赤い眼が、鮮やかに光っている……そんな錯覚がする。
え? なんだこれ、なにこの状況。だって、これ……どう見ても、その、キスだよな。
あれだけ初対面うんぬん説教を垂れておいて、呪いを掛けるだの何だの言っておいて、やることは何? キス?
おいおいびっくりさせるなよな、
「余計なことは、考えないで」
「!?」
その目の光がいっそう強いものになったと感じたときには、彼女と俺の唇が触れあって――。
そして、全てのものが暗転した。
「…………?」
これが、呪い? 何にも起きてないじゃないか。色々言っていたが所詮只の人格破綻のイタい子だな――――――そう思って眼を開けたとき。
俺と熱く唇を合わせているのは、どう見ても60を超えた醜い爺さんだった。
「え、あっ、お……おげえええええぼぐっ、っげおおええええええええええええ!」
なんだ? なんなんだよなんなんだよこれ!?
急いで体を離し、ジジイとキスした唇を拭う。念入りに吹いた。畜生、うがいしたい今すぐしたい。
「どうかしら。若きを老いに、美を醜に、男を女に転じさせる、これはそんな呪いなのだけど」
目の前にいる、女子の夏服を着たジジイが、聞くに堪えないしわがれたれた声でそう告げた。
だがその口調は、紛れもなく、赤月霞のものだった。
「呪い……」
「そう。これを解くためには、様々な人間と恋愛をし、ここに書かれている『のろいかうんたー』の点数を、30点集めなさい。その頃には、呪いを解くことを考えてあげてもいいわ」
「呪いカウンター?」
「そう。これがその『のろいかうんたー』よ」
おもむろに赤月は、持っていた学生鞄から牛乳パックを切り開いた残骸を取り出した。
そこにはマジックでかかれた、『のろいかうんたー』『0』という下手くそな字があった。
「これはあなたが持ってなさい。破ったり、燃やしたりしたら、あなたはその時点で呪いを解く資格を失うわ」
ぽす、と小学生の工作にも劣るようなおもちゃが、俺の足下へ投げられた。
「…………わけが、わからねえ……なんで……」
ただ目の前にいるジジイが気持ち悪かった。
「なんで、って、だからあなたみたいな人がいるのが、許せないからよ」
不揃いな顔立ちの爺さんは、鳥肌が立つくらいの満面の笑みを作った。
状況は全く飲めないが、どうやら今日が、俺にとって忘れたくても忘れられない日になるのは間違いない。
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イケメンなのをいいことに、人を見た目で判断する男子高校生、兎塚遊(とつかのゆう)。二学期が始まる日、学校に転校生が来るらしい。――噂によると、かなりの美人。
彼は転校生を見つけるため、校舎を歩き回る。
彼女――赤月霞は、噂通り、いやそれ以上に、端麗な容姿だった。すぐに遊は声をかけるのだが、彼女は遊の本性を見抜き、そんな彼にある『呪い』をかける。
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