武具のぶつかり合いを伴奏に、断末魔と怒声の重唱が奏でられている。
狂気をはらんだ戦場特有の旋律が周囲を満たしていても、銅鑼の音は黄巾軍の指揮官であるヒゲ面の男の耳朶をはっきりと打ちつけた。
「……銅鑼?」
ヒゲ面の男が呟き、
「……銅鑼の音ですね」
「……銅鑼なんだな」
背の低い男と太った大男もそれに続く。
「「…………」」
「「銅鑼だってぇーーー!?」」
態勢を立て直すことだけに意識を向けていた他の黄巾兵達も、指揮官達の叫び声で銅鑼の音に気付き始める。
「お、おい! また銅鑼が……」
「ほんとうだ……ひょっとして、また伏兵が出てくるんじゃないのか!?」
「そんな!? こんな状態で新手が出てきたら……」
不安や恐怖といった感情が、澄んだ水に墨汁を垂らしたかのように、渦を巻きながら広がっていく。
「ま、まずいッすよアニキ。これ以上、こいつらが混乱でもしたら……」
「皆まで言うんじゃねぇ! 他の連中に聞かれたら、増々まずいことになるだろうがっ!」
ヒゲ面の男は部下を怒鳴りつけつつ、考えを必死にめぐらせる。
(本当に伏兵がまた出てくるのか!? だとしたら、どこからだ?
……っ! まさか、またあの岩壁!?)
焦燥しながらも、どうにか捻り出した思案から指示を出す。
「おい、てめえら! 伏兵は、多分あの岩壁からやってくるはずだ!」
「え? あそこからは、二度も出てきたじゃないですか」
「それが、奴らの狙いだってんだよ! “三度も同じ場所からは現れない”と、俺達に思い込ませることがなぁ!
守りを固めながらでいい! 右手後方の森まで退がれっ! 森の中に入れば、木が邪魔して敵の騎馬隊も自由に動けねぇはずだ!」
「わ、わかりやした! おい、デクも片っ端から声かけてこい。森まで後退だ!
――って、おい! 聞いてんのかデク!?」
背の低い男が脛を蹴り上げると、先程から黙り込んでいた太った大男が、ゆっくりと口を開いた。
「あ、アニキ。教えて欲しいんだな」
「あぁ!? お前、俺の言ったこと聞いてなかったのか!? 蹴飛ばしてでもいいから、周りの連中を森まで退がらせるんだよっ!」
「そ、それはわかってるんだな」
「わかってるんなら、さっさとやれっての! 急がねぇと敵の新手がくるぞ!」
「あの……えと……」
「早くしろよっ! 時間がねぇんだぞ!」
緊迫した状況でも普段と変わらない間延びした口調は、ヒゲ面の男の焦りの感情を濃くさせたが、
「その新手が、森からやって来てる場合はどうすればいいのかな……?」
その言葉を聞いた瞬間、ヒゲ面の男は自身の血の温度が下がるのを感じた。
「……なっ!?」
鬨の声を聞いても、ヒゲ面の男の動きは酷く緩慢だった。
森に顔を向ける。その僅かな間に、今起きていることが自分の望む景色に塗り変わるのでは? そんな期待があったのかもしれない。
が、そのような現象起きるはずもなく、木々の隙間から滲みでてくる兵達は見紛うことなく文醜軍だった。
「ひぃぃ! このままじゃ、俺達囲まれちまいますよ。アニキ! ど、どうするんッすか!?
――って、アニキ!?」
「ふふっ、これは夢さ……本当のボクは暖かい布団の中にいて、目を覚ませば、いつものようにお母さんがおいしい朝ご飯を用意して――」
背の低い男は、虚ろな瞳でうわ言を漏らしているヒゲ面の男の胸ぐらを掴み、
「アニキ! しっかりしてくださいっ! 現実逃避してる場合じゃありませんぜ!
このままじゃ、永遠に眠り続けることになりますよ!?」
両頬を張った。
「――はっ!? ……あ、ありがとうよチビ。あやうく意識が北斗の彼方まで飛んでいくとこだったぜ」
受け止め難い現実からの逃避は、背の低い男の叱咤でどうにか止まったが、部隊の有様は酷いものだった。
……もう、色んな意味で。
「囲まれた! もう終わりだぁ!」
「童貞のまま死ぬなんて嫌あぁぁーー!!」
「死ぬ前に裸の張三姉妹にもみくちゃにされながら、一緒に“ゆめ 蝶ひらり”歌いたかったよぉぉぉーーー!!!」
死の際が迫ったことで、己の欲望が吹き出すことは珍しいことではないが、こうも醜態を山盛りで見せられると、様々な外道的所業に手を染めてきた悪党でも、思わず後退りしてしまう。
「……これは、もう手遅れっぽいな。色んな意味で」
「……そうッすね。色んな意味で」
「けど、張三姉妹の演奏会を聴いている時と、そう違わないと思うんだな」
――以下、生き残った黄巾兵の証言から抜粋。
“――えぇ、それは酷い状態でしたよ。黄巾党は、曲がりなりにも軍隊でしたから、敵に囲まれるということが、どんな絶望的な状況かは理解していましたから。え? その時、指揮官はどうしていたかって?
そう、ですね……場の混沌とした雰囲気には全くそぐわない、なんというか……そう、憑き物でも落ちたかのような、澄み切った表情をしていましたよ。
それを見て「あぁ、人ってこんな表情もできるんだなぁ」とか、私も場違いな事を考えてしまいましてね”
「アニキ、これからどうしましょう?」
「ここまで混乱してたら、さすがの俺でも纏めきる自信はねぇな。
くそっ! 袁紹と主力がいない間を狙ったこの作戦。途中までは、うまく運んでたのによ! なんだって猪武者で有名な文醜に、こんな戦い方ができるんだ!?」
「まったくですね! 猪の分際で生意気ですね!」
「猪のくせに生意気なんだな!」
三人が口を揃えて、敵総大将のことを“猪”と口汚くなじっていると、
「ほぉ~、家主の留守を狙うコソドロのような
わずかに怒気をはらんだ聞き慣れない声が、背後からかけられる。
「あぁん? 当たり前だろうが。手薄な所を攻めるのは兵法の基礎……だ……ろ……」
声をかけられた方向に顔を向けたヒゲ面の男の表情と言葉が、凍りつく。
「どうしたんですか、アニキ? そんな、真っ青な顔……し……て……」
ヒゲ面の男の異変に気付いた背の低い男も振り向くと、同じように表情と言葉を凍らせる。
「二人とも今にも倒れそうな顔なん……だ……な……」
二人の異変に気付いた太った大男も振り向くと、やはり表情と言葉を凍らせた。
背後に立っていたのは、鉄の塊のような剣を肩に担いだ翡翠色の髪の女。女は、三人のことを養豚場の豚でもみるかのように目を向けている。
捕食者の目に射抜かれた哀れな三人組は、声を揃えてお約束を叫ぶ。
「「げぇ、文醜!?」」
見晴らしの良い城壁の上から戦況を観察することができたおかげで、素人の俺にも黄巾軍の混乱は手にとるように分かった。
岩壁の伏兵部隊の奇襲を二度喰らったことで、蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、その後は、銅鑼が鳴っただけでも部隊に動揺が走っている有様だった。
それでも態勢を立て直すため、懸命に後退しようとした森から伏兵が現れたことで、黄巾軍は敵に三方を囲い込まれる形となり、勝敗は決した。
どの方向を向いても敵に無防備な背中を晒すという、おそらく正規の軍隊でも絶望的な状況。
混乱し統制がとれなくなった賊の集まりでは部隊を立て直すなど、どだい無理な話で、黄巾兵は背後から槍や剣を次々と突き立てられていった。
俺の前面。
人が次々と殺されていくという、元の世界ではまず出遭うことはないであろう凄惨な行為が繰り広げられている。
俺の背面。
南皮の町が延々と広がっているが、住人達は息を殺し潜んでいるため、ゴーストタウンのように静まり返っている。
俺の前と後で景色がまるで違う。あまりにも対照的な景色の中間地に立っているからなのか、この双眸に確かに写っているのに、まるで夢の中に立っているような浮遊感を感じていた。
「そろそろ、終わるな」
「え?」
いつの間にか俺の側に立っていた、隊長の呟きに我に返る。
地に横たわる数多の黄巾兵。そして、“黄”の一文字が書かれた彼らの軍旗も全て叩き落とされていた。
武器を捨て投稿する者。早々に逃げ出した者。屍体となった者。ここを陥そうと大挙して押し寄せていた軍勢は、今や見る影もなかった。
前線部隊の立っている辺りから伸びた何かに目をくすぐられ、目を細める。
それは、兵達の掲げた武器に反射した陽光。直後、天を衝き上げるような叫び声が上がった。
「おおおぉぉぉーーー!!!」
その叫びに呼応するかのよう隣の隊長も叫ぶ。
「勝鬨を上げろっ!」
「おおおぉぉぉーーー!!!」
南皮の町に勝鬨の声が染みこんでいく。
ひとりふたり、大地から芽が息吹くように家屋から人が現れ始める。
住民達が、助かったことを互いに喜び合い涙している。この光景を見てようやく、
(……あぁ、そうか)
戦が終わったのだと、理解できた。
前線で戦っていた兵士達を出迎える為、城壁の防衛部隊や町の住民達が門の前に詰めかけ、大通りが人の波でうねっていた。
できることならば最前列で出迎えたかったが、猪々子と隊長のお情けで戦列に加えてもらった俺の立ち位置は最後尾。少し残念だが、人混みに押し潰されずに済んだと、ここは考えよう。
整然と隊列を組んで行進する歩兵隊が城門をくぐる姿が見えた瞬間、住民達から割れるような歓声が湧き上がった。
「よくやってくれたぁ!」
「この街を守ってくれて、ありがとう!」
「三万の軍勢を一万で追い払うなんて、お前らスゲェよっ!」
皆、命を懸け街を守った兵達へ感謝の言葉を口々に叫ぶ。
列が観衆の前をゆっくりと横切っていく間も、歓声は途切れることなく降り注いでいる。
買出しなどで大通りを通るたびに、行き交う人の数から南皮が大都市だということは認識していたが、この人の多さには改めて驚かされた。
(南皮の住民全員で出迎えに来ているんだもんな。そりゃあ、これだけの大所帯にもなるか。
――お? 本日のMVPの凱旋だ)
猪々子の姿が見えた瞬間、何かが爆発したかと思った。その大音量たるや、空気の震えを肌で感じるほどだった。
「文醜将軍万歳!」
「文醜将軍―ッ! 俺だーッ 結婚してくれー!」
「さすが袁家の二枚看板! 黄巾軍なんて目じゃねぇや!」
……い、一部、毛色の違うモノが混じっていた気がするが、多くの人達が猪々子を褒め称え、出迎えに来た人達に対して猪々子は笑顔で答えている。
「おーい、猪々子! 怪我とかしてないかぁ!?」
周りの熱気にあてられたからか、俺もつい大きな声が出てしまったが、猪々子は素通りしてしまう。遠ざかっていく猪々子の後ろ姿。
普段出さない様な大声を出して、何の反応も返ってこない状況は、駆け込み乗車しようとして、目の前でドアが閉まってしまった時の気持ちと、よく似ていると思う。
要するに、恥ずかしいっ! 何か周りの人達の目が皆、笑っているように見えるよ!?
(これだけ人が多かったら、聞こえなかったんだよ……うん、そうに違いない!)
気恥ずかしさと侘しさをどうにか打ち消そうと、苦心していたら、
「おい、北郷。戦は終わった後の方が仕事が多いんだ。いつまでも惚けてないで、さっさと取りかかるぞ」
隣にいた兵士にせっつかれた。周りを見れば、他の兵達はすでに移動を始めている。
「あ、はい!」
慌てて声をかけてくれた兵士の横に付き従い、これから行う作業について移動しながら説明を受ける。
投降した黄巾兵の処罰、負傷者の手当に被害の確認など、戦の後の仕事は多岐に渡るそうだが、俺に割り当てられるのは、負傷者を手当している救護所で医療器具などを運んだりする雑用らしい。
要は、普段行なっている小間使いの仕事と大差無いということだ。
それならばどうにかこなせそうだと、安心していると、
「そういや、お前。どんな手使って、将軍から真名を預けてもらったんだよ?」
予想外の質問を投げかけられ、思考が数瞬フリーズする。
その場のノリでつい叫んじまったが、小間使いが将軍の真名を呼ぶとか……ありえないよなぁ。
「え? いや、まぁ……色々ありまして成り行き上と申しますか……」
「成り行きで、真名をねぇ?」
明らかに、答えに納得してないって顔。しかし、本当のことを言うわけにもいかないし……どうしたもんかね?
「まぁ、いいや。仕事は山ほどあるから期待しとけ」
「う、うす!」
俺が戸惑っている姿を見て気を遣ってくれたのか、それ以上の追求はしないでくれた。
雑談を止めた俺達は、駆け足で救護所に向かう。
町の広場に臨時で建てられた救護所には、怪我人と手当する者でごった返していた。
どうやら、町の住民も自発的に救護の手伝いをしてくれているようで、その事が人混みに拍車をかけているようだ。
「じゃあ早速、あそこの荷物から運び込んでくれるか?」
「はい、分かりました!」
現場責任者の指示に従い、俺も医療器具などの荷物の運びにとりかかる。
「おい、北郷!」
「はい!?」
時が経つのも忘れて走り回っていると、救護所の責任者に不意に呼び止められた。
持っていた荷物を足元に置き、呼び止めた兵士のもとに素早く駆け寄る。
「あの……俺、なんかマズイことやっちゃいましたか?」
「あん? ……ははっ、違う違う。お前は、他の奴らに見習わせたいぐらい、よく働いてくれているよ」
何か不手際があって、呼び出しをくらったのかと思ったので、朗らかに笑っている姿を見て、ほっと胸をなでおろす。
「えっと……じゃあ、どこか別のとこで人手が足りないとかですか?」
「それも違うな。お前、ずっと休み無しで駆けまわっているだろ? 少し休憩してきていいぞ」
「え、いいんですか?」
「今回は楽に勝てたから、負傷者がいつもより少なかったからな。
大分落ち着いてきたし、お前一人少し休んだところで問題ないだろ」
……これでも少ないのか。
救護所の寝台は負傷兵で埋め尽くされている。もし苦戦していたら、この救護所は一体どんな状態になっていたんだろう?
「それに手当てする側の人間が疲労で倒れていたら、目も当てられんだろ?」
自分だけ休憩する事への後ろめたさも、その一言が拭い去ってくれた。
確かにミイラ取りがミイラになるってオチは、目も当てられない。休める時に休んでおくべきだ。
「じゃあ、お言葉に甘えて少し休んできます」
「おう、行ってこい」
とは言ったものの、“休憩”という概念が頭からすっかり抜け落ちていたため、急に行っても良いよと言われてもな……どこで休憩しようか?
「おい、北郷!」
振り向くと、何か筒状のモノが胸に飛び込んできたので、反射的にそれを受け止める。
「休憩するにしても、今はどの店も開いてないぞ。それで我慢しとけ」
兵士が放ってくれたのは、竹の水筒だった。
「ありがとうございます!」
兵士に礼を言い、俺は救護所を後にする。
一休みするのに良さそうな場所を見つけた時にはもう、うっすらと赤みを帯びた夜のとばりが、下り始めていた。
大通りなど物資の運び込などで混み合っている場所を避け続けると、自然と細い路地に足が向いてしまう。
この辺りはあまり来たことがなかったが、どうやら住宅街のような区画らしい。救護所や大通りの喧騒が嘘のように静まり返っている。
日は建物にほとんど遮られ、場の静寂さをより際立てていた。
「ちょっと、失礼します……よっと」
民家の壁を背にして座り込む。
走り回っていたときは気付かなかったが、こうして体を休めていると、疲労がじわりと浮き上がってくるのを感じる。
手元の竹筒の中で揺れている水の音は、疲れ切った体に実に心地よい。
もう少し、この水々しい音色に興じるのも良いが、今は花より団子。喉が渇いた。
早速、蓋を開け口に流し込む。食道を通り胃に到達するまでの水の流が、はっきりと感じられるようだ。
「……ぷっはぁ」
生き返る。
元の世界ならば、よく冷えたスポーツドリンクで喉を潤すのだろうが、今はこの生ぬるい井戸水がとてつもなく美味い。鉛のような疲労が溶けていくようだ。
壁に頭を押し当て空を仰ぎ見ると、一番星がきらめき始めていた。一息ついた所で、今日のことを思い返してみる。
「戦争、したんだよな? 俺」
といっても、猪々子に少し知恵を出しただけで、この手で誰かを手にかけたわけじゃないし、黄巾兵が死んでいく様も遠目から眺めていただけだ。
(だから、こんなに平然としてられるのかな?)
この違和感は、戦が始まる前から感じていた。妙に落ち着きすぎている。それともこの反応が普通なのだろうか?
生まれて初めて人が死んでいく様を見ても、自分の足で立っていられることは、兵士としては好都合なのだろう。
だが、人としてどこか大事なものが欠落しているのでは? と、不安になってしまう。
鈍感なのか冷血漢なのか、自身を計りかねていると、目の端に何か動くものを捕えた。
(あれ? なんで、こんな所に兵士が……)
一人の兵士が木簡のようなものを脇に抱えて、民家を訪ねているところだった。
その後見た光景を、俺は一生忘れることは――いや、決して忘れてはいけない。
あとがき。
皆様、ご無沙汰しておりました。濡れタオルです。
何気にTINAMIリニューアル後の初投稿。ルビ機能は良いですが、ページは以前のようにめくれるタイプのほうがよかったような……。
前回の内容を覚えてくれている人はいるのだろうか? そのぐらい間が空いてしまい申し訳ない。
さて、第14話いかがだったでしょうか?
戦争の終わり方があっさりし過ぎ感もありますが、今回はイベント戦闘みたいなもので、勝敗は始まる前から決まっていたようなものですので、こんな締め方にしました。
次の戦闘は、勝敗がどうなるか結末を読むまで分からないよう……書けるのかなぁ?
ここまで読んで頂き、多謝^^
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第14話です。
めちゃ久しぶりの投稿。
疲れているのかなぁ? 出川哲朗がジャン・クロード・ヴァンダムに見えることがあるんですよ……。
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