「復讐したいの」
世界を教えてくれた彼女の願いはそれだった。全てを忘れて倒れていた俺に手を差し伸べてくれた、お人好しにも程がある少女。荒みきったこの場所には不適合な存在。
彼女は、復讐のためにここに居た。彼女の仇はこの町の王、らしい。
似合わない。俺は何度そう思い、何度そう伝えただろう。彼女はその度、ただ静かに首を振るだけだった。
「あなたは記憶が戻ったらどうするの?」
「お前は、復讐が終わったらどうするんだ」
「不毛な質問ね。……終わらないわよ、きっと」
「そうか」
「あなたは?」
「俺は、分からない。それに、何を忘れたのかさえ分からない俺は、記憶が戻ったらきっと今とは価値感すら変わっているだろう」
「私ね、今知りたいことが二つあるの」
「二つ?」
「一つは、行方不明の王の居場所」
「それはもう知ってる」
「もう一つはね、あなたの名前」
「……わかった。記憶が戻ることがあればすぐに教える」
それが、過去に交わした約束。
俺の名前。誰もが口にしないのに知っている名。それを俺は偶然耳にし、そこから記憶が繋がっていき全てが蘇る。
俺が彼女の仇。この町の王、だ。
昔と今が混ざっていく。過去に彼女にしたこと、今の彼女との時間。俺は、どうしたい?
考えた。考えた。考えた。そして、
名乗ろう。
決めた。
でも、彼女に復讐はさせない。俺は君に名を告げて、そして――。
「どうしたの?」
不思議そうに、彼女が俺の顔を覗き込む。今までありがとう。口の中で呟き、そして告げる。
「俺の名前は――」
そこは、全てが白く霞んでいた。湯気が分厚く立ちこめたような鈍い白の世界。その中に、ちいさくぽつんと、円形の空間があった。その空間だけは霞みが一切なく、代わりとばかりに沢山のモニターが浮かんでいた。古めかしいブラウン管製のものから紙一枚くらいの薄さしかないものまで種類は豊富であったが、とにかくすべてがモニターであった。
今、モニターはその中の一つだけが映像を流していた。映っているのはどこかのスラム街で、それを背景に一組の男女が何かを話している。そして、男が口を開きかけたその瞬間、モニターの電源が落とされた。
無言でスイッチを押したのは少年から青年になったばかりという年代の男だった。いつの間にかモニターの側にいて、いつの間にか電源を落としていたのだ。
「あ、なんでここで切っちゃうんですか! これからがいいところなのに!」
青年の行動に抗議の声が上がる。声と言っても音として発せられたわけではない。直接頭の中に意識が入り込んでくる。そんな、意思伝達手段。その主は可憐な少女だった。こちらもまたいつの間にかモニターの側にいて、そして青年に恨めしそうな目を向けている。
「これで十分だろう?」
当たり前なことを口にする。それをありありと顔に出している青年に少女は食ってかかった。
「確かに、彼にとって名乗るということがどういう意味を持つのか、それを知るには十分です。ええ、十分ですよ。認めます。でも、物語としてはここからじゃないですか。あの二人がこれからどうなるのか、あなたは興味無いんですか」
少女は抗議を続けるも、自分でモニターの電源を戻そうとはしない。無意味だと、知っているのだ。
「ないよ」
だから、なんの躊躇も無く青年が否定を言葉にした時、彼女は大人しく引き下がった。
「……あなたはそういう人でしたね。でも、ちょっとぐらい私の希望聞いてくれたっていいじゃないですか。この部屋のチャンネル権、全部あなたが握ってるんですから」
青年は彼女の言葉を、主張をしっかりと受け止める。確かに、彼女の意向は今まであまり気にしてこなかった。ここは彼の空間だし、彼女はそこを間借りしているだけの存在なのだ。もう少し気遣うべきだったかもしれないと彼は思う。
「そんなに気になるの?」
だから、珍しく彼は尋ねた。今見たものを少女がどうとらえ何故続きを知りたがったのか気になったのだ。
「だってだって、仇の顔を知らずに復讐を誓うなんてありえないじゃないですか。知っててなぜ彼女は彼を助けたのか、記憶が戻った時知らせるように言ったのは何も知らないまま復讐したってそんなの意味無いって考えたからですよね。ああでも、倒れてる時に記憶がないなんて分かるわけないですし。いやでもでも相手に復讐だと分からせるためには起きるまでまたないといけないわけで。それにしたって記憶ないって分かるまでは険悪な雰囲気になりそうなものですけど、彼を見る限りそんな様子は無かったようですし。あーもう、やっぱり気になります、続き」
尋ねられた少女は嬉しそうに一気に持論を語る。彼はそんな様子をほほえましく思い、そしてもうしばらく彼女に付き合うことを決めた。
「落ち着きなさい。それに君は思い違いをしているよ。彼女は、自分の復讐相手の顔なんて知らなかった」
「えっ!? そんな状態で復讐って」
「考えてみるといい。荒んだ町で名前を呼ぶのさえ恐れられ、王と言う呼称だけが独り歩きしている存在。実際に顔を見たことのある人がどれだけいることか。裏から指示を出す方だろう」
「けどけど、彼は彼女に復讐されても仕方ないことをしたって」
「彼は記憶を無くしていた間彼女の側で暮らしていたんだ。彼女の復讐の理由ぐらい聞いているだろう。王の行動により彼女は復讐を決意した。それは、彼はとっくに知っていたことじゃないのかな」
「……なるほど」
少女は彼の説を聞き、納得の表情を浮かべた。それを見て、彼は告げる。
「ま、仮説にすぎないけどね」
「へ?」
「可能性なんていくらでも考えられる。そもそも、彼女の言う復讐と彼の思う復讐は同じものだったかさえ疑わしい。彼は、復讐イコール殺害と考えていたようだけど、それは彼がそれまでたどった人生で培った連想でしかない。彼女の復讐とはなんだったんだろうか。実は、過去に酷い目にあわされた人を助けるのが彼女の復讐もしれない。彼女は復讐は終わらないと言った。相手が死んだ後の復讐に意味はあるだろうか」
からかった、と怒られるだろうかと彼は少しだけ危惧していたが、彼女は目の前に現れた更なる仮説の方が気になっているようだった。
「さすがに、そんな……」
「うん、これはあくまでも可能性にすぎない。でも、これで君にも名前というものがいかに無意味かわかっただろう? 大切なのは、いつだって本質だ」
そう、彼は結論付ける。名に意味は無いのだ。あるとすれば、それは、
「でも、名前は便利ですよ」
「そうだね。でも、無意味だ」
利便性はあっても意味はない。本質。それが名によって表される。それなら、どんなにいいだろうか。名などなくても、彼の世界は完結している。
「……」
少女はそれを知っている。知っているから、反論したくてもできない。
「だろう?」
問われて、それで彼女は反論を諦める。そして、反論にはなりえない小さな質問を送った。
「でもあなたは、人が名を告げる意味を、理由を知りたいんでしょう?」
「興味あるからね」
「名前を否定するのに?」
「だからこそ、興味深いんだよ」
少女は溜息をつく。そして彼がまた次の物語を見つけるのをただ黙って待つことにした。
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このタイトルでどんな話が書けるか、どれだけ話が書けるか挑戦してみたくなったので。
名前って何なんだろうっていうのを少しでも考えてもらえればと思います。
その2→341372