カテリーナが眼もくらむような閃光を放った後、私達は、白い空間から解放されていた。ガラスのように目の前に立ち塞がっていた壁を、私達は突き破る事ができ、突き出た先は塔の頂上だった。
《シレーナ・フォート》を包みこんでいた、あの黒い空間が、晴れ渡っている。曇り空から青空が望み始めており、日の光が雲の隙間から差し込んできていた。
思わず手で日の光を遮ろうとしてしまうほどの眩しさだった。私とロベルトの体は塔の上におり、そこからは廃墟と化した《シレーナ・フォート》の姿を一望する事が出来ていた。
ほぼ全ての建物が倒壊し、瓦礫の山と化している。特に南側はカテリーナ達の激しい戦いによって、海の上にある都の地盤すらが無く、すでに海水による浸食が町に広がっていた。
海水が次々と運河を侵食し、建物を呑み込んでいた。王宮はかろうじてその原型を留めていたが損傷が激しい。街を徘徊している不気味な生物も、カテリーナ達の戦いにほとんどが巻き込まれていたが、相変わらず生き残っている者達は、瓦礫の山の中を自分のすみかのように歩き回っている。
《シレーナ・フォート》の面影はここには全く残っていなかった。まるで何百年も人の手から放置され、廃墟と化した街であるかのように、ここには何も残っていない。都の息づく姿も、人々も、文化の象徴とも言えた姿が何も残っていない。
曇り空の間から差し込む光が照らし上げるのは、そんな廃墟だった。ここに落ちてくる日の光は決して希望に満ちたものではなく、絶望をありのままに映し上げるという姿のものでしかない。
「カテリーナ!」
私は思わず叫んでいた。絶望を見下ろすかのような塔の頂上から、声を響かせる。案の定、無人の廃墟ともなってしまったこの都では、私の声は異様な響きを持っていた。
声が増幅し、まるでいびつな笛であるかのように声は反響する。塔の上からカテリーナの名を叫ぶ私は、絶望の中に一人残されたかのような気持ちにさせられる。
せめてカテリーナがこの場にいれば。彼女は何者よりも頼りになる。彼女がいれば、この絶望さえも吹き飛ばしてもらえるのに。
「カテリーナ!」
先ほど見ていた私の視界に映っていた光景は覚えている。カテリーナは私達の手の届かない所で、死力を尽くして戦っていた。
彼女の戦いの先に何が見えていたのかという事も、私は分かっている。だが、だからこそカテリーナには生き残っていて欲しい。
もう一度、私は叫ぼうとした。カテリーナの名を呼び、彼女に気づいてもらいたい。今度は更に大きな声で叫ぼうとした。だがそんな私の声は、背後から聞こえてきた声によって遮られる。
「カテリーナは行ってしまったよ」
それはロベルトの声だった。私の肩に手を乗せて言って来た。
「それって、どういう意味ですか」
私は真剣な顔をしてロベルトにそう言った。彼の言いたい事が私には分かっていた。だがそれを認める事さえ恐ろしい。
ロベルトは何も答えない。私の方へと何とも意味を取れないような表情を向けたかと思うと、塔から私がしていたのと同じように《シレーナ・フォート》を一望した。
「どうなんですか、ロベルトさん!カテリーナは?そして、あの、ゼウスという存在はどこに行ってしまったんです?最後に見た時は、カテリーナが!」
私は声を上げてロベルトにそう言い放つ。ロベルトは、私の方は見ずに、塔から都の廃墟を見つめたまま答えた。
「ゼウスは滅んだ。彼の支配していた力からこの都が解放されている。破滅は抑えられたのだ。カテリーナがどうなったかは、私にも分からない」
ロベルトは静かにそう言った。彼の言葉には少しも揺らぎが無く、それは真実を物が経ているのだと言う事が私には分かる。
「それじゃあ、カテリーナは、死んでしまったのですか?」
最後に私が見た光景。それはカテリーナがこの世のものとは思えぬほどの閃光を放ちながら、消え去っていくと言う姿だった。カテリーナはあの光と共に消失し、消えてしまったのではないのか。私はそう直感していた。
力が抜けたかのように、私はその場にしゃがみこむしか無かった。
あのカテリーナが消えてしまった。そんな事など信じられない。
「でも、もう脅威は消え去ったんですよね?この都を覆っていた巨大な気配も消えました。あなた達の計画していたものは、全て崩れ去った…」
私はそう呟いた。ロベルトの方に向かって顔を上げる事が出来ない。
カテリーナは命と引き換えに、彼らの恐ろしい計画を打ち倒す事が出来た。私はそう信じたい。
「いいや、そうではない」
私の考えに大きく異を唱える声が響く。ロベルトは私の方をしかと見下ろし、はっきりとした声で言って来ていた。
「ゼウスは滅んだ。破滅はこの都だけで済んだ。だが、それは計画が止まった事ではない。一時的に凌げただけに過ぎない」
そう言いながら、ロベルトは私と同じ目線にしゃがみこみ、私をいたわるかのように手を伸ばしてくる。
「これから、一体、どうなるんですか?」
カテリーナが消え去ってしまった事、そして、ロベルトの発した事に恐ろしささえも感じていたのだろうか。私の頬には温かい涙が流れていた。
「それは私にも分からない。ただこれだけは分かる。これからは辛く困難な時代となるだろう。君達はそれを乗り越えていかなければならない」
ロベルトは私に静かにそう言うのだった。
一方、都から橋を渡り、草原の離れた地にやって来たルージェラ、ルッジェーロ、フレアー、シレーナの兵士達も、崩壊した都の姿を望んでいた。
「何て事よ。これは一体何?とてつもない嵐が過ぎ去ったと思えば、残っているのはどこを見ても残骸だけ。カテリーナは一体どうなったの?」
ルージェラ達、逃げのびる事が出来た騎士達と、都の民は草原から、廃墟と化した都の城壁を一望している。彼女らの周りに残されているものは、屑鉄のような残骸だけだ。
騎士達を圧倒し、壊滅の危機にまで陥れていた、物言わぬゴーレムの戦車、ガルガトン達は、もはや物言わぬ鉄の塊でしか無くなっていた。
「こいつらを操っていた何者かが倒された。術者がいなくなったゴーレムは動かなくなるから?」
冷たく黒い鉄に触れながら、ルージェラと共に逃げてきた、シレーナの騎士団長、セシリアがそう言った。
「どうやら、こいつらは全て動かなくなっているようです!」
上空にいるシレーナのデーラがそう叫ぶ。彼女の視界は草原の大地に散乱している、ガルガトン達の姿全てを見る事が出来たが、ガルガトンはもはや一台も動いていない。その恐ろしい兵器の姿に恐れを成していた民も、幾分か安心したようだ。
「気になるのはこいつらよりもカテリーナの方だ。一人乗りこんで行って、一体どうなったんだ?カテリーナが敵を倒したのか?だからこいつらは動かなくなった。そう考えていいのか?」
ルッジェーロは《シレーナ・フォート》の都の方に向かってそう言っている。彼はカテリーナの事が気が気で無いらしい。
「さっきの雷鳴、轟音。あれから感じられた力は全てカテリーナの物だった。だから、彼女が戦ったのは事実だわ。でも、彼女がどうなってしまったかは分からないわ。今は全く彼女の力を感じられないの」
フレアーが、黒猫のシルアを伴い、ルッジェーロにそう言った。彼女は魔法使いの種族だから、人間であるルッジェーロよりも遥かに感覚が鋭い。
「おいおい。それじゃあもしかして、カテリーナは?そんな事ってあるか!」
ルッジェーロが叫ぶ。
「巨大な力を操る存在と彼女は戦いに行った。いくらあの子でも、そんな存在と戦ったら、どうなるか分からない。現に《シレーナ・フォート》があんな有様になってしまったのは、その戦いのせいかもしれない!」
ルージェラがそのように言い返す。彼女自身もカテリーナの安否については、ルッジェーロよりもずっと気にかかる。それこそ、彼には負けないと言わんばかりのように、ルージェラはその場で張り合った。
「二人とも落ちつかれよ!今は民の身を案じる時だ」
そんな二人の間に割り込んでくる声があった。
その大きな迫力と、心の中へと響き渡る声は、ピュリアーナ女王のものだった。彼女は《シレーナ・フォート》を離れた船を戻させ、再び陸地に上がっていた。
「ピュリアーナ女王だ。ピュリアーナ女王が、生きておられるぞ!」
「女王陛下が!」
と、口々に民や騎士達の間で言葉が交わされる。
地獄のような有様と化した《シレーナ・フォート》から脱出した民達にとっては、ピュリアーナ女王の存在は、希望の象徴であるかのように見えている。都は崩壊したが、女王は生存している。それだけでも民にとっては、再び生きる気力を注がれたかのようなものであった。
「女王陛下!」
ルージェラはそのように言い、すぐに彼女の御前に跪いた。その場にいたシレーナ達も次々と地上に舞い降りて来て、ピュリアーナ女王の前に跪く。
「今は良い。顔を上げよ」
ピュリアーナ女王はそう言い、騎士達の顔を上げさせた。
「女王陛下がご無事で何よりです。私達も、女王陛下の身を案じておりました」
ルージェラはすぐさまそのように言った。
「フレアー・コパフィールド殿と、私の従者たちの働きのお陰だ。ルージェラよ。お前も民を救出して良き働きをした」
ピュリアーナ女王は堂々たる声でそのように言った。その傍らでは、フレアーがルッジェーロに寄りすがった。
「ルッジェーロ」
フレアーがそう言いつつ、ルッジェーロに抱きつく。周りで誰が見ていようと、彼女は構わなかった。
「女王陛下も、死地を潜り抜けてこられたようで、よくぞ生きてくださいました。フレアー様と並んで、『セルティオン』を代表して安心いたしましたぞ」
シルアもフレアーに今だけは、ルッジェーロに抱きつかせておいてやろうと、一言だけかけている。
ピュリアーナ女王は周囲を見回す。彼女はそこで、重要なものを探すかのような眼差しで周囲を見回し、最後に疑問の表情をルージェラに向けた。
「カテリーナはどうしたのだ?一緒ではないのか?」
そのピュリアーナ女王の言葉に、ルージェラは思わず目線をそらせた。
「女王陛下も、ご存知でないのですか…」
ルージェラのその言葉は、あまりに活力も精気も失われていた。女王が生きていた事には喜んだ彼女も、突然にその力を失ってしまう。
「生きている。と考えたとしても、彼女の力は私にも感じられない。先ほどに起きた都での爆発的な力の衝突の以後、カテリーナの気配は全く無くなってしまった。もし生きていたとしたら、あれほどの力の持ち主。力の片鱗も感じられるはずなのだが。
だが、カテリーナが都から最大の危機を解放したのも事実だ。カテリーナはあの力を背後で操っていた者を倒したのだろう。そしてカテリーナは」
「女王陛下。私も薄々それを感じています。お言葉ですが、私はカテリーナがどうなったのかを直接見たわけではありません」
ルージェラはピュリアーナ女王の言葉を遮ってそう言った。
「私もそう思います。カテリーナほどの者が、そうも簡単にやられるとは思いません。ただ今は力を感じられない、それだけ」
ルッジェーロも口々に女王に向かって言うのだった。だが女王はそんな二人に向かって、
「差し違えた可能性も考えられる。いくらカテリーナと言えど、あれほどの存在に立ち向かったのだ。ただでは済まない。
そのような事よりも、騎士達よ。今は、この地に散っていた者達の悲しみに暮れている暇は無い。今、この時も民が危険にさらされているという事を忘れるな。私には、まだこの脅威が去ったようには到底思えない。
今すぐ、この地より民を避難させ、安全な所へと連れてゆくのだ。悲しみにくれるのはその後にしろ。それが騎士達の使命であり務めだ」
ピュリアーナ女王の声は迫力を持って放たれた。まるでその言葉に撃たれたように騎士達は動き出す。
ルージェラは動こうとしたが、ルッジェーロは、《シレーナ・フォート》の都の方をじっと見つめたまま、動こうとしない。
彼の配下の生き残った騎士達が、どうしたらよいものかと、ルッジェーロの顔色を伺う。
ルッジェーロはただその場に立ちつくしていた。崩壊した《シレーナ・フォート》の都の向こう側に夕日が沈もうとしている。その光は、今まで黒き雲に覆われ、深夜の様相を示していた草原にはあまりにも眩しすぎた。
夕日が照らし上げる中、《シレーナ・フォート》の民達が、続々と避難を始めていく。
「騎士殿。あなたには騎士団を率いる大切な務めがあります。カテリーナ様のためにも、ここはどうか」
シルアがルッジェーロの足元からそう言った。
「分かっている。分かっている。シルア。だが、こうして待っていれば、あの夕日の方からカテリーナが戻ってくる。そのような気がしてならないんだ」
ルッジェーロはそのように呟いていた。
「ルッジェーロ様。ご指示を」
彼の配下の騎士がルッジェーロに呼び掛ける。ルッジェーロは変わらず夕日の沈んでいく都の方を見ていたが、やがて口を開いた。
「ああ、俺達のすべきことは、《シレーナ・フォート》難民の支援だ。『セルティオン』にも避難民の受け入れ先と、救援をすぐに呼ぶように伝令も出せ。すぐにな」
「承知つかまつりました」
ルッジェーロは、騎士達の中でも、一番の最後までその場に残っていたが、やがて、自分の使命を思いだし、崩壊した都から動き出した。
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カテリーナとゼウスの激しい戦いの後、陥落した《シレーナ・フォート》。ピュリアーナ女王たちは、まだ見ぬ明日へと向かって歩き出すのですが―。