温い。
初めから期待などしていなかった事がやはりその通りであったとでも言いたげな程に希望の欠片も感じさせない眼差しを濃紺の双眸に浮かべながら、青年は街頭のTVに映る民主主義の名の元に選出された筈の人気取りの能力ばかりに長けた無能な連中が外面ばかり着飾った様を淡々と見つめていた。
眩いばかりのまっさらなポリエステル製の服に学校指定の鞄。近隣ではそれなりに名の知れた私立校・フランチェスカ学園の生徒である事など一目瞭然の姿でありながら、しかしその欧州系に見えなくもない白い肌や深い蒼と紫の織り交ざった様な複雑な色合いの髪が一般的な街角の中に異国調を奏で、ややあって歩み出した足元から響く硬質な皮靴の音が更に深みのある音色を醸した。
襟元正しく、折り目正しく。
四角四面という言葉が服を着た様な印象を受ける青年の足はそのまま郊外の最寄り駅から徒歩五分、築三年余りの世間一般的には『高級』と分類されるであろう自室のある分譲マンションへと向かった。
向かった、筈だった。
「………………」
つと、青年の足は帰宅路の一角に最近新設されたゲームセンターの前で止まっていた。もっと正確に言うのであれば、ゲームセンターの前の通りに半分その巨体をはみ出しているクレーンゲームのガラスにピッタリとくっついて地蔵か石像の様に動かない少女の背を見る格好で止まっていた。
波打つ様なブロンドの髪は腰どころか、ともすれば足元にすら届きそうな程にとにかく長い。背格好は推察するに青年の腰より少し高いくらいの所に頭が来るだろうか。クレーンゲームの中身を覗きこむ様にしてやや背伸びしている様子だからハッキリとは判別し辛い。
何でこんなありふれた街角のゲームセンター前に美少女が?と、行き交う通行人の多くは少女に怪訝そうな眼差しを、或いは見惚れた様な視線を向けている。この時間帯ならナンパ目的で誰か声の一つでもかけそうなものだが、覗きこんでいる代物が代物なのかそういった類の所謂『チャラい』輩が寄り付く事はない。
遠目にその中身を見た青年ですら、その代物の余りのイロモノ加減に辟易とした表情を隠そうともしなかった。現世のピカソを気取った頭の沸いた小僧が落書きしたとしか思えない様な落書きをリストラ寸前の万年窓際族な係長補佐が縫い上げた様なデザインのぬいぐるみ……?だろうか。兎も角そんな感じの代物が十、二十……数えるのも面倒というか数えたいとは欠片も思わない、前衛的と聞こえのいい廃棄物もどきが乱雑にその中にあった。
それらに食い入る様に視線を向け、微動だにせず、それでいてゲームをする訳でもないという店側からしたら果たして客惹きのメリットと営業妨害のデメリットとさてどちらの方が大きいのだろうか―――そんな事を考えている内、不意に少女の元へと駆け寄る影があった。
「風!貴方また学校を抜けだしてこんな所で……!」
見るからに委員長気質な保護者役と思しき女性があれやこれやと説教しながら少女を引きずって店先を後にするという中々に珍妙な一幕は、ややあって響いた豆腐屋のラッパ音によって普段の日常へと回帰する。
そんな凡庸で、平凡な日常が周囲をただ淡々と流れる中で、青年の足は再び動き出す。
青年の名は司馬 達也。
聖フランチェスカ学園の二年生であり、帰宅部に所属していた。
郊外の分譲マンションはその新築具合、内装設備の充実などからそれなりの値が張る優良物件であり、住むのもそれなりに中産階級の上級に位置する人間が多い。その為かセキュリティも安全性や信頼性は元より快適性や利便性等の各方面に万全を期しており、指紋認証と六ケタの暗証番号によって開かれる自動ドアを抜けて、最新鋭の高速エレベーターが地上十三階の最上階へと辿りつくまでには五分と時間を要しない。
その最上階にある自室の扉を開け、後ろ手に鍵を掛けた達也は気だるげな足取りで真っ暗な部屋へと踏み入り灯りを燈す。
生活臭の乏しいリビングはフローリングが晒されたままで、机や椅子の足に申し訳程度に絨毯が敷かれている。外界と室内を遮る窓には日除け用のカーテンすら存在せず、ガラスの向こうにはイルミネーションの様に彩られた夜の街並みが一望できた。
だが、家具の一切から戸棚に揃えられた必要最低限の食器に至る諸々、その全てからは欠片も『生活』という様相を垣間見る事は叶わない。買い揃えられたばかりの精巧な人形遊戯の玩具の如く、それらはただ『有る』だけだった。
そんな中を達也は進み、やがてリビングの一角にひっそりと鎮座する様に置かれたソファにその体躯を投げ出した。
ボフン、と新品特有の弾力性に富んだ音が木霊する様に室内に反響し、ややあってスプリングの跳ねる音が二、三回響いたかと思うと、それっきり。壁に掛けられた時計が秒針の進む音だけを響かせて、部屋の中に酷く冷めた沈黙が降りる。
達也の親は片親であった。
幼い頃に父を失い、実業家でもあった母は女手一つで達也を育ててきた。しかし月に数度も海外に自ら赴かなければならない程に多忙を極める母の愛情に触れる事の少なかった達也は、その多忙を理解していながらも温もりを求めて止まなかった幼心を抑えきる事が出来なかった。
結果として半ば家出する様に実家を飛び出しておきながら、結局は母の会社の系列が管理するこのマンションへと転がり込んで既に幾ばくかの月日が流れていた。
そして、静寂の帳に支配された空間に、ややあって達也の寝息が微かに聞こえ始めた。
「…………」
何時からだっただろうか。
母の元を飛び出してからだろうか。
母が嘗て在学していた聖フランチェスカに編入してからだろうか。
時折、達也は妙な夢を見る事があった。
眼を開けると……暗い。真っ暗な世界が淡々と広がっていて。星さえも瞬かず、凡そ人の温もりは浮かばぬであろう黒一色に塗り潰された世界がそこには広がっている。空と地の境目すら分からず、そもそもそこが広大な大地なのか遥かな空なのか奈落の底なのか、それすらも判別が出来ないでいる自分がいる。
「……………………」
そうしてふと、目の前に『何か』が現れるのだ。
先程までの『無』しか存在しなかった世界に唐突に現れた異物は、しかしその形さえも知りえる事は出来ない。
『それ』はつぅ、と達也の目の前の空間を撫でる様にして腕と思われる個所を動かし、ややあって再びその存在は無動へと戻る。
一瞬なのか永遠なのか、理解の及ばない無言が幾ばくか続いた気がして。
『其処』が世界の果てなのかこの世の果てなのか、或いは小学校に入る頃には伝え聞いただけで嘲笑を浮かべていた『地獄』なる地の『閻魔』の膝元なのか。
そして、幾らかの時を置いて、
「あら~ん、随分と浮かない顔をしてるじゃない」
『声』が増える。
「……ああ、貴方でしたか」
応える様に、目の前の『者』が女と思しき声音で口を開く。
「どうかしたの?ひょっとして漸くご主人様の魅力がアナタにも分かってきたのかしら~ん?」
『ご主人様』というのが誰を指す言葉なのかはよく分からない。
だが少なくとも、その妙になよなよしい口調で紡がれる矛先が自分ではないだろうと思う事に精一杯で、そうであって欲しくないと希求するのが大多数だったりする。
……いや、その辺りはどうでもいいか。
自嘲の意味合いも含めて口元を吊り上げる―――吊り上げようとして、そこに至って漸く『僕』は自身の身体が何の反応も起こしていないという事実を知る。
脳髄が幾ら指令を送ろうとも、身体はそれに全く応えない。それどころか瞼すら上がっておらず、だというのに脳は『視ている』と認識した様に目の前に広がっているのであろう光景をまざまざと『僕』という存在に見せる。
『僕』が当惑の念に混乱している頭を必死に落ち着かせている間、『それら』は何故か無言の中にあるのだ。語ろうとしない、語る口をもたない、語る事柄がない……どれでもいい、兎に角無言だ。動作の一切が停止され、遮断され、拒否されているかの様に『それら』は筋一本動かす事すらせずにそこにいた。そう認識した光景が脳を介して達也に知らせる。
「…………『彼』は」
静寂を破るのは、何時でも決まって最初に認識した『者』の方の声音。
澄んだ音色は楽器の様でありながら、何処か沈鬱とした雰囲気が感じ取れる、悲しみを押し殺した様な声音。
「『彼』は、もう目覚めないかもしれません」
この場合、『彼』とは即ち『僕』なのだろう。
それくらいは察しがつく。というより初見の時ならまだしも、既に幾度も幾度も同じ夢を繰り返しているのだから分からない訳がない。
「今回の旅路は、これまでとは違った結末でした」
「彼の願いは、祈りは『あの子』を通して『彼』に伝わり、そうして、この外史は……」
「それを肌身で感じたからこそ、彼はああも幸せそうに……安らかに眠っています」
声音は慈愛と、切望と、悲哀に満ちている。
『女』の声はただ虚しく響き、そうしてやがて意識は遠ざかり再び現実へと戻る。
それがいつもの夢だった。
それはここ最近においては司馬達也の一日の終わりを知らせるものであり、同時に一日の始まりを告げるものでもあった。
「それが…………」
「口惜しい……と?」
鼓膜が、震えた。
「卑弥呼……」
脳髄の奥底がズキリと音を立てて軋んだ気がした。
瞼の奥が焼け付く様に熱く、膨大な量の映像が脳の処理能力の限界を超えて押し寄せてくる。
「時折思うのです。ひょっとしたら『彼』は、生きていても良かったのではないかと……死なずとも『彼』の願いが届き、皆の想いと成りえたのではないかと」
―――血の海に沈む気高き覇王
―――唯一無二の主であり、『私』と最もかけ離れた少女
『女』は語る。
鏡に映した『私』であるかのように、その心の奥底を見透かした様に静かな声音で。
「それもまた、外史の筋書きの一つ。されどあのぼーいには、その外史の先を『彼』と共に歩む事は出来ない」
―――紅の都に散る信義の大徳
―――私の得られなかった全てを得た、『私』が最も忌み嫌う少女
『卑弥呼』は語る。
幾度も繰り返されてきた輪廻の果て、『僕』が辿りついた残酷な真実を。
「ご主人様と■■くんは似て非なる存在。相反し、その両極はただ平行線を辿るだけ。だからこそ、彼は受け入れたのでしょう?己の結末を。外史における『死』という顛末を」
―――満月の下に崩れ落ちる臥竜
―――『私』が、『僕』が、『■■■』が、何もかもが求め続けた少女
『者』は語る。
『あの』外史において、漸く受け入れる事が出来た『■■■』の、完全な敗北の筋書きを。
「………………」
知らない筈の光景が、映像が荒波の様に押し寄せる。
幾つも。幾つも幾つも幾つもいくつもイクツモイクツモ―――!!!
黙したのは『女』か、『卑弥呼』か、『者』か。
沈黙を終ぞ破ったのは、『卑弥呼』だった。
「…………しかし、それでも叶えたいか」
問いかけるその声音は、厳格にして荘厳。いっそ神格めいてさえ感じられる程に気迫に充ち溢れた、強者の問い。
「あの子に、真の幸福を味わわせてやりたいか」
『女』は答えない。
『者』は応えない。
ただ朗々と『卑弥呼』の声が響く。
「ならば築けば良い。うぬの望んだ理想を、新たなる歴史を刻めば良い」
だからだろうか。
その声に僅か、慈愛にも似た温かさを覚えたのは。
身体が揺らめく。
暗く深き水底にいたのか、周囲を水泡が揺らめき、身体にあたって弾ける『感覚』が蘇る。
「『彼』が望み、願えば、叶わぬ事など何一つない」
―――望み?
―――願い?
身体が淡い光に包まれていくのを感じる。
意識が薄れ、しかし全身に血が通うのが分かる。五感が戻るのが分かる。
―――――――嗚呼、何だ。
深い眠りから目覚める様に、存在の全てが蘇る様に、雁字搦めに■■■を縛りつけていた紐が解かれていく。
―――僕は、望む。
―――私は、願う。
来たれ。来たれ。来たれ。
僕自身よ。
私自身よ。
僕に付随する全てのモノに告げる。
私に付随する全てのモノに告げる。
与えられし名は只一つ。
選び取る名は只一つ。
我は此処に告げる。
我の全てを以て、此処に告げる。
蘇れ。
司馬懿、仲達
【後書き】
久々に……と申し上げても、最早覚えていらっしゃらない方の方が圧倒的大多数だと思われますので改めまして。
初めまして、茶々と申します。
以前このサイトにて拙作をご披露致しました折には、皆々様よりたくさんの御言葉を賜り、私としても処女作であった前作が無事に完結という形を迎えられたのは、ひとえに皆様のお力添えあっての事であると確信しております。
今回、再び連載という形に踏み切った経緯につきましては、簡潔に申し上げれば前作があまりにも『未完成』であったが故で御座います。
問題点を挙げていけばそれだけで人生が終了してしまいそうなので省きますが、それだけに彼の拙作の『続編』として、そういった諸々の問題点や放置したままの伏線等を回収し、更に『新作』にして『完結編』という体をなさなければならない……それらの課題を前作の完結より半年以上の月日と時間をかけて、今回、新長編という形を以て解決しようと思い至りました。
冒頭にて前作のAFTER仕様、と申し上げましたが、別に前作知らなくても(覚えていなくても)問題ない内容にすべく、心機一転の新作として奮起する所存です。
前作を知らない人でも楽しめる。
前作を知っている人が思い出せる。
そんな作品になれば幸いです。
また詳しい事は『序章・天』の巻末後書きにてお話致します。
それでは。
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初めてお目にかかる方、初めましてです。
久々にお目にかかる方、お久しぶりです。
以前このサイトにて、長編『真・恋姫†無双 ~美麗縦横、新説演義~』及び、短編『魏√END AFTER』シリーズ等の拙作を投稿させて頂いておりました、茶々と申します。
完結より半年以上が経過し、別所にて別系統の作品を投稿中の身の上ではありますが、今回、様々に煮詰めていった結果、再び私の拙作を皆々様の御前に披露するに至りました。
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