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ノベルス:第3話「たまにはリィの回想を」part4

リヴストライブというタイトル、オリジナル作品です。 地球上でただ一つ孤立した居住区、海上都市アクアフロンティア。 そこで展開される海獣リヴスと迎撃部隊の攻防と青春を描く小説です。 青年、少女の葛藤と自立を是非是非ご覧ください。 リヴストライブはアニメ、マンガ、小説等々のメディアミックスコンテンツですが、主に小説を軸にして展開していく予定なので、ついてきてもらえたら幸いです。 公式サイトにおいて毎週金曜日に更新で、チナミには一週遅れで投下していこうと思います。公式サイト→http://levstolive.com

2011-10-21 03:32:42 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:446   閲覧ユーザー数:441

ノベルス:第3話「たまにはリィの回想を」part4

 

 闇夜に蠢く二人の男女。台場栄児と青山零実は一難を何とかやり過ごすも、一息と吐く余裕はなかった。

 互いが、互いに不審者で気を抜けばどうなるか分からない緊迫した状況に置かれているからだ。特に栄児は気が気ではない。

 栄児の身体の自由をワイヤーで奪っている零実の方が圧倒的に有利。栄児は文字通り手も足も出せず、出せるのは口だけという有様である。

「あなた、ここで何をしようとしていたの?」

 栄児はうつぶせのまま、零実によって床に押しつけられるような形になっている。頬にナイフの平らな部分をあてがわれ、彼の額からは脂汗が流れ出ている。

「口を開かないつもり? なら頬を割いて二度と閉じることができないようにしてあげましょうか」

 零実の冷たく突き放したような声。まるでこっちがダメならこっち、なんて言う移り気な買い客のような軽い口調。

「待て待て待て、どうして君はそう物騒な物言いしかできないんだ」

「私の世界ではこれが普通よ」

「何だか住んでいる世界が違うとでも言いたげだな。何をされても俺は口を割らないぞ。俺にはやらなくちゃならないことがあるんだ、そのためには、どんなものにも屈するつもりはない!」

向こう見ずに言い放ったこの言葉が、零実に若干の変化を与えた。

「まったく、あなたはどこまでもダブれば気が済むのよ……」

「?」

 それは泣き声に近いようなか細い声。

 すると馬乗り状態になっている彼女が何も言葉を発さなくなった。

 そして不審に思う栄児の耳に奇妙な音が聞こえ始める。

 カリカリカリカリ…………。

気が付けば彼女は親指の爪を噛んでいた。これは彼女に余裕がなくなったときの症状で、一種の癖である。

――音が止んだ。それは彼女が考えるのを止めた合図。

「決めた」

「?」

「ならこのままここで死になさい」

 手に携えたナイフと共に、殺気を帯びた眼光がゆらゆらとちらつく。

 そして逆手に持ちかえたナイフが栄児の首筋を裂こうとした、そのときだった。

「馬鹿、お前ここでそんなことをしたら――」

 そのときだった。

「ガッ――」

 彼女の手から、からん、と床にナイフが落ちる。一体何が起きたのか。栄児の身体からずるりと倒れるようにして彼女の体重が消える。

 栄児はこのときだとばかりに、制服に差して置いたヘビーデバイス仕様のナイフを後ろ手に上手いこと持たせて、ギリギリとワイヤーを切断した。

 その瞬間、ゴムがはちきれたように栄児の身体はワイヤーから解放されて、咄嗟に零実に対し警戒体勢を取った。

実は何かあったときのために、強化皮膜にチャージを仕込んでいたのだ。

 栄児は彼女の不可解な行動に何事かと思ったが、栄児はその意味をようやく理解することになる。

「ハァ、ハァ…………」

「おい、青山!」

 栄児は苦しそうに横たわる零実に気付くと、ささやくような声で叫んだ。

「ハァ、ハァ……」

 うつぶせ気味の彼女の身体を仰向けに起こすと、そこには首を包み込むように両手をあてがった零実の姿があった。

 その顔は苦悶の表情を浮かべ、苦しみもがく様が痛々しい。

突然のことに栄児も動揺した。零実の視点の定まらない目は、空を泳ぐ。

「おい、青山。大丈夫か」

「ゲホッゲホッ……じさん……いじさん……わた、し、ごめ……ハァ、ハァ……」

 零実の右手が自然と、彼女の顔を覗きこむ栄児の頬を優しく包み込んだ。

「しっかりしろよ、おい。何だってんだよ、何だってこんなことに」

 栄児は無意識に彼女のその手を取ると、一瞬だが彼女の顔が穏やかになった。

 栄児はこのとき、衛生兵に関する授業の内容を思い出していた。正直、この状況で照らし合わせることのできる医療衛生的なジャンルはそれしかなかったのだ。

(当てずッぽな面もあるが、この症状は過呼吸の可能性が高い。呼吸のリズムがガチャガチャで荒く、手足に軽い痙攣を引き起こしてる。こういう症状は数あるが、一番初歩的な対処から始めるのが今の状態ならベストなはず)

 栄児はその辺にあったビニール袋を零実口に当てて持たせた。吐いた空気を再度吸い込むという行為をくり返し、血中の二酸化炭素濃度を上げるためである。

その間、ここを出るためにちぎれたワイヤーを肩に括りつけて準備を整えると、彼は彼女を肩に担いで部屋を出た。

(これ以上ここにいるのは危険だ、だが外からピッキングで鍵をかけている余裕はない)

 本来なら閉まっているはずのドアである。これはプレハブの入り口にも言えることで今最も懸念されることだった。

「ハァ、ハァ、こ、これ……」

 朦朧とする彼女の指に掛っているのは二つの鍵。

「こ、ここの鍵……」

 どうやら彼女は栄児のピッキングとは違いスペアキーでここへ侵入したらしい。これで時間をかけずに鍵をかけることができる、と栄児は確信した。

 零実を担ぎながら廊下を小走りに疾走する栄児。音も無く駆けて行くのは至難の技だったが、そこは強化皮膜によるサポートのおかげでクリアすることができた。

 最後にプレハブに入口に施錠して、何とか過呼吸に苦しむ彼女を運び出すことに成功したのである。そのまま辺りを見回す栄児。

 プレハブの周辺は、訓練用に土地を確保しているので空き地のような場所で周囲には身を隠すような場所はない。しかし膝上ほどの雑草がこれでもかと生い茂っているので、栄児はなるべく誰からも見られないよう死角を探して彼女を草むらに寝かせた。

 零実の容態が安定してきたようだ。先ほどよりも顔色が落ち着いたように見え、膨らんではしぼむビニール袋も一定のリズムを刻んでいる。

 栄児が彼女の前髪を払いのけ、額から溢れる汗を携帯タオルで丁寧に拭うと大分穏やかな顔つきになってきた。

 零実はワイシャツに制服のスカートという深夜の奇行にしては程遠いスタイルだが、栄児にしても同じような格好なので、これは笑うに笑えない。

「なんとかなったな……」

 という言葉と共に栄児は大きくため息をついた。安堵と疲れが一気に押し寄せたのである。

 草むらに尻もちをつく格好でだらりと脱力する栄児。上を見上げれば防壁で切り取られた空に、無数の星が顔を覗かせた。

「何やってるんだろうな、俺……――」

 そんな台詞は何も成し得ていない人間の言葉であることを、栄児はよく理解していた。これまでもこれからも何も成し得ることなく、ただただ時間を浪費する毎日――それは部隊に入ってからも変わることはなかった。

 昭和との取引により、栄児の父親に関しての情報が開示されていくはずだったのだが、今のところ音沙汰がない。

 つまり、まだ契約不履行というわけである。いや、それは昭和にしてみればそうではないのかもしれないが、現時点での栄児の心象はすこぶる悪かった。

 今夜の彼の奇行は、そんな焦りから決行した一種の諜報活動である。

〝このまま話さないつもりなら、自分で暴くまでだ〟

 彼にとってはそういう算段であったのだ。自身が組織に所属しているということを最大限に利用する。そのことは、この任務を受けたことから考えていたことだったのだ。

 それにはまず昭和と言う人間の身辺調査を行うのが順当である。情報はまず彼が何者であるかを理解しなければ、ただの点と点をぼんやりと見るに留まってしまう。しかし素性を把握することで、一見繋がりのなかった点と点が見事に形を形成するというのは珍しいことではない。

今日はその第一歩として彼の部屋を捜索するつもりで来たのだ。

 それがアクシデントによりまさかの中止と言うわけである。しかもそのアクシデントの元凶が顔見知りだったというのも彼の動揺を誘った。

 栄児のため息は思いのほか深い。

「……どこまでも――どこまでもままならないな……」

 栄児は首を垂れたまま硬直した。何も考えたくない、そんな気分だった。真実を追えば、何の因果か謎の障壁に阻まれて。その障壁となった人物を助けてしまうような善人な自分も嫌だった。いつかこういう甘い部分の積み重ねが、自身を窮地に陥れるような気がしてならなかったからだ。

 そのような今後への不安と、自分のこれまでを振り返ると、暗雲たる思いが彼の中に立ちこめていくのも無理からぬことだった。

 それを横目に、徐々に落ち着きを取り戻していく青山零実。

「ガフッ、ガフッ」と時折、咳き込みながらも袋を使わずにいたって正常な呼吸が出来るまでに回復していた。

 前髪に隠れずにいる右の瞳はとても虚ろで、塞ぎ込む栄児を憐れむようにして見つめていた。

 というのも落胆する彼の姿というのは、零実の今の心情を最も体現していたものだったからだ。

 つまりそれは塞ぎこんだ栄児を見つめているようで、自身の今の感情を彼に重ねるようなそんな気持ちだったのだ。

 何故なら、彼女はこの後すぐにでも自分の帰るべき場所に帰らねばならなかったから――彼女を束縛し、締めつけてきた場所へと。

 彼女は首をもたげて上体を起こすと、首を横に振って感覚を確かめた。

 栄児は頭をがっくりと落としているので、そんな彼女の状況には気付かない。

 だから零実の方から声を掛けざるを得なかった。

「ねえ」

「…………」

「ねぇってば」

「?」

 ようやく零実の存在に気付いた栄児。ちょっと驚いたような顔で、まじまじと零実の顔を見てしまった。

「お、おい、身体の方は大丈夫なのか?」

「大分良くなった……」

 そのことに関して零実は随分と素っ気ない態度で切り返した。まるで自分自身の身体を労わることを拒絶するような感じである。

 そして突然、前触れもなく本題ともとれるような話題を切り出した。

「今日のこと、誰にも言わないで」

 栄児は面食らった表情で、慌てて聞き返してしまった。

「な、何言ってるんだ」

「……誰にも……言わないで――……」

 彼女の哀願するような声に、栄児は一瞬我を忘れた。だが彼にとっては他言無用の約束などは二の次であった。誰に言わずとも、まずは彼だけには説明してもらう必要があったのだ。

「言うか言わないかは君次第だ」

 栄児と零実の状況は差して変わらないはずなのだが、零実は何かに対し、うしろめたさを感じているようである。栄児はそれを逆手に取るというわけではない。引け目気味な零実の様子に便乗し問いただすような格好になっていた。

失うものを持つもの、持たざるものの決定的な何かがそこにはあった。

「………………」

「あそこで何をしていた」

「私がそれを言えば、あなたは死ぬのよ」

 その言葉は栄児を動揺させるに十分なものだった。

「………………ど、どういうことだよ」

「今日あなたが何故あそこにいたのかは別にして、赤の他人を巻き込みたくはない……」

「だから! 何のことを言ってるんだ。君はあそこで何をしていた! 言え!」

「言えない……。言ったらあなたも殺される――……だから、今日起きたことは全て忘れるの」

「ふざけんなよ!」

 激昂する栄児を見ても、零実は無表情でいたって普通な顔つきで、

「…………行かなくちゃ。もう……帰る時間だから、私の帰るべき場所へ――」

 零実は重い腰を上げた。そのときだった。

「行かせるか。君は俺にとってのこの五年間でおそらく最大の収穫だ。俺に関係あるかないかはこの際別にして、今君を行かせるわけにはいかない」

 そう言って栄児は彼女の手を掴み上げると、突き上げるような表情で零実を見た。

「離して!」

「…………」

「離してって言ってるでしょ! この手を離しなさい!」

「なら俺と取引しろ」

 その提案に呆気にとられた零実。この期に及んで彼は何がしたいのか、その真意を計りかねた。聞くところによれば堅物との評判が高い彼の人格から、取引なんていう口約束もいいところな、そんな言葉が出るなんて思わなかったのだ。

「と、取引……?」

「そう、取引だ。君は乗るしかないんだ。そうしないと、このまま君が帰ると言い張っている場所に帰れないんだからな。それに加えて俺は今日のことを口外する。俺か? 俺には失うものが何もないんだ。どういう扱いを受けようが構うことはない」

「あ、あなた自分が何を言っているのか分かってるの?」

「分かってない、だから分かろうとする」

 そういう姿勢を五年間取り続けてきたのだ。今さら変えるわけにもいかないだろう。零実はそんな彼の屈強な顔つきから、もう何を言っても無駄だ、と半ば諦め気味になっていた。

「石頭も良いとこね。そんなものに私が――」

 と言いかけたところを、遮るようにして栄児が声を上げた。

「条件を言う。今後、俺に情報をくれ。君が知っている情報を――君は絶対に知ってるはずだ、直接ではないにしろ俺の親父に関しての何かを」

「…………」

「それが約束できるというのなら、この手を離す。今日は君の帰るべき場所とやらに帰るといい。俺も――今日のことは誰にも他言しない。それでどうだ」

「…………」

 零実は栄児から目を反らす。見てはいられないものから顔を背けるように。

「どうなんだって聞いてるんだ、青山零実! いいな、今日の君を見逃す代わりに、明日からの君には俺に協力してもらう」

「…………」

 零実は唇をキッと噛むと、栄児を真正面から正視した。それは踏ん切りのつかない何かに対し、覚悟を決めた顔だった。

「程度のほどは保障できないわよ」

「それでもいい、情報だ、俺には情報が必要なんだ」

 彼女の様子を見る限り彼の敵ではない、そう全部を信じたわけではないが、それでも栄児は彼女を信じるしか手はなかった。

この場で全てを収めることなどは到底不可能であり、彼の父親に関しての情報を得ていくには今後多くの時間を要することになる。

 彼女が栄児にとっての障害になる可能性はゼロではないが、彼に残された選択肢を考えれば彼女に結託を強制するぐらいでしか、手掛かりを得る方法はないのである。

それを考えれば一抹の不安が残るも、今日という日の行いが徒労に終わらずに済んだのは、不幸中の幸いであったということか。

「ねえ、あなたはこんな口約束でいいの?」

「それは君が心配することじゃない。俺はまだ君を信用していないし、君にしても同じだろう。だから、今は口約束で十分だ。何より、俺は君が知られたくないものを知っている。それだけで君をゆするには事足りるだろう」

「そう……」

「それに君は――……いや、……何でもない、そういうことだから今日は行け。今度顔を合わせたときは、それなりの覚悟を持って話してもらうからな。そのつもりでいろ」

零実はどこか蔑むような目で、そんな栄児を見つめている。まるで彼の殺伐とした胸中を見抜いているかのように。

栄児が零実の手をほどく。すると彼女はゆっくりとした足取りで、一瞥もくれず溶けるようにして夜のアクアフロンティアに消えていった。

 そんな中で彼女は口元でこう呟いた。

〝馬鹿な人……〟

       *

 そこはアクアフロンティアの中心からやや外れた地区にある街路。いわゆる裏道のような場所である。

周りの朽ちかけたビル群は、貧しさを誇張するにはぴったりで、闇夜に誰か一人が消えたとしても誰にも分からないようなそんな地域だった。

実は、鉄平たちの商店街もその近辺にあるのだが、それはまた別の話。

 零実はわざとそのように人目につかないようなルートで壁を伝うようにして歩いていった。

 路地裏は狭く、人間の生活から生まれた吐き溜めのような場所である。そんな場所をわざわざ選ぶような少女は、やはり訳ありの存在だった。

「うう……ぅ……」

 零実は〝帰るべき場所〟へと、どう報告するかを考えていた。

ありのままを伝えるには、あまりにも問題があり過ぎることだったからだ。

 おそらく彼女もただでは済まないだろう。その場所において彼女は大した活躍をしているわけでもない。

どちらかといえば落伍者という位置付けがされており、それは彼女自身も分かっている。だからこそ、次がない、という一種の焦燥に駆られていたのだ。

「どうしたらいい……私はどうしたら…………」

 零実はひとまず、四方がビルに囲まれた不思議な空間で腰を下ろすことにした。そこは広さにして六畳分ほどの空間。

 アスファルトはひび割れており、その合間から伸びる背の低い雑草とコケが四方の隅に生い茂る。そこら中から腐敗とはまた違った都会特有の異臭が漂い、零実の鼻をついた。

 そこへ彼女にとっては聞き覚えのある声がこだました。

「随分な様ね」

 一瞬、零実の顔は凍りついた。それは彼女にとっては最も会いたくなかった人物だったのだ。

 コツコツとハイヒールの音を路地裏に高鳴らせ、零実に迫るその人物。

「と、籐子さん――」

 そう零実が呼んだ人物の名は、八重洲籐子――彼女は特装一課の担当者。いわば昭和と同じ要職に就いている人物である。

「済みません、あ、あの私は――」

 と零実らしからぬ腰の低い物言い。まるで押してはいけないスイッチが彼女の中で押されてしまったようである。籐子の前では弱り果てた犬のように、自分を見下した籐子を見つめる零実。

 渋い緑のパンツスーツに身を包み、黒縁フレームの眼鏡をかけたそれはまるでキャリアウーマンさながらの容姿であった。

 肩まで伸びた髪を耳にかき上げて、籐子はため息をつくように言った。

「そう怖がらないでいいのよ。全部見てたから」

「!」

「要するに失敗に終わったのね、この――欠陥品が!」

 先ほどまでの余裕のある面持ちの籐子はそこにはおらず、ひたすらヒールのつま先で零実を蹴りつける籐子の姿がそこにはあった。

「ぐッ……」

 零実は彼女の不条理な暴力にひたすら耐えることでしか、その場を収める術を知らなかった。それが幼少期からの習慣だったからだ。

そして籐子が一通り憂さを晴らしたところで、その足を止めた。

「本来なら、あなたは処分ものだけど今回は許してあげるわ。上に報告するのも止めてあげる」

「?」

 それはおかしい、と零実は思った。全てが筒抜けになっているのであれば、彼女を待ち受けているのは慈悲もない処分だけである。

だが、このときの籐子はそれを示唆しなかった。それは何故か――

「面白そうなものを見つけてきたわね。台場栄児君だっけ? 私たちにとっては懐かしい台場の姓よ」

「…………」

「もちろん彼が父親を追いかけていることは、既に私たち〝統制機関〟が把握しているけど、現状では特に害なしということで泳がせているのよね」

「…………」

「それよりも問題なのは田和昭和。台場誠二に引きずられるようにして失脚した彼が戻ってきたのは不穏ね」

「…………」

「だから、あなたに彼に関しての諜報活動の命を任せたんだけど、結果はこの有様――……でもね、」

「?」

「それなりに面白くなりそうよ。台場栄児と何を話したのかは知らないけど、あなたに新しい任務を授けるわ。人も殺せない欠陥品に最後のチャンスってわけね」

(うう……ぅ……) 

 零実にとっては反論の余地もなく、胸中でうめき声を上げることしか出来ない。彼女のような組織においての末端の人間は、ただそれを受け入れるしか方法がないのだ。

「おそらく、台場栄児はこの先も田和昭和を追うでしょうね。そして何かを掴むかもしれない。それはあなたが携わるよりも、より自然に手に入れることが予想できる」

「…………」

 零実はまさかと思った。だが、それだけは的中してほしくはない案件である。

「もう何が言いたいか察しがついたわよね? そうよ、これからあなたは台場栄児に接近しなさい。それでボロが出るはず。田和を追う彼を、あなたが追うの。いいこと?」

「そ、そんな、ちょっと待ってください。彼はまったく――」

 零実が反論しようとしたそのとき、籐子のヒールが彼女の腹をぐりぐりとえぐった。

「なぁに?」

 苦悶の表情を浮かべる零実。痛みとはまた別に、込み上げてくる感情があるが、それが何だかは分からない。

だが、それは確実に零実の心を削っていくようなものであるのは確かだった。

「私に口答えしないの。明日の……いや今日の陽の目を見たいのなら従いなさい。それで上への報告はこっちで何とかしてあげるわ」

「…………」

「分かったの!?」

「りょ、了解です……」

「数年来の付き合いだけど、あなたにはホントに失望させられるわね。煩わしいったらありゃしない。統制機関もさっさと私を上に上げてくれないかしらね」

「…………」

 零実は上体を起こし蹴られた腹部をさするようにして、今にも命の灯が消えそうな目である。その目はどこを見るでもなく、どこまでも虚ろで――

〝結局馬鹿なのは……私かもしれないな――……〟

 と己を省みることに終始するばかりだった。

 

つづく


 
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