カテリーナ達は草原から急遽、《シレーナ・フォート》へと引き返す決断をした。
彼女らは馬を翻させ、一気に《シレーナ・フォート》へと目指す。豪雨の中、草原の先に見えるはずの巨大な都は今、更に巨大な黒い球体によって包みこまれており、この場にいる者達は、その球体が何なのか、その存在さえも知らなかった。
だが、都を覆うその巨大な黒い球体が何であるにせよ、カテリーナ達には義務がある。この都を守る。そしてピュリアーナ女王を魔の手から救う。もし、女王にほんのわずかでも危機が迫っていると言うのならば、彼女を救わなければならない。それが、カテリーナ達騎士達が選択した義務だ。
馬を一直線に、《シレーナ・フォート》と陸とを繋いでいる橋へと向かわせる。
しかしながら、彼女達はピュリアーナ女王に迫る危機を救わなければならない以前に、迫って来ている脅威からも逃げ出さなければならなかった。
草原に出現したガルガトン達は、依然としてカテリーナ達の脅威だった。
カテリーナが率いていた、フェティーネ騎士団の団員と、『リキテインブルグ』の騎士達、兵士達はその数を大きく減らしており、さらに増援として現れた『セルティオン』の騎士達の部隊もその数を大きく減らしてしまっている。
《シレーナ・フォート》で何が起こっているのかも分からない。だが、その虎口の中に飛び込んでいく兵力は多い方が良い。何しろ、脅威は草原で留まっているのではなく、既に都の中に入り込んでしまったのだから。
ガルガトン達が背後から迫って来ている。カテリーナ達の背後にいた、最後尾の騎士がそのガルガトンの勢いに突き飛ばされ、馬ごと上空に投げ上げられた。
土埃を激しく上げながら、ガルガトン達は、急速にカテリーナ達の方に接近してきている。カテリーナ達を、まるで都の中には行かせないと言わんばかりの勢いのガルガトン達に、カテリーナ達は馬達を激しく鼓舞し、脱兎のように疾走させた。
《シレーナ・フォート》へと繋がる街道へと入る。そこからは、道が蛇行しながら海岸沿いに降りており、そのまま都を繋ぐ橋へと繋がっている。
「急げ!《シレーナ・フォート》はすぐだぞ!」
ルッジェーロがそのように叫んだ。騎士達を勇気づかせるためだ。
だが、このまま都へと行ったとして、一体何ができる?カテリーナは背後に迫って来ているガルガトン達よりも、むしろその方が気にかかっていた。
《シレーナ・フォート》を包みこんでいる巨大な黒い塊は、まるでこの嵐の中心にいるかのようだった。嵐をおこしている雲が、黒い塊を中心として、上空で渦を巻いている。この嵐はこの都を包む黒い嵐が原因なのか。
そして、そもそもこの黒い巨大な球体は一体何なのか?それは、自然現象でも無ければ、魔法の力とも違う。ただ、あらゆるものの理解を超えた存在である事は確かなのだ。
西域大陸一の規模と巨大さを持つ《シレーナ・フォート》は、どのような建造物よりも巨大なものであり、それは知という概念を持つ生物たちにとっては、圧巻の存在だ。これ以上巨大な建造物は西域大陸内には存在しない。
それを更に上回る規模の自然現象。『リキテインブルグ』では頻繁に嵐に襲われるが、この黒い球体も巨大な嵐なのだろうか。
いや、巨大な嵐に過ぎないのか。
カテリーナは接近してくる巨大な黒い球体を見上げ、その黒い球体自身に問いかけていた。
カテリーナはルッジェーロの馬に跨りながら、じっと黒い球体を見つめ、そこに問いかけた。
それは言葉では無いもので、この場にいる誰も、彼女の言葉を聞きとる事、感じる事は出来なかっただろう。
“お前は、一体何者だ?”
カテリーナのその方法で、黒い球体と意思疎通が図れるかどうかは分からなかった。彼女自身、まさか言葉が戻ってくるとは思っていなかった。
黒い球体は、カテリーナがした事と同様の方法で、言葉を返してきた。
“カテリーナ・フォルトゥーナよ。久しいな。やっと、我が手中に戻って来たか”
その言葉に、カテリーナははっとした。この声は知っている。音として感じる事が出来ない、感覚として頭の中に響き渡る声の主の言葉であったが、カテリーナは知っていた。
“今、この現象を起こしているのは、お前達なのか?お前達がやっているのか?”
カテリーナは再び尋ねた。顔を黒い球体の方へと向け、相手を突き刺すかのような視線を送る。カテリーナのその視線にあるものは敵対の意志だ。
今、目の前にある、この黒い巨大な球体は敵であると、カテリーナは判断していた。
“その通りだ。カテリーナ・フォルトゥーナ。そして、お前は我が元に来なければならないという、運命がある。お前もすでに感じているはずだ。使者を送ったのは念の為だ。お前はどうやら、自分の運命を忘れているようだからな”
声は更に言って来た。
カテリーナはちらりとナジェーニカの方を見やった。彼女も、自分が乗って来た馬と共に、カテリーナ達と共に黒い球体の方へと向かっている。
“自分の運命?それを、お前達によって決められたつもりはない!”
カテリーナは堂々たる言葉で返答した。
ルッジェーロを先頭とする馬の大群が、《シレーナ・フォート》へと差しかかる橋の上へと到達した。橋は、全長が500メートルあり、黒い球体はその半ばまで規模を広げて来ている。
“カテリーナよ。お前はこうして、都に戻って来ている。そして、我らと再び対峙するであろう。それこそ、運命と言わずして、何と言う?”
その声、の言葉を遮るかのようにして、ルッジェーロが言って来た。
「おい、カテリーナ!このまま、あの真っ黒な中へと入るのか?いや、入る事ができるのか?まるで、黒い壁みたいな感じだ!」
ルッジェーロの言葉も、カテリーナは聞こえていたが、彼女は目の前の存在に対して返答しなければならなかった。
“私はこの都と、都の民、国を、そして女王陛下をお救いする。それだ。今私が戦っている理由はそれだ”
カテリーナはそう言い放つ。その存在は、まるで彼女のその言葉を待っていたかのように言葉を返してきた。
“そうか。ならば我等の元へと来い。カテリーナ・フォルトゥーナ!”
黒い球体は最後にカテリーナにそのように言い放つのだった。
ルッジェーロ達を乗せた馬は、黒い球体の目前にまでやって来ていた。それは、まるで巨大な漆黒の鉄の壁のようであり、扉でも無ければ、とても中に入る事はできないようにも見えた。
「どうするんだ? ガルガトン共は背後から向かってきていやがる。だが、目の前は壁だ。お前は、自分から袋小路に飛び込んだんだぜ?」
ルッジェーロがカテリーナに向かって言った。
彼女はルッジェーロの馬から飛び降りると、そのまま黒い球体の壁面まで歩いていった。豪雨は降り注いでおり、カテリーナの甲冑に音を立てて水滴を流している。だが、カテリーナは構わず、黒い球体の目の前まで向かい、その壁面に触れた。
だが、黒い球体の壁面は、壁面ではなく、カテリーナの腕はその壁面を透過して向こう側へといった。
さすがにその現象には、普段物事に動じないカテリーナでも、一瞬驚愕の表情を浮かべた。
だが、すかさずルッジェーロの方を向き直り、カテリーナは彼に向かって言った。
「どうやら、壁の向こうに行く事ができそうだ。これは壁なんかじゃあない、水面のような境界だ」
カテリーナの言葉に、騎士達がお互いに顔を見合わせる。
幾ら壁の向こう側に行く事ができると言っても、彼らから見る事のできる黒い壁面は、何者も映さない深淵のようなものであったからだ。
「何が待っているか、分かったものじゃないわよ」
ルージェラがカテリーナの背後からそう言った。
「いいや、私には分かっている。この先に、私は行く。そこに答えが待っているはずだ」
カテリーナは再び黒い壁面の方を向くなりそう言った。
「ちょっと、待ちなさいよ。これは、何者かの罠かもしれないのよ。そう、あなたを呼びよせる為のね!」
ルージェラが騎士の馬から飛び降り、カテリーナの方に近寄った。まるで彼女のしようとしている事が理解できないといった様子で、ルージェラはカテリーナに言う。
「罠? そんな次元のものじゃあない。この先に待ち受けている者は、おそらく、ルージェラ、あなた達の理解を超えた者だ」
カテリーナはそのように言い放った。ルッジェーロはまるで彼女の言っている言葉が理解できないといった様子で、
「だったら、なおさらお前を一人で向かわせる事はできないぜ」
と言ったのだが、どうやらカテリーナの決心はすでに固まっているらしい。
「私は行く。一人でも。何が待ち受けていようとも」
カテリーナは堂々とした言葉でそのように言ったが、自らは黒い壁の向こう側に飛び込んでいこうとはしない。ルージェラやルッジェーロ、そして騎士達の方を向き、彼らの返答を待った。
「ルッジェーロ様。背後から、すぐにでも、先ほどのガルガトン共が来ます」
ルッジェーロの側近の騎士がそう言った。
「ああ、分かっている。カテリーナ。お前は危なっかしい所もあるが、結局のところ、いつもお前の判断は正しい。お前に従う事にするよ。何が待ち受けていようとも、お前達と民を守る事にする」
ルッジェーロは意を決したようにそう言った。
「セルティオンの白き盾の騎士団。虎口の中に飛び込むぞ!」
ルッジェーロは剣を抜き、それを黒い壁面へと向けると馬を走らせた。彼の馬の背後にカテリーナは飛び乗り、ルージェラも、ルッジェーロの側近の騎士の馬の背後へと飛び乗った。
堂々たる声と、決然とした覚悟で黒い壁の向こう側へと飛び込んでいった彼らだったが、黒い壁は、カテリーナの言ったように、何の抵抗もなく彼らを受け入れた。壁面は、何の障壁もない。ただの錯覚であるかのようだった。
しかし、その壁の向こう側に飛び込んだ瞬間、カテリーナ達に襲いかかって来たのは、圧倒的なまでの威圧感だった。
その威圧感と言う衝撃が、一体、どのような場所からやって来るかもわからない。だが、その衝撃だけは確かに存在し、カテリーナ達に襲いかかった。その衝撃は、あたかも黒い壁の外で出会った、ガルガトンと名付けられた怪物達のようなものだった。
「うお! 何だ、これは?」
ルッジェーロは思わず言い放ち、剣さえ振るいそうになった。何者かに襲われたかのような感覚を味わったからだろう。
だが、何者も襲いかかってはこなかった。
カテリーナ達の間で生じたのは感覚であり、それは何かしらの物体による衝撃とは異なったものであった。
ルッジェーロ配下の騎士達が続々と黒い壁面を透過してやって来る。彼らの間では動揺が広がった。
「落ちつけ。敵には襲われていない! だが、警戒しろ。前後左右に注意を払え!」
ルッジェーロがすかさず部下達に指示を与えた。彼の指示はすぐさま騎士達の間に走り、彼らの間に警戒態勢が敷かれる。
カテリーナはルッジェーロの背後で、鎧の胸の上に手を当てていた。金属の鎖で編み込まれた、黒い彼女の胸の上からは、雨水で濡れた冷たい感触しか伝わって来ない。
動揺、確かにカテリーナはそれを感じていた。金属の上からでもはっきりと分かるほどの心臓の鼓動がある。
だが、カテリーナはすぐに自分を落ち着けた。落ち着かせようと思えば落ち着かせる事ができる。しかし、その緊張を解いたとて、容赦なく周囲を漂う異様な気配は、自分の中へと入り込んでくる。
「カテリーナ…、どこへと向かったらいい?」
ルッジェーロがそう尋ねてきた。彼の顔は豪雨のせいもあってかなり濡れている。底には多分、冷や汗も交じっていた事だろう。
カテリーナは目の前に立ち塞がる、《シレーナ・フォート》の巨大な門を見上げていた。そこは固く閉ざされていたはずなのだが、今は大きく開かれている。漆黒の壁の向こう側は、紫とも黒とも似付かないような夜の闇が支配しており、光といったら、周囲から湧きあがっている、奇妙な気体から発せられていた。
ここでは外で起こっている嵐も、何もかもが遮断されていて、黒い壁の向こう側では、全く別の世界が広がっているかのようだった。
カテリーナ達は、ゆっくりと、《シレーナ・フォート》だった門の城壁をくぐっていく。馬達の足取りは慎重だが、怯えていた。騎士用に恐れを知らないように訓練された馬達も、はっきりとした恐れを感じているらしい。
「どこに行けば、いいのよ…」
ルージェラがそう言った。目の前に広がっている《シレーナ・フォート》の姿は、カテリーナ達が知っているどんな姿とも異なっていた。
ルージェラの言葉が発せられた時、彼女とカテリーナの間に、屈強で大柄な馬にまたがった、ナジェーニカが割り入った。彼女は兜の面頬を下ろしたまま、カテリーナの方を向き、一言言う。
「お前は、“あの方”の元へと向かう必要がある。こいつらまで連れていけるとは思えんな?」
ナジェーニカの言葉は、この空間内に響き渡って、カテリーナ達の耳に届いた。ナジェーニカの言いぶりに、ルージェラは思わず顔をしかめる。
「いいや、我らの目的は、第一にピュリアーナ女王陛下を守る事にある。彼女の元へと向かう。危険が迫っているようならば、すぐにお助けしなければならない」
先に答えたのはカテリーナだった。だが、ナジェーニカは、
「本当にお前はそう思っているのか? 心の中の声に聞いてみろ」
そのように言い放ち、カテリーナの心を揺さぶってくる。
ナジェーニカの視線が自分を射抜いてきている事は、カテリーナも良く分かっていた。彼女は兜の面頬の向こう側から自分をじっと射抜いてきている。
だが、カテリーナはそんな彼女に反発するかのように言った。
「いいや、我等の目的は一つだ。お前の言う事になど従わない!」
きっぱりと言い放つなり、カテリーナはルッジェーロに向かって言った。
「ピュリアーナ女王陛下達は、王宮の地下の施設へと避難している。そこへと向かうんだ」
「ああ、分かった。行くぞ!」
ルッジェーロはそう言うなり、彼らは騎士達を率い、異形の姿と化した、《シレーナ・フォート》の中へと突入していった。
「ピュリアーナ女王陛下…。何やら、異様な気配が近づいてきている事を、感じておられますか…?」
《シレーナ・フォート》の地下施設に身を潜めているフレアーが、同室にいるピュリアーナ女王に尋ねた。
「ああ…、感じている。先ほどから続いているこの異様な気配と共に、近づいてきている何者かの姿を感じる」
ピュリアーナ女王はそのように答えた。彼女は既に部屋の椅子から立ち上がっており、何やらせわしなくうろうろとしていた。翼をまたたかせながら、彼女は何かを感じ取ろうとしているかのようだった。
そんな彼女の姿を見ながら、フレアーはもう一度、この避難施設に張った、魔法障壁が無事であることを確認した。それは目で見るものでも、触って感じるものでもなく、彼女の種族の持つ、特異的な感覚によって感じる事ができるものだ。
本来ならば、この魔法障壁は、同じように魔法の力を扱う事ができる相手でも、打ち破るのは相当に苦心をするはずだ。実際、フレアーが再確認をした魔法障壁の状態は何も問題は無かった。この避難施設は大きな殻によって覆われているも同然だ。
だが、そのような障壁を乗り越えてやってくる、この奇怪な感覚だけはフレアーも耐えられなかった。
それは、どうやら魔力の持たない者であってもはっきりと感じる事ができるものであるらしく、匂いにも、肌で触れるものとしても全く何も感じられないものでありながら、何よりもはっきりと感じる事ができる。
「この空気、この気配…。まずいな…。この《シレーナ・フォート》の中に全てが流れ込んできている。それは圧倒的なもの。とても騎士達では防ぎようのないものだ」
ピュリアーナ女王は忙しなく歩きながら言った。
「いかがなさいます? 女王陛下? ここに満ちて来ている気配は、人知を凌駕した圧倒的なもので、剣などの刃が通用しないようなものです。防ぐならば魔法の力に頼るしかありません。民を守るのでしたら、このままでは騎士達だけでは不可能です。我々が動かなければ…!」
フレアーは言った。
彼女の言葉に、ピュリアーナ女王はフレアーの方を鋭い目つきで見つめた。その目は真剣なものだった。
「ああ、分かっている。だが、この《シレーナ・フォート》で、貴女のように自在に魔法を使う事ができる者は非常に限られている。わたしを含めて、封印結界を張る事ができるのは、ごく僅かしかいないのだ」
ピュリアーナ女王はそのように言い放った。いつもは冷静のはずの彼女も、この時ばかりはと、その冷静な態度を崩している。
「ですが、女王陛下! やるしかありません!」
ピュリアーナ女王の側近の一人がそう言った。
「ああ、分かっている。どうやら私もこの翼を広げて、自ら民を守るしかないようだ」
ピュリアーナ女王は決意と共にそう言い放つのだった。
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都へと引き返そうとするカテリーナ達。カテリーナは背後をガルガトンらに襲撃され、目の前には都の異空間を覆う黒い壁を前に向かいます。