(6)
それからしばらくの間、デボラは、考え続けた。
ルドマンは、フローラが帰ってきた翌日には、“何か”の準備をし始めた。書斎にこもっていたり、仕事仲間らしき人間を毎日のように屋敷に招いたり、そうかと思えば、書庫にこもって何かを調べている。デボラには、義父が何をしようとしているか、容易に想像がついた。フローラの婿を探す為の準備だ。
―― はやくしなくちゃ。
デボラは焦った。しかし、考えても考えても、善い策は思い浮かばない。たった一つ、絶対に取るべきでない下策はある。それは、義父に直訴することだ。どうせ訴えたところでどうにもならないだろう。そればかりか、より悪い状況に陥るかも知れない。
「あーあ……」
ため息を吐き、椅子の背もたれに頭を乗せると、目の周りがちりちりした。目頭を軽く押さえて揉む。
勉強嫌いだったデボラは、文机を活用したことはほとんどない。だが、今は、ほこり臭い本が山と積まれていた。メモするために用意したノートは、ほこりとインクにまみれてしまっている。
分厚い書物は、義父の跡をつけて、手に取った本を書庫からこっそり持ち出したものだ。少しでも相手のことを知らなければ、と思ったのだ。
ほこり臭い書物から得た情報を、脳内に並べていく。
義父は、まず、古い伝承が書かれた本を読んでいた。この本は、学者や聖職者だけが用いる古い文字で書かれていたために、デボラは読むのに苦労した。古文は良家の子女の教養としてたたき込まれてはいるが、決して得意ではなかったので、デボラは出鼻をくじかれた気分になった。とりあえず、本を持ち出すことには成功したものの、全く目を通す気にならずにふてくされていたところ、見かねたフローラが読んでくれた。しかし、フローラでも読むのは相当に難しかったらしい。
フローラは、「ちょっと、自信は無いけれど」と前置きして、本の内容をかいつまんで教えてくれた。それと、デボラ自身が読み取った部分を総合すると、どうやら「伝説の勇者」について書かれていたようだった。
「何で、そんな、おとぎ話なんか……?」
悪しき者が天地を脅かす時、天は自らの代行者として天空の勇者を遣わす。彼は、竜神の如く天の力を操り、悪を逐う。この世界に暮らす者ならば、誰もが知っている“おとぎ話”だ。義父は、何の為にそんなものを調べているのか。
義父の意図を測りかね、困惑する。
義父は、次に、サラボナの遙か南にある、活火山について書かれた本を読んでいた。その火山は、数百年前から盛んに活動していて、辺り一面に有毒なガスや溶岩が吹き出ている為に、「死の火山」と呼ばれていた。魔界の空気によく似ているなどと言われ、サラボナ近辺よりもより狂暴な魔物のすみかになっているとも噂される。書物には、「死の火山」の付近を旅した冒険者の調査記録や、遭遇した魔物の種類などが書かれていた。さらには、「死の火山」の内部には洞窟があり、其処は誰も足を踏み入れたことが無いために、どうなっているのか解らないらしい、と結ばれていた。
「何で、火山なんか調べてるのよ?」
更に意図を測りかね、当惑した。
義父は、今度は、サラボナの遙か北の、巨大な滝について書かれた本を読んでいた。そこは、かつては名瀑として観光名所でもあったが、魔物の多い今では、誰も訪れない場所である。滝壺からあがる水しぶきはすさまじく、常に霧のようにあたりを覆っている。
「だから、滝に何の用なの!?」
やはり、意図を測りかね、悶絶した。
父が調べていることは、何のまとまりも無いように感ぜられる。もしかしたら、単なる趣味の読書なのかもしれない。そうだとしたら、そんなものに振り回される自分は本当に愚かだ。
たったいま、読んでいた本を乱暴に閉ざす。それは、世界の珍品や秘宝について書かれたもので、昨晩、義父が読んでいたものだった。この世には、創造主がつくりたもうた奇跡の指輪がある、と言うような文言を眺めていて、デボラはついに嫌気がさした。
―― おとぎ話はどーでもいいのよ!
問題は、妹を幸せにする方法なのだ。
「私、何やってるんだろう。」
ふと、自室の窓から外に目をやると、澄み切った青空が目に飛び込んできて、デボラは何とは無しに舌打ちした。己の気も知らないで、よくもそんなに脳天気にしていられるものだ、と思った。煮詰まってくると、天であろうが何であろうが、八つ当たりしたくなる。
「あー!!ダメだわ!」
かぶりを振り、立ち上がる。そうして、大股で、窓辺に歩み寄って、窓を開けた。
空気が入れ替わり、気持ちが少しだけ穏やかになる。すぐ下の中庭を見ると、妹が犬と戯れていた。
デボラの為にこの家に来た犬は、デボラには懐かなかったが、フローラには直ぐに懐いた。フローラも、犬の世話をしている間は気持ちが晴れるのか、昼間はよく遊んでいるのだった。
「あ!」
フローラが、慌てて駆け出す。視線の先には、犬。
「待って!リリアン!」
しかし、“リリアン”と名付けられた犬は、フローラの制止を振り切って、屋敷の柵を越えて街へ出てしまった。可愛らしい名前に反して、随分とやんちゃだった。そもそも、デボラはあの犬があまり好きではなかったし、家のものもあまり犬には興味を示さなかったため、犬は最低限のしつけしかされていない。それでも、脱走するほどのことは無かったのだが。
「デボラお姉さん!」
フローラは、三階の窓辺に姉の姿を見つけて、呼びかけた。
「わたし、リリアンを連れ戻しに行ってきます!お父さまとお母さまに伝えておいてください。」
そのようなことは、使用人に任せれば善いのに、と思ったが、フローラはもう走り出していた。
「よくやるわねぇ……」
妹の後ろ姿を見送りながら、デボラはほほえましい気持ちになった。今日の空の様な澄み切った青色の髪には、桃色のリボンが結ばれていて、彼女が走るのに合わせて揺れていた。
今、自分たちは平穏に生きている。それが、期間を限定されたものであっても、幸せには違いない。
デボラは、妹の顔を見ていると、心が落ち着いた。妹が修道院へ行くことになった時は、義父を怨んだ。神に仕えたいなどと言い出した妹を見て驚き、神様に八つ当たりをした。そして、寂しいと思った。自分の側にいてくれる“もの”が欲しいと思った。
家産を守るためには、己かフローラが婿を取るのは絶対に必要なことだ。けれども、そんなことより、己とフローラがいつまでも一緒に、幸せに生きていられれば、それで善いとも思う。
桃色のリボンは、いつしか見えなくなっていた。何処まで行ったのだろう。途端に、不安に襲われる。
不安をかき消すように、踵を返す。そうして、文机に視線を移す。
結局、義父の思うところなど、完全には解らない。義父が、デボラの気持ちを理解しなかったのと同じように。
―― 潮時だわ。
ここ数日、以前にも増して慌ただしい。おそらく、近日中にフローラの婿捜しが大々的に発表されるのだろう。それは明日か明後日か。
フローラがいなくなって寂しかった。自分だけの“もの”が欲しかった。フローラが、神様に仕えたい、と、己に訴えた時、デボラは羨ましいと思ったのだ。だから、フローラと同じように、心を捧げられる“もの”が欲しいと思ったのだ。
男どもを侍らせるのは面白かった。義父の説教を聞き流して遊び歩くのも楽しかった。けれども、どれもこれも、心の底から愉悦するものではなかった。己が為に模索する中で義父との溝は広がっていった。その所為で、フローラの夢が絶たれるとは思わなかった。
フローラの幸せの為に考えることは、己にとって必要なことだと思った。それこそが、自分だけの“もの”だと思った。
―― きっと、違うわ。ううん。そうじゃないわ。
だが、もう、何をすれば善いのか解らない。
開け放たれた窓から、冷たい風が入り込んだ。デボラは、窓を閉めようと、窓辺へ視線を向けた。その時、また風が吹いた。
文机の上に置いてあった古い伝承についての本が、風に煽られてぱらぱらと音を立てている。開いた覚えはない。
「なんなのよ。」
埃が舞ってしまう。デボラは、本を書庫へ戻そうと思った。どうせ、読んでも意味不明なのだから。
本は、ちょうどまんなかあたりの頁を開いた状態になっていた。デボラは、乱暴に本を閉ざした。その所為で埃が舞い、むせた。
―― いやね。
ひとしきりむせたあと、デボラは服に埃がつかないように、ハンカチごしに本を持って、書庫へ向かった。
書庫へ向かう間、頭の中に、焼き付いて離れないイメージがあった。
閉じる前、ほんの一瞬だけ、絵が見えた。最初にその本を読んだ時は、ただの挿絵だと読み飛ばした。竜の意匠が凝らされた、不思議な盾の絵だった。デボラは、何故か、その絵のことが頭から離れなかった。
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ええい!小魚はまだか!! ってかんじの6発目。
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