宵闇はわたしの住処なのだ。ひんやりとしてわたし以外の何も感じることはない。この中なら安心して眠ることができるのだ。
まどろみのなか、ふと頭に手を当ててみた。
昼間についた汗とほこりで髪に軽い引っかかりを感じるけど、特に何もついてない。
チルノちゃんはわたしの髪についたリボンがかわいいと言ってくれた。けど、付けたおぼえがないのだ。
頭に伸ばした手を縮め、体を丸める。
止まり木に選んだ木の枝はごつごつしてたけど、体を休めるには最適な形をしている。
力を抜いて暗闇に身を預けると、不意に下から声が聞こえてきた。
「人食い妖怪がでるってのは、ここらです」
「へぇ……」
聞きなれない声が二つ。ひとつはひどくなまった声から人里の人間だろうか。もうひとつは聞きなれない声で、まるで珍しいものを見に来たような口ぶり。
「そ、そんだな、あとは……」
「あとは私一人で十分です。お気をつけてお帰りください」
「へ、へい。せんせも、お気をつけくだせい」
足音がすごい勢いで遠ざかっていった。しばらくは静寂が包んでいたけど、下に残った人間は不意に声を張りあげた。
「人食い妖怪、でておいでー!」
あたりに声が木霊した。あまりにへんてこりんな呼び声で木から落ちそうになった。けど、人食い妖怪ということは、わたしを呼んでいるのだろうか。
宵闇を一旦解いて、下を覗き込む。
一枚の布をまとったみたいな服を着て、顔がわからない。声も透き通ったような感じで、男の人か女の人かもわからない。
まったく正体不明な人だ。
おもしろい。食べてみよう。
宵闇を辺り一面に広げて、暗闇の空間を作る。急に真っ暗になったのに驚いたのだろうか、謎の人物は「おおっ」と声を上げた。
「わたしを呼んだのは誰なのだ」
木の上からふわり、と地面に着地する。こちらからは何も見えないから、あっちがどんな表情をしているかわからない。けど、最初に一回声をあげたぐらいで特に驚いた様子はみせていないようだ。
「君が人食い妖怪、宵闇のルーミアか」
「ルーミアはわたしよ。あなたは食べていい人間かしら」
「残念。村から派遣された退魔師だよ。君は人を食べ過ぎた」
闇の中で衣を擦る音が鳴った。なにかしようとしているみたいだけど、わたしは別に気にせず謎の人物に近寄った。
地面には枯葉が山のようにつもり、ちょっと足を動かしただけでかさかさと音が鳴ってしまう。地面スレスレを飛ぶことで音を隠し、声の出所から人間の居場所を推測する。
あとは相手の首元を人噛みすれば終わりだ。
大きく口を開け、見ることができなかった顔をつかもうと腕を伸ばす。
「残念。本当に残念」
そのとたん、目の前を閃光が迸った。松明の光も通さないはずの宵闇で。
「きゃ!?」
瞳を刺す痛みと共に地面に体を落とす。体が土まみれになるのも構わずに両手を眼に当ててうつ伏せに寝転がると、上から「おやおや」という声が聞こえた。
「目撃者の話から女の子とは聞いてましたが、まさかここまで幼い子とは。本当に残念」
その言葉で、わたしは宵闇が破られているのを自覚したが、開いた瞳孔を焼く痛みにどうすることもできずにうめき声をもらすことしかできなかった。
退魔師、ということはわたしを殺しにきたということ。
体を押さえつける感触に逃げ出そうともがくが、思いのほかに強い力でわたしはどうすることもできなかった。
「村からの依頼では退治、ということになってましたが、これでは弱いものいじめに他ありません。君はこれから人を食べないと約束できたら離しもいいよ」
「そうしたら……餓えて死んじゃう」
「別に食べるものは人以外にもあるでしょうに。ここなら湖が近いから魚もとれるし鹿とか兎とかの野生動物もいる」
「どうしても人間を食べたい……。だから……」
「妖怪としての習性でしょうか。残念です」
そう言うと退魔師はわたしの背中に座り込んだ。肺が圧迫されて醜い声がもれる。
そして、空いた手で髪をなでた。
「これで人食いとしての力はある程度抑えられるでしょう。まあ、ちょくちょく人を食べたくなることはあるでかもしれないですが、他で代用可能なくらいには落ち着くでしょう」
そう言って退魔師はわたしの上から立ち上がった。
だいぶ眼の痛みも引いたのでわたしは体を起こすついでに頭を触ってみる。
特に何もついてなかった。
「自分で取ってしまったら意味がないですからね。その御符はルーミア、あなたではさわることはできないようにしてあります」
顔を上げると、だれもいない。宵闇だけが辺りを支配していた。ひんやりとした空気が頬をなで上げた。
「ルーミア。あなたはまだ幼い。人間に比べれば長生きでしょうけど、妖怪としてはまだまだこれからです……×××」
なにか言ったような気がしたけど、宵闇がすべてをかき消してしまったのだ。
おかしいのだ。今は宵闇の力は使っていないはずなのに。
どうして……。
†
「んにゅ……」
瞳を擦り、ルーミアは大きく手を上げて上半身を伸ばした。未だに宵闇が周囲を覆っていたが、小鳥の鳴き声と妖精たちの声から朝が来たということを感じさせる。湖から吹き流れる冷たい風が寝起きの頭に渇をいれてくれた。
湖まで宵闇を張りながらふよふよと飛び、何度か木にぶつかりながら岸まで行くと、水面を大きく波立たせながら顔を洗う。すると、どこかから「るーみあー」と聞き覚えのある声が聞こえた。
宵闇を解くと、すぐ目の前の水面にチルノと大妖精が浮いているのが見えた。青い氷のような羽とみどりの羽を羽ばたかせている。
「おはよー」
「おはようございます」
「おはようなのだ」
ルーミアは濡れた顔をふって水気を飛ばした。
朝一番で友達と会えたルーミアは、「そういえば」と、さっきまで脳裏を掠めていたことを話してみよう、と思った。
「夜に変な夢を見たのだー」
「へー」
「どんな夢ですか」
「んっと……」
思い出そうとして、しかし、掌に水を入れたように夢の内容がこぼれ落ちてしまい、じきに言葉が口を出なくなってしまった。
どうしても思い出したくて、頭に手を当ててみた。
特に何もついてなかった。
「……わすれたのだ」
「えー。期待させておいてそれはずるいぞ」
「夢はすぐに忘れちゃいますからねぇ」
「むー。残念なのだ」
「それよりも、この先に魚が群れてるのをみつけたんだ。ルーミアも一緒に魚獲りに行こう」
「おー。あさごはんなのかー」
そう言ってルーミアは空を跳び、2体の妖精とともに笑い声を残して、朝霧の中に消えていったのだった。
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今回はルーミアが主役。一人語りにさせるつもりが変な一人称になっちゃったのがちょっと心残り。ちなみにこの話にでてくる謎の人物はどことも関係ない突発的にでてきたキャラクターです。書いてるうちに勝手にでてきたというかなんというか……。