言い合いの彼方
「おまえなぁ!自分が間違ってるってことを少しは認めたらどうだ?そんなものあるわけないだろ、全部作り話だよ。常識で物事を考えろよな!」
激しい口調で男は怒鳴った。狭いアパートの部屋の中、空気はまさに険悪そのもの。
言い争いを始めてどれほどの時が流れたのか、お互いに強情な男と女は、いつ果てるともない戦いを繰り広げている。
「なによ、あなたこそいじいじと、男らしくないわね。この世には常識では計り知れない事だってあるのよ!少しは柔軟な頭を持ったらどうなの?そんなんだからいつまでも出世できないのよ」
「それとこれは関係ないだろう!おれはお前が間違ってるって言ってるだけなんだよ」
「何でもかんでも自分の考えを押し付けないでよ!人の意見くらい受け入れないと進歩しないわよ。ただでさえ無能なんだから・・・」
男の勢いに気をされることなく女の反撃が続く。
口では男は女に勝つことはできないのがこの世の常。この男も例外ではない。
「ろくに稼ぎもしないで言うことだけ一丁前にならないでよ。あなたなんて私がいなかったら何にもできないじゃない。まったくなんでこんなろくでなしと・・・」
ずばずばと言いたい事をいい続ける女。
実際、男は女に頼りきっていたところもあり、否定もできず黙っていたがそれも限界がある。男はかっとなり自分でも思わぬうちに女をこぶしで殴り倒していた。
女もまさかの出来事に身構える暇もなく倒される。
運悪く、後ろには椅子の背もたれがあった。
背もたれは女の後頭部を打ち、激しい音を立てて床に倒れる。女も椅子とともにたおれ、そのまま動かなくなった。
「お、おい・・・大丈夫か?」
男は正気に返り、倒れている女に駆け寄り抱き起こす。
そっと女の頭を抱えた男の手にはまだ生暖かい、どろっとした液体が触れた。紛れもなくそれは女の鮮血。
床は見る見る赤く染まっていく。
「ひいっ」
男は女から離れ真っ赤に染まる自分の手をカーテンにこすりふき取った。
男はあわてて周りを見回すと自分の痕跡を消すように身の回りのものを持ってその場をはなれた。
あれはどう見ても助からないだろう。ひとまずここを離れて逃げなくては、おれは悪くない、おれは悪くない・・・
からまりそうな足取りで男は部屋を飛び出していった。
痛ったぁ、殴るなんて最低ね。男が女に手を上げるなんて・・・
女は頭に鈍い痛みを感じながらも意識はしっかりとしていた。心配そうな顔で男がふらふらと近づいてくる。
そうだ、いっそ死んだ振りして懲らしめてやろう。私に手を上げたことを後悔することね。
女は息を殺して体の力を抜く。目だけは薄目で男の怯える様を観察し続けた。
ふふふ、怯えてる、怯えてる。いい気味ね。あら、ちょっとそのカーテン高かったのに!え?まさか逃げる気?!救急車呼ぶとか応急処置とかできないのかしら。自分のやったことには責任を持ってよね。信じられない!無責任ね。
扉が乱暴に閉められ、どたばたと足音が遠ざかって行った。
男が部屋を出たことを確認すると女はゆっくりと体を起こした。
「ほんんんっと、最低ね。人殺しして逃げられると思っているのかしら。馬鹿なんだから」
女が自分の頭の傷を手当てしようと思ったその瞬間。外から急ブレーキの音が響いた。
甲高いブレーキ音に続いて何かが跳ね飛ばされる鈍い音が続く。女は頭の痛みも忘れて窓から表の通りを覗いた。
そこには今まさに走り去る車と道に倒れる人の姿があった。
それは今さっきこの部屋を飛び出した男の変わり果てた姿だった。路面に広がる赤い模様は男の状態が尋常ではないことを示していた。
「うそ!まさか、死なないでよね!」
女はあわてて部屋を飛び出し、道に倒れた男のもとに向かった。
記憶にあるのは宙を舞ったあたりからだ。
あわてて飛び出したおれを、車はよけることができず跳ね飛ばし、そして逃げた。おれがあいつにやったことと同じだ。地面にしこたま打ち付けられたためか体中が痛いが以外に意識はしっかりしている。少し休めば動くこともできそうだ。打ち所が良かったのか結構平気だ。おれは運がいい。
そうも言っていられないか、急いで逃げなくてはいけなかったんだ。こんなことでおれの人生をメチャクチャにするわけには・・・
男はゆっくりと目を開ける、そこで男は信じられないものを目にした。窓から女がおれのほうを見ているのだ!
あいつ、生きてやがったんだ。死んだ振りしていたんだな。まったくあいつのせいで危なくおれが死ぬところだったぜ。
あ、そうだ、お返しにおれもこのまま死んだ振りをしていよう。あいつが生きている今逃げる必要もなくなったしな、お返しに脅かし返してやれ。
男は地面に倒れたまま女の来るのを待った。
すぐに女はやってきた。薄目で様子を伺うと、女はおれの目の前で涙を流している。少し罪悪感を感じはするがいい気味だ。
その場に立ちつくす女の前に黒い背広の男が声をかけた。
(なんだ?誰かが警察でも呼んだのか?)
男は女と背広の男のやり取りを盗み見ていたが、残念ながらこの距離では二人の言葉は聞こえない。
(くそ、なにを話しているんだ?)
男はやきもきしながらも、息を潜め続ける。女の顔が一瞬驚愕にゆがんだ。何か相当ショックなことがあったのか。しかし、すぐに女はキッと顔を引き締め男のほうに歩み寄った。
(なんだ、なんだ?もっとすまなそうな顔をしろよな、お前のせいでおれはこんな目にあってるんだぜ)
「ちょっと!いつまで寝てるの!」
女は今にも横たわるおれを蹴飛ばしそうな勢いで言った。
「気がついてるんでしょ。やっぱり、『あの』件は私のほうが正しかったのよ」
(なにを言ってるんだ?打ち所が悪かったか?)
「まったく、私に足があったらあなたを蹴飛ばしてるところよ」
(足?)
男は目線をゆっくりと女の足もとに移した。そこに女の足は・・・無かった。
「え?まさかお前!幽霊!!お、おれが悪かった~!」
男はあわてて飛び起きると女に向かって手を合わせた。
「なんまいだなんまいだ・・・」
「なに言ってるの、自分の後ろを良く見なさい」
男は言われるまま、そっと後ろを振り返った。そこには手足があらぬ方向を向き、体中から血を流した自分の姿があった。誰がどう見ても生きてるとは思えない。では、ここにいるおれは・・・
「!!」
「わかった?あなたも死んでるの。そうそう紹介するわね。私たちを死後の世界に案内してくださる死神さん」
いつの間にか目の前に背広の男が立って恭しくお辞儀をしている。
「これでわかったでしょ。私が言ったとおり、死後の世界は存在するのよ!」
どど~ん、てなもんだ。勝ち誇ったように女は男を見下ろす。
「わかったら早くついてきなさい、死神さんに死後の世界とやらを案内してもらうんだから」
「お、おい・・・いいのかよ、死んじまったんだぞ」
「私が誰のせいで死んだと思ってるの!」
そういわれると男には言葉の返しようもない。
「行くわよ」
「はい・・・」
結局おれの立場は死んでも変わらないのか、
男は女の後をついて歩きながら、今度はしっかりと女に対しての殺意を持っていた。
(幽霊ってどうやったら殺せるんだろう?)
END
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男が口で女に勝つことなどできない。つい男は・・・