『さきほど、米軍による攻撃が始まりました!』
真っ先に映し出されたのは戦争の一風景。
またどこかの地域で戦争もしくは紛争が起きたのだろう。もはや日常の片隅で溶け込んだ、当たり前のことだった。
だが、米軍という言葉が出てくるのは珍しい。アメリカはかつての警察的機能を世界合併現象によって失い、自国防衛に専念していた。さらに国連が独自の軍隊を持ち、日本にも特別護国局が設立されてからは他国に軍隊を派遣する意義を失った。つまり、今見ている光景はアメリカのどこかで起きていることになる。
『そしてご覧下さい! 米軍の攻撃に反応するかのように、朝日を浴びて摩天楼を美しく飾る物体が活動を開始――キャッ!』
ヘルメットを被った女性レポーターが指差した先、そこには巨大なシャンデリアとも言うべき物体が浮かんでいた。
大小様々なパネルとファンで構成された本体に、その下に浮かぶ十二枚のパネルが近づこうとするミサイルや戦闘機を追い払う。朝日を浴びて白銀に輝くその姿は、悪寒を感じさせながらも美しいと思わせるほど輝いていた。
十二枚のパネルを駆使して沿岸沿いに配置された戦車の弾幕、上空を駆ける戦闘機のミサイルその全てを防いでいる。全方位からの攻撃にも関わらず、ミサイルどころか銃弾ひとつすらも通してはいない。
『昨晩出現した謎の兵器と思しき物体はパネルの筒を展開し、自在に操って近づこうとする戦闘機を掃おうとしています! 米軍の猛攻にも関わらず、謎の兵器は破損するどころか反撃を窺っているようです!』
当たらない。
海上で艦隊を組んでいる巡洋艦の火器管制による発射されたミサイル群が煙を吐き出しながら高々と舞い上がる。艦上を飛びだったミサイルは垂直に上昇し、何者よりも高い位置に達すると反転。シャンデリアのはるか上空から降り注ぐ。
しかし、パネルは見透かしたかのように上昇。まるでコバエを振り払う仕草でミサイルを一掃した。あまりにも呆気ない。
そのわずかな隙間。
たった一枚抜けた隙を狙って戦闘機が飛び込み、シャンデリアの腹にありったけの火力をぶつけた。
(――キャッ!)
爆炎と衝撃で画面が揺れると同時に、小さな悲鳴が聞こえた。
噴煙をまき散らしながら砲台は大きく傾く。バランスを崩し落下するように、しかし、まるで子供が怯えてしゃがみ込むように。
『今、米軍のミサイルが当たりました! その衝撃はここまで届くほどで、あの物体が大きく傾き…!』
レポーターの声が途切れる。
その瞬間、甲高い金属音を発しながら戦闘機が砲台にぶつかった。巧みな操縦でミサイルを命中させた戦闘機だったが、離脱するよりも早く砲台は落下して行く手を塞いだのだ。パイロットが脱出した様子はなく、もはや生存の見込みはないだろう。
『激突です! ミサイルを放った戦闘機が離脱しようとしたところに、運悪く』
(――あ、当たっちゃったよ! あ、街に三角が! ど、どうしよう…!)
テレビではひしゃげた戦闘機が高層ビルに墜落し、爆発を交えながら炎上する映像を映し出す。まるで映画かアニメに出てくるような映像だ。
だが、今、海をまたいだ向こう側で実際に起きている生まれたばかりの歴史の映像。レポーターも興奮せずにはいられないのだろう。恐怖と隣り合わせでありながら、マイクを放さず口を忙しそうに動かして放送を続ける。
『ここ、ロサンゼルスにいつもの煌びやかな光景はなく、今や戦場となっています! 叩き落とされた戦闘機は市街地に落ち、ビルの一部が破損して炎が上がっています! しかし、決定的なダメージは与えられていないようです!』
シャンデリアにズームとワイドを繰り返し、米軍が放つ攻撃の衝撃にピントがずれる。そして揺れる放送は一人の少女を映し出した。ピンク色をした長髪の少女だ。位置からして大砲の一番天辺だろうか。ガラス張りのカプセルの中で、“彼女”はへたり込んでいる。
以降は攻撃の衝撃で鮮明に映せていない。幻影だったかもしれない。
だが、それでも考えずにはいられなかった。
「ちょっと確認するけど、あんたの真下って建物が燃えてない?」
(――え、あ、うん。よく分かったね)
危機感が感じられない、間の抜けた回答に目の前が真っ暗になった。
「……なんでそんな所にいるのよ…」
(――ふぇ?)
「ふぇ…じゃない! なんでそんな所にいるのかって聞いてんのよ!」
さもそこにいるかのような反応。
映像とダイレクトに繋がる挙動に、もはや疑うことはない。
“彼女”はそこにいる。声だけを聴き続けて姿も形も変わらなかった“彼女”が、最悪の脅威を箱舟にして現れたのだと断言できる。
(――し、知らないよ…。ここに来たのだってちょっと前だったし、どうして攻撃されてるかも分からないし…)
「兎に角、そんなとこいないですぐに降りて! そんなもんがいたんじゃ誰だって攻撃してくるわよ!」
(――え、え?! なんで?! どうして?! あたし何もしてないよ!?)
「それでもなのよ! この世界じゃ、そんなものが浮かんでたら問答無用に攻撃されるわよ!」
(――で、でもあたし、ここから出たことない……)
「出たことないって……じゃあどうやって乗ったのよ?!」
(――わ、分からないよう……)
泣きそうな声で喚きながらも、シャンデリアは体勢を立て直す。ゆらりとパネルを揺らし、豪雨のように降り注ぐ弾幕を避けながら、しかしどこに逃げたらいいのか分からずに右往左往している。
今は問答している場合ではない。“彼女”がここに留まっては戦火は大きくなるばかり。降りる手段を探す前に逃げることが先決だ。
「どこに逃げようにも、海には艦隊がいて、でも内陸は…駄目、そんなことしたら本当に何仕出かすか分かりゃしないし」
考えている間にも攻撃は苛烈を極める。
離れろと言ったが、逃げ込む場所も道も定かではない。遠く離れた場所から言っているだけの自分がもどかしい。
嗚咽にも似たすすり泣きはいつまでも止まらなかった。
「そうだ、沿岸沿い! それに沿って移動すれば正面から待ち構えられることはない!」
前にも後ろにも逃げ出すこと出来ない中、苦悩の末に見出した逃げ道は沿岸に沿うことだった。海上と沿岸からの攻撃に挟まれた状況で唯一の穴とも言えた。南下したのは、北上してもその先には未だアメリカが待ち受けている。アラスカに駐留している軍隊だ。待ち伏せを受け、さらに背後から追撃部隊もしくは弾道ミサイルが撃ち込まれればもう逃げ場はない。
(――えん、がん? 砂浜に沿って進めばいいの? そうすればもう大丈夫?)
「だ、大丈夫! ちょっと戦闘機(コバエ)が舞うかもしれないけど、そこから離れれば勝手に消えるって!」
自信など皆無だ。いや、最初からないのかもしれない。
それでも泣き止まない“彼女”を放っておくことなど、気休め程度にすらならない偽りの言葉だが春香にはできなかった。
一方、テレビでは米政府や世界の動きを事細かに伝えていた。パニックは西海岸に留まらず、アメリカ全土に広がりつつあった。沿岸に暮らす民間人は内陸へと逃げだし、入れ替わるように軍隊が追撃に向かう映像が繰り返し放送された。
その場を離れてから数十分。ようやく軍の追撃を振り切った。否、正確には追撃が中止されたらしい。戦闘機が最後まで追っていたが、作戦の中止が言い渡されたらしくいつしかその姿を消していた。装攻機がいないのが幸いした。
それでも“彼女”を追うものはいた。世界中のテレビ局のヘリコプターだ。シャンデリアの周囲をテレビ局のヘリが飛び交っている。軍が離れるとほぼ同時に、一定の距離を保ちながら延々と撮り続け、ほぼリアルタイムでお茶の間に映像が届けられていた。
結局、“彼女”の様子が心配でテレビの前から動くことはできなかった。いつ事態が動くか分からないために離れられることができなかった。
『米軍が攻撃に失敗した今、今後どのような展開になると思いますか?』
テレビでは、元官僚やどこぞの大学教授などが出席してシャンデリアへの対策例や今後の行動について話をしている。どれも的を得ているようで、しかし実際はどうなるかは全く分からないというおふざけにも似た言動ばかりが繰り返されている。
『だから! ヨーロッパの異欧戦争に参加している特別護国局を派遣させれば済む話だ! もう二百年も異欧戦争に参加しながらGDを三つも撃破しているではないか!』
『そんなことをすれば欧州は一気に崩壊するぞ! 五四年の悪夢を再来させるつもりか!』
この様子ならば、最終的に言われている特別護国局さえ出てこなければ当分は持ちそうだ。
シャンデリアといえば、依然続く生放送やインターネットから幾一情報が届けられている。さらにメトにゃんに持ってきてもらったノート端末で詳細を調べれば、すぐに居場所は判明した。カルフォニア州を通り過ぎて、メキシコとの国境上空を通過している。呼びかけても反応はないが、沿岸沿いに進めという指示には従っているようだ。
しかし、あれからすすり泣きが止まることはなかった。
(――もう…もうやだよ)
ノート端末とテレビを見比べていると、“彼女”が突然口を開いた。
(――なんでどこに行っても皆虐めるの? どうして…? 何で…?)
この世界の情勢はとても危うい状況にある。
唐突に世界を塗り替えてしまう世界合併現象に迷い込んでくる異邦人。欧州の戦争は二百年も続いているというのに未だ終息する気配を見せずに犠牲者だけが増えていくだかりだ。さらにはいつ出没するか分からないGDと呼ばれる謎の兵器。
もし“彼女”を分類するとすれば、おそらく後者だ。
後手に回ればやられる。善か悪か友好的かどうかに関わらず、世界は現れた未知な存在をそう認識しなければ自分たちが滅ぼされる。そんな強迫観念がこの二百年の間に人種問わず全ての人々の中に植えつけられていた。
「……こんな時に聞くのも何だとは思うけど、キミは何者なの?」
(――え?)
春香とて例外ではない。
そんな教育は嫌というほど受けてきた。世界合併現象が発生してからの歴史。能力者の出現に異邦人との戦争。そしてGD。彼らは普通ではない全く異なる滅ぼすべき存在なのだと、まるで洗脳のような授業だった。
今までになかった淀み、不信感が心の奥底で芽生えているのが分かる。
(――分からない。気がついたときからずっとここにいて、色んな場所を回ってきた。だけど、どこに行ってもみんな奇怪な目で見て、初めて会話したのが春ちゃんだったんだよ)
だというのに、会話の向こうで泣いている“彼女”は、ごく普通の人間だった。気弱でいつも泣きそうな声ばかりをしていた、どこかにいそうな普通の少女だ。しかも“彼女”も突然の出現と攻撃に怯える被害者なのだ。そして今も泣いている。
春香は思う。
なんでこんな出会い方したんだろう。
どこか諦めた、絶望感が漂う口調で続ける。
(――なのに……やだよ。もうあんなことしたくないのに……このままじゃ、また)
「また……? またって……」
と、テレビの向こうでは慌ただしくなった。日本のテレビ局から、朝日が昇る現地のヘリコプターの中に画面が切り替わった。
『たった今、米軍から退避勧告を受けました。どうやら米軍は新たな作戦に移るようです』
テレビに映ったレポーターが口早にそう伝える。
『勧告を受けたのは撮影を続けていたヘリ全てで、同行していた他局のヘリもあの兵器から続々と離れていきます。私たちを戦闘に巻き込むのを防ぐためらしいですが、その作戦内容は不明です』
一気に緊張感が高まった。
(――……みんな離れてる。終わったの?)
誰かに見せるわけでもなく首を横に振る。
「また……始まるのよ」
“彼女”が息をのむのが聞こえる。
だが、シャンデリアはよほどの攻撃でないと破壊するのは不可能だ。いくら通常装備の米軍が攻撃しようとも、先の戦闘を見る限り傷ひとつ与えられないのは百も承知である。同様に装備が銃火器で揃えられている装攻機も変わらないだろう。
「でも、どうやって」
『他にも、国境沿いの住民に退避命令が下されたらしく、それはメキシコ政府にも同様の連絡があったらしく、上空から住民が移動するのが見えます』
米軍が他国に通告し、民間人を退避させてまで攻撃する意味はどこにあるのか。
欧州で活動している特別護国局に応援を頼んだのか。しかしそのような報道や情報はない。援軍を出したとしても到着するのはまだ先の話だ。今すぐ退避させる必要はない。
それとも――
(――あ……)
「もう来たの?!」
(――う、ううん。違うけど……空に変なのが飛んで)
『米軍がどのような攻撃に出るか一切わかりませんが、私たちも戦闘に巻き込まれないよう避難して、あ――』
(――あ)
「あ……」
カメラが写しだしたのは大型の飛行機だった。
海を泳ぐマンタを想像させる黒いひし形は、正確な名前は分からないがその特徴的な輪郭と能力からかつてはステルスと呼ばれていたソレに似ている。それが一機。取材ヘリやシャンデリア、雲よりも高い大空を独走していた。
何もさえぎる物のない真っ青な空を舞うステルスから何かが落とされた。黒い点にしか見えないソレが重力に引かれる中、ステルスは加速しその場を離れようとするのが見えた。
一つ置いて行かれた点は落下する。
徐々に高さを失っていく黒い点は次の瞬間、画面を白く覆い尽くした。
(――きゃあああっっ!)
耳を切り裂くような悲鳴。
テレビにノイズが走り、ブラックアウトした。神妙な面持ちをしたキャスターが出てくると、通信が切れたらしく回復し次第放送を再開するとだけ言うと画面はテストパターンに切り替わった。
瞬く間だったが、混乱と不安が入り混じった荒々しい声が飛び交っていた。
(――いや、イヤーーーッッ!!)
何が起きたのか分からない。
「……な、なんなのアレ」
否、正確にいえば理解できないだ。
米軍のステルスが投下したのは爆弾なのは間違いない。だがたった一個の爆弾でヘリコプターと通信が切れるような状態に陥るだろうか。ネットでも今の映像が話題を呼び、様々な議論が好き勝手に行われている。どれも根拠のない持論と偏見が展開する中、突然の事態と不安を象徴するかのようにある名前が飛び交う。
――核爆弾。
背筋が凍った。
世界の常識が崩れてから二百年経つが、どのような事態であっても使用することがなかった正と負が二律する最悪の兵器。教材から学んだだけの知識だが、それでも十分すぎるほどの恐怖がそこにあった。
それが、今使われたかもしれない。
ありえそうで、ありえなかった三度目の炎。
その不鮮明で不安をあおるような現実が、今もなお変わらない映像と合わせて不気味な沈黙だけが深く圧し掛かる。
「にゃ……(あ……)?」
一緒にテレビを見ていたメトにゃんが不意に頭を押さえた。
「にゃにゃあ…にゃあ(魔力の流れが乱れて…気持ち悪い)」
顔を真っ青にしたメトにゃんがふらふらと倒れそうになるのを両手で受け止める。辛そうに丸くなる背中を、指先でゆっくりと優しく撫でてやる。
『突然ですが、先ほど米政府から発表がありました』
落ち着いてメトにゃんから寝息が聞こえた頃、放送が再び再開していた。
しかし現地からの中継はない。
神妙な面持ちでキャスターと解説者が座り、
『“米軍が使用したのは開発されていた新兵器で“魔核”と呼ばれるもので、退避に遅れたジャーナリストがいるらしいが、巻き込まれたかは不明。また、ロサンゼルス沖に出現したシャンデリアがどうなったかは分かりません”との事です』
『しかし、魔核というのはどのようなものなのでしょうか?』
『魔力というのは、かつては漫画やアニメには馴染み深い言葉ですが、一般的に光と同様の性質を持った物質だとされております。内包されているエネルギーは光とは比べ物にならないほど高く、二百年前の混乱に合わせて発見され、今では原子力に代わる新たな次世代エネルギーとして活用されているものです。それが爆弾として活用されたモノと見るすべきでしょうね』
『実際にどれほどの威力があるのでしょうか?』
『憶測ですが、既存の兵器のどれよりもあると思います。おそらく核兵器よりも上じゃないでしょうか』
現地の映像を見ない限り正確にはわかりませんが、と解説者は締めくくった。
「事のつまりどーなったのよーっ!」
結局、分からないことをさも詳しい風に言っただけであった。
その後も延々と憶測で語っていく姿に嫌気が差し、テレビの消した。通信は繋がらず情報もない、隔絶した中では仕方のないことかもしれないが、何を知っていて語っているのが溜まらなかった。
あの悲鳴から“彼女”は何も言わず、メトにゃんは時たま気持ち悪そうに身震いするが手の中で眠っている。しかし、“彼女”と通話する以外能力を持たない春香は何もできない。ただ時間だけが流れ、それは永遠にも感じられた。
(――あ、ああ……)
声がした。
(――そんな、どうして…)
しかし、“彼女”の声は今までは違い、絶望や嘆きに染まりきっていた。
無事だったことを安堵するよりもその事に驚き、何と声を掛けるべきか分からない。
『ただいま入った情報です! 衛星カメラからの映像です! 国際宇宙ステーションが爆発した瞬間を撮影したもので、映像の中心に国境上空で爆発しているのが映っております! しかし――』
そうして映し出された映像では、白い閃光に続いて黒い火球が膨れ上がる。
爆発の瞬間だ。閃光を飲み干し、黒い火球は膨張し続ける。それはメキシコとの国境その半分を巻き込み、衝撃波が突風となって地球上を駆ける。噴煙が去った後には、抉れた大陸と、衝撃で薙ぎ倒されさらに火災によって燃え広がろうとする木々が見える。避難の勧告とする時間を考えれば巻き込まれた人間は指一本を万としてもお釣りがつく。
それだけで、魔核の凄まじさが分かってしまう。
「まさか!」
“彼女”の声があった時点で、予想はしていた。
シャンデリアは、黒い煙と光の中で不気味な影を映しだしていた。そこから見た限り、欠損した様子はない。多々の犠牲にした一撃に、“魔核”と呼ばれるあの兵器は全く効果を上げていなかった。
それだけではない。
膨張していた黒い光が止まった。鼓動するように震える光。減衰とも言っていい。
そこから這い出てくるシャンデリアが、白銀の城に一片の濁りはなく、全てが無意味だといわんばかりに現れた。暴風と爆発に幾枚のプレートを揺らしながら、十二枚のプレートに集まるように暴力の光が吸い込まれる。
汚水を飲み干し、周囲のことなどいざ知らずと振る舞う。
そして――プレートが踊りだす。
『米軍の魔核によって、あの兵器は一気に攻勢に転じました!』
回転するプレートから放たれた一筋の光が大地を割り、アメリカ大陸を分断した。
アメリカからメキシコへと至る道は全て抉り取られ、減衰しない光ははるか先のアフリカにまで至った。噴き出した溶岩に町は呑み込まれ、逆流した海水に押し流され、国境周辺はまさに地獄と化した。
(――ごめん、ごめんなさい。もう、止まらないの……)
「どうして、こんなこと…!」
(――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……)
“彼女”は謝るばかり。
タイムラグのある映像。つまり今この時、現地ではそれ以上の被害が出ているはずだ。もう想像するだけで吐き気が襲ってくる。
そう。予想はしていただけに、あの破壊力を見せ付けられた後には恐怖が広がっていた。そして裏打ちされた恐怖が強張り、ズッシリと心に圧し掛かる。
『そして……一時間前ほど前に、欧州で活動していた特別護国局が部隊を分けて派兵したとのことです! おそらくロサンゼルスに出現した兵器をGDとし、殲滅に向かったものと思われます!』
(――え、な、何アレ、あ、きゃあ!)
そして来てしまった。“彼女”を滅ぼさんとするために、日本の防衛庁と国連の暫定軍との間に設立されたという、異邦人の狩るための最悪の軍隊。いまだ常備しきれていない装攻機を揃え、降魔師までも組織に取り込んだ、まさにこの世界を象徴する部隊だ。
(――やだ! どうして、どうしてあたしばかりこんなことになるの! 教えてよ春香、春香!)
「……」
もうこうなってしまってはどうすることもできない。悪魔であろうと異邦人であろうとGDであろうと、目の前にたった存在全てを滅ぼしてきた。設立当時、数十年続いた紛争さえも、武力のみで薙ぎ払い終わらせたという。
その暴力の塊が現れたのだ。かつて図書館で見た映像には、燃える木々と焼け野原と硝煙、偶然映った今も変わらない局長の姿。だから、映像も音もなくても、ことの結末がどうなるか用意に想像がついてしまう。
もう“彼女”は逃げられない。
“彼女”に待ち受けるのは――
(――ねえお願い! たすけて、たすけてよ! もうイヤなのに、世界が燃えるのも、虐められるのも、イヤなのに! なんで…なんで!)
大丈夫だと言う言葉も、励ます気持ちさえも、何も生まれてこない。
“彼女”の悲痛な声ばかりを聞くことしかできない。いくら歯を食いしばって耳を塞いでも、それは直接脳へと送られてくるたった一人の阿鼻叫喚。恐怖が募る心をさらに抉る悲鳴に、春香はただただ恐れた。
そして、どれほど聞いて、何分経ったか分からないほど続いた悲鳴は、いつしかサッパリ消えていた。
遠くで、母親が帰ってきた声がした。
見放してしまった罪悪感と恐怖に動悸が激しくなる中、眼を開け時計を確認すると時針は十一を指していた。
『速報です。欧異戦争の最中、部隊を分けて出動した特別護国局がロサンゼルスに出現した兵器を正式に四番目のGDとし攻撃、破壊したとのことです。詳細な情報はまだ入ってきておりませんが、入り次第お伝えします』
それからどれほどの月日が過ぎただろうか。
特別護国局の介入によって、のちに名付けられた四番目のGD殲滅戦は終えた。呆気ない幕切れに、だがそれは同時に既存していた世界保障を滅ぼす起因となった。
アメリカが世界に誇っていた軍力は無力だと知り、国連の国連軍創立や降魔連盟の能力者確保に拍車を掛けた。その波は各国ではアメリカに依存しない軍備増強が推し進められ、ついには政治の世界にも飛び火。アメリカの発言力は地に落ち、誰も見向きもされず、ついには孤立を招いてしまった。かつて栄華と正義を誇った国の姿はない。
当時を振り返っても、生まれてくるのは感慨と哀愁だけ。空しいものだ。
そして周りを見れば、誰も彼もが知らない人で、見知った人の顔は一つもない。
「……」
誰もがすました、興味の指針を閉じて歩いている。
それが何故か悔しい。腹立たしい。
彼女はあんなにも苦しんで、悩んで、心を病んで死んでいったというのに、どうして誰もそのことを知らないのだろうか。
『先日東京都で起きた大規模な爆破事件で、警察は未だ解決の糸口を見つけていません。一部ではテロによる犯行とも言われておりますが、検察は出張で東京都に訪れ事件に遭遇した特別護国局の逆月宗一局長に当時の様子等を事情聴取を行っているという情報も入っております。しかしこれは――』
その一角で、巨大なモニターに映し出された逆月宗一の姿を見つけた。
彼がいなければアメリカのみならず、周辺各国や戦争をしていた欧州にまで被害が拡大していたかもしれない。暴走する“彼女”を止める術はあの当時――否、今も変わらず破壊しかなかったと思う。
だが、それが彼女を――春香を苦悩させてたまま死に追いやったことに違いない。
「にゃふふ」
路地裏に隠れるようにして、メトは見上げていた。
GD-4と命名された“彼女”が滅ぼされた後、春香は人が変わったように打って変わって笑わなくなった。まるで親しくなるのを拒むように、人との付き合いを遮断した。それは学校や家族だけでなくメトにまで及んだ。
誰にでもちょっかいをだし、無理矢理にでも笑わせようとしていた彼女の面影はなくなった。
それからも、人との付き合いは必要最低限。家を出て一人で暮らし始めても、誰とも会話することもなく、ただ働いて食事を取って寝るだけの日々を続け、誰にも看取られることなくこの世を去った。
「にゃにゃ(ざまぁみろ)」
公衆の面前で犯罪者扱いされる宗一を見て、つい鼻で笑った。
こうして笑ったのは何年ぶりだろうか。
彼女の死を初めに見つけたのがメトだった。
家を出た彼女を追ってずっと探し続け、ようやく見つけた時には息一つなく、全てを諦めた絶望を貼り付けた表情で倒れていた。そして机には、あの日から書き続けていたのだろう自問自答が幾度となく書き綴られていた。
――どうして世界を救うだけの力を持っていながらたった一人を救えなかったのと。
それを読んでからというもの、メトは逆恨みだと知りつつもずっと宗一のことを憎んでいた。意味も理由もない。ただ、いつも一緒に居てくれた春香を思い出すと辛くて、苦しいから、逃げるための口実として。
「……にゃあ(……はぁ)」
溜息を一つ。
それからはどこにも寄り付かず、無駄に長く時間を過ごしてしまった。
気がつけば三百年に近い。当時では合法とされていた使い魔のペット化も、この時代では規制されて持てるのは一部の降魔師のみとなり、今ではメトのような存在はいない。
市販されていた程度の使い魔がここまで長く生きられるとは、メト自身驚いている。
正直、長生きできてしまう自分が腹立たしい。
「にゃ(ん)?」
路地の奥が騒がしくなってきた。
にゃあにゃあにゃあにゃあと数匹の猫が一匹の子猫を威嚇している。子猫がゴミ箱に入っていた魚を見つけたのを、他の猫が奪おうとしているようだ。魚を見つけた子猫は囲まれて怯えている。その程度で歩く人間が気付くことはなく、一触即発の雰囲気が漂っている。
「にゃにゃにゃにゃー(その喧嘩、ちょっとまったー)!」
踵を返して子猫を庇うように割り込むと、猫たちの視線がメトに向けられた。
どうやら彼らはここら一帯を縄張りにしている集団のようだ。縄張り意識が強い猫だけに、新参者であるメトに対して牙を見せて強く威嚇していた。
しかし、その程度の威嚇で怯えるメトではない。
彼らを見渡し、最後に子猫を見て頷く。
もう安心だと、そして――
「にゃにゃにゃにゃーん(その魚、ボクがもらったー)!」
一斉に猫たちが襲い掛かってきた。
しかし、間一髪で迫る爪をかわし、魚を銜えて逃げ出した。
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幸せはいつまでも続かない。必ずどこかで、それは唐突に終わってしまう。それがどんなに楽しかろうと、不条理はすぐそこにあるのだった。