【幽霊学校】
さて、まずは私の話しをしようか。
私の名前は秋月小夜。私立南ヶ丘学園に通う今年で十七歳の女子高生だ。つまり、経済ヒエラルキーの最下層に位置しています学生な訳です。特にバイトとかをするのでもなく、学校に通いながら一人暮らしを満喫している今日この頃でございます。一人暮らしの女子高生って、なにかエロティックな響きがありますよね。本人がこんなこと言うのもなんですが。
さて、これから語るのは新学期が始まってから直ぐのお話。私の通う学校にある『咲かない桜』にまつわるお話。いや、てゆーか私の今後の生活方針を決めてしまった事件についての話だ。
そう、屋上の『咲かない桜』で、真っ赤に染まった花びらに包まれた世界で私はあの人と出会った。自称吸血鬼の蒼い瞳の男性――――――浅見屋双司と。
◇
ヒラリ、ヒラリと周囲を包む桜の花びら。その姿は既に幻想。その花弁は一枚一枚が人々を虜にする。
だが、その桜は血色の桜。それは一人の女の怨念の塊。この怪奇を目にした人間は、彼女の悲しみに満ちた悲鳴を聞かされながら桜の木に取り込まれてしまう――――――――。
「――――――ってな話し知ってる?」
と、いきなりこんな話をしてきたコイツは『秋山香織』。我らが南ヶ丘学園の問題児と言われる人間の一人で、自称『華麗なるミステリー女』。つまり変人その一。ちなみに他称は『紙一重のアホの相方』である。その相方は決して私ではないことをここで言っておこう。アイツとセットに扱われるのだけは勘弁してください。
そのくせ、コイツは頭脳明晰、容姿端麗、運動神経抜群ということだから世の中間違っていると思います。胸の大きさとか、貴様は本当に国産か。それ、絶対Fはあるでしょう?
そんな彼女だが、まぁ性格があまりにアレなのでどうにもモデなかったり。だって、基本私以外にはとんでもなくセメントだし。特に、男にはこっちがゾッとするくらい容赦ないし。
しかし香織さん、アナタは今の状況はかってますか?現在、四月十五日の午後十二時三十分。はい、四時間目の授業の真っ最中です。授業は古文です。アーユーアンダスタン?
「あれ、小夜ちゃん聞いてる? 面白いと思わないこの怪談。普通桜っていえば、怨念うんむんの前に無意識で生気吸い取られちゃうものなのにね」
「……香織、今授業中です。お願いですからこれ以上私の内申点を下げないで下さい」
「えっ? 小夜ちゃん内申点悪かったの!? なんで? サボる時、事前宣言するくらいだから結構いいと思ってたのに……」
えぇ、どっかのアホがこうやって授業中平然と喋りかけてくるせいで。ほら香織、あなたの後ろで古文担当様がお怒りですよ?いつものことだけど。
私は思わず頭を抱えたくなる。本当にコイツは学習して欲しい。
「やっほー、昨日遅くまでラジオ聞いてたら寝過ごしちゃいましたー!!」
そんなやりとりをしていると、ガラッと突然教室の扉が音を立てて開かれる。あぁ、今日はいないなと思っていたもう一人の問題児が来ちゃいましたか……。
声を上げながら扉をくぐってきたのは、長い金髪を後ろでポニーテールにして纏めた少女。全体的にスラッとしていて出るとこは出て引っ込むところはほっ込んでいる外国人よりのモデル体型、赤いデザインフレームのメガネ越しに見える力強いスカイブルーの瞳、そして十人が十人声をそろえていいそうな綺麗な人形のような顔立ち。
彼女こそ問題児の一人であり秋山香織とセットに数えられる存在。他称『紙一重のアホ』と呼ばれる『ネオン・夏木=サマーウインド』である。ネオンいわく、日本人とアメリカ人とのハーフ。でも、英語は苦手というアンバランスな少女だ。見た目だけならお姫様。
そんな彼女が問題児として呼称されている理由、それは新学期が始まったばかりのことだった――――――――――!!
■■■
「はい、今年このクラスの担任をすることになった加藤です。新学期、新学年ということで、今日のホームルームは皆さんに自己紹介をして頂きます」
新学年ならではの恒例行事みたいなものである自己紹介。どこの学校でもありそうなこのお約束な行事、私はとりあえず周りの自己紹介が終わる度に拍手だけして休みボケで気だるい気分を誤魔化していた。ん、私の番ですか。
「えー、秋月小夜です。趣味は特にありませんが、しいて言うなら食べ歩きです。和菓子なんか結構すきなので、私に買ってきてくれたら友好度プラス一です。よろしくお願いします」
あれ?なんか拍手が遠慮がちなのは何故でしょうか。私なにか変なこと言いましたっけ?小首を傾げて考えてみるが、問題点は思い当たらない。うーん、なんででしょう?
そんなことを考えていると、私の後ろの席の人が自己紹介を終えて戻ってくる。あ、考え事してたせいで聞いてなかったです……。
「あなた……」
「はい?」
急に声を掛けられ、若干ドキっとする。声のした方を見てみるとたった今席に戻ろうとしていた人が目の前に立っている。淡い桜色のロングジヘアーに明らかに美少女的な顔立ちの女の子。あー、スタイルいいなぁ。特に胸。
「――――――――いいわね」
―――――――――はっ?
「えっと、何がですか?」
「その性格よ。あきらかな本心むき出しで、平然と思った言葉を口に出来るその胆力。普通、その後の反応とか考慮して無難な所を攻めるのがベストじゃないかしら?」
「私的には、結構無難な所を攻めたつもりなんですけどね。何かへんな所ありました?」
私は眼前の少女へ問いかける。だって、私自身では可笑しいところなんて無いですもん。
「つまり完全に素って訳ね。うん、まさに絶滅危惧種だわ。例えるなら、今時食パン咥えて遅刻するとか叫びながら朝の通学路を爆走する女子高生並みに貴重だわ」
や、どんだけですか私。てゆーか。
「むしろ、初対面の人間にそこまで言える貴女が凄いんですけど。いや、それより食パン咥えて遅刻するとか叫びながら朝の通学路を爆走する女子高生並みって私どんだけですか!?」
「そうね、人間の染色体に毛が一本生えた位かな?」
「既に人間ですらないじゃないですか!? 出来れば人類に留まらせてくださいよ!!」
「―――――――――ヤバいわね、ここまで綺麗に返答してきたのは貴女が初めてよ。ちょっと惚れちゃいそう。それに、よい目をしてる。周りの人とは大違いね」
「や、私ノーマルですから。百合は勘弁です。あと、なんですかよい目って」
ところで、さっきから周りの目線が痛いんですけど。次の自己紹介の人、どうすればいいか分からず固まってるんですけど。
「ねぇ、貴女名前は?」
自己紹介聞いてたんじゃなかったのかコイツ。まぁ、私も人のこと言えませんが。
「小夜です。秋月小夜」
とりあえず机に頬杖つきながら答える。いきなり人のこと面白いとか言って笑いだすヤツにとる礼儀なんて私は持ち合わせていません。
「小夜ちゃんね、私は秋山香織。これからヨロシクね」
これが私と香織の慣れ始め。何故か私だけには柔らかい口調の香織が未だによくわからない。や、まだ十日くらいしか付き合いは無いが。
さておき、そうこうしている内に自己紹介も後半部分くらいまで進んでいったのだが、ここでアイツが現れたのだ。
「はい、私はネオン・夏木=サマーウインドです。ネオンが名前で、夏木=サマーウインドが名字よ。見た目で分かると思うけど、私は米国人とのハーフだからよろしくねー。あ、そうそうさっき何か揉めてた二人は既に私お友達になる気まんまんだからそこのところもよろしくー」
なんか宣言されましたけどー!?
私は思わず後ろに座っているであろう秋山香織さんの方へ振り替える。だが、彼女も私と同じような困惑気味の表情をしているだけだ。いや、プラスアルファでめんどくさそうにしている感じはするが。
「ふっふっふ、さっきの会話聞いててなんか、大和魂にピンときたのよねぇアタシ。アナタたちなら、私と一緒にSu―27背負っていってくれるって――――――!!」
なにが楽しくてヨーロッパの戦闘機背負わにゃならんのだ。あと、アンタアメリカ人とのハーフじゃなかったのか。
「巨乳美人に、なんか小動物っぽいのに妙にハッキリとしている少女!!こんな二人と友人にならずして、何が日本人か!?」
「や、だからアナタ半分しか日本人じゃないでしょうに」
思わず声に出してツッコミ入れてしまったが、仕方ないと思う。そう、脊髄反射的に。そして貴様も十分巨乳だろうが。しかも金髪。
「その冷めたようなツッコミがGood!!もうアタシと学校生活をエンジョイするしかないわ!!ってあぁっ!後ろの巨乳ちゃんも他人のふり決め込もうとしないで――――!?」
といったように、私は香織とネオンの二人に知り合った。ちなみにこの後の光景はこんな感じ。
「ねぇ、小夜ちゃんこの記事どう思う? ホントかな?」
「秋山さん、先生がなにか話してるのに平然と話しかけてくるのはどうかと思います。あと、その『ウー』とかいう怪しげな雑誌はなんですか」
「コレ?見ての通りオカルト雑誌だよ。この河童のミイラとか明らかに注意書きでサルの腕ですってネタバレしているのがウリな。あと、私のことは香織でいいよ」
普通に現在授業中ですよ?ホラ、先生だってどうしていいか困ってるじゃないですか。
「カオりんお目が高いね!! それ、アタシも読んでる!! もちろん定期購読ね♪」
そして夏木=サマーウインド、アンタは席立ってまでこっちに意見しに来るんじゃない。
「ふふふ、夏木=サマーウインド。私はアナタにそんな名前はおろかそんな愛称で呼んでいいなんて許可した覚えはないけど?」
「いいじゃん、カオりんで。アタシのこともネオンでいいからさー。あ、小夜にゃん?頭抱えてどうしたの?」
「いや、なんというか……。初日からフリーダムすぎませんかアナタ達」
そこ、二人そろってキョトンと小首を傾げるな。両方容姿は半端なくいいんだから。女の私から見ても、ちょっとドキッとしましたよ。あと、小夜にゃんってなにさ。
「秋月小夜だから小夜にゃんだよー。あ、この『ウー』先月のだね。カオりん今月のはもう読んだ?」
「もうカオりんでいいわよ……。今月号はまだ読んでないのよねぇ、私定期購読してる訳じゃないし。一人暮らしだから、あんまり懐に余裕無いのよ今月は」
じゃぁ、今月の貸してあげる。と、微妙な談笑をするお二方。だから……。
「今授業中だって、言ってるでしょうが――――――――!!」
■■■
と、このような具合である。ちなみに、現在もこの二人はフリーダムさを失わず、新学年開始三日目にして教師達のブラックリスト登録決定したのは余談だ。私までまきぞいくらって、ブラックリストに登録されているらしいけど。……悲しくなんてないですよ?多分。
そんなこんなで、平然と遅刻してきたネオンは古文担当からのお説教中。あの顔絶対まともに聞いてないですね。
「あ、カオりん、それ今月号の『ウー』の桜の怪談? それ本当にあるのかな!?」
訂正、まともにではなく微塵も聞いてなかったようですね。
「なに?ネオンはこの話信じるほう?私としては、あまりに的外れな怪談だから、小夜ちゃんの意見を求めてたんだけど」
「的外れかなぁ? 桜の怪談としてはポピュラーだと思うんだけどなー」
「どちらが親で子かって話よ。怪談が先なのか、それとも桜が人の血を吸うっていう現実が先なのかのね。だって、これは真っ赤に見えた桜が原因で作られた怪談なのか、血を吸う性質がある桜に後付けされた怪談なのかはっきりしないじゃない」
「あー、妄想が先か現実が先かって話ね。そういえば、この学校にも桜の怪談話しがああるって知ってる? 屋上の『咲かない桜』あるでしょう。なんかアレって、数十年に一回真っ赤な血色の花びらを咲かせるらしいよ? 勿論怪談話にありがちな、見たら死ぬって噂付き。アレはどっちが先なんだろうなー」
この二人は何の話をしているのでしょうか?てゆーかそんな話題だったんですかさっきの問いかけって。あとネオン、先生なんか泣き出しそうですよ?
いつの間にかこちらに移動してきたネオンを眺めながら私は心の中で呟く。すると、キーンコーンカーンコーンと、授業の終了を告げる合図。……先生、ご愁傷様です。
私は窓の外――――校庭で咲き誇る桜の木を眺めながら、改めて心で呟くのだった。
◇
さて、俺の話をしようか。名前は浅見屋双司(あさみや そうじ)、職業は探偵なんてヤクザな職業を営んでいる。
まぁ、このご時世探偵なんて職業で日々の食いぶちを稼ぐなんてことは出来ず、普段は本の翻訳なんかをやって生活中である。……売れない探偵なんて言うな。
此処はとある商店街を露地裏へ曲がったところにある俺の自宅兼仕事場、浅見屋探偵事務所の一室。俺は書斎と呼んでいる書物の貯蔵室だ。八角形を組むように壁沿いに並べた本棚。部屋の中心には、小さなスタンドランプを置いた正方形の机。おそらく、上から見下ろすと、中心の机を囲むように本棚は正八角形を描いているだろう。
俺は此処で、とある学園のパンフレットを手に取っていた。
「……私立南ヶ丘学園。創立年月日は昭和三十四年の四月か」
何故こんなものを見ているのかといえば、この学校が今回引き受けた依頼に関係しているからである。
なんでも、学校の屋上にある桜の木に昔から奇妙な噂があるらしい。数十年に一度、人を呪い殺すとかなんとか。噂くらいで依頼してくるなと言いたいが、直接の依頼人はその学園の理事長本人。さらに付け加えると、実際噂の類ではなく実際に学園の人間が数十年に一度命を落としているとか。そして、そろそろ前回死者がでてから数十年の周期が経つので念のために調べて欲しいと今回依頼があったのだ。
――――――――まぁ、今の世の中学校で死人が出たらマスコミが煩いだろうしな。
世知辛い世の中になったものだ。
しかし、桜が人を呪い殺す……ね。いまいち釈然としないが、桜という植物は古来より、人の生気を吸い取るという伝承がある。桜が血を吸うのは有名だろう。桜の花びらがあんな色なのは、人間の血を吸っているからだと伝える地域もあるほどに。
まぁ、学園の桜の噂がもし本当のことだったとしたら――――――――。
「死人の怨念でも宿っているか、桜自体が何か変質を起こしているかのどちらかだろうな。だが、どちらにせよ直接調べてみないことには分からないか」
読んでいたパンフレットを机の上に放り投げ、胸元のポケットの中からタバコを取り出し火を点ける。そして、ふーっと紫煙を吐き出しながら、俺は『これを吸い終わったら学園に行ってみるか』と一人思考するのだった。
◇
食事後の睡魔と戦う五限目を乗り切り、あーようやく終わったと椅子の上で背伸びをしていた放課後。はい、あの二人が騒ぎだしました。
「と、いうわけで屋上の『咲かない桜』の話、本当か確かめてみない?」
「どういう訳ですかネオン。あと、お願いですからその頭に刺した蝋燭を何とかして下さい。その容姿でそのい出立ちはアンバランスすぎます」
「たしかに、外国人じみたネオンの容姿に蝋燭は似合わないわね。貴方の容姿なら蝋燭より、まだ十字架刺してるほうが似合ってるわ」
香織、別にそういう意味で言った訳じゃありません。
「屋上の『咲かない桜』の怪談、アレの死人が出るって話の周期が計算してみたら明日なんだよね。これは確かめてみるべきだと思わない小夜にゃん?」
「思いません。普通そういうのは危うきに近寄るべからずでしょう。香織だってそうでしょ?」
と、ごくごく普通の一般論を述べながら私は隣の香織へ問いかける。てゆーか計算したってネオン。貴女その活力をもっと別の方に向けなさい。
「えっ、別に大丈夫だと思うよ小夜ちゃん。だって、本当に死人が出るならいつまでも桜の木自体をほっとく筈無いし」
左手の人差し指を顎にあてながら、うーんと答える香織。
あぁ、そうだった。どっちかっていうと香織の思考はネオン寄りなのを忘れていましたよ。そういったオカルトスポットに行くのはあまり積極的じゃない香織がこんな返答をしてくれば、ネオンが同参者を得たも同然である。
「んじゃけってーい♪ ふふふっ、夜の学校に潜入作戦……燃えるわね」
「って夜やるんですか!? しかも学校に忍び込むって……」
思わずネオンの言葉に叫び返す。夜の学校に不法侵入って、下手すれば停学物じゃないですか。
そんな困惑した表情をしていると、香織が私の肩に手を置き口を開く。
「大丈夫だよ小夜ちゃん。私もいるから見つかるなんてヘマはしない。いざとなったら、ネオンを犠牲にしてでも小夜ちゃんだけは助けてあげるから♪」
「あ、カオりんひどい!! その小夜にゃんに回してる優しさを私にも――――!!」
「ネオン、貴女に回す優しさがあるなら私は残らず小夜ちゃんにあげるわ。だから――――――貴女は何かあっても自分でなんとかしなさい」
忍び込むのには賛成なんですね香織。
あぁ、どうして二人ともまっとうな一般的な思考回路してないんですか―――――!?
私はそんな会話をする二人を観察しながら頭を抱える。とりあえず、誰かに見つからないように頑張ろう……。
「んじゃ、今日のところは解散ってことで。私はこれから屋上の下見してくるけど、小夜にゃんとカオりんはどうする?」
そんな私の内心を知らないネオンは、何故かその場でクルクル回転しながら言う。ホント、普通にしていればこの子もかなりの美人なのになぁ。
「私はネオンが何かミスした時の逃走ルートを調べてくるわ。安心してね小夜ちゃん。貴女を逃がすための準備は怠らないから」
「いや、そう思うならまず忍び込むところから修正しましょう香織。私はもう帰りますね。明日のお弁当の買い出しもしないといけませんし」
今までの会話の内容を忘れるように、自宅の冷蔵庫の中身を思い浮かべる。たしか朝食べる予定のハムと牛乳しか入ってなかった気が。うん、今日の買い出しはいつもより少し多めに買っていこう。今日は近所のスーパーがタイムセールしてた筈ですし。
私は鞄を手に取り二人に別れを告げると、一階の昇降口へ向かって歩き出す。昇降口に着いたら靴を履き替え校門へ。
「―――――――春ですねぇ」
校門までの桜並木を見上げながら、思わず私は言葉を漏らす。一面に広がるピンク色の桜の花びら達。それらは空気が動くたびに、ダンスのステップを踏んでいるかの様な動きを見せる。
ヒラリ、ヒラリ、ヒラリ。
香織が、桜とは昔から無意識の内に生気を吸い取られるものだと言っていたが、この光景を見ていると不思議なことに納得してしまう―――――――そんな光景だった。
「って、いつまでも見とれている場合じゃないですね」
時間は有限なのだ。それに早く行かないと、スーパーのタイムセールが終わってしまう。
そう思い、いつの間にか止まっていた歩みを再び進める。いや、進めようとしたら私の桜で埋まっていた視界に見慣れないものが映った。そう、スーツを身にまとった人影のようなものが。
「―――――――?」
ふと、そちらに視線を向ける。
舞い散る桜の花びらを背景にこちらへ歩く、一人のスーツ姿の男性の姿。背丈は百八十センチくらいだろうか。全体的に細身なのに、芯がしっかりしている様な体格。顔立ちは結構整っていて、少し長めの黒髪をオールバックにして固めている。だが、私が一番最初に印象に残ったのはその瞳。遠目から分かるくらいの光沢と美しさを持った、透き通る様なマリンブルーの瞳。ネオンのそれとは違い、彼のモノは透き通るような青色をしている。まず、日本人にはありえない瞳の色だ。だが、その色合いはカラーコンタクトのような人工物では決して出すことのできない深みを携えている。
―――――――――綺麗な色。
まるで、その一部だけが宝石で出来ているかのような輝きだ。って、あんまりジロジロ見ているのは失礼ですね。
そうこうしている間に、男性は私の横を通り過ぎて校舎の中へと入って行く。すれ違いざまに一瞬、私の方へ視線を向けたのは気のせいだろう。
「―――――――ぁ、時間!?」
やばい、うかうかしているとタイムセールに間に合わない。
仕方ないので私はその場から校門へ向けて走り出す。走りながら私は、もう一度あの綺麗な瞳を見てみたいなーと考えていた。
◇
俺は南ヶ丘学園の校舎を歩く。既に理事長の許可は取ってあるので、一応の部外者である自分がうろついていても何の問題もない。まぁ、まだ校舎に残っている学生達に疑惑の目線で見られているが。
「……ざっと見る限り、今のところ校舎自体には何の問題はないようだな」
現在、現地調査中である。念入りに調査してくれとの依頼だったし、調査料金もそれなりにはずんでもらってるので、わざわざ一か所づつ校舎を見て回っているが―――――。
――――――――これはシロの可能性が高いな。
実際、呪いの類で死人が出ているのなら、その桜に隣接する校舎本体にも何かしらの残り香が残るものだ。だが、今のところはそのようなものは感じ取れない。現在校舎の四階、残りは上の階と『咲かない桜』とやらが植えてある屋上のみだ。
「さて、何も異常がなかった場合はどうやって説明するかな……」
異常があろうが無かろうが、一応数十年に一度の日――――桜の開花日には張り込んでみるつもりだが、何もないのも説明に困るのだ。依頼人さんは中々納得してくれないのである。よし、五階も異常なし。後は屋上だな。
俺は軽く周囲を見渡しながら、屋上へ続く階段を上る。やはりここまでくると、辺りに生徒の姿はない。それも当然、屋上は現在は立ち入り禁止になっていて、屋上へ出入りする扉にも鍵がかかっているらしいので来ても意味がない。屋上へ上がる人間もいないので、完全に放置状態になっていると理事長は言っていた。俺は鍵借りてきたがね。
そうして、階段を登り切り屋上へドアノブへ手を掛け鍵を差し込もうとするが――――――。
「なんだ、鍵開いてるじゃないか」
借りた鍵の役目はなかったようだ。不用心な。
俺はそのままノブを回し、扉を掛け放つ。
――――――――中々いい場所じゃないか。
一面赤いレンガで敷き詰められ、中世の庭園でも見ているかのような光景。屋上の周囲はフェンスで囲ってあるが、周囲にはベンチもあり、今の季節だと昼寝なんかしたら気持ちがよさそうだ。ちょうど屋上の中心部分に、大きめの枯れ木が鎮座しているが、アレが恐らく『咲かない桜』だろう。その枯れ木の周囲だけは土がむき出しの状態で確認できる。
だがな理事長。俺は一つ言いたい。
「……人はいないんじゃなかったのか?」
枯れ木の根元の部分、そこに人影が見える。制服からして女だろうが、なんか金髪のポニーテールの物体が土をほじくり返している。あぁ、これ声を掛けておいたほうがいいんだろうなぁ。
「とりあえずだ、そこの金髪ポニーの娘っ子。ここは立ち入り禁止じゃないのか?」
そう俺が声を掛けると、今まで後ろ姿だけを見せていた人影は立ち上がりこちらを振り返る。ほう、ハーフかこの子?
「えーっと、たしかそうだった気もするけどお兄さんはどうなのかな―――――って目ぇ青っ!?」
「俺はちゃんと理事長の許可を貰ってるから問題ない。だが、初対面でその反応はどうかと思うぞ。あと目なら金髪ポニーにメガネと美少女が追加された娘っ子である君も青い」
「あ、それもそうか。っていやいや、お兄さんのソレとアタシのこれは違うって。お兄さんの宝石みたいに綺麗な色ですもん!!」
まぁ、一応それなりの魔眼でもあるしな俺の目って。これでも最高位の存在の証だぞコレ。
ではなく。
「君は此処で何をしてるんだ? さっきも言ったが、ここは立ち入り禁止になっていると聞いてるが?」
「うーん、下調べかな? お兄さんこの桜の木の怪談話って知ってます?」
「一応小耳には挟んだことはあるな。桜の花びらを見たら死ぬとかそういうのだろう?」
「それで間違いなけどよく知ってるなー、この学校の人には見えないのに。まぁ、その桜が咲く周期って言うのが明日みたいだから、噂が本当か調べてたって訳♪」
後で理事長に聞こうと思っていた桜の開花の周期をここで知ってしまった。いや、それより明日って急すぎやしないだろうか。そして娘っ子、何故話しながらクルクル回る。
「まぁ、つまりは興味本位か。どうでもいいが俺はともかく、学園の人間に見つかったら不味いんじゃないのか? 理事長には俺が屋上に行くと言ってあるしな、誰か上がってくるかもしれんぞ?」
そういうと少女は「それはマズイなー」と、回転するのを止めて俺の方へ向き直る。そして、おそらく始めから地面に転がしてあったであろう鞄を手に取り。
「では、アタシはここでサヨナラです!! くれぐれもアタシのことは内密にお願いしますねー!!」
そう言いながら俺が入ってきた扉へ走り去っていった。どうでもいいが、屋上の鍵が開いてたのは彼女の仕業だったのだろうか?
その後、屋上も色々と調べてみたが特に異常がなかったのを言っておこう。念のために、桜の開花日を理事長に確かめてから帰るとするか。
◇
翌日、末端の不安を抱えつついつも通りに登校した私だが、朝、教室に入ると視界に奇妙な光景が映った。てゆーかネオン、なんですかその格好。
「なにって、今日の夜に備えての服だけど?」
灰色の迷彩服を不思議なほどに着こなしたネオンが答える。これで背景がジャングルなら突っ込まなくてすむのになー。だが残念、ここは教室である。
「あー、まだ朝のホームルームもまだなのに気が早すぎです!! それより、まさか今日一日その格好で授業受ける気ですか!?」
「えっ、そんな訳ないじゃん。小夜にゃんボケた?」
呆れ顔で言うな馬鹿ネオン。あれか? 私が悪いのだろうかこれ。
「ボケてるのは貴女の頭じゃないかしらネオン? 小夜ちゃんはこう言いたいのよ。――――どうせなら私も着たかった―――って」
「いやいや、それはありえませんからね!! てゆーか香織、あなた何処から湧いて出ましたか!? そしてなんか香織まで迷彩服着てる――――――!?」
ふと、いつのまにやら隣に香織の姿がある。しかも、何故かネオンとお揃いの灰色迷彩服姿で。あぁ、香織はもうちょっと常識あると思ってたのに……。
「うん、カオりん似合ってるね!! そして小夜にゃんは心配しなくても大丈夫!! ちゃんと小夜にゃんの分も用意してるよー」
いらないから。いりませんから。
「貴女にしては中々のチョイスよネオン。そして小夜ちゃんも着てみてよ♪ 結構楽しいよ?」
「香織、私には何が楽しいのかわかりません。そしてもしかしてその服、結構気に入ってるんですか?」
とりあえず私は、目の前で自分の着た迷彩服の裾を握りながら見ている香織に言葉を掛ける。だって、すっごい笑顔なんだもんこの子。私が男だったら、一目ぼれしそうなくらい眩しい笑顔なんだもん。
「―――――もちろん♪ 私昔からこういうの好きなんだー。あ、でも和服は着飽きてるからいいけど」
服が好きってことなのか、そういう脱線気味の格好が好きだっていうことなのかを詳しく聞きたい私である。そして和服は着飽きてるって、お前はどこぞのお嬢様か。
「あぁ、小夜ちゃん。私の実家って古い神社だから和服とか小さい時に着飽きてるの。普段着がほとんど着物だったし」
あんまり実家のことは思い出したくないんだけど、と香織は言葉を続ける。ん?実家が神社ってことは……。
「香織って、巫女さん?」
「うん、一応ね。私としてはご免こうむりたいんだけど」
「カオりん、巨乳でツンデレ入った巫女さんなんて、どんだけ私を嬉しくさせる属性を持ってるのさ。是非、カオりんの巫女姿を―――――――!!」
ネオン、笑顔でコメントするのはいいけど、とりあえずその鼻血を拭きなさい。ビジュアル的に綺麗な顔がまるっきり変態だから。気持ちはわかりますけどね。
「嫌よ。百万歩譲っても小夜ちゃんくらいにしか見せないわ。もうこの話は終わりよ。 早く着替えないとホームルーム始まっちゃうじゃない」
珍しく香織が一般的に会話を打ち切り、着替えの制服が入っているだろうカバンを持って教室から出ていく。そんなに実家が嫌いなのかなぁとか思いながらその姿を見送る私
まぁ、母親限定で実家が嫌いな自分も人のこと言えませんけどね。
「そしてネオン、あなたも早く着替えてきなさい」
そんなことを考えながら、目の前で自分の出した血液を始末する少女に声を掛けるのだった。
◇
「昨日の今日では準備もまともに出来なかったんだがな。どうしたものか」
俺は独り、事務所のソファーに寝転がり紫煙を吹かしながら呟く。現在日時は四月十六日の午後四時十三分。いまごろ、南ヶ丘学園では一日の授業を終えた学生達が下校中だろう。
今日は桜の開花日予定の当日。正直何も準備など出来ていないが、まぁどうせデマの怪談だろうから心配は無用か。念のために、厄払いの札くらいは持っていくつもりだがね。
学園に見張りに行くまで、まだ後四時間程の余裕がある。ふと、窓の外へ目線を向けると、風に乗って来たのか、どこかの桜の花びらがフワリと宙を舞っている。ただ、宙を舞うだけのソレは、何故か人々に幻想を幻視させるだけの魅力を持っているものだ。そこにあるだけで、まるで魅了の魔術を掛けられた様に見惚れてしまう。
「まぁ、植物―――――特に桜は自然と人間の幻想力なんかを溜め込みやすかったりするからな……。案外、自然の魔術と解釈しても可笑しくはないか」
魔術とは、本来は宗教などと同じ信仰により発生する現象だ。それを考えると、日本の春には桜という季節的概念が、一つの儀式魔術となっていても意外ではない。柳の下の幽霊と同じように、桜もまた怪談が付きものな植物なのだから。
「――――――やれやれ、こういったことを考えるのは魔術師達の領分なんだが。どうも最近人の世に帰化しすぎているな」
あらゆる現象を現実、幻想として捉え、己の身体をもってそれを再現する人間を表す名称、それが魔術師だ。森羅万象の命として解釈される魔力という物質を元に、エンジンの役割をする術式を通し、己で編んだ現象を再現する存在。
今となってはその数は昔の半数以上に現象してしまったが、それでも裏で表の社会に多大な影響を及ぼしている人間達。所詮は物語の中のものだと一般世間に認識させ、実在する自分達の存在を完全に隠してしまうシステム。それらを構築した現代の魔術師達は、正直俺から見ても感嘆せざるえない。
「霊長たる人間が人間を支配する時代……か」
いかんな、本当に最近は思考が年寄り臭くなっている。だが、古の時代から世の中を見ている身としては、こういった呟きも言いたくなるのだ。
俺は余計な思考をしていた頭を左右に振り、出来るだけ脳内をクリアにする。
さて、学園に行くまであと約三時間。その間に、今日の夕飯の下ごしらえでもしておくとしますか。
◇
時間とは、自分が思っているより流れるのが早いものだ。さっき朝のホームルームが始まったと思ったら、気がつけば既に本日の授業終了な放課後である。
「高校に入って思ったのが、人間っていうのは周囲の環境にとてつもなく依存しやすいってこと。ほら、よく聞くじゃない? 高校に入ってから、劇的に変化した友人がいる人の話。例えば非行に走ったり、例えば引きこもりになったり。あれって、周りの空気を支配している人に、その人の人格が引っ張られているからじゃないかと思うの。不登校になったりするのは、ただその空気に適応出来なかったから。つまり、動物の生態環境と同じってこと。小夜ちゃんもそう思わない?」
「香織、私からしてみればその意見自体がナンセンスです。空気に適応うんぬんの前に、その人はただ自分を見失っただけでしょう。自分以外の世界の人間を見ていくにつれて、自分自身の在り方が分からなくなっていく。だから、私はそういったことになると思いますよ?」
「そうきたかー。うん、やっぱり小夜ちゃんは面白いなぁ。独自の世界観というか、考え方というか。小夜ちゃんみたいに世の中考えられる人って、私今までみたことないよ?」
「それはただ香織が会ったことないだけだと思いますよ。だって、私って別にごく普通の何処にでもいる女子高生を自称してますし」
「それは小夜にゃんだけだと思うなー。だって、アタシやカオりんとこういう風に会話が成立してる時点で、何処にでもいる女子高生じゃないでしょ」
つまり、ネオンと香織はマトモな女子高生じゃないってことは自覚はあるのか。うん、私は少し安心しましたよ? 自覚しているだけ。
只今学校より下校中の道下がり。私は何故かネオン、香織の二人とこんな会話をしている。その理由というのが、今日の六限目の授業がただ不登校をテーマとした道徳だっただけの理由だ。
「ネオン、会話くらい普通誰でも成立するでしょう? でないとどうやってコミュニケーションとってるんですかあなた達」
「小夜ちゃん、意外とそうでもないんだよ? 会話っていうのはお互いの意思が成立して初めて成り立つものだから、会話をする人間にその気がないなら、それは会話とは呼べないの」
「お、まさしくその通り!! カオりんはどうかは知らないけど、アタシの場合は昔っから『普通』っていう基準が解らないだよねー。だって、『普通』って何から見てそうなのかって人それぞれじゃん? だからアタシは面白おかしく高らかに物事を考えるの。自由な思考万歳だよねー」
「つまり、普段の奇行全てがあなたにとって普通な訳ですかネオン。その結果、オカルト雑誌の定期購読なんかに繋がっている辺りがなんとも言えませんが」
「面白いからいいじゃん。ねーカオりん?」
「確かに『ウー』は面白いわ。貴女の普段の奇行はわからないけど」
香織の場合は奇行っていうより、他人への興味が破滅的に薄いせいだと私は思う。だって、私とネオン以外で香織とまともに喋っている人を未だに見たこと無いですもん。
「カオりんって、興味があること以外はとことん無頓着だよねー。ほら、一昨日のホームルームの時なんて、担任の話しすら「興味ないからいい」の一言で無視してたし」
「―――――驚いた。小夜ちゃんはともかく、ネオンにそう言われるとは思ってなかったわ」
「ネオンって、意外と人間見てますよねぇ。なんていうか、その人の本質を見抜いてるというか。馬鹿なのに」
「小夜にゃん、アタシを一体どんな目で見ているのさ。アタシはカオりんみたいに他人に興味無い訳じゃないんだよ?」
ジト眼で見てくるネオンの視線を顔を反らすことでかわしつつ、私は夕暮れに染まった空を見上げる。
昼間は澄み渡っていた青空も、今となっては夕日に照らされる茜色。夕焼けって、なんとなく心がセンチメンタルな気分になりますよね?
「あ、此処でお別れね」
私は香織の言葉に、空を見上げていた視線を地上へと戻す。
いつの間にか、私達の自宅への経路を分ける交差点に差し掛かっていた。私命名『いつもの別れ道』。学校からの道筋で正面に見て、真っ直ぐ行くと私の自宅への道。右へ曲がると香織の自宅。そして、左へ曲がるとネオンの自宅へと見事に分かれて続いている。
「やっぱり、話しながら帰ってると時間経つのがあっという間ですね。と、言う訳で香織、ネオン、また明日会いましょう」
そう言って、私はそそくさとその場から立ち去るのを試みる。素っ気ないとは自分でも思うが、これにはちゃんとした理由があるのだ。だが。
「ふっふっふ、小夜にゃん。逃げようったってそうは問屋が卸さないよー」
ぐわっし、と言葉と共にネオンに後ろ肩を掴まれる。あぁ、このまま何事もなく帰れると思ったのに。そしてネオン、アンタの外見でそのセリフは似合いません。
「そうだね、小夜ちゃん。 今日の夜の事まだ話し合ってないでしょ?」
香織、なんでそんなウキウキした声で言うんですか。あなたもしかして、結構楽しみにしています?私には香織が興味を持つ基準が全くわかりません。
「今日の学園潜入作戦!! 結構時間は夜の九時に正門集合でOK? 時間的にも、それなりに夜の時間だから丁度いいとおもうけど」
「えぇ、ネオン問題ないわ。若干怪奇の時間には早い様な気もするけど、多分大丈夫でしょ」
何が大丈夫なのか。そしてこの二人、一度思考回路が一致すると人の話を聞かないのなんのって。
「一応確認しておきたいんですけど……、拒否権ってあります?」
ダメもとで私はそんなことを口にする。言うだけならタダだからいいじゃない。
「小夜ちゃん……、来てくれないのっ!?」
「小夜にゃん……、一緒に行かないのっ!?」
「わかりました。わかりましたから、二人揃って涙目でこっちを見ないでください!! あぁもう!! 私絶対悪くないのに、何か罪悪感が―――――――!?」
女の武器は涙である。それは女性相手にも通用するものだと、私は本日悟ったのだった。
だって、胸の前に手を添えて、前かがみでウルウル見つめてくるんですよ? しかも只でさえ容姿のいいこの二人が。私にはこの攻撃を回避するだけの精神力と技術は持ち合わせておりません。
私は、思わず改めて空を見上げ、ため息をつくのだった。あー、カラスが鳴いているー。
◇
とりあえず時間通りに待ち合わせ場所へとやってきた私だが、そこには既に私服に着替えたネオンと香織の二名が到着していた。香織は白い軽くフリルの着いたキャミソールにカーディガンをはおい、ピンク色のミニスカートという格好。ネオンは胸元に英語で何かプリントしてあるTシャツに、デニム生地のミニスカートという服装。うん、二人の服装を見ていると、朝の迷彩服は一体なんだったのかと言いたくなる。
「校門閉まってるのに、どうやって忍び込むつもりですか二人とも? 多分校舎も鍵閉まってると思いますけど」
午後九時三分南ヶ丘学園正門前にて、私は思った疑問を目の前の二人組に問いかける。あぁ、なんで来ちゃったかな私。いつもなら、おせんべい齧りながらぐうたらテレビ見てる時間なのに。
「小夜ちゃん、門なんて乗り越えればいいものなんだよ?」
香織、少なくとも私に言わせれば門は乗り越えるものじゃなくて歩いて通るものです。
「校舎の鍵はアタシがもってるよー。事前に型とって複製していたのでした」
ジャラジャラと、何処から取り出したのか、輪っかのキーホルダーに束ねられた鍵束を取り出すネオン。それ、ぶっちぎりで犯罪じゃないですか?
そんな私の葛藤を無視するかの様に、ネオンと香織は校門を乗り越え始める。あー、二人ともスカートなんだからそんなに足上げちゃマズイですよー。本日の私の服装は、襟の部分に若干フリルの付いたブラウスと七分丈のジーパンという無難な格好なので問題ないですが。
「小夜ちゃーん、早く小夜ちゃんも乗り越えてきなよー」
いつも間にやら、二人の姿は門の反対側へと移動している。……仕方ない、早く乗り越えるとしますか。そう、一瞬行動の早い二人の事を思いながらため息をつくと、私は校門の鉄骨に足を掛ける。少し身体をジャンプ気味に浮かせながら、その反動を利用して一気に校門の向こう側へと身を投げ出し、着地。
「お、小夜にゃん、惚れ惚れするほどいい飛び越え方だったねー。普段の体育の時はいつも疲れた顔してるのに。実は以外に運動神経いい?」
「私、持久力が破滅的に無いんですよ。それ以外なら人並みには運動は得意です」
そんな会話をしている内に、いつの間にやら校舎の昇降口近くまでやってきていた。すると、ネオンは先ほどの鍵束を取り出し、カチャリとガラス張りのドアを開ける。
「これ、普通に堂々と入ってますけど、忍び込むっていうより押し入りっぽいですよね」
「うーん、なら、カチコミきたでぇ!! とか掛け声だしながら入った方がいいのかな?」
「ネオン、貴女警備員に見つかりたいのならどうぞ? その時は私も小夜ちゃんも助けないから」
「あ、それなら大丈夫。都合のいいことに、今日って学園もぬけの殻なんだよねー。職員室の警備担当表見た時に、何故か誰も担当がいなかったの。当直の先生もいないから安心していいよー」
むしろ、そんなこと調べてるあなたが安心出来ませんよネオン。それと、職員室で見たじゃなくて、盗み見たの間違いだと思う。
夜の校舎は、一言でいえば暗かった。いつもは昼間の明るい太陽の光が照らしている校舎内は、自分の足音が廊下の隅から反響しているのが分かるくらいに静寂を保っている。これなら、学校に怪談話しが出来てしまうのも納得出来るものだ。
ネオンは、本当にどこから取り出したのか、掌サイズの懐中電灯を取り出しスイッチを入れると、私達を誘導するように声もなく歩き出す。その度、懐中電灯の光が窓ガラスに反射して、カメラのフラッシュをたいた様な光景を私の視界に映し出す。
「ネオン、これ何処に向かってるんですか?」
校舎を上の階へと登り始めるネオンに、私は問いかける。私って、怪談がどうとかこうとかの話しか聞いてないから、何処で何をするのかとか全く分からないんですよね。
「うーんとね、屋上だよ小夜にゃん。『咲かない桜』があるのって、何故か屋上なんだよねー。昨日の昼間に下見で見て来たんだけど、本当に枯れ木が一本立ってるだけだったの」
「屋上に枯れ木って……、なんかこの学校のセンス疑いますね」
「でもそれ以外は凄かったよ? 屋上の地面なんて全部レンガで敷き詰められて、ちゃんとベンチとかも備え付けられてたし」
それは何と言う費用の無駄遣いだろうか。屋上を出禁にする理由ってなんなんでしょうね。勿体無い勿体無い。
カツン、カツン、カツン。階段を登る度に響く不協和音の足音。自分の足音なんて、普段じゃきにしないようなところなのに、なんでこうはっきりと耳に届くと気になるのだろうか。人間の感覚って不思議です。
「小夜ちゃんどうしたの難しい顔して。アメ食べる?」
と、そんなことを考えていた私に、香織はポケットから少し小さめのドロップ缶を取り出す。
「香織、なんですかそのドロップ? 商品名が『きゃんでぃどろっぷ~真夏の搾りたて焼肉汁抹茶風味☆~』って。完全に地雷でしょう? 」
「そうかな? 私個人としては結構イケるよ? 口に入れた後の、フレッシュ且つエキサイティブなジューシーさがなんとも。キャッチフレーズは―――――――脳にほとばしる劇汁」
「――――――劇汁ってなんですか! なんか飴玉として色々間違っているような気がするのは私だけですかね!?」
とりあえず、美味しそうに口の中で飴玉を転がす香織はほおっておこう。私にゲテモノ趣味はないのだ。ところで、それは焼肉味の飴なのか抹茶味の飴なのかは、少しばかり知りたいところではあるが。
「二人とも、着いたよ―」
ネオンの声に、私は香織へ向けていた視線を反らし正面へと向ける。そこには、今まで登って来たような階段への通路は無く、目の前には鉄製の扉がある行き止まり。あぁ、初めて来たけど、これが屋上の扉ですか。
「私も此処には初めて来たなぁ。ネオン、ここの鍵もちゃんとあるんでしょうね?」
コロコロと、口の中で飴玉を転がしながら香織はシオンに問いかける。うん、香織はその口の中の飴玉をなんとかしましょうね? 何かさっきの商品タイトル見たせいか、こっちまでその未知の味が伝わってきそうですから。
「残念ながらカオりん、屋上の鍵は職員室に無かったから持ってないんだよねー」
ネオン、あなた今此処まで来た意味を全否定するようなこと言いませんでしたか?
「ちょっ!? ネオン、それ意味ないじゃない!! どうするのよ?」
「心配しなくても大丈夫なのだ。鍵が無いと扉は開かないって、誰が決めたのかな?」
そう言うと、ネオンは自分の髪の中に手を伸ばし、そこから二本の細長いピンの様な物を取り出す。……アレって、ヘアピンですよね。どうしてだろう、何かロクな予感がしない。
「鍵っていうのはね、こうやって鍵の外枠を作る物と、奥の留め金を押す物があれば―――――――」
――――――カチン、と何かが外れるような音。やっぱりですか。そうですか。言い子は真似しちゃいけないピッキングですか。って。
「ネオン、あなた何でそんな無駄技術持ってるんですか!? むしろこれって、完全にバレたら停学どころか退学物のような気が――――――!? まぁ今更ですが」
というより、なんかもう突っ込むのも疲れてきました。はい。
きぃ、と扉が開かれた先には赤黒いレンガで敷き詰められた床板。校舎の中と違い、人間の出入りする場所特有の空気を感じさせない空間。空には満天の星空がライトを彩り、屋上という此処を照らしている。そしてその中心には、何の木かは分からないが葉っぱ一枚付いていない枯れ木が鎮座していた。
「なんか、思っていた屋上と全然違いますね。何と言いますか、オシャレ?」
うん、これが私の屋上の第一印象。ネオンの言った通り、中心の枯れ木以外は普通の学校の屋上のイメージとはかけ離れた場所だ。使わないのが勿体無い。
「ふーん、アレがネオンの言っていた枯れ木? 完全に枯れてるじゃない」
「そうだよー。アレが此処で咲いたらカオりんの髪みたいに綺麗だと思わない? あの木の根元の土壌調べてみたんだけど、全く問題なかったのに何故か咲かない桜ちゃんです」
「確かに香織の髪って桜色してるし綺麗ですよね。ふふふっ、スタイルだけじゃなくてそんなとこまで反則領域な香織が恨めしいです」
「さ、小夜ちゃん? 何かわからないけど私が悪かったからソノ暗黒領域に目覚めそうな視線はやめてー!?」
「小夜にゃんの黒髪もアタシは好きだけどなー。髪金色なアタシにとっては」
黙れ金髪巨乳娘。黒髪貧乳の気持ちは、あなたには理解出来ないのだ。
そんなやり取りをしながら、私達は屋上へと足を踏み入れる。フワリと、頬を撫でる春のそよ風が気持ちいい。これがもう少し真っ当な理由で此処に来ていたら、まだ気持ちよかっただろう。むしろ昼間に来られなかったことが残念だ。
「うーん、桜咲いてないね。夜で時間的にも怪談真っ盛りな時間なのに」
「所詮デマだったってことでしょうネオン? まぁ、現代に怪談なんてものがあれば吸血鬼だって実在しますよ」
この二十一世紀の世の中、オカルトなんて実在する訳ない。もし、そんなのがあれば神様だっている筈だ。
「結局は後付けの噂だったって事ね。記念にあの木のカケラでも削って持って帰る?」
香織は既に飽きたように、枯れ木へと歩み寄る。実際ホントに怪談なんてものに出くわしたら、私的にはトラウマものですね。
「って、アレ? この枯れ木、何か凄く肌触りが硬いんだけど……。まるで鉄みたい」
「カオりん、その木ね、昨日私も削ってみようと思ったんだよ。でもカッターとか使ってみても、全く削れなかったんだよねー。むしろ逆にカッターの刃が折れちゃった♪」
……あー、なんかネオンの一言で雲行き怪しくなってきましたよ。何ですかカッターで削れない木って。物理的にそれって、木じゃないでしょう。
「なにそれ……実は超合金で出来てるとか?」
何処の超戦士メカですか。むしろそんな木は存在してはいけないと思います。
「カオりん、発想が古臭いのはアタシの気のせい? せめて、もうちょっと現代的な物質でいこうよ」
「……ネオンに言われるとムカつくわね」
ごめんなさい香織。私もネオンと同じこと思ってました。
そんなやり取りをしている内に、現在午後十時五十八分。あんまり遅くなると、明日起きるの辛いだろうなぁ。なので。
「香織、ネオン、そろそろ帰りませんか? 何も起きませんし、明日も学校ありますし」
刃物の通らない木っていうのも疑問が残るが、明日の事を考えると翌日に保留にしておいた方がいいだろう。
「ちぇっ、残念だなー。何かあるかと若干期待していたアタシだったんだけど」
「普通何も無い方がいいわよネオン? 好奇心は猫を殺すってね」
香織、あなたがそのことわざ使っても全然説得力ないですよ。
うなだれるネオンの襟首を引きずりながら、私達は元来た扉を目指す。本当に何も無かったですね。ネオンじゃないけど、何か無駄足踏んだ気分だ。
「小夜ちゃん、少し残念そう?」
「違いますよ。ただ、無駄足だったなーとか思っただけです。そしてネオン、さっさと復活して歩いてください」
さて、今の時間だと、帰るのは十二時前くらいになりそうだ。来る前に洗濯物片付けておいてよかったです。あー月が綺麗だ。
そんなことを考えながら、私は出口のドアノブへと手を掛ける。瞬間。
「―――――――――っ!?」
空が、歪んだ。
◇
現象が起こったのは一瞬だった。屋上に敷き詰められたレンガの隙間から桜色の光が漏れだす。それは炎のように屋上を不規則に走り抜け、次第にあの枯れ木を中心として円形と思わしき形状をとる。また、円となった桜の炎はその円線上に合計五つ点のような塊を作りだし、そこから対角線上にある点から点へ向けて、さらに桜の炎が走る。そう、まるで香織たちがよく読んでいるオカルト雑誌にあるような星型を描く。あぁ、まるでこれは御伽話に出てくる魔方陣というものにそっくりではないか。だが。
「―――――――なんですか、コレ」
私の口から洩れるのはそんな呟き。ネオンの仕込み? 香織のイタズラ? 目の前で起こっている現象が、自分には理解出来ない。
陣を描いた桜の炎は中心にある枯れ木に吸い込まれる様に集まる。そして――――――――真っ赤な、血色の花びらが咲き誇った。
「……綺麗」
それは誰の言葉だったか。いや、誰でもいい。だって、私達は皆間違いなく目の前の幻想的な光景に眼を目を奪われていたのだから。花びらの放流は止まない。ゆっくりと、それでいて宙を埋め尽くす様に舞うそれは、一時も立たない内に夜空をも埋め尽くす。
空を引き裂くように散る桜の花弁は、大気と擦れ合い、まるで金属が弾かれた時の様な不協和音を奏でる。それはまるで――――――――――。
「女の人の……泣き声?」
空は鳴く。空は泣く。空は啼く。
音は何かを訴えるかの如く、周囲に木霊する。いわく。
それは一人の女の怨念の塊。この怪奇を目にした人間は、彼女の悲しみに満ちた悲鳴を聞かされながら桜の木に取り込まれてしまう――――――――。
「――――――っ!? 小夜ちゃん!!」「小夜にゃん!?」
「えっ?」
と、二人の声が聞こえたと思ったら、ドンっと身体を襲うよくわからない浮遊感。視界には、こちらへ向かって腕を伸ばしている香織の姿。あぁ私、香織に突き飛ばされたんですか……。
はっきりとは確認出来ないが、恐らくそうなのだろう。フワリ、と空飛ぶ私の頬を真っ赤な花びらが撫でつける。その一瞬。
「――――――ぁ」
グシャリ。何かトマトが潰れるような音が耳に届いた。眼に映るのは先ほどと変わらぬ『赤』。そしてその音は、先ほど香織が視界に映っていた辺りから響く。
「――――――香織!?」
声を上げると共に、ドスンと身体に衝撃が走る。痛い。肺の中の空気が、無理やり外に押し出される感覚。だが、そんなもの今はどうでもいい。私は痛む身体を引き起こして、香織達がいたであろう方向へ視線を向ける。
ドクン。心臓が脈を打つ。ドクン。頭の中が真っ白になる。ドクン。私という世界から感覚というものが無くなる。眼前には奇妙な形をした恐らく人型だったもの。地面を構築しているレンガに広がる、真っ赤な色彩。そして、金と淡い桜色の絹糸の様な髪が空を舞う。
「……香織? ネオン?」
呟くも答える声は無い。聞こえてくるのは、先ほどから耳障りな悲鳴の様な音だけだ。
私は、この状況を作った原因である桜の木へ視線を向ける。木の幹は膨張し、根はレンガを突き破って空を目指し、伸びきった根は一本一本捻じるように一つに集まり、何かの頭蓋と思わしき形をとる。深紅の花びらは幹に寄り添うように付着し、まるで爬虫類の鱗を思わせる鎧となる。
枝が左右上方にそれぞれ伸び、骨格のような物を造りあげる。
木の幹は膨脹し、内側から枝のような物を吐き出す。
それは全部で四本の束となり、巨大な蹄を持つ極強の足となる。
木の根は土より持ち上がり、束となって鋭い、鋭利な尾となる。
紅き血色の花びらは出来上がった骨格へと降り注ぎ、鱗となり、竜頭となる。
そこにいたのは、紅き血色の竜だった。
「……そうですか。アナタがヤったんですね?」
虚ろな思考で私は言葉を紡ぐ。頭の中が弾けそうだ。身体の細胞一つ一つが熱を持ち、目の前の化け物に殴りかかりたい衝動を与える。もちろん、それでどうにかなるなどと思っていない。私にはそんな力は無いことも十重承知している。だけど――――――――。
「―――――――私の友達に、何してくれるんですか!!」
痛む身体に鞭を打って立ち上がり、叫ぶ。目の前の真っ赤な竜はそれに応えるかのように吠え、こちらに向かってそのアギトを開く。あ、私の人生此処までですか……。そう、思った瞬間。
「――――――五月蝿い。もう少し静かにしてくれ、駄竜」
―――――――誰のものとも知れない、第三者の声がその場に響いた。
◇
「――――――五月蝿い。もう少し静かにしてくれ、駄竜」
俺は目の前の赤い竜へ向けて言い放つ。
学校にやってきたのはいいが、何故か屋上から奇妙な魔力反応感じるわ明らかに人間の気配もあるわで急いで屋上へ向かってみたらこの現状。確認できるのは手足が変な方向に折れ曲がっている少女が二人。その身体からは真っ赤な鮮血が流れている。そして、その傍に目の前の異形をにらみつけている黒髪の少女。とりあえず。
「今日の夜は学校への立ち入りは禁止にしてあった筈なんだけどな。そこの黒髪美少女、なんで此処に居る?」
「……えっと」
ふむ、言葉には反応出来るか。大した胆力だな。そう思いながら、地面に座り込む少女へ視線をやる。全く、本当になんでいるんだか。
「まぁ、今はいいか。君はそこでおとなしくしていてくれ。さっさとこの状況をなんとかしないといけないからね」
そう言って、俺は視線を少女から異形の根源へ移し替える。しかしながら、またとんでもないものが出てきたものだ。
異形が襟首をこちらに向ける。その様はまるで、獲物を見つけた血色の竜だ。
「さて、駄竜――――――正確な名前が分からないから駄竜でいいな? なに、心配はいらない。自分が消えた事も気がつかない程度に消滅させてやろう」
そう言葉を口にし、俺は血染めの竜へ向き直る。さぁ、仕事を始めようか。
◇
私は目の前の光景に唖然としている。表現的にあまりに乏しく、なんの捻りもないがそうとしか表現できないのだ。
ごうっ、と旋風が巻き起こる。振るわれる男性の拳、その度に大気は軋み、風は暴れる。風圧で敷き板であるレンガには無数の破砕痕が刻まれ、時には小規模のクレーターのような凹みが出来る。って、これ本当に人間技ですか―――――――――!? さっきの桜のお化け、あの巨体がダンボールみたいに軽々吹き飛んでますし。
「ははは、駄竜がゴミのようだ!!」
男性は笑いながら殴ってますし。ホントにあの人間?
龍頭の女性のようなシルエットが悲鳴を上げる。そりゃそうだ。あんなに殴られたら誰だって泣きたくもなる。それを見た男性は殴っていた拳を止め、地に伏している血色の竜を見上げると。
「ふむ、おもったより手ごたえがないな。これならわざわざ霊符を用意する必要もなかったか。正直、拍子抜けだ」
ため息を吐くように、男性はそう呟く。
「どこぞの者ともしれぬ異形の存在よ。恨みは無いが、俺の仕事の為に消えてくれ」
瞬間、空気が変わった。何か、不思議な得体のしれない物に包まれる感覚。生ぬるい風に抱きしめられているような、そんな空気の質感。そして、最初の目に取れる変化は空だった。
「―――――――月が」
空に浮かぶ月が、蒼海のような青に染まる。その光景はまるで幻想。通常では考えられないもの。まさに、宝石のようなものが夜空に浮かんでいる景色だ。
私は思わず、男性へと視線を戻す。彼は、先ほどと同じように怪物を見据えて悠然とそこに立っている。だが、その瞳だけは違った。
燦然と輝き光を放つ青の瞳。暗がりなのでよく視認できるが、本当に、本当に美しいくらいに彼の眼球は光沢を放っている。
「とりあえず、隔離世へ逝ったら閻魔にでもよろしく言っておいてくれ。では、御機嫌ようだ」
彼は右手を振り上げる。そこに集うのは青き風。尾を引くように蒼海の光を纏う大気は彼の拳に集い、螺旋を描いて収縮する。あぁ、それはまるで魔法のような、そんな現象だ。
そして彼は、その拳を振りおろした。
◇
異形の者が、光の様な魔力の粒子を散らしながら消滅していく。さて、今回の仕事は終了。まぁ、少しばかり屋上は壊しすぎたような気がしないでもないが、後で理事長に連絡でも入れておこう。とりあえず、今すべきことは。
「―――――――ひっ!?」
俺が少女の方へと歩み寄ると同時に、彼女はか細い悲鳴の様な声を上げる。こうも露骨に怯えられると、我ながらショックだな。
そんなことを考えながら、俺は少女から少し横に視線をずらす。そこには、彼女の友人であろう女の子二人の肉体。――――――――うん、まだ辛うじて息はあるな。死んでいなければどうとでもなる。
「そうだな……。概念は逆行、固定範囲時間操作、後は記憶の置換くらいか?」
俺は右手を広げ、倒れた少女達へと向ける。黒髪の子が疑心の目線でこちらを見ているが無視だ。大気を撫でる様に腕を動かし、青の残光で円陣を作る。円陣から線を伸ばし、倒れた少女達を包むように広げる。そこから彼女達の情報を読み取り、掛けている肉体のパーツを補修、復元させる。そこから記憶のデータを逆行、改竄、修正をかける。
「よし、復元完了」
眼前には、傷一つない少女達。アフターケアとして、地面に広がった血の海も消しておいたから問題は無いだろう。残るのは―――――――。
「―――――――ぁ」
この黒髪美少女をどうするか―――――だな。
◇
私は目の前の光景に唖然としていた。だって、男性がさっきの化け物を倒してしまったかと思うと、こっちに来てネオン達の怪我を一瞬で直してしまったんですよ? これで唖然とせずどうしろというのでしょうか? そう、まさしくこの男性は得体のしれない人物だ。
ごくりと、喉がなる。緊張感のせいか、喉のおくがカラカラと乾いているような感覚。吐き出す息には嗚咽の様な束縛感が混じり、私の精神を犯していく。あぁ、これが恐怖というものなのか。
「さて、君にはいくつか選択肢がある。一つ目は、ここで俺に記憶を消させること。俺個人としては後々面倒なので、こちらをお勧めしたい。まぁ、気が付いたら少しばかり頭がパーになって、猫耳が生えている可能性があるが。二つ目は今日、此処で見た光景を誰にも喋らず、君の心の中で封印しておくこと。勿論、誰かに公言したりした場合は、それなりの処置をすると思ってくれ。例えばいつの間にか自宅に、メイド服とキツネパーツのセットが送られているといったことだ。三つ目は、君の存在を無かった事にすること。簡単に言えば、この怪異の犠牲者になるってことだ。そうなると、恐らく三人ともこの屋上からノーロープバンジーだな。――――――さぁ、どれがいい?」
いつの間にか此方を見据えていた男性は、私に向かって問いかける。や、てゆーか。
「真っ当なのが一つもないじゃないですか!? むしろなんですかその色物選択肢っ! 最後の以外は全部コスプレじみたことになっているのは何故――――――!?」
「趣味だ」
「―――――――言い切りやがりましたよこの人!?」
しかし、こんな状況でここまで喋れる自分が素晴らしい。
「それより、一体何なんですか貴方!! さっきの怪物は!? 香織達は大丈夫なんですか!?」
私は心の中の疑問を爆発させ、雪崩のように言葉を発する。
「そんなに一気に質問するな。俺は聖徳太子じゃないんだ。とりあえず、君が今一番知りたいであろう彼女達は無事だよ。肉体と精神の時間概念を逆行させたからね、傷一つ残っちゃいないさ」
「ほんと……ですか?」
「あぁ、本当だ。不安なら、彼女達を見てみるといい」
そう言われ、私はネオン達の傍によってその肌に触れる。ジワリと、自分の掌に伝わる生温かい命の温もり。すぅ、すぅ、と耳に届く呼吸の音。あぁ、生きている。二人ともちゃんと生きている。
私は思わず安堵の息を漏らす。理屈とかそんなのはどうでもいい、ただ二人が無事で本当に良かった。それだけで十分だ。
「無事は確認出来ただろう。さて、最初の質問に戻ろうか――――――どれがいい?」
「じゃあ、とりあえずコスプレ概念を捨てて下さい。むしろもう少しまともな案を出して下さい」
「中々に肝が据わっているな君は。普通、ここは怯えながら思案する場面だろう?」
「私って、友人に言わせればドライな性格らしいですから。まずは貴方が何者なのかはっきりしない限り、話は進みませんよ?」
まぁ、男性が問答無用で何かしてきた場合は、間違いなく私にはどうすることもできないのだが。
「ほう、俺に交渉を持ちかけるつもりか? 名も知らぬ黒髪美少女よ」
「交渉かどうかは貴方の受け取り方しだいですね。だって、私は只の非力な女子高生に過ぎませんから」
「只の女子高生は普通こんな会話をしないと思うがね。だが、面白い。そうだな、君の希望通り、俺が何者か応えてやろう。……そうだな、神は――――廃業したし魔術師ではないな。あぁ、これが一番近い」
男性は一旦言葉を途切り、一息吸うと。
「俺は、吸血鬼だよ」
―――――――――はっ?
―――――――吸血鬼。実在するかどうかも定かではない、人の生き血を吸う鬼の名称。有名どころで言えば、ルーマニアの串刺し公、ブラド・ツェペシュが妥当だろう。
日の光を浴びれば灰になり、ニンニクや十字架、さらには銀に弱いと伝えられている夜の眷属。それが吸血鬼。
そして、目の前の男性はまさに自分がそうであると言っているのだ。だが。
「―――――それって、おかしくないですか? 私、確か貴方みたいな人を昼間に見たことある気がするんですけど……」
ついこの間の下校途中の話である。
「ふむ、まぁ伝承では色々言われているが、実際力の強い吸血種は平然と昼間に出歩いているぞ? ニンニクや十字架に弱いなんてものも迷信だ。ただ、銀に限っては魔除けの概念があるから一概にも言えないがね」
わりと人間の偏見が多いんだよ、伝承っていうのは。と、自称吸血鬼な男性は皮肉げな笑みを浮かべながら言う。
「さて、俺の正体は分かったな? じゃぁ、改めて質問に答えてもらおうか。でないと、強制的に記憶を飛ばすことになる」
「それは困ります。私って結構現実主義なんで、自分がちゃんと記憶した映像を消されるのなんて勘弁なんですよ。どんなことでも、覚えていた方がいいに決まってますしね」
「ほう、ではどうする? 残る選択肢は誰にも公言せずに心の中に留めておくか、屋上からノーロープバンジーだぞ?」
恐らく、前者はお互いにある程度の信頼関係がなければ成り立たない取引。後者の場合はこの世とおさらばだ。もちろん、それは勘弁願いたい。そして彼は自称吸血鬼。伝承ではその類の存在は、約束ごとに関しては絶対的な強制力があると前に香織に聞いたことがある。ならば―――――――――。
「それなら、契約しましょう。自称吸血鬼のお兄さん?」
私は、口元に余裕ともしれない笑みを浮かべながら、そう言葉を口にした。
◇
「それなら、契約しましょう。自称吸血鬼のお兄さん?」
この少女は今何と言ったか。契約?
「正気か? 俺にその言葉を持ちかけるということは、その意味も理解しているのだろう?」
「勿論です。だけど、私は現状ではこれが一番ベストな選択と判断しただけですよ」
「それが契約を持ちかけることか? だが、そもそも契約とは結果があり、前提条件があり、等価交換出来るものが無ければ成立しない。契約の内容にもよるが、それを君は用意できると?」
「契約の内容を聞く前からそれはないんじゃないですか? 吸血鬼というからには、もうすこしゆとりを持ってもいいと思いますけど」
どこから自信が湧いてくるのかは知らないが、少女は俺の目を見据えながら言う。自分にここまで対等な立場に立とうとしながら交渉を持ちかけてくる人間を見るのは、いつ以来だろうか。全く、これだから人の世は面白い。
「では、聞かせて貰おうか。その契約の内容とやらを」
俺は腕を組みながら、少女へと問いかける。
「簡単ですよ。内容はネオン、香織、二人の少女の安全の確実な確保。そして、私の記憶の維持。対価は、私自信でどうですか?」
少女は鎖骨を見せるように、身にまとうブラウスのボタンをはずす。まさに、胸元まで露わになり、少女の白いみずみずしい肌やそれを覆う小さめのブラを大気へと晒す。
「―――――――――ほぅ。自分自身を対価に持ってくるか。だが、二人の安否に関しては君も確認した通り、傷なんかは既に治療した。よって、契約ないようには含まれないと思うが?」
「私は貴方を信用していませんよ。絶対的に大丈夫だって、私自信では判断できませんからね。だったら、確実性を取るまでです。そうすれば、間違いなく私の友達は間違いなく助かりますし。さぁ、どうですか? それとも私では対価としては不満でしょうか? 後、記憶に関してはさっき説明した理由です」
ふむ、ある意味愚者のやるような提案だが、筋自体は通っている。だが。
「その二人は、君にとってそんなに価値のある人間なのか? その二人の為に自分自身を差し出すなど、真っ当な考えではないと思うが」
「あたりまえです。だって、友達を助ける――――――これ以上の理由なんてあります? 私って、意外に情にもろい人間だったらしくて、友人の為ならなんでも出来ちゃうみたいなんですよ」
友の為ならなんでも出来る――――――か。まったく。
「――――――――面白い、面白いぞ人間!! その契約、我が真名に賭けて受けるとしよう……と、言いたいところだが」
えっ、と少女は息をのむ。まぁ、そうだろう。自分自身を差し出した契約、それ以上の対価が彼女にあると思えないしな。だがね。
「今回、俺は正式な仕事の依頼で来ていてね。怪異の解決は勿論、万が一犠牲者が出た場合はそのケアも依頼されている。つまりだ、君がどうこうするまでもなく彼女達は確実に助けたので、契約自体が成立しないんだよ。君には、少しばかり興味が湧いたのが残念だがね。だが、記憶に関してはそうもいかないな。君の記憶と君自身、はたして等価交換と言えるのかな?」
契約は原則として等価交換。記憶と彼女の身柄では、あきらかにつり合いがとれないのが一般的に見た方式だ。
「―――――――でも、私は忘れたくありませんっ!!」
少女は瞳を潤ませながら叫ぶ。何がこの少女をそこまで駆り立てるのかは理解出来ないが、その心意気は嫌いではないな。それに、恐らくこの少女は妥協案でも提示しなければひたすら喰い下がってくるだろう。無理やり記憶を消すのもあまり趣味ではないしな。それならば。
「妥協案だ。俺は普段は探偵稼業をやっていてね。今回もその依頼で此処に来たんだが、暇な時で構わないから何か依頼を持ってきてくれ。それが、君の記憶の対価だ。俺の生活もかかっているから十分だろう?」
吸血鬼でも腹は減る。探偵稼業は中々に大変なのだ。
俺がそう呟くと、少女はピンっとなにか思いついたようにこちらを見上げ。
「なら、私を助手にしてください!!」
そう、声を上げるのだった。どうでもいいが、はやくブラウスのボタン閉めないと、風邪ひくぞ少女よ。
◇
あれから、三日程たったとある休日の昼下がり。
「あれ? こっちで合ってますよね?」
私は迷子になっていた。
何故、そんな状況に陥っているかというと、三日前のあの夜の出来事の後、あの男性から渡された一枚のメモが原因だった。
「俺の事務所の住所だ。三日後、君がその意思を曲げておらず、心の準備が出来たら来るといい。その時、俺は君を助手として迎えよう。来なかった場合は、君の記憶を消すだけだがな」
そう言い残し、あの後男性は屋上から姿を消した。本当に幽霊みたいにすぅーっと。
そして香織とネオン、この二人はというと。
「あれ? 小夜にゃんここ何処!? もしかしてUMAに拉致された!? まさか、私の頭の中には既に謎のメモリチップが――――――――っ!?」
「ん、って何でこんなとこに居るの私!? そして小夜ちゃん、何その格好!? 惜しげもなく平坦な胸を見せている小夜ちゃん……抱きついて――――っ!?」
という感じである。ちなみに二人とも言葉が途中で途切れているのは、私が思わず殴ったせいなのであしからず。
とりあえず、二人には粉々になった屋上に居た時の説明を「二人が屋上に呼び出して、やってきてみたら粉々になった屋上で二人が気絶してた」と適当に誤魔化していた。何故かこの矛盾だらけの説明で納得していたのが気になったが、まぁあの男性のせいだということで納得しよう。
「えっと、ここの角を曲がって、三本目の電信柱を路地裏へ真っ直ぐっと」
地図に従って、人がやってくるとは思えないほど薄暗い路地裏をテクテクと進む。本当に、こんな所に事務所なんてあるんですかねぇ。
そんなことを考えていると、いつの間にか行き止まり。目の前にはスチール製の簡素な扉。あー、もしかしてコレですか?
念のため、息を一息。
「―――――――――っよし」
一声出し、ドアノブへ手を掛け、一気に回し開く。
目の前に広がるのは、わりと急な階段。大体十五段くらいだろうか? その位の階段が、どこぞの非常口のように急な段差を構築している。
恐らく、私の目的地はこの先にあるのだろう。だから、私は段差へと足を踏みしめる。一歩、一歩、カツン、カツンと無機質な音を立てながら私はソレを登っていく。そして、そのゴールには最初開けた扉のようなものが一つ。ただ、一つだけ違うのはその扉に真っ白い張り紙の様な物が張られていることだろう。何も書かれていないが、何か意味があるのでしょうか?
そんな疑問を浮かべながら、今度は迷わず扉を引き開く。そこには。
「――――――――っ」
扉の向こうには、真っ赤な絨毯が敷かれ、いかにも日本とは思えないようなおしゃれな部屋。来客用と思われる黒塗りの高そうな長椅子型のソファーが二つ、茶塗りのアンティーク調のテーブルに向かい合って鎮座している。だが。
「広すぎませんか?」
明らかにあの細い路地裏を抜けた先にあるとは思えないくらいの広さ。ざっと二十畳以上はあるんじゃないですかコレ。
私は思わず、その光景を茫然と眺める。
「お、来たか黒髪美少女」
と、部屋の奥から声がしたと同時に、例の自称吸血鬼な男性が以前見たスーツ姿で出てきた。
「まさか、本当に来るとは思わなかったよ。ふむ、黒髪美少女。君、名前は?」
男性は、私を正面から見据え問いかけてくる。それは、ただの素っ気ないやりとりのように思えるのに、何か神聖な儀式のようにも感じる。だから、私は答える。
「小夜です。秋月小夜!!」
秋月小夜……。下で転がすように、男性は小さく私の名前を呟く。そして。
「浅見屋双司だ。ようこそ、浅見屋探偵事務所へ。そしてようこそ、現実と幻想が入り混じる異端の世界へ」
こうして私の常識という日常は終わりの鐘を告げ、新たな日常の鐘を響かせた。
あとがき
はい。皆さんお久しぶりの方はお久しぶり、はじめましての方ははじめまして、桜月九朗です。
今回のお話は、第一話にあたる出会いのお話。双司と小夜の慣れ始めですね。むしろ初夜。初夜って書くと響きがエロいです。エロさ満載です。いつかエロさ満載のシーンを描いてみたいです。誰かネタプリーズ(笑)
さて、現在銀と青を全面的にリメイクしている訳ですが、過去のプロットを見直しながら思うことがあります。
――――――――キツネ耳と巫女服―――――――――
何がしたかったんですかワタシハ―――――――――!?
そんなこんなんで、今日もなんとか生きています。
では、また次回お会いしましょう。
執筆 桜月九朗
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ごくごく平凡な女子高生を自称する秋月小夜は、桜咲く季節にある事件に巻き込まれることになる。
自称探偵――浅見屋双司は、ある事件で平凡な女子高生を自称する少女と出会った。
ある時代、ある場所、ある日を境に始まった、ただの春から始まり春で終わる現代神話の話しである。