青空高く、いまだその日差しに暑気を残した幻想郷の空には真っ白い雲が群れを成してうずくまっていた。
その幻想郷を支える博霊神社の杜では風が奏でる木々のさえずりと鳥の声で木霊が響いている。
穏やかな空気が支配するなか、突如神社の境内からそれらを打ち消すような、大きな音と振動が鳴り響いた。
「要石だッ!!」
「遅すぎるのよ、それ」
「なん……だと……」
「終わりよ。神霊『夢想封印』」
「きゃぁぁ」
天地開闢プレスによる地震のような揺れがいまだに続くなか、大型の霊力弾をまともに受けた天子は境内の石畳の上を盛大に転がりまわった。
倒れた天子の目の前に降り立った霊夢は呆れたように溜息をつくと、お払い棒を肩に掛けて天子を見下ろした。
「あんたもよく飽きないわね。これで何敗?10回目からは私もう、数えるのをやめてるのよ」
「うぅ……27敗」
「そう。まあそんなことはどうでもいいわね。お茶菓子があるからお茶でも飲んでいきなさい」
その言葉と同時に天子は一息に上半身を上げ、その勢いのままに右手を上げて「ハイ!」と自己主張をした。その顔には先ほど目の前の相手に吹き飛ばされたことなど忘れてしまったかのように晴れ晴れとしていた。
「私冷たいのがいい」
「文句言わないの。氷室の氷だってそんなに備蓄があるわけじゃないんだからね」
「えー」
口をすぼめてふてくされる天子だったが、霊夢がお払い棒を勢いよく目の前に振り下ろすと思わず両手を挙げて固まってしまった。
「あなた、勝手にやってきて喧嘩吹っかけきて、そんなわがまま通ると思って?」
「ぐぬぬ……」
「わかったらその汚れ落として上がりなさいな。あなたが持ってきた桃もちょうど萃香が剥き終わってるでしょ」
「はーい」
そう言って天子は服に付いたホコリを手ではらい落としてから、さっさと社務所に向かった霊夢を追いかけた。
社務所に入ってから母屋へとつながる渡り廊下を抜けると、すぐに特徴的な二本の角が眼に入った。足をぷらぷらと揺らしながら一口サイズに切った桃を爪楊枝で刺して口に運ぶ姿がなんとも幼げだが、れっきとした鬼の一族、伊吹萃香である。
「おかえり霊夢。てんこちゃんもまた負けたかい」
「てんこいうな」
そう言って天子は霊夢の脇をすり抜けて萃香の隣に座った。皿に盛り付けた桃に用意された爪楊枝を刺すと、放り投げ入れるように口の中に入れる。舌の上でとろけるような甘みが広がり、さらに歯で噛み潰すとジュースのような果汁が口いっぱいにあふれ出して、天子は思わず「んー!」と声を上げた。
「やっぱり体を動かした後に食べるこの桃は最高ね。こういったことは天界じゃできないわ」
「あなたまさか、そのためだけに私に喧嘩吹っかけてるんじゃないでしょうね」
「ふぁ、ふぁふぁか……(ま、まさか……)」
2個3個と口に桃を入れながら天子はあさっての方向を向いて呟く。その態度に霊夢は腰に手を当てながらため息を一つつくと、萃香を挟むようにその隣に座った。
桃を載せた皿は盆に載せられており、その盆には霊夢が用意させた羊羹と湯飲みが3人分置かれていた。
霊夢は湯飲みを一つ取ると、何度か息を吹きかけてから舐めるようにお茶を飲んだ。それから爪楊枝に羊羹を刺して口に含む。餡の甘みがしっとりと舌に伝わり、疲れた体に染み渡るような感覚を覚えた。
「霊夢よぅい」
酔っているような声を出して萃香は霊夢に声を掛けた。それに不穏な気配を感じて、「なによ」とお茶を啜りながら視線だけ萃香に向けた。
「いま羊羹を食べたときの顔、てんこちゃんと同じだったよ」
「ぶっ!?」
「ちょっ!?」
飲んでいたお茶を噴出し、天子は思わず2人から離れるように後ずさった。霊夢は「げほっごほっ」むせかえっており、萃香だけがケラケラと笑い続けている。
「萃香、あんたなにいい加減な……」
「いやほんとほんと。今にもんー、て言いそうな顔だったよ」
「そんなわけないでしょうが。ったく」
眉にしわを寄せてお茶を飲む霊夢だったが、正直なところ羊羹を食べて気が緩んだことは図星であり、気恥ずかしく感じるのであった。
それを尻目に萃香は未だに笑いながら桃を食らっていた。
「私もお茶と羊羹もらうわね」
天子も置かれた湯飲みと羊羹を取り、羊羹を十分に味わった後にお茶を含む。羊羹の甘さをお茶の渋みが際立たせ、桃とは違う種類の甘味が体を抜けていった。
「おいしいわね」
「だろ。霊夢もほれ、桃うまいぞー」
「ふん……」
ふてくされながらも霊夢は桃を口にした。 ちょうど風が縁側を通り抜けた。それは秋のうららかな陽気を運び、足裏をさする草々は太陽の日差しを思い出すかのように黄色く変色している。数日前まで散々鳴き喚いていた蝉もすっかりとなりを潜め、いまでは木々をなでる音と、少女たちの「はー」という極楽の音だけが鳴り響いていた。
「毎回思うけど、てんこちゃんって本当天人っぽくないよねぇ」
食べていた桃を飲み込むと、爪楊枝をくわえながら萃香は天子に言った。
「だからてんこいうな。まあ、他の天人からは不良天人なんて呼ばれるくらいだし、だからこそ衣玖のような付き人が付いてまわってるんだけどね」
「あなた散々えらそうなこと言ってたから、天人ってのはもっと顕現あらたかな、聖人君主みたいなのだと思ってたけど」
桃の皿に爪楊枝を立てかけて霊夢は言った。
それに対して天子は眉をひそめる。
「私だって好きで天人になったわけじゃないもの。親の都合。親が泳ぎの名手だからといってどうしてその子も泳げると言えるのかしら。そんなものに天人の威厳もなにもあるものですか」
「そこまで自分でいうかねぇ」
爪楊枝を口で上下させながら、萃香は両の手を頭の後ろに伸ばした。
『求聞史記』によると「天人とは俗世間に完全に別れを告げ、輪廻転生の輪からも外れ」た存在とある。さらに天人になるにはまず欲を捨てなくてはならないとある。
そういった意味では天子はよく俗世間と交流を交わし、こうしてお茶と甘い食べ物にうつつを抜かしながら悪態をつく姿は俗っぽく、天人らしくないとも言えた。
「そもそも天人らしく、ってどういうのを言うのかしらねぇ。衣玖がちょくちょく言ってくるけど」
「そりゃあ、さっき霊夢が言ったみたいに無欲で慎み深い『聖人君主』、てやつじゃないかな」
「わたしもそんな感じを想像してるわね」
萃香と霊夢の答えに天子は少し大きめに切られていた桃を勢いよく齧った。
「よく言われるわ。でも、その『聖人君主』というのがそもそも何をさしているのやら。無欲にしたって、それって希望がないのと同じよね。欲も希望も何々したい、なりたいという感情だもの」
天子は爪楊枝をタクトのように振るう。まるで2人の生徒を前に講義をする先生のような姿に、萃香と霊夢はお茶を飲みながらも耳を傾けた。
「つまりは欲と希望は言葉は違えど本質は同じということ。言うならコインの表と裏ね。どちらかを否定すればもう片方も否定しなければならないし、どちらかを肯定すればもう片方も肯定しなければならない。否定と肯定は両立しえない。ならば天人になる第一条件の『欲を持たない』とは希望を捨て去ることにある。そんなのわたしはいやよ。だってそうでしょう。ヒトは希望がないと生きていけないもの」
そこまで言って天子はお茶を飲んだ。喉を潤したあと、胸に詰まった何かを吐き出すかのように力強く言葉を放つ。
「人間の本質は『欲』よ。いいえ、それはすべての生物がもつ本質ね。そのなかから人間は『希望』を見出すことができる。『欲』に振り回されることもあるけど。そんな欲を捨てて生き続ける天人というものは、アンデット。つまり生きながら死んでいる存在。そんなものに価値はないわ」
これで終わり、とでも言うように天子は湯飲みに残ったお茶を飲み干して、最後の一切れとなった羊羹を摘んだ。
隣に座る萃香も爪楊枝を皿に置き、「あー」といいながら頭を1掻きする。
「つまり、てんこちゃんは……」
「だからてんこいうな」
「希望を持って生きたいわけだ。少女よ、大志を抱け、か」
「そんなたいそうなものじゃないわね。単にそこに意味も無く存在する天人たちと一緒に暮らすのが退屈でしかたないだけよ」
「まあ、わからなくもないわね。前にあなたの騒動で天界に行ったときに何人か天人を見てきたけど、なんというか『異質』だったもの」
霊夢も飲み終えた湯飲みを盆に載せてそう答えた。
なんの悩みも無く、苦痛も無く、ただ陽気に釣りや音楽、飲み食いができるというのはつねに賽銭の悩みを抱える霊夢には羨ましい限りではある。それでも霊夢が見た天人の第一印象は「異質」であり、「不可解ななにか」であった。
「あれってなんで存在してるのかしらねぇ」
そう言って霊夢は上体を後ろに傾けて天を仰ぎ見た。
空は相変わらず澄んで高く、投げかけた問いも落ちてこずに吸い込まれるばかりである。
と、急に鼻のあたりからぴりぴりと痺れるような感覚が走った。
隣の2人も同じような感覚がしたのだろうか、萃香も上を見上げ、天子は「あちゃぁ」とでも言いたげに下を向いた。
「保護者が来たみたいだねぇてんこちゃ……」
「だからてんこいうな。まあ、そろそろいい時間だもんね」
よいしょ、と天子は一声上げて立ち上がった。一緒に霊夢と萃香も立ち上がり、社務所の玄関へと歩いていく。靴を履いて玄関をでると、ちょうど目の前にフリルのついたヴェールを付けた永江衣玖が待ち構えるかのように佇立していた。
「お待ちしてました総領娘様」
「ん」
母に連れられる子のようにおとなしくついて行く天子だったが、鳥居を出る直前、ふと立ち止まって霊夢たちの方を向いた。
そして手を振ると、杜に染み渡るかのような大きな声を挙げた。
「じゃあね、霊夢、萃香。また来るよ」
「にゃ~」
萃香も声を挙げて手を振る。霊夢はそれを尻目に笑みを浮かべていた。いつもなら「もう二度とくるな」と言っていたのだが今日はひらひらと蝶の舞うように手を振り返した。
「また来なさい。いつでも相手してあげるわ。飽きるまでね」
その言葉に天子はまた強く手を振ると、衣玖とともに階段を下りていった。
「天人らしくないかしら」
霊夢と萃香が見えなくなってから、天子は衣玖になんとはなしに問いかけた。
普段、天人は天人同士でしか馴れ合わない。たまに人里に下りても人間に不可解な言動を繰り返して珍騒動を起こして帰るだけだ。それはある意味「俗にまみれていない」からこその行為であった。そんな天人の行為と比べれば今の天子のように、誰かに会いたいから行くという行為は明らかに違うであろう。
それでも、お目付け役として付けられた衣玖はただ一言だけ語りかけるだけであった。
「いいお友達を得ましたね」
秋を運ぶ風に吹かれながら言ったその言葉に、紛れ込ませるかのようにぽつり、と一言だけ天子は呟いたのだった。
「これで退屈しそうにないわ」
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毎週土曜日に作品を投稿するのを目標としてましたが、仕事が多忙なのと体調不良で執筆の時間がとれなく、数週間も間を空けてしまい申し訳ないです。そのうちオリジナルも投稿したいなー。でもプロットを組む時間がなかなかとれないなー。ネタはあるけどプロットができてないというパターンが多くてクマる。