学年登山の三日前その日、僕の心は体が階段を転げるのと一緒に落ちた。
「S中の華」とうたわれる保健の先生の車に乗せてもらえたのは僥倖だったが、やはり軟骨骨折全治二週間という診断はショックで、流行る気持ちを抑えきれずにまとめた荷を解くときは少し泣いたほどだった。
しかし、僕の受難はそれで終わらなかった。なんとみんなが戻るまで図書館登校をしろと言うのである。
大好きなSFを読んでいる分には全く退屈しないので問題はなかったが、なぜ図書館なのか。それは保健室が特殊な扱いを受けている、その現れに違いない。保健室は精神的に難のある不登校児達のメッカであるべきだと、S中が断を下したのだ。
いや、実際にそんなことがはっきり言われたわけではない。僕の心の耳がそれを聞き取っただけだ。よってこの話はフィクションである。
不登校云々を語り出すと長くなるので割愛。
まだこの話は終わらない。
炎天下の図書館に詰められて2キロ痩せた僕を待っていたのは、更なる受難であった。
いくらなんでもそれはないだろうと思っていたのに、担任は行ってもいない登山のアルバムを作れと僕に命じたのだ。
命じるだけなら簡単であろう。しかし僕にはそんなことはできない。
なぜなら僕には、写真などをもらう(その時にかわいそうだと思われる)、まるで行ったかのような体でコメントを書く、それを甘い採点で褒め殺されるという三重苦が容易に想像できたからである。
だから僕は、とびきりナンセンスなものを作ることにした。思いやりのない教師へのささやかな抗議である。
タイトルは「お土産話を聞いて」とした。これならサルでもこのアルバムは登山に行っていないものが作ったということがわかるだろう。
そして、そんな誰も見たがらないアルバムを開いた物好きを迎えるのは未練まみれなコメントの数々である。「軟骨骨折していなければ……」というフレーズなどは確実に二桁は書いた。
創意工夫、そして嫌み妬み僻みを凝らして制作した黒いアルバム、展覧会でそれはまず厚みで目を引き、多くのクラスメートたちを震撼させたことだろう。
編者の装飾センスに向けて残されるコメントなどあるはずもなく、あったのは人に押しつけたくなるほど出来の悪い写真に対する賞賛だとか明らかに受けをねらった駄文程度だった。
そうなると楽しみなのは教師の寸評である。このダークなアルバムに奴はどんなコメントを残すのか。
謝罪、叱責、賞賛、いろいろと想像したのだが、現実は想像とは異なるものであった。
「学生は勉強が本分です」
このコメントを考えれば考えるほど、教師という立場から僕をたしなめているようにしか取れず、僕はやり場のない怒りを抱えるしかなかった。
あのダメ教師の青春からすべての余分要素を排除して発狂させてやろうかと思った。
しかし、よくよく考えればそれが初めてタイムマシンを作ろうと思った時なのである。
――自伝「タイムマシンをつくる」より抜粋
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この話は事実に基づくフィクションです。