和らいだ残暑の陽光をたっぷりと取り込む、タワー上層の福祉フロア。丸みを帯びた建物は植え込みや芝生の緑とともに日を浴びる。
校舎の門から下校する生徒の中、急ぎ足の白い少女が目立った。
相変わらず一人で下校するネオンの表情は、もう四月までのように冷たくない。駐機所にシルフィードが預けてある。早く迎えに行って一緒に飛びたい。
芝生の道をさくさくと進む感触が心地良い。鐘を鳴らしながら進む屋根のないトラムとすれ違う。少しだけ咲いているタンポポが頬を緩ませた。
日下氏がタワーにタンポポの種を撒きに来るのを知っているのは、このフロアで自分だけだ。
駐機所にある更衣室の分子プリンターでワンピースを回収し、飛行服を作る。
愛機を受け取ってテラスに出ると風はまだ暖かく、雲は夏の姿のままで群れている。一応見回すが近くにもテラスにも他のフリヴァーはない。
そこで、ワタルからの着信。
「ネオン、お前に客だ。お前が相手でもいいってさ。実力はちょうどいいはずだよ。お前の準備ができ次第こっちに向かって飛んでくる」
「はいっ、すぐ行きます!」
機体を背負う。確認事項、オールグリーン。
シルフィードはネオンの小さな体を持ち上げる。タワーの外壁が眼下を退き、深い空間が現れる。
すぐに雲を飛び越えないと目が利かない。
相手も同じ考えでいるだろうか。
それとも雲の下で待ち伏せか。
雲を破りしばらく走る。
十時の方角に、影。
一目でわかるエの字のシルエットは、運動性が自慢の五栗製「駒鳥」。
足が遅い代わりに、もし捕まったら一巻の終わりだ。むやみに近寄ってはいけない。
進む向きが飛行場に定まっているなら有り難い。
左横転、ループ気味に急旋回。
離れながら、雲に紛れて、
大きく左側を迂回する。
相手は気付かず進む。
索敵に必死だろう。
こちらも不安だ。
充分回り込んで、
内側に向かい上昇。
駒鳥は後上方が死角だ。
良い位置に突出た雲。
影に隠れ、急接近。
回り切ったところで相手が動くが、
もう遅い。
ブザー。
降りてみると、ワタルの隣に珍しい姿がある。
あの柿色のパイロットだ。
「じゃあ、そういう訳だから」
「あ、ああ。じゃあ」
シルフィードを身に着けたままのネオンが近寄る前に、柿色のパイロットはそそくさとカフェの軒下をくぐっていった。
振り返ったワタルは涼しい顔をしている。
「おお、問題なかっただろ」
「はい、運がよかったので……。あの、どうかしたんですか?」
「タチバナか。あいつは割とやる気あるほうだからな、アドバイスだよ」
それにしては以前ひどい剣幕で怒鳴られていたようだが。とはいえ、皆が皆全くやる気がないわけではないのはネオンにも嬉しいことだった。
相手の駒鳥もすぐに降りてくる。
背後に黒い影。速い。
右上、真下、左。
機体を揺さぶる。
全く離れない。
ブザーとともに、午前が終わる。
この土曜、挑戦者のなかったワタルはネオンを完璧に打ち負かした。ネオンにはそれが爽快そのものだった。
ワタルは練習でも一切容赦しない。レイヴンのヘルメット部分から抜け出た顔には開放感が溢れている。
だが、カフェにはなんともすっきりしないものが待っていた。
若いパイロットたちがテーブルを囲むのはいつも通りだが、その五名のうち一番手前、薄青のパイロットが、にやつきながら立ち上がってワタルを出迎えたのだ。
「おう、ヒムカイお疲れ!」
「シミズ?」
いつもなら、こんな明るいねぎらいの言葉をかけたりは絶対にしない。
ネオンはワタルの後ろから踏み込めなかった。薄青のパイロット、清水はワタルの肩に馴れ馴れしく手など回して話し続ける。
「いやーやっぱりお前みたいなちゃんとしたすげーパイロットがいてくんなきゃこの飛行場はもたねえよなあ、俺らもせっかくパイロットなんならちゃんと取り組もうと思ってさ。あ、ほらお前!ヒムカイの分の飲みもん持って来いよ!」
一番奥の席にいた柿色のパイロット、立花がカウンターに急ぐ。ワタルは冷ややかな目で清水を見ていた。
「そんでさ、俺らヒムカイに相談があんだよ」
「何だ」
「俺ら、五人でアクロチーム作ろうと思っててさ。それだと揃いの機体が必要じゃん?なるべくいいのがさ。それで、さ」
清水はワタルの正面にまわり、腰をかがめる。
「ヒムカイから日下さんに頼んでレイヴン借りるわけにいかねえかな?五人全員分」
明らかに無茶な頼み。それはネオンにもはっきり分かった。
有望とはいえないチームに軽々しく貸せるほど、レイヴンは気軽に作られたのではない。
加えて彼らが真剣に曲技に取り組むなど、ステータスとしてレイヴンを手に入れるための口実と疑わずにいられなかった。
ワタルは黙って左手側のテーブルにつき、立花からコーヒーを受け取る。
「ん、そうだな、それは」
コーヒーを一口すすり、当然のことのように告げた。
「ネオンに勝ってから言うんだな」
風の音が急に耳に届く。
清水の目つきが変わった。
「何だって?」
「飛行場を代表して演技を見せるだけの実力がお前らにあるのかって言ってるんだよ。現にお前は一回ネオンに負けてそれっきりだ。レイヴン貸して下手クソなもん見世物にさせるわけにいくか」
ワタルは淡々と答える。清水は口元をゆがめるが、目は笑っていなかった。
「なぁに言ってんだよ、お前くらいのパイロットなら手加減したことぐらいログだけで分かるだろぉ?」
「お前の方こそ相手の実力も分からないのかよ。あんな手抜きするまでもなくお前の負けだ」
これでもう、清水の表情から申し訳程度の笑みも消えた。
「身内買い被んのもいい加減にしろよ!ここは元々俺達の飛行場だろうが!後から来たてめえが威張り散らして、その上気ぃ遣わねえといけねえような奴まで連れ込みやがってよ!なんで俺達が居心地悪い思いしなきゃなんねえんだよ!」
ネオンは頭にかっと血が昇る感覚に、戸惑った。
何も気を遣われることなどない。そんなつもりで飛行場にいるのではない。自分はワタルの添え物でもなければ白くかよわいお嬢さんなどでもない、一人のパイロットだ。
そう言いたかったが口が開かない。清水が刺すような視線を向けている。
しかしここから逃げ出すことはできない。抜け出してここに来たのだから。
ただ、目に涙を溜め、奥歯を噛み締めながらワタルの隣まで歩み出ることだけがネオンにできた。
そこで左腕を、ぽんと叩かれる。
振り向くとワタルは依然顔色一つ変えず正面を向いていた。
「勝てるってことだな?ネオンに。それを俺に示してくれるな?」
「……てめえはどうなんだよ」
「あ?」
「てめえは本当に俺ら五人全員に勝てるのかって言ってんだよ!」
この中にワタルに敵う者がいないのは明白だ。清水は逆上してこんなことを言っているだけなのだ。
ワタルが鼻で笑うのがネオンにも聞こえた。テーブルを囲む面々も、皆頭をかかえたり手を組んで顔を伏せたりしている。奥の立花だけは神妙な面持ちでこちらを見ていた。
「そのつもりだよ。よし、じゃあこういうのはどうだ」
ワタルは立ち上がり、カフェの軒下から出ていく。
「今から俺がお前ら全員とまとめて試合する。俺一人対お前ら五人だ。俺が負けたらレイヴンを借りれないか日下さんに頼んでから飛行場から出ていってやる。それに」
ワタルはレイヴンを身につけ始めた。
「俺が勝っても、一週間後にネオンがお前ら五人と連続で試合して一人にでも負けたら、レイヴンのことは頼んでおくしお前らのチームが好きに練習していい。それでいいか?」
普通なら不安に思うような約束を勝手にされているが、それでかまわないと思えた。
「本気だな!?じゃあやってやるよ!」
「ネオン、お前は?」
ワタルはフリヴァーに関する見立てを誤ったりしない。はっきり決着をつける機会が与えられるなら願ったりだ。
「大丈夫です」
五人はくの字の隊列を作り、調布のタワーを周回した。先頭は清水のE型センチネル。
ワタルも飛行場を挟んで反対側、府中のタワーをまわっているはずだ。
ほぼ南北に広がる隊列を崩さず飛行場に向かう。
着いてもワタルの姿は五人に見えない。
「頭が五個もあるくせに」
ワタルはつぶやいた。
ネオンには管制でわかっていた。
ワタルは五人の遥か上、
太陽の中にいる。
隊列と平行に、
太陽を出ず、
降下、
急加速。
編隊は不動。
横転しつつ、
連射。
右端の立花が反転。
五重のブザーの後、ようやく隊列が崩れた。
一度の急降下で五人全員を撃ち抜いた。信じがたいことだがログを見ればはっきりしている。
着地した自分を迎える、見開かれた十個の黒い目と二つの赤い瞳に囲まれ、ワタルは平然と言った。
「じゃあ、一週間後だな」
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二十二世紀初頭、一面の草原と化した東京。
主人公の少女・ネオンは黒いパイロット・ワタルの導きにより飛行装置「フリヴァー」を身に着け、タワー都市を飛び出してスポーツとして行われる空中戦の腕を磨く。
空を駆ける男女のライトSF。
◆サイトに第四十七話掲載いたしました。