007
時間は少し遡って、羽川との電話の続きである。
「少し気になる事があってね」
「気になる事?」
「さっきも言ったけど、前提の話」
「ああ、今回の怪異が妖精かどうかって話か」
「ううん、もっと前提の話だよ」
「え、まさか戦場ヶ原が記憶喪失なのは、怪異の仕業じゃないっていうのか?」
「ううん、もっと前」
「これ以上前だって? なんだそれ、検討もつかないぞ?」
「えっとね、そもそも本当に戦場ヶ原さんは記憶喪失なの?」
——は?
「いやいや、そうだろ。
まさか、戦場ヶ原の悪戯だっていうのか?」
いくらハロウィンだからといって、これはやり過ぎだろう。
「ううん、そうじゃないよ」
「じゃあ、どういう事だよ」
「そもそもその阿良々木君と一緒にいるその人、本当に戦場ヶ原さんなの?」
「——」
それは。
それは本当にいつの間にか僕が勝手に「前提」だと思っていた事だった。
思い込んでいた、と言ってもいい。
「そもそも、今阿良々木君が話しているその彼女が、本人じゃ無いっていう可能性を、考えて無かったんじゃないかな」
「いや、確かに我ながら記憶喪失っていうのは、突拍子も無い話だとは思うけれど、でもそれは」
「取替え子」
僕の言葉を遮り、羽川は聞いた事の無い単語を言った。
「取替え子、またはチェンジリングっていってね、生まれたばかりの赤ん坊を、妖精がさらってしまって、代わりに自分たちの子供を置いていくっていう伝承は、結構有名な話なんだ。
まあ戦場ヶ原さんはもう赤ちゃんではないけれど、妖精は、人に姿を変えられるのよ」
「いや、でもそれこそ記憶の話になるだろ。
それともその妖精達は、本人の記憶まで再現する事ができるのか?」
「彼女は、戦場ヶ原さんしか知らないはずの事を知っていた?」
「ああ、お前や神原の事だって」
「どれくらい知ってた?」
「え、いや……取りあえず名前は知っていたな」
「それは携帯電話があれば知る事が出来るよ。
取替え子で人間の子を演じている妖精は、とても頭が良かったみたいだし、それくらいの事は答えてくると思う」
「話し方とか、物腰も戦場ヶ原のそれだったぞ?」
「本当に? いつの間にか阿良々木君から情報を聞き出してこなかった?
戦場ヶ原さんがどういう人間かを、さり気なく探ろうとはしてこなかった?
戦場ヶ原さん、その怪異に実際会って声をかけているみたいだから、ある程度の口調なんかは、相手に伝わっていると思うよ」
「それは……」
確かにそう言われれば、彼女と話しているうちに、最初は大きかった違和感が、段々と薄れていった。
最初に僕に対して文房具で攻撃してきたのも。
戦場ヶ原だったから、では無く、武器らしいものが他に見当たらなかったからなのか?
「でも、成りすますならどうして昔の戦場ヶ原なんだ?
普通それなら、今の戦場ヶ原に成りすますものなんじゃないのか?」
「取替え子の妖精は、入れ替わる前の本物より性格が悪い事が多いそうよ」
性格が悪いって……。
しかし、言われて見るとそんな気もしてくる。
いつの間にか、勝手に僕は彼女が記憶喪失だと思い込んではいなかったか?
こと怪異に対して、人間と入れ替わるのと、人間の記憶を弄るのとでは、どっちが難しいかなんて、その質問自体がナンセンスである。
「まあ、もちろん私の思い違いかもしれないし、一応鎌だけかけてもらってもいいかしら?」
「ああ、解った。試してみる」
なんていうやり取りを、さっき電話でしていたのだ。
今思えばハロウィン、妖精とまで思いついて『仮装』つまり姿を変えるという所にまで、どうして頭が回らなかったのだろう。
人間が怪異に変装をするなら、その逆だって、あっておかしくない。
それこそ、本当にらしいと言えばこれ以上らしい事なんて無いのに。
間違った思い込み程、厄介な物はない。
ただ見た目や性格がそっくりなだけで、僕はそれが本人であると、疑う事すらせずに、判断してしまった。
偶然読んだライトノベルの知識が、偶々状況に合致した、本来なら全然関係の無い事柄が関係しているように見えて、強く印象に残ってしまったのだろう。
そういう思い込みはとてもやっかいだと、他ならぬ戦場ヶ原に忠告されていたというのに。
八九寺に、あんな偉そうな事を言っておいて、一体僕は何をやっていたのだろう。
中身と性格はイコールではないだなんて、どの口が吐いたのだろうか。
ああ確かに、こんな下らない事、忍は手を貸してくれないだろう。
ただただ、僕が一人で間違っていただけだ。
まあでも何にせよ。
「お前は戦場ヶ原じゃない」
僕は再び目の前の戦場ヶ原の姿をした何者かに、確信を持って言った。
「何を言っているの」
「お前は、ずっと前からの知り合いのはずの、神原の事すら知らなかった」
「知っているわよ、彼の事について知らない事は無い、とまでは言わないけれど」
「まあ、そういう勘違いをしてしまうのも無理は無いんだけどさ」
「何が勘違いだって言うのよ」
「神原駿河っていうのは、戦場ヶ原の後輩の女の子だよ」
「だから——え?」
「確かに、名前だけから性別の判断はつき難いよな」
神原に限らず、僕の周囲の人間は名前から性別が解りにくい。
僕の周りで、性別が名前から一瞬で解りそうなのは、おそらく千石くらいのものだろう。
翼、だってこう言ったら羽川には悪いが、あまり女の子らしい名前じゃあないし。
でも彼女は自分から戦場ヶ原の携帯に電話をかけてしまったから、声で女である事がばれていた。
「だって、神原は貴方の恋敵なんでしょう?」
「ああ、神原は百合なんだ」
まあ普通男の恋敵っつったら男だもんな。
間違えてしまうのも無理はない、でもそれは。
「記憶喪失というのでは、説明がつかない間違いだ」
神原を使って鎌をかけたのには、少しだけ罪悪感が無いでもなかった。
さっきはあんな事言ったけど、実際に僕は神原なら、二つの返事で僕達に協力してくれると信じている。
彼女も羽川と同様、ツンからドロになって、ある意味面白味が無くなってしまった最近の戦場ヶ原が、今までで一番良いと言ってくれていた。
信じていいんだよな?
たまに、戦場ヶ原が前ほど明確に拒絶の態度を示さないのをいい事に、過激すぎでは無いかと思えるようなスキンシップをとる事があるけれど、あれは只のネタですよね? 神原さん。
なんてぞっとしない事を考えていると、おもむろに彼女が立ち上がった。
「流石にバレちまった、みたいだな、ひひひっ」
そう言って戦場ヶ原と同じ顔をニヤっと歪めて笑うと、デロン、と文字通り化けの皮を剥ぐように、彼女の体が服ごと変形していった。
「やっぱり、戦場ヶ原が言っていた子供か」
その変形した後の姿は、いや変身を解いた姿は、戦場ヶ原の言っていた奇妙な子供の姿かたちと一致していた。
身長がかなり低い上に、帽子を深く被っているせいで、その顔を伺う事は出来ない。
そしてソレは戦場ヶ原とは似ても似つかない、少年のような甲高い声で喋りだした。
「正直俺はてめえが妖精の話をしだした時点で正体がバレたか、と思ったぜ。
ひゃはははははっ」
妖精、というのは正解だったのか。
まあそんな事はどうでもいい。
「戦場ヶ原を何処にやった」
今は本物の戦場ヶ原の居場所、そして安否が何より大事だった。
「さあな俺はそんな事、知らねーよ」
「とぼけんな」
「知らねーって俺は只あの女が落としたこの携帯電話ってやつを届けてやろうと思った、だけだぜ?」
「つく意味すらわかんねえ嘘をつくな」
「嘘じゃねえよまあ普通に返すだけじゃ面白くねえしなかなかあの女帰ってこねえからちょっと悪戯してやろうとは、思ったけどさ。
ひゃははっ」
しかしさっきから不快な喋り方や笑い方をするなコイツ。
こういう抑揚の無い早口は、意味を汲み取りづらくてイライラする。
「最初あの女に成りすまそうと思って家に帰ってお前がいたときはめちゃくちゃ、驚いたぜ。
ひひっ。
そういやあの時はいきなり暴力を振るっちまって、悪かったな」
そこは謝るのか。
「謝るくらいなら最初からすんなよ、というか成りすますのに何でいきなり暴力を振るって来た」
「驚いちまったんだよ阿良々木暦って奴が家に居るのはこの携帯電話に届いていたメールでわかってたんだけどよまさかそれが、男とはな。
ひゃははっ」
今思い出すと、最初にこいつと顔を合わせたとき、阿良々木暦という名前に対して、奇妙なな反応をしていた気がするが。
そうか、女だと思われていたのか。
僕こそ、名前から性別がわかりにくい筆頭なのかもしれない。
「そんな事はどうでもいい、どうでもいいんだ。
もう一度だけ聞くぞ、戦場ヶ原を何処にやった。
正直に答えないようなら、今度はこっちが実力行使に出るぞ」
「脅したって駄目だぜ本当に知らねえよ俺はやたら慌てた様子で走って行くあの戦場ヶ原とかいう女を見てそんときこの携帯を、拾っただけだぜ」
そう言って、その携帯を見せびらかす妖精。
「俺が見える奴なんて珍しかったし声をかけられるなんて本当に、久しぶりだったからな」
戦場ヶ原も怪異に関わった経緯があるせいか、いや、現在進行形で僕と関わりがあるせいか、そういう物を引き寄せやすくなってしまっているのかもしれない。
「そしたらちょっとだけ嬉しくてなついついらしくも無く親切をしそうに、なっちまった。
ひひひひっ」
「そんな話が信用出来るか」
このままこれ以上話をしても無駄だ。
僕は何時でも動き出せるように、眼前の妖精に意識を集中させた。
「そんなに凄んでもしらねーって——」
一触即発、そんな空気の中唐突に携帯がなった。
僕のでは無い、戦場ヶ原の物だ。
そちらに一瞬気をとられた隙に、妖精は僕に向けてその携帯を投げつけてきた。
「じゃーな結構お前も、楽しかったぜ
ひゃはははっ」
そう言うと妖精は、なんと開いていた窓から外に飛び出していった。
「待てっ!」
不味い、逃げられた。
実質、今戦場ヶ原の行方の手がかりはあいつ以外に無い。
後を追わないと、しかしその前に、戦場ヶ原の携帯のディスプレイが目に留まった。
「誰からだ……父?」
戦場ヶ原の携帯のディスプレイに、父と表示されているなら、それはもちろん戦場ヶ原の父親だろう。
一応、出ることにする。
「もしもし」
「もしもし……もしかして阿良々木君?」
「……戦場ヶ原か?」
「ええ、阿良々木君が出た、という事はやっぱり携帯は家に忘れて来たのね」
「え、ちょっと待て、お前無事なのか?」
「何のことかしら?
ああ、ごめんなさい連絡をしていなかったものね、いきなり急用——遠い親戚のお葬式に出る事になってしまって、連絡する暇が無かったのよ。
向こうに着いてから携帯が無いのに気がついてから、お父さんの携帯を借りて、何度か私の携帯にかけてみたのだけれど、誰も出なかったのよね」
なんだそれは、じゃあ本当にあの妖精は、戦場ヶ原に何もしていないというのか?
「心配しても当然よね。でも今日の夕方には家に帰れるから、安心して頂戴」
「……本物?」
「はい?」
「戦場ヶ原、僕との初デートは何時だ?」
「今年の6月13日火曜日の放課後よ」
「先週の週末、一緒に見に行った映画のタイトルは?」
「何言ってるの、そもそもそんなの行ってないじゃない」
「戦場ヶ原」
「どうしたの? 阿良々木君ちょっと変よ」
「すっげー心配した」
「それは、本当にごめんなさい」
「ううん、いいんだ。僕が勝手に一人で暴走しただけだから。
それにむしろ謝らないといけないのは、僕のほうだ」
「……もしかして、また何かあったの?」
「大丈夫、もう解決したから」
「そうなの。何だか解らないけど、連絡しなくてごめんなさい」
「やめてくれ、お前にこれ以上謝られると、立つ瀬が無いよ。
本当、情けない。
僕は今回、ただただ必死に空回りして、格好が悪いだけだった」
変な言い方をすれば、ある意味まだあの妖精の方が、戦場ヶ原の携帯を拾ってくれた分、役に立っている。
「そう……でもね、覚えておいて。
どんなに阿良々木君が情けなくても、私は私の為に、必死に格好悪くなってくれる阿良々木君を、愛しているわ」
——ああ、もう本当に。
「お前は僕の理想の人だよ、戦場ヶ原」
超愛してる。
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