ノベルス:第3話「たまにはリィの回想を」part1
わたしがわたしでなかった頃に、ある人がこう言った。
「我の写し身よ、早くここから出るがいい」
「我の写し身よ、自然の摂理に沿うがいい」
「我の写し身よ、早く我を解放するがいい」
わたしがわたしでなかった頃に、ある人がこう言った。
「君の名前は汐留リィ」
「これから君にすべてを教える」
「この世界で、それを糧に君は生きるんだ」
それはわたし、汐留リィの五年前のお話。
実を言うと、わたしは意外とマイペース。誰かさんが深夜にいちゃこらしてるところを途中でぶった切って回想しちゃうことも、しばしばありますがそこはまあ御愛嬌ということで。
そんなわけでわたし、汐留リィの物語の第一部を語ろうかと思います。
*
「うぅ、う…………」
わたしがわたしとなった場所。そこは薄暗く、それでいてやけに清潔感の漂う不思議な場所。所々から青白い光が漏れていた。
まだ目が慣れないわたしは、重たい頭を気だるそうに持ち上げ、生まれたての小鹿のように立とうとするも、踏ん張りが利かずによれて倒れた。
そして、再度起きあがろうとする気力もなく床に糸の切れた操り人形のように横たえるわたし。
わたしはこのとき床のひんやりとした冷たさを全身で感じた。
どうやらわたしは一糸まとわぬ姿でいるようだ。
それに加えて全身が濡れている。そのせいか肌寒さを感じたわたしは、〝ガフッ、ガフッ〟とくしゃみを重ねると、それに伴って気管に詰まっていた謎の液体を吐きだした。若干とろみのある気味の悪い液体である。
体が気だるい。まるで骨が鉛でできているような感覚だ。
寝返りを打とうにも、わたしに繋がれたいくつかのコードが邪魔をした。コードの先は吸盤のようになっており、わたしの体に貼り着いている。
コードはそのままわたしがさっきまでいたガラス貼りのケースの中へと続く。それは理科の実験で使用する円柱型の試験管に似ていた。
人一人が入れるようなサイズである。
だが、今は壊れた試験管。ガラスのケースは何故か側面が全て爆ぜており、山脈のようにささくれ立ったその合間から流れる液体は山々を伝う氷河のように見えた。
(痛ッ……)
わたしは咄嗟に自身の濡れ手を見ると、人差し指が赤く滲んでいた。
どうやら飛び散ったガラスの破片で指を切っていたようだ。
生まれて初めての痛みに、気だるさもあって、わたしは苦悶の表情を浮かべた。
今のわたしの感覚は三つしかない。気だるい、寒い、そして痛い、だ。
意識が朦朧とする中、ぼんやりと焦点が定まってくる。ゆっくりと辺りを見回せば、そこは機械という機械で溢れていた。
機械と一口に言っても、その乱雑性はなかなか言葉で表現するのが難しい。ケーブルの束がそこら中に走り回り、わたしを中心に半径五メートルの距離に大小様々なモニターが設置されていた。
その一つ一つに人間の体の簡略図が映されており、脈打つ表示がなされるモニターもあれば、数字がやたらと変動するモニターがある。
見続ければ目がチカチカと痛くなりそうな空間。
そうしてわたしが視界に映るものを一つ一つ認識していく過程で、同様に白衣に身を包んだ人間を数人確認した。
彼らは慌てふためき手に持つバインダーの紙をペラペラとめくっては、わたしを驚きの目で見た。
「どういうことだ、何故これが目覚めた!?」
「分かりません! 突然保管ケースが割れて――」
「すぐに鎮静剤を打て、何が起こるか分からん!」
「分かりました、今すぐに」
白衣の人間はわたしを見て、檻から逃げたライオンでも見るように驚愕し、怯えていた。
「な、な――」
わたしは生まれて初めて喉を震わせた。どう使うのかは知っていたが、実際に使用するのは初めてだったので、わたしの口からは壊れかけたオルゴールのような声しか出なかった。
(なんでわたしをそんな目で見るの?)
そのとき言おうとしたわたしの言葉。伝えたい思いが、自然と胸中に沸き起こる。
ぐったりと横たわるわたしに、白衣の人間が一人、近づいて来る。
手には注射器を携え、力の入らないわたしに容赦なく突き立てた。
わたしは〝痛い〟と思う暇もなく意識が薄れ、そのまま深淵の底へと落ちていく。途切れる感情。冷たい鉄の床を仰向けに転がるわたし。
その目に映ったのは、先ほどのわたしと同じく、ケースに入れられた生物とも鉱物ともつかない異形のものだった。
どうやら、わたしとそれはもともと並んで設置されていたようだ。
ケース内の液体にプカプカと浮かぶそれは、一瞬目のようなものが見開いたかと思うと、わたしを見つめた。
だが、それは先ほどの白衣の者が見たような冷たい感じとは違った。
どちらかといえば群れに同類を迎え入れるような慈愛に満ちていて、まるで「こっちだよ」と言っているようなそんな目だった。
それを見て、わたしは何故か否定したい気持ちに駆られ口をもごもごとさせていた。拒絶反応とでも言うのだろうか。しかし、わたしには既にしっかりとした意識はない。わたしはうわごとのように最後の力で声帯を震わせる。
「……が……ちが…………」
そして、白衣の者の一人が言った言葉を最後に、わたしはそっと目を閉じた。
このときそれが、その後のわたしにまとわりつくことになろうとは思わなかった。
〝化物が、目覚めた〟
*
わたしはどのくらい寝ていたのだろうか。それを言うなら、今までのわたしは、と言い換えた方が良いのかもしれない。
わたしの記憶はあのモニターに囲まれた一室で倒れ込んでいた場面からでしかない。それ以前の記憶、通常の人間であれば己の肉体の成長に伴った記憶が備わっているはずなのだが、わたしにはそれがない。
この赤子と言うには大きく、少女と言うには幼い身体。
そこに詰まっているのは記憶ではなく記録。経験ではなく知識。
思考する力、言語力、ある程度の常識、基礎学力は既に保持していたのである。現実と思考が噛み合わず、それが可か不可かというのを判断する境目が歪んでいた。
それは、まるでギアの絡まないエンジンのようにわたしの中で空回りを起こしていた。
こうして言葉を並べていること自体が不可思議なのだ。
そうしてわたしは使い慣れない目をこすり、こすり、こす……こすれない。先ほどからおかしいとは思っていたが、どうやらわたしはベッドに拘束されているようだった。
太いベルトで両手、両足、胴という部位をベッドに括りつけられている。
(何、これ……)
ギシギシと引っ張るようにして力むわたし。それを引き千切れるとは思ってなかったが、それでも挑戦した。
(むむむむむ!)
顔を真っ赤に張らしても千切れない。正直、こんなパンパンな顔は誰にも見せられない。
結果的にはこんな一介の女児には不可能なことだった。
(まったく少女の監禁なんて、なかなか良い趣味をお持ちで)
こすれない目で周囲を見渡すのはむずかゆい。
しかし、だからと言ってどうするでもなく、わたしが顔を横に傾けるとそこには真っ白な世界が広がっていた。四方が白い壁に囲まれた部屋。ちょうど通ったことはないが、学校の教室ぐらいの広さだろうか。
光は蛍光灯に全てを依存しているようで、時折、じじっ、と電光特有の音を奏でていた。
この部屋にははっきり言って何もない。あるとすれば壁とベッドと………………仕切りのない洋式トイレ。
(どうするんですか、これ)二重の意味で――。
さらに円形にして重厚な扉が一つ。こちらから開けることは不可能だと言うことが、見るからにわかる。例えて言うならば銀行の金庫。
超合金で出来ているようなそれは、恐らく厚さ一メートルとかあるに違いない。
(何だかなあ)
と無駄に屈強な設備に呆れて小言の一つでもつきたくなる。
普通、子供にここまでするだろうか。
(これじゃあわたし、囚人か病人ね。あるいは両方か。そういえばさっき誰かが言っていた化物ってなんだろう……)
見知らぬ天井を仰ぐわたし。
そういえば何か下世話な話題で天井のシミを数えるとか、そんな儀式めいたものがあった気がするが定かではない。
とはいえここは白塗りのシミ一つない空間なのでまるで意味のない豆知識だった。
そうやって孤独に拘束されている時間を、愚痴っぽい小言でつぶしていると、この部屋に一つしかない扉に動きがあった。
扉には平たくくり抜いたような穴が水平にあり、そこから向こう側の光が漏れている。こちらの部屋とそこまで大差のない光量だったが、向こう側でゆらりゆらりと黒い影が左右するので少し気になってはいた。
スムーズに中心の円が回っている。ロックが解除されていくような、そんな動き。そこがピタッと止まると、こちら側にゆっくりと扉が開いた。
予想通り分厚い。やっぱり金庫でしょ、ここ。ここが金庫なら金庫で、わたしは誰かにとっての貴重品なのかもしれないな、とか考えてみたり。
扉が開ききると、白衣を着た二人の人間がずかずかと入って来た。そして自動的に扉は閉まって行く、何者もここから逃がさぬように。
そのうちの先頭を切って歩いてきた男がどうやら偉い立場にあるようだ。
一人の女性を引き連れて、彼女に専門用語を交えて何やら報告をさせている。
背丈は目測一八〇センチといったところだろうか。
茶髪で髪をワックスで散らしている。大よそ専門職に従事するような人間には見えない。でも結構男前。まあ白衣さえ着ていなければ、ただのホストに過ぎないようなそんな面構えだった(そういう知識も何故かわたしの頭に既にあったのだ)。
つまり顔は良いが、チャラいというのがわたしの総評だ。
おそらく彼らの風貌から見て、医者か科学者であるという見当は外れてはいないだろう。常識もなんのその、これが初めてお目にかかるチャラ男ドクターというわけだ。
チャラ男たちはスタスタとわたしに近づいてくる。だが、彼は一度もわたしの目を見ることはなく、初めから存在自体がないようなそぶりで女性の部下たちと話していた。
そのときわたしは何だか透明人間の気分になるなあ、とか考えてみたり。
わたしのいるベッドの側まで来ると手もとの資料に目を落とし、チャラ男は黒地に金色の装飾を施したネクタイを揺らしながら言った。
なんだか悪趣味なネクタイである。
「ふーん、それで出てきちゃたんだ――コレ。なんで?」
「はい。原因は分かりません。突然ケースが割れたと思ったら、あのあり様でした」
女性は目配りを欠かさず、男に対し気を使っているのがわかる。
「そか、まあ僕も台場先生もあの場に居合わせていたわけではなし、処置としては間違ってないんじゃない。僕たちからすれば未知の領域だからね、やり過ぎるということはないでしょ。彼らと人間のハイブリッドなんてさ」
「しかし残念ですが、現段階で検体名〝L〟からは、祖体に見られるようなエネルギー反応が消失しています。おそらく外気に触れてしまったことが原因かと」
「ふーん、それは困ったねえ。台場先生もさぞがっかりなさるだろう」
チャラ男は、思ってもないことをベラベラと喋っているように見える。
「それはどうでしょう、葛西先生。台場先生は始めからこの研究には後ろ向きでしたから、案外喜んでいるかもしれませんよ」
「かもね。でも僕と彼では研究内容が違うし。僕はもっぱら海獣を対象としたエネルギー関連、彼は海獣を対象とした対話と学習関連。それぞれ違うものを同じ検体を通してやっていたわけで。まあ、熱心にやってたようだけど彼の成果はどうだったのかな――」
と言って葛西という男は見下すようにしてわたしに指を差す。人を指で差してはいけないということを、この男は知らないのだろうか。そして初めてまともにわたしと目を合わせた。
「どうしようか。破棄する? このままじゃ使い道ないし。正直何が起こるかわからないよね」
破棄――それは話の流れで言えばわたしのこと。物でも扱うような言い草。
何故、ここまでされる必要があるのか………わからない。何故ここにいるのかもわからない。そして何故、生きているのかも――。
葛西は末代まで呪うような目でわたしを見下す。とても冷たい目。
「先生、それはお待ちになった方が良いのでは……。まだ台場先生の意向も窺ってませんし、判断はそれからでも遅くはないかと」
「………………」
葛西はとたんに口を閉ざしたと思うと、ゆっくりと手を伸ばしわたしの頬を鷲掴みにした。ギリギリと強まる握力にわたしは悶絶寸前だった。
「さっきから気になってたんだが気に入らないねえ、その目つき。何で出てきたんだ? お前のおかげでまた最初からやり直しじゃないか。大人しくあそこでエネルギーを供給していれば良かったものを、ここに来ちゃ存在価値がないよねえ」
「葛城先生、お止め下さい」
葛城は部下の言うことに耳を貸さず続けた。
「祖体を保持していれば、いずれ海上都市は滅ぶ。けどそれを手放しても事態は変わらない。だからこそ祖体の代わりとなるべく生み出されたのがお前だったんだ。ハイブリッドとはいえ海獣は海獣だよ、いわば化物。ここに出てきたということはそういう扱いなんだ。お前に生きる意味なんてこれっぽっちもないんだよ」
わたしは言葉を失った。正直彼の言っていることの半分も理解できなかったが、それでも何故か心が痛んだ。ズキズキと傷をえぐる。わたしはあなたたちと何が違うのか、この仕打ちは一体何。
心が痛い、痛い、痛い……。
そのままわたしは一種の陶酔状態となった。見えている風景が、ぐにゃっ、と曲る。まるでわたしがわたしの目を通して外の世界を見ているような淀んだ風景。均衡が総崩れになった世界。
そしてわたしが見知らぬ天井に押しつぶされそうになったそのときだった。
わたしの口が勝手に開いていく。猿ぐつわでも強引に引きちぎれそうな強さである。葛城の目に映るわたしの目を見ると異常に血走っているがわかる。
これが――わたしなの?
(目障りなら殺せばいい)
突然、頭の中で誰かの声が響いた。わたしの声ではないし、わたしの意思ではない。
わたしは錯乱しながらも、思わず聞き返してしまった。
(誰ッ?)
そして次の瞬間、
「止めろ、葛城!」
気付いたときには、わたしを掴んだ葛城の手を取る男の人がいた。
「何をしてる! 外界に出た時点でこの子の権限は私にある。勝手な真似をするな」
男性は酷い剣幕で葛城を怒鳴ると、彼を睨みつけた。男性は並みよりは体格の良い方で、声に迫力があり、つり上がった眉毛が事の重大さを示している。
葛城はそのときこそ驚いた顔をしていたが、すぐに我に帰り男性の手を振り払った。
「ちょ、いきなり痛いじゃないですか、台場先生。随分と遅かったですね」
「出先で急に呼び戻された。お前は一体ここで何をしていたんだ」
「いやなに、確認ですよ確認。エネルギーの放出反応が消えたと聞かされただけでは、どうにも納得できなかったもので現物を見に来た次第です」
「なら私に許可を取ってからにしろ。それ以外でここに立ち入ることは許さない」
「すいませんね、どうにも早いとこ済ませたかったもので」
「容態は?」
「容態も何も化物に容態なんてあるわけがないじゃないですか」
「……お前じゃ話にならないな。あとはこっちで経過を窺う。だから早くここを出て行け」
そう言うと、葛城は観念したようで髪をボリボリと掻くと、部下の女性と部屋を後にしようとした。
「分かりましたよ、台場先生。もし有益な情報を掴んだら僕らにも包み隠さず教えてくださいね」
と皮肉とも取れる言葉――それだけを言い残して。
台場という男性は葛城が部屋を出て扉が閉まるのを確認すると、どこか安心したようで一息ついた。
精悍な顔つき。髪は多少無精な感じが漂っているが、それもあまり気にならない程度だ。ネクタイを締めておらず、首回りのボタンを開けている。
生えかけの無精ひげが年齢を感じさせ、わたしの見立てではおそらくは葛城より年上、背丈は彼より少しだけ低い。
わたしは警戒した。乱暴な扱いを受けるのはもう嫌だったからだ。
同類をいじめて何が楽しいのだろう――わたしだっておそらく人間なのに。
警戒するわたしを見て、台場という男性は独り言のように呟いた。
「ふー。さてと、代替エネルギーを失ったからと言って絶望するのは早計だな。むしろ希望の芽が出たと言っていい。そうは思わないか、検体名〝L〟。またの名を、汐留リィ。まあ私が勝手につけたんだけど」
彼の目は、冷めた目ではあるが希望を失っていないようなそんな瞳だった。
彼の言い回しに呆気に取られるわたし。
汐留? それがわたしの名前なの? あなたは一体……。
「……………………」
「私は台場誠二、君の教育係だ。ようこそ外の世界へ、お姫様」
――わたしの教育係…………?
つづく
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リヴストライブというタイトル、オリジナル作品です。 地球上でただ一つ孤立した居住区、海上都市アクアフロンティア。 そこで展開される海獣リヴスと迎撃部隊の攻防と青春を描く小説です。 青年、少女の葛藤と自立を是非是非ご覧ください。 リヴストライブはアニメ、マンガ、小説等々のメディアミックスコンテンツですが、主に小説を軸にして展開していく予定なので、ついてきてもらえたら幸いです。 公式サイトにおいて毎週金曜日に更新で、チナミには一週遅れで投下していこうと思います。公式サイト→http://levstolive.com