デーラは歌は下手だったが、手先は器用だった。シレーナ族は、繊細な手を持っており、それは人間達の重労働には適していない。腕の細さや、繊細さについては、シレーナ族は人間の女程度のものしかない。
だが、彼女達は繊細な動作を自分の手でする事ができたし、多少の工作程度ならする事が出来た。《シレーナ・フォート》の街ができるきっかけを作ったのはシレーナ達だったが、実際に都を築いていけたのは、人間や手先の器用な亜人達の協力があってこそだ。
デーラは、子供達の遊び場となっている裏通りにあった、木片などの廃材を集め、何やらの工作を始めた。
歌が下手なデーラだが、物を作ると言う腕前は子供達にも信頼されていた。彼女にかかれば、椅子や机などあっという間に作る事ができる。それだけ手先が器用だったし、彼女は物の構造を理解する能力が強かったのだ。
工具を使い、デーラはやがて一つの弓を作り上げ、何本かの矢を作り上げてしまった。矢筒も無いし装備も無いデーラだったが、彼女は弓矢を作り上げた事を、自慢でもするかのように子供達に見せつけるようになった。
「弓矢なんて作っちゃって。シレーナの兵隊さんにでもなったつもりなの?」
そのように皮肉交じりに言ったのは、デーラの親友であるポロネーゼだった。彼女は都の外の一件以来、塞ぎこむようになったデーラが、黙々と作り上げていたのは弓矢だったのだ。
しかもきちんと子供のデーラの体格にも合うような、小型な弓矢がそこにある。そんな弓矢で射る事ができても、多分、ろくなものは取れないだろう。ポロネーゼは勝手にそう思っていた。
「この前、わたしを助けてくれたお姉さんが、剣を持っている兵隊さんでね。名前が、セシリアさん」
そう言いながら、デーラは自分で作った弓の弦を引き出した。弓がしなりながらも、弦は延びる。矢をつがえ、デーラは裏通りの袋小路に向かって構える。
「でもね。わたしには、とても剣を使うだけの技術が無いの。だからこうして弓矢を作ってみたのよ」
デーラは言葉をそこで止めて、弦を離した。弓から飛び出した矢はしかと袋小路に設けられていた的に命中する。デーラが木片から切りだし、尖らせただけの矢であり、簡単に折れてしまいそうなものではあったが、クッションで作られた的に命中するには十分な威力があった。
「へええ。でもよくできているわね。あんたはこうした所が、随分と器用だからねえ」
そう言いながら、ポロネーゼはデーラが放った弓矢をクッションから引き抜き、感心したようにその矢を見つめる。その矢には、デーラが自分の翼から抜け落ちた羽を使ったのだろうか、茶色い羽も付けられている。
「シレーナの兵隊さん、とまでは行かないかもしれないけれども、狩りくらいはする事ができるかもしれないわね」
ポロネーゼのその言葉で、デーラとポロネーゼは、また新しい遊び場を見つけたような気がした。
デーラとポロネーゼは、《シレーナ・フォート》の周辺に現れる、大人しい種類の獣を狙って狩りをするようになった。
《シレーナ・フォート》周辺には広大なスカディ平原が広がっている。まだ人が足を踏み入れた事の無い奥地にまで平原は広がっていると言うが、デーラ達の“遊び場”となったのは、あくまで城壁のすぐ外側の辺りだった。街から数キロメートルほどしか離れていないような場所だ。
そこは所々に住居が建っており、少し道から外れてみれば森が点在していたりする。人間はあまり森に寄りつかず、家を立てる為に木を伐採したりする程度だが、そこには、野生の生き物たちがいる。
「いいの?デーラ?わたしは何か、怖いよ」
怖いといいつつも、デーラの後ろからついてくるポロネーゼが言った。ポロネーゼは、《シレーナ・フォート》の都にいるときは、いつもその自慢の歌声を武器とし、子供たちの前で偉そうな態度をとっているが、いざ、都から離れ、野生の世界に放り出されてしまうと、必ずしもそうは振る舞えないようだった。
「大丈夫だよ。あたしはこの前、もっと遠くまでいったし」
デーラはそのように言いつつ、自分で作った弓矢を握り、森の中へと分け入っていった。
シレーナ族にとって、見通しの良い草原の上などは、地上にいる獲物を狙うにしては格好の狩り場だったが、逆に森のように、上空に視界が開けず、行動も制限される。奇襲も幾らでも仕掛けられてしまうような場所では、シレーナ達は不利だった。
デーラもその事は薄々気が付いていた。しかし、見通しの良い草原では、頭の良い野生の獣たちは、シレーナや人間を警戒して出て来てくれない。彼らもその事は分かっているのだ。
それだったら、森の中に分け入って、危険を冒してでも、狩りをしてみよう。デーラはそのように思っていた。
デーラが獣を狩る事ができなければ、今日の夕食に困るわけではない。彼女にとっては、自分の弓矢の威力を試すだけの、ただの遊びで来たつもりでいた。
ポロネーゼにも、自分と同じような弓を作って持たせていた。ただ、彼女は弓矢に触れた事も無いような子供で、歌は達者かもしれないが、野生としてのシレーナの勘はほとんど失っている。それは、決して奥深いわけでもない森を分け入って行く時の、怖気づいたような彼女達の姿を見ていれば分かる。
ふと、デーラは前方に何かの気配を感じて足を止めた。
「止まって」
デーラはそう言ったが、ポロネーゼはすぐに反応できなかったのか、デーラの背後の翼にそのまま顔を埋めた。
「何なのよ。いきなり止まらないでよ」
ポロネーゼがその甲高い声でうるさく文句を言ってくる。しかしデーラはそれを制止させた。そうしなければ、彼女が今、目にしている獲物が逃げてしまう。
「狼が一匹いる。都じゃあ、狼なんて食べないけれども、旅をする人は食糧に困るから、狼を食べるんだって聞いた事がある。わたし」
デーラはそのように言ってポロネーゼを促した。
「あんたが、やりなさいよ、デーラ。この弓矢を作ったのはあんたでしょう?」
ポロネーゼは自分からは動こうとせず、デーラを促した。
デーラは、動物に向けて弓矢を向けるのは初めてだった。眼の先にいる狼が、かわいそうとか思う感情は捨て去ることにした。
自分の御先祖様達も、このように生き物や、時には人間さえを狩って、この王国を作り上げたのだ。自分が狼を一頭狩っても構わないだろう。そもそも、《シレーナ・フォート》の王宮周辺の獣たちは人間やシレーナによって狩り尽くされていて、目の前にいる狼など、ただの群れからはぐれた狼でしかない。
デーラは弓を振り絞ってそれを放つ。どうせ外れてしまってもいい。ただもし狼が取れたら、今日の夕食がもっと豪華になると言うわけだ。
デーラが放った弓は、子供用のものとしては申し分ない威力を放ったが、狼のいる場所からはほんの少しずれた。狼はその矢が風を切る音を感づいたのか、素早く移動していこうとした。
「ポロネーゼ!そっちの方にいったわよ!」
デーラが、ポロネーゼの見ている方を促して言った。
ポロネーゼは慌てながらも身を起して立ち上がり、デーラの作った弓を引いた。だが、彼女の細い腕で引く事ができるようなものではなかったらしく、弓を引く腕が震えてしまう。
彼女の悲鳴にも似た声が響き渡った後、弦から矢が放たれたが、それは、思い切り照準を外してしまった。
狼はとっとと森の中を突っ切って逃げていってしまう。
「ああ、逃げちゃった」
ポロネーゼは、まるで人ごとであるかのようにそのように言った。だがデーラは狼を逃がさんとばかりに、弓を振り絞り、一気に狼に向かって矢を放った。
森の中の木々をかすめ、デーラが放った矢は、狼に向かって突き刺さる。狼の甲高い声が響き渡る。しかしながらそれは狼にとって大した怪我にはならなかったらしく、一目散に逃げていってしまう。
「逃げちゃった。でも命中したわよ。もう少し弓の威力が高くて、距離が近ければね」
デーラはそのように言って、再び弓を振り絞り、逃げていった狼の向かった先へとそれを向けるのだった。
「そんな事言っちゃって。一体、わざわざわたし達が、狼狩りをする事に、いったい、どんな価値があるって言うのかしら」
ポロネーゼは、デーラのその態度に呆れるかのような素振りをして見せてそう言った。
「歌も駄目で、子供でしかないシレーナなんだから、一つくらい楽しみを持たせてほしいものだわ」
デーラはそのように言うなり、弓を携えながら、また森の奥深い所まで入って行こうとした。
「さあ、まだ狩りの続きよ。今日は雨も来ないようだし、まだお夕飯までには大分時間があるわ」
そのようにデーラは言いながら、弓を構えたまま森の奥へと分け入って行く。ポロネーゼも半分呆れているかの様子だったが、仕方なく彼女の背後についていく事にするのだった。
デーラとポロネーゼは、大人達に隠れて、かなりの期間、森の中での狩りを行っていた。最初は、狩った狼や動物達を自分の家に持ち帰り、そこで食する事を考えていたデーラだったが、家にまで獲物を持ちかえると、自分達が狩りをしているという事がばれてしまう。それは親達に余計な心配をかけてしまうという考えに達し、家に持ち帰る事は止めにするのだった。
だから彼女達は子供達や、街道に行きかう旅人達にそれをわけてやり、ついでにこづかいも稼いだ。
そうした事もあって、狩りを続けていく内に、デーラやポロネーゼの弓の腕はだんだんと上昇していくのだった。
最初はしぶしぶデーラの後ろについていくだけだったポロネーゼも、いつしかその弓の腕が上昇し、走っている獣を射抜く事はできるくらいになっていた。
誰の手も加えられていない森は、シレーナの二人の絶好の狩り場と化し、二人は毎日成果を上げているのだった。
半年が経ち、成長期のシレーナ達はその弓の腕をどんどんと上げていた。シレーナの翼は水鳥が大きく育つのと同じように、時が経つにつれ、どんどん大きく、立派なものとなる。
赤子の時は、みずからの力で羽ばたく事さえままならないシレーナ達だったが、デーラ達も10歳を過ぎるくらいの年になれば、その翼もどんどん立派なものとなって、彼女達の弓の腕もいつしか向上していた。
「今日は、二匹も捕らえちゃったわね」
そのようにポロネーゼは自慢げに言っていた。彼女の足元には、弓に射られた狼の体が二匹横たわっている。
「でも、大分捕りつくしちゃったからね。この辺りの狼も、どうやら、わたし達がここにいる事を知って、やって来てくれないみたい」
デーラは森の中の気配が以前よりもずっと少なくなってきてしまっている事を知っていた。もうこの森の中にはほとんど狩るべき狼たちがいない。
「じゃあ、もっと遠くの森にまで行ってみる?100kmも都から離れれば、人の手がついていない森がまだあるってよ」
ポロネーゼが好戦的にそのように言った。だがデーラは、
「あなた、歌の方はいいの?《シレーナ・フォート》一の歌い手になるって、小さい頃からあんなに言っていたのに」
そうだった。デーラにとってポロネーゼは、美しい歌声を持つ可憐な少女だった。デーラ自身はろくでもない声を出す事しかできない、シレーナとして生まれてくる事を間違えてしまったような少女だ。
それだと言うのに、今は二人で狩りをしている。ポロネーゼも歌の練習などまるでしていないらしい。
「だって、こっちの方がずっと楽しいじゃあない」
ポロネーゼは弓を引き絞りながらそう言った。半年前は大した弓の力でも無かったポロネーゼだが今は違う。かなりの命中度を誇るシレーナの子供の弓手だった。
「そう。でも素直には喜べないわね」
デーラはぼそりと言った。
シレーナの本来あるべき姿は何なのかを考える。自分達が今やっているような、弓による狩りなのだろうか。現に、彼女たちの祖先に当たるシレーナ達は、その方法によってこの大陸の南部に脅威をもたらし、人間たちですら支配する事ができてしまった。
一方で、歌もシレーナ達の立派な武器である。シレーナの歌には底知れない魔力がある。それは魔法使いでも叶う事ができないほどの、魅力の力であり、この前では他の種族の男達は跪かざるを得ないのだ。だから、シレーナは他の種族の男を言いようにできてしまう。
どちらもシレーナの本能なのか。デーラは、自分が射てその命を奪った狼の体を掴んで考えた。
「また、子供達に分けてあげないとね。2頭なんて、わたし達にはとても食べ切れないから」
今日捕らえた狼の体はとても大きく、デーラ達が食べきれるようなものではなかった。
狼のまだこちらに向けて刃を向けて来ている狂暴な顔を見ながら、デーラは突然、ある気配を感じた。
鳥肌が立ち、翼が翻るかのような感触を彼女は味わう。この感触が何であるのか、デーラは分かった。
「気をつけてポロネーゼ。どこからか、わたし達、狙われているわ」
「本当?」
とっさにポロネーゼは警戒して弓をつがえた。どこからかまだ狼の残党が残っていて自分達を狙っているのではないか。デーラもそう思って、自分が作り、更には磨き上げてきた弓に矢をつがえる。
だがデーラはこの殺気が動物のものでない事にすぐに気が付いた。動物では無い生き物の気配が自分たちに迫って来ている。
それは一体何であるのか。思わずデーラは弓を引きながら、その先を自分の背後へと向けた。気配は彼女の背後から迫って来ていたのだ。
しかし突然伸びてきた手によって、デーラの弓は掴まれた。そして彼女が矢を放つ事も出来ないまま、彼女の前に立ち塞がる者がいた。
「生意気なお子様達が、この森で一体、何をしているって言うの?」
その言葉と共に取り上げられるデーラの弓。彼女の目の前に立ち塞がるかのようにして現れたのは、彼女も知っている大人のシレーナだった。翼が縞模様になっているのが特徴的なセシリアだった。
「これは、その。ちょっと狩りを」
デーラは自分の目の前に現れたのがセシリアだと分かると、少し気まずい思いをした。
ポロネーゼとこの森の中でしてきた事は、あくまで彼女達と友達の間だけの秘密であって、大人に知られてはいけない事だったのだから。
「あらそう。大した弓ね。子供向けに造ってある。もしかしてあなたが作った?だとしたら大した弓ね?」
そう言うなり、ポロネーゼはデーラの持っていた弓矢をいずこの方向に向けてその矢を放った。
デーラが引くのに適した弓の強度を、セシリアは軽々と引き、彼女の体格と比べて小さな矢は、森の中の木に突き刺さった。
「それは、どうも」
デーラはどう答えたらよいか分からないままに、そう答えるのだった。
「実戦向けではないけれども、これだけの弓を作れるのは褒めてあげる。でも、この森にやってくるのは感心しないわ」
セシリアはデーラに弓を返しつつそう言った。
「そこのお譲ちゃんもね。よく聞いておきなさい」
セシリアは声を大きくしてポロネーゼにも言うように声を発した。森の中で彼女の言葉はよく響く。ついでにセシリアの配下なのだろう、弓を携えて、防具を身に付けたシレーナが何人か現れてくる。
「わたし達シレーナは本来は海の種族。森は苦手だわ。木が邪魔で飛べないし、見通しが良くないような森をわたし達は得意な眼をしていないの。だから獣には簡単に襲われてしまう」
「でも、わたし達、今までずっと狩りができていたんですよ」
ポロネーゼが反論するかのように言った。だがセシリアは、
「いい子ね。大した自信だわ。でも、それはあなたの運が良かったからなだけの事。最近は、この辺りにまでハルピュイアがやってくるの。どういう事だか分かるわね?あなた達を狙ってくるのは、獣だけじゃあないって事よ」
「本当ですか?ハルピュイアが?鳴き声も聞きませんでしたよ?」
デーラが思わず身を乗り出した。
「来ているっていうものは、来ているのよ。彼女達も馬鹿じゃあないわ。気配を隠すことぐらいできるのよ。そんなわけだから、お子様はさっさと帰りなさい」
セシリアが念を押すかのようにデーラに言う。だが彼女は少しばかり反論したげな態度を見せ、彼女に向かって言うのだった。
「わたし達は大丈夫ですよ。それに、都っていう檻の中に収まっているだけの小鳥じゃあないんですから」
「わたしも小さい時はよくそう考えていたけれども、今は大人の忠告に従いなさい。前にあなたを助けてあげられたけれども、今度も助けられるとは限らないわ」
悠々とした口調ではあったけれども、セシリアの眼は真剣だった。そんな真剣なセシリアの眼を前にして、デーラとポロネーゼは頷くしかなかった。
「はい…」
「そう。分かったら、さっさと帰る事ね。私はちゃんとあなたに言ったんだから、責任はとらないわよ」
そうセシリアはデーラに念を押すなり、仲間のシレーナ達と共に行ってしまうのだった。
「もう。狩りはできないね」
デーラはポロネーゼと一緒に森を抜けながらそう言った。
「はあ?何で、あのお姉さんの言った事に従おうとしているのよ?黙ってやっていればばれないって」
と、狩りを始めた頃に比べて積極的になってしまったポロネーゼが言った。
「駄目だよ。多分、次に見つかった時は、わたし達、鶏みたいに、首に縄をつけてでも連れて帰られちゃう!」
デーラは恐ろしい物を目の当たりにしたかのような口調でそう言った。
「あらそ。せっかくあなたも生きがいって言うのを見つけたと思って、わたしは歌の練習もそっちのけで付いてきてあげていたって言うのに!」
ポロネーゼはそう言い放った。彼女のその言葉にデーラは思わず足を止める。意外な言葉だった。
「え?あなたが、わたしと一緒に狩りについてきてくれたのは、わたしのためだって言うの?」
デーラは思わず声を上げる。
「ええ、そう。だって、あなたは放っておいても一人で都の外に出ていくような、危ない子なんだもの。幼馴染としては放っておけるはずがないわ!」
ポロネーゼの言葉にデーラは思わず驚きを隠せなかった。彼女とは幼いころから一緒に遊んでいる。だけれども、ポロネーゼは歌が上手で、周りの友達達からも一目置かれていた。そんな中、歌が下手な自分はそこに劣等の意識を隠せず、ポロネーゼはとっくに自分の事など見捨ててしまったのだと思っていた。
だが、今の言葉はデーラの考えていた事とは違った。ポロネーゼは自分の事を見捨てていたどころか、むしろ心配さえしていたのだ。
「そんな事、わたし知らなかったし」
戸惑いを隠す事ができない。彼女に何と言ったらよいのかと思ってしまう。
「あなた、鈍感だからね」
そう言ってポロネーゼはさっさと森を進んで行ってしまうのだった。
デーラがまだ戸惑っている内に、二人のシレーナは森を抜けてしまった。すでに夕日に傾きつつある草原が広がっていた。見通しが良く、地平線の彼方まで広がっている草原の向こうに《シレーナ・フォート》の都の城壁が見えている。
「もしあなたが、狩りを止めるって言うんなら、わたしも歌の練習をまた始めるわ」
戸惑っているデーラに向かって、ポロネーゼがそう言った。
「あ、ああ、そう」
デーラにはそのようにしか答えられない。彼女も森の茂みの中からようやく顔を出すのだった。
「翼と歌が売りのシレーナにとっては、やっぱり、歌っていたり、羽ばたいていたりした方がいいのかもね。森の中でくすぶすって狩りなんかしているよりもずっと」
と、ポロネーゼは言い出すのだった。彼女の茶色い翼は夕日に輝いて赤い色に光っていた。
「さあ、わたしには分からないけれども…」
デーラはそのように言いかけた時、何かの音を耳にした。その音は、彼女が聴いた事があるような気がするものだった。
「ねえ?何か聞こえない?」
とっとと都の方へと飛んで行ってしまうポロネーゼに向かって、デーラは彼女をとがめるかのようにそう言った。
「はあ?何が?」
ポロネーゼは何も聞こえないといった様子でそう言った。
「確かに聞こえるのよ。この音というか、声、わたし、知っているもん」
デーラはそう言うなり、自分の耳に従い、音が聞こえてくる方に顔を向けた。
その金切り声のように耳障りな声は、デーラも良く知っている声だった。それに、さっきやってきたセシリアが言っていた。最近、都のすぐ近くにまでハルピュイアがやって来ているのだと。
「きっと、ハルピュイアの声だよ」
デーラはポロネーゼにそのように言った。すると彼女はその顔色を血相変えてしまう。
「それが本当だったとしたら、早く逃げなきゃあいけないじゃあない!急いでいきましょう!」
「それだけじゃあない、それ以外の声も聞こえるの!」
デーラは訴えるかのようにポロネーゼに向かって叫ぶ。
彼女はさっさと行ってしまおうとしているポロネーゼの脚をひっつかみ、無理矢理地上へと連れ戻すのだった。
「何なの?何が起こっているの?」
いらだった様子でポロネーゼは言った。
「これはわたしの知っている声!多分、何かまずい事が起こってしまっているに違いないの!一緒に来て!」
デーラはそのようにわめきながら、無理矢理ポロネーゼの身体を声のする方へと連れていってしまった。
デーラとポロネーゼは、森から少し離れた平地まで、その翼を使って飛んでいった。すでに夕日は傾きだしており、夕刻が近い事を告げている。
「確かにハルピュイアの声が聞こえて来ているけれども、逃げなくていいの?危なくなったら、わたしはさっさと逃げるわよ」
ポロネーゼが念を押すかのようにデーラに言った。だが、デーラは何かに集中するかのように前を見つめている。
そして見通しの良い平原のある所まで来ると、デーラはその飛ぶ高度を下げて、草原の草の上に身を伏せた。
「翼を折りたたんで。気づかれないように」
デーラがそう言うと、ポロネーゼも彼女と共に草地の上に降り立って、翼を小さく折りたたんだ。
「あれは?」
目線の先、100メートル先の方に見える黒い翼の群れは、ポロネーゼの視界にもはっきりと入っているようだった。
「ハルピュイアだよ。誰かを襲っている!」
デーラは声をひそめながらそのように言った。100メートルほど先の草原の大地には街道が過っており、そこにはよく馬や馬車が通ったりする人の往来がある所だった。
黒い翼を持つ者達は一斉に群れ、何かを襲っているようだった。聞こえてくるのは動物の悲鳴と、人間の悲鳴だった。
「助けてくれえ!」
数人の人間がいた。更に馬車がおり、その馬車には動物が載せられている。それは家畜であり、家畜運搬用の馬車が黒い翼を持つ、ハルピュイア達に襲われていたのだ。
「ハルピュイアだよ。交易の人を襲っている」
ポロネーゼが他人事のようにそう言った。
「こんな所にまでハルピュイアは来ないはずなのに」
デーラは何かに突き動かされるかのようにそう言った。
「わたし達じゃあ、どうしようもないって。警備隊の人が来るのを待つか、呼べばいいって」
ポロネーゼがデーラの腕を掴んで言った。
「間に合わないって。あの人達、ハルピュイアの獲物にされちゃう!」
そう言って、デーラは何かの使命感に襲われたかのようにその場から立ち上がって、自分が持っている弓矢を構えた。
デーラはずんずんと近づいて行く。ポロネーゼはどうしたらよいやらと考えている内に、デーラはある所まで来ると、ハルピュイアに対してある事をしようと考えた。
この位置から弓で狙っても多分外してしまうだろう。ハルピュイア達は一心不乱に本能に従うかのごとく、馬車を襲っては、積まれている家畜も、馬も、そして人間さえも自分達のものとしようとしている。
まだデーラが近づいていっているという事は気が付いていない。
このままでは、交易の為に《シレーナ・フォート》へと家畜を連れて来ているあの交易商人達は、ハルピュイアの獲物にされてしまう。
そこでデーラはある事をする事にした。
前にやった時もできた。ハルピュイア達の注意を惹く事がデーラにはできたのだ。デーラは、その奇声とも取れるような声を発した。
デーラの歌は、聴くに堪えないような声を発し、それはハルピュイア達の注意を惹いた。あたかもハルピュイアの声であるかのように形容されるデーラの歌声。それは注意を喚起する警鐘のように鳴り響く。
「ちょっと、デーラ!」
後ろの方にいたポロネーゼが叫ぶ。しかしデーラはハルピュイアまでどんどんと近づいていき、言い放った。
「その人達を離してもらうわよ。言葉は分かんないかもしれないけれども、わたしが戦えるっていう事は分かるわよね!」
デーラは弓を引いた。ハルピュイア達は、一斉にデーラの方を向くなり、彼女の方へと近づいてくる。その仕草はあたかもカラスのようであり、子供のシレーナでしかないデーラの方へと寄って来ようとした。
「来るのね?前はいいようにされちゃったけれども、今回は違うのよ」
そう言いながら、デーラは一条の矢をハルピュイア達の足元へと放つのだった。その矢は小ぶりだったけれども、ハルピュイア達の足元へと突き刺さる。
ハルピュイア達は、その矢には少しも驚く様子は無かった。一人でしかいないデーラの方へとどんどん近付いてくる。
「デーラ!まったくもう!」
ポロネーゼはそう叫び、デーラの方へと駆けていき、自分も彼女が作った弓矢を引こうとするのだった。
しかしながら、二人に増えたとはいえ、所詮は彼女達はシレーナの子供たちでしか無い。ハルピュイア達はシレーナよりもずっと大柄であり黒い翼は、大きな威圧感を見せている。しかも五羽もそこにはいたのだ。
襲いかかってくるものには容赦しない。デーラは弓を今度はハルピュイア達へと向けて放った。だが、ハルピュイアは、森の中にいる、群れを離れた狼達とは違い、大柄であり体力もある。
デーラの矢はハルピュイアの翼に突き刺さったが、それは小さな棘程度にしか彼女達は感じられなかったのだろうか。
デーラは自分を落ちつかせて、更に弓矢を放った。だが、次の矢でも、多少ハルピュイアを怯ませる事が出来た程度で、ほとんど効果がない。
「見ていられないわよ!」
ポロネーゼがその時にデーラの位置にようやく辿りつき、彼女と共に弓矢を引く。だが、ポロネーゼの方がまだ弓矢を引く力が弱く、迫りくるハルピュイアからは大きく狙いをそらしてしまった。
デーラ達は、あっという間に正面からハルピュイアに襲いかかられてしまう。
ポロネーゼは悲鳴を上げ、デーラも声をあげるしかなかった。ポロネーゼの甲高い声と、デーラの声が響き渡る。
やはり、弓矢を持ってしても、結局は自分達は弱いシレーナでしかないのか。デーラは自分のふがいなさと、ハルピュイアに挑んだという過ちを痛感するしかなかった。
だがその時、デーラに覆いかぶさるかのように襲いかかって来ていたハルピュイアが、大きな奇声を上げてデーラに覆いかぶさるかのように倒れた。
そのハルピュイアの背中を見れば、大きく、太い矢が突き刺さっている。
デーラ達が思わず上空を見上げると、そこには大きな翼を持った大人のシレーナ達がいるのだった。
「全く。お子様達は、本当に好奇心旺盛で、しかも血気盛んなのね?」
その聞き覚えのある声に、デーラはハルピュイアの大きな身体を押しのけて見上げた。するとそこには、シレーナ達の警備隊長であるセシリアがいるではないか。彼女は弓ではなく剣を持ち、ハルピュイア達を前に構えている。
デーラはそう言いながら身を起こし、ポロネーゼと共に彼女の元へと駆けよった。セシリアはデーラの方は見ずに、
「わたしの後ろに隠れていなさい。余計な事をするんじゃあないわよ」
と言い、ハルピュイア達への間合いを詰めていく。ハルピュイアも恐ろしい形相を剥き出しにし、セシリアへとその禍々しい爪を向ける。
「あなた達は、境界を超えて、わたし達の領土に足を踏み入れているわよ。言葉は分からないあなた達でも、縄張りと言うものくらいは知っているはずだわ。それを犯すという事は、どういう事になるか、分かるわね?」
セシリアはそのように言いつつ、剣を構えてハルピュイアに向かって立ち向かう。
ハルピュイアはというと奇声を上げつつ、恐ろしげな形相をセシリアの方へと向け、一気に間合いを詰めてその爪で襲いかかって来ていた。
迫力と力だけで言ったら、ハルピュイアの方がシレーナよりも上だ。彼女らはその野蛮さゆえに野生の本能を発揮し、狩りも自分たちで行う。
そのため、力はシレーナに上回るが知能は人間並みのものを持っているシレーナに適う事は無い。
セシリアは、ひらりとハルピュイアの攻撃をかわすと、水を思わせるような流れと共に剣を振るい、ハルピュイアへと切りつけた。
彼女らの黒い翼に覆われた肉体は屈強であり、セシリアが持つような、剣では、大きな傷にはならない。だがセシリアは、何度もハルピュイアの攻撃をかわし、その度に流れるような動きで反撃を繰り返す。
セシリアに襲いかかってきたハルピュイアはやがて、その身に負った傷によって身動きが取れなくなり、地面に倒れ込むしか無くなった。
セシリアはその余裕ある表情で倒れたハルピュイアを見下ろす。彼女の仲間であるハルピュイア達も、すでに、セシリアの配下によって倒されていた。
セシリアは自分が倒したハルピュイアを見下ろしながら言った。剣の先を向け、堂々たる声で言い放った。
「わたし達シレーナの縄張りを侵す事がどういう事か分かったかしら?今、この場であなたを切り捨てて鶏肉にしてあげる権利がわたしにはある」
そう言いながら、セシリアはハルピュイアの黒い翼のすぐ傍へと剣を突き立てた。彼女が奇声を上げている。
「でも、子供達の目の前でそうした事をするのは、教育上良くないから、今日は放っておいてあげる。後は自分で巣に帰りなさいよ」
セシリアはそれだけ言って、ハルピュイアの側に突き立てた剣を引き抜いた。
そして今度はデーラとポロネーゼの方へと向かってくる。
デーラは強くも勇ましい、そして美しいシレーナの姿に言葉を失っていた。
大人になれば、ここまで強く、そして何者にも恐れをなさないようなシレーナになる事ができるものなのだろうか。
そして、自分にもこんなに美しく、強いシレーナになる事ができるのだろうか。
だがセシリアは自分の剣を腰につるした鞘に納めるなり、二人の子供のシレーナに向かって言うのだった。
「さーて、せっかくのわたしの言いつけを破った、いたいけなシレーナの子供達を、どうやってお仕置きしてあげようかしら」
そのセシリアの口調は、怒っているというわけでもなければ、戒めようとしているわけではない。
そうしたせいもあってか、デーラは毅然たる態度を見せて、セシリアの前に堂々と立って言った。
「わたし達は人助けをしようとしていたんです。あのハルピュイア達に襲われていた人達を助けようとしたんです」
そう言い放って、デーラは、ハルピュイア達に襲われていた馬車の方を指差した。馬車はかなり荒らされていたが行商人達の姿はどうやら無事のようである。
「あらそう。でも子供がする事じゃあないわ。それはわたし達の仕事なのよ」
セシリアはそう言うばかりで、デーラのした事については、褒めもしなければ感心した様子さえも見せない。
デーラの背後からポロネーゼがやって来た。
「デーラ。それは言われても仕方ないって。どうも、すみませんでした。これからは都の外に出たりしないようにします」
そう言って、ポロネーゼは深々と頭を下げるのだった。
普段はポロネーゼは勝気な姿を見せ、デーラを引っ張るような姿も珍しくはないが、こうした場においてはしっかりと謝る。
デーラはポロネーゼに従って、ただ頭を下げる事しかできなかった。
「だけれども、その言葉は信用できないわ。あなた達の親に事情は話す。そして、もう二度と、都の外で危ない事はしない事ね。次に都の外であなた達の姿を見かけたら、首に縄をつけて都まで連れて行く事にするわよ」
デーラに母親から、一週間近くの外出禁止が出された。ポロネーゼの家はもっと厳しいらしく、デーラは結局二週間近く彼女に出会う事が出来なかった。
デーラとポロネーゼがしていた事は、シレーナにとって安全な鳥かごとも呼ばれる《シレーナ・フォート》に住む大人達から見れば、非常に危険な事だった。
まして弓矢まで自分たちで作りだしているとは。
デーラ達はまだ10歳だったし、それは大人達から見れば、危険な事でもあるのだった。
しかしながら、デーラは例え、自分が羽ばたく事も出来ないような鳥かごの中に押し込められたとしても、ある決意を固める事ができていた。
一週間の外出禁止も彼女にとってみれば苦痛ではなかったし、それは熟考するに十分な時間だった。
自分の部屋の窓から見る事ができる、《シレーナ・フォート》の街並み。そして時折、窓の視界を過っていく、この都を上空から警備する、シレーナの兵士達の姿。
デーラは彼女達、そしてあのセシリアという女隊長の勇ましさに心を打たれていた。
シレーナ族が最も得意とする武器である弓矢を、あえて使わず、人間の騎士のように券を使う姿。部隊と共に、あのハルピュイア達に恐れる事もせずに、戦う姿は、勇ましいシレーナとしての鏡だった。
二週間経って、デーラとポロネーゼは再会した。
二人とも、二週間の家ごとの謹慎に対して、不満もないようだった。何しろデーラにとってはそれを覚悟で行った行為だった。
わたし達は狩りをするだけじゃあない。人を助ける事もできる。そしてそれが何に繋がる事なのか、デーラは分かっていた。
デーラとポロネーゼは、《シレーナ・フォート》内の南側の城壁にて再会した。南側の城壁の上からは、どこに続くかも分からぬ程、果てない海が見えている。その海の果てまで行ってしまうと帰ってくる事ができないほど、と言われているほどの広さの海だ。
人間がその海を間近で臨むためには、数十メートルもある城壁を登らなければならないが、シレーナ達ならば、翼で飛び、簡単に辿りつく事ができる。
「あなたはどうやら、考えてはいけない事を、考えてしまったようね」
ポロネーゼがデーラに対して、真っ先に言った言葉がそれだった。
デーラはその表情にはっきりと表れたものを持っていた。それは真剣な決意の表れであり、もはや子供では無い自分を象徴するかのような表情だった。
「謹慎処分にはされちゃったけれども、わたしは割と本気よ」
デーラはそのように言った。
「あらそう。わたしなんて、散々だったわよ。子供のころから歌を教えてきたのに何だって言われたわ」
ポロネーゼは涼しい顔をしてそのように言った。デーラの家よりも、ポロネーゼの家の方が、身分が上だ。家がらは厳格だ。何しろポロネーゼの母親は、王宮にも呼ばれて歌を披露するほどの歌い手でもある。
「そんな、わたしが、狩りの真似ごとをしているなんてね」
ポロネーゼは笑いながら、矢のつがえていない弓を引く。そして、それを、大洋の方へと向けるのだった。
「わたしには、やりたい事もなかった。歌も下手だし、その他にできる事もない。シレーナは爪と指が長いから、人間のする手作業も苦手だし」
そのようにデーラは言った。彼女もポロネーゼと同じように弓を持っていた。ただ、デーラの場合、弓に矢をすでにつがえていた。
そんなデーラに向かってポロネーゼは言った。
「わたし達のやる事は決まっている。それは友情だからという意味じゃあないわ。わたしは今まであなたの事を心配してばっかりだったけれども、今はもう違う。何しろ、本当は一人で狩りまでする事ができるシレーナだったんだからね。だから、わたしの決めた道も、自分で選択をした道よ」
ポロネーゼはそのように言って、デーラの翼の生えている肩へと手を載せた。
「そう、それは良かった。そろそろわたし達も、自分の道を自分で決めなきゃいけない時のようね!」
そう言いながら、デーラは弓を力強く引き、それを大洋の方へと引くのだった。
矢は勢いよく飛んでいき、視界の彼方へと消え去った。
「あの飛んでいった矢のように、わたし達のこの先は、一直線だよ」
デーラは力強くそう言って、太陽の輝きを見つめた。その太陽は、まるで自分達の未来を照らし上げているかのように、《シレーナ・フォート》の都に燦々と照りつけている。
だが、デーラ達が自分達の未来の進み方を、見つけられた気がしたのも一瞬だった。
「誰だ?俺の船に矢を打ち込みやがった馬鹿は?」
突然、城壁の下の方から響き渡ってくる男の声。
デーラ達は驚いて、まるで子供が逃げるかのように、その場から、慌てて逃げていくのだった。
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同作品でよく登場する種族、シレーナ(セイレーン)の少女、デーラの物語。シレーナなのに歌が下手という彼女が自分の道を探す話です。