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リヴストライブ:第2話「背負うべき重荷」part4

リヴストライブというタイトル、オリジナル作品です。 地球上でただ一つ孤立した居住区、海上都市アクアフロンティア。 そこで展開される海獣リヴスと迎撃部隊の攻防と青春を描く小説です。 青年、少女の葛藤と自立を是非是非ご覧ください。 リヴストライブはアニメ、マンガ、小説等々のメディアミックスコンテンツですが、主に小説を軸にして展開していく予定なので、ついてきてもらえたら幸いです。 公式サイトにおいて毎週金曜日に更新で、チナミには一週遅れで投下していこうと思います。公式サイト→http://levstolive.com

2011-09-23 21:41:28 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:353   閲覧ユーザー数:353

ノベルス:第2話「背負うべき重荷」part4

 

栄児は霞を追いかけた。

「あれは何かあった顔だ。嫌な予感がする」

時折見舞われる胸騒ぎ。この感覚が込み上げて来た時は大抵の場合、何かが起こる可能性がある。

リヴスに遭遇できると踏んだ、あのときのように。何度か経験した感覚が今も不意に彼を襲う。

栄児が霞を捉えたそのときには、彼女はがむしゃらに走り、その先には車通りの激しい交差点があった。

「西堀、あいつまさか――」

彼女は、交差点が赤信号なのに足を止める気配が見られない。

そのすぐ横からは業務用トラックが迫っている。そして彼女は横断歩道の白線に足を掛けた。そのときでる。

「おい!」

彼女に追いついた栄児が、今にも飛びだそうとしていた彼女の腕を引いた。

「死ぬ気か、お前!」

「え?」

霞の鼻先をトラックがかすめた。

「馬鹿野郎! ちゃんと前見やがれ!」

去り際にトラックの運転手からの罵倒が浴びせられたが、霞の胸中はそれどころではなかった。

振り返る霞の顔を見て、栄児は彼女が死に急いだわけではないことを知る。

何故なら、霞の潤んだ瞳は光を失っておらず、死を所望する人間のそれではなかったからだ。

「西堀、お前……」

「だ、台場、さん……。どうしてここに……」

「それはこっちの台詞だ。前方に注意しろ。そして涙を拭け。何があったのかは知らないが、何も死に急いだわけじゃないんだろ」

「あ、え、いや私、何が何だかわからなくなって、夢中で走っていたらこんなところまで来ちゃってて、それで、それで……」

「訳は後でいい。こんなところで立ち話もなんだ。場所を変えよう」

そう言って彼は、彼女と近くの公園のベンチで話すことにした。

栄児は霞を先に行かせた上で、気付け代わりにジュースを買って彼女の下へと向かう。

工場街にポツンと一つ造られた公園、ならぬ小さな憩いの広場。

上を見ればアクアフロンティアの防壁に加えて、周囲の工場までもが、まるで蟻を見下ろす巨人のようにそびえ立っている。

夕暮れに赤く照らされた周囲とは裏腹に広場だけは建物の影に隠れて、いち早く街灯の明かりに頼っていた。

そんな街灯の下のベンチに身を小さくして、霞が座っていた。

栄児はそんな彼女に、どう声をかけていいか迷っていたが、このまま様子をうかがっているわけにもいかない。

彼は霞に近づくと、そっと持っていた缶ジュースを差し出した。

「ほら、これでも飲んで落ち着け」

霞は、こくんと頷き、彼の手からそっと缶ジュースを受け取るも、しょんぼりとした具合で一向に何かを話す雰囲気にはならない。

栄児も彼女の横に座り、買ってきた自分の分の缶ジュースに口をつける。すると、それを見て、霞はようやく自分の缶ジュースに手をつけた。

「あの……、ありがとうございます」

「気にするな、口に合わないものを買ってきてしまったのかと心配したよ」

「いえ、そうじゃなくて。さっき、私を助けてくれて」

「ああ、そのことか……、霞、何があったんだ」

「あの、実は私、栄児さんに言わなくちゃいけないことがあるんです」

「言わなくちゃいけないこと?」

「私、先ほど、田和課長の下へ辞表を出してきたんです」

「な、それは本当なのか?」

霞は何も言わず、ちょこんと頷くに留まった。

「そうか、それは……。それで、何でこんなところに――」

「お墓参りです」

「なるほど、君の身内に軍の関係者がいたのか。それは知らなかった」

栄児は、ふむふむと言った具合に、一人勝手に納得した顔つきになっていた。

「違うんです。私、あの先日の戦いのときに、一緒に隣で戦ってくれた方がいて、名前は木場冬樹さんと言います。その人、戦いが初めての私を励ましてくれて、すごく嬉しくて――」

指をはがいにして出し入れしてる仕草を見るに、それは彼女にとって本当に良い思い出の一つのようである。

「…………」

「嬉しくて――でも、私に襲いかかって来たあのリヴスに、殺されてしまったんです……」

「そんなことが……」

「それで、せめてお花を手向けてあげたくて。田和課長に名前と場所を聞いたんです。それでここへ来ました」

「そんな君が、なんで街中を全力疾走していたんだ」

「それは……私より先に、木場さんの墓標に花を手向けていた人がいたんです。たぶん、あの人の恋人なんだと思います。その人が彼の名前の前で泣いていました。あなたの死になんの意味があるのって、泣いていました」

霞の話に言葉を失う栄児。

「…………」

「それを見てたら、いたたまれなくなって、飛びだして来ちゃいました。私、逃げて来たんです。木場さんからも、その女性からも、そして戦いからも」

「西堀……」

「わからなくなっちゃいました。戦場で起きることは運だと紋匁さんは言っていたけど、何の意味があるのかって聞かれたら困っちゃいますよね。困って、逃げ出して……」

霞は開き直るようにして明るく振る舞ってみせたが、無理をしているのが手に取るようにわかった。

そんな彼女に、栄児は思いの丈を語らなくてはならなかった。

西堀霞の、総括をここで語らなければ前へ進めないと思ったからだ。栄児の、そんな思いが次のような言葉の形として、湧きあがって来た。

「起こることに意味なんてないんだ、西堀」

「え?」

「すべてのことには始めから意味なんてないんだ。意味があるとすれば、それは後付けだ」

「それって、どういう――」

伏し目がちだった目が、自然と栄児に向かう。

「意味なんてものは生きてる人間が、後付けしているだけだ。泣いていた女性にしても、その死に対し思うところがあったから悲しんでいた。そして君も、それを感じているんじゃないか?」

「私、も……」

「彼の死にどんな意味を与えるかというのは、生きている人間にしかできないのさ。だから、彼の死に意味を与えるのは君だ」

「でも……でも、それはあまりにも理不尽です。私には荷が重すぎます!」

「まったく理不尽だな。だが、ここまでが宮御前の言う、運というやつだろう。君は幸か不幸か選ばれてしまったんだよ。彼から何かを託される人間にね」

「託された……」

「人はそうやって、自分で意味を見出して生きて来た。そしてそれはこれからも変わらない。彼の死を無駄とするのか、何か意味のあるものにするのかは、西堀、君にかかっている」

「そんな、私、自信がありませんよ……。所詮、魚屋は魚屋なんです。私が生きるには、あそこはあまりにも場違い過ぎます」

「俺の言ったことに、能力の優劣が入り込む余地があると思うか」

「………………?」

「結局、君が彼をどのように思っているかというのは、その後の姿勢で語るしかないんだよ」

「………………」

詰めた話しに小休止を挟むようにして、栄児は、ふーっと息を吐いた。

「実は、俺もそんな奴の一人だ。科学者だった親父の死にいろいろ理由をつけて追っかけている。今日はそれで、親父のお墓参りに来たのさ」

「それで、ここに……」

「ああ。俺だって君のように、時に自分の非力が嫌になったりもするよ。でも、それでも意志は曲げない。曲げたくないんだ」

「それは……、どうしてですか?」

「俺が曲げたら、親父の死んだ意味すら曲ってしまうんじゃないかと、勝手ながらに思っているからさ。もしかしたら親父は天国でいい迷惑してるのかもしれないな」

普段無愛想な栄児は、頑張って笑ってみた。そこに霞は慌てふためいて、彼の自虐を否定しようとした。

「そんなことありません! 台場さんのお父さんは、台場さんを誇りに思っているはずです! 私が親御さんだったら、絶対誇りに思うはずです!」

「…………」

「……あ、ごめんなさい、私、でしゃばったこと言っちゃって……」

「いや、そう言ってもらえると嬉しいよ。そうだ、先日の君に起きたことは君の責任じゃない。本来であれば俺が、全てを把握していなければいけないことだったんだ。それを謝らせてくれ」

「いや、あの、や、止めてくださいよ。台場さんが謝ることなんて何一つありません! ありませんよ、そんなこと――」

霞は慌てた様子で、鳥がはためくようにばさばさと両手を交差させた。

「そんなことはないんですよ。これは私の問題なんです。栄児さんは関係――」

「ないわけないだろ」

「え?」 

「ないわけがないんだ。君は俺が初めて持った部下の一人で、初めて人に何かを任されたんだ。だから、何があろうと俺は君を連れ戻す」

「そ、そんな……」

「俺たちには君が必要だ。託されたものが重いと感じるなら、その片棒を俺が担いでやる。だから、一緒に戦ってほしい。これは――俺の精一杯の命令だ」

それが、栄児にとっての出来る限りの誠実だった。

「私、また迷惑かけちゃうかもしれませんよ」

「俺がカバーしてやる」

「身体がすくんで動けなくなっちゃうかもしれません」

「そのときは引っ張り起こしてやるまでだ」

「――彼の死に、意味を持たせてあげられないかもしれません……」

霞は深い悲しみを秘めた顔で、切なそうに栄児を見つめた。

「意味はある。君が、前を向こうとしているじゃないか」

と、栄児が言うと、霞は、それだけでいいんでしょうか、と訴えるような眼差しを彼に向けた。

しかし、栄児はその全てを肯定した。

「たった、それだけのことなんだよ、西堀」

霞は、あっと言う顔をして、安堵で顔が緩みそうになる。

「課長や紋匁さんは私が戻ることを許してくれるでしょうか」

「ああ大丈夫だ。俺も一緒に頭を下げる」

「ちょ、台場さんは、そんなことしなくていいんですよ! あまり気を回されると、私……」

霞は、湿り気を帯びた瞳を輝かせ、何故か頬を赤く染めた。

「ん?」

「いや、な、何でもありません。ご迷惑及び御心配をおかけして、申し訳ありませんでした。これから、この西堀霞をしごいてやってください!」

「ああ、君には俺たちを後ろから守ってもらわなくてはならないからな」

栄児は、そのように言うと霞に手を差し出すと、霞は目を潤ませながらも、勇んでその手を握った。 

そう、霞は、栄児との会話の中で気付いてしまったのだ。

彼の死だけではない。あの女性の悲しみも、すべて意味のないものにしてはいけないということを。

       *

出て行ったっきりで、帰って来ない我が子を心配する千代。

日も暮れて、闇が都市を覆い尽くそうとした、そのときだった。

「ただいまー。お母さん、ヘアカットセットあるかな?」

「何、いきなり。部隊はどうしたの?」

「私、続けようと思う。もう迷わない。だからその区切りみたいな意味で髪を切ろうと思う。今はまだそこまでじゃないけど、もうちょっとで私、生きる意味みたいなものを見出せそうななんだ。だから、私、この都市のためにも、もう少し頑張ってみたいの」

「あんたの仕事は――」

「わかってる、私、出来る限りお店も手伝うよ。だから、もう少し見守っていてくれるかな、お母さん」

我が子の突然の変貌ぶりに、ただただ勢いで押される千代だったが、それでも最後の抵抗を試みた。

「霞、それで後悔はないんだね」

「ない」

その目に嘘偽りはなかった。

ここで、もし目を背けようものなら引きずり下ろしてでも隊を辞めさせようと思っていたのだが、どうやら、それは余計なお世話だったようだ。

「……わかった。いけるとこまで頑張りなさい。私も覚悟を決めたわ、これから、あんたのことを全力で応援する」

「ありがとう、お母さん……。確かに、魚屋は所詮、魚屋だけど、世界を守るカッコいい魚屋も、中にはいてもいいんじゃないかなって、今、私思ってるんだ」

霞の、はにかんだ笑顔からはたくましさが感じられる。

そこへ、様子を窺っていた父である、浩司も思わず口を挟んだ。

「それなら大山商店街が総力を上げて応援しよう。我が商店街が生んだ魚屋のスーパーヒロインってキャッチフレーズでな! こいつは売れるぞー」

「ちょっと止めてよ、お父さん。そういうんじゃないの、まったく……」

「はは、そうか、すまんすまん」

そして、再度改まった様相で霞は両親に打ち明けた。

「これからも心配させちゃうと思うけど、私頑張るから、ちゃんと見ててね」

わかったよ、という千代と浩司は応対したが、急激な娘の成長に、二人はただただ感心するしかなかった。

       *

翌日、彼女は辞表の撤回を申し入れるために、昭和の課長室へと向かった。

その駐屯所内の中途で、紋匁に出会う。

「か、霞、どうしたんだ、その頭は?」

全体的に、ばっさりと切り落とした霞の髪を見て、開口一番、紋匁が目を皿のようにして驚いた。

伸ばしていたせいで、くせ毛が毛玉のように鬱陶しくなっていたのだが、ものの見事にすっきりとしている。

「イメージチェンジです、なんちゃって」

てへへ、と愛嬌のある笑顔でころころと笑う。

「戻って来たんだな」

「はい、決心がつきました。これから課長へ辞表の撤回をお願いしに行くつもりです」

「似合ってるよ、その髪型。心身共に、付きものが落ちたようだね」

「ありがとうございます。いろいろ気に掛けてくれて、私、紋匁さんには本当に感謝しています」

唇をきゅっと締めた霞の姿を見て、紋匁は胸をなでおろした。

そこへ、栄児が駆け寄る。

「やあ、随分さっぱりしたんだな」

「そうですね。髪と一緒にいろんなものを置いてきました」

「そうか、じゃあそろそろ行くか、西堀」

「はい!」

 

そんな彼らの様子を、陰から恨めしそうに眺める一人と、我関せずな一人と一匹がいた。

「何か知らない間にハッピーエンドになってね? ちびすけ、お前なんか知ってるか」

「知らないのはたぶん鉄平さんだけですよ。熱血ポジション、取られちゃいましたね」

「何だよそれぇ。おい、知らないのは俺だけってどういうことだよ。何、何だ、何なんだ。俺の知らない間に何が起こっていたんだよー!」

鉄平は、頭をかきむしり、ぶつけどころのないフラストレーションを、全身を使って表現した。

そんな鉄平を尻目に、リィはキュー太君と頷いている。

「キュー」

「あら、あなたもやっぱりそう思う? そうね、当然だけど、普通、主人公は物語に一人よね」

鉄平の煩悩をBGMにこの場は一件落着の様相をみせた。

その後、栄児や紋匁の付き添いもあってか、霞は昭和の許しを得て特装三課へと戻ることができたが、連帯責任として全体に倍の量のトレーニング内容が課せられ、さすがの栄児も疲弊しきってしまったのだった。

       *

それから幾日も経たない深夜のことだった。

普段、駐屯所は午前0時を回る頃には、リィを除いて全ての人間が出払っており、出入り口は全て鍵が閉まっている。

リィに関しては、栄児らがこの部隊に加入した頃にはもう既に、駐屯所の中の一室を寝床としており、今日もハンモックに揺られて、ぐっすりと眠っていた。

そして今、丑三つ時に差しかかろうかという時刻、一つの影が駐屯所に近づいていた。

その人物は施錠された入り口のドアを手際よく、ピッキングすると、難なく中に入って行った。

どうやら警報装置があらかじめ落とされていたようで、駐屯所は不法侵入に対してまったくの無防備となっていた。

侵入者は、すんなり中へ入ると、内側から鍵をかけることを忘れず、その足でとある部屋へと直行した。

暗闇の中、非常灯の明かりが最低限の足場を照らす。

暗がりの中を勝手知ったる我が家のように進む侵入者。目的の部屋まで到着すると、周囲を見渡し、先ほど同様にピッキングを試み、それもあっけなく突破した。

部屋のネームプレートには〝課長室〟と書かれていた。

侵入者は警戒心を高めながら部屋に忍び込むと、閉じたドアに座りながらもたれ、それまで溜め込んだ緊張を一気に吐き出した。

「ふー………………」

すると、部屋のどこからかガサッという音が聞えた。

侵入者は、その音を不穏に感じたが、なすべきことを遂行すべく段取りを整えた。

部屋の灯りを点けることは、不法侵入を知らせることと同義なので、それをすることはできない。

一息ついた後に、侵入者はナップサックから小型の懐中電灯を取り出し、口にくわえたると部屋の端から整然と並んだファイルに手をつけた。

そして懐中電灯のスイッチをオンにした、そのときである。

突然、侵入者の両腕と首もろともに何かが巻き付いたのだ。

「な――」

そのまま胴まで一瞬で絡め取られると、あらぬ方向へと引っ張られ、なし崩しに床へと叩きつけられた。

「ぐぁはっ!」

(な、一体何が……)

何をされたのかわからぬまま気付けば目の前には、暗闇に映える白刃が鈍い光沢を放っていた。

侵入者が、それを刃物と認識した瞬間、どさりと何かにのしかかられた。

「騒いだら殺す」

暗闇は影を脅した。

「誰だ?」

「口をつぐめ、質問するのは私だ」

「くっ……」

「お前は何者だ、何故ここに入って来た」

「…………」

「答えろ、答えなければ耳を削ぎ落す」

謎の人物は刃の部分を、侵入者の耳の付け根にあてがった。

(クソ、万事休すか……)

侵入者は頑なにだんまりを決め込んだ。

「答えないという、答えはない」

謎の人物が、刃に力を込めたのがわかる。

肌に食い込むそれは、今か今かと人血をすするのを待ちわびているようだった。

しかし次の瞬間、謎の人物は突然、刃を突き立てるのを止め、侵入者を慌ててドア横へと引きずった。

「な、何を――」

謎の人物は、侵入者の口に手を当て強引に塞ぐ。

「今は喋るな、お互いに危険な状態だ」

(お互い?)

謎の人物は感情を押し殺したように囁くと、呼吸すらも深く当たり障りないものへと切り替えた。

侵入者も、興奮する自身の心音で気付かなかったが、こちらへ近づく何者かの足音を耳にして、その人物の行動を理解した。

近づいてくるそれは、ぺしぺしと擦れるような音からして、サンダルか何かの簡易的な履物で歩いているようだ。

段々と足音が大きくなってきたところで、音が止む。

彼らのいる部屋の扉の前で立ち止ったのだ。

不審人物二人の壁一枚向こうで、何者かが確実に存在している。

侵入者には、それが誰だかおおよその見当はついていたが、それでもこの状況を見られるのは、まずいと感じた。

がちゃり。扉一枚向こうの人物がドアノブに手をかけた音がする。

「あれ、開いてる……」

その抑揚のない調子は間違いない。

そう、それはまさしく汐留リィのものだった。

(しまった、鍵を閉め忘れたか――)

「おかしいですね、必ずここは鍵がかかってるはずなのに。音がしたのはここからだった気が……」

リィはゆっくりとドアを開けると、暗闇をじっと見つめた。

ふぁ~、とあくびをしている辺り、寝ぼけている可能性もある。

不審者らはドアを仕切に、リィの位置から丁度、死角の位置にいる。

それでも油断はできない。

リィは手元のスイッチで、部屋の明りをつけた。

明りが不審者らの姿を照らし出すと、彼らはお互い声も漏らさず驚嘆の相を浮かべた。

(君は…………青山零実?)

謎の人物とは、青山零実であり、侵入者とは台場栄児だった。

零実は栄児の姿を確認するに、引きつった表情を見せたが、すぐに真剣な眼差しへと変えた。

ドアと壁の隙間から見えるリィの姿を見ると、直立不動でその場に立ち尽くしている。

どうやらここへ入ってくる気はなさそうだ。

(あいつ……、身体を冷やすから、夜の薄着は止めろとあれほど言ったのに……)

栄児はリィの寝巻風な花柄のワンピースを見るにつけて、そんなことを思ったが、次に起こった想定外の事故によってそんなことは全て吹き飛んでしまった。

「にゃお」

(――な?)

栄児を締め上げている零実は、突然何を血迷ったのか猫の声真似をした。

(おい馬鹿、なんで密室に猫がいるんだ、全く意味がわからないぞ!)

「ねこ?」

リィのそれは、明らかに何かを疑っている目だ。

(まずい! 絶対バレる……)

「………………」

リィは棒立ちで視線だけを泳がせている。

(終わった…………)

栄児の中ではとうに絶望を通り越していた。一線を越えてしまえば、後はなるようになるしかない。

そうして彼は、見つかったときのことを想定し、開き直る術を血眼になって考えていたのだが――。

「ふぁああ……ま、猫ならいいや」

(は?)

大きく欠伸をするリィ。

どうやら本気で猫だと思ったようで、そのまま電気を消しドアを閉めると、その場からあっさり去ってしまった。

神経を張り巡らせ、彼女が完全に行ってしまったことを確認すると、栄児は大きくため息をついた。

この気持ちは安堵ではない。茫然だ。

(信じられない。本当に、あいつは才女なのか? まあ少し、天然なところがあったから、わからないでもないが……、いやそんなレベルじゃないな)

それよりもこの女だ、と栄児は再度暗闇に紛れた零実に不信を募らせる。そこには確かに彼女が存在していて、今も栄児に身体を密着させている。

柔らかい凹凸な身体の感触に、意識してみれば確かに女性の体つきなのだ。今なお続く、生温かく湿り気のある彼女の呼吸が栄児の耳をくすぐっている。

(何故、青山零実がここに――有り得ない。というか何であそこで猫なんだ。彼女の行動からは理解に苦しむとか、そういうのを越えた何かが……) 

栄児が零実という人物を掴みかねていると、そんな彼の心境を知ってか知らずか、彼女が一切の情を削ぎ落したような声で話しかけてきた。

「何故、あなたがここにいるのよ……」

「それは俺の台詞だ。何故、君がここにいる。答えろ」

「駄目よ、あなたが答えなさい。この状況をよく考えて」

(………………確かに、この状況は優勢とは言い難いか――)

「返答によっては、耳だけじゃ済まなくなる」

「俺を、どうするって言うんだ……」

――そうして、二人の長い夜が幕を開けた。

 

つづく


 
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