No.305400

きみはぼくの太陽だ

りくさん

劇場版00のコーラサワー最後の通信前後のSSです。パトリック・コーラサワー×カティ・マネキン。
よく見たら00の小説を1つも投稿してなかった。

2011-09-22 12:03:50 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:562   閲覧ユーザー数:562

 まどろみから戻り微笑みかける彼を見るたびに、彼女は思う。

 まるで太陽の日差しのようだと。

 邪気のない瞳は彼女を見つめて輝き、優しく細められる。どれだけの月日が経っても、変わることのない温かな想いが伝わってくる。

 穢れを知らない幼子ではない。世界を知らない子どもではない。

 それなのに。

 大人げない、と人は言うかもしれない。

 けれども。

 彼女は同じ微笑みを返す。そうっと頬に触れるキスとともに。

 

 

 本来なら最後の足掻きとしてコンソールの確認でもするところなのだろうが、そんなことをしなくても彼にはすべてが手遅れであることは明白だった。パイロットになる以前から、乗り物に分類されるものは自分の手足のように扱ってきた彼だ。感覚的に“使い物にならない”状態になっていることは把握していた。

 別段、珍しいことではない。そういう経験は過去にもある。そのいずれもが、絶体絶命の状況だったし、今回もその例に漏れないというだけのこと。

 違っているとしたら……。

 彼女にどう伝えようか、と彼は思案した。ごくわずか、ほんの少しだけ。

 そもそも考えるだなんて作業は、彼の得意とするところではない。言い方を選んでも、結局事実は同じなのだし…… 彼は個別回線を開いて、愛しい妻を呼び出した。

 小さな画面に映った夫の表情が、その朝ベッドで目覚めたときと同じ笑顔だったので、聡い彼女は言葉にされる前に何もかもを理解した。

 これが最後の通信なのだと。

 絶望という名の悪寒が、足元から首筋までを一気に駆け抜けていく。

 その背後には、彼女から彼を永遠に奪うため、銀色の異邦人たちが伸ばす触手も映し出されていた。

 幸せすぎて不死身ではなくなった、などといつものような軽口を叩く彼に、彼女もいつものように叱咤の口調で脱出を促したけれども、それが無駄であることは誰よりもよくわかっていた。

 彼は、コクピットを放棄したことは、一度も、ない。

 口さがない者がどう評しようと、どんな壊滅的な戦況であっても、彼は一回だって前線から逃げ出したことなどないのだ。むしろ、もっとも過酷な戦場へと嬉々として飛び込んでいく。

 それが彼の本質であると同時に、自分への信頼が後押ししているのだと知っているからこそ、この通信は身を切られるように辛かった。

 彼は決意している。

 彼女の傍らから離れることを決め、別れを告げている。

 彼女の美しい顔が、悲痛に覆われる様を前にして、彼は少し困った風に笑った。諭すように、でも、ただではやられませんよ、と続ける。最後まで言わなくても、意図ははっきりしていた。彼女は聞きたくはなかった。

 こいつだけでも道連れにして、と力強く口にする姿は、命の使いどころを見定めた兵士のものだったから。

「やめろ」

 しかし、他に残された道があるだろうか? 明晰な彼女の頭脳でも、暗闇しか見えない。喉から飛び出したのは、彼を引き留めるだけの言葉でしかなかった。

 ただの、懇願でしかなかった。

 たまらず目を閉じた彼女の前で、通信は途絶えた。

 自ら回線を閉じた彼に、怖れがなかったといえば嘘になる。

 けれど、それ以上に彼は彼女を信じていた。

 彼女を評価する言葉には、さまざまなものがある…… しかし、彼にとっては一言で済む話だった。

 最高に、いい女だからな!

 彼が愛し、彼を愛する彼女がいる限り、彼の心に動揺はなかった。

 そう。彼女がそこにあるのなら、彼は何ひとつだって失いはしないのだ。

 だから、この決断が寂しいものだとしても、悲しいものだとしても、彼に迷いはない。

 失われるものは、ひとつもないのだから。

 彼は流れるような仕草で、コンソールに指を滑らせた。

 

 

―― 希望はあるわ。

 そう言った旧友の言葉どおり、虚空に希望の花が咲いてから、随分長い間、彼女は事後処理に追われていた。侵攻を止めたとは言え、破壊された設備が戻るわけでもない。死傷者が元に戻るわけでもない。

 システムを復旧させ、命令系統を整備して、生存者を救助し、危険な設備には技術班を送る。壊滅的な打撃を受けた艦隊では、戦艦としての機能をほとんど失い、生命維持にすら支障が出ている部隊もあった。推進力もないMSに閉じこめられたまま、または爆発で放り出され、救助を待つほかないパイロットも多かった。

 軍隊が組織としての能力を発揮し始め、彼女が個人的なことを考える余裕が出来たころ、あがってきた多くの報告のなかに、夫の生存確認の報せがあった。

 現場に居合わせた者、もしくは通信兵、または生存者回収の責任者か…… とにかく、ふたりのことを知っていて、誰かがそっと情報を回してくれたのだろう。そのさりげない気遣いが有り難かった。

 しかし、彼女は表向き、ちらりと視線を走らせただけで、すぐに事後処理に戻った。生きているのならば、それでいい。今は、自分のことは後回しだ。

 それから何時間もして、やっと交代制で作業に当たれる体制まで落ち着き、司令室でも順番に休憩を採ることになったとき、司令付きの士官は、真っ先に彼女を部屋から追い出した。

 連邦軍は、大きな痛手を負った。今後、地球の本部と連携を取り、戦後処理に当たるとともに、減少した軍力の代替手段を考えて行かなければならない。この戦争を生き抜いた将官の存在は、とても貴重なのだ。

 …… などという、もっともらしい理屈をまくし立てられ、外に追いやられた彼女は、機材と人に溢れた細長い回廊の先に、その人影を認めた。

 パイロットスーツに身を包み、彼は子どものように何度も手を振っている。

 怪我ひとつしていない。

 まったく、呆れたものだ…… ほっと気が緩んで笑みが浮かぶとともに、目頭が熱くなった。床を蹴ると、重力を持たない空間は彼女をまっすぐに彼の元に運ぶ。

 それぞれの役割を抱えて忙しなく行き交う部下たちは、さりげなく視線をそらした。

 この瞬間は、夫を迎えるひとりの女でしかない。

 彼女はゆっくりと回転しながら、大きく広げた彼の腕のなかへと飛んでいく。

「大佐…… ただいま帰投しました」

 彼はしっかりと彼女を抱きとめ、耳元に囁いた。その背中をぎゅっと掴み…… けれども、零れそうで顔を上げられずに彼女は答えた。

「ばかもの…… 准将だ……」

 途端に彼女に降り注ぐあの笑顔を作って、彼はその細い身体を強く強く抱きしめた。

 腕のなか、鼓動が伝わる。

 温かい、いのち。

 愛しいもの、そのすべて。

 短い人生で望む、たったひとつのもの。

 戦いがあるのなら、しなければならないのなら、その理由はわかっている。

 この両手のなかに答えがある。

 彼女は、彼を見上げた。准将の仮面も、戦術予報士の仮面も、そこにはない。

 無防備で、素のままの彼女―― 彼が毎朝、目覚めとともに見つける愛しい者の姿があった。

 彼女は、夫に甘く優しく笑いかける。

 彼だけが知っている微笑み―― 世界の中心がここにある。

 彼は、そうっと彼女に口づける。

 

 きみは、ぼくの、太陽だ。


 
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