●三題噺 お題:夜行列車・チョコレート・鋏
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ソキリ。
私が鋏を入れると、小さな音とともに彼女の髪が床に落ちてハサと広がった。
「本当に、いいんですか?」
そう訊きたい気持ちを抑えながら、私は鋏を動かす。
腰まで伸びた彼女の髪はまるで小さな滝のようにサラサラと背中を流れ、手ですくうと隙間からスルスルと水のようにこぼれていく。絹のような髪という言葉は、まさに彼女の髪のためにあるのだろう。
ソキリ。
そんな彼女の綺麗な髪が、私が鋏を入れるたびに床を濡らす。
「ひと思いに」というのが彼女の希望だった。
そのオーダーを聞いて、私の心は「切りたくない!」と叫んだ。それは美容師としての立場からの思いと、私個人としての想い。
彼女の髪を一番良く知っているのは私だ。きっと、彼女自身よりも私は彼女の髪の事を知っている。
髪の手入れの仕方について教えてあげたりもした。
彼氏に気に入られたいからと、「あなたのセンスで私に合う色に」と言われて、少しビターなチョコレート色に染めてあげたりもした。
彼氏とケンカをしたからと手入れを忘れて少しはねた毛先を整えてあげたりもした。
それはいつも私の役目。
店を出る時に、私が整えた髪をサラリとなびかせながら「ありがとう」と微笑んで手を振ってくれる、とても素敵な彼女。
だから、辛い。
もちろんそれは私の勝手な我侭で、彼女の髪は彼女のものであって決して私のものではないという事を、頭ではきちんと理解しているつもりだった。
しかしこの状況はどうだ、彼女の望み通りにひと思いに切ってしまえばいいのに、私は毛先の方から少しずつ少しずつ切っているではないか。
これは私の未練だ。未練と言わずして何と言うのか。
しかし、分からない。
私はなぜこんな事を思うのだろう。
「いいんだよ」
そんな私の迷いを察したかのように彼女が言う。
背後にまわって髪を切っているので彼女の顔は見えない。いや、前にある鏡を見れば見られるけれど、でも、見られない。
「一度やってみたかったんだよね。失恋してさ、髪を切るってやつ」
笑ったのだろうか、背中を流れる髪が少し揺れる。
「失恋で髪を切る女なんて今時いないって言うけどさ、だからこそ”じゃあ私がやってやろうじゃん”って思ったんだ」
ソキリ。
私は何も応えられず、ただ鋏を動かす事しか出来ない。
「やっぱりさ、心のどこかに元彼に対する未練がさ、まだあるんだよね」
未練という言葉にドキリとする。
そして不意に、私は自分の気持ちに気づいてしまった。
「でもそれっていつか吹っ切らなきゃいけないわけで、だったらこれがいい機会なのかなーって。でさ、やるとしたら、やっぱりいつもお世話になってるあなたに切ってもらいたかったんだ」
ソキリ。
「こんな事を、私の髪を大切にしてくれていたあなたに頼むのはとても失礼だと思ったんだよ。でも、だからこそあなたにお願いしたかった。こうして、今も大切にしてくれているあなたに」
それはとても嬉しくて、
「きっとあなたなら新しい私にしてくれると信じてるから」
とても残酷な言葉。
「分かりました」
ソキソキと鋏を動かしてから、一瞬だけ手を止めて、深呼吸。
そして、少しビターなチョコレートの川がサラリと流れていった。
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「うん最高!私可愛い!」
私が彼女の頬についたチョコレート色を払うあいだ、とても晴れやかな笑顔で彼女はずっと笑っていた。
「よーし、失恋で髪を切るのはやったから、今度はあれね、夜行列車で日本海に行ってバカヤロー!」
「ふふ、楽しそうですね」
「あなたのおかげよ。もしかしたら、あなたが一番私のことを分かってくれているのかもね」
会計を済ませながらいたずらっぽく笑う彼女の笑顔につられて、
「私も……」
という言葉が自然に口をついて自分でも驚いた
「ん?」
「いえ、新しい彼氏、見つかるといいですね」
「あなたのカットだもの、即新しい彼氏ゲットよ!」
そう言って、すっかり軽くなった髪を小さく揺らしながら、彼女はいつものように「ありがとう」と手を振りながら店をあとにした。
彼女の姿が見えなくなって、私は店の中に入る。
シンとした店で一人、床に広がるチョコレート色の髪を集めながら、彼女の去り際に言おうとして飲み込んだ言葉をそっと囁いた。
「私もあなたと一緒に夜行列車に乗っていいですか?」
彼女は失恋をして髪を切り、
私は髪を切って失恋を知った。
少しビターなチョコレート色の話。
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ザ・インタビューズで頂いた三題噺のお題です。ありがとうございます。(現在は募集を終了しています)
百合っぽい話を書いてみたかったのです。