カーテンを引かれる。眩しい光が目蓋を通して何かの信号を感知したかのように
自動的に目蓋が開かれる。大体、その後の一言といえば。
雪乃「眩しい…」
ここ最近、姉らしいことを私にしてきたせいか妙に毎日張り切っている双子の姉の彩菜。
今日はいつもと違う気持ちで朝を迎えた。眠い目を擦りながらベッドから降りる。
後ろからかかる「おはよう」という元気な声。何もかもがいつもどおり。だが、
いつもと違うところは、小学生になってからの初の夏休みということだった。
別にやりたいことがあるわけでもなし、どこに行きたいということもこれといっては
ない。だが、平日の日にじっくり休めるのは実に気持ちがいい。
それは彩菜も同じだったようだ。着替えを終わらせた私と彩菜はゆっくり階段を下りて
台所の前にある食事用の長テーブルへと向かう。既に食事の用意はできていた。
双子といえば好みも一緒と思われがちだが、実にそこも違う。私は目玉焼きには醤油
だが彩菜はソース派なのだった。ちなみにお母さんがマヨ派でお父さんがケチャップ派
で見事に全員好みが分かれている。どこぞの双子姉妹みたいに解答欄さえ同じという
ことは私と彩菜に限ってはありえない。ただ、どこかで言葉は交わさなくても信頼関係
は築けていた。その証拠にお互い一緒にいる時間が一番安らげていたから。
ただ、彩菜のバカすぎる言動には時々イライラさせられるが。
そうしてさっそく夏休みの日程を決めるのだが、勝負師なお母さんはともかく、会社を
持っているお父さんが自由になれる日がほとんどない。だから家族一緒にというの
はなかなかに難しいところなのだ。
案の定、あまり良い顔をしないお父さんは渋い顔をしながら本気で謝っていた。
いつも家族を大事にすることはわかっているから、仕方がない。
静雄「楽しみにしていたんだが…。今一番忙しくてな」
菜々子「いつものことでしょう?」
お母さんは豪快に笑いながらお父さんの背中をバンバン叩いていた。知ってる。
ちょうど、商品を発売する期間まで残り少ない。だからこそ、製作に余裕があっても
ミスが出ないようにがんばるのだ。軽い容姿だけど責任感の強いお父さんが私は好きだ。
食後の緑茶をすすると、深く息を吐く。こうすると、非常に落ち着くことができる。
彩菜の倍くらいの量のご飯を食べてからはそのくらいの量を食べないと落ち着かなく
なっていて、積まれた皿を見て彩菜は毎日のように感心していて、それと同時に私の
お腹と積まれた皿とを交互に見ているのが日常の一つとなっていた。
菜々子「ようし、パパが仕事でがんばってる間にあたしたちは遊んでこようか」
彩菜「わーい」
雪乃「えー…」
一人働いて他は遊ぶんですか?とちょっと乗り気じゃなかった私だったが、お父さん
がその方が気楽で良いと言っていたから、私も素直に喜んだ。
菜々子「海だぞー、もっとよろこべー」
海、もっとも日差しと気温が高くて。泳ぐのとは無縁な私にはちょっと過酷な遊び場
だった。だが、彩菜が喜んでいるのでそれでもいいかなと思った。ところで、行き先は
どこなの、とお母さんに訊いてみた。すると、おじいちゃんの別荘よと簡単に言った。
待ってよ、確かおじいちゃんって山の方にも別荘があるとか言ってなかった?
菜々子「うん」
やはり素直に笑顔で言い放った。別荘ってそんなにいくつも持っているものだっけ?
と少し疑問に思いながらもこの明るさに水のさすのは気が進まない。少し突っ込みたい
ことは多いけど、ここは敢えてつっこまないことに決めたのだった。
菜々子「よし、早速出かけよう!」
彩菜「おー」
雪乃「えぇ…」
いくらなんでも急すぎる。私にも心の準備というものがあるのだが、ここまで二人の
気持ちが強いと何もいえない。というか、言っても無駄な気がしてきた。
焼け石に水というやつだ。お父さんが会社に出かけた後にすぐに準備に取り掛かる。
私は泳がないと思うけど一応水着と、日焼け止めクリームに日傘。眩しくないように
サングラスでも持っていこうかな、度無しの伊達サングラス。
雪乃「どう、似合う?」
白が多い最低限の模様のついたワンピースに白いハット、黒のサングラスをかけて
彩菜に見せると彩菜は眩しい笑顔で元気よく頷いてくれた。そこまで喜んでくれると
私までなんだか嬉しくなってくる。サングラスを外し、外を眺める。雲一つない快晴。
肌がジリジリ焼けそうで少し心配だった。
あんまり運転しないが、お母さんも免許を持っている。お父さんよりは運転が
荒っぽいのだが、運転免許とってから一度も事故を起こしたことがないとか。運が強い
のだなと改めて思った。以前は、パチンコで家庭の財政を護った上に貯金までできたとか。
お父さんはまるで祈るような形で手を組み、拝んでいたっけ。おやつを詰め込んだ
バッグから彩菜はさっそく取り出した。駄菓子の定番「うめー某」を口いっぱいに頬張る。
とても嬉しそうで、どこか犬を見ている感覚と似ている気がする。それを言ったら
彩菜は怒るのだろうか。ちょっと試しに言ってみたかったが、自分も甘いものが
欲しかったので食べることに集中することにした。
高速に乗って、速度を上げる車。少し窓を開けて吹き込む風を楽しむ。
彩菜「ねぇ、どんなところだろうね」
雪乃「おじいちゃんのところは初めてだもんね。彩菜は楽しみ?」
彩菜「うん、楽しみ」
菜々子「着いたらみんなで泳ごう」
振り向いて言うものだから、前向いて!と大声で注意した。あんまり会話が弾むと
こういうことがあるから怖い。お母さんが言うにはもう半分くらいだという。だが、
案の定というか、途中から渋滞に巻き込まれ、ちっとも進まない間。お母さんは完全に
こっちの方に向かって彩菜にお菓子を食べさせてもらっていた。
よほど嬉しいのか見事に顔がふやけていて、見ていて恥ずかしかった。そんなことを
しているうちに、車は動き出していた。彩菜と昨日のドラマの話をしている間に車が
止まり、お母さんが車から出て後ろのドアを開けて私にこう言った。
菜々子「お嬢様、お手を拝借」
なんか使い道が違うような気もするけど、手を乗せて軽く引っ張られ、心地よく外へ
と出た。潮風が吹いている。目の前は海だった。日本にしては青く澄んでいて綺麗だ。
彩菜「おー、ぜっけいかなー」
少し遅れて走って私の隣で感動している彩菜は背伸びをして深呼吸していた。とても
気持ち良さそうに見える。彩菜は私にも同じようにするように勧めてきた。同じように
背伸びをして深呼吸をする。なるほど、わかる気がする。ただ、これをするにはもう
少し海から離れた場所とかの方がいいかもしれない。山とか・・・。
潮のせいか、空気が少しベタツク。車の中に乗って今度は別荘に向かう。坂を上って
少し走っていく。やがて、一戸建ての家が見えてくる。2階建ての普通の家に見える。
車から私たち3人が降りてインターホンを鳴らす。すると、すぐにドタバタと
騒がしい音が聞こえて、横にスライド式の玄関のドアを豪快に開くのは前にもお世話に
なったおじいちゃんで、すごく息をきらしていた。そして子供みたいに眼が輝いていた。
彩菜「わーい、べっそうべっそう」
中に入ると走り回る彩菜。私はおじいちゃんに頭を下げて挨拶をすると、
おじいちゃんは驚いた顔をしていた。何かおかしかっただろうか…。
祖父「そんなに改まって言わなくてもいいよ、普通で」
雪乃「…うん」
どうやら余所行きモードだったらしく、家にいるときの気分に戻した。すると、
どこからともなく、いかつい顔の集団が私を囲んで荷物を持ってくれた。
893「お嬢のお嬢!お疲れでしょう、部屋に案内します!」
893「お嬢のお嬢!」
893「お嬢のお嬢!」
893「お嬢のお嬢!」
なんだか何度も言われるとなにがなんだかわからなくなるが、お母さんの娘だから
お嬢のお嬢なんだろうなということはわかった。圧倒されながらも頷くといきなり
体を持ち上げられ2階へと運ばれてしまった。少し怖かったが、後ろから聞こえた
お母さんは。
菜々子「なんだか楽しそうね~」
と、暢気なことを言っていた。助けてよ。
運ばれた先は海が見える特等席というより特等部屋。確かにずっと車の中というのは
動かないくせに疲れを感じるから困ったものだ。少しベッドの上で座りながら外の景色を眺めているとドタバタという音と共に彩菜が私のいる部屋に飛び込んできた。
彩菜「ただいま!」
雪乃「おかえり」
既に暗くなり始めた景色から戻ってきた彩菜を私は迎えた。特に寂しいという思いは
その時なくとも、目の前に彩菜がいるとホッとする。彩菜は私の隣に腰掛けると、
家の中を色々見て回ってわからないことは、いつもお世話になってるサブちゃんに
聞いたらしい。見る暇もなく連れ去られたので私は彩菜に後で案内してねと言うと
満面の笑みでうん、とこたえた。
彩菜「暗くなっちゃったね~」
雪乃「明日もあるんだから、明日にしなね」
彩菜「うん、わかった」
部屋にはシングルベッドが二つ。大人用のもので、けっこう大きく見える。ここが
私と彩菜の部屋のようだ。彩菜が入り口に近いほうのベッドに飛び込んだ。掛け布団に
顔を埋めてぐりぐり動かしてからプハッと言って嬉しそうにゴロゴロ転がっていた。
彩菜「良い匂い~」
雪乃「匂い?」
ああ、本当だ。今日は良い天気だったから干していてくれたのだろうか。太陽に
当てられたときに出てくる独特な匂いがする。私も彩菜もこの匂いはかなり好きだ。
なんだか、体がだるくなってきた。彩菜と同じように私も転がってみる。なんだか
眠くなってきた。まだ温もりを残した布団があまりにも心地よくてうとうととして。
そして、意識が沈み込むように消えていった。
―――――――――菜々子サイド――――――――――
サブ「お久しぶりです、お嬢」
菜々子「うん、久しぶり。元気だった?」
サブ「へい!」
父とサシで呑んでいる中、サブが子供二人の報告をしてきた。少し酔いが入った
だろうか、やや耳が遠く感じた。
菜々子「布団掛けずに寝てるかもしれないから、引き続きよろしく」
サブ「わかりました、様子を見てきます」
サブは嬉しそうに頷くと階段をのぼっていった。父の子分たちは盛り上げに精一杯だ。
いつ裏切ってもいいこの世界だ。ここまで慕われてる父はすごいなぁと感心した。
菜々子「お父さん」
祖父「ん?」
菜々子「どうなの、組はその後」
祖父「ああっ、信頼を置いてるヤツに任せてあるが。時々様子は見に行ってる」
そうか、と呟いて。焼酎のおかわりを部下の一人に頼んでつまみを一つ口にくわえる。
こういう仕事柄、運が悪いと引退しても的にされたりするが、ここまで父に不調という
ことはなかった。いつでも順調。ただ、お母さんのことだけを除いて。
菜々子「またお母さんの写真みたいなぁ。持ってきてる?」
祖父「あ、ああ。持ってきてるよ。会うたびに要求されるからな」
瞬間、父は悲しそうな顔をしているように見えた。思い出すと淋しくなるのはそれだけ
愛情が深かったのか。私が小さい頃にお母さんはこの世から既にいなくなっていた。
物心は多分ついていなかった。私の記憶にはお母さんの記憶は全くないのだ。
差し出されてありがとうと、部下に伝えると持ってきてもらった焼酎を一口飲むと
アルバムのページを広げる。これは中学生くらいのときから同じように見ていた。
なぜみんなにいて、私にはお母さんがいないのか。父のことは好きだ。私によくして
もらっているが、やはり代わりにはならなかったのだ。クラスメイトが母親とケンカ
してたり、仲良くおしゃべりしてるところを偶然見るとやはりどこか物足りなさを
感じるのだ。
いつも髪を整えたり化粧するときに自分の顔を鏡でみる。やはり親子なんだね。
どこか、私に顔立ちとかが似ている。でも、私より優しい顔をしている。
菜々子「私もまだまだかなぁ。母親として」
こんなに母性的な暖かい人になれる自信がない。
祖父「お前はよくやってるよ…」
菜々子「?」
祖父「知らないのか、お前は子供たちの相手をしているとき。母さんに似たような顔してるんだよ」
菜々子「またまたぁ」
からかわないでよ。というが、父の顔は真剣そのものだ。少しは私も成長したという
ことか。写真を眺め終わると、今度は世間話で面白おかしくおしゃべりした。
話すことが少しなくなった頃、ちょうど晩御飯の時間だった。2階から二人が降りて
くる音が聞こえた。なんか作らないとと立ち上がると、安定しない。部下に支えられる
と目の前にはサブの姿が。
サブ「無理しないでください。俺が作りますから」
菜々子「ごめぇん、よろしく頼むよ」
自分が情けなくて、でもどうにもできなくてサブにお願いした。少し裏声になって
いたかもしれない。和室の布団に運ばれた。布団の中に入るとすぐに意識がとんだ。
なんか、昔を思い出しそうなそんな気がした。
ー過去の夢ー
高校を卒業した私は手元には何も残っていなかった。こういうヤクザの娘という
肩書きはことごとく嫌われたり怖がられたりするものだ。ようやくできた友達だって
本当の絆がないとわかると私は絶望した。これからは、しっかり仕事をして普通に
暮らそう。
父もそれを願っている。すぐに新聞についてくる募集のチラシやハローワークに
通いながらようやく、普通の会社のOLとして入ることができた。しかし、私は我慢を
するということができない人間だということを思い知らされた。
尻を撫でられた瞬間に、無意識に相手に蹴りをいれていた。しかも鳩尾に食い込んだ
ものだから、相手は立ち直れない。よく見ると私にセクハラかましたのは自分の部の
上司で、必死に謝れば許してもらえるかもと思ったが。声が出てこない。代わりに
出てきた声は自分でも何を言ってるのかよくわからなかった。
菜々子「自分が何をしてるのかわかってんのか!?恥をしれ!」
癪に障ったのだろうか、私はそれから陰湿ないじめに合い。犯人を追い詰めてから
半殺しにして、辞めさせられる前に自分でその会社を辞めることにした。ヤクザの娘
という肩書きもその後広められたのだろうか。少し仲がよかった先輩からも電話が通じ
なくなっていた。それからも入るには入るが少しでも理不尽なことがあるとすぐに手を
出してしまう自分が嫌になる。元から自分のことなんて好きではなかったが。
父「菜々子…」
菜々子「うるさい!」
部屋に篭ってどうすればいいのか、考えていた。冷静になれずに心も荒れるばかりで
何の解決にもなっていなかった。自立できないのか。自分に何かできないのか。ヤケに
なってからは、人との繋がりを信じられなくなっていた。
とある日、命と金をかけたスリリングな賭け事をしてからそれが病みつきになっていた。
だけど私が手に入れるのは死ではなく金と相手の命だった。
菜々子「お金はいらない…」
黒服「お、おいっ」
ルール上受け取らなくてはいけないのだが、そんな気分ではない。いくら自分に不利
な条件でやっても勝ってしまう。どうして、人との関係を持てない私がこんな強大な
運を持っているのだろう。
今日も酔っ払い運転している車に引かれた男性がいた。傍らには泣き叫んでいる女性。
カップルなのだろうか。遠くからは救急車のサイレンが聞こえる。
警察の手が進み、賭場も徐々に私の目の前から消えていった。こうなると、この手元
にある大金をどう使おうか考えてしまう。とりあえずパチンコかなと、店の名前を見て
何も考えずに入っていった。
しばらくはここで暮らすかな。とりあえず、カプセルホテルにでも泊まって通うこと
にした。そういえばオヤジには全然会ってないなぁ。外で寒風に当たりながらタバコを
吸う。なにをしても寂しさを紛らせることができないで、もがいていた。
そして、今日もパチンコで大当たり。負ける日もあるが、結果的には大もうけして
いるため、財布の中がえらいことになっていた。懐は潤うのに心が枯れている。
自分は何のために生きているのだろうか、と考えたこともあったが答えはでない。
だが、これだけ荒んでいても自殺というものは考えなかった。いや、考えていたときも
あったか。だが、目の前で自殺を目の当たりにしたときの醜さときたらなかった。
同じ死でもああはなりたくはない。何も考えないでパチンコをうってたとき、ふと
隣に違和感を感じた。視線を隣に移した途端、目が眩み目蓋を開けることができなかった。
菜々子「ん…」
目を瞑りながらでもわかる、現実。さっきまで見ていたのが夢か…。久しぶりに
ネガティブな夢見ちゃったなぁ。あの頃は幸せというものが私にはなかったから。
だけど、今は…。
彩菜「ママ、おはよう。というかおそよう」
雪乃「休めるからって、少し寝すぎじゃない?」
目を開けるとそこには眩しいほど愛らしい、私の娘が笑顔で声をかけていた。
菜々子「ご飯は?」
彩菜「サブちゃんが作ってくれたー。ママの分もあるって」
その言葉を聞いた途端に腹の音が鳴った。彩菜がそれに反応して笑い、私も笑顔で
起き上がった。さっきの夢、もう少し見てたら出会ったころの旦那に会えたのかと
思い出したらもったいなく感じた。用意されていたご飯を食べながらこれから
どうするかを三人で話した。まずは海水浴だろう。穴場ということで、人の出入りが
少ないらしい。
着替える場所が砂浜付近にはないため、家の中で着ていって上着を羽織ってから外に
出る。お父さんの子分たちがパラソルやシートなどを運んでくれる。私だけで持って
いける量だったから構わなかったんだけど。みんな好意をもってやってくれてることを
ありがたく思った。
その場に行くと、小さいながらも砂浜と岩場があって、離れた場所で釣りを楽しんで
いるおじさんも確認できた。岩場には誰かが作ったのか、自然にできたのか大きな穴が
開いて中に入ると涼しそうだ。
シートを敷きパラソルを立てる。その後、元気に準備運動をやって、今にも泳ぎに
行きそうな彩菜に一言注意しておいた。
菜々子「足がつくとこで遊びなさいよ」
彩菜「わかったー」
彩菜は運動神経がいいから、よほど深くまで行かない限りは溺れることはないだろう
からそんなに心配はしていないが念のために釘をさしておいた。今日は日差しが強い。
少し雪乃の体調が心配か。
菜々子「雪乃、大丈夫?」
雪乃「うん、今のところ」
菜々子「辛くなりそうだったらそこの洞穴に入ったらいいよ」
雪乃「うん」
このままじゃさすがにつまらないよな。私がついていれば大丈夫か。雪乃の肩に手を
当てると雪乃は上目遣いで私をみた。めちゃくちゃかわええ。
菜々子「少し海の水でも触れてみようか」
雪乃「そうだね」
日傘と上着をシートの上に置いて熱い砂浜を小走りで渡る。その先の湿った砂の心地
よさといったら他では味わえない。急に地面が柔らかくなる奇妙な感触を始めて
味わった雪乃は思わず声を上げていた。軽く小さな可愛い悲鳴を聞いた私は思わず口元
が緩んでしまった。
菜々子「どうさ」
雪乃「ちょっと気持ち悪い」
菜々子「まぁ、慣れたらけっこういいもんだけどね」
雪乃「そうなの…」
片手で雪乃の手を握り、もう片方で持っていた浮き輪を海に投げ込んだ。その後、
雪乃を持ち上げて浮き輪の中に入れる。ザブンという音を立てたあとに雪乃は浮き輪に
しがみつき生みの上でぷかぷか浮いていた。
菜々子「冷たくて気持ちいい~」
雪乃「…」
傍まで寄ると雪乃が見上げていた。私も同じように空を見た。色んな形の雲が空を
泳いでいる。潮風がちょうどいい、彩菜が元気よく泳ぎまくっているのを視線で捉え
ながら、その静かな一時を満喫した。
――――――――――――雪乃サイド―――――――――――
暑い気温の中、私は冷たい塩水に浸かっていた。今まで中に入ることはあまり
なかったが、けっこう気持ちの良いものだ。だけど、少し肌がジリジリ焼けていたい。
少ししてからお母さんに上げてもらい、私は岩場の洞穴に避難した。中はまるで冷房が
入っているかのようにひんやりしている。念のために上着を着ていって正解のようだ。
外からの明かりが中をうっすらと照らす。それ以外の明かりがないため、奥へと進む
うちに暗くなっていく。足元に気をつけながらすっかり真っ暗になったその先へと手を
伸ばすとなにやらドアノブのようなものが手に触った。
まさか、と思いながらそのドアノブを捻り引くが何も起こらない。だったら押して
みたらどうだろうと、軽くドアを押すとあっさりと開いていく。
雪乃「なに、ここ」
眩しい。ドアの先には直視できないほどの光が目に飛び込んでくる。思い切ってその
先に進むとそこには広い花畑が広がっていた。夏の定番の花、向日葵の姿も底にあった。
だが、どこかおかしい。そこには虫らしい虫が見当たらないし、それどころか他の
季節の花でさえ元気に咲いている。これはどう考えても夢としか思えない。
雪乃「うわぁ…」
春のような陽気で花の絨毯を歩いていくと次に視界に飛び込んできたのは桜だった。
しかもピンク色ではなく、真っ白な桜の花弁が舞っていた。まるでこの世のものでは
ないような光景。
雪乃「まさか私…死?」
なわけないよなぁ。ちゃんと手や足もあるし、と確認すると今度は周りを見てみる。
すると今度は楽しそうな話し声が聞こえてくるではないか。声の場所を探して歩き回る。
時々、足に痛みを感じるのは多分、花の棘であろう。多少血が滲むがあまり気にしない。
声のするほう、奥へ、奥へと歩むとそこには現実にはありえない光景が広がっていた。
黄色のよく名前のわからない花が敷き詰められているその上で羽根を生やした女の子
が舞っていた。まるでファンタジーの世界のよう。そういえば以前こんな光景を映画か
何かで見たような気がするが、それとは違い今はこの目でそれを確実に見ているのだ。
雪乃「なんで飛んでるのん?」
間抜けな言葉をかけると一人の子が私に近寄り私の手をとって飛んだ。体が浮く
感覚がまるで夢ではないようなそんな錯覚、でも気持ちが良い。飛んでいるとき風に
包まれているみたいで心地よかった。気温もちょうどよく、水着姿でも寒くはなかった。
風にのった花々の無数の花びらが宙に舞う。幻想の世界という言葉に似合っていた。
時間を忘れるように私は少女たちと戯れていた。
雪乃「そろそろ帰らなきゃ」
時計も何もないが何となくそんな気持ちになった。脳裏に彩菜とお母さんとお父さん
の姿がよぎったから。すると、笑顔で少女は聞いてくる。
少女「私たちとずっといっしょに遊ぼうよ」
私は首を横に振る。だが、悲しそうな顔をせず少女は口だけ、がっかりと呟いてから
私を花の上に降ろす。
少女「もう、私たちとは会えないと思うけど」
雪乃「うん」
少女「ずっと傍で見守っているんだからね。ずっと…」
雪乃「え…それは一体…」
意味がわからず聞き返すと急に目の前が眩しく光った。方向がわからない。自分が
今どこにいるのか立っているのか倒れているのかもわからない。声だけが耳に響いてくる。
声「もうすぐ生まれますよ。がんばって」
声「うううう…うあああああ!」
苦しそうな声。どこかで聞いたことのある声。光に包まれていたはずの今は真っ暗で
闇に包まれているような気分だった。いや、というよりは水中にいるような。
それでも海の中とかではない。もっと穏やかな気持ちでいられるそんな場所。何も
見えないけど気配で隣にもう一人いるような。次の瞬間、優しい暖かい声が届く。
声「あなたの体はわたしが守るからね」
思い出した…。苦しくて仕方なかった生まれてから物心がつくまでの間。お母さんの
手から暖かいものが体中に流れ込んできて、それから私は重い病気にかから
なくなったんだ。
ようやく目が開いた。目の前にはお母さんが心配そうな顔をして私の名前を呼んでいた。
私は微笑んでそれに応えた。
彩菜「だいじょうぶ?」
覗きこむように私を見てホッとした表情を浮かべる彩菜。私は戻ってきたのか、
それともあれは夢だったのだろうか。洞穴の中、私が開けた扉はそこには何も残っては
いなかった。私はお母さんにお姫様だっこをしてもらいながら家へ戻った。少し恥ずか
しかったけど、そんなこともいってられなくて。私の体はすっかり冷え切っていたから。
私はお母さんに怒られるかなぁと思ったけど、その後何事もなくいつものお母さんに
戻っていて胸を撫で下ろした。
風邪もひかなかった、次の日。海を満喫してから帰ろうと浜辺に出た私が見たものは
信じられない光景だった。お母さんも彩菜もそして私も言葉が口から出なかった。
岩場の洞窟が消えてなくなっていたのだから。穴があった場所は岩肌が見えているだけ
で触っても何も起きなかった。その中に入っていた私たちは夏なのに少し寒く感じた。
気を取り直して遊んでから車に乗り込んで発進させた。車で家までの道のりを走って
いると疲れがどっと出てくる。まだ昼過ぎだというのに、うとうととしていつしか意識
は睡魔に飲み込まれていた。その時に、何か見たような気がする、そう。
日常から外れた何かを見たような気がした。
続
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過去作品。修正していないので読みにくさ注意。双子の微シリアスとほのぼのを目指していた作品です。