9 月神神社
双葉は、茉莉絵を含む数人の女生徒達と机を囲みお弁当を食べていた。
本来楽しいはずのお昼休みだというのに双葉は沈んでいる。
咲耶と知流に、月神神社へ来てくれと言われて二日が経ってしまった。
月神神社へ行って、色々なことを聞いてこなくてはいけないのはわかっている。一葉と話し合って行こうと決めたにもかかわらず、学校で二人の姿を見てしまうと最後の勇気が出ず、未だ行くことができないでいた。いつもであれば一葉が後押しをしてくれるか、双葉に替わって連れていってくれるのだが、一葉も最後の一歩が踏み出せないでいるらしい。一葉にしては珍しいことだが、父親に「避けられない運命」などと言われれば、まだ16歳の女の子が尻込みしてしまうのも仕方のないことだろう。
そんな双葉達の苦悩を知ってか知らずか、咲耶と知流は双葉の姿を見かけるごとに、なにか言いたげな目を向けてくる。なにを言いたいのかわかっている双葉は、いつも小さく首を横に振ってしまうが、咲耶達はそれ以上のことはしなかった。
こんなことをしても、現実から逃げているだけなのはわかっている。あの日以来、父親の秀明とも食事の時以外顔を合わせることがなくなってしまった。秀明が双葉を避けていることもあるが、秀明と話す機会があったとしても、どう話をしていいのかわからない。話すことはいっぱいあるはずなのに、整理のついていない頭では、なにから聞いていいのかわからず言葉にならなかった。
《どうしよう。一葉ちゃん》
〈うん……嫌なことを先延ばしにしているなんてボクらしくないよね。双葉、今日こそ月神神社へ行こう。今日はお父さん夜勤だって言ってたし、帰るのが少し遅くなってもお父さんも心配しないから〉
《そ、そうだね……でも、私まだ怖い気がする》
〈大丈夫。ボクも一緒なんだから、双葉はボクが守るよ。って、別にケンカしに行く訳じゃないんだし、話を聞きに行くだけなんだから、大丈夫だよ……きっと……〉
言いしれぬ不安を二人は感じていた。でも、その不安がどこから来ているのかわからない。ただ、二人の知らない真実を突き付けられるのが怖かった。
「どうしたの双葉ちゃん?」
お弁当も食べずに考え込んでいる双葉を茉莉絵が心配そうな顔で覗き込んできた。
「えっ……ううん。なんでもない。なんでもないよ」
無理に笑顔を作ってみるが、そんな顔をして「なんでもない」と言われても、なにもないなどと思うわけがない。しかし、そのことを深く聞こうとはしなかった。思春期なので、誰にも言えない悩みなど掃いて捨てる程持っているのは皆同じである。
それでも、一緒にお弁当を食べていた高橋
「なんだ。今日は静かな双葉ちゃんなんだね。元気だしなよ。明るい双葉ちゃんの方が可愛いぞ」
「そうそう、双葉は浮き沈み激しいよね。まるで別人みたいだもん。でも、そこが男子生徒の気を引いているわけですよ。宮上さん!」
「ほほぉ〜。その手がありましたか。恩田さん! これはチェックしておかないといけませんなぁ〜」
茉莉絵達は、パーソンチェンジをする双葉のことを「浮き沈みの激しい性格なのだ」と解釈しているらしい。学校にいる時、多少ではあるが一葉もホストに立っているので、そう思われているのは都合のいいことだ。しかし、そのことで男子生徒の気を引こうなどと考えたことなど一度もない。
「そ、そんなこと……私……」
「もう、双葉ぁ〜。その可愛らしさはなんなのよ。あのバレー部が涎を流して欲しがる強烈なスパイクは何処へ行ってしまったの? でも、ホントこのギャップ。使えるわね」
三人は、覗き込むようにして双葉を観察する。しかし、こうして軽口を言ってくれる茉莉絵達に双葉は感謝していた。こうしている時だけは、悩みを忘れることができる。
しかし、悩みを忘れられても茉莉絵達の攻撃に、双葉が対処できる訳がない。
《一葉ちゃん。助けて……私じゃなにもできない》
〈頑張れ、双葉〉
双葉が慌てていようが、一葉はホストを変わることはしなかった。別に意地悪をされているわけではない。これは単なる友達とのコミュニケーションなのだから助ける必要などない。本当なら、一葉も仲間に入って双葉をイジメたいくらいだ。
《一葉ちゃんの意地悪ぅ。なんで助けてくれないの》
〈ボク、知らないも〜ん〉
そんな時、助け船が双葉の元へやってきた。いや、逃れられない運命が……
「あの……本城さん」
呼ばれた双葉は、助かったとばかりに振り向くとそこには咲耶と知流が立っていた。
「神無月さん」
「あ、あの……」
咲耶と知流は、オドオドとしながらも双葉から視線をそらさなかった。なにか言おうと可愛らしい口をパクパクと動かしているが、気持ちとは裏腹に言葉が出てこない。こうして話しかけてきたことも、二人にとっては凄く勇気のいったことなのだろう。それは、なにも言わずに驚いている茉莉絵達の態度を見ているだけでもわかる。
今まで咲耶達は、こちらから話しかけたとしても、頷くだけで会話の成り立たないことが多かった。もし返事をしてくれたとしても、消え入りそうな小さな声でしか話してくれず、こうして二人から話しかけてくることなど一度もなかったのだ。
クラスメイトに声をかけているだけなのに、咲耶達は小さく震えている。今まで散々月神神社へ来ることを断られてきたのだ。今も、断られるのを怖れて震えているのだろう。
〈双葉、ボクが替わるよ〉
《うん……》
そんな咲耶達を見ていた一葉が、ホストを変わる。
「茉莉絵ちゃん。ごめんね。ちょっと神無月さんと話しがあるんだ。行こう」
そう言って、双葉はお弁当をそのままにして、知流の手を握ると教室を出て行ってしまった。咲耶達が話しかけてきたのに驚いた上、双葉の突然の変わりように茉莉絵達は対処できずに、教室を出て行く三人の後ろ姿を唖然とした顔で見送っていた。
* * *
ホストに立った一葉と咲耶、そして知流の三人は、月神神社へ続く階段を黙って登っていた。
あの後、一葉が月神神社へ行くことを伝えると咲耶と知流は、手を取り合って喜んでいた。感情の薄い咲耶と知流であったが、その姿が可愛らしく。一葉は「男の子は、こういう女の子を守ってあげたいと思うんだろうな」と二人を見つめながらボンヤリと考えるのだった。
月神神社は、町外れの山の中腹に立てられており、長い階段を上がると鳥居の奥に左程大きくない拝殿があるだけの小さな神社だった。しかし、拝殿はかなり古くに立てられた物なのだろう。なにもわからない一葉でも歴史の重みを感じられる。
そして、なんの変哲もない鳥居を潜った時、なんとも言えぬ違和感に襲われ一葉は立ち止まった。
「なに、この感じ……」
《一葉ちゃんも感じる……なんだろう。なんだか変な感じ》
鳥居を潜った時、薄い空気の壁にぶつかったような気がした。別段抵抗感があるわけではないのだが、空気の壁が肌を舐めると言うよりも、体の中を突き抜けていった感じがしたのだ。
その奇妙な感覚にキョロキョロと辺りを見回していると、咲耶と知流は「やはり」と言ったように双葉のことを見つめていた。
「結界を感じられましたか。普通の人では、絶対に感じることのできない結界なのですが、やはり本城さんは茜様の血を受け継いでいらっしゃるのですね」
納得したように話す知流であったが、双葉達にはなんのことだかわからない。ホストに立っている一葉は、結界などという言葉を聞いて少し緊張している。なんだか話しを聞くだけじゃ終わらないような気がしたのだ。
その後、三人は黙って拝殿の裏に建てられた住居へと歩みを進めた。どこにでもある神社なのだが、空気というか空間になにかが張りつめている。その感覚が一葉と双葉の気持ちを波立たせていた。
引き戸を開け、広い玄関に入ると、一葉はこの町に来た時と同じ感覚に陥るのだった。前にもここに来たことがある。きっとこれは茜の血の記憶なのかも知れない。
飾り気のない質素な玄関ではあるが、磨き上げられた廊下が日本家屋の美しさを醸し出している。
「どうぞ、おあがりください」
言われるがまま、一葉は咲耶の後に続いた。その後ろでは、知流が脱いだ靴を綺麗に揃えている。その細やかな気遣いが、日本女性の美を表していた。
「あの……私はこれからなにをすれば」
月神神社に来たのは良かったが、なにをすればいいのだろう。父親も話しを聞いてこいと言っていたが、いったい誰に話しを聞けばいいのかわからない。家を訪ねてきた叔父と会わせてくれるのだろうか。
「本城さんのお話をしてから、姉様がずっとお待ちしております」
「お姉さんが……」
「はい、姉様が〈月の巫女〉としてのお話しをしてくれるはずです」
「〈月の巫女〉???」
咲耶の言葉に疑問を感じながら廊下を奥まで進むと、咲耶は歩みを止め、襖の前で膝を付いて中へ声をかけた。
「姉様、本城双葉さんをお連れしました」
「どうぞ」
《この声……》
一言だけ返事が返ってきた。透き通るような美しい声。何故か双葉は何処かで聞いたことのある声のように感じた。一度も聞いたことのない母・茜の声のように……
「失礼します」
咲耶が静かに襖を開けると、中は祭壇の組まれた部屋だった。そこは、一般の参拝者が参拝するような場所ではないことは一目でわかる。質素な祭壇には、一振りの剣と古い鏡、そして、銀糸で繋げられた三つの勾玉が祭られていた。
そして、祭壇の前には長い美しい黒髪を襟元で丈長で結び、白い着物と赤い袴、そして千早を身にまとった巫女が座っているのだった。
〈綺麗……〉
後ろ姿しか見えないのに、何故か美しく感じられた。女性が醸し出すオーラが美しく感じさせたのかも知れない。
そして、女性は手をつくと体を半回転させこちらを向く。
《凄く綺麗……》
想像通り、美しい女性だった。白い肌に墨で書かれたような細い眉、少し垂れた瞳が僅かに幼さを感じさせるが、紅を差した唇からは大人の色気も感じられる。
一葉の視線に応えるように、紅い唇が緩むと柔らかな微笑みが浮かび上がった。
「さあ、どうぞ中にお入り下さい」
鈴のような美しく優しい声が、いつまでも立ちつくしている一葉を部屋の中に入るよう促す。その声に誘われるように部屋の中に足を踏み入れた途端、先程味わった感覚が再び全身を撫でた。
この部屋にも結界が張られているのだろうか? それだけではない。この部屋は何処かおかしい、どうも部屋の広さが把握できないのだ。廊下から覗いた時は小さな部屋だったのに、今はとても広く感じられる。まるで一葉が脚を踏み入れた途端、部屋が広がってしまったみたいだ。
この言いしれぬ感覚が、双葉を不安にさせている。その不安をいち早く読み取った咲耶の姉は再び優しい声で癒してくれた。
「この部屋に驚かれましたか? この部屋は広くもあり狭くもあるのです。不思議な部屋でしょう。でも、怖れることはありません。慣れてしまえばただの部屋ですから。さぁ、こちらへお座り下さい」
言われるがまま畳の上に正座をする。素直に従っているのはこの部屋に驚いただけではない、目の前に座る女性の高貴な雰囲気に逆らうことができなかったのだ。
「咲耶、ありがとうございました。知流を連れていらっしゃい」
「はい、姉様」
そう言うと咲耶は頭を下げ、正座をしたまま廊下に出ると襖を閉めた。そんな咲耶の姿を一葉は黙って見送ることしかできなかった。いったいこれからどうすればいいのだろう。
「はじめまして、私は咲耶と知流の姉、神無月
三つ指をついてお辞儀をする瑞葉につられて、一葉も慌てて頭を下げる。
「よ、よろしくお願いします……えっ、内なるって」
「わかっていますよ。あなたは私達と同じ〈双心子〉として生まれた子。一つの体に、魂を二つ宿している〈双心子〉。私には、あなた方お二人の姿がハッキリと見えております」
一目見ただけで、内なる魂が二つ宿っていることを見抜かれてしまった。しかも、二人の姿が見えていると……一葉は、この美しい巫女の言葉に驚きを隠せないでいた。それは、双葉も同じである。
「〈双心子〉……それに、私達が見えるって」
一葉は、驚きを抑えつけ瑞葉を見つめ返した時、あることに気が付いた。
「えっ……その目」
高彦とは逆のオッドアイ。ダークグリーンの右目とダークブルーの左目……しかし、その綺麗な瞳は光を宿していなかった。
「はい、私の目は光を捕らえることはできません」
まさか、完璧と思われた美女が、こんな過酷な試練を抱えているとは思わなかった。だが、光を捕らえることができない瞳は、それ以外の物を捕らえているようであった。
「ですが、目が見えない代わりに、あなた方の姿は見えるのです」
《一葉ちゃん……本当なのかな? 本当に、私達のこと見えてるのかな?》
〈わからない……なにがなんだかわからないよ〉
当然の疑問であった。盲目であるが故に、内なる魂が見えると言われてもにわかに信じられない。
「もう一人の方は、一葉さんと申されるのですね。一葉さんと双葉さん……なんて可愛らしいお名前、茜様がおつけになったのですね」
瑞葉は両手を胸の前に軽く添えると嬉しそうに微笑んだ。
何故、一葉の名前が瑞葉の口から出てきたのだろう。一葉のことは双葉しか知らないはずなのに……
《なんで一葉ちゃんの名前知ってるの? 咲耶ちゃん達にも言ってないよ》
〈まさか、ボク達の会話が聞こえてるの?〉
その疑問には再び瑞葉が答えてくれた。心の中で交わされる会話にもかかわらず……
「はい、聞こえていますよ。盗み聞きをしているようで申し訳ありません。でも懐かしい。こうして見ていると高彦がまだ、二つの心を持っていた時のことを思い出します」
「えっ、咲耶の兄貴が……」
次から次へと疑問が湧き出してきて、既に頭の中がグチャグチャになってしまっている。もうなにがどうなっているのか二人の頭ではついていけない。
「慌てないで下さい。心を落ち着けて、あなた方を混乱させるようなことを言って申し訳ありません。でも、このことをわかっていただくために、月神神社へおいで願ったのです。さぁ、心を静めて……怖れることはないのですから」
瑞葉の美しい笑顔が、一葉と双葉の心を落ち着かせてくれた。左程年の変わらない瑞葉に、何故だか母親に微笑みかけられているような安らぎを二人は感じていた。
「……本当にボク達のことが見えるんですか、ボク達の話していることがわかるんですか」
「わかります。今お話ししているのは、お姉様……一葉さんですね」
もう疑いようがない。瑞葉は確かに一葉と双葉の二人を認識している。それは、瑞葉が言った〈双心子〉と言う言葉が関係してくるのだろう。
「はい、ボクが一葉です。双葉出てきて」
月神神社へ来ることを怖がっていたので、一葉がホストを務めていたが、危険がないのは、瑞葉の優しい微笑みを見れば双葉にもわかっているはずだ。
《うん……》
「大丈夫ですよ双葉さん。それに、私には始めからお二人が見えていますし、お話しも聞こえているのですから。でも、これではあなた方がお話ししづらいですね。それでは少しお待ち下さい。いいところへご案内しましょう」
そう言うと瑞葉は祭壇に置いてある鏡を取った。
「これは『八咫鏡』と言います。天照大御神様が天の岩戸にお籠もりになった時、天照大御神様のお顔を映したと言われている三種の神器の一つです」
その話しは二人も聞いたことがある。傍若無人に暴れた須佐之男命を恐れ、天照大御神が天の岩戸へ籠もった時に使われた鏡のことだ。
「〈月の守人〉である私が所持する八咫鏡。この鏡を使って三人でお話しをいたしましょう」
そう言うと、瑞葉は八咫鏡の鏡面を撫でるように手を滑らし瞳を閉じる。すると突然鏡が輝きだしたのだった。光は少しずつ大きくなり、三人を包み込んでいく。一葉は驚きながらも手で顔を隠すことしかできなかった。
一葉は、鏡の発した光に思わず閉じてしまった瞼を恐る恐る開いていった。するとそこは今までいた部屋ではなく真っ白な世界が広がっているのだった。
「ここ何処……」
「一葉ちゃん」
双葉の声が聞こえた。しかし、その声は心の中で聞こえたわけではない。一葉の耳が双葉の声を捕らえたのだ。
「えっ……」
驚いて振り向くとそこには双葉が立っているではないか。それではここは、心の中……いや、そうではない。双葉達の心の中はもっと薄暗く、部屋の中心にスポットライトが当てられている。ここにはその大切なスポットがない。
「ここはどこだ……」
自分達の心の世界ではない。それではいったいどこなのだろう。しかも、どうして双葉と二人で存在しているのだろうか。
「お二人とも、驚かないで下さい」
驚くなと言われても、二人は驚いて振り向くとそこには微笑みを携えた瑞葉が立っていた。
「ここは八咫鏡の中です。こうして顔を合わせてお話しをした方がいいでしょう。さあ、こちらへ」
瑞葉が指した方向には和室のように6畳程畳が引き詰められた空間があった。瑞葉はそこに上がるとさっさと座ってしまう。
「さあ、どうぞお上がり下さい」
月神神社に来てから、もうわからないことだらけだ。きっと瑞葉がそれらを説明してくれるのだろうが、ここまでのことで二人は疲れ果ててしまっている。
二人は、言われるがまま畳の上に上がると瑞葉の前に並んで座るのだった。
「驚くなと言われても驚いてしまいますね。あなた方は〈月の巫女〉としての修行を受けていないのですから。でも、怖がらないで下さい。これも、定められた運命と思ってお聞き下さい」
二人の不安をよそに、瑞葉は淡々と語りはじめた。京滋が秀明に話したことと同じ話を……その話は、少なからず一葉と双葉に、人生最大のショックを与えるに充分な内容であった。
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