7 苦悩
学校帰りに買い物を済ませた双葉は、道すがらずっと一葉と話し合っていた。
なぜ、咲耶と知流が瞳の色の変化に気付いた時、あれ程取り乱していたのだろう。いや、あの口ぶりでは、咲耶と知流は双葉の中にもう一つの人格、一葉がいることに気が付いている様子だった。
しかし、咲耶達の慌て方は一葉に気が付いたからではない。全く別の慌て方をしていたような気がする。だから、双葉を二人の実家、月神神社へ来るように迫ったのだろう。
だが、咲耶と知流の言葉は今思い出しても不思議なことばかりだった。
* * *
「ほ、本城さん。その瞳……」
「えっ! あっ、これは……」
今まで、どんなに近くで見ていられても気が付かれたことはなかった。まさか、瞳の色が変わるなどと考える人間がいないからだ。もし、色が変わったところを目撃したとしても、人間の常識が「そんなことはあり得ない」とストッパーをかけてしまうので、確認しようとする友達は一人もいなかった。
「ど、どうしたの神無月さん」
平静を装っているが、一葉と双葉は慌てふためいていた。
《どうしよう。神無月さん、私の目ジッと見てるよ》
〈落ち着け双葉、なんとかなるよ。きっと……〉
こういうことを誤魔化すのは、一葉の方が上手かったが、ここで再びパーソンチェンジをするわけにはいかない。今ならまだ「見間違い」と言うことにできるが、再び瞳の色が変わるのを見られたら、言い訳をするにも言い訳のしようがなくなってしまう。今は、双葉に頑張って貰うしかない。
咲耶達はジッと双葉の瞳を見つめている。普通の人間なら瞳の色が変わるのに気が付いたら不思議がるか怖がるはずなのに、咲耶と知流は全く臆していない。
「その瞳の色……知流と同じ」
咲耶が、双葉と知流の瞳を見比べる。そう言えば高彦も同じ瞳の色を持っていた。そう、ちょうど二人と同じ色の瞳を片目ずつ……これは、いったいどういうことなのだろうか、日本人ではこうして色の付いた瞳を持っていること事態が珍しい。確かに、よく見ないとその色は判別できない程深い色ではあるが、それでも同じ瞳の色を持つ人間がこれ程集まるのは変ではないか、そのことに双葉はやっと気付いたのだった。しかし、慌てふためいているせいで、初めてあった時「お母さんの親戚じゃないか」と言う考えにたどり着くところまではいかなかった。
《そうだよ。神無月さん達の瞳の色……私達と同じだよ。それに、お兄さんもそうだった。片目ずつ違かったけど色は同じだった。これってどういうことだろう一葉ちゃん》
〈そんなことボクにわかるわけないじゃない〉
頭を使うことが苦手な一葉は、最初から考えるつもりはないようだ。それよりも、目の前にいる、二人をどうにかした方がいい。
「本城さん。もしかして、本城さんの母様のお名前……茜様と言うのでは」
どう対処すればいいのか考えている時、次の衝撃が双葉達を襲ってきた。まさか、ここで母・茜の名前が出てくるとは思ってもいなかったのだ。
「そ、そうだけど……なんでお母さんの名前知ってるの?」
「やはりそうですか。なんということでしょう。こんなところで〈繋人〉と……本城さんどうかわたくしどもの家に、月神神社へ来て下さいませんか」
「えっ……」
唐突な申し出に、双葉は次の言葉を絞り出すことができなかった。
* * *
訳のわからない双葉は、取りあえず今度立ち寄らせて貰うと言って、逃げるように学校を後にしてきた。色々なことが起こりすぎてまとまりがつかない。この状況で咲耶達の家に行ったとしても、余計に頭が混乱するだけだったし、なんだか恐ろしさを感じたので直ぐに承諾できなかったのだ。
〈なんで、お母さんの名前知ってたんだろう……〉
《きっと、お母さんの実家なんだよ。お父さんが言ってたんでしょ。ここは、お母さんの故郷だって……だから、実家があってもおかしくない。そう考えれば瞳の色が同じなのも納得できるもん》
双葉は、ある程度推測を立てていた。その推測には自信もあり、家に帰って秀明に聞けば答えは出る。しかし、何故瞳の色が変化したことに驚いていなかったのだろう。多少うろたえてはいたが、驚いていると言うよりも、捜していた物が思いも掛けないところから出てきたという感じだった。
高彦が言っていた「一つの体に産まれてくることができなかった出来損ない」と言う言葉が、ここに来てやたらと引っかかる。「一つの体」とはいったいどういう意味なのだろうか。
結局、なに一つ考えがまとまらないまま家に到着してしまった。神無月家のことは、秀明に聞けば直ぐに答えは出るだろうが、あの不思議な言葉を秀明に聞いたら答えてくれるのだろうか……なんだかそれを聞くのは怖いような気もする。そんなことを考えながら双葉は買い物袋を持ったまま、カギを取り出して玄関を開けた。
今日は、秀明が引っ越してきてから初めての休みだったので、もう少し早く帰ってこようと思ったのだが、色々なことがありすぎて帰宅するのが遅くなってしまった。しかし、玄関に入った双葉は、あまりにも静かな室内に驚くのだった。
「ただいまぁ……お父さん? いないの」
何処かへ出かけてしまったのだろうか。いや、そんなはずはない。今日は茜の命日だし、なによりも双葉の誕生日なのだから、この時間に秀明が出かけてしまうわけがない。もしかすると病院から緊急の呼び出しがあったのだろうか。もしそうならメールが届きそうなものだ。
それでは、疲れてまだ寝ているのかもしれない。寝過ぎのような気もするが、毎日忙しい上に、夜勤までこなしているのだ。疲れがたまっているのは間違いない。
双葉は、靴を脱ぎキッチンの電気を点けるとテーブルに買い物袋と鞄を置いて、秀明の寝室を覗いてみる。しかし、そこには秀明の姿はなかった。
《いない……どこ行っちゃったんだろ》
〈お母さんのところは〉
一葉に言われて、仏壇の置いてある和室に向かう。襖を開けるとやはり部屋の電気は点けられていなかったが、薄暗い部屋の中に秀明を発見するのだった。
「お父さん。もう、いるならいるって言ってよ。電気も点けないで、どうかしたの?」
部屋に入り蛍光灯のスイッチ紐を引っ張って電気を点ける。その時やっと秀明は双葉に気が付いたらしく顔をあげた。
「双葉か……おかえり、いつ帰ってきたんだ」
「今帰ってきたばっかり、それよりお父さんどうしたの電気も点けないで、もしかして寝てた? そうだよね。最近忙しかったもんね。でもこんなところで寝ちゃダメだよ。風邪引いちゃう」
「こんなところじゃないよ……僕の大切な奥様のいる部屋、双葉の大切なお母さんの部屋じゃないか」
双葉にも、聞こえない程小さな声で呟く。
秀明は、京滋の話を聞いてからずっと茜と双葉のことばかりを考えていた。茜の言葉と神無月家に伝わる血の運命を必死になって理解しようとしていたのだ。
「ゴメンね起こしちゃって、今からご飯作るからまだ寝ててもいいよ」
「いや、大丈夫だ。起きるよ」
双葉と話をしなくてはいけない。しかし、いったいどうやって切り出せばいいのだろうか、本当に双葉は〈双心子〉なのだろうか……
双葉が産まれてからのことを考えてみても、思い当たることが幾つもある。最近少なくなったが、双葉を保育園に預けていた時も担当の保育士から、カウンセリングを受けた方がいいと言われたことがあった。遊んでいる時、双葉の性格が極端に変わるというのが原因だ。秀明自身も、まるで二人の娘を育てているような錯覚を起こすことが何度もあった。それでも、感情の浮き沈みが激しい娘だと思っていた。そう思いこもうとしていたのかも知れない。今朝の「今日は元気な双葉だな」と言う言葉も、別に深い意味があって言った言葉ではない。本当にそう思って言っただけだったのに……
──本当に、一葉が双葉の中にいるのだろうか……常識では考えられないが、妊娠23週目の早産で産まれてきたのに、体重も普通の子供とあまり変わらなかった。丁度、二人が一人になって産まれてきたように……義兄さんの言った通りだ。それじゃあ、双葉は〈月の繋人〉とか言う運命を背負っているのか? そのことを双葉は知っているのか? いや、そんなこと知るはずがない。なら、なんで今まで一葉が一緒にいることを言わなかったんだ……
答えの出ない堂々巡りに陥りながら、秀明はジッとキッチンに立つ双葉を見つめていた。
「もう、なんでそんなに見てるの。もしかしてお母さんと間違えちゃった。今朝もそうだったけど。お父さんって、学生の時にお母さんに告白したんじゃない」
その視線に気付いた双葉は、少し恥ずかしそうに振り向くと秀明をからかった。しかし、秀明はそれが一葉が言っているとは思わなかった。今まで通り「元気な双葉」が、言っていると思ったのだから……
「えっ……ああ……そうだな。双葉は母さんによく似てるよ。その制服を着ていると本当に学生の頃の母さんを思い出す」
「ホントに」
今度は双葉が秀明の言葉に喜んでいた。二人のなれそめは聞いたことはなかったが、茜の学生時代に出会っていたのだろう。双葉は母親も着ていたかも知れない制服に身を包んでいるだけで嬉しくなった。茜の故郷だと知った時からそうだったらいいなと単純に思っていたのだ。
「ああ、ホント母さんにそっくりだ。でも、制服くらい着替えたらどうなんだ」
その言葉に、今度は一葉が反応する。
「ひど〜い。お父さんがお腹空かせてるだろうと思ったから、着替えずに用意してるのに、それよりも、ケーキ買ってきてくれた」
「ああ、ちゃんと届いてるよ。昨日の内に注文しておいて良かったよ。なんだか、一日ボーッとしてて、外に出てないから頼んでおかなかったら忘れるところだった」
「エェ、ホントに! 天国のお母さん。お父さんはヒドイんですよ。娘の誕生日を忘れちゃうくらいボーッとしてるんですよ」
「悪かった。悪かった。それよりも、本当にハラが減った。考えてみたらお昼も食べてなかったんだ」
「もぉ〜、せっかくお弁当作っておいたのに、食べてくれなかったの。もう作ってあげないから」
「そうだな。ごめん。ごめん」
今は、こうして何気ない会話をして気を紛らわしたかった。そうしていないと、頭がパンクしてしまいそうだ。しかし、秀明は知らなかった。秀明は娘と二人で会話していると思っているが、一葉と双葉は目まぐるしく入れ替わり三人で会話をしていることに……
双葉の誕生日は、親子二人(三人)で楽しく過ぎていった。京滋に言われたことは頭から離すことはできなかったが、心の底から誕生日を祝った。
そして、食事を終え双葉がケーキをパクつきだした時、避けようのない会話へ突入していくのだった。
「ねぇ、お父さん。神無月って、月神神社ってお母さんの実家なの?」
「えっ……ああ、そうだよ。母さんの実家だ」
秀明は少し驚いていた。まさか、双葉からその話を切り出されるとは思っていなかった。
「やっぱりそうなんだ……それじゃあ、親戚の子と同級生なんだよ。咲耶ちゃんと知流ちゃんっていう可愛いらしい双子の女の子。それに、お兄さんが生徒会長やってるの……それで、私がお母さんに似てたから気が付いたんだと思うんだけど、今度遊びに来ないかって誘われたんだ」
秀明には、返す言葉がなかった。京滋が娘を使って双葉を月神神社に連れていこうとしているのではないかと一瞬頭をよぎる。しかし、あの頑固で誠実な京滋が、そんなことをするわけがない。きっと二人のの独断で双葉を誘っただけと言うことは想像できる。もしかすると本当に、茜に似ているので声をかけてきただけかも知れないと思いたかった。茜が身ごもったおかげで〈双心子〉として生まれ出ることができなかった京滋の娘と同級生、そこに逃れられぬ運命を感じるのだった。
やはり、双葉は神無月の血を受け継いでいるに違いない。もう、覚悟するしかないのだ。
そうわかっていても、双葉が〈双心子〉であるかを聞く勇気が秀明にはなかった。双葉に運命を告げる勇気も……そして、秀明は逃げ出すことを選択してしまった。
「そっ、そうか……それなら今度、遊びに行ってきなさい」
「でも、行くならお父さんも一緒に挨拶に行った方がいいでしょ。だから、今度一緒に、お母さんの実家へ挨拶しに行こうよ」
双葉も、不安を抱えていた。咲耶達の言葉も、高彦の言葉も気になっているのだ。きっと、咲耶達は双葉の中に一葉がいることを気が付いている。それをわかっているからこそ、月神神社へ連れて行こうとしているのだ。そんな場所へ一葉と二人で行くなど怖くてできない。
しかし、双葉が期待するような返事は秀明の口からは返ってこなかった。
「いや、父さんは行けないんだ。母さんとの結婚にはいろいろあったからね。実は今日、母さんのお兄さんがここを訪ねてきたんだ。そして、色々なことを教えてくれた。本当に色んなことを……知らなければ良かった。本当はこの土地に戻って来ちゃいけなかったのかも知れない」
そう話しながら、秀明の瞳から突然涙がこぼれ落ちた。
「お父さん。どうしたの……いったいなにがあったの」
突然取り乱した秀明に、双葉の方が驚いてしまう。秀明が涙を流したところなど一度も見たことがなかったのに、いったいどうしてしまったのだろう。
京滋になにを聞かされたのかなど双葉には想像もつかなかったが、なんとなく自分のことが関係しているような気がした。きっと、一葉と双葉、そして茜のことが……
「いや、なんでもないんだ。すまん、きっとまだ疲れているんだよ。とにかく父さんは神無月の実家には行くことはできない。でも、双葉は行かなくちゃいけないよ。それで、自分で確かめてくるんだ。双葉と母さん……それに、一葉のことを……」
「えっ……」
突然、秀明の口から一葉の名前が出てきたことに、双葉も奥で聞いていた一葉も驚いた。
何故ここで一葉の名前が出てくるのだろう。秀明は、一葉と双葉のことに気付いているのだろうか。今まで、そんな素振りなどしたことなどなかった。それでは、やはり話しというのは、双葉のことだったのだろうか? その話しを聞いたからこそ、一葉のことに気が付いたのかもしれない。
「お父さん。ちょっと待って、お母さんのお兄さんとなにを話したの? ねぇ、私に関係することなんでしょ。教えて、なにを聞いたの?」
「スマン。父さんには説明できない……父さんはどう話していいのかわからないんだ。いや、理解すらしていない。だから父さんに聞かないでくれ。でもこれだけはわかる。これは、お前達の避けられない運命なんだ……だからもう、父さんには……」
「お父さん。待って」
双葉の言葉も聞かず、秀明は自室へ逃げ込むと扉を背に崩れ落ちてしまった。
「ダメなんだ……茜さん。僕にはなにがなんだかわからない。逃げることしかできなかった。双葉を……一葉を守ってやることは僕にはできないのか……茜さん。なんで双葉にこんな運命を背負わせたんだ」
我慢していた感情が一気に噴出した。理解しきれない現状に、秀明は涙を流すことしかできないでいる。そして心の中で、茜と双葉そして一葉に謝り続けるのだった。
「お父さん……待って」
一葉と双葉には、秀明の言っていることがわからなかった。茜の兄・京滋に聞いた話が、それ程重大なことだとは思ってもいなかった。自分の運命に関わることが月神神社にあるなどと想像もしていなかったのだから。
「お父さん」
秀明の取り乱し方に、双葉は部屋の前まで追いかけてきたが、扉を開けることはできずただ呆然と扉の前で佇んでいた。
秀明はきっと、一葉が双葉の中にいること京滋に聞かされたのだろう。何故、会ったこともない京滋が一葉の存在を知っているのかわからない。咲耶達の言葉、そして高彦の言葉全てが繋がっている。その答えを秀明は聞かされたのだと思った。それでなければこれ程まで取り乱すことはなかったはずだ。
聞かされたところで、こんな現実離れした出来事など理解しようがない。双葉自身も何故このように産まれてきたのかなど理解していない。産まれた時から、こうやって生きてきたのだから、理解していなくとも受け入れているだけなのだ。
〈双葉、神無月の家に行こう〉
《えっ、でも……》
〈月神神社に、きっとボク達の真実がある。それを知らなくちゃいけないんだよ。だから、ボク達はこの土地に導かれたんだと思う〉
一葉の声も震えていた。いつも強気な一葉であったが、今日一日で目まぐるしく変わっていく現状に不安を抱えているのだ。
〈だから月神神社へ行かなくちゃいけないんだ。同じ瞳を持つ人達がいるから……お父さんが言ったように、それがボク達の運命なんだよ〉
《うん……そうだね。きっと、そうなんだよね》
不安を感じながらも二人は、月神神社へ赴くことを決心する。その先に過酷な運命が続いていることを知りもしないで……
そして月に定められた運命の歯車が、今ゆっくりと動き始める──
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双葉の正体を知り月神神社へ赴くよう迫る咲夜と知流。それに応えられず逃げるように帰宅する双葉。そして、全てを聞かされても理解できない父ともすれ違ってしまう……
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