No.290120

新世代の英雄譚 九話 Day1

今生康宏さん

今回のお話は、多分三部構成になります
にやにやを超越した、によによを目指しました!

2011-09-01 03:26:33 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:255   閲覧ユーザー数:255

九話「彼女との三週間 - Story of Lewis」

 

 

 

Day 1「彼女との食事」

 

 

 

 今、隣のベッドには女の子が眠っている。

 その事実が、ルイスの胸をきりきりと締め付けていた。

 ビルならば、興奮してみせただろう。ロレッタなら、それは何もおかしくはない状況だっただろう。

 だが、今この部屋にベレンと共に居るのは、ルイスだ。

 つい最近までは、母親以外の女性と一緒に居ることすら、非日常だった少年だ。

 早く寝て、よく眠るベレンはまだまだ起きそうにない。

 それとは対照的に、ルイスは遅く寝て、早く起きるのが習慣だ。

 不健康だとはわかっているが、やはり少しでも剣を振っておかないと落ち着かない。

 実際、二日前には鍛練せずに寝たが、どうも目覚めが悪かった。ある程度疲れておいて、ぐっすり短時間眠る。そうしないと駄目な体になっているらしい。

 ベッドから起き上がったルイスは、ベレンの眠りを妨げる訳にもいかず、なんとなく彼女の寝顔を観察してしまう。

 ただ目を瞑り、寝息を立てているだけなのに、すごく絵になっている。そう率直に思った。

 ベレンはただでさえ小柄な体を、更に丸める様にして眠っていて、美しい毛皮を持つという、貴族の飼う様な猫を連想させた。ルイスはそんな猫を見たことがないというのに。

 そんな風に冷静に観察することが出来た内は良かったが、まもなくルイスは気付いてしまった。

 ただ眠っているだけ、しかもベレンは齢十四の、幼い少女。それなのに、たまに立てる寝息や、口から洩れる呼吸の音は、少年に「女」を意識させるだけの色香を持っている。

 しばらくすると、もう直視することが出来なくなって来てしまう。

 慌てて顔をそむけると、思わず足までつられて動いて、ベッドをがん、と蹴り付けてしまった。

 窓の外の小鳥の声と、二人の息使いだけが聞こえる部屋にその音は響いたが、ベレンの安眠を妨げるだけの轟音ではなかったらしい。彼女は眠り続けている。

 ビルとロレッタは、もう仕事に行ってしまった。だから、二つも宿の部屋を取る必要はない。ということでルイスとベレンは同じ部屋で寝泊まりをすることになったのだが、今更ながらに失敗だと感じていた。

 ルイスは、女性に対する免疫力がまだまだ弱過ぎる。

 まだ同居人がロレッタであれば、耐えられたかもしれないが、ベレンとなると話は違って来る。

 何故かといえば、ロレッタの色気や、可愛らしさは、ある程度彼女自身が意識して演出していたものだ。

 貴族の、しかも騎士として育った彼女が、どうしてそんな男を弄ぶ様なテクニックを身に付けるに至ったのかは不明だが、ともかくルイスはロレッタにはある程度の免疫を形成することに成功していた。

 しかし、ベレンだ。今まで完全に箱入りで育てられて来た、本物のお嬢様である。

 そもそも、男性との交流自体が少なかったのだろう。彼女は、男性にも平気で隙を見せてしまう。

 ちょっとした素振りの時点で、男性の心を自然とくすぐってしまう。

 たとえば、昨日、一昨日と都を歩いた時もそうだ。

 なんとなく、前をビルとロレッタの二人が歩き、その後ろにルイスとベレンがついて歩いていたのだが、ベレンはよそ見をしていて、少し一行に遅れを取ったと思ったら、ぱたぱたと小走りになって慌ててルイスを追いかけて来る。

 ちょこんと頭の上に乗せた帽子を気遣いながら駆けて来る姿というのは、どこか小動物的で可愛らしい。

 そんな、あざとささえ感じさせることを、平気でやってしまうのだから、ビルは彼女にこんなあだ名を付けた。

 ――歩く萌え要素。

 ルイスもそれには同意しかけたが、即座にビルはロレッタの鉄拳をボディに喰らい、沈んだのでこのあだ名は即行で却下の運びとなった。

 尤も、当人はその意味がわからず、ずっと首をかしげっぱなしだったのだが、その仕草の時点でとても可愛らしかったので本当に反則的だ。

 ……そんな風にルイスが考えている間も、やはりベレンは可愛らしく眠っている。

 もう一つ、彼女の危険な理由は、やはりその体型だろう。

 身長は低い。恐らく、同じ十四歳の少女の平均的な身長よりも低い筈だ。

 背が低いというのも、可愛らしい要員であるのは間違いないだろうが、それよりも特筆すべきなのは、やはりその胸やお尻のふっくらとした肉付きの良さや、ふともものラインの美しさだろう。

 ロレッタの例もあるので、貴族というものはかくも皆、スタイルが良いものなのかと思わされるほど、十四歳にしてベレンは抜群のグラマラスさを持っている。

 服を何枚着重ねても、その胸は存在感を失わず、丸みを帯びたお尻は、スカートの上からでもその形の良さがわかる。

 ふとももは、普段のスカートではわかりづらいが、寝巻であるワンピース型の服だと、その魅惑的な脚線美がよくわかる。

 しかもそれは、ロレッタの様に鍛えられた筋肉が付いていたり、貴族にありがちなだらしない脂肪ではなく、適度に引き締められた上に、少女らしい柔らかな肉が付いた、いやらしさとは無縁の健康的なものだ。

 分厚い筋肉を持つビルがよく眠り、ベレンもこんなに深く眠っているということから、「寝る子は育つ」という言葉も正しいのでは、と思えて来てしまう。

 もしそれが真実であるならば、ルイスはもしかするとこのまま小さいままかもしれない。

 父親は大男であったと聞くが、顔つきからして彼は母親似だ。母親は病弱で小柄な人だし、ルイスは寝る時間を削って剣の鍛練をしている。

 最近振っている剣は、ロレッタから譲り受けた騎士の使う長剣だし、大分筋肉が付いて来た気がするが、身長はその成長を止めてしまった気がしてならない。

 それとは対照的に、ベレンは今も胸や身長が成長して来ているらしい、という未確認情報がビルよりもたらされている。

 今はまだ身長でルイスはベレンに勝っているが、いつか抜かれてしまうのでは……そんな危機感も首をもたげて来る。

 そうなれば、いよいよ自分は女の子っぽいと言われてしまうだろう。

 どんどん思考が後ろ向きになって行き、爽やかな筈の朝が、一気に重いものになってしまう。

「ふぁ……あ、おはようございます」

 明るい、ネガティブ思考の原因の声。

 ベレンは礼儀正しく頭を下げて朝の挨拶をした。

「うん。おはよう」

 直ぐに頭を切り替えて、ルイスも挨拶を返す。

 挨拶を大事にしろ、というのは両親に教え込まれた人としての常識だ。

 だから今までルイスは、それを欠かしたことがない。ビルにも幼い時、ルイス自身が説教したので彼も同じだ。その姿勢は、ロレッタも感心の声を漏らしていた。

 貴族でもきちんと挨拶が出来る人間というのは、案外少ないらしい。こんなところで貴族に息子が感心されていると知ったら、両親も鼻が高いことだろう。

「あれ、なんでルイスサンが……って、そういえば、お二人はお仕事でしたね」

「うん。ロレッタがメイド、というのはともかく、ビルが執事なんて出来るかな」

 そもそも、ルイスには執事の仕事というものがよくわかっていないが、似合いもしないであろう衣装を着せられ、ビルがこき使われる姿は想像出来る。なんともシュールで、おかしな絵面だ。

 逆に、ロレッタがエプロンドレスを着て給仕をする、というのも普段の彼女とはギャップがあるが、不思議とそれは様になる気がする。際立って家事が得意という訳ではないが、何かと器用だし仕事で苦労することもなさそうだ。

 それに、バート青年とビルの緩衝材としても大活躍を見せていることだろう。仕事の途中でも二人はぶつかりそうだが、どうやらバートは本気でロレッタに気があるらしい。

 それに気付かず、また、それを利用しないほど、ロレッタは聖人めいてはいない。きっと、あの小悪魔の笑顔と思わせぶりな言動でバートを手玉に取ってしまうことだろう。

 彼には気の毒なことだが、前にビルもナンパして良い女と、悪い女を見分けるのがプロのナンパ師だ、と言っていた。自業自得だろう。ちなみにビルはそれが出来ないので、あまり積極的には女性を引っ掛けようとしないらしい。

「さて、じゃあベレン。朝ご飯を食べに行こっか」

「はい。行きましょう」

 ベレンが目を覚ますのを待っていたら、もうすっかり都は活気付いていた。

 何十、何百という人がをせわしなく歩き回り、食べ物の匂いがあちこちから香って来る。

 そんな中、ルイスはベレンに手を差し出した。

「あ、えっと……」

 お互いの頬が、ほんのりと染まる。体温も少し上昇したかもしれない。

「え、えとね、はぐれちゃったら危ないし、僕も歩き慣れてないから、その……」

 気恥ずかしいので視線を外しつつ、言い訳じみた説得を試みる。口から出て来るのは、自分自身のヘタレ自慢のようなものだが、恥ずかしさを紛らわす為にはなりふり構っていられない。

「で、でしたら、繋がてもらいます、ね」

「う、うん」

 お互い、言葉に詰まりながら手を繋ぐ。

 そんな初々しいやりとりは、周りの人々には微笑ましいカップルの様に見えたのかもしれない。

 ――さて、三週間の「おこづかい」として渡された金額は中々に高額だが、ルイスは半分は残るだろう、と踏んでいた。

 ビルはともかく、ルイスは散財家ではないし、ベレンは放っておいたら何も欲しがらないほどだ。

 一応、その対策にロレッタより、いくつかの指令がルイスには下されていたが、それを差し引いても、ほとんど出費は食事ばかり。余るのが当然の計算だ。

 それに、旅費を残すということは、働く必要が当分なくなるということになる。そうなれば、街の観光に専念出来るし、旅も足踏みすることなく進んで行く。それが楽しみでもあった。

「ベレン、朝ご飯は出店じゃなくて、お店に入って食べようか」

「え?良いんデスカ?」

 いささか不自然な流れだったが、ロレッタの指令、その一を強引に消化するべく動く。

 『初日の食事は豪華にしなさい。あたし達が居ないんだから』というものだが、山ほどのご馳走をベレンが喜んで食べてくれるとも思えない。

 朝食というのもあるし、まずは軽いジャブがてらにちょっとした飲食店のドアノブに手をかけた。

「食べ歩くのも悪くないけど、たまには椅子に腰を下ろして食べたいでしょ?」

 こくん、と控えめにベレンは頷く。その仕草がまた可愛くて、ルイスの気持ちもほっこりとした。ビルがもう一つ、彼女に付けたあだ名を思い出してしまう。

 ――天然の貢がせ屋。

 彼女の笑顔と、その可愛らしい仕草を見る為なら、確かにいくらでもお金を使いたくなってしまうかもしれない。

 財布の紐はきちんと締める主義のルイスの信念が、揺らぐほどだった。

 一つ救いがあるとすれば、多分ベレンは貢ごうとしても、それを受け取ろうとしない慎み深い性格の持ち主であるということだ。

 貴族なのに、珍しい。

 そうルイスが感じてしまったのは、平民に伝わる貴族像が、とかく強欲な支配者の形を取っているからだろうか。

 彼女が特別なのか、貴族も人の子。嫌な人間ばかりではないのかは、まだ彼には判断が付かないが、少なくとも目の前にいる少女や、ロレッタは信用出来る。

 今は、それだけで良い気がした。

「やっぱり、出店よりずっと高いデスネ……本当に良いんデスカ?」

 席に着いたベレンは、案の定メニューを見ながら、気まずそうに訊いて来た。

 当初は、高価なものと安価なものを見分ける力のなかった彼女だが、最近になってそれがわかって来ている。

 尤も、既に知っている物の価格と比べて、という相対的な判断基準だが、それでもかなり正確に値段を理解している様だ。この国の常識がないだけで、頭の巡りはルイスよりずっと良い。

「大丈夫だよ。渡されたお金は、毎日豪華な食事をしても使い切れる額じゃないし、たまに、だからね」

 都の、しかも店員や座席の確保の必要な店の食事となると、ただでさえ高い物価に拍車がかかっている。

 ベレンが遠慮してしまうのも頷けるが、件の伯爵は、本当に羽振りが良いらしい。銀貨に両替するのが面倒だから、両替手数料を含めて、と明らかに掲示よりも高額の金貨を渡したという。

 三週間、湯水のように使ったとしても使い切れないだけのお金が、既にルイス達の手元にはあるのだ。しかも、これが最低限の給金で、更に後払いでもらえるのだという。

「でしたら……えっと、あの……」

 ルイスの説得が成功したのか、ベレンは店員にメニューについて色々と質問し、自分好みの料理を探すことに勤め始めた。

 やはり朝食は簡単に済ませようという人間が多いのだろう、この店は空いていて、店員も暇そうにしていたので、雑談混じりにベレンにメニューの説明をしてくれた。

 店員は女性だったが、ベレンの可愛らしさが気に入ったらしく、必要以上に親切にしてくれているのがわかる。

 こういう面で、美少女というのは得なのだろう。美青年は同性から妬まれやすいが、女性だとそれが少ない。

 それにベレンの可愛らしさは、この都でも抜きんでたものに違いないだろう。

「ルイスサン。ワタクシは決まりました」

「どれに決めたの?」

「えっと、これデス」

 メニューの一つを、ベレンの細い指が示した。

 少し洒落た麺料理で、ルイスも名前しか知らないメニューだが、熱心にベレンが質問した末に選んだものなので、きっと美味しいだろう。

 ルイスも同じものを頼んで、料理が運ばれて来るのを待った。

「二人で食事なんて、初めてだね」

 調理場から寝起きの胃袋を活性化させる音が流れるのを聞きながら、ふとルイスはそんなことを意識した。

 男二人の食事が今までの普通で、そこにロレッタ増え、ベレンが増えた四人の食事も今では普通になっていたが、男女一人ずつの食事というのは、思えば初めてだ。

 だからといって、何かが変わるとも思わないが、少し不思議な感じがして来る。

「はい……ちょっと緊張してしまいます」

 ベレンは胸の前で手を組んで、ばつが悪そうにする。

「そんなのしなくていいよ。いつも通りで、ね」

 逆に畏まられてしまっては、ルイスの方も変に意識をしてしまう。

 折角の二人きりの食事、しかも少し高級なものなのだから、もっと楽しんで食べたい。

 そう思って、彼女の緊張を解きにかかる。

「は、はい。でもワタクシ、麺類は食べ慣れていなくて……すごく美味しそうに説明されるので、つい頼んでしまったのデスガ、みっともない食べ方をしてしまうのではないかと……」

 顔を真っ赤にしてベレンが言うのは、可愛らしい悩みだった。

 思わずルイスは声を上げて笑いそうになったが、本気で心配していることを笑い飛ばしてしまっては失礼だ。慌ててそれを堪えて、優しく微笑みかける。

「大丈夫だよ。僕もそんなお洒落な料理はほとんど食べたことがないし、絶対、ベレンの方が上手に食べると思うな」

「い、いえ、そんな……」

 ルイスが自分を卑下する様に言うと、ベレンは手をぶんぶん振って必死に否定しようとする。

 優し過ぎる、とすら形容出来る彼女には、下手に謙譲する様な物言いは逆効果の様だ。学んだことを頭に入れつつ、ルイスも慌てて前言を撤回する。まどろっこしい様なやりとりだが、上手く噛み合わない歯車を綺麗に合わせて行くことには、何ともいえない楽しさがあった。

「お待たせしました――」

 十分ほど待つと、料理が運ばれて来た。

 以前、ビルが旅の笑い話として、傭兵時代に入った店の話を聞いたが、なんでも一時間近く待たされた挙句、自分で作った方がマシ、といったレベルの料理を出されたことがあったという。

 この店はそうでなかったことに安心しつつ、早速ルイスはフォークを手に取った。

 流石に都の、それも人通りの多いところにある店だけあり、食器は美しく磨かれており、フォークは銀製でこそなかったが、細部のデザインにまで凝った上等品だ。

 旅の食器は保存性とコストパフォーマンスの良さから木製のものを使用しているので、使い慣れたそれらの食器とは比べ物にならない豪華さに、未だ貧乏性の抜けないルイスは思わず尻込みしてしまう。

「……ルイスサン?」

 銀食器でさえ見慣れているのだろう。物怖じすることなくベレンが鉄色に輝く食器を手にする姿はまた、可愛らしさの中に気品が感じられて、絵になっている。

「な、なんでもないよ。いただきます!」

 高級な食器にびっくりした、などといってもベレンは憐れんだり嘲笑したりする人物ではないとわかっているが、素直に言うのはルイスのプライドが許さなかった。

 騎士の誇りも、ビルの様な根拠のない自尊心もないルイスだが、女の子の前ではちょっとぐらい格好を付けたい。それも、少なからず自分に幻想を抱いている相手なら尚更だ。

「はい、いただきます」

 注文した麺料理について、軽く説明するとこうだ。

 ソースは牛乳ベースの、所謂ホワイトソースが使われている。それも濃厚な良い牛乳が使われているのは、少し口を付けただけでわかった。

 具材は、乾燥させたものを水で戻したのか、キノコと貝が使われていた。

 ルイスの村はかなり奥まったところにあった為、乾燥物以外の魚介類を食べたことはほとんどなかったが、この辺りまで来ると海も近い。新鮮な海産物を手に入れるのも造作のないことなのだろう。

 肝心の味は全体的に優しく、まろやかにまとまっており、山のものと海のものが混ざっているというのに、意外にも調和の取れている味にルイスは目を見張った。

 その驚きはベレンも同じだった様で、美味しさに目を輝かせながらも時々、うんうんと頷いたりして、よく舌の上で味を確かめながら食べていた。自分でも同じ味を再現出来ないか、思案しながらだったのかもしれない。

 料理を食べ終わったのは、ルイスが先で、その五分後ぐらいにベレンもフォークを置いた。

 女の子の食事はゆっくりだというが、普段の食事はビル以外、ほとんど同時に食べ終えている。今回ベレンが遅かったのは、よく研究しながらだったからだろう。

「ごちそうさまでした」

 財布を握るのは、ルイスの役目になっている。お代を払い、釣りを受け取っても、財布はまだまだ重たかった。簡単に底を尽きてしまわない様な「おこづかい」というのは初めてで、大金を所持しているのだという実感がプレッシャーとなってのしかかって来た。

 父は豪傑な人物だったと聞いているが、ルイスはとてもではないがそんな人間になれそうにない。

「さて、次は服でも見に行かない?というか、行こう。値段とか気にしないでいいから」

「い、良いんデスカ?初日からそんなに無駄遣いしてしまって……」

「無駄じゃないから大丈夫!ベレンもほら、新しい服着たいでしょ!あ、勿論今の服も、すごい似合ってるけどね」

「は、はぁ……」

 “鋼鉄剣士”と謳われた男の息子は、とりあえず金の重圧から逃れようと、ロレッタから与えられた指令を早回しで達成することにしたのだった。

 銀貨が大量の細かい銅貨になった方が、重くなるという単純なことを忘れたままに。

「疲れたー」

 ベレンの服を一緒に選ぶ。

 大道芸人のものではなく、ちゃんとした芝居小屋で劇を見る。

 甘いものを一緒に食べる。

 豪勢な夕食を食べる。

 指令の内、金を使う類のものをあらかたこなしてしまい、帰って来たルイスはベッドに倒れ込んだ。

 身体的疲労よりは、気疲れの方が大きかった。

 服を選ぶというのも、ルイスにとっては難題だったし、甘いものもそうだ。嫌いではないが、今流行りのスイーツを食べるのは、中々に骨が折れた。

 だが、その甲斐もあってか、ベレンは遠慮しながらもずっと笑顔で居てくれた。

 初めて出会った頃、顔では笑っていても、心には影の差している様な、かげりのある笑みが悲哀を誘った彼女だが、今ではすっかり年相応の少女に見える。

 盗賊の騒動が片付いたのもそうだが、身寄りのない旅から一転、三人もの人の良い仲間が出来たのが大きなプラスの要因となったのだろう。

 身分を隠さなければならない旅だったのに、全ての秘密を打ち明けることが出来るという環境も功を奏したに違いない。

 ――今、そのベレンは入浴中だ。

 ずっと遊び回っていたので、宿に戻ったのは他の宿泊客が風呂を使い終わってからだった。

 今、ベレンは一人のんびりと湯に浸かっていることだろう。

 思春期少年として、その光景を全く妄想してみないほど、ルイスは欲のない人間ではないが……その映像は、薄くもやのかかったものになっている。

 実物はおろか、平面上に描かれた「それ」すら見たことのない少年には、そこまでが限界だからだ。

 ビルは傭兵時代、あぶく銭を手にした時に娼館に足を踏み入れたと聞いている。一般人相手は不明。

 当然、ロレッタにそんなことを訊ける筈もないが、ルイスの予想としては、もう経験していてもおかしくはないだろう、というところだ。

 都会に住む子供は、何かとませているという。彼女が都住まいをしていたのは、丁度ルイスやベレンと同じ頃までだが、ルイスと同い年でもう結婚しているという少女も、おかしくはない。

 ベレンはまだ、きっとないだろう。逆にそんなことはなかった場合、少年の幻想がまた一つ、音を立てて壊れて行くことになる。

「お先失礼しましたー。お次、どうぞデスー……?」

 噂をすれば、影。

 風呂場からベレンが帰って来た。

 湯上がりの彼女の肌は、赤く上気して、平常時にはない色気を感じられる。一、二歳は大人になったみたいだ。

「うん。じゃあ、次行くよ。ベレンはもう、先に寝てて良いけど――」

 おかしな妄想を悟られまいと、出来るだけ平静を装う。何かとどもる彼が、一言もどもらなかったのは称賛を浴びても良い偉業だ。過去に二、三回ロレッタに指摘されている。

「いえ、まだ大丈夫デスヨ。そんな、子供じゃないデス」

 本当に気に障った訳ではなさそうだが、ベレンは頬を小さく膨らませた。

 やっていること自体は幼稚だが、「子供じゃない」という言葉がルイスの頭に残る。

 子供じゃない。少年の幻想をぐらつかせるのに、十分な言葉だ。

「ベ、ベレン」

 だから、確認せずにはいられない。

「はい?」

「赤ちゃんが生まれるのは、キャベツ畑?それとも、コウノトリ?」

「へ、へ?両想いの人同士が手を繋いだら、妊娠するのではないのデスカ……?」

「来たーー!!」

 夜なのに、大きな声を出して飛び跳ねてしまう。隣の客から、壁をどんと叩かれてしまったが、気にしない。

「うん、そうだったね。じゃあ、お風呂行って来るよ」

「は、はい……」

 当然、ルイスは気付いていない。

 朝からずっと、二人は手を繋いでいた。

 ベレンの理論で行くと、もしベレンがルイスを想い、ルイスがベレンを想っていれば、妊娠してしまうということになる。

 だが、ベレンは恥ずかしそうにしながらも、彼の手を握った。

 他人の心までわかる筈がない。ベレンは、ルイスに特別な感情を抱いていないから、手を握っても問題ないと判断したのだろう。

 一方、ルイスは本音をいうと、彼女を全く意識していない訳ではない。ビルに言われた通りになるというのは、癪だが。

 今、少年の恋が、悲劇的な結末を迎えた。

 その事実に、ルイスが気付くのは明日の朝か、早ければ風呂から上がってからか、鍛練の最中か、布団の中か……。


 
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